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ゼノンの詭弁というのがある。
アキレスと亀は有名だろう。
wikipediaから引用すればこんな感じだ。

スタート後、アキレスが地点Aに達した時には、亀はアキレスがそこに達するまでの時間分だけ先に進んでいる(地点B)。アキレスが今度は地点Bに達したときには、亀はまたその時間分だけ先へ進む(地点C)。同様にアキレスが地点Cの時には、亀はさらにその先にいることになる。この考えはいくらでも続けることができ、結果、いつまでたってもアキレスは亀に追いつけない。


これは数学的に考えてしまうと解けないが、デカルト的に考えれば簡単に解ける。デカルトは物体は延長(三次元的な広がり)を持つと言った。物体は必ず面積を持つのである。アキレスと亀の位置を数学的な「点」として捉えると、決して重ならない。しかしデカルトが言うように物体は延長を持つ。だから同一線上を進んでいるアキレスと亀は、その「延長」の部分で接するのである。

要は数学の「点」には面積がないが、物体としてこの世界に存在するからには、必ず延長(面積)を持つのである。ゼノンの詭弁は、そこを突いているのである。

なお、「アキレスの延長部分」と「亀の延長部分」の追いかけっこだという反論があるかもしれない。アキレスの前方と亀の後方は接しないという考えである。これに関しても、線が面積を持たないという数学の考えに惑わされている。面積を持たない点とか、面積を持たない線とか、そういうのは数学的概念でしか無く、現実世界では延長(面積)を持つので、そこで重なるだけの話である。アキレスも亀も、数学的な線ではなく、デカルト的な延長を持った輪郭があるのだ。
アマゾンで本を買うと中身がわからないので、時たまゴミのような本に巡り会ってしまうことがある。

天才を考察する: 「生まれか育ちか」論の嘘と本当 [単行本]デイヴィッド シェンク

2500円もするが、かなりのゴミだった。誰でもアインシュタインになれる、と明言しているわけでもないが、そう言いたげな記述が多数見られる本である。(見たことはないが)代々木アニメーション学院のパンフレットみたいなノリである。

この本の何がまずいかというと、天才を超越的な存在と見なしてないことだ。あくまで相対的なものであり、努力で追いつけるという話である。そんなのはあり得ない。

たとえば東浩紀とハイデガーでは天と地ほどの差がある。東浩紀は単なる秀才である。勉強も努力もしただろうが、東浩紀とハイデガーでは、まったく次元が違うのだ。東浩紀がどう頑張ってもハイデガーにはなれない。この本はそういう「次元の違い」を否定しており、努力の延長で何でも出来るというノリである。東でなくても、たとえばハーバード大学のサンデル教授でもいい。ハイデガーに比べたらサンデル教授は完全なゴミである。天才というのは、それだけ桁外れの存在なのである。

この種の「誰でもアインシュタインになれる」という趣旨の本は一定の需要があるようだ。明らかなゴミとしか思えない本が出版されているということは、嘘で癒されたい人がいるのだろうと思う。実行不可能なことを可能だと強弁する自己啓発本はなぜか本屋の一角を根強く占めており、結構な人気があるのだ。ネットでレビューを見ても、この本を読んで勇気や感動をもらった馬鹿がいるようだ。(レビューが悪くないからわたしは買ってしまったのだ)。「誰でもアインシュタインになれる」という言説は、自己啓発としてとても根強いと思う次第。アインシュタインは知能指数が低い人のヒーローである。(アインシュタインはあくまで発達障害であり、低知能とは違うと思うが)。努力のモチベーションになるなら嘘でも構わないらしい。

結局のところ「不可能を可能にする」という物語性の問題だ。実際は不可能なのだが、それを可能だと信じることで感動する人もいるわけである。まともに反論することさえ、無意味な本と言えるかもしれない。
世の中の半数は知能指数100未満であり、おまえらは亀田兄弟とさして変わらない知能の持ち主として生きているわけだ。そういうおまえらが憎んだのが偏差値である。「偏差値が悪い!」と騒いだ。そして生まれたのがゆとり教育である。産業革命に抵抗したラッダイト運動と何ら変わりがない。グローバル社会で、有り余った単純労働者が何十億人と溢れかえる世界の中で、本来ならエリート主義こそ生存戦略であるにもかかわらず、発展途上国の労働者と大差ない馬鹿を増やしまくった。知性に対するルサンチマンで日本を焦土にしたのである。

ゆとり教育はあまりにも馬鹿を生みすぎるということでさすがに見直されたが、代わりに出てきたのが発達障害批判である。知能指数が低い人間は、注意力はしっかりしていることが多い。知性が低い方が現実が見えているのだ。

津田大介は視野が広い。視野が広い人間は、世界を平均的に了解している。平均的なひとはこう理解するのだろうなという、そういう理解の仕方で理解するのだ。津田は注意力が高く五感がしっかりしているので現実がよく見えているが、たいていこういう人間は現実しか見えていない。視野の広さや注意力の高さは、人間を現実にべったりと貼り付ける接着剤である。津田は現実べったりの人間なのだ。現実にまんべんなく張り付いて、それ以外の可能性の余地がない認識をしているのだ。

津田に向いているのは単純労働である。単純労働こそ、注意力を必要とする。空気を読んで目配りしなければならない。<言葉>で言われてはじめて周囲に気づくというのでは駄目なのだ。言葉で明確に言われないとわからないのが発達障害者の特徴である。言葉で逐一説明されなくても、注意力で周囲を見て、状況を把握しているのが健常者なのだ。単純労働だと、発達障害者(周りが見えてない人間)が使えなさすぎるので、「発達障害が悪い」となったのだ。

周りが見えてないというのは、ある種の優秀さであり、知性の高い人間にありがちな傾向なのだが、単純労働の分野で極めて大きな欠陥なので、世間的にすごい批判される。周りが見えているのが何よりも大事だというのは、この時代において、それだけ単純労働が広がってきたのである。

津田の知的生産性の低さは、ツイッターの使い方を見てもわかる。何十万人のフォロワーを抱えても、知性の前進には使わず、有料メルマガのポジキャンをしているだけである。あの宣伝RTの洪水は、現実べったりでビジョンがまったくない人間であることの象徴だ。津田は現実的に何が得かという最適解に辿り着くのが早い。悪い意味で地に足の付いた人間であり、現実以外は何も見えていないタイプなのである。
有村悠さんと言えば、売れない同人作家として話題になったわけだが、今度のコミケには50ページを超える大作を準備して出陣する予定である。ページ数が増えるほど印刷代が嵩むので、どれだけ赤字を出すのか心配になるが、御本人としては自信満々のネームが上がったようで、二週間ほど鹿島田のマクドに籠もりながら、下書きを仕上げたようである。

しかし、今月のとらのあなからの振り込みが3000円かそこらしかなかった。これでは印刷代の目途が立たない。資金計画が狂ったようだ。有村さんの同人誌がとらのあなでたくさん売れて多額の振り込みがある方があり得ないので、常識的には想定の範囲内だが、御本人としてはそうではないようだ。金がない金がないと騒ぐのは、ある意味恒例行事ではある。

金銭感覚とは算数の問題ではない。算数が不得意だと金銭感覚が消失するのではない。一万円使えば一万円減るのは知的障害者でもわかる。では何が問題の核心なのかというと、自分の快楽と相談できるかどうかなのだ。遊興費に一万円使いたいと思ったとする。使うか使わないかは、自分の快楽との相談だ。決して算数ではないのである。一万円で得られる快楽と、失われる一万円札を秤に掛けてどういう思考をするかなのだ。

金銭とは欲望の象徴なのだ。一万円札は、単なる10000という数字の問題ではない。公文式の問題文じゃないんだ。この一万円でどういう欲望を叶えたいかというせめぎ合いなのである。有村さんの金銭感覚がおかしいのは、決して算数が出来ないのではなく、欲望のコントロールの問題である。

有村さんはパトロンから印刷代を調達するしかないのだろう。そしてその50ページを超える大作が売れるとは思えないので、コミケ終了後にまた騒ぐのだろう。有村悠さんは決して双極性障害ではないのだが、躁状態で判断力が壊れた人に似ている部分もある。このまま印刷代が調達出来ない方が、金銭的被害は少ないと思えるが、なかなか難しい問題である。
最近の有料メルマガブームは、要は自己啓発なのである。あれは情報商材と同じであり、なんか自分でも出来そうだと、そういう自己啓発を受けたいのである。エジソンの伝記を読んでも自己啓発は受けられない。偉大な天才は次元が違いすぎて、自己啓発にはならないのだ。自己啓発とは、もっとなんというか、ゴミと言える青年が、代々木アニメーション学院に行くような、もっと言えば、家入一真の周辺に集まる若者に象徴される人達のものである。彼らはエジソンの伝記には啓発されないが、家入一真には啓発されるのである。嘘くさい話の方が人間を刺激するのである。お手軽な成功体験を消費することで、自分の士気を高めたいということなのだろう。家入一真は過去にlolipopの創業者として本当の成功体験はあるわけだが、最近やっていることは「僕にも何か出来そうだ」という手軽な幻想を売る自己啓発商法である。

このような自己啓発、つまり成功体験への需要の高まりでインターネットは支配された。それによって没落したのが真性引き篭もりだ。没落したのは、アスペルガーの二次障害で鬱になり更新が止まったのも大きいが、この手の個人ブログへの需要が完全になくなったからだ。真性引き篭もりは極めて視野の狭い人間であり、物事の一部分しか見ていない。だが、その一部しか見ないことで、ある種の特異点の発見というか、普通の人間が気づかない部分に気づくこともあるのである。成功者とは真逆の、社会で挫折したアスペルガーだからこそ、独特の鋭い視点があった。これがかつては人気があったのだが、現在では需要がない。真性さんの文章を読んでも気分が暗くなるだけだ。われわれのインターネットはB級文化人の「成功体験」に支配されたのだ。

現在の実名主義は、基本的に文化人ワナビーだから、決して褒められたものではない。顔写真と実名をネットに晒すという恥ずかしい行為をすれば、あわよくば一山当てられるということなのだ。そういう志の低い人間がネットに顔写真を晒すのである。そのような下劣さは指弾されることがなく、実名を名乗ってるから立派なんだろうと世間では思われているようだ。ネットに顔写真を載せてるのは山師の証拠だと、そういう正しい認識はまだ広がらない。90年代のABC日記の阿部広樹から連なる、実名顔写真の怪しげなひとたちを、われわれは受け入れるべきではないのである。阿部広樹の時も「実名を名乗ってるのだから、本当にゲーム業界で凄腕のヘルプ専門のクリエイターなのだろう」と考えた馬鹿がたくさんいた。実名顔写真に騙されることなかれ。
従軍慰安婦問題の発言が女性の反感を招いて維新の支持率が下がっているという物語があるらしい。これが偽史の作られ方である。偽りの解釈が生み出され、流布し、誰の内面も反映してないことが思想的事実として確立させられる。

恐るべきことは、ネットユーザーでさえ、慰安婦問題が鍵だと思っているらしいことだ。彼らの知能指数が低いのは知っているが、メディアに疑いすら持たないらしい。

政治の票なんて、組織か仮想敵かどちらかである。創価学会だから公明党に入れるとか、労働組合だから民主党に入れるとか、そういう組織の論理である。維新はこのような組織を持たない。だから仮想敵が必要なのだ。今までは公務員への憎悪で維新は維持されていた。公務員に煮え湯を飲まされた経験のある連中が恨みのエネルギーで維新を支持していたのだ。しかし、公務員への憎悪で集票するパターンは影を潜めてしまった。公務員のコネ採用の問題などはアンタッチャブルな問題に触れるだけに、橋下にやって欲しいと考えていた人も多いだろう。公務員を叩いておけばそれだけで票が集まるのに、橋下は方向転換してしまったのだ。

なぜ公務員叩きを前面に出さず、安倍晋三とかぶる保守思想で勝負しようとしてるのか、そこは不明だ。保守層は安倍晋三に投票するに決まっているのだから、維新は公務員叩きに専念するべきなのだ。橋下自身、公務員がどれだけ憎まれているか認識してないのではなかろうか。不良公務員の排除を橋下に託していたのに、勝手に取り下げたのだから、支持が離れるのは当然である。「立ちあがれ日本」と組んだことで、悪い影響が生まれたのかもしれない。韓国とか仮想敵にされても話にならない。慰安婦の問題にしても、韓国が喧伝するほど悪くはなかった程度の話であり、正当化は出来ない。なんら大義名分はない。こんな主張を軸にしていたら滅びるだけである。
嫌儲板という知能指数100未満の楽園があるのだが、こいつらはアマゾンのアフィがすごい儲かると思っているらしい。最近は紹介率が下がりまくりなので、さっぱり儲からないのだが、彼らは知能指数100未満なので思考停止している。そしてグーグルアドセンスが儲からないと思っているらしい。実際は、アドセンスはアマゾンの10倍くらいは儲かる。

やらおんは、最初やられやくでアドセンス貼って即座にアボられた。その後、やらおんに移転してアドセンス貼って、その時は半年近く持ちこたえた。その間はかなり儲かったと思われるが、なぜかアフィ嫌いの連中は騒がなかった。やらおんがアボになり、その後アマゾンアフィを貼りだしたのだが、そしたら「アフィは許さん」と反やらおんの運動が湧き起こった。

パズドラ関連ブログもそうである。「くいっくぶーすと」という代表的なブログはアマゾンアフィ貼っていたが、潰された。そして(テンプレにアフィブログ転載禁止となったから)他のブログが手控えている最中に、エキドナ速報が転載しまくって最大手になった。何ヶ月も前の話だが、まだアドセンスは健在である。

エキドナ速報は年収1000万円~3000万円はあると思うが、それは嫌儲板にとって問題ないそうだ。とても不思議なことである。アマゾンのアフィは許せないのに、グーグルアドセンスは許せるそうである。

何にせよ、まとめブログにアドセンスは御法度というのがかつての常識だったのだが、ここ一年くらいは何となく認められていると思う。その意味でもエキドナ速報の運の良さは超絶的である。
アドセンスでやっていけないのは、アダルト、あとアニメのキャプである。このふたつが最も厳しいと思われる。それ以外はわりと緩いと考えていいだろう。
最近はB級文化人がネット上のアルファの位置を占めている。もはや匿名ユーザーは完全に死んだのである。

そういうB級文化人系のアルファの中で頂点に君臨しているのが津田大介だが、あのあたりは経歴を盛る人も必要なわけである。なんかすごい人らしいという幻想を肥大させるには、嘘つきも必要だからだ。そのひとりが上杉隆だった。津田自身は詐称しないので、どこかで話を盛ってくれるお仲間が必要なわけである。

しかし上杉に関しては完全に手に負えなくなったようで、先日の早稲田の講演会で、津田が上杉を切ったようである。

768 名前: 文責・名無しさん 投稿日: 2013/06/27(木) 20:41:35.06 ID:lz65V2pO0

<早稲田鵬志会 早稲田政治祭II @大隈講堂 06/27/2013>
【第一部(12:00~13:15)】「ジャーナリズムの"イマ"と"ミライ"」
その1
上杉 「津田さん最後にひとこと・・・」
津田 「(略)インターネットがもたらしたのはフリーも大手も変なことを発信した
    らすぐに批判される環境になったということ。これは良くも悪くもですが(略)
    上杉さんに質問したいのは、上杉さんもよくツイッター上で間違いを指摘されて
    ますが、一番多いのが”間違ってると指摘されたときに、十分答えていない”と
    いうことだと思いますが、(上杉不規則発言聞き取れず)
    (上杉にかまわず)それについてどう思ってますか?例えば朝日新聞の奥山
    さんに・・・」
上杉 「(さえぎって) 答えてないという質問に対しては・・・答えてます!」
津田 「(かぶせて) どこに?どういう?」
上杉 「全部!私自身が(NYTで?)学んだのは、発表してもし間違い・誤報が
    あったら速やかに同じ媒体で訂正するということで、いつも・・・」
津田 「(かぶせて) 奥山さんへの反論記事には・・・」
上杉 「(さえぎって) 津田さん!質問したいのは分かってますが。(切れて)
    これシンポジウムなんで!
    ちょっと聞いてください。(いろいろと津田を非難するも聞き取れず)
    後で・・・ルールなんです。これは!
    (早口で)夕刊フジで誤報した、夕刊フジですみやかに訂正?掲載した。
    NHKで誤報した、これはNHKで誤報した(訂正?したの言い間違いか?)。
    でもツイッター含めたSNSが余り良くない点は、都合の良い情報のみの
    まとめサイトができたりとか・・・
    これが非常に不健全なのは、わかんない人もいると思いますが、自分の都合
    の良い情報だけをまとめる・・・
    例えば私自身が週刊文春で第一次安倍政権の誤報を行ったときに、たくさん
    記事を書きました。  (その2に続く)

769 名前: 文責・名無しさん 投稿日: 2013/06/27(木) 20:43:35.89 ID:lz65V2pO0

<早稲田鵬志会 早稲田政治祭II @大隈講堂 06/27/2013>
その2
上杉 「一箇所だけ間違えたのは、私は現場に行きました。(数分間に渡って詳細に
    下関の安倍事務所の講演会に安部母がきた件を説明)
    安倍さんがお母さんの壇上の位置が違ってると批判してきたので、これは
    すぐに週刊文春が調査して、間違いない、だったので(嫌そうに早口で)
    間違っていたのですぐに訂正しました。読者に向かって訂正するのが
    あたり前なのに、ツイッターやSNSで、
    その訂正をあえて取り上げないのが、そういう雰囲気をつくっていると・・
    ・・(突然)で、この件に関しては実は私は津田さんにインタビューを
    申し込んでいるのでここまでにしましょう!
    今日は鵬志会の”ジャーナリズムのイマとミライ”っていうせっかく良い話
    をしているので・・・(場内失笑)
    別の機会に答えさせていただきたいと・・・」
津田 「(さえぎって(いきなり)町山さんの公開質問に答えない理由って何ですか?」
    (場内笑い)
上杉 「津田さん、それね、あえて、いま・・・町山さんの公開質問に関しては・・・」
津田 「(かぶせて)今でもツイッターに上杉にこれ聞けっていうツイートが次々と
    ・・・」(場内失笑)  その3へ続く



770 名前: 文責・名無しさん 投稿日: 2013/06/27(木) 20:44:33.05 ID:lz65V2pO0

<早稲田鵬志会 早稲田政治祭II @大隈講堂 06/27/2013>
その3
上杉 「(焦って意味不明・・・)だって今日はみんな私と津田さんがここでそんな
    話をするのを聞きに来た分けじゃなくて・・・」
場内野次 「聞きに来たよ~!!」 (場内笑い)
上杉 「(一瞬動揺も無視して)”ジャーナリズムのイマとミライ”っていう・・・・・。
    (思いついて)だって会場からの質問にもまだ答えてないじゃないですか?
    (急に説教口調で)津田さん、あなたもっとちゃんと現場で取材した方が良
    いですよ・・・」(場内失笑)
津田 「僕はチェルノブイリに・・・」
上杉 「(あざ笑って)チェルノブイリ行ったってそれは現場じゃありませんよ、うふふ。
    もうすこしねえ、僕がさっき言ったようにていねいに取材した方が良いですよ(含み笑い)」
津田 「(冷静を保つように水を飲む)」
上杉 「ネットの情報というのは一面的でそこに頼りすぎるというのは(しどろもどろ)・・・
    それでは、質問に答えます。(記者クラブ問題を解決するための)アクションを
    起こしたかという質問ですが(場内からの唯一の質問に答え始める)
    それは、6つあります。それは議員秘書の時代からはじまります(延々と自慢話を答え続ける)
    (主催者から”時間です”のサイン出るも)これは最後まで延長してしゃべります!
    (延々7分間延長して終了)」
    上杉以外全員そそくさと退場。上杉、一人残りのろのろとPCをかたづける。
主催者「熱い議論をしていただいた登壇者のみなさまに拍手を!」
場内拍手  ・・・・終了
 どんどん拡散してください。よろしくお願いします。

上杉隆は、そんなに致命的な嘘を吐いているわけでもないのだが、何しろ、日常的に嘘が多すぎて、なおかつ訂正しないというプライドの高さがある。最大の問題は長期記憶力の欠如だと思われる。上杉はFラン大学卒であり、経歴をいろいろ盛っているわけだが、「本当は俺は馬鹿じゃない」という思いがあるんだろう。でも偏差値低い人はそれなりの理由があるのである。上杉に関して言えば、発言の整合性を保って調整しておく能力が低い。上杉は必ずしも大ボラを吹いているわけではないが、いかんせん自分の発言を記憶して管理するという脳の機能が弱いようである。これでは受験で高い点数が取れるわけがない。
真夜中にカチェリーナは宮殿の外に出て、領地のブルーベリー畑に出向いた。大きな粒だけを選んで篭に入れた。そしてそれをベッドルームに持ち帰ると、いつも通りミキサーに放り込んだ。氷とブルーベリーが一気に破砕されていく。こうやって果肉が切り刻まれ、そこからほとばしる甘みが本物なのだ。出来上がったものをグラスに注いで口に含みながら、ブルーベリーの食感を楽しみつつ、超人思想に浸った。

「力への意志により、人類を克服しなければならない」

もはや神は死んであらゆる価値が崩壊した。そういう世界だからこそ、すべてを止揚する超越思想が必要なのである。神が死んだ世界で、有象無象の人間がせめぎ合う姿は悪夢であるが、それもまた人間界の一興であるし、そこから超人が生まれればよいのである。

やがて窓の外がほんのり明るくなってくると、カチェリーナはうんざりした。また日常性がやってくるのだ。死が迫っているというのに、陽射しが彼女を日常に回収しようとする。

「深夜こそがわたしの世界なのだ。漆黒という画布にこそ、わたしの心象世界は描ける。世俗的な光を受け付けない圧倒的な暗闇こそ、内面の豊饒たる星辰の瞬きを隅から隅まで映し、それぞれの星屑に意味を与え、こめられた意味は甘く色づき、ひとつひとつを関係性の力学の中に鎮座させるのだ」

カチェリーナは窓を開け、薄明かりとまだ消えない夜空が紛れる景色を見ながら、普通のひとたちが、この明け方にはまだ寝ていることに驚くのである。そしてそろそろ起き出して日常性に動員されるのだ。最も生産的であるはずの深夜にひとびとは寝ていて、人間の内面性が奪い去られる日中には、陽射しという重力の中で働いているのだ。

「明るい陽射しは人間の現実を映し出し、その外的な仮面を繋げ、それぞれの内面を粛々と破棄していく。個々人のそれぞれの立ち位置や事情から他者と関わり、汎用的な認識コードを与えられ、役割を演じ、そして俗世に埋没していくのだ。埋め立てられるために目覚めようというのか」

カチェリーナには現実など不要だった。ウクライナで最高の美少女として生まれたが、他人と接触しないので、そのような美貌はいらなかった。現実において美少女として存在し、その美で様々な利益を得るのは、生まれつき大富豪の彼女にとってまったく関心がなかった。業病である偏頭痛を選ばれた者である証として考え、内面世界を育んできたのである。しかしもはや死期は迫っている。この世界に痕跡すら残せず、立ち去っていくのだ。

「わたしの深夜の内面世界と、人間どもが蠢く昼間の現実世界。これが交差することがあるだろうか」

暖かな陽射しがこぼれ始めると、先ほどまで描いていた超人思想が萎んでいくような気がした。深夜にしか力への意志は生まれないのか、とカチェリーナは呻いた。
有村悠さんのアフィを踏んでから以下の本を購入しました


1 "心はどのように遺伝するか―双生児が語る新しい遺伝観 (ブルーバックス)"
安藤 寿康; 新書; ¥ 945
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販売: Amazon.com Int'l Sales, Inc.

1 "天才を考察する: 「生まれか育ちか」論の嘘と本当"
シェンク,デイヴィッド; 単行本; ¥ 2,625
在庫あり
販売: Amazon.com Int'l Sales, Inc.

1 "天才の心理学 (岩波文庫 青 658-1)"
E・クレッチュマー; 文庫; ¥ 987
在庫あり
販売: Amazon.com Int'l Sales, Inc.


書籍の紹介料率が3パーセント固定になってしまったので、微々たる収入にしかならないのが申し訳ない。


うちは有村悠ファンブログの側面もあるわけだが、時々有村さんから苦々しい反応を受けることがある。しかしわれわれの鉄のような規律と気高い倫理を舐めてもらっては困る。われわれ有村ファンは決して有村さんを甘やかさない。津田信者のような知能指数100未満のサークルじゃないんだ。ポジキャンRTで洗脳するのは津田にまかせておけばいい。あれは何万年生きても天才にも秀才にもなれない人物である。われわれ有村派は天才だけを認めるグループだ。有村さんが天才になるまでは、熱い鉄を打つように執拗に叩き続け、血祭りに上げることもあるだろう。庵野秀明に並び立つ天才という至高の高みを目指しているのだから、妥協は許されない。
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