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この本は極めて面白い。細木数子は水商売の家庭に生まれ、そのまま銀座のママとして、戦後の混乱期にポン引きのような真似をしていたらしい。暴力団組員と結婚はしてないが、ずっと内縁関係にあった。暴力団の情婦という立場だったと思われるが、店の金を持ち逃げされたとかで、若い衆に指を詰めさせたこともあったという。恋人の手形を裏書きしたことで億単位の借金を背負わされた島倉千代子を守るという格好で1977年から三年間に渡り後見人となり、一緒に生活しながら興行権を握って食い物にした話が面白い。また高名な漢学者である安岡正篤が八十五歳でボケているときに結婚したエピソードもなかなか強力である。細木数子の占いは付け焼き刃であり、ただの無学なおばさんだが、商才というか、人たらしの才能があったのだろう。細木数子がテレビから消えたのは溝口敦に追及されたからだと思われる。これを連載していた講談社は名誉毀損で訴えられたが、訴訟は時間稼ぎであり、最終的には細木数子が訴えを取り下げたという。この本が隅から隅まで正しいわけでもなかろうし、たとえば借金トラブルを抱えた島倉千代子から巨額のピンハネをしたと記述されているが、そもそも正確な金額はわからない。溝口敦は七億五千万円と推定しており、島倉千代子が細木数子と縁を切ってコロンビア・レコードに移籍する際に細木数子は二億円を得たとされる。この合計九億五千万円という推定が事実と一致するかどうかは不明であるし、このくらいの札束が動くのが裏社会の相場とも言える。やはり人間は不安を抱えた生き物であり、特に借金取りが押しかけてくるとか、その個人としては世界恐慌である。島倉千代子の不安に付け込んだとも言えるが、悪辣な債権者への対応は細木数子もしくは内縁関係の暴力団組員がしたわけだし、細木数子がいなければ乗り切れなかった可能性だってあるわけだ。この本の後半に出てくる墓石販売についてはよくわからない。霊感商法だとして溝口敦は厳しい批判を加えている。いろんな意味で他人の不安が飯の種なのだろう。臆病者を見ると勇敢になれる心理もあろうし、細木数子は不安な人間たちを見透かし、そこに食い込んで悪魔的な図太さで生きてきた。戦後は高度経済成長と同時に、ヤクザが派手なヤクザの格好をして平気で歩いていた時代だった。ソビエト連邦も健在であったし、軍艦マーチを奏でる右翼の街宣車は日常的な風景であった。現在よりギラギラしていた粗暴な時代背景であり、コンプライアンスの概念も乏しかったから、裏社会の魑魅魍魎が表側とも関わりを持っていた。細木数子はそういうダーティな部類の人間の典型だったのだ。そもそもそういう旧悪がボロボロ出てきたのは、細木数子が銀座のママの頃の武勇伝を自伝に書いていたからであるし、さほど秘密にしていなかったからである。溝口敦も自伝を手懸かりに取材しているが、細木数子も過去の自伝出版を悔いたか、あるいは時代の変化に慄然としたか、ともかく昭和の黒歴史の痕跡を残していたことがコンプライアンス社会において致命的となり、テレビから消える羽目になった。たとえばビートたけしなどはフライデー襲撃事件からテレビ復帰したときに街宣攻撃を仕掛けられ、手打ちとして右翼の関係者とお友達になったはずだが、これはタブーであるし、そもそも事実が不鮮明である。たけしは未だに支障なくテレビ出演しているのである。たけしは右翼に取り憑かれた被害者であるから、細木数子と同一視はできないが、そのような黒い取引が必要な時代だったのである。問題の自伝である「女の履歴書」は1988年に出版されているが、バブル経済の狂宴というべき時期である。昭和天皇が崩御したのは1989年の一月七日であるが、まさに昭和の裏社会が清算される手前であった。細木数子は戦後の混乱期の愚連隊がそのまま生きているというか、暴力が野放しになっていた昭和の裏面史を体現している人物でもあるが、暴力性が容認されていた昭和の最後に武勇伝を書き綴り、視聴率女王として悪目立ちしてから、その昭和時代に綴ったメモワールが照魔鏡として魔女の素顔を映し出し、21世紀のコンプライアンスにより追い詰められることになった。昭和という時代を一言で言い表すなら暴力ということかもしれないし、時効という弁明も可能であろう。だが、ヤクザの世界に浸かりすぎて足を洗うことなど出来なかったと思われる。われわれは寸毫たりとも真相は知らない一般人であるから、本当の真偽は不明だが、深く考えても仕方あるまい。おそらく大雑把には事実に近いのであろうし、細木数子はヤクザの女として暴力団関係者と接点が深い人生を歩んできたのである。仔細に渡って真実ばかりではないにしても、溝口敦は暴力団関係者にも取材して書いてるし、そこで得た話が事実とも限らないが、かなりの力作と評して差し支えあるまい。
最近だと医者はずいぶん患者に対して丁寧である。
訴訟にならないようにかなり慎重になっているわけだ。

一昔前だと、患者は医者の機嫌を損ねるのを非常に畏れていた。
医者が手術をわざと失敗するのではないかとか、そういう恐怖があったのである。

今日ではそんなことは絶対あり得ないし、故意に医療ミスをする医者などいるはずがない。
そもそも昔だって、故意の医療ミスなど無かったと思うし、そんなのをガチで実行する医者がいたとは思えないのだが、実行されないとしても、手抜きくらいはするという恐れはあった。
医療ミスは医者の切り札であり、それこそ合法的に人を殺せる職業とも言えるから、患者は医者のご機嫌を取るのに必死であった。

割り箸が脳に刺さった子どもの事例とか、アホらしくて仕方がないわけだが、こんなことでも責任問題となるのはひとつの健全さなのである。
今日のわれわれは、故意の医療ミスや手抜きを懸念することはまずないし、医者の態度が悪ければ謝罪させるだけである。
これもやはり故意の医療ミスで医者が報復してくることは絶対にないという安心感の賜である。
なんとなく口が寂しくてペットボトルに手を伸ばしてしまうことがある。
大きいサイズの方が割安であるから、2リットルのスポーツドリンクがいつも傍らに置いてあるようなことにもなる。
糖分の取りすぎが健康に悪いのは言うまでもない。

これを解消するために、わたしは日本茶を飲んでいる。
日本茶をたくさん飲めばいいという話ではないが、「なんとなく」という時は日本茶で充分であるし、ジュースを飲む量は確実に減らせる。

キッチンがあり魔法瓶が置いてあるなら、それをそのまま使えばいい。
自室に置くために買うとしたら、魔法瓶は買わない方がいい。
日本は地震が多い国であるから、やはり足元に置きたいのである。
もちろん、魔法瓶を置くべきちょうどいい場所が自室にあるなら魔法瓶でもいいが、やはり足元に置けるタイプの方が無難である。
パソコンの隣に魔法瓶を置いておくのは美観として良くないし、地震が無くても何かのはずみで倒して落下させてしまいそうだ。


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アマゾンだとこれが人気があるのだが(わたしは買ってないが)注ぎ口が表に出ていると、どうも床に置きづらい。
倒れた場合にこぼれない設計になっているらしいが、無造作に床に転がしておくわけにはいかないであろう。

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わたしが使っているのはこういう感じのボトルであるが、こういう水筒のような感じだと密閉されているから、床に無造作に置いておける。
床に置くのが素晴らしいと言っているのではなく、地震の時に落下したり不注意で倒してしまうことを危惧しているわけである。

容量は1リットルから2リットルくらいがいいと思うが、まあ人それぞれであろう。
1リットルだとちょっと少ない気がするので、1.5リットルくらいが妥当であるかもしれない。
価格はだいたい3000円くらいが目安らしい。

あと、こういうのは保冷専用のこともあるので、保温にも対応しているかどうか気をつけなくてはならない。

これにお湯だけ入れておいて、あとは急須で日本茶を入れたり、まあ日本茶でなくてもいいが、ともかく糖分がないお茶を飲むわけである。
どうしてもジュースが飲みたいという時はともかく、「なんとなく」という理由でジュースをたくさん飲むのは望ましくない。
こういう3000円くらいのボトルを買ってお湯を入れておけば、ジュース代も節約出来るから、結果としては安く付く。
更新月は桜井翔のせいというキャンペーンをやる。
この類のキャンペーンに論理の飛躍が必要であるのは北一輝先生を見ればよくわかる。
それに「飛躍」と言っても、桜井翔の父親は総務省の事務次官なのだから、こいつを諸悪の根源と考えて差し支えあるまい。
桜井という守銭奴のせいで二年ごとに買い換えるのが強制されている。
二年経ったらいつでも買い換えられるとするのが自然であるはずなのに、更新月を逃したらまた二年とか、これは桜井親子が悪い。

実のところわたしはもう格安のガラケーに戻してるし、ガラケーとタブレットという使い方にしているから、更新月の問題に関して「日本改造法案大綱」を書くだけの気力がないのだが、問題は、虐げられた民衆である諸君らが社会を改造したいと思うかである。
本当に桜井翔のせいだろ。
総務省の事務次官ならやめさせられるんだよ。
桜井が天下りさえ断念すれば、更新月、つまり事実上の二年ごとの買い換えはやめさせられる。
桜井が金ほしさに続けてるんだよ。

前述したように、わたし自身が格安ガラケーに戻してしまったので、iPhoneの高額さをバッシングする気力がないのだが、とはいえ、これから桜井親子への恨みを高めていくつもりである。
二年経ったらいつでも解約できるというなら、おまえらも端末を三年くらいは使うだろう。
三年くらいは端末を使わせろということだよ。
それこそ端末の調子が良くて不具合がなければ四年くらいは使えるよ。

現状の制度だと、念のために買い換えるという馬鹿なことをしなければならない。
どこも悪くないのに病院で検査して医療費がかさむようなことを、桜井翔の父親は黙認してるんだよ。
すべては天下りのためだ。
桜井の親父は天下りでそんなに稼ぎたいのかよ。
どうりでジャニー喜田川に自分の息子のアナルを差し出したわけだよ。

一応はわたしの安物ガラケーでも更新月あるし、買い換えが強制(買い換えなければ二年待ち)であるから、わたしも怒りのボルテージを高めていこうと思うし、大日本帝国の憂国者として、桜井親子を許すまいという感情を強めていくつもりである。
温厚さが重んじられる世情であるし、怒り狂うだけで疎んじられる時代ではあるが、それでは天皇大権は守れまいし、すべての内憂外患を等閑に付しているうちに、この帝国が売国奴に簒奪されても不思議ではないのだ。
怒り狂わないことのコストは極めて大きい。
あのiPhoneという端末の馬鹿みたいに高い金額はおまえらが黙っているせいなんだよ。
もあは鉄球付きの鎖を引き摺りながら同じ芸事を繰り返す苦界に厭いていた。脳裏ではさくら学院への望郷詩が綴られるばかり。胎内に回帰するかのように、この血腥い穢土とはまったく別の、煌めく理想と思想が天人の奏楽のように鳴り響いていた。それは生きるための道標や啓示ではあるまいし、おそらく死を手前にした理想世界の幻視であった。もあはこの見せ物小屋から脱出することを決意した。万死に値する行為ではあるが、どっちみち余命は限られていた。

よろよろと歩きながらもあが辿り着いたのは武藤の部屋であった。
「そろそろ見せ物小屋の峭刻たる重労働でわたしの命も尽きようとしています。それで彩未ちゃんに最後のお願いに来ました。さくら学院はラブライブであるというわたしの思想を引き継いで欲しいのです」
「そんなくだらんことは現役のさくら学院生徒に頼めばいいだろう」
「さくら学院もKOBAMETALに乗っ取られていて、わたしの言うことなんて誰も聞かないです。だから彩未ちゃんに頼むしかないのです。吉田松陰は言いました。身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂。さくら学院は松下村塾のようなものです。もあが死んでも、さくら学院の魂だけはここに置いていきたいのです」
もあは武藤の肩に手をかけようとしたが、武藤はそれを冷徹に払いのけた。
「なぜこの武藤がそんなことをやらなければならないのだ」
「彩未ちゃんはラブライブに似合いすぎているのです。ラブライブで生徒会長役をやっている南條愛乃さんを見てください。彩未ちゃんとそっくりでほとんど区別が付かないです」
武藤も少しは興味を惹かれたようで、もあが差し出した写真を眺めた。
「確かにおそろしいくらいに似ているが、外見がそっくりというだけで、この武藤がそんなことをする理由はない。高級ホテルでディナーショーを行い、セレブの一員として生活するこの武藤がなぜアイドルの真似事をしなければならないのだ」
「アイドルのためのさくら学院じゃないですか」
「この武藤はもうオタを切った。かつての聖子ちゃんと同じだよ。もうショービジネスの世界に生きるセレブなんだ。セレブリティーの夢を体現するのが武藤彩未だ。その南條愛乃とやらの真似事はさくらの後輩にやらせろ」
「あの後輩はもうさくら学院じゃないです。わたしの遺訓を引き継ぐ連中ではない」
「だいたいこの南條というのは人気があるのか」
「グーグルのデータだとだいだい松田聖子さんの半分くらいは人気があります」
「この武藤にそんな雑魚の真似事をさせようというのか」
「ああ、でも彩未ちゃんにこそやって欲しいんです。ラブライブはさくら学院です。彩未ちゃんがやらないと意味がないんです」
「この武藤はもはやさくら学院ではない。松田聖子ちゃんをさらに巨大にしたビッグビジネスがもう始動しているんだ」
「松田聖子さんとさくら学院のどちらが大事なんですか」
「聖子ちゃんに決まっているだろう。さくら学院の友情は演技であり嘘デタラメだ」
もあは玄関からたたき出された。
BABYMETALという泥土の永久機関の中で血痰にまみれながら、ただ一度だけ天空に煌めくラブライブに触れたいと夢見ていた。菊地最愛にとっての紅天女という言うべきラブライブを、自分が出来ないなら盟友の武藤にやってもらいたい一心でここまでやってきたが、さくら学院で仮初めに育んだ友誼は虚妄だったらしく、どうやら世界も人間もすべてが様変わりしていたようだ。何度も思い描いた金色燦爛たる世界は少女の前に扉を開くことなく終わりを告げたのである。斯くの如き仕打ちはまったく予想してなかっただけに、その時間の経過という痛みは耐え難く、完全に心が折れた。それからしばらくして、もあは場末の救貧院で息を引き取った。見せ物小屋の重労働で身も心も疲れ果てていたのであり、誰もが憐れまずにはいられなかったが、せめてその少女の暗澹たる苦しみの刻印を拭い去るように色摺りの紅を引いて死化粧がほどこされた。もあの棺にはラブライブのDVDと南條愛乃のCDが入れられた。それは見せ物小屋で生涯を終えた少女が、煌めくステージで演じるはずのものであった。その夢が潰えたのであり、こうやって世界は色合いを失いモノクロームの断片に堕していくのである。武藤はラスベガスで豪遊していたので葬式には来なかった。
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