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かつてテキストサイト文化というものがあった。自虐的な文章に人気があったわけである。今日ではそういうサイトは見る影もない。はてな村が衰退したのもその一環である。鶏が先か卵が先かという話だが、ともかくはてなが衰退し、その一方でリアルでアルファっぽいひとが持ち上げられるようになった。切込隊長がなぜか生き残ったのもそういう流れである。リアルでアルファが求められたと言っても、本当の勝ち組はネットに活路など求めない。津田大介より知的でイケメンな勝ち組は世の中にたくさんいるが、そういうひとは有料メルマガなど出さない。igiにしても偉そうなことを言ってるわりには経歴が怪しいし、たぶんフリーライターかなにかだろう。基本的に最近のアルファはフリーライターの生き残り戦略だ。負け組が街に溢れている世の中は自虐的なテキストなど求めない。リアルで勝ち組っぽいポーズをフリーライターが気取れば知能指数が低い信者が鈴なりのようについて来る。今はネットが最もつまらない時期である。ワイアードの夢が絶たれた後、津田大介がリアルの成功者の頂点として君臨している状態だ。これも長くは続かないだろう。津田、切込隊長、igi、家入一真あたりは数年後には見る影もなくなってると思う。


わたしのような聖者にとってお金はなんの価値もないのでロンブーや家入一真はゴミだと考えていた夜、こんなツイートを目にした。類は友を呼ぶというが、ゴミはゴミ同士でくっつくらしい。そのうち西村博之や津田大介も合流するに違いない。おまえらのように知能指数が低いゴミが諸手を挙げて支持するだろう。わたしはそういう喧騒から離れていたいものだ。
季節が過ぎ去るのは早いもので、そろそろ2013年である。たとえば真性引き篭もりはもう10年目ということになる。たしか半年くらい消えていた時期があったが、それでも10年近くやっているわけだ。アルファブロガーとしての巨大アクセスを背景に他人のサイトをやり玉にあげて次々と不幸にさせて、それで10年続いたのだからかなり凄いと思う。
真性引き篭もりの最大の強みは味方がいないことである。これはかなり強い。鉄壁なのである。味方がいると真性引き篭もりみたいなサイトを10年も続けられない。最初は味方として真性に近づいて、その後アクセスを貰ったら真性を馬鹿にし始めるようなやつが必ず出てくる。こういう裏切りのリスクがないだけでも、真性引き篭もりが孤立主義を貫いたことは戦略的に正しかった。全盛期の真性引き篭もりはアルファブロガーとしてあちこち攻撃していたわりにはネットwatch板にスレが立たなかったと思う。スレくらい立ったかもしれないが、書き込みはほとんど無かっただろう。だいたいネットwatch板に書くのは結構な部分が「味方」だと思われる。味方の顔をしているやつが名無しさんとしてスレを立てて攻撃したりするのだ。真性引き篭もりは味方が0なので、味方が名無しさんとして中傷するというリスクを回避出来た。
ただ、真性引き篭もりが半年くらい消えていた間にアクセスが激減して元に戻っている様子がない。これは味方がいないことのデメリットだった。アクセス互助会の中に参加していれば、真性引き篭もりさんが復活しましたよ、とあちこちで取り上げて貰って、華々しい再起が出来ただろう。孤立主義でしばらく消えてしまうと、他人から忘れ去られ、そこで終わりである。結局われわれの巡回コースなんて決まっていて、同じサイトを毎日見たりするから、その習慣の巡回リストから長期抜けてしまうのは致命的なダメージだ。惰性で見ている人がかなり多いわけで、その層は完全に消える。
ともかくそういうことなので、わたしも味方は0にする。現状0だが、これからも完膚無きまでに0にする。今までわたしに味方の顔をして近づいてきた人は結構いたが、基本的には面白がっているのだ。ワイドショーのレポーターがゴミ屋敷の変人にインタビューしにくるような感覚でわたしに近づいてくるのである。だから簡単に裏切る。たとえば第三者によってわたしが攻撃されることがあればその第三者に同調して「ワラタ」とかほざいたりするのである。もしくはサイト運営にたくさんの口出しをしてわたしをノイローゼにしてくれたりする。津田大介みたいな凡人なら、凡人が類友として集まってくるのであり、凡夫の愚衆が仲良しこよし出来るのだろうが、他人から面白がられるタイプの人間は迂闊に味方を作ってはいけないのである。機会があれば必ず裏切ると考えてよい。
かなり前のことであるがわたしが大学生だった頃、同じ大学の連中と飲み会のようなものがあった。わたし以外はリア充とまでいかなくても少なくともおたくではなかったし大学生活を楽しんで、その後は氷河期でも一流企業に入って行った連中である。わたしはその席でいきなり宮台真司がむかつくと話し始めた。そしたら10秒もしないうちに大笑いが起こった。勢い込んでいきなり喋り出したわたしの様子がおかしかったのかもしれない。そのあとは何事もなかったかのように彼らは別の話題で盛り上がっていた。
この時のことをあとから考えて、わりとリア充っぽい学生には失笑されるようなことだと思ったわけである。彼らは宮台真司の名前くらいは知っていただろうが、誰も宮台に怒ってはいなかった。
わたしはまだエヴァの新作映画見てないし、最近はその分野の関心も低下しているから、あちこちで行われている議論を斜め読みしただけなのだが、ひとは劣等感を刺激されると語りたくなる生き物なのだという印象を抱いた。劣等感は人間のとてもデリケートな問題であり、そういう内面の生々しい部分の問題だ。
見てない映画について語るのは避けたいので話を変えるが、フラクタルが失敗したのは劣等感を刺激するお話ではなかったからだ。あれはただ単にヒロインは処女というお約束を破壊しただけであり、見ていたおたくは白けただけだった。普通のNTRの話にしていれば、まだ百倍は楽しめたに違いない。少なくともヤマカンがおたくを攻撃したいなら、清純な少女に憧れているおたくを嗤う巧妙な話にするべきだった。おたくの劣等感を煽るなんて赤子の手を捻るようなものだから、そんなに難しくはない。
話を戻すが宮台真司の思想とやらははしにも棒にも掛からないレベルである。世間的には学者様だが、学者の中では二軍だ。なぜそれがあれだけのインフルエンスをもっていたのかといえば、劣等感を煽るのが天才だったからだ。学者の中では二軍クラスでも宮台は上祐に匹敵する会話能力があるし、そういう部分では秀でている。冒頭のエピソードで言えば、劣等感のない男子には無縁の問題だが、そうでない人間は煽られる。そしてそれが思想と呼ばれていたのだ。もっとも劣等感を煽る言説を垂れ流すことが出来たのはネットがなかったからで、ネットが普及するほどに宮台は消えていった。現状のネットはみんな(おまえら全員)が非リア充というお約束で馴れ合うことになった。
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