ほとんどテンプレとなっているこの定型文があるわけである。
これはミスディレクションを誘うものでしかない。

いじめとは政治的に最下位を決めるゲームである。
だから、こいつなら最下位という納得感が求められる。
最下位になるにふさわしいスペックの持ち主だったり、もしくは発達障害だったりするわけである。

つまり、いじめというゲームを行った場合、誰が最下位になるかは予測が付くので、その意味では、そいつが最下位たる理由は言える。
こういう問題があるからこいつは最下位なんだと言えるわけである。

「いじめはいじめられる側に問題がある」という定型文のどこがミスディレクションなのかというと、こうやって最下位を決めるゲームを主催する必然性が説明できてないからである。

最下位決定戦で最下位になる奴には、それなりに最下位になるべき理由はあるが、その最下位決定戦を主催するべき理由は説明出来ていない。
頭が悪いのか意図的なのか、ここを混同して議論している人が大多数なのである。

なぜそもそも最下位を決めないといけないのか、というのが本当の問題であろう。

また性格的問題がどうこういう場合もあるが、最下位に蹴落としやすい性格でなければならないわけである。
こいつは嫌な奴だから最下位にしようというわけにはいかず、いかにも最下位になりやすそうな人物であることが必要なのである。


アイドルのつまらなさとして、大人の事情で楽曲がよくないことである。ハロプロでつんくが印税乞食やっていたのが典型であると思うし、つんくの豪邸のために、どれだけ産業廃棄物が作られ捨て去られたかわからない。つんくほど酷くなくてもプロデューサーが印税で儲けるのが目的になってる事例は多々あるだろう。BABYMETALの楽曲の質が高いのは、プロデューサーが自分で曲を作ってないのが大きい。たぶんベビメタの曲が一曲作られるたびに、かなり大量の候補曲が没にされているはずである。

そんな中でわたしが最近発見したのがBELLRING少女ハート(ベルハー)というアイドルなのだが、なんかペットボトルの水を口に含んで観客席に吹きかけたり、如何にも地下アイドルであり、また意図的に下手に歌っているのだが、まともに歌っても下手だと思う。メンバーの質自体が低いのであまり応援したくない。

だが、だが、だが、楽曲が極めて素晴らしい。「the Edge of Goodbye」という曲が特に圧倒的なキラーチューンでこれはBABYMETALでも確実に採用される。演じてるのが地下アイドルだから話題にならないが、これだけの中毒性のある曲をゆいもあがやったら、軽く5000万回は再生される。またこの曲だけではなく、他の曲も全体的にかなりインパクトがある。

東京女子流とか、武藤彩未ちゃんとか、大手事務所が力を入れながらもブレイクしきれないのは、やはり楽曲に難があるのである。大手事務所だから演奏がハイレベルだったり仕上げが素晴らしかったりしても、肝心の曲にインパクトがない。BELLRING少女ハート(ベルハー) の楽曲はすごすぎるので、これが埋もれていくのはあまりにも惜しい。

田中紘治という人がプロデューサーなのだが、この人が曲を全部書いているわけではなく、他人に書かせている方が多いのだが、だからこそ、つんくとは真逆のクオリティーの楽曲が仕上がってくるのであろう。

東京女子流の中で新井ひとみちゃんだけは、かなり有望な素材だと思うし、橋本環奈より可愛いのになぜ話題にならないのか不思議なのだが、女子流自体が何やりたいのかわからないし、アイドルから脱却するそうで、いろいろ迷走してるわけである。ベルハーの曲があったら、伸び悩んでいる女子流でも武藤彩未ちゃんでもブレイクするし、横浜アリーナが暗幕だらけになりそうな℃-uteでも再生するだろう。BELLRING少女ハート(ベルハー)というアイドルそのものに見込みがないので、この楽曲だけでもどうにかしたいものである。
脅された場合に「どうぞどうぞ殺してください」と平然と振る舞う対処法があり得るわけである。
これは相手が底辺であればあるほど使えない。
顔面をグーで破壊されるくらいは普通にあり得る。

社会的立場のある相手には「どうぞどうぞ殺してください」でいいので、育ちがいい人の余裕はそこだと思うのである。

貧困とADHDの相関が強いのはそれが原因だという仮説を立ててみる。
もちろんこの仮説はなんら証明できないのだが、脅されるという行為をよくよく考えると、ここがポイントだと思うのである。

威嚇されたらおびえてみせる必要があるわけである。
われわれがおびえてみせるのは、おびえてみせないと相手が満足しないと思うからである。
恐怖感を表情に出すことで許して貰うわけである。
威嚇されておびえるという繰り返しでADHDらしい人間性になる。

有村悠さんがなぜああやって暴れているのかというと、暴力で育てられたからである。
脅されたら怖がる義務があったのである。
貧困層においては、脅されたら本当に怖がって見せないと危険なのである。
血塗れのリンチを受けて新聞に載る可能性がある。

たとえば有村悠さんと櫻井翔が産院で取り違えられたとする。
ADHDが生まれつきの脳障害だとするなら、産院で取り違えられたとしても、有村さんはADHD剥き出しのゲロ以下の人間でなければならない。
また、櫻井翔は、発達障害のオールスターと言える有村一族にどっぷり浸かっても、彼だけはおっとりして上品な人間性を持っているはずである。
こんなことがあり得るのだろうか?
有村悠さんは、どんな裕福な家庭環境で育っても、怒り狂って部屋で暴れてるんでしょうか?
櫻井翔は、赤貧を極める母子家庭で有村ママと密着して過ごしても、あの上品な性格でいられるんでしょうか?

仮に櫻井翔が産院で取り違えられて有村ファミリーで育ったら、あの粗暴な教育ママから殴る蹴るの暴行を受けて東大東大言われるだろうし、奴隷がガレー船を漕ぐようにしてガリ勉はしただろうが、仮に東大にギリギリまぐれ合格しても、他の金持ち東大生にはかなわず、美人の東大生からも気持ち悪がられ、鬱になって中退するのがオチであろう。
櫻井翔の品のよさは、暴力を受けてないからである。
貧困層なら、威嚇したり威嚇されたりが命がけであるし、有村悠さんなどは、暴力に支配されて育ったのだから、これが落ち着きの無さの原因なのである。
櫻井翔のような恵まれた家庭だと、社会的立場のしっかりした人と接するのだから、本当に殴られたり殺されたりする心配をする必要がないし、平然としてればいいのである。

落ち着きのある性格とは、脅されても平然としている性格なのである。
ADHDでない人、つまり定型発達者というのは、暴力で脅されない環境で育ったのである。

だから櫻井翔と有村悠さんが産院で取り違えられていたら、櫻井翔は貧困層で殴られながら育ったわけであるし、あのような落ち着きのある品のよさはあり得ない。
暴力のない環境、刑務所や少年院とまったく無縁の環境だからこそ、あの品のよいパーソナリティーがあるのである。
その途端でございます。今まで何ともなかった蜘蛛の糸が、急にカンダタのぶら下っている所から、ぷつりと音を立てて断れました。ですからカンダタもたまりません。あっと云う間もなく風を切って、独楽のようにくるくるまわりながら、見る見る中に暗の底へ、まっさかさまに落ちてしまいました。
後にはただ極楽の蜘蛛の糸が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空の中途に、短く垂れているばかりでございます。

御釈迦様は極楽の蓮池のふちに立って、この一部始終をじっと見ていらっしゃいましたが、やがてカンダタが血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうな御顔をなさりながら、またぶらぶら御歩きになり始めました。自分ばかり地獄からぬけ出そうとする、カンダタの無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰をうけて、元の地獄へ落ちてしまったのが、御釈迦様の御目から見ると、浅間しく思召されたのでございましょう。
しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着致しません。その玉のような白い花は、御釈迦様の御足のまわりに、ゆらゆら萼を動かして、そのまん中にある金色の蕊からは、何とも云えない好い匂が、絶間なくあたりへ溢れて居ります。極楽ももう午に近くなったのでございましょう。


「蜘蛛の糸」はカラマーゾフの兄弟にも似たような話があり、天使が老婆を救おうとするが、老婆が他人を蹴落とそうとしたのでネギが切れてしまうというものである。

この「蜘蛛の糸」の主人公はカンダタだと考えられている。
御釈迦様や、もしくは(カラマーゾフの兄弟の)天使が罰を下したとは書かれていない。
あくまで悪いことをすると神様が見ているよ、という教訓話である。

この類の教訓話は馬鹿正直の推奨であり、ワシントンと桜の木でも、本当に実行したら馬鹿を見るだけである。

新自由主義の時代においては、カンダタこそ正義であり、蜘蛛の糸は登り切れる、つまり天罰が下らずに天国に行けると考えられており、実際に天国に行けるのである。
われわれも新自由主義が正しいと教えられているから、蜘蛛の糸を登り切って凱歌を上げるカンダタをイメージして生きているのである。

だが、実のところ、「蜘蛛の糸」というのは、天罰を下すべきかどうか、という問題に読み替えるのも可能である。
つまりカンダタが他人を蹴落としてぐいぐいと昇ってきたら、その糸を切るかどうかという判断である。

経済というのは、売れたか売れなかったかの問題だから、結果がはっきりしているのだが、意外と貢献度がわからないものである。
企業の業績としては明白だが、それぞれの社員の貢献度は判然としない。

コミュニケーション能力がGDPに対してプラスの効果を持つのか、というのもよくわからないわけである。
コミュ力とは蜘蛛の糸を登り切って勝ち抜く能力とも言えるし、排他的なスキルでもある。
その一方でリーダーシップを発揮し全体を押し上げることも出来る。
端的に言えば政治力であるから、他人を蹴落としてるのか、全体をまとめてるのか、よくわからないわけである。
何かを発明したとか、売れ筋の商品を開発したとか、そういうのなら明らかだが、コミュ力に関しては、貢献しているのか否かが判然としないのである。

新自由主義はすべての嘘くさい教訓を葬り去ったと言っていいのだし、自分だけが蜘蛛の糸を登り切って凱歌を上げる物語が肯定されるのだが、経済の問題として、新自由主義の敵は新自由主義者である。

思想的な新自由主義は、蜘蛛の糸を登り切ろうという人間を礼賛するものだが、経済競争に本当に勝とうとするのなら、企業はこの糸を切断して然るべき、とも言える。
コミュ力の高い人間が、他のスキルの高い人間を蹴落としていることもあり得るわけである。
「蜘蛛の糸」というのはカンダタの選択ではなく、御釈迦様として糸を切るかどうかの決断の問題である。
漫然と新自由主義に従って見逃せばいいものではないであろう。
長男と次男がいたら、たいていは長男が不器用だが、これは長男に対しては「言われたとおりにやれ」というスタンスを親が取るからだろう。
最初に生まれた子供に対しては一挙手一投足を監視し、言われたとおりにやれと怒鳴るわけである。
次男に関しては、言われなくても気付けと放任するのである。

「言われたとおりにやれ」という教育をしていては要領が悪くなるに決まっているのだが、親は最初の子の要領が悪くても意に介さない。
明らかなハンデだと思うのだが、ハンデを負わせて当然だと考えている。
なぜ次男三男と増えるたびに放任主義にするのかは知らないが、おそらく、次男以降は、親が思ったとおりの人間にならなくてもいいからであろう。
最初に生まれた子供は、親が思ったとおりの人間になることを求められる。

たぶん職業選択の自由が無かった時代の名残と思われる。
「言われなくても気付け」と教育した方が要領はよくなるのだが、長男にそれは望んでないのである。
むしろ不器用に育てたいのであろうと思う。

長子相続の時代だと、次男以降には相続もさせないし家業も継がせないから、勝手にひとりで生きろと放任するのが自然だったのである。
最初に生まれた子供に「言われたとおりにやれ」と徹底し、二番目以降の子どもに「言われなくても気付け」と放任するのは、今の時代にまったく合わないやり方なのだが、馬鹿な親は死んでも譲らない。
もちろん柔軟な発想の出来る犀利な親は大丈夫だが、玉砕に向けて理想の実現を絶賛実行中の馬鹿な親は改善できない。

長子相続の時代ではないので、最初の子どもに自分の理想を押しつけるのは道理が通らないはずだが、なぜかこの問題は知られつつも、あまり難じられることがないし、改善する気がないようである。

いわゆるコミュニケーション能力とやらは、言われなくても気付く能力と言っても差し支えなく、これは親の育て方がかなり関わっている。
「言われたとおりにやれ」という教育で得をすることはほとんどないのだが、これをやっている親は死んでも改めないから無理であろう。

また未婚の女のヤリチン好きという問題も根底にある。
40歳くらいの女でも、既婚で子どもがいるとヤリチンを嫌うわけである。
逆に40歳でも未婚だと、どこかしらヤリチン好きな肉食のオーラがある。
未婚の女は器用な男が好きなのだが、既婚で子どもがいる女は不器用な人間を好むので、当然ながらそれに応じた教育が行われるのである。
未婚の女はロンブー淳に股を開くが、結婚して子どもが出来るとなると、この手の男を「悪いお手本」として蛇蝎のごとく嫌うわけである。
若くて綺麗な頃に股を開いて、閉経しそうな経産婦になると嫌うとか、まさにロンブー淳の思う壺である。
なぜ若くて綺麗な未婚の女は「悪いお手本」が好きなのかという問題でもある。
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