もはや三島由紀夫とかドストエフスキーの水準の文学作品が出てくることは考え難い。ノウハウが蓄積されてしまっているので、完成度が高い及第点の作品が作りやすく、非常識なことは出来ない。非常識な作品を書くのは自由だけれども、下読みに落とされて終わりであろう。音楽もノウハウの蓄積が済んだので文化として終わっている。若者が音楽を聴かないというが、最近の音楽を思い浮かべれば、これは当然の理であろう。文化はすべて開拓されて企業に支配されたから、もはや人跡未踏の地がない。工業製品や科学技術は、ノウハウの蓄積で発展していくのだが、個人のインスピレーションに頼る芸術は、逆に進歩が阻害される。初音ミクもセミプロの集まりになっているし、あまりにも音の仕上げがよすぎる。仕上げの素晴らしさを難ずるのはおかしなことだが、ともかく音作りのノウハウがしっかりしており、もはや素人は遊べない。作曲より編曲のスキルのほうが重んじられている。これはアメリカのチャートを見ていても感じることであるし、やたらと完成度が高いのに新奇性がなく、ジミ・ヘンドリックスがギターを燃やしていた時代は遠い過去である。ジミ・ヘンドリックスはギタリストとして誰もが史上最高と認める天才であるから、ギターを燃やす必要はなかったが、それでも革命児たらんとして燃やしていたのである。秀才は天才に勝てないというのは文化の勃興期に限られるし、ノウハウが出揃うと、そのノウハウを持っている大企業が支配するので、天才は秀才に勝てなくなる。ネットがあるのだから、素人が荒削りなスタイルでやって発表することは自由だけれども、大企業の資本を投じた完成度の高い作品があるかぎり、粗末に見えるのはわかりきっているから、「自分もやってみよう」という気が起きないのであろう。マディ・ウォーターズ(1913年生まれ)はギタリストとして極めて多大な影響を与えたし、ジミ・ヘンドリックスもその衝撃を受けた一人であるが、当時の楽曲製作の技術そのものの低さもあり、今から聴くとまったくたいしたことがない。だからこそ、「自分もやってみよう」と感化されて、多くの青年がギターを手に取ったのである。現在のように音楽産業が末期症状を示すほどに肥大化していると、同じことが出来るわけないしお手上げだから、「自分もやってみよう」と刺激されることはない。ゲームも完成度が高まりすぎて、もはやファミコン時代の素朴なゲームの出現は難しくなっている。科学技術は集団的な知性だからそれでいいが、個人のインスピレーションが何よりも大事な芸術は衰退していく。方法論の硬直化によって巨大な塔が壊死して倒壊し完全に滅びてくれると、また新しいインスピレーションでギターを燃やすことが出来るし、個人の閃きが恢復し、それはジミ・ヘンドリックスを超えたものになりうる。
https://twitter.com/hayakawagomi/status/535422495977771009
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https://twitter.com/hayakawagomi/status/535423002595168257
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これ当時に話題になってたのかもしれないが、わたしの視野から抜け落ちていたので、あらためて。
ハヤカワ五味ははるかぜの類友のひとりであるし、少なくとも事前に話は知っていたのであろう。

この小4なりすましに関しては発覚が早すぎて初期消火されてしまったから、乙武までいかなかったのが残念だが、ここで無傷だった結果として乙武が自民から立候補という話になって大惨事になった。
やはりこれに関わってる段階でいろいろと胡散臭いのであろう。

「面と向かって言え」という人がいるが、そんな馬鹿な話はない。
面と向かって言うのは、喧嘩を売っているのと同じであり、侮辱行為として解釈される。
これはそうなのだから仕方がない。
だからこそ、言論という形で文句をいうわけである。

面と向かって文句を言うだけ言ってみるということは出来ない。
言うこと自体が侮辱行為なのだから、つまり、発言そのものが無効というのではなく、許されざる罪人という扱いになるのだ。

なんでそうなのか知らんけど、たぶんあなた方でも面と向かって文句を言われたら、自分が軽んじられたと思うであろう。
平気で文句を言えるような雑魚だと扱われたと心証を害するわけだ。

つまり、雑魚には面と向かって文句を言う、というのもルールである。
雑魚扱いの人間は四六時中怒鳴られたり、文句ばかり言われているわけだ。
このルールがあるからには、面と向かって言ったら相手を虫けら扱いしてることになるし、それこそ失礼千万であるから、面と向かってではなく、公論として投げかけるわけである。
2016.05.03

予見可能性

これは法律の話ではないが、やはり人間は、様々な事態を予見しながら生きているのである。
人間はシングルタスクであり、一度に二冊の本を読むことはできないが、この「予見」はまた別問題であるように思える。
喩えるなら、指の癖だけでブラインドタッチが出来るようなものかもしれない。
ある程度慣れてくると、いろんなことは「癖」に任せているのである。

読書をしたり、ものを書いたりすることは時間がかかるので、人間の思考には時間が掛かると思われがちだが、これは意識的にやるとそうなるだけである。
いろんなことを予見してリスク管理しているのは無意識の作業だと思われるし、また完全な無意識ではなく、うっすらとわかっている「癖」としての無意識である。
キーボードの配列を順番に言ってみろといきなり言われたらしどろもどろになりそうだが、少し考える時間があれば、普段は指の癖に任せているところを意識化出来るだろう。

言うまでもないが予見は超能力ではないし、「こういうことがあるかもしれない」といろいろ想定して対策しておくだけである。
たとえば隕石が頭の上に降ってくるとか、それは対策しないでいいであろう。
もし降ってきたらそれは仕方があるまい。

法的な話はしないが、管理責任を問われる立場であれば、いろいろな対策を必要以上に厳重にやらなければならない。
これは言語化された明示的なマニュアル作業であろう。

人間が普通に行動する場合は、予見はたいてい無意識で行っている。
重大な作業の前には言葉での確認をするかもしれないが、普段はそれはしない。





久々にこの動画を見つけたので、なにかの奇瑞かもしれないし、記事にしておこう。

上の動画はたぶん2009年あたりだと思うが、May'nの全盛期というべき時期であり、やはり圧倒的すぎる。

これ以降May'nは声が出てなかったし、2015年はツアーを中止して喉の手術をしたが、復活後の映像を見ると、ずいぶん持ち直しているように思える。
いずれにせよ、上の方の全盛期の映像は圧倒的である。
あと、これは楽曲が非常に素晴らしく、歌詞がかなり秀逸である。
ベビメタの楽曲で衝撃を受けたとか言っている人はアンテナが低いのだろうと思われる。


ベビメタがアリアナ・グランデと会って写真撮影したことがあって、アリアナから「知ってます」と言われたらしいが、それだけである。
水野由結ちゃんは以前からアリアナの熱心なファンであるが、地獄で舌を抜かれるような空々しい嘘をいつも言わされているから、リップサービスだと思われてそうだし、それに中元は向こうだとプロの二軍の扱いであろう。
アリアナと中元の実力差は天と地であるし、いくら親日家のアリアナといえども、褒めるのは難しい。
ゆいもあは日本にしかいない存在であるから、ゆいもあだけならアリアナに受け入れられそうな気がするが、中元は向こうだとよくいる売れないプロのレベルであるし、ドブスなのが致命的。
ベビメタは日本だとしばらく圧倒できそうだが、海外でこれ以上伸びる要素はない、というのが率直なところであろう。
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