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「Yの悲劇 独裁者が支配する巨大新聞社に未来はあるか」という本を読んでいる。
清武英利(元巨人軍球団代表)と魚住昭の対談本であり、講談社から出ている。
2012年の本だから、古いが、こんな話が清武の発言としてある。
清武の前任者が野間口に契約金7億円を約束していたが、清武はこれを支払わなかった、というのである。
これはWikipediaにも書いてない情報である。

野間口君については、桃井社長から「三山(秀昭・前代表)さんが七億円というカネを約束していたんだよ」と聞かされていました。私は一場事件の責任をとって退職した三山さんの後任ですから、何度も言いますが、巨人軍にコンプライアンスを確立することが使命だった。当然、「そんなの払えないですよ」と聞く耳を持たなかったんです。
(中略)
入団時には最高標準額の一億円を支払ったと思います。実はその後、代理人のような人たちが「約束なんだから残額を支払ってほしい」と言ってきたんですが、球界のルールに違反することになりますから、そんなことはできませんよ。ですから、もし相手が約束の履行を求めて裁判に持ち込んだら、それは争うしかないと覚悟していました。
(中略)
そもそも当時、一億円が上限であるということは、巨人軍の桃井社長も私もはっきりと認識していましたよ。だからこそ、野間口君に約束したという七億円も支払わなかったんですから。

なお、野間口は2004年秋のドラフトで巨人に入団し、2012年が一軍最後の登板。
そして2015年まで巨人に在籍し、引退。
プロ通算13勝12敗であった。
そして2016年から2020年まで巨人の球団職員であった。

ちなみに清武英利が巨人の球団代表になったのは2004年8月なので、野間口が入団する少し前である。
そして、清武英利が渡邉恒雄を告発して解任されたのが2011年11月である。

つまり、清武が追放されてからも野間口は巨人にいるので、もしかすると、清武追放後に7億円(というか1億円は支払われているので、残りの6億円)が支払われた可能性もなくはない。
あくまで、この本の話を信じるなら、清武がいる間は、野間口への7億円の支払いはなかったということであろう。
2012年以降は不明である。
和久井学容疑者(51)がひとびとの共感を集めている。殺害されたガールズバー経営の25歳の女はタワマンに住んでおり、おそらく頂き女子だと推察されているからだろう。(その真偽はここでは問わない)。そして、レアな車とバイクを売却して貢ぐお金を捻出した件について、その宝物を手放した悲しみについても共感されているようだ。わたしはここでやや疑問を持ち「自分で車やバイクを作ったわけでもあるまいし」と思った。しかし、さらに考えてみると、われわれの所有しているもののほとんどは、自分が作ったものではない。他人が作ったものを大事にしているのである。タワマンに住んでいる人も、自分でタワマンを建設したわけではあるまい。いかにわれわれが、他人の制作したものに取り囲まれていて、そしてそれを「自分の宝物」として所有しているか、なのである。和久井学容疑者(51)が車やバイクをアイデンティティにしていたとしても、その所有欲とか、所有することの満足感をナンセンスだということはできない。われわれには自己愛というものがあるが、わりと空想的であることが多く、必ずしも、自分自身を本当には愛でていない。自分で自分を楽しむことはなかなか出来ないのである。自己愛を満たすとなれば高級腕時計を身につけるとか、そういう短絡的な手段を考えるのであり、だからこそ、和久井学容疑者(51)の車とバイクへの愛情が奇妙には思われていない。車にせよバイクにせよ、腕時計にせよ、作っている人はいるのだから、人類全体が疎外されているわけではないが、車の工場で働くよりは、購入して所有するほうが満足度は高そうだし、そこは人間の本質的な倒錯である。車を作る才能があるとして、その才能を他人に譲渡することはできないのである。自分で車を作って他人に使わせることしかできない。なぜ脳みそから才能というパーツを取り出して他人に譲渡できないのか、いずれは科学の発展でできるようになるのか、そこは不明だが、たぶん出来ないだろうし、この譲渡不可能性からすると、才能こそがアイデンティティの根源という気もするが、そう都合よく独特の才能があるわけでもないので、他人が作ったものを所有するということに落ち着くのである。
障害者がメディアに出てくると、どうしても、パラリンピックとか、スポーツ系が多い気がしている。身体障害があっても普通の仕事を頑張っているという人は出てこない。普通の仕事だとニュースとして地味で価値がないから紹介されないのか、つまり、普通の仕事を頑張っている障害者がたくさんいるならいいのだが、実情は「お客様」というか、法定雇用率を満たすための数合わせに使われているだけかもしれない。どうせお客様ならパラリンピックの方が見栄えがするのかもしれない。普通の職場では戦力にならないが、パラリンピックだと戦力になる。そういう懸念もある。そもそも障害者枠で雇用という時点で、戦力にはなってないのだろうし、戦力になる人なら障害者とは扱われない。たとえば大隈重信は暴漢に襲われて片足を切断したが、障害者扱いではないし、重光葵もテロで片足を失ったが、障害者扱いではない。あるいはジョン・F・ケネディも背骨に障害があったとされるが障害者枠ではない。障害者が社会から排除されてきたというのは、おそらく正しくない。見世物小屋に並ぶような奇形だと排除されたかもしれないが、片足がなければ無いで、それだけである。豊臣秀吉は指が六本だったが、その程度だと、昔は障害者ではない。なんにせよ、人権思想が広まるにつれて、障害者枠の人が出てきたわけで、それこそ障害が最大の特技なのである。そして多様性のために、「箱庭」というとなんだが、舞台をいろいろお膳立てして、彼らを活躍させないといけないらしい。結局のところ、本当の活躍ではないので、ただの茶番である。
言葉によって輪郭がクッキリすることがあるが、言葉の発明というよりは、時代の変化に合わせて言葉が生まれるのかもしれない。「オラつく」というのも、昭和の頃ならオラオラしている人が普通なので、ピンと来なかったはずである。今のおとなしい世の中だと、オラオラしている人間が浮いてしまうので、「オラついている」と失笑されてしまう。オラオラしているのが変わり者であるという認識の浸透があってこそ「オラつく」という言葉が生まれたのである。「オラオラ」と「オラつく」の使い分けも、現在のわれわれだからピンとくるのであり、何百年も経ったら、判然としないはずである。昭和の頃は多少の暴力だと警察が来ないので、威圧は暴力と直結していた。オラオラしている人がいれば(暴力を振るわれても警察が来ないので)本気で怖がっていたのである。今は警察を呼べばいいと思っているから、オラオラした人間を見ると「オラついている」と失笑するわけだ。思い返してみれば、昔から、草食系の若者と肉食系の若者というのは、両方とも存在していた。どちらが幅を利かせていたか、という違いだけである。人間が変化したというよりは、やはり警察が変化したのが大きいと思うし、最近はオラオラしてるだけで捕まりかねない。刑法そのものは変わってないのだが、昭和の頃だと、多少の暴力で警察を呼ぶとかありえないし、呼んでも相手にされない。今だと肩に触った程度でも警察に通報するのが当然だし、実際に捕まる。それでは今から昭和にタイムマシンで戻って、暴力容認の世情に向かって、現在の進化した言葉を投げかければ変えられるかと考えたら、不可能だと思う。いろいろな背景があるだろう。昭和の頃は、商品名を連呼するCMで溢れていた。宣伝するために広告を出すのであり、決して漠然としたスポンサーの好感度のためのものではなかった。昭和の頃でもスポンサーへの苦情というのはあったが、今のようにデリケートではない。そもそも暴力がなぜ悪いのかという論もあり得るし、たとえば自分で自分を殴ったりすることは(拳で膝を叩いたりすることはよくあるはずだが)暴力ではない。暴力とはただの暴発であることもあるが、厳しい上下関係ゆえのことが多いし、人間関係あっての暴力である。昭和の頃だと、知り合いに殴られて警察に通報というのはあり得ないが、これは昭和の人間関係が濃いというのもある。人間関係に警察が立ち入らないというのは、警察の怠慢ではなく、社会の在り方を踏まえたものである。今日であれば、われわれは人間関係に気をつけており、土足で上がり込むような関係性は忌避しているので、知り合いに殴られたら逮捕という準備がある。
このところパワーワードという言葉が流行っているが、着眼点のいい言葉だと思う。われわれを刺しに来る強い表現についてのモヤモヤをひとびとが感じていて、パワーワードという言葉で輪郭がクッキリしたのである。「人権」「差別」などが典型だが、それ以外の事例でいうと、守秘義務というのもパワーワードだとわたしは思っている。都合の悪いことを言わないインチキ臭さが、あたかも正義のように変換されてしまう。プラス点だけ列挙してマイナス点は言わない詐欺師で世の中は満ち溢れているが、マイナス点を言わない大義名分として「守秘義務」がよく使われる。職業的に義務付けられていることもあるだろうが、たいていは個々人の民事契約でしかない。法律上の守秘義務という文脈では、かつて西山事件というのがあった。毎日新聞の西山記者が外務省の女性事務官と肉体関係を持った上で情報を聞き出した。女性事務官は情報漏洩の罪、西山記者は教唆の罪を問われた。この事例からすると、「情報を教えろ」というのは教唆の罪となるリスクがあり、守秘義務という言葉がパワーワードとなるのだろう。外交上の機密情報と民事契約の内容は次元が異なるはずで、詐欺師同士が「これは秘密だぞ」と仲間内で約束している内容など知ったことではないが、そのあたりの混同を解きほぐすのも難しい。詐欺師がもっともらしく守秘義務といえば、なんか正義のようになってしまう。都合の良いことは言う、都合の悪いことは言わない、それも人間として、当たり前といえば当たり前であるから、何でもかんでも開示せよ、ということではないが、インチキ臭いのも確かであり、決して立派なことではない。都合が悪いことは言わないというのは仕方ないにしても、後ろめたさの裏返しなのか、守秘義務というパワーワードで刺しに来るのはやめていただきたい。
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