共産主義がなぜ不可能なのかを考えると、やはり自分の身内だけは可愛いからである。宮台はそこらへんを歩いている女子高生を、まったくの赤の他人であり、この社会の一員ではなく、近代社会を破壊する兵士と考えていたわけである。宮台が物資を送り込んでくれるわけではないので、彼女たちは最前線で自らの肉体で白兵戦を行ったのだ。近代的な結婚制度を破壊し、ポストモダンのユートピアへ移行しようとしたのである。

それでは宮台本人はどうしたかというと、東大教授の娘と結婚したわけである。東大教授の娘だって、宮台の本に感化されていろんなオッサンに身体を売っていたかも知れないし、今はすっかり澄ました顔をしているだけかも知れないが、ともかく出来るだけやってる可能性が低い物件を選んだのである。そして生まれた娘は当然ながら、宮台思想の兵隊として駆り出されてはいない。近代社会の破壊活動のために自らの裸体を生け贄にすることはやってないのである。

北朝鮮の将軍様にしてもそうだが、やはり身内は可愛いのである。世界を破滅させるとか言っていても、血縁だけは大事なのである。ここが共産主義の限界なのである。赤の他人はどうでもいいと思えるとしても、というか、赤の他人は本当にどうでもいいのだが、その気楽さで、近代社会の破壊を試みても、結局のところ自分の身内は可愛いというところに帰着するのだから、人類すべてが家族というところに行くわけがない。左翼はユートピアを信じている人格者ではなく、赤の他人は使い捨ての道具としか考えていない。人類愛どころか、自分の身内以外は本当にどうでもいいという感じが、宮台と将軍様から伝わってくるわけである。
子どもに責任はないという決まり文句をよく聞くのだが、いつどこでそれが決まったのかよくわからないし、国会で採決したわけでもないのに妙に力を持っている言説である。「子どもに責任はない」という論理に従えば、ユダヤ人に気を遣うこともないし、イスラエルも片付けられるのだが、人間は歴史性を持った存在であり、自分が生まれる前のことに責任を負うという考えもあり得るし、少なくとも差別問題に関しては、世代を超えて引き継ぐことになっているわけである。

宮台真司の過去の行状を現在の法律で裁くなら死ぬまで刑務所で過ごして貰うことになるが、法律は遡及しないので法的には無罪である。だが宮台が学匪であるという誹りは免れまいし、これだけ罪の重い人間はいないのである。女子高生とやってみたいというのがわれわれの本音だとしても、彼女たちは使い捨ての存在として生きているのではない。「自分の娘だったら」とか「未来の自分の恋人だったら」とか「未来の自分の嫁だったら」と、そういう可能性を考えることで、社会に同居しているのである。無論われわれ個人はそこまで立派に考えていまいし、取り締まる法律がないなら、社会がどうなろうが、若さの保証付きの安価な売春婦として消費する誘惑に勝てないこともあるだろう。宮台が学匪だと言えるのは、社会学者として、あの女子高生たちが、誰かの娘だったり、もしくはいずれ誰かと結婚するという社会の枠組みについて考えなかった、いや、むしろ逆で、結婚制度の完全なる破壊こそが目的だったということも出来る。結婚制度がないなら「自分の娘だったら」とか「未来の自分の嫁だったら」と考える必要はあるまいし、女子高生は使い捨ての売春婦という宮台理論は成り立つ。

わたしが宮台の娘に会うことがあったら、その豪邸の豊かな暮らしは、女子高生ブームで稼いだ金であることを説明してやりたい。また結婚制度の廃止によって宮台の主張が成り立つとすれば、東大教授の娘と結婚して子どもをなしているのが無責任極まりないわけで、自分が安全圏にいる状態で、女子高生を保守攻撃の兵隊として扱っていただけである。これは学匪であると言うしかないのである。また女子高生ブームの頃から「宮台は娘にも援助交際をやらせるのか」という批判はあったが、馬耳東風だったわけである。だから宮台の娘に会う機会があったら、宮台がやってきたことをよく説明し、その豊かな生活の欺瞞について問いただしたいものである。

今日は親の所得で人生が決まると言っても差し支えなく、少なくとも宮台の娘は女子高生ブームで稼いだ金の恩恵を受けているのである。宮台が女子高生ブームに乗っかって得た利益を社会に寄付するなどして放棄したという話は聞かないし、父親が学匪として稼いだ金で豊かな暮らしをしている娘には、世間でたくさん苦しんでいる貧困家庭の人をどう思うのか尋ねてみたいし、他人の娘は死地に追いやり、自分の娘は大事にするという宮台真司のスタンスへの考えも聞いてみたいものである。
われわれははるかぜ親子を笑っているが、実際はこの親子の馬鹿さ加減は、われわれが陥りやすい愚行でもあり、まったくの他人事ではないのである。この親子ほど酷いケースは稀だとしても、何かしら身に思い当たる人が多いからこそ、注目されるのである。本当の精神病の人はwatchされない。精神病の人は書いてることが妄想だらけで、われわれにはまったく思い当たらない支離滅裂な内容だからである。はるかぜ親子は裏聖書というか、黒い聖書というか、人間にありがちな愚かな部分の集大成なのである。

人間は時間の中で選択を迫られる存在である。止まらない時間の中でタイムリミットが設けられ、決断を迫られる。白い画用紙に好きな絵を描いていくのではなく、時間の中で差し迫ってくる課題に答えているのである。はるかぜ親子は現在選択を迫られているわけである。はるかぜ(娘)は来年中学三年生になるのだが、芸能人としてはまったく見込みがない。このまま芸能界にしがみつくなら、ヨゴレしか待っていないであろう。つまり、今すぐ普通の中学生に戻るか、このまま続けてヨゴレを極めて芸能界の底辺の底辺まで墜ちるか、それだけなのである。中学三年生を間近に控えた現在がタイムリミットであり、人間存在はそのように決断を迫られている。だが、この決断を曖昧にするのが奇跡という概念である。絶対に奇跡がないとは言えないし、はるかぜがスーパースターになることだって、絶対にないとは言えない。時間的な未来において「絶対にない」というのは証明できない。この未来の不確定性に頼った、奇跡という三番目の選択肢が厄介であり、人間は絶対にあり得ない可能性に縋ってしまうのである。

この愚かしさは決して他人事ではないだろうし、われわれも、差し迫った状況で決断を回避し、奇跡という第三の可能性に頼ってしまうことがよくあり、その意味ではるかぜは普遍性がある課題なのである。はるかぜが普通の中学生(つまり可愛くもなく勉強も出来ない冴えない中学生)に戻るのは嫌であろうから、芸能界にしがみつくのであろうし、そこからさらに積み重なる愚行を、わたしは裏聖書に綴り、人間の愚かさの教材として書き残していくしかないのである。
なんか宮台の空手は怖いと思う。
宮台は恐いのである。
われわれは子どもの頃は大男が怖いんだけど、中年くらいになると、小男が怖くなるのである。
さすがにいい年した中年になると、学校ではないのだから、粗暴な巨漢は怖くなくなる。
中年になると、なぜ小男が怖いんだろうと考えると、たぶん被差別者の怖さなのである。
過去に受けた差別をどこかで一気にやり返そうという恐さがある。
肉体的ハンデを負っているから尊厳が傷ついていて、どこかで空手パンチを繰り出して他人を撲殺しそうなオーラがあるのである。
普通の大学教授なら社会的地位があるし、ナードの小男は無害であり続けるが、宮台はなぜか通り魔オーラを感じるのである。
いつか空手パンチで人を殴り殺してやりたいという、肉体弱者の溜め込んだ怒りを感じる。
経歴の表面上はエリートコースに見えても、本人の内面では劣等感が強かったのだと思われる。
東浩紀も小男で内向的でナードだが、なぜか肉体コンプは感じない。
小男だと必ず肉体的な被差別者として怒りを溜め込むわけではあるまいし、これは、肉体的なハンデの歴史の問題である。
もちろんこれは本人のプライバシーの問題だから、彼らの人生の詳細は不明だが、東浩紀は5月生まれだから、肉体的劣等感を感じる機会が少なかったのであろうし、秀才エピソードが多いから、全国模試の順位とか、そっちに集中していたのだろう。
宮台は三月生まれだし、父親の仕事の都合でよく転校をしていたというから、肉体弱者として屈辱を感じる機会が多かったのかもしれない。
宮台が180センチあって本格的に空手が出来るなら、いい年した大学教授が、まさか殺人空手パンチを繰り出さないであろうし、仮に目を眇めてきても「どうぞどうぞ殺してください」と苦笑するだけだが、実際の貧相な宮台からは通り魔予備軍みたいな怖さを感じるのである。
宮台が子どもの頃に転校先でいじめられたとか、そういう経験があるなら、そのいじめっ子と対決してみてはどうだろうと思うが、さすがにそれはみっともないし、だから無関係のわれわれに肉体的弱者特有の殺意を見せるのであろう。
宮台の空手で殺人パンチが出来るのかは疑問だが、目玉を狙われて失明とか、なんかこの手の人間特有の恐さがある。
はるかぜアンチスレ見たら、こんな意見があった。

都合の悪い事を言われると、論点をずらして正論風の屁理屈にもっていくんだよな
信者は屁理屈部分だけを見る


ツイッターは、それぞれのツイートで切り離されているわけである。
それがはるかぜがネット上で延命している理由なのである。
はるかぜは言ってることが二転三転、というか10回でも20回でも変わるわけである。
馬鹿だから、矛盾する意見を並べ立ててもいいと思ってる。
流れを見ている人からすれば、明らかに頭が悪いし、ババアがまともな教育を受けてないことを思い知らされる。
だが、流れを見てない人もいるわけである。
馬鹿な信者は、切り離されたツイートを見て、なんかよさそうなのをふぁぼして終わりなのである。
三分ぐらい前にまったく真逆のことを言っていたことは忘れているのである。
恐るべし鳥頭の世界である。
それにRTという仕組みもあるんで、RTだけ回ってきて、それを見てしまう人もいるだろう。
RTが回ってきたとき、そのアカウントの発言全体など確認しないから、なんか、その単独ツイートにもっともらしいことが書いてあると、何となくふぁぼしてしまう人もいるのだろう。
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