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有村悠さんは、母子葛藤では加藤智大に通じるし、エリートへの怨みでは宅間守に通じるし、女性へのロックオンでは岩崎友宏に通じる。
だから、犯罪者予備軍と言うこともできる。
なおかつ宮崎勤と同一の性的嗜好の持ち主であるから、グランドクロスである。
とはいえ、いくらメンタリティが似通っていても、さすがに凶悪犯罪はハードルが極めて高く、本当にやるとは思えない。

いわゆる不良集団を犯罪者予備軍とは言わないし、やはり犯罪者予備軍という言葉は、悪人でないことを前提としている。
通俗的に言えばオタク嫌悪なのである。

われわれは実は悪人を嫌悪しておらず、それどころか魅力的だと考えている。
それが顕著に見られるのは十代の少女であるが、おそらくそれだけではあるまい。
普通の男であれば、立場的にDQNは敵であるから敵視するのだが、不良に憧れる気持ちがまったくないとも言えないだろう。

有村悠さんは750人からブロックされているそうだから、怖がられているのは本当だが、恐い恐いと揶揄している側面があることも否めない。
もしくは女性絵師であれば、片想いされたら厄介ということで、念のためにブロックしているのであろう。
有村さんをブロックしている女性でも、DQNにチンコを挿されて悦びの声を上げていたりするのだろうし、実は犯罪者のことなど怖がってはいない。
本当は悪事への恐怖ではないのだ。
自閉的な思い込みの激しさや、溜め込んだ怒りが怖いのであり、いわゆる生理的嫌悪である。
自閉の重力圏に巻き込まれたくないという嫌悪であるから、犯罪予防うんたらの問題ではない。
本当に犯罪が怖いならまずはDQNを避けるべきである。
ド田舎の底辺母子家庭でガリ勉して東京大学にギリギリ合格した有村悠さんは、金持ち東大生との格差を思い知らされて中退した怨恨から不穏な言動を繰り返しているにせよ、普段から犯罪をやっているDQNと対極であるのは言うまでもない。
DQNにチンコを挿されている女が有村さんを怖がっても、犯罪という文脈なら阿呆らしい話であるし、やはりオタクは気味が悪いというだけなのである。
もちろんDQNに無縁の女性が有村悠さんを畏怖するのは構わないが、DQNとセックスしたことがある女が有村悠さんを畏怖するのは、実のところ自閉への差別であろうし、これが定型発達者の真の姿である。
https://twitter.com/lp_announce/status/919413777908490240
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746人からブロックされ、64人をブロックし、相互ブロックは3ということである。

有村悠さん(38歳)はとてもフレンドリーな性格だが、要するに物乞いなので、あちこちで蛇蝎のごとく疎まれている。
他人に奢られるのが当たり前だという感覚。
親しくして何が悪い、と主観的には考えているのであろうし、他人から疎外されているという被害者意識の塊である。
御本人は受難者気取りであるし、その怨嗟が有村さんの恐怖イメージを作っているのであろう。
親しさというのはかなり相手を選ぶものだが、そういう課題が理解できてないらしい。
他人に好意を持つのは悪事なのだが、道徳の教科書でそう書くわけにもいかず、なかなか難しいところである。
親しさとはお互いのプライベートに侵入することだから、一方的な好意は暴力なのだが、「好意は悪事」だと校長先生が訓戒を垂れることはあるまいし、明示的に説明される機会が少ないから、自ら察するしか無い。
奢る奢られるという問題にしても、岩崎友宏が冨田真由さんに腕時計を送った事例などを念頭に置くと、奢ればいいという話ではない。
結局のところ親しさとはプライベートの共有なのだが、人間はその親しさを嫌悪している。
子供の頃は大人から「友達を作れ」とさかんに言われるが、その大人に友達がいないのが実態である。
2017.10.07

不倫と家族愛

川島海荷の不倫が純然たる愛なのか、お偉いさんに夜伽する娼妓のようなものなのかわからないが、わたしはただ不倫について語りたいのだから、芸能界の特殊慣行まで揣摩する必要はあるまいし、ひとまず素朴な愛であると見なしておこう。あるいは川島海荷だと事例として曖昧であるなら、例えばベッキーや矢口真里は一欠片もメリットがない相手と破滅的な不倫をしたのである。燎原の火のごとく躰の末梢神経から脳髄まで熱病のように焼き尽くすのであれば、愛としてニセモノではあるまい。つまるところ家族愛というのは人生設計の契約であるし、大恋愛が火柱を上げて蒼天まで届いたら家族の誕生というわけではあるまい。あくまで財布の共有である。このところは特に核家族となっているから、個人の権利意識も強まっており、嫁が涙して終わりではないので、正妻としての利権を高らかに叫ぶしかない。核家族というカプセルでわれわれは分断されており、親子連れに注意したら長期拘留された大学教授もいたし、高卒の警官とか無教養な母親が不審者いねえかと松明に火を灯して凶相を浮かべ百鬼夜行するまがまがしさは、いったいどちらが不審者なのかという話だが、人間理性を破壊するべく水銀が垂れ流されてるのであろうし、われわれも痙攣しながら這々の体でベビーカーから逃げまどうのである。あの核家族が垂れ流している害毒からすれば、不倫の愛の方がむしろ純粋であり、人倫として曲がってないという印象すらある。核家族という大正義。これは決して愛ではないのだし、かなり打算的な人生のパートナー契約である。もはやここまで来ると、核家族すら解体し、経済を共有するパートナーがいなくなり、ただひとりの個人として、誰とも財布を共有せず、それぞれが経済の主体になればいいと言いたくなるが、生まれてきた赤ん坊がポストに投げ捨てられ、それを税金で育てて最高の教育を与えるとなれば箍の外れたモラルハザードが予想されるし、やはり家族愛の物語に基づいて親の責任でやってもらうしかないのである。嬰児にも自然人として権利能力はあり財産は持てるが、現実には親が法定代理人として制御しなければならない。家族愛というのがわれわれの魂を錆びさせる鉄の鎖だからこそ、大過無き人生設計のために妥協した有象無象の善男善女が、禁断の快楽に手を伸ばした咎人を鞭打つのであろう。不倫などなければ、家族愛という嘘を平気で吐きながら生きていけるのに、不倫という本物の愛が家族愛というフィクションを打毀し、家族という役割の仮面を壊死させて、人間は愛されてないという明々白々たる素顔を露わにするのだから、これは悪魔が人間を蝕む悪疫であり、嘘に耐えられないわれわれに真実を教える悪趣味である。
アロマオイルのように効果を厳密に証明できないものはだいたい創価学会と同じジャンルとして扱われるようだが、信じる者は救われるという言い伝えもあるし、生きてるのか死んでるのか知らんが池田大作先生を信仰することで薔薇色の人生を送っているひとだっている。わたしはアロマの版図を拡大させようという布教の熱情もないから、流行らなくても差し支えないし、アロマが世界地図から消えたとしても何ら痛痒がない。だから創価学会のように強引な折伏をするわけでもなく、いわば革命戦線の途次における箸休めというか、星辰の瞬きから遠い暗渠において、筆遊びとして灰色の紙片に稿を起こすだけである。アロマについて、何と言っても強調したいのが風邪の予防である。わたしはアロマを導入してから風邪を引かなくなった。実用性がないオサレなアイテムだという謬見を持っていたが、実際は実用性の固まりである。喉が痛い、鼻水が出るという初期症状にルルは効いてなかったが、アロマを吸うと明らかに菌を消毒してくれるし、予防効果が凄まじい。アロマにはいろいろと種類があるが、風邪の予防としては殺菌効果があるユーカリ、ティーツリー、レモンなどが代表的である。おそらくティーツリーが最もいいと思われるが、わたしはユーカリを好んでいる。気軽に試すには、瓶に木の棒が挿してあるタイプのが簡単かもしれないが、継続的に使うのであれは精油の原液を買ったほうがいい。アロマの瓶になぜ木の棒(リードスティック)が挿してあるかというと、精油は揮発性があるが、そのままだとなかなか蒸発しないので、木に染み込ませて蒸発を加速させているのである。このタイプの安物は人工香料であることも多く、鼻が曲がるような匂いで悪酔いすることもあるから、あまりよくはない。おそらく一般的には加湿器タイプのものがお手軽であろうし、夏場は湿気が懸念されるが、それ以外の季節なら加湿タイプでいいだろう。小皿に精油を垂らす原始的な方法も、手元なら意外と香る。部屋全体を香しくするには不向きだが、自分だけが香りを嗅ぐには適している。あと、わたしは枕に精油を垂らして寝ているが、精油は刺激が強いので皮膚に付けるのはよくない。だからこの方法は一般人には推奨できない。ここまで「アロマ」という言葉と「精油」という言葉を混用しているが、アロマというのは香りという意味である。アロマというと人工香料も含むが、「精油」というのは植物から抽出した天然の原液のことである。精油の購入についてだが、「生活の木」が最も信頼性があるとされる。だが「生活の木」は価格が高いので無印良品が妥当であろう。アマゾンなどでは無印良品の三分の一くらいの価格のものもたくさん売られており、意外と悪くないのだが、やはり微妙に品質が劣るので、品質と価格のバランスからして無印良品が無難。開封して数ヶ月もすれば香りが薄れるから、少しずつ使うことはできないが、せいぜい月額数千円で維持はできるし、役に立たない風邪薬よりはよほどコスパがいい。
わたしが佐藤日向に対して強い怒りを抱いたのは、「少女 歌劇 レヴュースタァライト」について、「当日券がある」という紛らわしいツイートをしたからであるし、実際は「当日券のための整理券配布」と抽選であったから、わざわざ渋谷まで行ったのが無駄足になったからである。
佐藤日向は自らを推してもらうために、自らのカラーの水色の服を着てくれとか、つまり、オタ向けの営業活動として「当日券がある」とやっていたわけだ。

なぜわたしだけが怒っているのかというと、真人間を装っているヲタは黙っているのであろうし、わたしは佐藤日向に興味がないからであろう。
わたしは今まで佐藤日向のツイッターをフォローしたことさえないし、たまたまRoseliaの姉ちゃんが出ているから、今回の演劇を見てみようと思っただけである。
普段は佐藤日向のツイートなんぞ見てないのだが、たまたまRoselia繋がりでチェックしたのである。

さて、このタイプの利口で素直な人間に時たま激しい怒りを持つことがある。
たとえば道を譲らないとか些細な事でも、人から好かれそうなタイプの人間にそれをやられると、こちらが悪者にされる予感がMAXになるので、それが憎悪になるのである。
ゴロツキに攻撃されるのとはまた別の怒りである。
無個性で利口で見た目も好青年みたいなやつから無神経なことをされると、いかにも差別的な言動を受けたという強い印象を受ける。
喧嘩を売られたというよりは、貴族と賤民が当然のごとく決っているというナチュラルなカースト意識を感じるのである。

わたしが佐藤日向に全く関心がなかったことは前述したとおりだが、やはり利口で素直なタイプなので、人から好かれそうなところが嫌だというか、「こっちが悪者にされそう」という畏怖があり、敬遠していたのであろう。こうやって小さなトラブルが起こると、向こうが健全な貴族でこちらが狂った廃疾であるという前提について、天道是か非かという義憤があり、おそらく人間の根源的な劣等感の問題である。当日券の抽選があるのを「当日券がある」と記述するのは誤りだと思うのだが、どれだけ理屈を弁じ立てようが、賽の河原で小石を積むような徒爾にしかなるまいし、あくまで人間の貴賤で決着が付き、結論が綴じられてしまう。

人類全員が佐藤日向の味方をしそうだし、そういうナチュラルな貴族主義というか、逆に言えば、こちらがナチュラルで賤民というか、そういう理不尽さである。
当日券の問題で佐藤日向は釈明もしてないし、すっかりAKB商法でヲタを転がすことに馴染んだ様子だが、このままいろんな人に取り入りながらうまくやっていくのであろうし、時たま無神経な言動をしても声を荒げる人はいないし、御本人は大過なく生きていくわけである。
佐藤日向は人から好かれやすい人物であるにも関わらず人気はないが、おそらくこれも人間社会における典型的な事例なのである。
「人から好かれやすそう」という特権的な貴族が世の中には一定数いて、果たして本当に好かれているのかというとそうでもないし、好きだという自己判断の積み重ねというよりは、なんか「他人から好かれているだろう」という迂回した目線で見ているわけだが、これが人間社会なのであろうし致し方あるまい。
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