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2013.07.26
フランスの女の子は可愛い
日本ではAKBあたりの容姿でも充分人気者になれるが、あくまで日本限定である。フランス人と並べたら、容姿レベルが違いすぎる。この子は目が可愛いだけでなく、鼻筋も綺麗に通っているし、小さい顔の骨格もとても綺麗である。物腰も優雅で聡明そうな印象を受ける。まさに正真正銘の金髪美少女である。このレベルの子が女優になるわけでもなく、受付とかやってたりするのだ。
2013.07.26
津田大介がフジロックで「テロ」に遭う

わたしは以前はツイッターで津田大介を批判していたのだが、本人から「こいつ馬鹿」とかいうリプが何度も来たり、津田信者から攻撃されたりしたので、こうやってブログに退避して抵抗運動を続けているわけである。
最近は金持ち喧嘩せずというか、津田は批判に対するリプをしてないようだが、昔はいろんな人が血祭りに上げられていたのだ。
その津田が「テロ」にあったらしい。
たぶん「おまえの母親は豚」と言われたか、その程度だろう。
2013.07.25
クリエイター志望はADHD
われらが有村悠さんはADHDだと認めているわけではないが、小さい頃から多動性がありナメクジと呼ばれ、34歳現在ゴミ屋敷でゴロゴロしているのだから、その可能性は高い。
彼のクリエイター志望もADHD的な衝動性が見受けられる。
画才のある人が自然に美大に行くような(日常的な)進路選択とは違うのである。
おそらく有村さんの頭の中で「イラストレーターになる」という発想が生まれた瞬間に世界が変貌したのだ。
ADHDは思いつきで行動すると言われるが、そういう瞬間的な衝動性で脳内物質がほとばしるのだ。
有村さんに画才はなかったが、その思いつきから得られた恍惚感だけは真実だったと思われる。
あとは「思いつき」を真実にするだけだ。
だから才能才能と言っていた。
足りないのは才能だけだ。
有村悠さんには金銭感覚が無く、お金をすぐに使ってしまうが、決して算数が出来ないわけではない。
東大二次で数学0点とはいえ、普通の人よりは遥に算数は出来るだろう。
金銭感覚は算数の問題ではなく、何かを買いたいと思った時の誘惑に勝てるかどうかなのだ。
たとえば今日の段階で一万円使ったら、何日か後に一万円で困るかもしれない。
そういう予想くらいは理屈で出来るのだろうが、脳内物質がほとばしる快楽には勝てない。
散財しまくれば、金銭的に破綻するまでは幸せかもしれない。
クリエイター志望も、才能がないとはっきりするまでは幸せかもしれない。
有村さんは現在の快楽だけに生きており、未来に対して責任を取るという姿勢がないのである。
このあたりは、家入一真の無計画性とも通底する。
家入一真の周辺にいる若者は、決して未来が保証されていない。
確実に破綻する未来に向かって若さを浪費しているのである。
家入一真の思想に乗っかれば、一時の夢が見られるわけだ。
周りから見れば、将来の確実な破綻は明らかだが、それでも現実を捨てて新世界へ船を漕ぎ出す時の歓びは何物にも代え難いのだろう。
つまり、一部の人間が家入一真に惹かれるのは無計画だからこそである。
現在の状況から自然に延長される未来(日常性)を切断し、新たな世界に行こうという試みが馬鹿を惹き付けるのである。
クリエイター志望とは、こういう無計画性の快楽として捉えられるべきだろう。
計画された世界(日常性)を乗り越えたいという衝動を持つ人間が、藁をもつかむ思いでいると、無計画な家入が現れるのである。
人間と人間が出会うとはそういうことなのである。
だから家入の周辺では、無計画性による破綻が繰り返される。
彼のクリエイター志望もADHD的な衝動性が見受けられる。
画才のある人が自然に美大に行くような(日常的な)進路選択とは違うのである。
おそらく有村さんの頭の中で「イラストレーターになる」という発想が生まれた瞬間に世界が変貌したのだ。
ADHDは思いつきで行動すると言われるが、そういう瞬間的な衝動性で脳内物質がほとばしるのだ。
有村さんに画才はなかったが、その思いつきから得られた恍惚感だけは真実だったと思われる。
あとは「思いつき」を真実にするだけだ。
だから才能才能と言っていた。
足りないのは才能だけだ。
有村悠さんには金銭感覚が無く、お金をすぐに使ってしまうが、決して算数が出来ないわけではない。
東大二次で数学0点とはいえ、普通の人よりは遥に算数は出来るだろう。
金銭感覚は算数の問題ではなく、何かを買いたいと思った時の誘惑に勝てるかどうかなのだ。
たとえば今日の段階で一万円使ったら、何日か後に一万円で困るかもしれない。
そういう予想くらいは理屈で出来るのだろうが、脳内物質がほとばしる快楽には勝てない。
散財しまくれば、金銭的に破綻するまでは幸せかもしれない。
クリエイター志望も、才能がないとはっきりするまでは幸せかもしれない。
有村さんは現在の快楽だけに生きており、未来に対して責任を取るという姿勢がないのである。
このあたりは、家入一真の無計画性とも通底する。
家入一真の周辺にいる若者は、決して未来が保証されていない。
確実に破綻する未来に向かって若さを浪費しているのである。
家入一真の思想に乗っかれば、一時の夢が見られるわけだ。
周りから見れば、将来の確実な破綻は明らかだが、それでも現実を捨てて新世界へ船を漕ぎ出す時の歓びは何物にも代え難いのだろう。
つまり、一部の人間が家入一真に惹かれるのは無計画だからこそである。
現在の状況から自然に延長される未来(日常性)を切断し、新たな世界に行こうという試みが馬鹿を惹き付けるのである。
クリエイター志望とは、こういう無計画性の快楽として捉えられるべきだろう。
計画された世界(日常性)を乗り越えたいという衝動を持つ人間が、藁をもつかむ思いでいると、無計画な家入が現れるのである。
人間と人間が出会うとはそういうことなのである。
だから家入の周辺では、無計画性による破綻が繰り返される。
2013.07.25
ルソー「選挙の時以外は、おまえら奴隷だから」
岩波文庫の社会契約論の133ページ。
国民は主権者だということになっているが、その実態は間接民主制である。
しかも、議案ごとに投票できるのではなく、何年かに一度議員を選ぶだけなのである。
選挙が終わったら、われわれは用済みなのである。
安倍晋三とは不思議な存在であり、彼の政策が支持されているわけでもない。
苦い薬を飲もうというマゾヒズム的な意志により支持されているのである。
小泉純一郎の時もそうだったが、愚民は痛みとか苦みが好きらしい。
辛い状況が変えられないなら、その辛さに耐えることに価値を見いだそうとするのだ。
小泉の時の事例を考えれば、痛みに堪えた結果、何も得られない。
これを奴隷状態と言わずして、何と言おうか。
たとえば公務員改革に関しては、直接民主制でないと変わらない。
われわれが警察に出向いて、あいつらの仕事ぶりを監視して、文句付けるのが当然にならなければならない。
われわれが顎で警察を使うのだ。
現段階では警察は権力者であり、われわれは奴隷なので、そんなことをすれば、なんやかんや理由を付けられて逮捕されるだろう。
国民主権とは名ばかりであり、ルソーが言うように「選挙の時だけ」なのである。
これで世の中が変えられるわけがないのだ。
選挙に行くのは国民の義務だという馬鹿がいる。
どこまで頭に蛆が沸いてるのか。
数年に一度の選挙なんぞボイコットがふさわしい。
有権者なる言葉があるが、これは選挙権があるだけであり、それ以外は何の権利もないのだ。
選挙権なんぞゴミである。
こんなものに惑わされて権利を得たつもりになってるから、いつまでも公務員に蹂躙されているのだ。
選挙権なんぞいらんのよ。
ゴミみたいな投票用紙もらってなんになるのか。
そんな粗品で何が変わるのか。
必要なのは、公務員をクビにする権利である。
それがなければ国民主権とは言えない。
イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大間違いだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民は奴隷となり、無に帰してしまう。その自由な短い期間に、彼らが自由をどう使っているかを見れば、自由を失うのも当然である。
国民は主権者だということになっているが、その実態は間接民主制である。
しかも、議案ごとに投票できるのではなく、何年かに一度議員を選ぶだけなのである。
選挙が終わったら、われわれは用済みなのである。
安倍晋三とは不思議な存在であり、彼の政策が支持されているわけでもない。
苦い薬を飲もうというマゾヒズム的な意志により支持されているのである。
小泉純一郎の時もそうだったが、愚民は痛みとか苦みが好きらしい。
辛い状況が変えられないなら、その辛さに耐えることに価値を見いだそうとするのだ。
小泉の時の事例を考えれば、痛みに堪えた結果、何も得られない。
これを奴隷状態と言わずして、何と言おうか。
たとえば公務員改革に関しては、直接民主制でないと変わらない。
われわれが警察に出向いて、あいつらの仕事ぶりを監視して、文句付けるのが当然にならなければならない。
われわれが顎で警察を使うのだ。
現段階では警察は権力者であり、われわれは奴隷なので、そんなことをすれば、なんやかんや理由を付けられて逮捕されるだろう。
国民主権とは名ばかりであり、ルソーが言うように「選挙の時だけ」なのである。
これで世の中が変えられるわけがないのだ。
選挙に行くのは国民の義務だという馬鹿がいる。
どこまで頭に蛆が沸いてるのか。
数年に一度の選挙なんぞボイコットがふさわしい。
有権者なる言葉があるが、これは選挙権があるだけであり、それ以外は何の権利もないのだ。
選挙権なんぞゴミである。
こんなものに惑わされて権利を得たつもりになってるから、いつまでも公務員に蹂躙されているのだ。
選挙権なんぞいらんのよ。
ゴミみたいな投票用紙もらってなんになるのか。
そんな粗品で何が変わるのか。
必要なのは、公務員をクビにする権利である。
それがなければ国民主権とは言えない。
2013.07.24
ワーキングメモリーの優劣が簡単にわかる方法
長期記憶も大事だが、ワーキングメモリーも大事である。
いわゆる学力が高い人間は長期記憶は強いが、ワーキングメモリーが強いとは限らない。
ワーキングメモリーとは、一時的に憶えておく能力である。
たとえば電話番号を聞いて、電話するような作業だ。
この場合、電話番号を記憶(長期記憶)しているわけではない。
番号を暗記して、それから電話しているわけではなく、あくまで一時的に頭のメモリーに置いて電話するのである。
電話が終わったら、その番号は頭から消えている。
ウェクスラー式知能検査では、以下のふたつがワーキングメモリーの指標となる。
http://kwww3.koshigaya.bunkyo.ac.jp/wiki/index.php/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E5%BC%8F%E7%9F%A5%E8%83%BD%E6%A4%9C%E6%9F%BB%28WAIS%29
これをひとりでやるとしたら、電話番号の読み上げと、それを逆に読み上げるのがやりやすい。
まず架空の電話番号を紙に書いてみる。
それからその紙を隠し、電話番号を読み上げる。(これはたいていの人が出来るだろう)。
そしてその番号を逆から読み上げてみる。(これは出来る出来ないの差がある)。
03-3876-5432だとしたら、2345678330と逆順に読み上げられるかどうかである。
スラスラと出来る人はワーキングメモリーがしっかりしている。
頭のメモリーに数字がちゃんと入っているから、逆から読むのが容易なわけだ。
桁数を増やして、それでもさらに出来るなら、かなり優れていることになる。
ワーキングメモリーはある程度「注意力」と同じである。
リアルタイムで発生している出来事が、ちゃんと頭に入っているかの問題なのだ。
かなり学力の高い人でもワーキングメモリーが弱いと、ウェクスラー式知能検査の言語性IQでは数値が伸びない。
いわゆる学力が高い人間は長期記憶は強いが、ワーキングメモリーが強いとは限らない。
ワーキングメモリーとは、一時的に憶えておく能力である。
たとえば電話番号を聞いて、電話するような作業だ。
この場合、電話番号を記憶(長期記憶)しているわけではない。
番号を暗記して、それから電話しているわけではなく、あくまで一時的に頭のメモリーに置いて電話するのである。
電話が終わったら、その番号は頭から消えている。
ウェクスラー式知能検査では、以下のふたつがワーキングメモリーの指標となる。
http://kwww3.koshigaya.bunkyo.ac.jp/wiki/index.php/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E5%BC%8F%E7%9F%A5%E8%83%BD%E6%A4%9C%E6%9F%BB%28WAIS%29
数唱
注意・集中を図る質問。ランダムな数列を読み上げ、順唱例「1-2-3」、逆唱例「3-2-1」で回答する。
語音整列
注意と作動記憶を測定する。読み上げられる数字とかなの組み合わせを聞き、数字を昇順に、かなを、五音表の順に並べ替えて解答する。
これをひとりでやるとしたら、電話番号の読み上げと、それを逆に読み上げるのがやりやすい。
まず架空の電話番号を紙に書いてみる。
それからその紙を隠し、電話番号を読み上げる。(これはたいていの人が出来るだろう)。
そしてその番号を逆から読み上げてみる。(これは出来る出来ないの差がある)。
03-3876-5432だとしたら、2345678330と逆順に読み上げられるかどうかである。
スラスラと出来る人はワーキングメモリーがしっかりしている。
頭のメモリーに数字がちゃんと入っているから、逆から読むのが容易なわけだ。
桁数を増やして、それでもさらに出来るなら、かなり優れていることになる。
ワーキングメモリーはある程度「注意力」と同じである。
リアルタイムで発生している出来事が、ちゃんと頭に入っているかの問題なのだ。
かなり学力の高い人でもワーキングメモリーが弱いと、ウェクスラー式知能検査の言語性IQでは数値が伸びない。
2013.07.24
進撃の巨人は寓話性がないので再読がきつい
進撃の巨人を再読しているのだが、かなりきつい。
初読の時はあれだけ面白かったのに、二度目はクソつまらない。
新しい発見が何もないのである。
結局、この作品の本質は「不意打ち」なのである。
サプライズだけの漫画。
いきなり巨人が襲ってくるホラーとして傑作なのだ。
振り向くと巨人がいるみたいな怖さがこの作品の肝なので、二回目に読むと、全然ギョッとしないのだ。
最初はとてもスリリングなのに慣れると面白くないというのは遠い昔バイオハザードというゲームで経験した。
やり始めの頃は、本当にビビりながらプレーしていたのだが、慣れてくると、作業でお使いするだけのゲームになる。
進撃の巨人は寓話性がない。
壁の向こうに巨人がいる、というのがカフカ的な、もしくはエヴァ的なテーマがあると思った人も多いだろう。
われわれは「人間とはなんぞや」と問い掛けてくる作品が好きである。
世界の謎を解き明かすという話は好まれる。
進撃の巨人は最初はそういう寓話だと思って読んでいた。
設定が荒唐無稽でも妙にリアルな感じがする名作の予感があった。
しかし読み進めてみると、単に荒唐無稽なだけだった。
巨人に襲われるということに寓話性がない。
人類が壁に囲まれた世界に生きていて、壁の外側に巨人がいるという設定は、とてもキャッチーであり、名作に違いないと思っていたが、結局は単なるバトル漫画である。
「巨人」は寓話的な存在ではなく、おっさんの裸の気持ち悪さをインパクトとして用いただけだ。
ホラーとしては評価されるべきだろう。
絵が下手糞だと言われるが、巨人がぬっと出てくる構図とかは上手い。
一度だけ驚かせてくれる作品である。
二度は読めない。
人間と巨人がバトルする(もしくは巨人と巨人がバトルする)だけの話だとわかってしまうと無理。
ブームが去ったらこの作品誰も読まないと思う。
初読の時はあれだけ面白かったのに、二度目はクソつまらない。
新しい発見が何もないのである。
結局、この作品の本質は「不意打ち」なのである。
サプライズだけの漫画。
いきなり巨人が襲ってくるホラーとして傑作なのだ。
振り向くと巨人がいるみたいな怖さがこの作品の肝なので、二回目に読むと、全然ギョッとしないのだ。
最初はとてもスリリングなのに慣れると面白くないというのは遠い昔バイオハザードというゲームで経験した。
やり始めの頃は、本当にビビりながらプレーしていたのだが、慣れてくると、作業でお使いするだけのゲームになる。
進撃の巨人は寓話性がない。
壁の向こうに巨人がいる、というのがカフカ的な、もしくはエヴァ的なテーマがあると思った人も多いだろう。
われわれは「人間とはなんぞや」と問い掛けてくる作品が好きである。
世界の謎を解き明かすという話は好まれる。
進撃の巨人は最初はそういう寓話だと思って読んでいた。
設定が荒唐無稽でも妙にリアルな感じがする名作の予感があった。
しかし読み進めてみると、単に荒唐無稽なだけだった。
巨人に襲われるということに寓話性がない。
人類が壁に囲まれた世界に生きていて、壁の外側に巨人がいるという設定は、とてもキャッチーであり、名作に違いないと思っていたが、結局は単なるバトル漫画である。
「巨人」は寓話的な存在ではなく、おっさんの裸の気持ち悪さをインパクトとして用いただけだ。
ホラーとしては評価されるべきだろう。
絵が下手糞だと言われるが、巨人がぬっと出てくる構図とかは上手い。
一度だけ驚かせてくれる作品である。
二度は読めない。
人間と巨人がバトルする(もしくは巨人と巨人がバトルする)だけの話だとわかってしまうと無理。
ブームが去ったらこの作品誰も読まないと思う。
2013.07.24
有村悠さんには知的好奇心がない
有村悠さんのアフィを踏んでから以下の書籍を注文しました。
1 "僧正殺人事件 (S・S・ヴァン・ダイン全集) (創元推理文庫)"
S・S・ヴァン・ダイン; 文庫; ¥ 945
在庫あり
販売: Amazon.com Int'l Sales, Inc.
1 "脳を鍛えるには運動しかない!―最新科学でわかった脳細胞の増やし方"
レイティ,ジョン J.; 単行本; ¥ 2,205
在庫あり
販売: Amazon.com Int'l Sales, Inc.
90円くらいの紹介料が有村さんに入るので、その分だけ悪口を書こうと思います。
(有村さんの人権はショウジョウバエと同じ目安で計算しています)。
有村さんは知的好奇心が皆無である。知的好奇心がない人間は文盲と同じである。普通であれば、東大文学部に七年も通っていれば、文学や哲学を囓って、人間存在について考えたりするだろう。様々な問題、たとえば下半身の悩みでも、知性的に考察することで昇華していくのだ。有村さんはこういう知的好奇心が著しく低い。性器にリビドーが固着しており、エネルギーが知性に移行していない。同人に走ったのも、同人界隈なら抜けるオカズがたくさんあるという、それだけの理由である。
世界は不思議なことだらけだ。本当に不思議なのである。その不思議さに思い当たれば、自然と本を読んだりするのである。それが知的好奇心だ。本を読んだら謎が解けるというわけでもないのだが、そういう謎解きに参加するのが知性ある者の役割なのである。有村さんはこういう感性がまったくないので、東大文学部での七年を完全な無駄として過ごした。
有村さんは東大で歴史を専攻したそうだが、歴史だってミステリーに満ちているのだ。知的好奇心さえあれば、歴史を通して人間という謎と向き合うことも出来る。しかし有村さんは歴史年表を暗記して終わりなのだ。
世界を不思議だと思う義務など無い。実際、何の疑問も持たずに生きているのがマジョリティーだ。だが、彼らは現実感覚がある。現実しか見えてない代わりに、現実はしっかり見えているのだ。なんら知的好奇心がなくても、現実感覚が確固としてあれば、それでもいい。
有村さんは世界の不思議さを探求する知的好奇心が無く、それでいて(何の疑問もなく公務員を目指すような)現実感覚もない。有村さんは何となくまわりとズレているが、決してアスペルガーではない。視野が広いがぼんやりとしているので、現実が見えてない。たとえば真性引き篭もりという中卒のゴミアスペがいるわけだが、こういう視野の狭い人間は、焦点を絞った一カ所だけはクッキリ見えている。有村さんはなんとなく全体をぼんやりと見ているので、真性さんのような絞り込んだ視点がないのである。
世の中の事象は、視点を設定し、そこから読み解いていくのだ。歴史にしても年表の暗記ではなく、視点を設定し、その視点から史実を読み直すのだ。歴史を暗記の対象としか考えない有村さんでは歴史小説の面白さもわかるまい。同じような史実を扱っていても、それぞれの作家の視点があり、そこから歴史が紐解かれるのだ。アニメやラノベだって、そういう読み方が出来る。だが有村さんは「視点」を発見する能力がないので、東浩紀と同じくデータベース消費(オカズになる場面だけ見る)に終始する。
視野の広さゆえに、有村さんはいくら暴れても凡人枠に入れて貰えるのだが、注意欠陥で視野が広いというのは、煮ても焼いても食えない。視野の広さは注意力と連動した時に、現実感覚として機能するのだ。有村さんは小さい頃多動性があったそうだが、多動性とは「授業中に歩き回る」という表面的な行動が問題なのではなく、意識の据わりが悪いのが問題なのだ。そういう居心地の悪い現実を目の前にして、クリエイター志望に走ったわけだが、単なる現実逃避に終わった。
1 "僧正殺人事件 (S・S・ヴァン・ダイン全集) (創元推理文庫)"
S・S・ヴァン・ダイン; 文庫; ¥ 945
在庫あり
販売: Amazon.com Int'l Sales, Inc.
1 "脳を鍛えるには運動しかない!―最新科学でわかった脳細胞の増やし方"
レイティ,ジョン J.; 単行本; ¥ 2,205
在庫あり
販売: Amazon.com Int'l Sales, Inc.
90円くらいの紹介料が有村さんに入るので、その分だけ悪口を書こうと思います。
(有村さんの人権はショウジョウバエと同じ目安で計算しています)。
有村さんは知的好奇心が皆無である。知的好奇心がない人間は文盲と同じである。普通であれば、東大文学部に七年も通っていれば、文学や哲学を囓って、人間存在について考えたりするだろう。様々な問題、たとえば下半身の悩みでも、知性的に考察することで昇華していくのだ。有村さんはこういう知的好奇心が著しく低い。性器にリビドーが固着しており、エネルギーが知性に移行していない。同人に走ったのも、同人界隈なら抜けるオカズがたくさんあるという、それだけの理由である。
世界は不思議なことだらけだ。本当に不思議なのである。その不思議さに思い当たれば、自然と本を読んだりするのである。それが知的好奇心だ。本を読んだら謎が解けるというわけでもないのだが、そういう謎解きに参加するのが知性ある者の役割なのである。有村さんはこういう感性がまったくないので、東大文学部での七年を完全な無駄として過ごした。
有村さんは東大で歴史を専攻したそうだが、歴史だってミステリーに満ちているのだ。知的好奇心さえあれば、歴史を通して人間という謎と向き合うことも出来る。しかし有村さんは歴史年表を暗記して終わりなのだ。
世界を不思議だと思う義務など無い。実際、何の疑問も持たずに生きているのがマジョリティーだ。だが、彼らは現実感覚がある。現実しか見えてない代わりに、現実はしっかり見えているのだ。なんら知的好奇心がなくても、現実感覚が確固としてあれば、それでもいい。
有村さんは世界の不思議さを探求する知的好奇心が無く、それでいて(何の疑問もなく公務員を目指すような)現実感覚もない。有村さんは何となくまわりとズレているが、決してアスペルガーではない。視野が広いがぼんやりとしているので、現実が見えてない。たとえば真性引き篭もりという中卒のゴミアスペがいるわけだが、こういう視野の狭い人間は、焦点を絞った一カ所だけはクッキリ見えている。有村さんはなんとなく全体をぼんやりと見ているので、真性さんのような絞り込んだ視点がないのである。
世の中の事象は、視点を設定し、そこから読み解いていくのだ。歴史にしても年表の暗記ではなく、視点を設定し、その視点から史実を読み直すのだ。歴史を暗記の対象としか考えない有村さんでは歴史小説の面白さもわかるまい。同じような史実を扱っていても、それぞれの作家の視点があり、そこから歴史が紐解かれるのだ。アニメやラノベだって、そういう読み方が出来る。だが有村さんは「視点」を発見する能力がないので、東浩紀と同じくデータベース消費(オカズになる場面だけ見る)に終始する。
視野の広さゆえに、有村さんはいくら暴れても凡人枠に入れて貰えるのだが、注意欠陥で視野が広いというのは、煮ても焼いても食えない。視野の広さは注意力と連動した時に、現実感覚として機能するのだ。有村さんは小さい頃多動性があったそうだが、多動性とは「授業中に歩き回る」という表面的な行動が問題なのではなく、意識の据わりが悪いのが問題なのだ。そういう居心地の悪い現実を目の前にして、クリエイター志望に走ったわけだが、単なる現実逃避に終わった。
2013.07.24
欲望の固有性
カチェリーナは天国を否定し神も信じていなかったが、心の片隅に一欠片だけ、天国のベルサイユ宮殿でお姫様になるという夢が残っていた。カチェリーナはこういう甘えた考えを憎んだ。児戯とも言える希望は完全に消去してから死ななければならなかった。死ねば死体になり、その白眼を剥いて息絶えた身体からは腐臭が漂い、その肉を野鳥が啄み、野犬がかみ切るだろう。その露わになった内臓と骨格は、カチェリーナそのものであり、霊魂だけが都合よく脱出して天国に行くなどあり得なかった。目玉を食いちぎられ、眼窩が剥き出しになり、単なる死体となるだけなのだ。天国を夢想するのは、本物の死生観に向き合わないことであり、曖昧な現世をおぼろげに延長するだけである。
「世間の連中が霊魂と言っているのは、生体反応のことだ。死んで死体になったら生体反応は消えるに決まってるじゃないか」
カチェリーナは木いちごのジャムをスプーンで掬って口に含んだ。この甘みは脳細胞の反応にしか過ぎないのだ。そしてこの甘みは普遍的なものである。カチェリーナ固有の感覚ではない。
「霊魂とは普遍性と固有性の混同なんだよ。人間であれば、だれでも同じような感覚を持つのに、その感覚を自分固有のものだと錯誤する」
霊魂など我執に過ぎないとカチェリーナは思った。木いちごのほとばしる甘みは普遍的である。それを自分自身で体験したいから、天国という妄想を抱くのだ。
「こうやって考えると、わたしの固有性を否定することがポイントになりそうだ。口で言うのはたやすいが、果たしてこのわたしが自らの固有性を迷妄と断じることが出来るかどうか」
「世間の連中が霊魂と言っているのは、生体反応のことだ。死んで死体になったら生体反応は消えるに決まってるじゃないか」
カチェリーナは木いちごのジャムをスプーンで掬って口に含んだ。この甘みは脳細胞の反応にしか過ぎないのだ。そしてこの甘みは普遍的なものである。カチェリーナ固有の感覚ではない。
「霊魂とは普遍性と固有性の混同なんだよ。人間であれば、だれでも同じような感覚を持つのに、その感覚を自分固有のものだと錯誤する」
霊魂など我執に過ぎないとカチェリーナは思った。木いちごのほとばしる甘みは普遍的である。それを自分自身で体験したいから、天国という妄想を抱くのだ。
「こうやって考えると、わたしの固有性を否定することがポイントになりそうだ。口で言うのはたやすいが、果たしてこのわたしが自らの固有性を迷妄と断じることが出来るかどうか」
2013.07.22
有村悠さん、加齢で膝に激痛。足も組めない状態。
https://twitter.com/y_arim/status/359300592990035968

最近有村さんは膝の痛みを訴えていたが、さらに悪化したという朗報が届いた。有村さんと言えば、大半は家の中で生活しているわけで、膝を痛めるというのがよくわからないのだが、これも34歳という加齢によるものだろう。
この暑い時期にこたつというのが意味不明だが、ゴミ屋敷になっているだけに、こたつを机の代わりにしていると思われる。何をやるにも億劫だから、こたつも片づけないし、衣替えもしないような生活だと思われる。
幼少期からナメクジというあだ名を付けられ、現在でもナメクジのような生活をしているわけだが、それだけ身動きせず休んでいるにもかかわらず、順調に加齢しているようだ。頭髪も年齢相応になってきた。そろそろ体臭もキツくなってくるだろう。有村さんは、わりと女性的な顔立ちであり、濃い顔ではないので、30くらいまでは大学生のフリも出来ないことはなかったが、さすがに34歳ともなると老いには勝てなくなってきている。
東大を卒業して大企業の正社員になり結婚してこどもがいるということなら、年齢相応に老いていくのは人生のプロセスとして極めて自然であり、年齢に応じた生活を営んでいくわけだが、バーチャル東大生として東大のコンパに参加している有村さんとしては、老いは恐怖である。有村さんの東大の同期は、父兄参観に行ったり、家族サービスで旅行に行くなど、年齢相応の人生をエンジョイしており、決して老いは悲劇ではない。有村さんは「若さの特権」で好き勝手に生きてきたわけで、そろそろ溜まったツケを返済するべき時期に来ているのだ。

最近有村さんは膝の痛みを訴えていたが、さらに悪化したという朗報が届いた。有村さんと言えば、大半は家の中で生活しているわけで、膝を痛めるというのがよくわからないのだが、これも34歳という加齢によるものだろう。
この暑い時期にこたつというのが意味不明だが、ゴミ屋敷になっているだけに、こたつを机の代わりにしていると思われる。何をやるにも億劫だから、こたつも片づけないし、衣替えもしないような生活だと思われる。
幼少期からナメクジというあだ名を付けられ、現在でもナメクジのような生活をしているわけだが、それだけ身動きせず休んでいるにもかかわらず、順調に加齢しているようだ。頭髪も年齢相応になってきた。そろそろ体臭もキツくなってくるだろう。有村さんは、わりと女性的な顔立ちであり、濃い顔ではないので、30くらいまでは大学生のフリも出来ないことはなかったが、さすがに34歳ともなると老いには勝てなくなってきている。
東大を卒業して大企業の正社員になり結婚してこどもがいるということなら、年齢相応に老いていくのは人生のプロセスとして極めて自然であり、年齢に応じた生活を営んでいくわけだが、バーチャル東大生として東大のコンパに参加している有村さんとしては、老いは恐怖である。有村さんの東大の同期は、父兄参観に行ったり、家族サービスで旅行に行くなど、年齢相応の人生をエンジョイしており、決して老いは悲劇ではない。有村さんは「若さの特権」で好き勝手に生きてきたわけで、そろそろ溜まったツケを返済するべき時期に来ているのだ。
2013.07.22
天国に行くと記憶はリセットされるのか
寝転がり、冷たい床に顔を付けながら、カチェリーナは自らの細胞が死に絶えていくのを感じた。脳細胞の発火現象によって作られていた彼女の心も、そろそろ死ぬのである。
「天国はないという結論に至ったわけだが、まだわたしはどこかで信じている。そういう甘えを断ち切らなければならない」
天国のヴェルサイユ宮殿でお姫様として暮らすという妄想を抱いたまま死体になるのは納得がいかなかった。生まれてから死ぬまで領地から一歩も出なかったカチェリーナだが、単なる見苦しい死体となり、何ら夢見る余地がないのを証明することが、多少なりとも生きた証になるような気がした。
「仮にわたしが天国に行くとしよう。そこで現世の記憶はリセットされるのだろうか。仮にされるとしたら、それはもはやわたしではないだろう。記憶がリセットされたら、別の人間として組み替えられ、別の自我を持つだろうから、もはや同一性などないよ。記憶がリセットされたら、自分だって消えちゃうんだ。精神とか魂とやらは、記憶の反芻で作られた迷妄である。記憶喪失になった程度で無くなってしまうのが自分というものだ」
それからカチェリーナは、現世の記憶をそのまま引き継いで天国で生きる場合のことを考えてみた。
「ではリセットされないとしよう。現世の記憶を引き継いで天国で生きるとしよう。そしたら天国の住人それぞれが現世での設定を引き摺ったまま、お互いに出会うのか。多文化共生というお笑いぐさをやるのだ。あらゆる時代のあらゆる国々で、まったく相容れない文化性を背負った人間が、天国で一緒に暮らすわけだ。あり得ないよ。現世での価値観をすべて放擲し、共産主義的な楽園を築こうというのか。自らの同一性のために過去の記憶だけは後生大事に持ちながら、その価値観を平気で放棄する、そういう出来の悪いユートピア思想が天国というものらしい」
考えれば考えるほど、記憶だけが存在の根拠だとわかるのである。
「そもそも肉体から解き放たれるとは何なのだろう。世界の設定から解き放たれたら、自分がなくなってしまうではないか。わたしたちは自らの現世での設定を憎みながら、実際はそれしかアイデンティティーの根拠がないのだから泣けてくるよ。たとえばロシアの農奴が、天国で天使になるのを夢見るとしても、農奴の頃の記憶は必須なわけだ。記憶が全消去されて天使になったら別人になるのだから、救われるもくそもない。人間はおそろしいくらいに根無し草なのだ。だから肉体を与えられ、役割を固定する必要があるのだ」
「天国はないという結論に至ったわけだが、まだわたしはどこかで信じている。そういう甘えを断ち切らなければならない」
天国のヴェルサイユ宮殿でお姫様として暮らすという妄想を抱いたまま死体になるのは納得がいかなかった。生まれてから死ぬまで領地から一歩も出なかったカチェリーナだが、単なる見苦しい死体となり、何ら夢見る余地がないのを証明することが、多少なりとも生きた証になるような気がした。
「仮にわたしが天国に行くとしよう。そこで現世の記憶はリセットされるのだろうか。仮にされるとしたら、それはもはやわたしではないだろう。記憶がリセットされたら、別の人間として組み替えられ、別の自我を持つだろうから、もはや同一性などないよ。記憶がリセットされたら、自分だって消えちゃうんだ。精神とか魂とやらは、記憶の反芻で作られた迷妄である。記憶喪失になった程度で無くなってしまうのが自分というものだ」
それからカチェリーナは、現世の記憶をそのまま引き継いで天国で生きる場合のことを考えてみた。
「ではリセットされないとしよう。現世の記憶を引き継いで天国で生きるとしよう。そしたら天国の住人それぞれが現世での設定を引き摺ったまま、お互いに出会うのか。多文化共生というお笑いぐさをやるのだ。あらゆる時代のあらゆる国々で、まったく相容れない文化性を背負った人間が、天国で一緒に暮らすわけだ。あり得ないよ。現世での価値観をすべて放擲し、共産主義的な楽園を築こうというのか。自らの同一性のために過去の記憶だけは後生大事に持ちながら、その価値観を平気で放棄する、そういう出来の悪いユートピア思想が天国というものらしい」
考えれば考えるほど、記憶だけが存在の根拠だとわかるのである。
「そもそも肉体から解き放たれるとは何なのだろう。世界の設定から解き放たれたら、自分がなくなってしまうではないか。わたしたちは自らの現世での設定を憎みながら、実際はそれしかアイデンティティーの根拠がないのだから泣けてくるよ。たとえばロシアの農奴が、天国で天使になるのを夢見るとしても、農奴の頃の記憶は必須なわけだ。記憶が全消去されて天使になったら別人になるのだから、救われるもくそもない。人間はおそろしいくらいに根無し草なのだ。だから肉体を与えられ、役割を固定する必要があるのだ」