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Apple Pencilについて思うところを縷々と書き綴る。新型iPadに合わせて新製品(第二世代)が発売されたようで、あれこれ改善もされたようだが、アップルが新製品を出すたびに買うわけにはいかないので、あくまで旧製品について書いている。そもそも製品レビューではないし、Apple Pencilそのものについての雑考である。さて、このところフリクションボールという凶器が蔓延しているが、消えるボールペンという紛らわしさ、たとえば重要文書の改竄の恐れだけでなく、あれは推敲を否定しているから使うべきではない。原稿用紙の余白に言葉を補った経験のある世代にとって、ただ書き損じを直すだけのフリクションボールは笑止千万である。ちゃんと推敲して文章そのものを直せ、ということである。朱筆を入れる替わりに元の文字を消して書き直すことが、文明の進歩とは思えない。Apple Pencilだと書き直しが当たり前であるから、「改竄」について懸念する必要はないし、そもそも大幅な推敲ができる点でフリクションボールとは話が違う。アプリにもよるが、たとえばOneNoteでも、Apple Pencilで書いた文字を移動させたり、もしくはすでに文字が書かれている箇所に空白を挿入して、そこに書き足すこともできる。文章の一部を削除して空白が生じたら、その空白も詰めることができる。つまり余白が伸縮自在で、加筆修正できるのだ。推敲したいならテキスト入力でやればいいという話もあるだろうし、Apple Pencilで手書きするとなると、つまり画像データのようなものだから容量も大きいので、何百ページもある長文なら素のテキストのほうが適しているのは言うまでもないが、手書きに回帰しておかないと文字を忘れる一方であるし、ともかく推敲を加えた綺麗な手書きノートを作りたいなら、Apple Pencilである。デジタルで手書きするマイナス点として、他人に画面を触らせたくない、もしくは相手にそのような気を遣わせることである。Apple Pencilの使い方の模範映像などを見ると、美男美女が和気藹々とiPadの画面を囲んでなぞったりしているが、やはりタブレットやスマホの画面を他人に触られたくないという心理は誰にでもある。所詮は雑菌まみれであるが、自らの手の雑菌と他人の手の雑菌は違うというのが人間の衛生観念である。この衛生観念は虚妄とも言えるし、電車の吊り革に触れないのは強迫性障害(つまり観念の歪み)とされるわけだが、自ら馴染んでいる雑菌と他人の雑菌の違いと言えばいいのか、言語に絶する不潔な人間もいるであろうし、虚妄のように思えて虚妄ではないこともあろう。やはり他人の前にiPadを出して、そこに書き込みながら説明したりするのは、相手も遠慮するであろうし、向こうがiPadを取り出したとしても、やはりそれにベタベタ触るのはまずい。そこらの紙に殴り書きしているなら、気軽に触れるし、話のやり取りをするには安っぽい紙のほうがいいということになる。プライバシーとして自分のスマホやタブレットを他人に見せたくない感情については言うまでもない。さて、Apple Pencil的なものの今後を考えると、PDFの不自由さはいつになったら克服されるのか、ということである。PDFに自分の手書きで注釈をつけたりできるのがApple Pencilの面白さのひとつだが、やはりPDFそのものが不自由なので、意外と使い所がない。パソコンでPDFを抽出して並び替えたりする手間のほうがとても億劫である。そもそもPDFを編集するとなれば、それなりに高価なソフトが必要、もしくはたまたまパソコンにソフトがバンドルされているか、ということになる。電子上の「紙」の代表格がPDFである限り、タブレットに手書きというのは、その可能性の一部しか開き示せないのである。現状では普通の紙に油性ボールペンで書くのが望ましいという結論にもなってしまうが、手書きして推敲するのが人間知性の基本であり、フリクションボールは書き損じを訂正するだけだから反知性主義者のツールである。
2018.10.31

Office 365 solo

「クラウドの衝撃」(城田真琴著)を再読したのだが、2009年出版のわりには内容が古くない。今からこの本を読んでも新鮮味はないので必読書ではないが、きちんと書かれている良書である。中央に鎮座する巨大なメインフレームに睥睨されながら味気ないダム端末で打ち込んでいた時代から、パソコンの時代に移り、そこから、何かしらメインフレーム時代への回帰のようにしてクラウドの時代が到来した。われわれはスマホやタブレットからデータセンターに問いかけ答えを返して貰っている。

クラウドコンピューティングについて語るのはわたしの手に余るので、ここではオンラインストレージとしてのクラウドの話だけにしよう。
わたしが契約しているOffice 365 soloについて書こうと思う。

マイクロソフトオフィスはいろいろあって分かりづらい。

Microsoft Office Professional
Microsoft Office Personal
Microsoft Office Home and Business

これらはいわゆる永続版だが、要するにアップデートされないので寿命はある。
あと、プリインストール版(Premium)とパッケージ版の違いがあるが面倒なので説明を省く。

さて、Microsoft Office 365 Soloだが、これは一年ごとの契約である。
だいたい年額一万二千円である。
素晴らしいのは、OneDriveが1TB付いてくることである。
わたしはほぼこれのために課金している。
おまけとして、Word、Excel、PowerPoint、Outlook、OneNote、Publisher、Accessの最新版が常に提供される。
2台のWindows PCまたはMacと2台のタブレット(iPad、Android、Windows)、2台のスマートフォン、合計6台で利用可能である。これについてはルールが変化したかもしれないが、どちらにせよ、余程のことがない限り手持ちの端末すべてで使える。

クラウドは、要するに自分でハードを買うのではなく、回線の費用を負担するということであるから夢物語ではない。
回線に依存するのだから、通信環境次第では同期がうまくいかなかったりする。
速い回線を使っていても、みなさんWi-Fiを使っているご時世だから、都会はWi-Fiの電波で溢れかえっており、おとなりさんの電波と干渉してうまく繋がらないことがある。
先日、そういう回線の問題で同期がうまくいかないことがあり、端末のフォルダの同期を解除したら、なぜか、そのフォルダが根本的に消えてしまうという出来事があった。当然ながら、他の端末にも同期されて、鈴なりのように虚無の世界が広がった。
幸いながら、こういう削除を行っても、OneDriveのサーバーのゴミ箱にデータが移動する仕組みなので、ゴミ箱から復帰させただけで済んだ。
とはいえ、同期の不具合の怖さを体験したわけで、ゴミ箱というセーフティーネットがあるとしても、やはり懸念を絶無にすることはできない。
であるから、オンラインストレージこそが至高というわけではないし、たとえばサイズが大きい動画を保存するのであれば、外付けハードディスクかMicroSDの方が適しているかもしれない。
あと、WordやExcelが衰退する可能性についてであるが、SNSで繋がってない相手にはメールという貧弱なサービスを使わねばならず、PDFの扱いづらさ、もしくはファイルサイズが大きいものをメールに添付出来ないという問題があり、他人に見せるためにはプリントアウトするしかないこともある。
耳学問で生半可な愚見を述べるのは好ましくないが、世界最終大戦に白黒つけるわけではないし、むしろ卑近な現代システムについてなぜこうなっているのか、という思考の遊戯であるから雑然たる文章を書くのもいいであろうし、正解はわからんが、ポイントカードの跋扈を憂いている人間も少なくないはずなので、試し刷りのように書き綴ることにする。五万円の品物に五万五千円という値札を付けて、5000ポイント還元とか、昭和の時代の人間なら飛び跳ねて歓喜しただろうが、価格を比較できる昨今だとポイントが上乗せされているだけという実態に気づくわけだ。それでも家電量販店は盛時の勢いを失いながらも、まだまだ成り立っている。そしてポイントカード文化はペストのような悪疫となっており、レジの人からなにか言われるとポイントカードのことだと思うから「持ってません」「いりません」と反射的に答えてしまい、コミュニケーションに齟齬をきたすこともある。先日、たまたま税理士の先生と雑談をする機会があり、ほんの短い時間を埋めるために家電量販店のポイントは経費としてどういう扱いになるのかと、なんとなく尋ねてみた。税理士の先生いわく、会社の経費で買うとしたら、ポイントは自分のものにしても大丈夫らしい。5000ポイントは五千円と等価ではないし、その店でしか使えない縛りがあり、ポイントにポイントは付かないので、明らかに五千円より価値は低いが、とはいえ、金銭的な価値があるのも確かであるが、なぜか税務署はあまり厳しくないようである。むしろ会社の方が厳しく、経費を使うときには会社のポイントカードを使うことしか認めない、ということもあるようだ。そもそもポイントを含めたら明らかに割高なのだから、そうやすやすと家電量販店で社員に買い物させるとも思えない。そうやってお話を伺いつつ、ポイントを貯めるという阿呆なシステムが世の中から消えないのは、会社の経費で購入して、ポイントは個人のカードに入れる人がずいぶんいる、とも思ったわけである。家電量販店だけの問題ではないし、あちこちで会社の経費を使って、ポイントを自分のカードに付けている人がずいぶんたくさんいるのだろう。正解か不正解か知らないが、どちらでも構わない。
最近の本はずいぶん電子書籍化されているが、昔の本が電子書籍化されるのがとても少ないという問題があり、これが解決に向かうどころか自炊代行屋が金持ち作家に訴えられるなど、唾棄するべき陋習が跋扈する世情に業を煮やし、それであれば自ら紙の書物を電子書籍化しようと思いたち、ScanSnap ix500を買ったので、漠たる感想でも書いておく。実売四万円くらいであるし、やや躊躇していたのだが、実際に買ってみると、もっと早く買っておかなかったことが悔やまれる。裁断したものを重ねて入れるだけで正確無比に粛々とスキャンできるので驚いている。わたしが気になっているのは、画質でエクセレント(最高画質)は勿体なく、スーパーファインで十分と書いている人が多いことである。もしかするとコミックなら大差がないのかもしれない。それにエクセレントだとファイルサイズも大きめになるから表示するのに一秒くらい時間を要するし、次から次へと瞬間的にページを捲るのに向いていない。たとえば何かしら大量の帳簿のような書類を読み込むとなると、全体をざっと見る必要もあるだろうから、スーパーファインにするしかない。スキャンするのもエクセレントだと時間がかかるので、速さが求められるならスーパーファインになるだろう。わたしはほとんど活字本をスキャンしているのでそれについて言うなら、エクセレントとスーパーファインでは歴然たる違いがある。エクセレントだと書体の輪郭をまったく損なわず、たとえば茶褐色になっているような汚らしい岩波文庫を白黒で読み取ると、白い背景に凛として浮き上がる黒い活字の麗しさに驚く。わたしが電子書籍を読むのに使っているのはiPad Pro(12.9インチ)であるが、2,732 x 2,048のRetinaディスプレイで拡大して見ても、あの豆粒のような活字は美しい、というより、大きな画像にしてみてはじめて塵埃に塗れていた美しさに気づいて見惚れるわけである。これが映像だと話は違うわけで、昔の粗い映像を最近の高画質のディスプレイに映しても元々の粗さはどうにもならない。活字は本質的に微細まで美しいので、解像度の高さにどこまでも追いついてくる。活字が鮮明だと眼精疲労も少ないように思える。判読可能であるのが可読性というのなら、エクセレントもスーパーファインも変わりあるまいが、やはりスーパーファインだと僅かに活字の輪郭が甘いので目が疲れる。わたしはまだScanSnapを使い始めたばかりであるから、総合的な総括をする段階ではないが、古い本の活字は本物であり、そのまま拡大しても粗がなく、とても美しい。全体をザッと読むのには向かないというのは前述したとおりだが、活字を精読するならエクセレントにするべきであろう。
昭和というのは時代そのものが戦争であり、あれに比べたら最近の若者のマナーのよさに驚くのだが、これが親子連れとなると、だいたい父親の態度が悪い。先程もスターバックスに行ったらわたしより少し前に親子連れが入って、父親と娘という組み合わせだったが、スターバックスの構造としてよくあることで、列に並ばずにショーケースに並んだケーキを見たりしていたわけである。わたしは真っ直ぐレジに並んだのだが、しばらくして親子連れが私より前に注文する気満々でやってきたのでわたしは譲ったのである。それだけであり、ここでどちらに優先権があるのか目を三角にして論じる話でもなかろうが、最近の若者だったら(店内に先に入ったとはいえレジに並ばずにあちこち見ていたので)遠慮するというか、このところこういう体験を繰り返している。礼儀正しい若者から気を遣われてこちらが恐縮することはたくさんあるのだが、なぜか父親が子どもを連れていると図々しい。これが母親と子どもだけだとずいぶん周りに気を遣っているから、やはり父親が子どもを連れていると図々しいのである。二十歳かそこらの若者はマナーがよく、三十代くらいの若い父親が図々しいという具合だから世代の違いもあるし、昭和から平成に切り替わったのは1989年だが、90年代前半は景気回復を予想する論調も強かった。怪物のように膨れ上がった不良債権が、まだその野卑な欲望を手放すまいと悶絶していたのである。その多士済々たる旦那衆を世界から退場させる作業は重苦しいものであり、大立者の醜い素顔が梟首台に並ぶ光景に安堵するよりは、彼らの虚像の写し絵のような大不況がわれわれに降り掛かってきたのだから、名誉も栄光も英雄譚もなく、内戦の窮民のような苦役を体験したのである。足るを知るという知恵なのか欲望そのものを小さくして草食化したのは21世紀からであろう。30代だと昭和の空気を吸っている、もしくは昭和の断末魔の血腥い残り香に毒されながら育ったと言える。先程の親子連れも娘の分(ストロベリーのフラペチーノ)だけ注文して一緒に席に座るわけでもなく父親がウロウロしていたのだが、普段は普通であろうし、障害者ということはない。母親はママ友同士で神経を擦り減らしているのに対して、父親は傍若無人で偉そうというか、しかし、これが気になっているという話を聞かないので、わたしの感覚がおかしいのだろう。
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