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カチェリーナが息絶えようとしていた頃、深夜の宮殿に訪問者があった。領地の修道院で生活する少女であり、顔は知っていた。グルーシェンカと名乗る少女は胸に手を当て敬虔そうな表情を作った。
「カチェリーナ様が亡くなられるということで、訪問させていただきました」
「わたしは修道女などに用はない。おまえらは天国を信じている詐欺師である。天国など絶対にあるわけがない。だいたいいろんな時代や国家の人間が天国で共存できるわけがない。天国は単なるユートピア思想であり、そんなものは断じて存在しないのだ」
「せっかく死ぬ前に天国という嘘話で慰めて差し上げようとしたのですが」
グルーシェンカは顔を歪めて笑った。その表情の変化は、カチェリーナをぞっとさせた。敬虔に思えた修道女に悪魔が舞い降りたのだ。
「カチェリーナ様は、何事も為し得ないまま死んでいくわけです。それがとても不憫なので、天国という嘘を教えに来たのですが、差し出がましい行為だったようです。まったく貴族の血筋ではないのにベルサイユ宮殿みたいなお城を建ててみたところで、お笑い種でしかありません。教会の墓地に埋めるのももったいない。そこらの林道に死体を捨てましょう。腐臭を発し、蛆虫が湧いた死体を晒されるのが、あなたにふさわしい結末です。そのような人生を歩まれてきたのです」
カチェリーナの心臓が早鐘を打った。このグルーシェンカという少女はまったく神を信じていないようだった。本物の無神論者を目の前にすると、天国への未練があるカチェリーナなど物の数ではなかった。先ほどまでの甘えた諦観が打ち砕かれ、今さら神にすがりたくなってきた。
「おまえは悪魔崇拝者か。その手に持っている聖書はまやかしか」
「わたしは決断主義者です。時間の中で決断したものだけが、そこに生存し、存在を残せるのです。カチェリーナ様は一度も決断しなかったので、この世に生存しなかったのです。あなたは生まれてから死ぬまで領地から出ませんでした。クリミア半島から黒海を眺めたことすらないのです」
「偏頭痛があったからな」
「ツイッターをやっていると治る偏頭痛でしたよね。決断できない人間は、そういう病気に罹るのです」
カチェリーナは冷たい床に手をついて震えるしかなかった。痙攣しながら滂沱の涙を流し、これから訪れる虚無に絶望した。もはやグルーシェンカの顔を見る勇気さえなかった。グルーシェンカと目をあわせないことで、天国に行けるという一欠片の希望を信じていたかった。
人間存在は「関心」と「好奇心」で作られているとハイデガーは言った。
ひとは関心や好奇心を持つことで、世界に関わる。
それが時間性という概念と繋がる。
それぞれの現在という時間において、ひとの関心や好奇心は切り替わる。
その関心や好奇心の様態が、(時間の中で作られる)世界であり存在なのである。

昨日の「しゃべくり007」にモーニング娘。が出ているのを見たが、いつも通りの痛々しい感じである。
道重さゆみちゃん以外は10代のメンバーということだが、その9人の部分は多くがカットされていた。
オンエアされたかなりの部分は道重さゆみちゃんのパートだったわけだ。
道重さゆみちゃんとして単体で売った方が売れるだろうに、何となく違和感のあるユニットが継続してるのである。

アイドルは旬であることが必要である。
時代の最先端であり、時代の象徴であることが必要なのだ。
関心のトップを占めているからこそ、アイドルなのである。
ももクロは現在という瞬間で最も売れているという立ち位置を築いているし、AKBも話題にはなっている。
現在進行形でホットトピックでなければアイドルなんて何の価値もない。
そういう時代の勢いの産物だからだ。
今現在、この瞬間において、最高のスターであるという輝きが必要なのだ。
アイドルは生ものであり、鮮度が落ちてはいけない。

モーニング娘。がテレビに出てくると違和感があるのは、勢いを失った存在をチヤホヤしないといけないという妙な義務感があるからだ。
現在の時間からズレた存在として、モーニング娘。はわれわれの前に登場するので、時間性とシンクロせず、とても違和感があるのだ。
せめて「どうやって建て直すか」という観点からメンバーをいじってもいいなら、B級タレント的な生き残りはあり得るが、そういうのはNGのようである。

つんくは他人に反感を持たれないタイプの人間である。
そこがまずいところであり、最下位でも責任を問われない野球監督のようなことになってる。
つんくはアンチが発生するような才能もないので、空気感がすごい。
つんくが何となく生き残っている惰性の象徴がモーニング娘。なのである。

アイドルは人気が落ちたら解散するべきなのである。
人気が落ちたアイドルなんて痛々しいものでしかない。
中身がないものに熱狂しているわけだから、そのピークが過ぎ去った時点で解散しなければならない。
少子化が問題だと思わされている。
年金が維持できないというのだ。
でも、維持できないなら、団塊世代に年金を払わなければよい。
こいつらは金持っているのだから、年金与えなくてよいし、もしくは餓死しても問題ないのである。

厚生年金の支給開始は現在61歳である。これが65歳に引き上げられるのは2025年である。団塊ジュニア世代あたりはさらに年齢が引き上げられる。もしくは破綻しているかもしれない。
それでも、団塊世代へは年金を払い続けるわけである。要するに団塊世代への年金の払いすぎを問題視させないために、少子化が問題だとしているのだ。

若者世代の人口が増えれば解決するという世迷い言は、(現在年金をたくさん貰っている)団塊世代のためにあるのである。団塊世代への払いすぎで年金が破綻するわけだが、これを「少子化のせい」とするわけだ。

少子化問題は人権的に口当たりがいいわけである。女の人権が認められていないから子供が増えないというキャンペーンをすることで、なぜか納得させられているわけだ。そんな馬鹿な話はないわけで、女に人権がない時代の方が子どもの数は多い。女の人権が増大したからこどもが減ったという理解が、どう考えても正しいのだが、これが表だって言われることはない。

いずれ年金は「破綻したので払えない」と言われるだろう。その破綻を受け入れさせるための洗脳として「少子化のせい」と喧伝されているわけだ。

何にせよ、若者の数が増えることはない(ベビーブームの再来はあり得ない)ので、少子化対策などに惑わされず、団塊世代への給付を削減すればいいのである。
シングルマザーというのは「離婚」しているわけだが、(離婚によって子どもが消滅するわけではないので)要は、その離婚した相手の子どもを育てるのであり、これはハーレム的な構造である。
そしてシングルマザーに対して生活保護を行うというのは、ハーレムに対して税金を使うということに他ならない。

かつて人類は人権思想を持たなかった。
他人のこどもの遺伝子に価値はないという、極めて自然な生き方をしていた。
こういう「他人の遺伝子に価値無し」という正直な発想から、様々な侵略や戦争が行われた。
他人の遺伝子に価値なんぞないのだから、いくら蹂躙して虐殺しても構わないわけである。
その反省として、「他人の子どもに価値はある」というフィクションを導入することになった。
それが人権思想なのである。

その人権思想が悪ノリしたのが、シングルマザーへの生活保護である。
シングルマザーとして生活保護を受けると、ワープアよりいい暮らしが出来る。
これは「他人の子どもに価値はある」というフィクションを悪用して、ハーレムを正当化するわけである。
結婚できないオスが、(何人とも)結婚できるオスの子どもの面倒を見るのが、シングルマザーへの生活保護の実態だ。

シングルマザーとはハーレムの肯定者である。
そもそも結婚する段階から離婚が見えている。
優れたオスとの間に子孫を残し、後は生活保護で生きるという計画的犯行なのである。

人権思想(他人の子どもに価値があるというフィクション)がいつまで続くのか見物であるが、早晩これがハーレム思想であることは見抜かれるだろうし、そう長くは持たないだろう。
よくわからないのだが、まず元々は海燕が橋本紡に、「ラノベで星雲賞を受賞できるか」という問題に関して異を唱えたようである。

海燕さんと橋本紡さんのやり取り - Togetter

橋本紡が海燕と会って話すことを求めた後、海燕は、会うならその内容を録音したいと希望。
橋本紡はそれに不快感を示し、会うには至らなかった。
その後、なぜか橋本紡が「本当は海燕君に作家への道を提供したくて会おうと言ったのに」と言い始める。
このあたりは意味不明だが、話をすり替えようとしたか、もしくは海燕を残念がらせようとしたか、よくわからない。
橋本紡は「半分の月がのぼる空」など、それなりにヒット作もあるが、妙に業界ズレしているという印象。
端的に言えば、人格障害というか病んでいる感じである。
橋本紡は海燕と親しいつもりらしいが、海燕は橋本紡とは掲示板やチャットで何度かやり取りしただけで全然親しくないというスタンス。
海燕はオタクライターとして成功しつつあるため、こういう妙な話題も生じるのだろう。
また海燕は他人への好き嫌いが激しく、親しい人と親しくない人が二分化されており、その中間がないため、「橋本紡とは全然親しくない」と強調することにもなってる。
なぜ最近になってコミュニケーション能力が大事になったかと言うと、答えはとても簡単なのだが、正答を意識している人は少ない。
コミュ力とは女と会話する能力である。
男と女が会話することが必要になってからコミュ力コミュ力と言われるようになったのである。
昔であれば、「女と会話する能力」など問われなかった。
そんなことに長けてるのは人間のクズとされた。

男と女が関わる男女共同参画社会は、決してジェンダーが捨象されたわけではない。
ジェンダーが問われないユートピアになったのではなく、男と女という種類が違う生き物が同居することで、コミュニケーションのコストが増大したのだ。
女がいるからには、女を味方に付けるゲーム(コミュニケーション)をやらなければならない。
女は他力本願なゴミであり、嘘泣きで男を翻弄する悪魔である。
このゲームをやるのはコストであり、何らプラスではないのである。
女はこの世界において性的景品として送り込まれているので、決して潤滑油とはならず、そこでは排他的な争いが生じる。
コミュ力の高い人間は全体をサポートすることは少なく、他人を蹴落とすのが専門である。
このゲームはGNPに貢献しない。
社会的なコストが増大するだけである。

「会話する能力」に関してだが、もう少し厳密にいうと、コミュ力とは言葉で言われていないことを把握する能力である。
いちいち他人は説明してくれない。
説明されないことも把握しながら、他人と会話するわけだ。
(いちいち説明されないとわからないのは鈍感な証拠である)。
男と女が混ざると、そういう空気を把握するハードルが上がるので、脱落者が多くなるだけである。
女の社会参加により、決して労働生産性は上がらない。

天才的な業績を女が成すことはほとんどない。
天才の多くは男性であり、独身であり童貞であった。
女という悪魔を拒絶することによって、知的活動に没頭できたのだ。
天才はコミュニケーションに自らの頭脳のリソースを割かないことで生まれるのだ。
男女共同参画社会のせいで、貧相な脳のすべてをコミュニケーションに割いているロンブーのようなゴミが浮かび上がった。
知性の時代は終わったのである。
先ほど有村悠さんに対して「欠損家庭のゴミ」という表現を用いましたが、いくら事実とはいえ、今日の社会では母子家庭は貴族であり、暴れたりゴネたりするだけでお金が出てくると聞いております。そのような特権階級に対して批判を行ったことを反省したいと思います。

有村さんのアフィを踏んでから以下の本を注文しました。

1 "深い疵 (創元推理文庫)"
ネレ・ノイハウス; 文庫; ¥ 1,260
販売: Amazon.com Int'l Sales, Inc.

1 "毒の目覚め 上 (創元推理文庫)"
S・J・ボルトン; 文庫; ¥ 945
販売: Amazon.com Int'l Sales, Inc.

1 "毒の目覚め 下 (創元推理文庫)"
S・J・ボルトン; 文庫; ¥ 945
販売: Amazon.com Int'l Sales, Inc.


だいたい90円くらいのアフィ収益が有村さんに入ります。
有村さんは斜視の悪化で黒目が正面を向かないそうで、さぞかし近隣住人から気持ち悪がられていると思われます。
この90円でジュースでも飲んでいただければ幸いです。
https://twitter.com/maesil35/status/360072733943533569
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有村悠さんはよく人権を説くわけだが、本当に人権を守っているとは言い難い。要は有村さんは「人権屋」なのだ。母子家庭という理由で、普通なら入れないマンションに住んだりしていた。そして将来は生活保護を受けるつもりである。有村悠さんがシングルマザーの人権について説いてるのを見たら「そんなに生活保護の金が欲しいか、この欠損家庭のゴミが」と言っておけばいいのである。

有村さんが東大駒場から徒歩五分のところに住んでいたというのは知られていたが、てっきりボロアパートだと思っていた。母子家庭という理由で、なかなかのマンションに住んでいたのである。その東大から徒歩五分のマンションに住んでいた有村さんの学生生活を考えれば、やはり母子家庭の子どもは駄目だと思わざるをえない。

母子家庭への過剰な生活保護が問題となっている。月額30万円とか貰っているわけだ。ワープアになるよりシングルマザーになった方が儲かるのである。「こどもに罪はない」という人がいる。しかし、その母子家庭のこどもの典型が有村さんである。「こどもに罪はない」という人権屋の言い分を押し通してきたことで、こういう人間が出来上がったのである。今度からシングルマザーが「こどもに罪はない」という妄言を吐いていたら、有村悠さんという罪人の事例を提示すればいい。



「脳を鍛えるには運動しかない」という本を読んだ。
トンデモ本の臭いがプンプンするタイトルだが、著者のジョン・J・レイティはこれまでに優れた脳科学の本を何冊も出している。
本書もきちんとした脳科学に基づいて書かれた本である。
この著者はADHD当事者の精神科医であり、ハーバード大学医学部准教授である。
要はADHDの世界的権威である。
「脳を鍛えるには運動しかない」という邦題だと、胡散臭い本という印象を受けるが、原題は「エクササイズと脳の革命的な新科学」である。

レイティによれば、鬱にせよADHDにせよ、痴呆症にせよ、有酸素運動の効果は非常に大きい。
有酸素運動により、脳内物質が分泌され、脳が鍛えられるのだ。
ADHDの改善にはドーパミンとノルアドレナリンの分泌を増やすことが重要だが、それには運動が最適である。
ADHDは「やる気」がないのが問題だが、これは脳の報酬中枢に問題があるからである。
報酬中枢は側坐核と呼ばれ、ドーパミンニューロンの束である。
猿の脳から側坐核を取り除くと、まったくやる気が無くなる。
また注意欠陥に関してだが、注意力は脳幹の青斑核を中心として機能する。
青斑核はノルアドレナリンを生成する箇所だが、ここがうまくいかないと、注意欠陥になるだけでなく、睡眠のオンオフもうまくいかなくなる。
またADHDは前頭前野のワーキングメモリに問題があることが多いが、これに関しても、ノルアドレナリンがシナプスを通る信号の質を高め、ドーパミンがノイズを抑えることで改善する。
ADHDは小脳に問題を抱えていることも多いが、これもドーパミンとノルアドレナリンで解決できる。

ドーパミンとノルアドレナリンを増やすには、薬で言うとリタリンなのだが、日本ではナルコレプシーしか処方されないし抜け道はない。
18歳までにADHDの診断を受けていれば、コンサータという(リタリンと似た)薬が処方可能である。
そういう診断を受けてなければ、薬で治す目途は立たない。
昨年からストラテラという薬が成人に処方可能になり、ベタナミンという薬は未診断でも可能だが、リタリンやコンサータのような強い効果は期待できない。

だから成人で未診断のADHDは運動するしかないのである。
運動でもドーパミンとノルアドレナリンは増える。
これは即座に増えるそうだ。
30分くらい有酸素運動をやれば増える。
もちろん効果がずっと続くわけではないが、毎朝起きてジョギングでもすれば、午前中くらいは快適に過ごせるだろう。
運動をすれば、リタリンが不要というわけではないが、リタリンが入手出来ない現状では運動でドーパミンとノルアドレナリンを増やすべきなのである。
https://twitter.com/y_arim/status/360685808790933504
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有村さんと言えば、4月と5月はほぼ寝ながら暮らしており、体重が76キロから60キロに減少しました。言わば栄養失調によるダイエットです。それがたたってか、膝に激痛が走るという嬉しい情報がありました。それに加えて、今度は斜視も進行しているようです。どちらかの目があさっての方向を向いているのだと思われますが、正面さえ焦点が合わない模様です。この一年くらいの有村さんは不幸なことが続きました。ブロマガで海燕と同じチャンスを与えられながら、(海燕は成功したのに)有村さんは失敗しました。アドセンスがアボになりました。売れない同人作家として話題になりました。現在は夏コミに向けて56ページの大作を準備中であり、これに人生を賭けていますが、おそらく大赤字で終わるでしょう。東大の合格発表の掲示板の前で胴上げされ高々と舞い上がっていた青年が、こうやって34歳になり老化現象が始まり、落下して砕け散っていくのです。
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