ロンブー淳は既婚女性から蛇蝎のごとく嫌われており、特に結婚して子どもがいる主婦からこいつくらいに嫌われているのは世界中に一人もいないと思うのだが、しかし若い美人をたくさん抱いているのも確かである。
何かしら結婚をイメージした場合に、絶対に関わりたくない相手なのだろうが、結婚など考えもしない20歳くらいの美人だと、ロンブー淳に何ら抵抗感を持たない。

ロンブー淳はなんかやたらと観察力があるのである。
この観察力で若い女との関係がシームレスになっていてするりとチンコが入っていくのである。
ロンブー淳の知能指数が低いのは明らかだが、おそらく視覚認知がかなり優れている。
なんかやたらといろんなことに気付くのである。
野性に近い人間ならではの特徴なのである。
知力が未発達な野性児は未婚の女をたくさん抱ける。
ナードが若い女から疎まれ、しかし結婚相手としては受容される問題と通底しているのである。

雑談が出来ない人は、視覚認知が弱いのである。
他人の髪型が変わっていても気付かない。
なにしろ視覚認知が弱いから、さっき会った人の髪型もよくわからない。
それこそ、自分の家族の髪型さえ把握していない。
何も気付かないのだから、話題に乏しいに決まっているのである。
やはり視覚認知あってこその雑談なのである。
いろいろと周辺世界を観察して、その発見を会話に発展させる。
文字が読めなくても女性のちょっとした髪型の変化やファッションには気付くのがロンブー淳なのである。

共通の話題があれば、雑談は成立するだろうが、そういう共通の趣味を語り合う雑談ではなく、どうでもいい四方山話は観察力がないと出来ない。
視覚認知(観察力)が弱い場合、共通の話題を見いだせないと黙り込むしかないのである。
意味のあることはちゃんと話せても、無意味な雑談には向いてないという人もいるであろう。
観察力があると、いろいろと周辺から読み取った情報を話題に出して、すんなりと無意味な雑談できるのだ。
雑談する時に共通の話題を探してしまう段階でぎこちないわけであり、無言を避けるために冷や汗を流しているだけなのだ。
芸人が他の芸能人の人間性を批判するという開いた口が塞がらない行為の問題。
悪口を言いふらすという行為を人格者タイプの人がやることがまずない。
たいていはろくでもない人間が言いふらすわけである。

それではなぜ言いふらすのかというと、人格者だと思われるメリットが少ないからであろうし、クズだと思われていた方がメリットがあるからである。
テレビを占拠している芸人が「あれはほんとに腹が立ちましたわ」とか言うの、馬鹿じゃねえのと思うわけである。

たとえばブラマヨの吉田が、アイドルと共演した時に、ナンパしているところを目撃したという話をされて、後から激昂したツイートをしていたが、まあ普段はこれで関西人から共感されているから、そういう癖が付いているのだろう。
また、激怒したことで、ナンパを目撃したというエピソードが台本ではなく、本当にガチで目撃されたという証明になってしまっており、なんか食物連鎖の一番上のライオンらしいので、まあなんというか、特権階級の馬鹿の極みであり、腐敗した朝鮮王朝の両班を見ているようなおごり高ぶりである。

こうやってわたしがブラマヨ吉田に筆誅を加えても、なにしろこいつはクズであるのが商売なのだし、これがビジネスとして確立しているのだし、変なことを言って小杉に突っ込んで貰うという、口さえ動けば寝たきり老人でも出来る作業しかしてないのだから、こいつに長広舌を振るうも空しいが、なんかブラマヨ吉田が「あいつの態度がむかついた」とか言うのはそれを真に受けてる馬鹿が結構いるんだろうなと思うし、反知性主義が跋扈し、民度が低いからこそ芸人がたくさん出ていられるのだろう。

ジャニーズタレントの不祥事を目撃したとか、枕営業の現場を見たとか、そういう話ならどんなに言ってもいいが、吉田への「態度」の話とか、本当にどうでもいいのだし、実際、芸人が誰かの悪口を言いふらすのは、たいていが「態度」の問題であり、芸人は一大勢力であるにせよ、そのヒエラルキーの圏外の芸能人を叱りとばすわけには行かないので、せめて出演番組を使って報復だけはしておこうということなのだろう。
「あいつは芸人を馬鹿にしているから許せない」というが、芸人が馬鹿にされているのではなく、馬鹿しか芸人をやらない現状が問題であり、低予算番組のために質の低い芸人を集めているという事情をもっと理解するべきであろう。
本物はギャラが高いからニセモノを呼んでるだけで、吉田はその典型だろ。
芸人だから馬鹿にしてるのではなく、吉田だから馬鹿にしてるんだよ。
ともかく吉田はどこかの大物芸能人の不祥事でもドカーンと暴露してくれよ。
吉田への態度が悪いとか、それはわれわれにとって本当にどうでもいいから言わなくていいぞ。
「あのアイドルは性格悪い」とか芸人の口から聴くのがどれだけあほらしいか。
われわれは菊地最愛原理主義者である。歴史に名を残した歌姫を思い浮かべると、ほぼ例外なく感極まってみせるのが得意なのである。これは技術でもあるし、性格的な情緒の問題でもある。歌姫が晴れの舞台で恬淡と歌っておしまいだったらどうなのよ。安室奈美恵がCan You Celebrateを歌う場合に、大舞台では「風に吹かれて生きてる今」のところで感極まっているはずである。メロディ的にも歌詞的にもここが最も重要なフレーズだからである。たぶん中元なら「風に吹かれて生きてる今」の部分も、他のフレーズと同じように歌うのだろうし、どんな大舞台でも棒読み歌唱なのだろうと思われる。ヘドバンギャーが、本来は名曲であるはずなのに駄曲になったのも、中元がいたって恬淡とした歌唱をしているからである。歌唱力だけ聴いてるとすごい上手いんだけど、どのフレーズもすべて均一の歌い方をしているので、これでは機械みたいだし、クライマックスがないからカタルシスもないし聴いてる方も乗り切れない。もあちゃんは思春期の女の子としての感情の高ぶりを歌に乗せているから、やはりこれはすごいと思うのである。この感情の高ぶりの表現こそが人間であり、愛であり、中元すず香というサイボーグには出来ないことなのだ。われわれ菊地最愛原理主義者は、ヘドバンギャーのボーカルを中元から菊地最愛に変更することを要求する。なんか中元は表現者に向いてないんだよね。歌姫らしく感極まってみせる感性がないから、感情の高ぶりで大衆の心を揺り動かすことがまったく出来てない。ベビメタがブレイクしても中元がブレイクしないのはこれが理由である。セラフィムとサキュバスが同居しているもあちゃんは、天使の高潔な聖性を失わずに人を虜にする悪魔的技術に長けており、これぞ本当の歌姫と言えるのである。愛がなくては歌姫とは言えないのである。ではなぜ中元がBABYMETALのセンターなのかというと、アミューズの役員に気に入られているとしか思えない。われわれの想像で言うならPerfumeに関わっているアミューズ役員が中元を推している。ここまで縷々と述べてきたように、中元の歌唱には感情の高ぶりがなく、歌姫らしい資質を欠いていると思うのだが、これはPerfumeの口パクに似ているとも言えるわけである。Perfumeと中元はアクターズスクール広島の出身であるし、いかにもPerfumeの口パクを生歌で再現できるサイボーグであるし、それがゆえに絶賛されていそうな気がするのである。われわれ菊地最愛原理主義者はアミューズの株主ではないが、感情が高ぶらない中元のサイボーグ歌唱は歌姫として失格だと思うし、16歳となるゆいもあのアイドル絶頂期を封印するとなると、何億何十億という機会損失であるから、株主総会でどのような説明がなされるのか興味深い。ともかく菊地最愛個人の活動の話がまったく聞こえてこない。菊地最愛がすでに遺骸となったのなら、どれだけ喪に服しても、われわれ原理主義者の喪は明けない。もあちゃんは世界変革のために神様から贈られた最高のプレゼントであるし、この人類の教師たるべき人物が表現力を発揮できないなら、このディストピアの暗澹たる瘴気は猖獗極まりなく広がり、われわれの神経も意志もすべてを縊死させていくであろう。たとえば半年先に菊地最愛の個人活動が予定されているのなら、われわれはその半年間を、レオナルド・ダ・ヴィンチに注文した絵画が仕上がるのを待つかのように、その天才の画想を想見し、じれったいながらも甘美な時間を過ごすことが出来るであろう。このままもあちゃんの芽が摘まれて、アイドルの絶頂期を中元の脇役として過ごす可能性が高いからこそ、絶念ともいうべき無明の時間を生きている。
ニーチェ思想はこの手の硬い哲学の中では例外的に人気があるわけだが、これは政治的正しさ(ポリティカル・コレクトネス)を否定するトリックスターとして求められているのである。

この世の中であまりズケズケと本当のことを言うわけにはいかないので、表向きは綺麗事で流しているのだが、そういう政治的に正しい安全な意見の跋扈は、いわば人間を真実から遠ざけるペストの流行であり、これを叩き潰さなければならないこともある。

綺麗事は綺麗事として必要なのだが、嘘くささが降り積もって枝がたわみ耐えきれなくなる時があるのであり、この閉塞感が限界に到達した時に、トリックスターを演じる人間が登場し、欺瞞を排泄する必要があるのである。

極端に言うならニーチェ思想の中身はどうでもいいのである。
ニーチェはただひたすら綺麗事の破壊者であり、それ以外の何者でもない。
それがたまたまファシズムと当てはまったのである。
ニーチェが死んだ後に、ニーチェの妹であるエリーザベト(1846-1935)はナチスに接近し、このエリーザベトが死んだ時は、他ならぬアドルフ・ヒトラー(1889-1945)が葬儀に参列したのであるが、これこそまさにニーチェなのである。
妹が勝手にナチスに接近しただけでニーチェは無罪だと主張するのはたやすいし、実際にニーチェ(1844-1900)が発狂して死んだ後の話なのだから、そもそも有責性があるはずがないが、やはり何かしら閉塞感が世界を覆い尽くした時に、墓場からニーチェが掘り起こされるのであり、これは善悪を超越した問題である。
われわれは菊地最愛原理主義者である。なにしろ原理主義者であるから原理主義なのである。菊地最愛だけを崇拝し、それ以外は淫祠邪教として糾弾する。なぜかと言えば菊地最愛原理主義だからである。幕張のチケットの先行販売でほとんど落選者が出なかったのも、一過性のブームだったことを現しており、やはり飽きられているのである。さっき8400円振り込んできてから改めて考えたんだけど、ベビメタって遠距離で見ると本当につまらない。ボーカルなら遠距離でも歌声が伝わるからいいが、ダンスはかなり厳しい。茨の冠をかぶせられゴルゴダの丘へ登るもあちゃんが豆粒にしか見えないのは、その痛ましい悲劇をまざまざと見せられないだけいいのかもしれない。だが、この天才的な表現者が豆粒でいいというのなら、中元もマイク使わないでアカペラでやれよ。これから16歳になる菊地最愛と水野由結の商品価値は超絶的である。それに対して、ベビメタはももクロが右肩上がりで動員を上げていった時の勢いがまったくない。完全な一発屋のパターンに入っている。何しろゆいもあというスーパースターが遠距離だと楽しめないのだし、中元という声量ジャイアンになぶり殺しにされる体験をするだけである。ベビメタは明らかに失速していて、菊地最愛と水野由結の超絶的な人気で穴埋めしている状態である。われわれは菊地最愛原理主義である。菊地最愛という天才の表現がライブで体感出来るのでなければ、それは糞ライブであり、そんなユニットは解散するべきだと主張する。われわれはアミューズの株主ではないので意見する立場ではないが、巨額の利益を生み出すはずのゆいもあをサイドダンサーとして使い、ライブだと豆粒だからつまんなくて動員が頭打ちという事実をどう釈明するのだろう。われわれ菊地最愛原理主義者が中元をボーカルから外せと主張しているのは、菊地最愛を天才だと考えるからだが、何しろもあちゃんに歌って貰えば、距離感が縮まるからである。大箱の最後列で見るとしても、もあちゃんの歌声さえ響いてくれば、それはひとつの宇宙なのである。ゆいもあが豆粒で、中元の声量ジャイアンぶりしか体験できないのでは悪夢のようなリサイタルであり、これに8400円払う数奇者がそういるとは思えないし、ライブ動員で頭打ちになるのも当然。どうせ豆粒ならサイドダンサー変更して、ゆいもあは脱退で別ユニットやるべきである。ゆいもあは東京ドーム満杯にできるし、サイドダンサー交代のベビメタはさらに寒くなっていく。これによってアミューズは企業として莫大な利益を得るだろうが、中元を膝に乗せて頭を撫で撫でしてる役員が許さないであろうし、ゆいもあは木に吊されてリンチであろう。ゆいもあが16歳を手前にして最高の状態に仕上がっているのだから、この極めて商品価値の高い二人が、本当にこのオワコンユニットのサイドダンサーでいいのか、よくよく考えるべきである。もはやもあちゃんの素顔に接するのは幽邃たる深山幽谷で仙人に逢うかのごとく難しく、せめてあの凛とした歌声が甘露の法雨のように降り注ぐことを願うが、これも、現代の楊貴妃たる中元すず香のせいでわれわれ衆生はこのディストピアで、永遠なるもあロスに向き合わされている。こうやって縷々と述べたところで暗澹たる不定愁訴が終わる見込みはない。アミューズ社は、商品価値が超絶的に高い二人が、売れ損なったセンターを支えている異常性を自覚せよ。超絶的な人気のゆいもあのダンスが豆粒で、あの人の歌声だけがすごい音圧で響いてくるって、何の嫌がらせだよ。
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