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耳学問で生半可な愚見を述べるのは好ましくないが、世界最終大戦に白黒つけるわけではないし、むしろ卑近な現代システムについてなぜこうなっているのか、という思考の遊戯であるから雑然たる文章を書くのもいいであろうし、正解はわからんが、ポイントカードの跋扈を憂いている人間も少なくないはずなので、試し刷りのように書き綴ることにする。五万円の品物に五万五千円という値札を付けて、5000ポイント還元とか、昭和の時代の人間なら飛び跳ねて歓喜しただろうが、価格を比較できる昨今だとポイントが上乗せされているだけという実態に気づくわけだ。それでも家電量販店は盛時の勢いを失いながらも、まだまだ成り立っている。そしてポイントカード文化はペストのような悪疫となっており、レジの人からなにか言われるとポイントカードのことだと思うから「持ってません」「いりません」と反射的に答えてしまい、コミュニケーションに齟齬をきたすこともある。先日、たまたま税理士の先生と雑談をする機会があり、ほんの短い時間を埋めるために家電量販店のポイントは経費としてどういう扱いになるのかと、なんとなく尋ねてみた。税理士の先生いわく、会社の経費で買うとしたら、ポイントは自分のものにしても大丈夫らしい。5000ポイントは五千円と等価ではないし、その店でしか使えない縛りがあり、ポイントにポイントは付かないので、明らかに五千円より価値は低いが、とはいえ、金銭的な価値があるのも確かであるが、なぜか税務署はあまり厳しくないようである。むしろ会社の方が厳しく、経費を使うときには会社のポイントカードを使うことしか認めない、ということもあるようだ。そもそもポイントを含めたら明らかに割高なのだから、そうやすやすと家電量販店で社員に買い物させるとも思えない。そうやってお話を伺いつつ、ポイントを貯めるという阿呆なシステムが世の中から消えないのは、会社の経費で購入して、ポイントは個人のカードに入れる人がずいぶんいる、とも思ったわけである。家電量販店だけの問題ではないし、あちこちで会社の経費を使って、ポイントを自分のカードに付けている人がずいぶんたくさんいるのだろう。正解か不正解か知らないが、どちらでも構わない。
最近の本はずいぶん電子書籍化されているが、昔の本が電子書籍化されるのがとても少ないという問題があり、これが解決に向かうどころか自炊代行屋が金持ち作家に訴えられるなど、唾棄するべき陋習が跋扈する世情に業を煮やし、それであれば自ら紙の書物を電子書籍化しようと思いたち、ScanSnap ix500を買ったので、漠たる感想でも書いておく。実売四万円くらいであるし、やや躊躇していたのだが、実際に買ってみると、もっと早く買っておかなかったことが悔やまれる。裁断したものを重ねて入れるだけで正確無比に粛々とスキャンできるので驚いている。わたしが気になっているのは、画質でエクセレント(最高画質)は勿体なく、スーパーファインで十分と書いている人が多いことである。もしかするとコミックなら大差がないのかもしれない。それにエクセレントだとファイルサイズも大きめになるから表示するのに一秒くらい時間を要するし、次から次へと瞬間的にページを捲るのに向いていない。たとえば何かしら大量の帳簿のような書類を読み込むとなると、全体をざっと見る必要もあるだろうから、スーパーファインにするしかない。スキャンするのもエクセレントだと時間がかかるので、速さが求められるならスーパーファインになるだろう。わたしはほとんど活字本をスキャンしているのでそれについて言うなら、エクセレントとスーパーファインでは歴然たる違いがある。エクセレントだと書体の輪郭をまったく損なわず、たとえば茶褐色になっているような汚らしい岩波文庫を白黒で読み取ると、白い背景に凛として浮き上がる黒い活字の麗しさに驚く。わたしが電子書籍を読むのに使っているのはiPad Pro(12.9インチ)であるが、2,732 x 2,048のRetinaディスプレイで拡大して見ても、あの豆粒のような活字は美しい、というより、大きな画像にしてみてはじめて塵埃に塗れていた美しさに気づいて見惚れるわけである。これが映像だと話は違うわけで、昔の粗い映像を最近の高画質のディスプレイに映しても元々の粗さはどうにもならない。活字は本質的に微細まで美しいので、解像度の高さにどこまでも追いついてくる。活字が鮮明だと眼精疲労も少ないように思える。判読可能であるのが可読性というのなら、エクセレントもスーパーファインも変わりあるまいが、やはりスーパーファインだと僅かに活字の輪郭が甘いので目が疲れる。わたしはまだScanSnapを使い始めたばかりであるから、総合的な総括をする段階ではないが、古い本の活字は本物であり、そのまま拡大しても粗がなく、とても美しい。全体をザッと読むのには向かないというのは前述したとおりだが、活字を精読するならエクセレントにするべきであろう。
昭和というのは時代そのものが戦争であり、あれに比べたら最近の若者のマナーのよさに驚くのだが、これが親子連れとなると、だいたい父親の態度が悪い。先程もスターバックスに行ったらわたしより少し前に親子連れが入って、父親と娘という組み合わせだったが、スターバックスの構造としてよくあることで、列に並ばずにショーケースに並んだケーキを見たりしていたわけである。わたしは真っ直ぐレジに並んだのだが、しばらくして親子連れが私より前に注文する気満々でやってきたのでわたしは譲ったのである。それだけであり、ここでどちらに優先権があるのか目を三角にして論じる話でもなかろうが、最近の若者だったら(店内に先に入ったとはいえレジに並ばずにあちこち見ていたので)遠慮するというか、このところこういう体験を繰り返している。礼儀正しい若者から気を遣われてこちらが恐縮することはたくさんあるのだが、なぜか父親が子どもを連れていると図々しい。これが母親と子どもだけだとずいぶん周りに気を遣っているから、やはり父親が子どもを連れていると図々しいのである。二十歳かそこらの若者はマナーがよく、三十代くらいの若い父親が図々しいという具合だから世代の違いもあるし、昭和から平成に切り替わったのは1989年だが、90年代前半は景気回復を予想する論調も強かった。怪物のように膨れ上がった不良債権が、まだその野卑な欲望を手放すまいと悶絶していたのである。その多士済々たる旦那衆を世界から退場させる作業は重苦しいものであり、大立者の醜い素顔が梟首台に並ぶ光景に安堵するよりは、彼らの虚像の写し絵のような大不況がわれわれに降り掛かってきたのだから、名誉も栄光も英雄譚もなく、内戦の窮民のような苦役を体験したのである。足るを知るという知恵なのか欲望そのものを小さくして草食化したのは21世紀からであろう。30代だと昭和の空気を吸っている、もしくは昭和の断末魔の血腥い残り香に毒されながら育ったと言える。先程の親子連れも娘の分(ストロベリーのフラペチーノ)だけ注文して一緒に席に座るわけでもなく父親がウロウロしていたのだが、普段は普通であろうし、障害者ということはない。母親はママ友同士で神経を擦り減らしているのに対して、父親は傍若無人で偉そうというか、しかし、これが気になっているという話を聞かないので、わたしの感覚がおかしいのだろう。
2018.04.09

耳で演奏する

わたしは音楽教育などまったく受けてないのだが、それがゆえに耳の問題が気になる。エレキギターを弾いていて、とりあえず運指が追いつかないことはあまりないが、耳が追いつかないのは普通である。もちろんTAB譜というものもあるから、それを見ながら弾けばいいのだが、しっくりこないことも多々ある。そもそもTAB譜で完全に再現出来てないこともよくあるから、そのとおりに弾けば正解というわけでもない。印象的なフレーズであれば聞き取りに問題はないし、わたしは運指は苦にしてないのでだいたいすぐに弾けるのだが、そういう明確なメロディーがあるとは限らないわけで、スケール音を鳴らしているようなアドリブ感があると耳が追いつかない。ここで再三「耳」と書いているのは当然ながら聴力ではなく、音楽を聴き取る能力のことなのだが、幼少期から訓練されていると理解が早いのであろうし、また教則本を書くのはそういう人だから、耳が追いつかないという問題は看過されている。

厳密には一秒前でも完全な過去であり、われわれはあくまで短期記憶で幅のある現在を体験している。五分の音楽を聴くとして、その音は絶え間なく過去に葬り去られているのだが、そうやって薨じた音色も脳の短期記憶で保持しているので、五分間通して聴いたということになる。短期記憶でつないで現在進行型として体験しているから音楽はあるわけだ。この手の記憶力に関してだが、やはり理解力の問題もあろうし、ソーシャルスキルに長けていても、難しい話はチンプンカンプンということもあるだろう。音楽の理解は難易度が高いので、短期記憶よりは音楽の理解力の方が重要であろう。

たとえばピアノ曲を聴くとして、ほとんどの人は主旋律を理解できる。だが、演奏者は主旋律の音だけ鳴らしているわけではなく、むしろそれ以外の音がたくさん鳴っているわけだが、これを本当の意味で聴き取るなら音楽教育が必須であろう。ピアノを弾けない人がピアノ曲を聴いて、理解できなくてもなんとなく凄いのがわかるということはあるし、感動できることも普通にあるのだが、これを自分で弾くとなると、また別の話である。

小さい頃に音楽教育を受けていないギターヒーローなんぞたくさんいるから、耳のよさという感性の問題もあるのだろう。ピアノは右手と左手でまったく違うのを弾いたりするから難度が高いが、ギターの運指はそれより単純なので、適性があれば後天的にマスターするのも難しくない。音楽理論を学べという話もあるだろうが、やはり根本的な耳のよさが肝心なのだろうと思う。
この間とある大企業(有名だが一流半くらいの上場企業)の人と口論になった。後難を避けるため仔細までは述べないし、故意に曖昧な記述をして輪郭をぼかすことにするから作り話も同然である。なお、普段からの力関係はない。その大企業の迷惑行為が法令に違反しており、こちらの権利を侵害しているので、わたしが文句を言っただけである。具体的には書かないが、悪質さの程度を喩えるなら駐車禁止のところにいつも車を停めてる程度のことである。出てきたひとたちは如何にも平凡で正常という具合で、オフィスに出社して勤務している形態だから、おそらく正社員である。そして半笑いしながら「その法律は知らない」と白々しいことを言うのである。誰でも知ってるようなことだから、大企業の正社員が知らないわけはないのだが、「知らなかった」と言うのが仕事なのであろう。ともかくわたしが目を三角にして非常に強く言ってその迷惑行為をやめていただいた。それ以降は、これまで延々と続いていた迷惑行為が完全に止まった。注意をしたのはわたしが最初ではないはずなので、本来なら誰かから感謝されてもよさそうだが、まったくそれはないし、迷惑行為がなくなって晴れやかな蒼天が広がったというよりは、むしろ殺伐とした暗雲が立ち込め、その暗澹たる影に覆われた生臭い犯行現場で実況見分をしているというか、こちらが忌むべき大罪人になったような胸クソ悪さである。おそらく世の中には黙認されていることも多々あるのだが、問題の件はその枠ではない。たぶん他でもトラブルになってる。とはいえ重大な犯罪やスキャンダルでもないし、裁判で争うほどの大袈裟な問題ではないから、権利侵害や法令違反を承知で強引にやっているのであろう。ああやって普段から他人にビンボールを投げている連中も家に帰ればいいお父さんなのだろうし、「その法律は知らない」と言い張るのも精神病の妄想ではないから癲狂院とは生涯無縁である。人権団体などが出てくると大企業は平身低頭するが、やはり普段は法令違反でトラブルを起こしているのだし、この白々しさこそが正常世界だと思ったわけである。グレーゾーンあってこその世界ではあるのだろうし、清濁併せ呑むことも必要なのだろうが、やはり世間的に認められているグレーゾーンと、認められていないグレーゾーンがあり、今回の迷惑行為がどちらであるかは、ここでわたしが主観的に述べても意味はなかろうが、あの連中が引き下がっていったのは「その法律は知らない」というのが虚言だからであろう。彼らも普段はすごいしっかりしているはずで、接客などではずいぶん好人物なのだろうが、違法駐車のような行為を繰り返して注意されたら人を小馬鹿にしたような半笑いで返すわけで、これこそが正常人なのである。法人という御神体を刑務所に入れるわけにもいかず、あの腐った連中にしても御家庭では、水戸黄門を守る助さん格さんということかもしれない。悪党に使嗾されるのも使命であろう。命令される美学の実態。忠実なるすべての軍人は賞賛に値するというイデオロギー装置。
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