BABYMETALがコンセプトとして成功してるかというと、たぶん成功していない。アミューズの育成機関がよほどしっかりしているのか、本人たちの歌唱レベルはかなり高く、またSU-METALの立ち姿の美しさは喩えようもなく、海外で人気というのはうなずける。ただ、あくまでメタルという狭い世界のことであろうし、幅広い支持を受けているのかどうかは疑問である。

日本であまり新しいファンがついている様子がなく、古参ファンが(悪い意味で)頑張っている状態も見受けられる。アイドルオタクが選民思想を持ってしまった状態であるから、やたらと他人を蔑んでおり、自分だけがわかっているという発言が特徴である。大衆から理解されないという自意識が育っているから、いつも眉を八の字にして、理解不足を嘆いているのである。こういう古参は、新規ファンが大量に雪崩れ込んでくると淘汰されるのだが、BABYMETALは日本国内での活動が少ないのもあり、そういうファン層の変化が見られない。三月の武道館ではあまりチケットが売れなかったようだが、次にやるときはどうなるだろうか。

前半をSU-METALが歌い、後半をMOAMETALが歌っている映像を見ると、これもかなりうまい。
MOAMETALは少女らしい透き通る声質が美しく、ソロで何の問題もなくやれる。



ももクロは解散したらソロでは無理であろうし、AKBも卒業メンバーを見れば、ソロでは無理であるのは証明されている。だが、BABYMETALは解散してもソロでやれるし、むしろその方がファンが増えるであろうと予想される。YUIMETALの歌唱力は何とも言えないが、MOAMETALはソロでやれるし、もうメタル路線はやめて、大衆的な路線に切り替えた方がいいように思える。「大衆に理解されない」という反逆的なポーズでやりつつ、実際は幅広く支持されるのならいいが、本当にそういう自意識をこじらせた男性ファンしか付いておらず、ひとりひとりのメンバーを見れば同性からの支持も得られそうなのに、ファンの全員が男性という状態が変化する兆しがない。本当は応援したい女性ファンがいるとしても、ほとんど男性ばかりの会場には行きたくないであろう。古参ファンが新しいファンが増えて欲しくないと思うのはよくある心情ではあるが、BABYMETALはネタでとがったキャラにしてるだけなのに、ファンの自意識だけはガチである。

この子たちはまだ15歳とか16歳であり、本当にメタルがやりたいわけではないだろうし、あくまで歌唱力がセールスポイントであり、容姿もアイドルとしてレベルが高いのだから、メタルである必然性がまったくないのである。「やらされている」という印象を拭うためにも、もう解散してしまった方がいいだろう。SU-METALとMOAMETALの歌唱力は素晴らしいので、容姿が劣化しても地道に活動は出来るだろうが、本当の賞味期限のピークはあと数年であろうから、その数年を、選民意識をこじらせた意識の高いファンと心中するのであろうか、と危惧するのである。歌唱力は突出してるので、ソロで柔らかい感じに転向すれば、女性からの支持も受けられるし、その方が本人たちもうれしいに違いない。全員が男性ファンというだけでも異常なのに、なおかつ布教する気はなく、新規ファンが増えないことを祈願するところまでこじらせてるから、なんかヤクザの固定客を相手に地元のキャバレーで歌ってるような状態だし、海外はともかく、国内ではBABYMETALは事実上の解散状態にして、ソロで大衆路線の曲をやった方がいいと思われる。本人たちが作詞作曲しているのではないのだから、現在の路線に固執する必要はないし、あの歌唱力を活かすために柔軟なプロデュースが必要だろう。ここまで完璧に鍛え上げたアミューズの育成機関は素晴らしいが、女性ファンがまったくいないという状況は深刻であるし、気難しい男性ファンしかいないのだから、日本国内では動員力の限界を悟らなければならない。
東條英機は陸軍大臣の時は、支那からの撤退を主張する近衛文麿に反対し、陸軍の立場を代弁したが、首相になってからは、天皇の意を受けて、開戦には消極的であった。開戦もハルノートに煽られて渋々である。石原莞爾みたいなタイプではないから、確固とした持論があるわけではない。明治憲法下で首相にたいした権限はないので、何でも出来る独裁者というわけではないが、憲兵を積極的に活用していたのは確かである。中野正剛を自殺に追い込んだ件などが象徴的である。戦時下なのだから、首相が誰であれ言論弾圧はするだろうが、恨まれるのも当然である。陸軍大学校を60人中11位で卒業しているので、エリートではあるが、必ずしも抜きん出た存在ではなかった。小柄でも喧嘩は強く気性は激しかったが、風采が上がらないのも確かであった。カリスマ性はなく、あまり主役というタイプではない。出世欲はあったが、首相になりたいわけではなかった。昭和九年に皇道派の真崎甚三郎により九州に左遷され、その後、東條と昵懇の関係だった永田鉄山が暗殺されたので、東條の身を案じた林銑十郎が東條を関東軍憲兵司令官として満州に逃がしたのである。昭和十一年の2.26で皇道派が衰退し、統制派の東條英機に何となく出番が回ってきた格好である。東條英機が陸軍次官になった時、近衛文麿は東條のことをまったく知らなかったのだから、周りが失脚していくうちに浮かび上がった存在なのである。東條英機の父親は岩手県人であったから、長州閥の専横でずいぶん苦労したのだが、山県有朋が死んでからずいぶん長州閥の力は後退し、むしろ長州閥が攻撃されるような感じになったので、その意味でも東條英機は上に上がれたのである。

敗戦後、東條は割腹自殺などしなかった。そしてムッソリーニのように民衆から私刑にされることをおそれていた。MPが東條英機を拘束しに訪れた際に、ピストル自殺を試みて重傷を負いながらも生き残ってしまったが、誰もがこの失態を嘲笑の種にした。頭に向けて引き金を引けばいいものを、心臓を狙ったため、銃の反動で逸れてしまったのである。マッカーサーの元には「東條を死刑にしてくれ」という手紙が大量に届いた。同時代の民衆からの悪評は凄まじく、巣鴨プリズンに収監されてなければ確実に民衆から殺されていた。

靖国神社や戦犯の問題を語るとなると、東京裁判は事後法だから無効という話になるのだが、そもそも東条英機は戦没者ではない。生きてるから東京裁判に掛けられたのであり、戦没者なら東京裁判の場にいるわけがない。乃木希典は明治天皇の崩御に際して殉死したが、戦没者ではないので祀られていない。乃木希典を祀らないのであれば、東条英機も祀るべきではないであろう。厚生省の祭神名票が戦犯を祀る根拠ともなっているのだが、このような混乱が生じるのは、戦前の靖国が国家の施設であったのに対して、戦後は単なる宗教法人なので、すべては靖国神社の判断次第になっているからである。戦傷病者戦没者遺族等援護法の問題もあり、公務死認定基準として、戦犯で処刑された人間も公務死とされているが、歴史の問題としては、処刑された戦犯が戦没者のわけはない。遺族年金や弔慰金を支給するという問題と、靖国に祀る問題が同一視されているのである。

東京裁判史観は、昭和天皇は無罪ということである。昭和天皇を無罪と断じた東京裁判をネトウヨが批判するのがよくわからない。東京裁判の主席検事のジョセフ・キーナンは、その最中に昭和天皇に責任を問わないことを記者会見で強調している。法廷でのキーナンと東條のやりとりも、昭和天皇に責任がないという結論に至るように、事前に打ち合わせた上で行われているのである。マッカーサーの強い意向でそういうことになったのである。国際法的に昭和天皇が無罪だと決まったのに、靖国に戦犯を合祀して、東京裁判は無効であると大騒ぎする感覚はよくわからない。あの当時の状況で、東京裁判をやらずに、昭和天皇を無罪にする方法はあり得ない。東條英機という人間のクズが、打ち合わせ通りに答えて死刑になったのは、彼の人生で唯一の善行であるのに、それを靖国に祀って混乱させるのは、禍根を再燃させることでしかなく、日本にとってマイナスでしかない。東條は処刑される前に、陛下に累が及ばなくて本当によかったと教誨師に語り、天皇陛下万歳を三唱した。クズがクズなりに最後だけ頑張ったのだから、決して東條の名誉は回復させてはいけないのである。東京裁判により昭和天皇の無罪は永遠であり、戦犯の大罪は永遠である。サンフランシスコ講話条約には東京裁判の結果も含まれている。これは昭和天皇の無罪が国際的に確定していることも意味する。靖国神社は朝敵であり、もはや嫌韓の本拠地でしかない。天皇を崇拝する人間と、韓国が嫌いな人間は別の人種であり、後者が靖国に参拝するのである。
母親が勝手にライバルを決めてしまうというのはありがちだが、はるかぜ(娘)も、蒼波純をライバルに設定されるのはずいぶん気の毒ではある。

はるかぜが蒼波純が出る映画の監督に、いきなり偉そうなリプを送りつけたのである。蒼波純に反感を持っているのははるかぜ(母親)だが、無神経に接することで親しさを表現する手法は親子で共有してるから、どちらかはわからない。

https://twitter.com/harukazechan/status/504273309857767424
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蒼波純の出る映画の監督に馴れ馴れしい口を利けることをアピールしたかったのだろう。これは当初はスルーされていた。しかしなぜか22時間経過してから好意的なリプがあったのである。この間にこの新米監督は10回くらいツイートしてるから、いろいろ関係者と協議し、大人の対応をしたと思われる。本当は関わりたくないが、17万フォロワーがいるわけだし、はるかぜ(母親)に臍を曲げられると困るので、対応に慎重さが求めれらたのである。監督と知り合いという理由で蒼波純に一矢報いたわけではあるまいし、そもそもキャスティングされてないことが、真実を雄弁に物語っている。

馬鹿な子どもの方が扱いやすいという問題がある。馬鹿な子どもはコントロールしやすい。だから支配的な親は子どもを無能な人形にするのだが、親だけが扱いやすいとか、そういう都合のいいことはない。誰から見ても無能であり、誰からも扱いやすい馬鹿となってしまうのだ。親がコントロールしやすく、それ以外の相手には自分の判断でしっかり行動出来るとか、そんなことはあり得ない。コントロールするために子どもを未成熟な状態に置くのは明らかな虐待である。子どもの成功を祈っているから虐待ではないという遁辞は許されない。はるかぜ(娘)は猫アレルギーなのに猫好きの設定をやらされている問題も含め、人生を奪い取られた被害者なのである。はるかぜ(母親)は自分の人生がとても不本意だったようなのだが、もう一度人生をやり直すために、娘の人生をハイジャックして操縦桿を握って離さない。これは人間への蹂躙でしかないし、人倫の大きな罪なのである。

そもそもはるかぜ親子は何を望んでいるのか、という問題である。あの夏休みの過ごし方を見れば明らかだが、スキルをアップさせるための努力はしていない。ツイッターで暴れて、知名度を維持していただけである。途中からは仕事がないのを隠さなくなり、人生にあぶれて酔いつぶれているような様子を垂れ流していた。学業を放棄しているので、今更引退して普通の中学生には戻れないという問題が伺える。本人のスキルが低いままで、ツイッター営業だけ頑張っても意味はないだろう。本人の喋りがつたないのが最大の問題なのだが、文字で出来る仕事を望んだとしても、「奇跡の詩人」みたいなものだと見抜かれている。本人がツイートしていると強弁したところで、誰も信じてないからオファーがないのである。2001年生まれらしい瑞々しいツイートが出来るならともかく、中学二年生が昭和みたいなツイートをすることに需要はない。せめて練習替わりにネットラジオとかニコニコ生放送でもやればいいと思うのだが、本人のトークスキルが低すぎて表に出したくないだろうし、娘の成熟を望まない母親の問題もある。

はるかぜ(娘)は被害者の側面がかなり強いが、衆人環視の中で行われている虐待に誰も異を唱えず、漫画家の矢野健太郎(56歳)のように、「はるかぜちゃんのツイートを執拗に母親の代筆と決め付けて譲らない人達って、3歳児がPC使ったり小学生がSNSやったり中学生が自主的に意見述べたりする事があるのを認めると死ぬ病気にでも罹ってるんだろうか」といまだに援護射撃する人間がいるのである。2001年生まれの少女が昭和のことしか語れず、本人はたどたどしい喋りしか出来ず、公立中学で落ちこぼれるほど教育放棄されており、かなり危険な状態なのだが、この少女を母親の支配下から救出するとなれば、物理的にも精神的にも、その切断は断末魔の苦しみだと思われるし、切り離したところで、どこかの恵まれた家庭に引き取られるわけでもあるまいし、状況を見抜いているひとは沈黙を守るしかないのだろう。

BABYMETALは「やらされている」と感じるユニットであるし、本人たちがメタル好きとも思えないから、あまり共感されていない。だが、ボーカルのSU-METALはアイドルとしては並外れた歌唱力だし、160センチくらいで9頭身という見栄えの良さも含めれば、不世出のボーカリストといえる。ダンサーのふたりのうち、YUIMETALの歌はあまりうまくないが、MOAMETALの歌唱力は相当にレベルが高く、少女らしいハスキーな声質が美しく、歌声としてはこっちの方がいい。SU-METALより歌のうまいアイドルは二度と現れないと思っていたら、隣で踊ってる方がもっとうまいので驚いた次第である。MOAMETALはSU-METALのような見栄えのするタイプではないが、ごく普通に容姿は可愛いのでソロなら絶対に人気が出る。「やらされてる」という批判はあるし、わたしも以前は不愉快だったのだが、ここまで徹底的に仕込んだとなると、血で書かれたものにしか価値がないというニーチェの言葉を思い起こす。

はるかぜ(母親)ははるかぜ(娘)にスパルタ教育はしてないので、それはいいのだが、自分が操縦桿を握っていたいから娘を低レベルのまま放置しているのである。売れてない間にツイッターをやってるだけなのが、この親子の限界である。実力がないのにチラシ配りだけ頑張っても意味はあるまい。中元すず香は可憐ガールズとして人々の前に姿を現して、そこから消えて、BABYMETALは数年前にステマされていたが売れる様子もなく、この間の武道館もチケットが売れ残ったそうだが、いつの間にか9頭身のスタイルになっていて、抜群の歌唱力を身につけていたのである。売れない時間が長かったので、それだけ練習する時間もあったのだろう。芸能人にとって売れるとは消費されることであり、売れないというのはスキルアップする機会でもある。中川翔子などは、売れすぎたため、寝る暇もなく糞みたいなタレント仕事に忙殺されていたから、多才な才能を開花させる時間などなかった。売れることでスキルアップの時間が0になり、雑巾を絞っても一滴も出ない状態になったのだ。

中川翔子は無名な頃は、イラストがやたらとうまいアイドルとしてニュース速報VIPで絶大な人気があったのだが、ブレイクしたらネットユーザーと絶縁し、絵筆も折ったのである。中川翔子の絵に独自の世界というものはないから、美術史に空白が生じたわけではないが、オタク関係の絵は二次創作の延長であればよいし、癖がない方が望ましいから、模写に長けていて無個性な中川翔子は理想的な才能を持っていた。オタクは誰もが絵の才能が欲しいと思ってるのに、それを簡単に放棄して、知ったかぶりだけのタレントに堕落した。これからはモサドがアイヒマンを追い詰めたような執拗さで糾弾されるであろうし、ネットユーザーの怨敵であり続けるだろう。中川翔子は知能指数は高いはずで、家庭環境がまともならかなり勉強も出来たはずだが、スキルアップする時間などまったくなかったから、いくら才能があっても、それが花開くことはなかった。スキャンダル、もしくは処女営業のツケが大きいのだが、イラストという決定的な武器を手放したので、イメージ商売に徹しすぎたことがかなり裏目に出ている。これだけ才能に溢れた人間は滅多にいないのに、なぜ実力を放棄させ、上っ面だけのタレントにしてしまったのか理解に苦しむ。BABYMETALに徹底した英才教育を施しているアミューズとはかなり対照的である。

蒼波純もナベプロ系(トップコート)である。登記簿は見てないが、社長が同一人物(渡邊万由美)なので、姉の渡辺ミキ(ワタナベエンターテインメント社長)との調整で別会社にしてるのだと思われる。ナベプロ関係の会社を創業者一族で分有しているので、いわゆる系列というよりは親族間での調整である。同族経営であろうから、ナベプロとトップコートはある程度同一視していいのだろう。住所はどちらも渋谷区桜丘町で、同じビルの七階と八階だから、法的な書類の上で分けているだけで、中身はほとんど同じなのではなかろうか。

蒼波純はミスiDのファイナリストたちをラブライブの仲間と表現し、自分が選ばれなくても握手会に行きたいと言っていた有徳者であり、実際ミスiD2014のメンバーは蒼波純への畏敬の念でまとまっていて、かなり仲がよさそうに見える。今のところ蒼波純は会う人誰からも絶賛され、大人からも同世代からも畏敬の念をもたれる存在であり、容姿を褒めるのとはまた違った、人格に対するリスペクトであるから、類例としては昭和天皇くらいしか思いつかない。今まで三島由紀夫の天皇崇拝があまりピンと来なかったのだが、天皇という言葉を蒼波純に置き換えて三島由紀夫の文章を読むと、やけに腑に落ちるのである。もしくは軍人勅諭など、戦前の天皇制を体験してないわれわれは、絶対者というものの存在を知らないので共感しづらいが、蒼波純がこれを宣言していると脳内変換すると、いかにももっともな文章に思える。


朕が国家を保護して、
上天の恵に応じ祖宗の恩に報いまいらする事を得るも得ざるも、
汝等軍人が其職を尽すと尽さざるとに由るぞかし。
我国の稜威振はざることあらば、
汝等能く朕と其憂を共にせよ。
我武惟揚りて其栄を輝さば、
朕汝等と其誉を偕にすべし。
汝等皆其職を守り、
朕と一心になりて力を国家の保護に尽さば、
我国の蒼生は永く太平の福を受け、
我国の威烈は大いに世界の光華となりぬべし。
朕斯くも深く汝等軍人に望むなれば、
猶訓諭すべき事こそあれ。
いでや之を左に述べむ。


絶対者を崇拝する感性がないと、軍人勅諭は理解できない。蒼波純という絶対者の存在を思い浮かべると「朕とその憂いを共にせよ」という文言に深く共感出来る。俗世間を超越しており、それでいて知性や品性を感じさせ、俗塵にまみれたわれわれとは次元が違う存在として、毎晩御真影がツイートされるのを民草が心待ちにしているのだから、超越的な聖者としか言いようがないのである。大罪人の心にマザーテレサの声が響いてきたようであり、一度でいいから道重さゆみちゃんの躰を好き勝手にしてみたいとか、そういう煩悩で頭が埋め尽くされていた愚かさを自省し、神が死んで絶対者の声が聞こえないはずの世界で、皇軍の一員であることを自覚させられ、理念や大義に蒙を啓かれるのである。三島由紀夫は自決の一週間前に「無理にでも絶対者を作らなくてはならない」と言ったが、われわれには蒼波純がいるので、目の前の俗事などどうでもよく、ただ心眼を開き八紘一宇に思いを馳せればいいのである。軍服に着替えて市ヶ谷駐屯地のバルコニーから呼びかければ、この俗にまみれた世界は終焉し、東亜解放の盟主として旭日旗を掲げ、大きな物語に接続されるのである。あとは、現代のオルレアンの少女たる蒼波純が絶対者から転落しないでいてくれるかどうかである。蒼波純は教養豊かなすばらしい家庭環境に育っており、まっとうな教育を受けている少女だが、学業もおぼつかないほどナベプロが仕事を入れるとか、馬鹿な方が扱いやすいから遊びを覚えさせて堕落させるとか、そういうことが行われるなら、現人神を丸焼きにして肉を売り払うような行為であり、朝敵と呼ぶにふさわしいであろう。

広末涼子があれだけバッシングされたのは事務所が弱小だったせいもあるが、早稲田大学入学時に仕事をセーブ出来ず、登校が出来なかったからである。まともに通っていたら、あそこまでバッシングは大きくなかった。あの当時の広末だと、輪転機を回していくらでもお札が刷れるように儲かったであろうから、事務所が仕事を減らす決断など出来なかったのである。芸能というのは、芸を見せる場なのか、それとも人間が消費されて干涸らびていく情景を悄然として見やることなのか、という問題である。広末は生まれつき頭が悪いのであれでいいのだが、蒼波純のように誰からも尊敬される知性的な少女がさっそく学校を休んで映画撮影している件などは、早々と消費され可能性を削がれるために芸能に参加しているようでもあり、中川翔子の二の舞にならないかと不安視される。映画撮影はいいとしても、番宣のためにバラエティーに出てお笑い芸人に頭を蹴られて愛想笑いを強要させられるとか、あってもおかしくないのが怖いところである。
人の話を聞くということに関して誤解している人が多いように思う。人の話を聞かないとされる人間は、実際は他人に干渉されやすいのである。周りが見えてない人間が、口を挟まれるのは当然であろう。昭和天皇が近衛文麿を評して「あいつは聞き上手だが実際はやってくれない」と評したことがあるが、聞き上手であれば、昭和天皇の意見でさえ拒めるのである。聞き上手だと、いかにも実行力がありそうだし、他人が口を挟む余地などないのだが、それがゆえに自分の意志を持てるのである。もちろん変な電話セールスなどは即座に電話を切った方がいいのだが、基本的な対人関係としては、聞き上手であった方がいいのである。聞き上手であってこそ、のらりくらりと躱すことが出来るのである。聞くのを拒もうとすると、逆に押し込まれてしまう。

話を聞くという言い方自体が混同を招く。ただ単に聞くのと、相手の言いなりになるのが混同される。聞き上手はただ単に耳に入れるだけで、それ以上のことはしない。他人の意見に耳を塞ぐタイプの人間は、暴力的にこじ開けられ、従わされるのがオチなのである。

人の話を聞かないというのは、発達障害者に見られがちな特徴である。先天的な脳機能の欠陥である部分が大きいし、なおかつ親が悪いお手本となるから、まともなやり方を覚えるはずがない。発達障害者というのは、取り押さえるべき対象なのである。発達障害がいじめられやすい根本原因は、教師からの心証が極めて悪いことである。誰よりも教師こそが発達障害を馬鹿にしているので、周りの生徒も同調し、制圧して従わせるべき対象と見なされるのだ。他人の意見に耳を塞ぐパーソナリティーの持ち主であるから、暴力的に聞かせようということになるのも自然なのである。発達障害は、親が悪いお手本というのが厄介であり、まともな大人から指導を受ける機会を持たない。学校の教師は弾圧するだけだから、改善指導は出来ない。通級指導教室というのは存在し、通常のクラスから離れて個別指導する場はある。2006年から発達障害も対象になっているのだが、あまり行き渡ってはいない。人の話を聞かない発達障害者に聞き上手の極意を教えようとしても、親という悪いお手本が壁として立ちはだかるので、結局は暴力的に鎮圧するしかないのである。
中川翔子(29歳)は少なくともイラストの才能はあったのである。10年くらい前の絵を見ても、まったく絵柄が古くないし、本気で練習していたらイラストレーター専業でやれていた。音楽家であれば、天意を受けた選ばれし者だけが天才として君臨し、それに辿り着けなかったものは、実家が裕福でもない限り食うや食わずやの状態になる。イラストは最高峰を極めなくても、一定の水準に到達すれば評価してもらえる世界である。中川翔子は決して大芸術家ではないが、それなりに評価されるイラストは描けるのである。だが、絵を描く暇もないほどタレント仕事があったので、かつて絵を描いていたことなど忘れ去り、タレント活動にどっぷり浸かり、賞味期限を迎えたのである。ネットでの評価が極めて低下しているのは、サブカルチャーから完全に離反したからである。スキャンダルが致命的だったが、そもそもテレビで知ったかぶりのオタクをやるタレントに堕していたから、ネットユーザーからの共感性はとっくの昔に失われていた。まともに絵の練習をしていれば、オタクやサブカル系からリスペクトされるのは簡単だったし、知ったかぶりではなく、ちゃんとした実力者として存在出来たはずである。

中川翔子にイラストを描かせてもナベプロにはまったく利益がない。中川翔子に印税が入っても事務所は儲からない。ナベプロとしては、若い間にタレント仕事を詰め込んで儲けたかったのである。中川翔子というブランドを本気で考えるなら、本来はイラストレーターとタレントを兼業するのが望ましかったが、イラストレーターをやる分だけナベプロの稼ぐ機会が減るから、薄っぺらいタレント仕事で埋め尽くされることになった。

仮に、タレントとして鳴かず飛ばずで、平野綾ちゃんやはるかぜのように空閨を託つ日々を送っていたら、その雌伏の時を画力向上に捧げ、活路を見いだすおもしろさがあったのに、不幸なことに、寝る間もないほどタレントとして引っ張りだこだった。薄っぺらいタレント仕事のオファーが途切れないのだし、中川翔子の希望で仕事をセーブするわけにはいかないだろうから、ともかく糞みたいなマルチタレントの仕事に忙殺され、才能があるにもかかわらず、何のスキルも身につかず、30歳前後で退場していくのは当然なのである。

大量のタレント仕事をこなしたのだから、金はかなり貪欲に稼いだであろう。しかし地頭がよくイラストの才能もあったのに、振り返ってみれば、細川ふみえや優香と同レベルというのは気の毒である。本気でイラストに打ち込んでいれば、今頃は岸田メルくらいの存在になれたかもしれないし、兼業でやってても、なかなかの水準ではあっただろう。まがいものではない才能を持っていた人物が、すっかりまがいものに堕落したのだから、その磊落した遺影に向けられる目線は蔑みだけであり、誰も共感はしないだろう。この10年くらいで絵もかなり下手になってるから、今から練習しても遅いと思われる。かつて所持していた才能はすっかり朽ち果てており、そのかつての煌めきは、陰画のように退化した痕跡器官として残るだけである。鈴木奈々みたいに何の取り柄もない人間がバラエティーで頑張ってるのは望外の成功としても、才にあふれていた中川翔子が、中身のない知ったかぶりだけのタレント仕事に忙殺されて、容姿の劣化を迎えたのは、貴重な若さと類い希な才能をお金に換えたのであり、悪魔に魂を売った人物という印象を受ける。

ナベプロと言えば、ナベプロ系列の蒼波純も気になるところである。宮城県ではもう学校が始まってるのに、蒼波純は映画撮影をしている。一学期は学年二位だったそうで、とても勉強熱心であり、発言も極めてしっかりしているから、東京に生まれてたら桜蔭やフェリスに通ってそうなイメージなのだが、(実際はそこまで優秀ではないにしても)、日能研の栄冠クラスにいるような女子と同じようなオーラがある。彼女たちは、わたしを毛嫌いしていた公立小学校の女子とは違い、ハンセン病の慈善活動をする美智子皇后のようなノーブルな気品を持って、分け隔てなくわたしと会話してくれた気がするのだが、やはり偏差値が高い女子は貴人というべき存在であり、学校の女子とはまったく別の人種であったから、蒼波純はそういうノスタルジーを喚起するのだが、早くも芸能活動をやるとなると、本人の特質が損なわれてしまう懸念がある。今のところは日能研の栄冠クラスにいそうな女子だけども、この段階から芸能活動に忙殺されるなら、若さを金に換えるだけで終わってしまい、いかにも優秀というオーラも消えてなくなるだろう。蒼波純が売れることはわかりきっているので、後は大衆の前に姿を現すタイミングなのだが、慌てて戦端を開かなければ勝機を逸するわけでもあるまいし、バブルがはじける前にチューリップの球根を売り払うという話ではあるまい。とはいえ、偏差値の高い女子への偏愛という文脈でとらえているのはわたしだけかもしれないし、容姿以外はどうでもいいのかもしれない。
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