https://twitter.com/hayakawagomi/status/624503816461770753
keraharukaze.jpg

新たなる類友候補。
はるかぜと類友になるのは、自己欺瞞を抱えている人である。
自分に関してかなり特殊な認識を持っている。
本当は自分はすごい人物だという認識は誰にでもあるにせよ、その自己欺瞞をビジネスに繋げようとするのである。
頭の中で「自分は本当はもっとすごい」と思っていても、その自己認識をビジネスにする人は少数派である。
その少数派がはるかぜというアイコンに群がる。
端的に言うなら虚業ということになるだろうが、詐欺や経歴詐称とは別枠であり、肥大した自意識そのものが商品なのである。
このハヤカワ五味というのも、なんかTehuとお仲間だし、また自分が多忙であることをやたらとアピールしている。
何かしら理想の自己像がビジネスなのである。
すでに理想が実現した成功者を演じているところがポイントである。
理想像を演じる活動がどこかで破綻するのがはるかぜ親子の類友に共通して見られるので、今後が楽しみである。
われわれは関心を共有することで世界に共同存在している。その場に居合わせるひとたちと関心を共にしなければならない。物が交換されると市場となるように、人間が接すると世界なのである。満員電車に押し込まれたひとたちは、アーヴィング・ゴッフマンがいう儀礼的無関心を貫いており、狭い空間にひしめき合いながらも素知らぬ様子を貫いているが、コミュニケーションが期待される空間でそういうわけにはいかない。場を生成しなくてはならないのだ。ADHDは気が散っているから関心の焦点が合っていない。ひとびとの注意や関心がひとつの像を結ぶことが期待されている時に、ADHDは一人だけぼんやりしているのである。これは悪事とは別の問題である。注意欠陥で交通事故を起こせば悪事となるだろうが、ぼんやりしている程度であると、悪事というわけではない。何かしらズレがあり、周囲と咬み合わないだけであるから刑務所に送るわけにはいかない。なにをやってもチグハグな人を悪意に満ちた凶賊と扱うわけにはいかず、地獄で獄卒にいたぶられるべきとも言えないが、やはりADHDは酔っぱらいと言うしかないのである。昼間から酒を飲んでいるような状態。これも文字通り本当に飲酒していれば悪いと言えるのだろうが、ADHDは酒を飲んでないのに酔っぱらいなのだから悪事とは言い難い。ぼんやりしているのは、他者に注意を向けて関心を共有することを拒んでいるのだから、一人だけ酔いつぶれて正体不明なのである。ADHDは面白がる天才であるがゆえに天才にならない。どのような愚かしい些末な夾雑物でもADHDは笑うことが出来るし、自分だけでお祭り騒ぎになってカタルシスを得る。そんなに楽しいのになぜADHDの人生が塗炭の苦しみになるのかと言えば、一人ではしゃいでる状態が顰蹙を買うからである。空疎な歓喜があるだけで、そのカーニバルが終わった後は狂躁の残骸しか残らない。やはり酔っぱらいなのである。いかにも楽しそうにネットに大量投稿する人がどこにでも必ずいるが、アル中かADHDかどちらかである。面白がるのが悪事であろうかというと悪事ではないだろうが、やはり酔っぱらいなのであるし、自分が面白いことが他人も面白いかどうか考えることもないから、悪目立ちを繰り返して蛇蝎のごとく嫌悪されるのも自然である。「酒など飲んでない」と反論されても困る。抜け目がない人間とは対極であるからイノセントと言えないこともないし、迫害される無辜の民という自意識を持つこともあるが、その盲いた生き方はアル中と同じなのだから脳障害と呼ぶしかない。地獄には堕ちないとしても賢明さを欠いているのは間違いなく、何をやってもちぐはぐな人間を有徳者とは言わない。
はるかぜ親子は今年の一月あたりにツイッターを消したが「ナベプロに移籍しました」と二週間くらいで戻ってきたわけである。
ツイッターはアカウントを消しても一ヶ月間は復活可能なので、その間に粘ったと思われる。
裏側がどうなっているのかはまったく不明であるが、マネージャーが厳しい方針を決めてもはるかぜ親子が「しょこたん助けて」と泣きついて覆していたというのがわたしの想像である。
このところ中川翔子とも共演がなくなったので、さすがに距離を置かれたと思われる。
今回ブログに移行となったのは、中川翔子が助けなかったから、マネージャーの意向が通ったのだと思う。
タイミング的に、進撃の巨人のコンサートの件でつまらない弁解をして炎上しそうだし、しばらくはツイッター禁止にしたいというのもあるだろう。
ほとぼりが冷めたら舞い戻ってくる可能性は充分にある。

この親子は善悪の観念はあるが、常識・非常識という観念がまったくなくて、それによって他人との衝突を繰り返している。
アンチから被害を受けていると言っているのは狂言の部分が大きいが、どこかしら本心なのである。
顰蹙を買う言動をしてもまったくおかしいという自覚がないらしく、完全な冤罪で非難されていると考えているようだ。
悪事とは別枠の非常識という問題がなかなか理解できないようだ。
極貧家庭というわけでもなさそうだが、貧困の部類には入るであろうし、その階層特有の品性の欠落がある。
恵まれた家庭環境の人間なら上品に振る舞うわけだが、それと真逆だとDQNになるのはよくある話である。
この親子は悪事を働くタイプではないので、非常識さが悪目立ちする。
いわゆるワルだと他人の隙を窺っているし、周辺世界への観察眼はあるわけである。
この親子はワルとはまた違うので、周囲が見えてないしズレている。
普通の人なら遠慮がちに振る舞うところでガツガツするし、はしたないと言われることを平気でやる。
はしたないのは悪事ではないし、品性の問題であるが、どうやら品性という観念を持ってないらしい。
善悪が判断のすべてで常識・非常識はないのだから、これは困った問題。
自己欺瞞が強くて、自分で自分を騙しているタイプだから、現実を認識させるのも困難。
先日の彩未ちゃんのライブをさくら学院の子が見に来たというので、やや意外な気がしたのである。TOKYO IDOL FESTIVALにも、さくら学院と武藤彩未ちゃんが出るのだが、なにかしら武藤-水野寄りの人間の反動的な動きにも思える。国土を恢復しようというひとつのレコンキスタであり宗教戦争であろうが、さくら学院校長になったつもりのKOBAMETALからすれば、武藤-水野が何かをやるのは、コミンテルンの紅旗を掲げた極左冒険主義者が火炎瓶を投げているのと同等の破壊活動であろう。時間も空間もない無から有象が立ち現れ、それがまた無に帰る力学である。正統と異端が判然とせず、誰が容喙し僭称しているのかわからない力の世界。さくら学院はあくまで重音部(中元すず香)が支配しており、バトン部(武藤彩未)は磊落を極めている。彩未ちゃんがゆいもあと共演を希望しても断られていたわけである。現状のさくら学院はKOBAMETALの麾下にある。ゆいもあと彩未ちゃんの共演を拒否するのは、この地球上にKOBAMETALしかいない。重音部が成功案件でバトン部が失敗案件なので、重音部に優先権があるのは当然であるとはいえ、水野由結ちゃんに彩未ちゃんの宣伝すらさせないというのは解せない。渋谷公会堂の彩未ちゃんのライブにも中元は来なかったし、裏事情は察しが付く。ゆいもあは来たけれども、その画像などは禁止でありコメントも出されていない。つまり観客として見るのは勝手だが、宣伝は禁止ということだ。アミューズキッズの流れはあまりよくわからないのだが、おそらく武藤・水野・佐藤・飯田は幼少期からの関係であるはず。中元すず香は当時アミューズと提携していたアクターズスクール広島経由である。もあちゃんはちゃおガール経由で、今はこっちが主流ながらも、元々は傍流と思われる。もあちゃんが中元に対して過剰にフレンドリーに接していたのは、浮いていた中元への配慮もあるだろうし、また武藤-水野の派閥が強いので、そことは別のところで人間関係が生まれたと思われる。もあちゃんもいろいろと反省したのか、このところは武藤-水野に擦り寄っていて、中元から離反しているが、アミューズの決算資料では三吉・松井がさくら学院の代表という扱いであり、この不自然さはKOBAMETALの意向であろう。人気ファッションモデルである三吉・松井としてはさくら学院のイメージは付けたくないはずだが、KOBAMETALという暴君が中元の代わりに三吉・松井を立てたのである。さくら学院の顔と言えば、どう考えても水野由結ちゃんであるだろうに、KOBAMETAL+中元すず香としては武藤-水野グループは排除したいのであろうし、ついでにもあちゃんも巻き込まれて廃嫡の扱いである。水野由結ちゃんが表紙から消されたさくら学院は、日本から日本人がいなくなって朝鮮人しか住んでないような世界である。武藤-水野を分断するためにいろいろ工作しているのだろうが、中元と水野は一貫して仲がよくないし、三吉と松井も本人が嫌だと思うので、これはKOBAMETALの暴政に他ならない。さくら学院にこだわりのあるOBといえば、武藤-水野ともあちゃんであるが、ここは賊軍の扱いであり、あくまで中元が官軍なのである。中国皇帝は易姓革命により支配者が変わるから、乗っ取ればそれが正統なのだし、チンギス・ハーンがユーラシア大陸を蹂躙していた13世紀にはモンゴルが支配したわけである。フビライ・ハーンの元王朝は正統であるし、中国としてはこれが当然なのだ。力による皇位の簒奪は正義である。天皇制は万世一系であり世界最古の王朝であるが、武藤・水野・菊地を排除して新しいさくら学院の王朝を作るのは、いかにも日本人らしくないので、アミューズらしいと言える。深山幽谷の地でひとりのゾロアスターとして思想を深めているもあちゃんがいずれ人類愛を説くために世界史に現れる時をわれわれは待ちわびているのであり、現在の重苦しい沈黙は、来るべき最終大戦に向けて超人が羽化するための端境期であろうと考えるのだが、それは終の棲家で死を俟つだけの窮民が生み出した夢想かも知れず、KOBAMETAL+中元すず香が真っ黒に塗りつぶした大地が浄化され、金色燦爛たる煌めきを放つ瞬間が来るかどうかは杳として知れない。どれだけ生活の利便性が増そうとも人類はすでに頭打ちであり、BABYMETALというゴミユニットが変わり映えのしない舞台を延々とループさせているのは、歴史が終わった世界の勝利者そのものなのであろう。階級闘争の理論は破綻し人間の序列が固定された世情である。これまでわれわれが苦悶してきたのは死骸となるまでの断末魔であった。このあらゆる大衆運動が頓挫した末法の世で死に絶えるわれわれは、人類の限界を目の当たりにしながらも、屍山血河の戦場で天使を見るように、新たなる宇宙を生成するひとりの超越した個人を想見するのである。これを菊地最愛原理主義という。
はるかぜ(母親)の年齢はまったく不明であり、推定の材料となる傍証もまったくないのだが、話題の選択がやたらと古いので、あまり若くない母親であろうと思う。弟が中学一年生なので、それを38歳で生んで現在50歳というのが現実的な想像であろう。この世代だとやたらとヒステリックな女が多いというのもあるだろうが、とにかく負けず嫌いで口論がすべてである。負けず嫌いだから黙々と勉強するというのではない。ただひたすら口論するのである。

そもそも負けず嫌いの定義だが、試合に勝つためにひたすら練習に打ちこむ人間を負けず嫌いというべきではないだろう。負けたくないという理由で他人に突っかかっていくのが負けず嫌いである。いわば場外乱闘をやるかどうかである。はるかぜ(母親)は口論だけの人生であった。やはりネットだと会話が文字で残ってしまうので、それが揶揄される原因となった。リアルでの口論だと、とりあえずわけのわからない難癖を付けておけば、その当事者の間だけで押し切れるが、ネットだと第三者が会話のログを見て、その支離滅裂な内容を嘲笑するのである。

負けず嫌いが口論に向かってしまう人間は人格障害と言っても差し支えがない。お隣の韓国が文化的にレベルが低いのも、エネルギーが口論に向かってしまうからであろう。韓国では見知らぬ人が路上で口論するのも珍しくないという。やたらと口論が好きなのである。ネット以前であれば、ログが残らないので口論はひとつの攻撃として有効であったが、現代ではそうではない。嫌韓が広まっているのも、彼らがソウルの路上でやっている口論がネットでは残ってしまうからである。路上でおかしなことを言っても当事者しかわからないのでいいが、ネットでもそれをやったのが韓国人であり、これは手に負えない民族だという認識が広まった。

はるかぜは現在ツイッターを禁止されているようだが、禁止されてなければ、例の進撃の巨人のオーケストラに関して主催者を擁護するようなことを言っていたはず。おかしなところを突っ込まれたら論点をずらして徹底抗戦したであろうし、紅蓮の焔が大地をなめつくすようにこの問題が燃え広がり、多くの人の関心を惹起しながら版図を広げ、ヤフートップにまで載ったかもしれない。自尊心のためなのだろうが、要は他人を敵と見なして口論しているだけである。他者と敵対的であり面子がすべてというメンタリティーなのである。温厚な人はあまり自尊心という言葉を使わないのに、気性の激しい人間は多用するから、怒りの強さの問題でしかない。
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
スポンサードリンク
RSSフィード
プロフィール

Author:ukdata
FC2ブログへようこそ!

katja1945uk-jp■yahoo.co.jp http://twitter.com/ukrss
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
アクセスランキング