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わたしが今から人気女優とセックスできるとする。
この場合、ずっと前から憧れている方がその喜びは大きいに違いない。
事前に憧れてなくても、魅力的な女性とセックスする喜びが妨げられるわけではないが、ずっと思い焦がれている方が、喜びが深いのも確かであろう。

だから、われわれの自我は、あらかじめ憧れておこうという準備作業に多くを割いている。
長年に渡り思い焦がれてなくても、セックスできれば嬉しいのは言うまでもないから、準備作業の必要などないのだが、やはり喜びを最大化したいので、対象が手に入る前から、香辛料を振りまいてしまう。

フロイトのFort-Daの話、つまり「いないいないばあ」は普遍的であるらしい。
初っ端から手に入るよりは、ひとまず自分を飢餓状態に置いて、対象への憧れを高めたほうが美味しいらしい。

憧れの準備作業をしなくても美人とセックスできたら嬉しいというのは前述したが、やはり「手に入らない状態」というスパイスを付けたがる人がいるようだ。
飢え乾いた空腹でオアシスを発見したいらしい。
これが時として反復強迫の病気となる。
見当違いの準備作業を繰り返す人生になってしまう。

世の中、諦めて普通に生きている人だってたくさんいるし、放っておけば誰でも棺桶に入るのだから、わざわざ飢え乾いて救世主を渇望するくらいに莫迦げた妄念はなかろうが、救世主に取り憑かれた人に、自らの頭に描いた王道楽土は消したほうがいいと説明しても、まったく聞き入れない。
ひょんなことから千年王国が訪れて桃源郷になるかもしれないのに、喜ぶ準備を最大にしなければ感激できない、というのである。
食べる前から空の食器に香辛料を振りまいて、肝心なメインディッシュがガッカリだったらどうするのか、と問うても聞く耳を持たない。
通俗的な理解として言えば、われわれが他人を怖がるのは殺されるのを恐れるからである。
もちろんこれは間違いではない。
刑務所に入りかねないチンピラを怖がるのは当然であり、これについては論を俟たない。
たとえば関東連合に絡まれたら平謝りしておかないと、本当に殺されるケースだってあるわけだ。

だが、そういう犯罪的な事例だけに焦点を絞ると、怖い人の本質を見誤る。
また喧嘩の強さ弱さに着目しても見誤る。
喧嘩ということで言えば、泣いて許しを請う子どもがたくさんいるが、そうでない子どもが時たまいて、それが怖い人なのである。
懐柔することなど決して出来ないような目の据わり方とか、他者への蔑みの強さなど、これがわれわれには畏怖なのである。
教師から観ても、そういう子どもは怖いから尊重されるし、すぐに泣いて命乞いする子どもは馬鹿にされる。

やはり「怖さ」について考える場合に、生命の危機に矮小化するのは問題を見誤る。
こちらが生命の危機を感じているというよりは、相手が生命の危機を感じてないことがポイントである。
腕力がある方が強いという単純な話ではないし、命乞いした方が負けなのである。
学校での喧嘩で、命乞いしなかったから殺された子どもがいるかというとほとんどいないはずだから、命乞いが生命維持のための欲求という通俗的な理解はかなり疑問がある。
たいていの人は物事を総花的に飾り、言葉を丸めて、全体的なバランスを取る。実際のところ、この暗澹たる灰色の世情において、物事はAともBとも言い難く、どちらも一長一短あるケースの方が普通であるから、保身のためだけでなく、それなりに社会全体の損益分岐点を探りつつ、バランスを取って中間くらいのことを言っておくわけである。ニーチェは社会学者ではないし、それはいいことだが、あくまで哲学者もしくは文学者であるから、均衡点に擦り合わせるべく言葉を丸めることはない。ニーチェは24歳で大学教授になったはいいが、25歳で普仏戦争に志願した時に健康を損ねて、それが癒えることなく死ぬまで病に煩わされる境涯となった。この病という拷問器具に締め付けられ、神経毒に蝕まれることによって、病者の光学を発見したのである。健康な身体で社会に馴染むという人間らしさが欠損しているからこそ、厭世主義を強者の論理で克服する自己啓発的な夢想を繰り返した。この病者の光学において、人権などは顧慮されない。たとえばニーチェは貴族主義を礼賛する。これもひとつのレトリックである。ニーチェは奴隷根性を憎んでいるから、それを貴族礼賛として表現しているのである。奴隷に甘んじることへの嫌悪が根底にあるのだから、奴隷に応援歌を送るような記述も可能であるはずだが、間違ってもそんなことはしないし、露悪的な差別主義者として奴隷を徹底的に叩き潰し、人間の本質を暴露していく。どうせ発狂して心神喪失になるのだから社会的立場に配慮して右顧左眄する必要などない。CMタレントではないし文化人でもないから、一切丸めないし、奴隷への反感は徹底して尖らせている。「ツァラトゥストラ」の途中から自費出版であるから、筆禍事件の懸念がないのでなんでもありだし、どれだけ筆が滑っても差支えないので、表現を丸めはしない。物事は極端に表現してみることで、曖昧さが縹渺として広がる世界の裏側の生々しさを露わにすることもある。そしてニーチェの貴賤の感覚からすると、貴族の家に生まれたから貴族という話ではないから、自分こそが超人だと誤読することは可能であり、ボーンアゲインとして新たな自分を揮毫することも可能であるし、仮象をこの世界に真実として描けるのである。なんにせよ、読み手の側が好意的に解釈しているから、ニーチェはかなり広く受け入れられている。奴隷や弱者を糾弾する露悪的文章が、あえてヒールを演じている人類愛として読まれている側面もある。そこまで計算しているわけではあるまいが、そういうトリックスターとしての位置を確立してるからこそ、哲学書など読まない人でもなんとなく知っていたりするのである。
実のところ、われわれは親から教えられるというよりは、親の代弁をする他人からとやかく言われることがずいぶんあるのだ。
なぜ赤の他人が親に仮装して文句を垂れるのか、至って不可解と言うしかない。

この不可解さを紐解くなら、とりあえず実親から「他人様の言うことを聴け」と言われているからであろうし、他所様に迷惑を掛けるなとか、そういう物言いで他人への隷従を強いられている。
赤の他人はわれわれの親から委任状を受け取っており、親の代弁をするのは親が認めている。
他人様と明示的に社会契約しているはずがないし、書面に記しているはずはないのだが、なんとなくそうなっているのだろう。

おそらく人類は古今東西そうなっている。
赤の他人との結節点がせいぜい親くらいしかないからであろう。
そこらのオッサンを父親だと錯覚し、そこらのおばさんを母親だと錯覚し、人類は生きてきたのである。

ここには当然ながらヒエラルキーが組み込まれている。
運動部の先輩が後輩をリンチ出来るのも、やはり先輩は面倒を見る立場であり「親同然」だからである。
扶養してくれるわけでもない先輩が「親同然」とかわけがわからないが、世の中はそういう錯視に満ちている。

親がなんとなく「他人様の言うことを聴け」と委任している変な状態には終止符が打たれなければならない。
われわれはそこら辺のオッサンを赤の他人と看破することを覚え始めており、彼らに父親面などさせないようになってるが、おそらくこれは人類の成長である。
すべての係累は絶たれなければならない。
赤の他人は赤の他人であり、親の仮面を被って現れるのを認めてはならない。
不思議な事だが、拒絶と執着は同じである。絶対にやらない、のと、絶対にやめない、のは同一の心理である。何かに執着して365日不眠不休でやり続けるのと、何かを拒否して365日寝ているのは同じなのである。これは自閉性の問題に他ならないので、発達障害と括って終わりにするのは容易いが、とはいえ、「やる」と「やらない」が同一である不可思議さは、人間普遍のものである。われわれは他者から隔絶されているので、人間誰しも自閉性があるが、おそらく常識人と言われる人は軽症であるから、柔軟に調整するのがうまいのであろうし、力の入れ方が適切なのである。頑固だと言われる人はこの調整ができない。自閉状態に陥った人間にとっては、何もやらないのと、取り憑かれたようにやり続けるのが同一なのである。熱中するのは何もやってないのと同じというと如何にも奇妙であろうし、たまたま有意義なことにリソースを割いていれば、「何もやってない」などとは言えまいが、しかし、熱中と拒絶は似ているし、まったく見当違いのことに熱中していて、「何もやってない」のと変わりがないことも多々ある。ここで補助線を引くなら資本や労働や賃金の話になるであろうし、その埒外にあるものは社会化されていないので、すべては非生産的=無であるという論理を導き出すのも可能である。他人から頼まれておらず、自ら自分の時間を使うということになると、熱中と拒絶が似通ってくる。では、本当に価値ある活動とはなんだろうかというと、これは究極的には難しすぎる問題、もしくは素朴な価値判断としては当たり前過ぎる話なので、論を広げるのは差し控えておいた方がいいであろう。とりあえず他人から頼まれたことをやるのが無難だという常識的な結論は出せるし、拒絶と執着は同じと冒頭に書いたことについては、自分で考えた独りよがりなことは、やってもやらなくても同じだと言い得るが、それだけのことである。
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