中川翔子(29歳)は少なくともイラストの才能はあったのである。10年くらい前の絵を見ても、まったく絵柄が古くないし、本気で練習していたらイラストレーター専業でやれていた。音楽家であれば、天意を受けた選ばれし者だけが天才として君臨し、それに辿り着けなかったものは、実家が裕福でもない限り食うや食わずやの状態になる。イラストは最高峰を極めなくても、一定の水準に到達すれば評価してもらえる世界である。中川翔子は決して大芸術家ではないが、それなりに評価されるイラストは描けるのである。だが、絵を描く暇もないほどタレント仕事があったので、かつて絵を描いていたことなど忘れ去り、タレント活動にどっぷり浸かり、賞味期限を迎えたのである。ネットでの評価が極めて低下しているのは、サブカルチャーから完全に離反したからである。スキャンダルが致命的だったが、そもそもテレビで知ったかぶりのオタクをやるタレントに堕していたから、ネットユーザーからの共感性はとっくの昔に失われていた。まともに絵の練習をしていれば、オタクやサブカル系からリスペクトされるのは簡単だったし、知ったかぶりではなく、ちゃんとした実力者として存在出来たはずである。

中川翔子にイラストを描かせてもナベプロにはまったく利益がない。中川翔子に印税が入っても事務所は儲からない。ナベプロとしては、若い間にタレント仕事を詰め込んで儲けたかったのである。中川翔子というブランドを本気で考えるなら、本来はイラストレーターとタレントを兼業するのが望ましかったが、イラストレーターをやる分だけナベプロの稼ぐ機会が減るから、薄っぺらいタレント仕事で埋め尽くされることになった。

仮に、タレントとして鳴かず飛ばずで、平野綾ちゃんやはるかぜのように空閨を託つ日々を送っていたら、その雌伏の時を画力向上に捧げ、活路を見いだすおもしろさがあったのに、不幸なことに、寝る間もないほどタレントとして引っ張りだこだった。薄っぺらいタレント仕事のオファーが途切れないのだし、中川翔子の希望で仕事をセーブするわけにはいかないだろうから、ともかく糞みたいなマルチタレントの仕事に忙殺され、才能があるにもかかわらず、何のスキルも身につかず、30歳前後で退場していくのは当然なのである。

大量のタレント仕事をこなしたのだから、金はかなり貪欲に稼いだであろう。しかし地頭がよくイラストの才能もあったのに、振り返ってみれば、細川ふみえや優香と同レベルというのは気の毒である。本気でイラストに打ち込んでいれば、今頃は岸田メルくらいの存在になれたかもしれないし、兼業でやってても、なかなかの水準ではあっただろう。まがいものではない才能を持っていた人物が、すっかりまがいものに堕落したのだから、その磊落した遺影に向けられる目線は蔑みだけであり、誰も共感はしないだろう。この10年くらいで絵もかなり下手になってるから、今から練習しても遅いと思われる。かつて所持していた才能はすっかり朽ち果てており、そのかつての煌めきは、陰画のように退化した痕跡器官として残るだけである。鈴木奈々みたいに何の取り柄もない人間がバラエティーで頑張ってるのは望外の成功としても、才にあふれていた中川翔子が、中身のない知ったかぶりだけのタレント仕事に忙殺されて、容姿の劣化を迎えたのは、貴重な若さと類い希な才能をお金に換えたのであり、悪魔に魂を売った人物という印象を受ける。

ナベプロと言えば、ナベプロ系列の蒼波純も気になるところである。宮城県ではもう学校が始まってるのに、蒼波純は映画撮影をしている。一学期は学年二位だったそうで、とても勉強熱心であり、発言も極めてしっかりしているから、東京に生まれてたら桜蔭やフェリスに通ってそうなイメージなのだが、(実際はそこまで優秀ではないにしても)、日能研の栄冠クラスにいるような女子と同じようなオーラがある。彼女たちは、わたしを毛嫌いしていた公立小学校の女子とは違い、ハンセン病の慈善活動をする美智子皇后のようなノーブルな気品を持って、分け隔てなくわたしと会話してくれた気がするのだが、やはり偏差値が高い女子は貴人というべき存在であり、学校の女子とはまったく別の人種であったから、蒼波純はそういうノスタルジーを喚起するのだが、早くも芸能活動をやるとなると、本人の特質が損なわれてしまう懸念がある。今のところは日能研の栄冠クラスにいそうな女子だけども、この段階から芸能活動に忙殺されるなら、若さを金に換えるだけで終わってしまい、いかにも優秀というオーラも消えてなくなるだろう。蒼波純が売れることはわかりきっているので、後は大衆の前に姿を現すタイミングなのだが、慌てて戦端を開かなければ勝機を逸するわけでもあるまいし、バブルがはじける前にチューリップの球根を売り払うという話ではあるまい。とはいえ、偏差値の高い女子への偏愛という文脈でとらえているのはわたしだけかもしれないし、容姿以外はどうでもいいのかもしれない。
とても興味深いのは、長期不況に突入してから社交性へのコンプレックスが蔓延し、とどまるところを知らないことだ。社交性とは、いわばゼロサムゲームであり、本人しか得をしない排他的なスキルである。日本人は集団で協調しながらやってきたのである。明治維新で薩摩と長州が主導権を握っても、特定個人の独裁ということは起こらなかった。徳川家康がルイ14世のような権勢を振るっていたかというと、そういうことはない。

その日本おいて、協調性から排他性へという変化が起こったのである。もはや全体を押し上げられないので、一個人が排他的に生き残るゲームになるのは当然としても、たぶん多くの日本人は日本を理想世界だと考えている。「正社員になって小綺麗なマンションに住みたい」とアパート暮らしの非正規が考えているのである。日本は完成された理想的な国であり、しかしたまたま自分が底辺である、という認識をしているのである。そこに階級闘争の意識は一欠片もなく、牧羊犬に誘導される羊のように恬淡と受け入れているのである。

理想的な生活をしているのはアッパークラスだけなのに、なぜか底辺がそれに共感しているのである。たまたま自分の運が悪かっただけ、と考えており、この理想世界に適応できなかった自分をすっかり諦めているのである。バブル崩壊は、第二次世界大戦の敗戦で焼け野原になったのとは違って、先進国の頭打ちだと理解されているし、実際のところそうなのだろう。経済成長で幸福になるという物語は失われた。

バブル崩壊後の女子高生ブームは今日の法律なら明らかな犯罪であり、マスメディアの汚点であるから、回顧されることはほとんどないが、女子の方が社交性が高いのは疑いなく、16歳くらいになれば、偏差値40くらいでもすっかり世慣れている。1990年代は、この女子高生の社交性の高さが礼賛され、宮台真司がメディアに出ずっぱりであった。女子高生は社交性が高いから立派な大人であると主張されたのである。社交性と責任能力を宮台真司は混同していたのである。背景には、一家に一台の黒電話という時代が終わり、個人が携帯電話を持ったことで社交性の格差が生じたことがある。「新世紀エヴァンゲリオン」でも碇シンジの携帯電話が鳴らないことがテーマとして扱われた。

これ以上勉強しても意味がないという意識が浸透している。日本はすでに完成された国家なのである。近代が終了し、その余生のような時間に格差だけが存在している。独身男性の半数が童貞という話もあるが、彼らは決して武装蜂起することはないし、恭順の意を示している。多くの人が新しい理想世界に適応できておらず、少数のアッパークラスが人生を楽しんでいるだけなのだが、この格差を暴力革命でぶちこわそうとする人間はひとりもいない。

AO入試がこれだけ流行ったのも、勉強ができても意味がないというニヒリズムが知識人の中で跋扈したからである。知識人(特に左翼系知識人)の自信喪失が深まり、とても卑屈な態度で社交性に道を譲ったのである。AOに肯定的な人の意見をみると、たいていは恋愛に触れているのが興味深い。大学教授は社交性にコンプを持っているので、世の中にとけ込んで軽やかに生きる若者が、光彩陸離たる煌めきをもった存在として映じてしまうのである。

もはや近代科学や近代文明などに期待してないから、生涯童貞で統一場理論に到達する人生と、道重さゆみちゃんと結婚する人生なら、後者の方がいいに決まっているが、最高の女を抱いたという理由で、生きたまま眼球を刳り抜かれ火掻き棒で打擲されるならともかく、自分だけが生き残るソーシャルスキルを評価されて一流大学に入れるのだから、知性への疑心暗鬼は不治の病なのである。戦後生まれのノーベル賞は山中教授と田中耕一さんしかいないし、現在の大学教授は戦前生まれの知的巨人より圧倒的に劣るので、そもそも誇るだけの知性がないという問題もある。山中教授のiPSも、整形外科医として、患者の目も当てられない傷跡を綺麗にしたいという動機らしいし、容姿面のリストラへの期待の中で生まれた。底辺が武装蜂起しないのは、容姿や社交性の格差は経済的再分配で解決しないと理解しているからであり、近代科学や近代文明にもうんざりであり、意識が都会的に洗練されているからこそ、容姿改善につながらない物理学などなんの意味もないし、数少ないアッパークラスをのぞいて、大多数の出来損ないが、生命の連鎖から退場していくことを受諾しているのである。
http://kai-you.net/article/8186
8月31日(日)のライブをもって活動休止することが決まっている
ソロアイドルのいずこねこさん主演の映画『世界の終わりのいずこねこ』のメインキャストが発表された。

主演のいずこねこさん演じるイツ子の親友・スウ子役に、
講談社が主催するオーディション「ミスiD2014」でグランプリを獲得した新人女優の蒼波純さん。

現在選考中の「ミスiD2015」で一番人気の緑川百々子さん演じるレイニーとの木星人ユニットの相方・アイロニー役に、
新潟美少女図鑑やツインテール協会のモデルをつとめ、
アイドルユニット・駅南いちごぱんつとしても活動中の永井亜子さんが決定した。

本作は、10月中に完成予定となっており、10月24日(金)に「シブカル祭。2014」内のイベントとして、
渋谷にあるソーシャルTV局・2.5Dで先行上映会が行われる。
そのほか、都内や地方でのイベント上映や、全国で順次上映されていく。


あまりにも階段を駆け上がるのが早い。中学生の間は芸能活動控え目くらいに思っていたが、状況はそれを許さないようである。これだけの素材をほっておくわけにはいくまいし、いくらでもオファーがあるのだろうから、受けないわけにもいかないであろう。珍しく学業優秀で好感が持てるアイドルであるのに、忙殺されて消費されていく予感である。全盛期の広末的な立ち位置になると思うのだが、芸能界にいれば、毎日のように口説かれるであろうし、われわれが悲報に接する日も早いかもしれない。男女を問わず支持される少女であるとはいえ、やはり男性スキャンダルは好ましくなく、アイドルはたやすく愛に身を投げて失墜し、遺髪だけを残して去っていくのである。そのモノクロームの遺影と向き合う準備を始めなければならない。ヤマカンが最終選考で落としてなければ、アイドル声優の最終形態が見られたのだが、女優としてヒロインを張れる素材が声優をやるというのも妙であり、演技力は未知数ながら、NHKの朝ドラのヒロインくらいはやってもおかしくない。際限のない可能性を持つ素材であるから、凡人がやっとチャンスをつかんで花をひとつ咲かせるのとは対極であり、何かをやるたびに他の可能性が手折られるような気がするのはやむを得まい。勉強熱心であるところが畏敬の念を持って見られる大きな理由のひとつであるから、寝る暇もないほどに仕事に駆り出され、学業に割く時間などなくなるとすれば、その魅力の本質を失ってしまう気もするが、あらゆる者が求める存在であるから、否応なしに大きな舞台に昇らざるをえないし、選ばれた貴人として天意を背負い、大衆から眷恋され、時代の象徴となるしかないのである。道重さゆみちゃんのようにオワコンのグループに付き合わされて、ややマイナーな存在にとどまるくらいの立ち位置がよかったのだが、蒼波純がひっそりと世界の片隅にとどまることなどあり得ないのである。このニュースを目にしたはるかぜ(母親)の激憤がどこに向かうか不安であるが、はるかぜ(娘)は何の取り柄もない人間であり、誰も求めてないので、せめて母親くらいは無償の愛を注いでほしいものである。
不思議なのは、ネットが普及しても、電通を批判する人がほとんどいないことである。
先日のサッカー日本代表が典型だが、火事を出して焼け太りしてるだけの会社であり、泥棒貴族という立ち位置なのに、せいぜい2ちゃんねるでしか批判されないのである。
マスメディアなら電通を批判した瞬間に圧力が掛かってテレビ画面から消えるのはわかるとしても、ネット広告はグーグルが独占支配したので、電通が入る余地がない。
それでもネット文化人達が、電通を批判しないのは、たとえば津田大介がネットでいくら蓄財しても、今だと自己啓発屋さんでしかないし、SNS的にクソみたいなネット文化人と会って対談してるのを取材だと称してるのがせいぜいであるので、SNSの時代が終わったら、ネタフルのコグレマサトみたいに見掛けなくなるだろうし、死んだら何も業績が残らないから、マスメディアで売れたいという名誉欲はあるだろう。
顔出ししてるネット文化人はひとりの例外もなく、有識者としてクソみたいな審議会に参加して、空疎な名誉を得たいと考えているし、その野心により、電通に金玉を握られているのである。
勇敢だから顔出ししているのではなく、文化人・有識者になりたいという下心があるだけなのだ。

https://twitter.com/AoiNoguchi/status/503069909195059200
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未来の電通マンTehuの周りにも女が集まりだしたらしい。
Tehuはあくまで電通のインターンを一週間やっただけなので、電通社員になることが決まったわけではないのだが、とはいえ、かなりの倍率を勝ち抜いてインターンシップに参加したのも確かだし、夢や幻想ではなく、現実的に有意な可能性が生じたのも確かである。
こうやって、女の家で主催される誕生会に呼ばれたのも、電通マンになった場合のことを見越して、唾を付けておこうということだろう。
適当に企画を出してクールジャパン1500億円の予算を浪費すれば、大赤字になっても損しない(むしろ焼け太りする)ポジションなのだから、リスクを負って起業するなど馬鹿らしいことである。
ましてやこのように有象無象のB級アイドルが寄ってくるのだから、作詞家という競争がない金鉱を掘り当てた秋元康のようにはいかなくても、電通マンとして女を食うくらいは出来るだろう。
税金にたかる権利のある人間を特権階級と言う。
こういう連中を見ていると、人間は肉塊以外の何物でもないと痛感させられる。

ハヤカワ五味
.*Serina Yashiro *.
のぐちあおい

今後この三人が電通マンTehuの利権のおこぼれに預からないかどうか、監視する必要がある。
朝鮮王朝の末期のようなことをやってるのだから、まさに反日的な集団である。
https://twitter.com/harukazechan/status/501981462954909697
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はるかぜが蒼波純をライバル視しているというエントリーを検索で探したら、記事が10個くらい出てきて、それが全部このブログであり、他の人のは見当たらなかったので、「酷いblog」とはこのわたしのブログのことだと思われる。

はるかぜがミスiDをdisった件などは記憶に新しい。
こういう一件があったにもかかわらず、何事もなかったかのように脳内変換してしまうのは問題であろう。

https://twitter.com/mosatsu_p/status/475301654040809472
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はるかぜ(母親)が蒼波純を意識しているのは、同じ2001年生まれで、声優志望の女の子として登場してきたからである。だが、ミスiDでグランプリになったことで、トップコートというナベプロ系列の事務所に入ったので、声優になることはないはずである。このトップコートという事務所はナベプロの下というよりはむしろ上の事務所に思えるので、それだけ特別待遇されているのである。アイドル声優としては完璧な素材であるため、CMタレントになってしまうのは残念な気がするが、声優というのは第一志望で選ぶべき職業ではないし、声優は選択肢としてあり得ない。ミスiDの前に、ヤマカンの「wake up girls」の最終選考で落とされた段階で、声優にはならない運命だったのだろう。

母親が勝手に、自分の子どものライバルを決めてしまうことがあるわけである。もしくは、無理して友達にさせようとすることがある。たとえば家が近所というだけの理由で、友達になりたくもない相手と友達にさせられるような経験は誰しもあるに違いない。母親の心情として、「あの子には負けないで欲しい」とか「あの子と友達になって欲しい」と思うこともあるだろう。だが、それはエゴであるからやるべきではないのである。

たとえば昨日のツイートだけ見ても、これで意識してないと言う方が無理がある。

https://twitter.com/harukazechan/status/503150474283872256
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https://twitter.com/junaonami/status/503149154969722881
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人間存在は他者との比較によって立ち現れてくるのである。蒼波純の母親は宮城県の田舎で美しい娘の写真を取り続けてきたが、東京に出てきて、周りが蒼波純より美少女ばかりだったとしたら、それは本当の美ではないのである。福原遙と比較してもまったく見劣りせず、橋本環奈などは単なる丸顔の垂れ目にしか見えなくなるからこそ、褒めそやされているのである。なおかつ蒼波純は学業優秀で知性と教養も高いという属性があるから、他人から好感を持たれるのは当然なのである。この知性や教養にしても、他者との比較の問題である。他人といろいろ比較されるのは、われわれ人間存在の根本的な問題であり、とてもありがちな悩みでもあるのだが、少なくとも芸能人を自認するのであれば、似たような存在と比較されるのは避けられない。蒼波純だって、これから人気が出たら全盛期の広末涼子と比較されるであろうと思う。

蒼波純はミスiDの発表前に、自分が選ばれなくても握手会に行きたいと言っているのである。しかもそれをラブライブに喩える素晴らしさである。

https://twitter.com/junaonami/status/377716042631368704
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ミスiD2014のメンバーがLINEをやったりして妙に仲がいいのは、グランプリの蒼波純の人徳の問題であろう。周囲は全盛期の広末涼子と比較して論じるであろうし、顔だけ見れば広末の方がいいだろうからdisられることもあるかもしれないが、本人は意に介さないであろうし、そもそも総合的に見れば、誰もが蒼波純の方が素晴らしいと言うだろう。

また蒼波純の母親は艦これのキラ付けを娘にやらせている。欧州に家族旅行に行くというエピソードも含め、まさに典型的な有閑階級なのである。嘘のオタク設定でやってるのではなく、この家庭環境はガチ過ぎる。

https://twitter.com/junaonami/status/407480284414619648
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https://twitter.com/junaonami/status/356224512527826944
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蒼波純が声優志望だったのは、母親の影響もあるだろうが、蒼波純を花澤香奈にするとすれば、相当なスペックダウンが必要であるため、ある種の無理難題ではあるとしても、雲の上の存在になれと言っているわけではない。


蒼波純を意識しているのははるかぜ(母親)であろうから、これは親子関係のよくある問題である。明らかに上位互換の子どもと比較するのは、子どもが病む原因だから、止めて欲しいものである。赤の他人が比較するのは問題ないが、母親がやってはいけないのである。まるで蒼波純こそがはるかぜ(母親)の理想であり、はるかぜ(娘)はその理想に至らない存在であるかのように扱うとすれば、それは人間性の蹂躙なのである。われわれが箸休めのようにはるかぜに言及するのはいいが、母親はただ単に娘であるというだけの理由で愛さなければならない。はるかぜ(娘)は悪い人間には思えないし、むしろ善良で正義感があり、他人に嫌がらせをするような人間ではないが、毒親の子どもが無垢である典型でもあるし、公立中学の女子にしては、大人の意図を見透かすことも出来てないし、親を馬鹿にする健全さも持ち合わせておらず、この現実と結節点の無い理想に囚われている危険性もあるから、いずれはそのズレに耐えきれなくなる可能性が高い。猫アレルギーだと疑われても犬アレルギーだと言い張り、猫好きな人物を演じ続けることも、決して女子の狡猾さから出ている発想ではなく、幼い子どもの健気な主張であろう。はるかぜ(娘)はお嬢様でもないのに女子特有の陰湿さや性格の悪さがないから、幼児的ないい子に回帰しようとする反復強迫を続けるであろうし、いずれは丸呑みしていたすべての事象に耐えきれずに吐き出して、かなりの人間嫌いになると思われる。親の理想を叶えなければ生きている価値がないという思い込みは与えないで欲しいものである。
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