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これはメモ書き程度のエントリーであり、最近目にしたいくつかの事象から得た印象を記すだけなのだが、たとえば新しいゲームがリリースされるとして2ちゃんねるにスレが立つ。そしてしばらくするとwikiの乱立が始まる。なぜかといえば、たぶん広告を貼りたいのだと思う。もちろんwikiにはその運営元の広告が貼られているが、それに加えて自分の広告を貼りまくることも可能だ。wikiの管理人になっておくだけで不労所得が得られ、なおかつ透明な存在だから批判もされない。自分で頑張って文章を書いていると多方面からバッシングを受けるが、他人のふんどしで相撲を取るのは自由らしい。まとめブログ全盛期と言われるが、今度はコピペさえせずにwikiの管理人になるだけというところまで進化したのだから、おまえら馬鹿どもが作り上げたインターネットは最高の出来映えになったと言える。


十年くらい前を振り返ると、あの当時からヤフージャパンが巨大ポータルサイトであり、あの頃と勢力図は変わってないのだが、掲示板の使いづらさも変わってないようである。ヤフー掲示板がまともなら、西村博之のようなゴミが億万長者になることもなかった。ヤフーか使いづらいから止むを得ずに西村博之の掲示板を使っていたわけだ。あとヤフーは2ちゃんねるよりさらに知能指数が低そうなところが興味深い。知能指数80くらいのユーザーがゴロゴロいる。ヤフーはいままでまともな掲示板を作ったことがないので、今度もダメだろう。アプリを作る能力はあるだろうから、それ次第ではあるが、現状では使う気になれない。
ブロガーとしてアクセスを集めるにはリスクを負わなくてはならない。新しいものが出たらすぐに試すことである。初期版なんてバグだらけかもしれないし、関連アプリが対応してないし、有料なら高い。悪いことだらけだ。それでもアーリーアダプターとして乗り込まなければエントリーなど書けないのである。今さらのこのことレイトマジョリティーとしてiOS6にするのは消費者としては正しい判断だが、ブロガーとしては完全な誤りなのである。最初に試して不具合に遭遇しようとも、それがネタになるならいいのである。安定してきてからそれについて記事を書いたとしてどこの誰が読むのだろう。Appbankとか見てれば、あんまり頭がよくなくても先乗りすることで世界を制することが出来るのだとよくわかる。ひとより先にトライしてたくさん更新する。それだけなのだ。
2ちゃんまとめブログのエクソダスが起きる!? ニコニコが無料ブログプランを発表 : Kotaku JAPAN

詳細はよくわからないが、ドワンゴがライブドアの真似を始めるらしい、という話。
西村博之がFC2にいちゃもんを付けていたのもこの一貫だろう。
移転すると過去の被リンクを失うことになるが、すでに大手のところは大移動すると思われる。

ライブドアがまとめブログにアドセンスを又貸ししている行為自体は、グーグルが認めていると思われる。それを西村が真似しようと考えるのは億単位の金を踏み倒すゴミクズとして自然な思考。たぶんドワンゴとグーグルの間で話が付いたからこういうプロジェクトが動き出したのだろう、と思う。

これでライブドアからドワンゴにまとめブログが大移動するとなると、ライブドアはもはや何の会社なのか意味不明になる。韓国の親会社はかなり儲かってるからいいけど、ライブドア自体は何もないという。
有村悠さんがまた殺してやると連投ツイートし、それを消した。この世の中における生存適者とは他人に嫌がらせが出来る人である。他人の足を引っ張れる能力が高い人間が上に上がれる。殺してやるとわめき散らすのは要は他人に嫌がらせをする能力が低いからである。のび太のような発達障害者と言われる有村悠さんは他人をさらりと不愉快にするのがとても苦手だ。だから、警察に捕まりそうな危険な発言をするしかないのである。自分から殺意を表明するのは所詮は馬鹿なのである。他人に殺意をおぼえさせるのが強者であり、子孫を残すのだ。法律は何のために作られたか。弱者を守るために法律を作った? アホなことを言うのもいい加減にしろ。殺意を抱かせるような人間が支配者だからである。殺意を持たれやすいタイプの人間が支配者になり、自分が殺されないように法を作った。それだけである。こういう世の中なのだから、出来るだけ合法的に他人を不愉快にしよう。われわれは合法的に他人を不愉快にすればいい。そして有村悠さんは滅びるのだ。
ゆとりとはルサンチマンの勝利である。そして勝利できてしまうことが知的生命体としての悲劇であった。人間を動物として見た場合、知性はズレを作り出す諸悪の根源である。知性によって外界に溶け込めるのではなく、知性が育つほどに自閉的なズレが生じてくる。ただ単に楽しく生きるだけなら知性は無用なのである。そういう知性の低さという悦楽を選んだのがゆとりである。これは完全勝利なのだ。美人にブスと言っても美しさは減らないが、知性は否定されると価値が減る。知性は動物には荷が重い能力なので、これがないほうが楽しいのである。知性がなくてもコミュニケーションスキルがあれば動物には十分だ。知性が発達するとひとは自閉的になり外界との調和が失われるが、コミュニケーションスキルはハーモニーを奏でる。ロンブーの番組だって楽しく見られる。たとえばアスペルガー症候群は視野が狭い。決して視覚障害があるのではない。視覚が正常でも外界が見えていないのがアスペルガーなのである。ポーの盗まれた手紙の話ではないが、目に入っていても見えないことはあるのだ。アスペルガー症候群は仮に知的に優れていても外界との架け橋がないのである。知能が低くても、外界がちゃんと見えていれば問題はない。人生を享楽できる。このご時世において知性の高さを持つのは茨の道である。知性が高いと障害と言われかねない状況になっている。おまえらのように最初からロンブー並の知能しかない人間には最高の世の中になった。今までなんの取り柄も無かったのに知能指数が低いという取り柄ができてよかったじゃないか。
おまえらはメディアを通した詐欺に簡単に騙される。おまえらが陪審員となり過去の判例を次々と覆していくのだから、おそろしい世の中になったものである。おまえらがヴァーチャル陪審員をやっていたのが本村洋という詐欺師の妻子が殺された事件だった。この人間のクズは再婚して子供もいるという事実を隠して世界一不幸な男を演じていたわけである。妻子を殺されたが再婚して別の妻子がいるという事実を公にしてしまうと少年の死刑を求める世論喚起が出来ないので隠し通していたわけだ。この裁判は通常なら死刑にならない人間を死刑にしたのだから、殺人と言って差し支えがない。死刑判決が出るまで再婚を隠し通していた本村洋と、それを報道しなかったメディアは殺人者である。こういう実例を作ってしまったわけだから、おまえらが陪審員として参加する裁判など、もはや単なるショーでしかない。被害者なら世の中を騙しても許されるというのは本村洋が証明したので、これからのいろんな事件の被害者は同情を惹くためにいくらでも嘘をつくだろうし、そしてそれは戦法として容認されるだろう。本村洋を詐欺師と呼んでいるのは世界でわたししかいないようなので、おまえらはこれからも被害者の嘘に騙されて死刑判決をたくさん出せばいい。
はるかぜはホームラン級のブサイクである。仮に美少女ならツイッターは絶対にやっていない。リアルで行き詰まっているひとがネットに活路を見出そうとするのは自由だし、津田大介もフリーライターから文化人に昇格したわけで結構なことだ。だがああいうのがスタンダードだと思われては困る。ネットは使い捨ての梯子ではない。津田大介やはるかぜはネットを自己宣伝のチラシとして使っているだけだ。そしてその成功例を見て、山師のような連中がネットの上層部を占拠している。端的に言えばマスメディアで最下層の「著名人」がネットに降臨してアルファ気取りしているのが多過ぎる。われわれのようにネット文化を楽しもうとしている人間としては、このようなネットの扱いを拒絶しなければならない。マスメディアの最下層をレスキューする場所じゃないんだよ。テレビで売れてないブサイクな子役をちやほやするのもいい加減にしろ。津田やはるかぜの信者はネットをテレビの格下扱いしている。ネットはブサイクな子役を飼うマイナーリーグではない。ブサイクな芸能人に箔を付けるための装置ではない。おまえらがアルファアルファと持ち上げてる連中は津田とか井上トシユキみたいなポジションを目指しているのが関の山なのだ。一言で言えばB級文化人なんだよ。それがアルファの実態だ。そういう連中にコントロールされている現状を認識するべきである。
リアルとネットが融合する時代である。どいつもこいつもtsudaることを目指している。ネットをやることでリアルに接続したいと思っているのだ。われわれのようにネットはネットで楽しむという考えの人間は極めて少数派になった。昨今の風潮に加担しているのが家入一真である。彼自体は本当の金持ちのようだが、彼に近づいて来る人間は怪しいのが多い。リアルで食い詰めたからネットを足掛かりにステップアップしたいと考えている人間が家入を利用しようとする。家入自体は本当の金持ちなので、家入と親しいなら信頼できるという心理を利用したいようだ。彼は来るものを拒まない、というか、ネットを足場にリアルをどうにかしたいと考えている人間に優しいようである。まあひとがなにをやろうと自由だが、その目論見はよく認識しておきたいものだ。ネットを手段としか捉えない人間が跋扈し過ぎている。フリーライターから文化人への昇格に成功した津田大介がその象徴だが、ネットで文化を作り上げようという気はさらさらなく、なんとかしてリアルでの成功に繋げたいということなのだ。わたしはkanoseは嫌いだが、ああいう人間が影響力を持っていた時代のほうが、今よりはまだマシだった。状況は年々悪くなっている。もはやツイッターは津田大介の自己宣伝を読まされるだけの媒体になった。
人格障害とはなんぞやといえば、成功者にありがちな人格類型である。成功者特有のズレた感覚が人格障害である。もちろん成功者を人格障害と診断することはない。成功者でもないのに成功者のようなパーソナリティーを持っているのが人格障害なのである。たとえば負けず嫌いというのは人格障害と断じても差し支えないものである。負けず嫌いとは勝利のために合理的な手順を踏む思考ではない。負けても負けても向かっていくという感情的なものである。ハイスペックな人なら負けず嫌いでムキになってゴリ押ししてそのまま勝利を手にしたりする。実際社会的成功者はこういう類型のひとが少なくない。しかしロースペックなひとが負けず嫌いだと悲惨なことになる。負け戦にどんどん突撃していく。たとえば運動が苦手なら運動をしないのが凡庸な選択であり最適解だ。負けず嫌いだと運動音痴なのにムキになって挑戦し単なる噛ませ犬になったりする。天才と狂気は紙一重というが、人格障害という点において通底しているからである。なので成功者のやり方など決して模倣するべきではないのである。
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