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「きっと何者にもなれないおまえたち」の代表である有村悠さん。
まだ32歳なのに、163センチ75キロの体型だそうです。

いや、30過ぎれば、太るのは時間の問題なのですかね。
普通の人よりメタボが早く来た程度でしょうか。

これから成人病とか白髪の増加とか更年期障害とか、いろいろ出てくるんでしょう。
かつて東京大学に現役合格した頭脳も、中退したし、あんまり知的分野で使ってないから衰える一方です。
人の人生は短いけど、こういう状態になると、老いて死ぬまで長い。
詰んだ状態から完全に壊死させるまでに、50年とか掛けるなんて残酷だよ。

この後は、有村さんにベストセラーでも出してもらって、「きっと何者にもなれない」時代の代弁者になって欲しいという思いもあれば、このまま「きっと何者にもなれない」状態を老衰するまでツイートし続けるのも、それはそれとして楽しみです。
弱いのに負けず嫌いって、馬鹿だよなというエントリーを書いたら、

>serio 本当の意味での温厚さは、強くないと実現できないことのようにも思う。


というコメントが付いたんだけど、このブログはJ-POPの歌詞は目指してないんですよ。
弱くても普通に生きていける。
その方が事実です。
強さを求める方が脆弱。
ともかく、オンリーワンとか、そういう単語をこのブログでは積極的に否定してるので。
僕がJ-POP的なメッセージを発信することはないですよ(笑)。

J-POPで「凡人が一番無難だよ」とか唄ってもウケないんで、オンリーワンとか言った方がいいのかもしれないし、<強さ>も同じ話で、その曲を聴いている間、自分の中で戦意高揚出来ればいいのだろう。
J-POP自体を否定してるわけではなくて、その一時的で内的な戦意高揚のメッセージを現実に当て嵌めることに疑問を呈しているだけなんです。
自己実現のための軍歌として消費している人が多いから、J-POPはテンプレ化するんだよ。

J-POPに限らず、文化全般で<強さ>が好きすぎる。
たとえば碇シンジ的な女々しさというのは、強くなりたいという願望から生まれるんです。
普通に弱さを認めていれば、ああいうパーソナリティにはならないです。
オンリーワンでないといけないとか、強くないといけないとか、主人公でないといけないとか、エヴァに乗らないといけないとか、そうやってハードル上げるから、苦しくなるんですよ。
これ書くの控えてたんだけど、書いてしまおう。
ヘッドラインはアボセンスの大きな原因になる。

「ヘッドライン」って説明の必要ないよね?
まとめブログにはほぼ例外なくある。
相互先の最新記事のタイトルがずらずら並んでいる。
「RSS」ということもありますね。

ともかくヘッドラインに入れているサイトが過激なタイトルとか使ってると、アダルトへのリンクだとか言われちゃうんだよね。
うちがヘッドライン外したのもグーグルから警告が来たからです。
72時間以内に修正しないとアボるとか。
最初はイミフだったんだけど、ヘッドラインの過激な文字が引っ掛かったんだなと理解して外しました。
アダルトへのリンクなんて全然なかったんだけど、タイトルだけで判断されるみたい。
確かにエロいタイトルで釣るサイトはあるんだよね。

こうやって書くと、通報厨を生んでしまうので、どうかと思ったんだけど、まとめブロガーの間ではこの問題は知られているようなので、書いてしまいます。

それにしてもグーグルは柔軟性の無い会社というか、機械的ですね。
リンク先が記事タイトルにエロい言葉使ってるだけでアボるんだから、困ったものですよ。
アニメとか見ていて嫌なのは「強くなければならない」というメッセージが繰り返されることだ。
そりゃあマッチョが主人公のハリウッド映画ならわかりますよ。
そうじゃないんです。
アニメのもやしみたいな登場人物に「強くなれ」と呼び掛ける場面を、僕は1000回くらい見たぞ。
多すぎるんだよ、この反復強迫が。

実際に現実の他人見てれば、弱くても温厚な性格なら大丈夫なんです。
弱いのに負けず嫌いで<強くなければならない>と思っている奴は人間サンドバッグだよ。

これも生まれつきの問題で、弱くても温厚な性格で地味にやれるのは才能なのかもしれない。
弱いのに負けず嫌いという戦略ミスは、本人が抱え込んでしまった反復強迫。
もしくは男らしさの観念だよね。

強くなろうとするよりは、自分が弱いの認めちゃった方が楽だよ。
「俺に勝ってもポイントにならないよ。弱いから」という緩い雰囲気は出せる。

いじめられっ子はオーラを発してるというが、弱いクセして強くならねばと思ってるオーラなのだろうと、僕は思っている。
温厚に生きていきましょうではメッセージにはならない。
というか、そういうのって、あずまんが大王の系譜だよね。
あずまんが大王って実は女子の話じゃなくて、温厚な弱い男子のグループを描いたものなんじゃないかな。
現実に可能な楽園ですよ。
オタク系のサークルって、運動できないジャイアンみたいなのが入ってこなければ、温厚な人たちだけでハートフルな関係作れるでしょ。
全部が成立してるわけではないが、成立可能で、少なからずのオタクが実践していることです。

アニメに話し戻すと、あずまんが系の作品なら「温厚にやりましょう」って言えるのに、シリアスなストーリーになると「強くなれ」だからなあ。
フィクションのメッセージはフィクションの作劇効果を狙ったものであって、現実的なアドバイスを意図したものではないが、そう誤解する向きも多いので。
かつてアルファブロガーの代表的存在だった真性引き篭もりって、末期の頃にブログサービスの都合で移転したことがあって、その時グーグルリーダーでいきなり3000人くらいの購読者がいました。
これは呻るしかなかった。
登録したままで死んでる数字ではなく、アクティブな数字として2000とか3000軽く出せるんだなと感心したものです。

しかし、その後、真性引き篭もりは消えました。
たぶん鬱病の類でしょう。

そして最近復活したんですが、グーグルリーダーの登録者数見ると400程度なんだよね。
切込隊長が2万人だから、かなり少ない。
経歴詐称でも何でもして版図を拡大した者が勝つということでしょうかね。

時々真性引き篭もりは全盛期を超えるようなエントリーを書く。
だから本人だと思って間違いない。
ただ、全体的には不調だよね。
これは腕が落ちたんじゃなくて、噛みつく相手の不在。
中堅あたりに噛みついてアクセス伸ばすっていう、真性引き篭もりお得意の作戦が使えない時代なんです。
個人ブログ冬の時代であり、文化圏自体が衰退してるから、当たり屋みたいなことやろうとしても車が走ってないんだよ。

真性引き篭もりは、単なる当たり屋ではない。
アスペルガーの当たり屋だ。
凡人で正常である僕らは、バランスよく世界を見ているので、あちこち省略している。
この省略している部分を詳らかに見ているのがアスペルガーだ。
真性引き篭もりのエントリーが独特なのは、僕ら凡人の<省略された世界>ではなくて、<本当の世界>を隅々まで見ていることの強みなのです。
僕らの視覚ではオミットしている部分も真性引き篭もりは略さず見ているから、その視点を武器に、この世界の本当の姿を告発することが出来るのです。

……ということを中堅ブログが書くと、真性引き篭もりがドカーンとぶつかってくるのだが、僕の零細ブログのアクセスの少なさを見てしまうと来ないでしょうね。
ukdataの矛盾やukdataの欺瞞を告発しても、誰も興味がないからね。
そういう計算は出来る人間なんですよ。
考察のエントリーを書くほどに、このブログのアクセスが減っている気がするのだが、まあいいんです。
今は魔球を開発している。
フォアボール量産でホームラン打たれたり間抜けなことになっているのは間違いない。
大量失点で毎日が締めくくられる。
泥だらけの重い足でタコ部屋に帰るんだ。
しかし、これは大手ブログへ返り咲くためのザ・ロング・アンド・ワインディングロードなんです。
考察エントリーを書くことから建て直していかないと、ukdataはブロガーとして生まれずに死んでいく。
サバイブするために苦いプロセスを実行中というところです。
今回のエントリーも糞なんだけど、苦しみつつ、こういうエントリーを書き連ねていきたいという、ukdataの意志なんです。

さて、僕らが支配者に逆らえないのは、本当に逆らったらまずいというのがある。
その一方、恐れすぎ、優しすぎというのがあると思う。
支配者は僕らの優しさを食らいつくすモンスターなんです。
こっちが優しいから負けるんだよ。
最近よく書くけど、支配者は父親のお面をかぶってるんだよ。
父親面です。
僕らはそれに弱い。
その面子を守ってあげようとする。
しかし、その相手は本当に父親なのかと冷静に問うだけの冷めた性格があれば大丈夫なんです。
おまえに飯を食わして貰ったわけじゃないと喝破すればいいだけです。
<負い目>の問題は、人間のパーソナリティーのかなり根深い部分にあるから、一筋縄ではいかない。
でも世界史は革命で進んできたんだよ。

これで終わりです。
60点付けるのも難しい出来映えなんだけど、今は臆することなく量を出したいんです。
ようやく身体が温まってきたところです。
https://twitter.com/#!/faridyu/status/181184265512435712
faridyujin.jpg

「ダルは王様のつもりかよ」(ゲンダイネット) - livedoor スポーツ

まあ元はゲンダイネットの記事なんだけどさ。

ダルがオレ的を引用し笑ってますよ。
オレ的ゲーム速報も存在が大きくなったんですかね。

ダルとjinさんはイケメンという共通点があるので仲良くして欲しいです。
はちま問題が拡散しない大きな理由として、結論から書くと、嫌儲板の話を迂闊に取り上げられないからですよ。
だって「転載禁止」なわけでしょ。
”引用”なら許されるはずだと思うんだけど、彼らのすべてがそれを理解してるとも思えない。
引用も迂闊に出来ないよね。
どこまでの範囲なら引用なのか、という難題もある。

はちま問題に関しては、けんもう速報さんという秀逸なブログがあったんだけど、短期間で終わっております。
情熱だけでやれる期間は短いのです。

現在、アフィも広告もなく、未来永劫貼らないという人なら、嫌儲板の転載出来るだろうけど、将来まで含めて考えると面倒ですよね。
取り上げないのが無難という結論になりますよ。
前述した「けんもう速報」さんみたいな嫌儲板に特化したスタイルはありうるけど、そんなにアクセス集まらないと思うし、どっかで放棄してしまうんだよね。

大手はたいていアフィや広告が貼ってある。
そういうところではちま問題取り上げたいところもあると思うんです。
でも「転載禁止」のルールに抵触して攻撃されても面倒だから取り上げないんですよ。

僕としても代案があるわけではなく、嫌儲板は(板の客層と問題のマッチング的に)はちま問題扱うのに適切な板ではあると思うんだけど。
嫌儲板でやってる限り、一般のブログでは転載禁止が恐くて取り上げられないなあと。

はちまなんか全然恐くないよ。
清水鉄平・清水仁志親子は全然恐くない。
清水鉄平についてはいくらでも書いてやる。
でも嫌儲板の引用はしたくないんだよね。。。。
ファンタジーは夢とか天国を描いたものではなくて、その対極の要素も含んでおり、陰影が濃いものである。緞帳が降りる黒檀の色の深さに惑溺するものでもあるのだ。愛や夢が咲き乱れる薔薇園で花壇に埋もれ甘い匂いに酔いしれ、優しく降り注ぐ陽射しに包まれた世界を描こうという幻想もあれば、世界の片隅のさらに隅っこで目を眇めて鬼哭啾々と暗澹たる空を見上げ、その全面的で終末的な崩落を願ったり、もしくは救済を祈願するような自己陶酔もある。リアルワールドで脇役が似合う人物にとっての、世界の座り心地のよさ、あるいは、座り心地の悪さというテーマ。それをアニメは表現しているのだ。「あずまんが大王」の系統の作品なら、生きてる世界の座り心地のよさを(非現実的に)楽しく表現する方向性になるだろう。「エヴァンゲリオン」の系統の作品なら、生きている世界の座り心地の悪さを(リアルに)表現する方向性になる。座り心地の悪い疎外感から話を進めていくのは、アニメ以外でも王道ではあるけれど、アニメでは特に極端に多用される。少年漫画は(アニメと比べると)感傷的な疎外感に訴えることが少なくて、戦って勝ち取るという形式が多い。もちろんアニメの疎外された主人公達だって戦う。「コードギアス」のルルーシュだって、「ガンダム00」の刹那だって戦うわけだ。だが、これらの作品はアニメ独特のセンチメンタルな感性が強調される。僕らは生まれた時に処女雪のようにピュアな世界を持っていたはずだ。それが地平線の果てまでどす黒い血に染まってしまったという怨恨である。夢見ていた世界とはズレてしまったという慚愧の念、そして燎原の火のごとく広がるルサンチマンである。少年漫画なら、主人公は結構アホで、もう少しあっけらかんと戦い勝つだろう。アニメで疎外感の描写が多いのは、視聴者にナイーブな人が多いからだ。愉快な作品だと善人ばかりになるのも、そういうことかもしれない。アニメを見る視聴者層は、現実世界で脇役タイプだ。そういう視聴者の共感性が得られるように、アニメは作られる。現実の学校だと運動部の連中がクラスの中心かもしれないが、アニメに運動部は出て来ないのが普通である。漫画原作を除くと、主人公が運動部員というアニメはかなり少ない。DQNがクラスを仕切ることがあるが、ヤンキー漫画的な要素がアニメに持ち込まれることは少ない。運動部員やDQNがアニメに出て来ないのは、意識無意識は別として視聴者をマーケティングした結果である。僕らアニメ視聴者は、疎外感に葛藤を抱きながら、世界と和解する作品を楽しんだり、もしくは疎外感そのものを体現した主人公に感情移入したり、そんなのが好きなんだ。そう言えば、ラノベのヒロインが「変わり者」であることが多いのも、疎外のテーマと関連づけて語ることが出来る。ハヤテのヒナギクのような人気者がヒロインになることは少なくて、疎外とのシンクロ率が高い子がメインヒロインを張る。エヴァ以降で言うと、「イリヤの空」なんかは、そういう世界観を完璧に表現した作品だった。最近は変わり者のヒロインがテンプレ化し過ぎて、僕らの肺腑の奥底にある疎外感とはシンクロ率が弱いと感じる。文化が飽和しすぎて器用な書き手が増えてしまったのかもしれない。
>kagurakanon テキストサイト時代からソーシャルメディア全盛へ移行する際の過渡期の徒花みたいな賞でしたね。


アルファブロガーアワードの終了について書いたら、はてブで面白いコメントをいただいたので、ちょっと書いてみたい。
アルファブロガーアワードは最近まで続けて、ようやく最終回を迎えたわけですが、途中からはかなり無理がありました。
死語になってるのに賞だけ続いたんだよね。

アルファブロガーという言葉が台頭してきた頃、それはテキストサイトの最終進化というか、Web2.0時代のテキストサイトということだった。
ブログが浸透する前、HTMLでシコシコ書いてFTPでアップしていた時代があったわけです。
2002年に東大の人がブログの啓蒙活動をしようとして、「mesh抜きでは日本におけるblog草創期を語れない」という発言で、多くの人がヒステリー反応を起こす出来事がありました。
この当時、僕は海外のサイトをよく見てましたので、ブログの存在は知ってましたし、抵抗感ありませんでした。
meshの炎上にも静観の立場を取りました。
とはいえ、他の人たちは、ブログに拒絶反応を示してました。
CGIで書くようなWeb日記のシステムは普通にあったから、ブログはそれと変わらないという認識だったんでしょう。

実際はブログはSEOの革命だった。
なにしろ、2003年-2004年あたりだと、nofollowがないから、トラバで宣伝するのが有効だったし、そもそもブログというだけでSEOには強かった。
もちろん今では誰でもブログやってるから、今さらSEO効果なんてないんだけど、2003-2004あたりはかなりあったはずです。
「チャンス」だったんだよね。
やはり波に乗りやすい時期というのはあるもので、「痛いニュース」を今からやっても大手にはなれない。
そういう運不運は必ずあるんだよ。
人間の人生は短いんで、波が来るまで10年20年と待機するわけにはいかない。
時代にうまく乗っかれる運の良さも必要なことです。

さて、そういうわけでmeshの人がボコボコにされたのとは裏腹に、ブログ全盛期になりました。
そして最初の頃だと、何といっても切込隊長ですよね。
経歴詐称がバレてない時期だから、日本を代表するブロガー的な位置にありました。
この後、真性引き篭もりみたいなのも続いてきて、(テキストサイトの延長としての)アルファブロガー全盛という勢いでした。
しかし、切込隊長の経歴詐称がバレて、失望が広がった。
オピニオンリーダー的な幻想を切込隊長が体現してたんだけど、その象徴の崩壊です。
中心になるサイトが沈没すると、他も巻き添えになるので、繋がりのあるようなブログはおとなしくなりました。
ただし切込隊長はしぶとく更新を続けたので、今でもグーグルリーダーで2万人の読者がいる。
継続は大事なんですね。

そしてソーシャルの時代ですよ。
切込隊長の件もそうだけど、一個人がすごいオピニオンを持っているという幻想は壊れた。
オピニオンは集団で共有するものであるというソーシャル的な発想が広がります。
まとめブログがその最たるものでしょうね。
すごい一個人が特別な意見を持つというのではなく、ソーシャル的にどの意見が覇権を握るかという問題になります。
切込隊長の経歴詐称バレが直接の切っ掛けとはいえ、どっかで、オピニオンリーダーからソーシャルメディアへの移行はなされたんでしょう。
アルファブロガーの一人だった真性引き篭もりが最近更新再開してるけど、グーグルリーダーで400人程度という寂しい限りです。
時代はソーシャルソーシャルソーシャルであって、一個人の優れた意見とか誰も求めてないんですね。
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