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2013.10.26
不登校という問題
幼い頃から偏頭痛に悩まされてきたカチェリーナだが、久しぶりに閃輝暗点に襲われた。目の前に浮かぶ奇妙な幾何学模様であり、これがカチェリーナと現実世界を隔てる。歯車が蛾の鱗粉のような毒々しい光を放って回転していく。こうやって視覚がおかしくなると、血のにじむ笞刑のような禍々しい偏頭痛がやってくる。カチェリーナはほとんど効果のない鎮静剤を飲んで、ベッドに寝転がった。
ソーネチカにフラれたことで、すべてが灰燼に帰した。ソーネチカは内面世界と現実世界がシームレスに繋がっている聡明な少女だった。内面でもがいて生きていたカチェリーナにとっては、憧れだったのだ。素直で優しそうだし、落ち着いた柔らかな物腰で気品のある流暢な話し方をする人だった。彼女と接することで、カチェリーナもその感覚に共鳴し得たのだが、スケベ心を起こしたため、すべてが台無しになった。
眼窩の奧の方の鈍痛が燎原の火のごとく細胞を蝕みながら広がっていく。溶け込んだはずの現実から放り出されたのだから、それにふさわしい宿痾に饗されているのである。
そうやって半死半生の状態でうつらうつらしていると、いつの間にか朝が来たようだ。
「カチェリーナ様、遅刻しますよ」
グルーシェンカが起こしに来た。
「身体が動かない。死体と同じだ。人差し指の第一関節すら曲がらない」
実際カチェリーナの身体からすべての力が失われていた。これが動作するとはとても思えなかった。
「一度不登校になると、行きづらいですよ。無理してでも行かないと」
「学校で友達を作るのに挫折したのだから、もういい。行く意味がない」
死後硬直のような肉体の軛から逃れるのは無理だった。この肉体という器官に血を通わせて、孤独な学校生活のために歩き出すなんて不可能であった。
「どうするんですかね」
「ひとつ提案がある。以前おまえに一億ドル提示して友達になってくれと言ったが、二億ドルに引き上げるので受け入れてくれ」
「そんなことしてどうするんです」
「友達が出来ないのだから、金で買うしかない。おまえは天才少女として名高いし、ここの由緒正しい家柄とか人脈を含めて考えれば二億ドルが妥当だと判断した」
「お断りします。仮に友達になったら、わたしが行くところ行くところにカチェリーナ様がくっついてくるわけです。社交性のない人間が社交性のある人間と友達になりたがるのはわかりますが、迷惑なんですよね」
グルーシェンカは冷淡だった。カチェリーナは大富豪であるが、グルーシェンカの家も相当な資産家なので、金には飛びついてこない。カチェリーナは絶望し死骸のように横たわるだけだった。
ソーネチカと友達になって現実世界に触れるというプランがご破算になり、グルーシェンカも金では動かないから、陽の当たる現実世界から遠く離れたところに沈んでいくしかなかった。
グルーシェンカはそういう死体のようなカチェリーナを見ながら、考える素振りをした後、提案をした。
「カチェリーナ様と友達になってくれそうな貴族に心当たりがあります。年は上ですが」
「おばさんは嫌だ」
「いや、女子大生です」
それを聞くとカチェリーナはむくりと起き上がった。先ほどまで指の関節すら動かせなかったのが嘘のように、手足に血が通い、表情は生気を取り戻した。死相が浮かんでいた瞳にも活力が宿った。
「では、その女子大生に会いに行くか」
カチェリーナはいそいそと身支度を始めた。盛り場でコニャックを傾けて女子大生とワイワイやれば、この孤独も癒されるだろう。ひょっとするとお持ち帰りだって出来るかもしれない。
「以前カチェリーナ様も会ったことがある人物です。わたしの姉のリザヴェータなんですが」
「げっ、あいつかよ」
カチェリーナは以前、天才であるリザヴェータとの画力の格差を見せつけられ、漫画家を断念したのである。リザヴェータは大学の寮に住んでいるので、あれ以来顔を合わせていない。
「リザヴェータ姉さんはカチェリーナ様を崇拝していて、絵もたくさん描いてるんです」
グルーシェンカはリザヴェータの絵を持ってきた。そこにはいろんなカチェリーナが描かれていたが、まさに天才と呻るしかなかった。どれを見ても構図に狂いが無く、眺めているとその世界に吸い込まれていくようだった。
「リザヴェータ姉さんは実物のカチェリーナ様をモデルにして描きたいそうです。これらの絵は写真を参考に描いてますが、実物がモデルなら、さらにすごい絵が描けるそうなんです」
「だったら協力しない。これ以上天才性を発揮されたらわたしが惨めだ。わたしより絵が上手い奴は全員死ねばいい」
「カチェリーナ様より絵が下手なひとって地球上にいないでしょう」
「それならば地球まるごと劫火に焼き尽くされるがいい」
カチェリーナはリザヴェータの絵を持って台所に行くと、ガスコンロで燃やした。
「才能への嫉妬はわかりますが、仲良くなれる人にまで嫉妬しなくていいでしょう」
「わたしにもアーティストとしてのプライドがある」
「アーティストは断念して学校に通うことにしたじゃないですか。ようやく勉強だって出来るようになりました」
「学校はやめたんだよ。友達がひとりもいないからな。アーティストになって見返してやるんだ」
ソーネチカとは友達になれなかったし、グルーシェンカは二億ドル貰っても友達になりたくないと言う。
この絶望的な孤独は芸術家として昇華するしかないのだ。
ソーネチカにフラれたことで、すべてが灰燼に帰した。ソーネチカは内面世界と現実世界がシームレスに繋がっている聡明な少女だった。内面でもがいて生きていたカチェリーナにとっては、憧れだったのだ。素直で優しそうだし、落ち着いた柔らかな物腰で気品のある流暢な話し方をする人だった。彼女と接することで、カチェリーナもその感覚に共鳴し得たのだが、スケベ心を起こしたため、すべてが台無しになった。
眼窩の奧の方の鈍痛が燎原の火のごとく細胞を蝕みながら広がっていく。溶け込んだはずの現実から放り出されたのだから、それにふさわしい宿痾に饗されているのである。
そうやって半死半生の状態でうつらうつらしていると、いつの間にか朝が来たようだ。
「カチェリーナ様、遅刻しますよ」
グルーシェンカが起こしに来た。
「身体が動かない。死体と同じだ。人差し指の第一関節すら曲がらない」
実際カチェリーナの身体からすべての力が失われていた。これが動作するとはとても思えなかった。
「一度不登校になると、行きづらいですよ。無理してでも行かないと」
「学校で友達を作るのに挫折したのだから、もういい。行く意味がない」
死後硬直のような肉体の軛から逃れるのは無理だった。この肉体という器官に血を通わせて、孤独な学校生活のために歩き出すなんて不可能であった。
「どうするんですかね」
「ひとつ提案がある。以前おまえに一億ドル提示して友達になってくれと言ったが、二億ドルに引き上げるので受け入れてくれ」
「そんなことしてどうするんです」
「友達が出来ないのだから、金で買うしかない。おまえは天才少女として名高いし、ここの由緒正しい家柄とか人脈を含めて考えれば二億ドルが妥当だと判断した」
「お断りします。仮に友達になったら、わたしが行くところ行くところにカチェリーナ様がくっついてくるわけです。社交性のない人間が社交性のある人間と友達になりたがるのはわかりますが、迷惑なんですよね」
グルーシェンカは冷淡だった。カチェリーナは大富豪であるが、グルーシェンカの家も相当な資産家なので、金には飛びついてこない。カチェリーナは絶望し死骸のように横たわるだけだった。
ソーネチカと友達になって現実世界に触れるというプランがご破算になり、グルーシェンカも金では動かないから、陽の当たる現実世界から遠く離れたところに沈んでいくしかなかった。
グルーシェンカはそういう死体のようなカチェリーナを見ながら、考える素振りをした後、提案をした。
「カチェリーナ様と友達になってくれそうな貴族に心当たりがあります。年は上ですが」
「おばさんは嫌だ」
「いや、女子大生です」
それを聞くとカチェリーナはむくりと起き上がった。先ほどまで指の関節すら動かせなかったのが嘘のように、手足に血が通い、表情は生気を取り戻した。死相が浮かんでいた瞳にも活力が宿った。
「では、その女子大生に会いに行くか」
カチェリーナはいそいそと身支度を始めた。盛り場でコニャックを傾けて女子大生とワイワイやれば、この孤独も癒されるだろう。ひょっとするとお持ち帰りだって出来るかもしれない。
「以前カチェリーナ様も会ったことがある人物です。わたしの姉のリザヴェータなんですが」
「げっ、あいつかよ」
カチェリーナは以前、天才であるリザヴェータとの画力の格差を見せつけられ、漫画家を断念したのである。リザヴェータは大学の寮に住んでいるので、あれ以来顔を合わせていない。
「リザヴェータ姉さんはカチェリーナ様を崇拝していて、絵もたくさん描いてるんです」
グルーシェンカはリザヴェータの絵を持ってきた。そこにはいろんなカチェリーナが描かれていたが、まさに天才と呻るしかなかった。どれを見ても構図に狂いが無く、眺めているとその世界に吸い込まれていくようだった。
「リザヴェータ姉さんは実物のカチェリーナ様をモデルにして描きたいそうです。これらの絵は写真を参考に描いてますが、実物がモデルなら、さらにすごい絵が描けるそうなんです」
「だったら協力しない。これ以上天才性を発揮されたらわたしが惨めだ。わたしより絵が上手い奴は全員死ねばいい」
「カチェリーナ様より絵が下手なひとって地球上にいないでしょう」
「それならば地球まるごと劫火に焼き尽くされるがいい」
カチェリーナはリザヴェータの絵を持って台所に行くと、ガスコンロで燃やした。
「才能への嫉妬はわかりますが、仲良くなれる人にまで嫉妬しなくていいでしょう」
「わたしにもアーティストとしてのプライドがある」
「アーティストは断念して学校に通うことにしたじゃないですか。ようやく勉強だって出来るようになりました」
「学校はやめたんだよ。友達がひとりもいないからな。アーティストになって見返してやるんだ」
ソーネチカとは友達になれなかったし、グルーシェンカは二億ドル貰っても友達になりたくないと言う。
この絶望的な孤独は芸術家として昇華するしかないのだ。
2013.10.26
思考体力(思考意欲)の重要性
ちきりんの「採用基準」という本を読んだので要約しておく。
あくまでマッキンゼーでの採用基準の問題であり、全人類に適用される基準ではない。
ちきりんが言うには、思考体力(思考意欲)が非常に重要であるということ。
問題が解けること(思考スキル)も大事であるが、問題を解くためにずっと考え続ける頭の体力があるかどうかが最重要。
粘り強い知的好奇心があるか、ということなのだろう。
マッキンゼーの面接では、問題を解けるかどうかよりは、思考することが好きな人物かどうかを観察している。
ちきりんによれば、思考スキルは後から教えることも出来るが、思考体力(思考意欲)は教えられないという。
面接では思考することへの意欲が強いタイプかどうかを見ているので、問題にうまく解答出来なかった人の方が採用されることも多々ある。
問題が解けても、思考することに淡泊だと判断されれば不採用になる。
マッキンゼーでは京都大学の学生は採用されづらいそうだ。
マッキンゼーではコンサルティングという業務の性質からリーダーシップを重視するが、京大生はこれに欠けていることが多いという。
俗世間と関わりが薄いみたいな、そんな感じの学生が多いようだ。
これは京大生が馬鹿というのではなく、現実的な対人スキルが低いということなのだろう。
この「採用基準」は日本企業批判の本でもある。
ちきりんは、個々人がリーダーシップを持つ欧米的なやり方を推奨するが、日本の大企業では「和」が重視されるので、リーダーシップが評価されるとは限らない。
欧米では「成果」を上げることが第一だが、日本では「和」の方が求められるからだ。
つまりこの本で展開されているリーダーシップ論はマッキンゼー(もしくは欧米的価値観)の話であり、日本の保守的な大手企業では、それがいいとは限らない。
ちきりんは「リーダーはひとりでいい」という日本的な考えを批判し、それぞれがリーダーシップを持つような欧米型のやり方を主張するが、逆に言えば、この「採用基準」に書かれていることは、日本では少数意見ということでもある。
全体を読んだ感想としては、議論を歓迎する文化があるかどうかなのだと思う。
議論が歓迎されるなら、個々が問題提起をし、リーダーシップを発揮するのも可能だろう。
日本だと議論は煙たがられるので、リーダーはひとりで、他の人間は黙って従うということになるのだろう。
あくまでマッキンゼーでの採用基準の問題であり、全人類に適用される基準ではない。
ちきりんが言うには、思考体力(思考意欲)が非常に重要であるということ。
問題が解けること(思考スキル)も大事であるが、問題を解くためにずっと考え続ける頭の体力があるかどうかが最重要。
粘り強い知的好奇心があるか、ということなのだろう。
マッキンゼーの面接では、問題を解けるかどうかよりは、思考することが好きな人物かどうかを観察している。
ちきりんによれば、思考スキルは後から教えることも出来るが、思考体力(思考意欲)は教えられないという。
面接では思考することへの意欲が強いタイプかどうかを見ているので、問題にうまく解答出来なかった人の方が採用されることも多々ある。
問題が解けても、思考することに淡泊だと判断されれば不採用になる。
マッキンゼーでは京都大学の学生は採用されづらいそうだ。
マッキンゼーではコンサルティングという業務の性質からリーダーシップを重視するが、京大生はこれに欠けていることが多いという。
俗世間と関わりが薄いみたいな、そんな感じの学生が多いようだ。
これは京大生が馬鹿というのではなく、現実的な対人スキルが低いということなのだろう。
この「採用基準」は日本企業批判の本でもある。
ちきりんは、個々人がリーダーシップを持つ欧米的なやり方を推奨するが、日本の大企業では「和」が重視されるので、リーダーシップが評価されるとは限らない。
欧米では「成果」を上げることが第一だが、日本では「和」の方が求められるからだ。
つまりこの本で展開されているリーダーシップ論はマッキンゼー(もしくは欧米的価値観)の話であり、日本の保守的な大手企業では、それがいいとは限らない。
ちきりんは「リーダーはひとりでいい」という日本的な考えを批判し、それぞれがリーダーシップを持つような欧米型のやり方を主張するが、逆に言えば、この「採用基準」に書かれていることは、日本では少数意見ということでもある。
全体を読んだ感想としては、議論を歓迎する文化があるかどうかなのだと思う。
議論が歓迎されるなら、個々が問題提起をし、リーダーシップを発揮するのも可能だろう。
日本だと議論は煙たがられるので、リーダーはひとりで、他の人間は黙って従うということになるのだろう。
2013.10.26
無知のベールという思考法
われわれは通常、自分の立場から物事を主張している。自分の立場に有利になるような意見を言う。ロールズは「無知のベール」という思考実験を提唱し、自分が誰だかわからないと仮定して、最善の社会について考えることを提案した。
たとえば貧困層に支援するべきかという議題があるとする。普通であれば、自分の社会的立場にとって有利な意見を言おうとする。しかし「無知のベール」から考えるとすれば、自分が金持ちか貧乏か不明なわけで、だから、どちらでも最善と思えるバランスに配慮した施策を考えるわけである。
無知のベールというのは、現実の人生に反した考えなわけである。われわれは一回だけの人生を生きており、その一回性の立場があるわけだ。突然、顔が変わるとか、身長が伸び縮みするとか、別の人種に変身するとか、そういうことはないわけである。ある固定されたステータスで一回の人生を生きてる。別の条件で生きている自分について思考実験するのは、お遊びだとも言える。
とはいえ、無知のベールという思考実験は完全に無意味ではあるまい。ひとつの政治的主張としてありえるだろう。(自分の立場から主張するのではなく)「どのような立場に生まれても最善と思える社会」という観点から論陣を張ることは可能だし、それなりの支持を得ることも出来るだろう。
過去の人類は「自分に有利なルール」を掲げ、闘争してきた。貴族は貴族に有利なルールを設定したから貴族になれたのだ。しかし貴族制度が無くなったのは、貴族でない人間が、万人に平等なルールを掲げたからである。21世紀は、そういう闘争の果てに平準化された社会なので、「無知のベール」という思考実験は、それなりに無自覚に共有されているようにも思える。
たとえば婚外子に平等な相続権を認めようという動きになっているのは、「無知のベール」で見れば、それなりに妥当である。自分が普通の子どもか愛人の子どもか不明であると仮定した場合、自分が愛人の子どもになったケースのことも考えて、それなりに権利を認めておくことが必要だ。ただ、逆に婚外子も、「自分が婚外子だから婚外子に露骨に有利な社会」を思考するのは駄目だろう。婚外子の人権が無軌道に認められ、結婚などする意味がないということになれば、こども全体の育成環境が悪化する可能性が高い。婚外子も「自分が婚外子でなかったら」という仮定で考えてみるべきだし、自分が愛人の子だからと言って、結婚制度の崩壊を歓迎するのであれば、貴族が貴族に有利なルールを作っているのと何ら変わりがない。
たとえば貧困層に支援するべきかという議題があるとする。普通であれば、自分の社会的立場にとって有利な意見を言おうとする。しかし「無知のベール」から考えるとすれば、自分が金持ちか貧乏か不明なわけで、だから、どちらでも最善と思えるバランスに配慮した施策を考えるわけである。
無知のベールというのは、現実の人生に反した考えなわけである。われわれは一回だけの人生を生きており、その一回性の立場があるわけだ。突然、顔が変わるとか、身長が伸び縮みするとか、別の人種に変身するとか、そういうことはないわけである。ある固定されたステータスで一回の人生を生きてる。別の条件で生きている自分について思考実験するのは、お遊びだとも言える。
とはいえ、無知のベールという思考実験は完全に無意味ではあるまい。ひとつの政治的主張としてありえるだろう。(自分の立場から主張するのではなく)「どのような立場に生まれても最善と思える社会」という観点から論陣を張ることは可能だし、それなりの支持を得ることも出来るだろう。
過去の人類は「自分に有利なルール」を掲げ、闘争してきた。貴族は貴族に有利なルールを設定したから貴族になれたのだ。しかし貴族制度が無くなったのは、貴族でない人間が、万人に平等なルールを掲げたからである。21世紀は、そういう闘争の果てに平準化された社会なので、「無知のベール」という思考実験は、それなりに無自覚に共有されているようにも思える。
たとえば婚外子に平等な相続権を認めようという動きになっているのは、「無知のベール」で見れば、それなりに妥当である。自分が普通の子どもか愛人の子どもか不明であると仮定した場合、自分が愛人の子どもになったケースのことも考えて、それなりに権利を認めておくことが必要だ。ただ、逆に婚外子も、「自分が婚外子だから婚外子に露骨に有利な社会」を思考するのは駄目だろう。婚外子の人権が無軌道に認められ、結婚などする意味がないということになれば、こども全体の育成環境が悪化する可能性が高い。婚外子も「自分が婚外子でなかったら」という仮定で考えてみるべきだし、自分が愛人の子だからと言って、結婚制度の崩壊を歓迎するのであれば、貴族が貴族に有利なルールを作っているのと何ら変わりがない。
2013.10.25
Kindle本が一周年セール
二ヶ月前にNexus 7買ってから、Kindle本買いまくってるわけですが。。。。
Kindleストアが一周年だそうで、セールをやってます。
ラインナップはあまりよくない。
八割くらいがクソな本です。
今回のセールで無理して買うよりは、日替わりセールでいいのを狙った方がいいと思う。
さて、最近なぜか有村悠さんの人格が変貌し、ついには働き出したので、もはやアフィなどどうでもいいかもしれませんが、一応有村さんのアフィを踏んでから購入しました。
これは月替わりセールで購入。
医療ビジネスの闇
崎谷 博征
Kindle 版
販売 Amazon.com Int'l Sales, Inc.
今回の一周年キャンペーンではとりあえず三冊買いました。
夏への扉
ロバート A ハインライン, 福島 正実
Kindle 版
販売 Amazon.com Int'l Sales, Inc.
幕末入門 (中公文庫)
中村彰彦
Kindle 版
販売 Amazon.com Int'l Sales, Inc.
採用基準
伊賀 泰代
Kindle 版
販売 Amazon.com Int'l Sales, Inc.
伊賀泰代(ちきりん)の本は今まで買う気がしなかったが、今回は安いので試しに買ってみた。
一周年キャンペーンは10月31日までだそうです。
ラインナップがあまりよくないので、慌てて買う必要はない。
Kindleはこういうセールを頻繁にやるので、今回はスルー推奨。
Kindleストアが一周年だそうで、セールをやってます。
ラインナップはあまりよくない。
八割くらいがクソな本です。
今回のセールで無理して買うよりは、日替わりセールでいいのを狙った方がいいと思う。
さて、最近なぜか有村悠さんの人格が変貌し、ついには働き出したので、もはやアフィなどどうでもいいかもしれませんが、一応有村さんのアフィを踏んでから購入しました。
これは月替わりセールで購入。
医療ビジネスの闇
崎谷 博征
Kindle 版
販売 Amazon.com Int'l Sales, Inc.
今回の一周年キャンペーンではとりあえず三冊買いました。
夏への扉
ロバート A ハインライン, 福島 正実
Kindle 版
販売 Amazon.com Int'l Sales, Inc.
幕末入門 (中公文庫)
中村彰彦
Kindle 版
販売 Amazon.com Int'l Sales, Inc.
採用基準
伊賀 泰代
Kindle 版
販売 Amazon.com Int'l Sales, Inc.
伊賀泰代(ちきりん)の本は今まで買う気がしなかったが、今回は安いので試しに買ってみた。
一周年キャンペーンは10月31日までだそうです。
ラインナップがあまりよくないので、慌てて買う必要はない。
Kindleはこういうセールを頻繁にやるので、今回はスルー推奨。
2013.10.25
艦これのまとめブログやたらと多いよね

艦これは5-1に辿り着いたら初心者を脱したと言っていいと思うのだが、3-4がなかなか抜けられない。4-4はクリアしたので、あとは3-4だけなのだが、このマップがカフカの門番のように立ちはだかるのです。何度も何度も挑戦すれば運良く鉄格子の向こうにするりと行けるのだろうけど、艦これは普通のRPGとは違う。宿屋に泊まって全部回復というのではなく、損傷の分だけ資源を要する。3-4で凄まじい弾雨を浴びて大破しまくると、そこから修復するのが大変なので、頻繁には挑戦出来ない。戦費の増大に頭を悩ませながら爪に火を灯すように資源を蓄積して、虎の子の貯金で時たま3-4に挑戦しては大破の繰り返しである。
だが、この苦しさが艦これの楽しさなのだろう。バランスの設定が絶妙で、ファミコン時代のゲームの心地よいストレスを思い出す。開発レシピで46センチ砲がなかなか出なかったりするのも、楽しみのひとつだ。艦これは全然新しくなくて、レトロ感がある。初期のゲーム文化が再現されてるのです。
それにしても艦これをやっていて気づいたのは、まとめブログが大量にあることである。軽く100はある。やはりそれだけ情報量があるからまとめやすいのだと思う。わたしは以前ソーシャルゲームのまとめブログをやってみたことがあるのだが、まとめる内容がないので飽きてやめた。たいていのソーシャルゲームはゲーム性が薄いから、最低限のコツさえつかんだら後はまとめるべき情報がないのです。艦これのまとめブログは大量にあるから今さら始めても遅いが、まとめるべき情報がたくさんあるので、更新しがいはあるだろう。ツイッターで艦これの話題が多いのも、それだけ話題になる要素が詰め込まれているからである。いろいろと語り合う内容があるのだ。
iTunesで売り上げ上位にあるゲームでも、(パズドラは別格として)基本的には数千人しかやってない。少人数に高額課金してもらうというのがビジネスモデルだから、文化的なひろがりが乏しくて、まとめブログやったところでアクセスはたかがしれている。PS3の映画みたいなゲームから人が離れて、モバゲー・グリーの単純なゲームが流行ったのだけど、だんだんゲームらしいゲームが登場してきて、ファミコン時代の楽しさに立ち返るような動きが見られるのはいいことである。
2013.10.24
家入一真のstudygiftが再開したが
家入一真のstudygiftが再開したそうである。
こんなの面接で頑張るだけだろ。
立派な志望動機をうそぶいて金を勝ち取るだけ。
面接のゲームなんだよ。
こういうのって、「高い志を持ちながらも金銭的に逼迫している」という学生を念頭に置いてるのだろうけど、そんな人間はいない。
上品で落ち着きのあるタイプの学生は、たいてい金持ちである。
貧すれば鈍するということわざがあるが、貧しければ、それに似つかわしいクズになっていくのである。
たとえば有村悠さんという人がいる。
https://twitter.com/y_arim/status/27814690199

有村さんは母子家庭という理由で、東大から徒歩五分の学生用マンション(ワンルームで9畳)に割安な家賃で住んでいたし、育英会からも奨学金を得ている。
しかも黒田長政の家が奨学金をやっているらしく、それも貰っているのである。
https://twitter.com/y_arim/status/331893605113413634

有村さんは一ヶ月くらい前から、なぜか真人間になったようで、ここ五日くらいは連日編プロに働きに行っているのだが、本当に真人間になったのであれば、奨学金くらい返して欲しいものである。
(ちなみに有村さんは奨学金を返済してないので、クレジットでブラックリストに入っている)。
こんなの面接で頑張るだけだろ。
立派な志望動機をうそぶいて金を勝ち取るだけ。
面接のゲームなんだよ。
こういうのって、「高い志を持ちながらも金銭的に逼迫している」という学生を念頭に置いてるのだろうけど、そんな人間はいない。
上品で落ち着きのあるタイプの学生は、たいてい金持ちである。
貧すれば鈍するということわざがあるが、貧しければ、それに似つかわしいクズになっていくのである。
たとえば有村悠さんという人がいる。
https://twitter.com/y_arim/status/27814690199

有村さんは母子家庭という理由で、東大から徒歩五分の学生用マンション(ワンルームで9畳)に割安な家賃で住んでいたし、育英会からも奨学金を得ている。
しかも黒田長政の家が奨学金をやっているらしく、それも貰っているのである。
https://twitter.com/y_arim/status/331893605113413634

有村さんは一ヶ月くらい前から、なぜか真人間になったようで、ここ五日くらいは連日編プロに働きに行っているのだが、本当に真人間になったのであれば、奨学金くらい返して欲しいものである。
(ちなみに有村さんは奨学金を返済してないので、クレジットでブラックリストに入っている)。
2013.10.24
誰も神経を病まなくなった
やたらといろんな人が鬱になる時代である。その一方、神経を病む人がいなくなった。これは病気の捉え方の問題である。20世紀を席巻したフロイト思想は、精神分析の治療効果の低さの露呈や、SSRIなどの薬物治療の進歩により、著しく人気を落とした。またDSMが主流となったことで、神経症という言葉もあまり使われなくなった。かつてはなんでもかんでも神経症と言われていたものが、過度の手洗いや重度の確認癖などの強迫性障害だけに絞られた。メンタルを病んでいる人の多くは鬱と言われるようになったのである。
誰も神経を病まなくなったのは、ひとびとが健康になったからではなく、病気の原因の追及をやめたからである。フロイト思想は、病気の原因の徹底追及だった。なぜ神経症になったのか、と訊問するのが精神分析であり、時には架空の虐待経験などの冤罪も生み出された。「原因」を徹底追及することで完治するとしたフロイトは、明らかに誤りだったと言えるだろう。メンタルがおかしくなった原因を考えれば考えるほど、他者への恨みが募ってくる。特に親がその恨み対象となる。親はこどもに無償の愛を注ぐべきであり、そうでないなら、大罪を犯したことになるからだ。このあたりをほじくり返すのも、治療効果が低い、もしくは悪化させる原因となった。親が不良品だからと言って、取り替えるわけにはいかないから、親を批難するのは家庭を混乱させることでしかないし、だいたい親が人格者であることの方が稀なのだ。フロイト精神分析は、親を糾弾しながらも、親に聖者であることを求めた。親が不完全な人間であることを認められなかったのである。
人間は時間的存在であり、歴史的存在である。刻々と別の人間に生まれ変わるのではなく、同一性を持って持続的に存在し、それぞれの時間が事実として確定し地層として堆積していく。その歴史性を背負っているのが人間存在だ。それを掘り返すのがフロイト精神分析だったが、過去に確定した事実は覆せない。たとえば10年前に屈辱的な体験をしたとして、それを延々と反芻するよりは、放置して忘れた方がよいのだ。「忘れる」というのは記憶の消去ではなく、記憶を反芻しないという向き合い方である。時間を巻き戻して過去を変えることは出来ないので、諦めて損切りした方がいいのだ。
神経症から鬱への時代的変化の背景にあるのは、世の中から呪術的なものが消えたからである。極端に言えば、神経症は宗教であり、根拠のない畏れを抱いて生きていた時代の産物である。田舎の迷信と同じだ。天罰や祟りを本気で信じているような宗教的資質を持った人が神経症になる。腫れ上がるまで手を洗わないと深刻な病気になるという迷信が手洗い強迫になる。家を出る時に延々と火元や戸締まりを確認するのは、そういう儀式をやることで家事や泥棒を防ごうとする祈祷なのだ。脱聖化された現代においては、迷信や祟りを信じる人も少なくなり、神経症の時代ではなくなった。強迫的な行為で悪霊を退散させる必要がなくなったのである。
誰も神経を病まなくなったのは、ひとびとが健康になったからではなく、病気の原因の追及をやめたからである。フロイト思想は、病気の原因の徹底追及だった。なぜ神経症になったのか、と訊問するのが精神分析であり、時には架空の虐待経験などの冤罪も生み出された。「原因」を徹底追及することで完治するとしたフロイトは、明らかに誤りだったと言えるだろう。メンタルがおかしくなった原因を考えれば考えるほど、他者への恨みが募ってくる。特に親がその恨み対象となる。親はこどもに無償の愛を注ぐべきであり、そうでないなら、大罪を犯したことになるからだ。このあたりをほじくり返すのも、治療効果が低い、もしくは悪化させる原因となった。親が不良品だからと言って、取り替えるわけにはいかないから、親を批難するのは家庭を混乱させることでしかないし、だいたい親が人格者であることの方が稀なのだ。フロイト精神分析は、親を糾弾しながらも、親に聖者であることを求めた。親が不完全な人間であることを認められなかったのである。
人間は時間的存在であり、歴史的存在である。刻々と別の人間に生まれ変わるのではなく、同一性を持って持続的に存在し、それぞれの時間が事実として確定し地層として堆積していく。その歴史性を背負っているのが人間存在だ。それを掘り返すのがフロイト精神分析だったが、過去に確定した事実は覆せない。たとえば10年前に屈辱的な体験をしたとして、それを延々と反芻するよりは、放置して忘れた方がよいのだ。「忘れる」というのは記憶の消去ではなく、記憶を反芻しないという向き合い方である。時間を巻き戻して過去を変えることは出来ないので、諦めて損切りした方がいいのだ。
神経症から鬱への時代的変化の背景にあるのは、世の中から呪術的なものが消えたからである。極端に言えば、神経症は宗教であり、根拠のない畏れを抱いて生きていた時代の産物である。田舎の迷信と同じだ。天罰や祟りを本気で信じているような宗教的資質を持った人が神経症になる。腫れ上がるまで手を洗わないと深刻な病気になるという迷信が手洗い強迫になる。家を出る時に延々と火元や戸締まりを確認するのは、そういう儀式をやることで家事や泥棒を防ごうとする祈祷なのだ。脱聖化された現代においては、迷信や祟りを信じる人も少なくなり、神経症の時代ではなくなった。強迫的な行為で悪霊を退散させる必要がなくなったのである。
2013.10.23
身長が低い女の方が子孫を残せる
160センチ台の女より、150センチ台の女の方がモテるのは、明らかである。
女で長身だと、モデルみたいな容姿でない限り、人気は低いと言える。
いろんなカップルを見ていると、高身長の男子でさえ、低身長の女子が好みであるように思える。
「脳とセックスの生物学」という本を読んでいたら、このあたりの話が載っていた。
男で身長が高いと有利という研究はたくさんあるが、女の身長とモテの問題に関しては、わりと珍しいと思うので紹介しておこう。
英国の科学者のダニエル・ネトルが発表したもので、それが紹介されている。
英国女子の平均身長は162センチである。
ネトルが調査したところ、子どもがいる比率が高いのは、身長151-158の女性である。
英国でも、女は平均身長より低い方がモテるらしい。
この本で仮説として提示されているのは、身長が低い女の子は性的な成熟が早いということである。
女子は性的成熟期に達すると、性ホルモンの関係で骨端線(骨の両端)を閉鎖させる。
こうなると身長が伸びなくなる。
背の高い女性は、性的成熟が遅い(女性ホルモンが少なめ)から背が伸びる、とも言える。
男子は長身がよく、女子は低身長がよいとなると、身長の悩みは解決されそうにない。
ただし、着床前診断はすでに可能であり、両親の背が低い場合には女子を選ぶとか、もしくは両親共に長身の場合は男子を選ぶとか、そういう選択は可能である。
(ただし日本では倫理的に禁じられているので、海外でやる必要がある)。
もう少しすれば、受精卵の遺伝子そのものを解析して選ぶことも出来るだろう。
女で長身だと、モデルみたいな容姿でない限り、人気は低いと言える。
いろんなカップルを見ていると、高身長の男子でさえ、低身長の女子が好みであるように思える。
「脳とセックスの生物学」という本を読んでいたら、このあたりの話が載っていた。
男で身長が高いと有利という研究はたくさんあるが、女の身長とモテの問題に関しては、わりと珍しいと思うので紹介しておこう。
英国の科学者のダニエル・ネトルが発表したもので、それが紹介されている。
英国女子の平均身長は162センチである。
ネトルが調査したところ、子どもがいる比率が高いのは、身長151-158の女性である。
英国でも、女は平均身長より低い方がモテるらしい。
この本で仮説として提示されているのは、身長が低い女の子は性的な成熟が早いということである。
女子は性的成熟期に達すると、性ホルモンの関係で骨端線(骨の両端)を閉鎖させる。
こうなると身長が伸びなくなる。
背の高い女性は、性的成熟が遅い(女性ホルモンが少なめ)から背が伸びる、とも言える。
男子は長身がよく、女子は低身長がよいとなると、身長の悩みは解決されそうにない。
ただし、着床前診断はすでに可能であり、両親の背が低い場合には女子を選ぶとか、もしくは両親共に長身の場合は男子を選ぶとか、そういう選択は可能である。
(ただし日本では倫理的に禁じられているので、海外でやる必要がある)。
もう少しすれば、受精卵の遺伝子そのものを解析して選ぶことも出来るだろう。
2013.10.23
有村悠さん、連日終電まで仕事
https://twitter.com/y_arim/status/392654301719310336

https://twitter.com/y_arim/status/392786957652090880

10年以上に渡り、ネットで大暴れしてきた有村悠さんだが、なぜか一ヶ月くらい前からメンタルが安定したようである。これまで自らの情緒不安定な言動をさらけ出し、世の中への怨嗟をネットに垂れ流してきたのに、それが止まったのである。今年あたりから、おとなしくなる傾向は見えていたのだが、春頃には鬱で二ヶ月寝込んで何もせず、体重が20キロも減るなど、決して状態はよくなかった。どこかで爆発して、繁華街の路上で包丁を振り回す日も近いと思われたが、どういうわけか前向きに生きているようである。
有村悠さんの奥底から無限に湧き出ていた破壊衝動は、性欲の強さの反動だった。あまりにも下半身が元気であるため、欲望が達成できないという苦しみが人一倍強いのである。後輩に告白してなじられて東大に通えなくなってから、延々とそういう精神構造を引き摺っていた。下半身だけは非常に元気であったが、それ以外の箇所は壊死したように動かず、鹿島田のゴミ屋敷で、空き缶やカップラーメンと一緒に無力に転がっていた。突然起き上がったかと思えば、怒りにまかせて母親に食ってかかったり、室内の器物を破壊して回るなど、ろくな人間ではなかった。鬱になったり、鬱病の薬を飲むと、普通の人間は性欲が減退すると言われるが、有村さんはどんなに鬱になっても決して減退しない性欲の持ち主だった。性欲が非常に強くても、それを昇華し、別のことにエネルギーをぶつけていくことも可能なのだが、有村さんにはそれが出来なかった。昇華のプロセスが働かないので、とても短絡的な発散しか出来ないのである。
このような人物の後半生は、いつ犯罪が実行されるかという部分にしか焦点がなく、われわれも有村さんがワイドショーを賑わすのを待っていたわけだが、この一ヶ月、人が変わったようになり、妙に穏やかになり、ついには連日仕事に出て終電まで働くに至ったのである。劇場型犯罪に向かうと思われた男が、それとは真逆の方向に歩み出したのだから、われわれも一斉に首を捻っており、ひょっとすると、近々計画されている犯罪をカモフラージュするためではないかと考えてみたりもするが、気の短い有村さんにそこまで綿密なことは出来まい。好色の色情狂が突然悟ったように穏やかになったのだから、何らかの出来事はあったのだろう。この変化について有村さんが語らないところからして、奇跡の童貞喪失の可能性が高いと思われるが、たぶん現段階では語りたくないのだろう。この突然の改心がどこまで続くか見物である。

https://twitter.com/y_arim/status/392786957652090880

10年以上に渡り、ネットで大暴れしてきた有村悠さんだが、なぜか一ヶ月くらい前からメンタルが安定したようである。これまで自らの情緒不安定な言動をさらけ出し、世の中への怨嗟をネットに垂れ流してきたのに、それが止まったのである。今年あたりから、おとなしくなる傾向は見えていたのだが、春頃には鬱で二ヶ月寝込んで何もせず、体重が20キロも減るなど、決して状態はよくなかった。どこかで爆発して、繁華街の路上で包丁を振り回す日も近いと思われたが、どういうわけか前向きに生きているようである。
有村悠さんの奥底から無限に湧き出ていた破壊衝動は、性欲の強さの反動だった。あまりにも下半身が元気であるため、欲望が達成できないという苦しみが人一倍強いのである。後輩に告白してなじられて東大に通えなくなってから、延々とそういう精神構造を引き摺っていた。下半身だけは非常に元気であったが、それ以外の箇所は壊死したように動かず、鹿島田のゴミ屋敷で、空き缶やカップラーメンと一緒に無力に転がっていた。突然起き上がったかと思えば、怒りにまかせて母親に食ってかかったり、室内の器物を破壊して回るなど、ろくな人間ではなかった。鬱になったり、鬱病の薬を飲むと、普通の人間は性欲が減退すると言われるが、有村さんはどんなに鬱になっても決して減退しない性欲の持ち主だった。性欲が非常に強くても、それを昇華し、別のことにエネルギーをぶつけていくことも可能なのだが、有村さんにはそれが出来なかった。昇華のプロセスが働かないので、とても短絡的な発散しか出来ないのである。
このような人物の後半生は、いつ犯罪が実行されるかという部分にしか焦点がなく、われわれも有村さんがワイドショーを賑わすのを待っていたわけだが、この一ヶ月、人が変わったようになり、妙に穏やかになり、ついには連日仕事に出て終電まで働くに至ったのである。劇場型犯罪に向かうと思われた男が、それとは真逆の方向に歩み出したのだから、われわれも一斉に首を捻っており、ひょっとすると、近々計画されている犯罪をカモフラージュするためではないかと考えてみたりもするが、気の短い有村さんにそこまで綿密なことは出来まい。好色の色情狂が突然悟ったように穏やかになったのだから、何らかの出来事はあったのだろう。この変化について有村さんが語らないところからして、奇跡の童貞喪失の可能性が高いと思われるが、たぶん現段階では語りたくないのだろう。この突然の改心がどこまで続くか見物である。
2013.10.21
切込隊長が井上トシユキをdisる
https://twitter.com/kirik/status/391921005620625408

井上トシユキと言えば、元々は多重債務者のフリーライターということだった。その後、2002年発売の「2ちゃんねる宣言」という書籍の印税を巡って、いろいろあった。この「2ちゃんねる宣言」という本は、七割くらいが西村博之のインタビューであり、三割くらいが井上の解説である。当時わたしが井上に対して否定的な見解を述べたところブチ切れてきた。やはり多重債務者になるだけあって、気性は激しい。井上はサラリーマン経験があるので、表向きは温厚に振る舞えるのだが、激すると黒い中身がどろりと出てくるタイプだ。
「2ちゃんねる宣言」の印税はI&Pが全部取る形で、西村側には流れなかった。これで西村が激怒し、切込隊長と決裂した。切込隊長は「印税は井上の借金返済で消えた」と発言し、西村はこれを否定している。ただ、後に井上が借金を完済したことから、それなりのお金は得たのだろうと思われる。
井上はこの後も、切込隊長の子分という立ち位置で活動していたが、2006年にTBSアクセスのパーソナリティーに就任。これを切っ掛けに切込隊長から離れる。
そしてその頃、井上が切込隊長を「マル精」と罵倒する。
当時のブログは消えているのだが、こんな内容であった。
2006年9月1日に井上ブログで次のような発言。
2006年10月1日に切込隊長がブログで次のような言及。
これに対して、10月3日に井上が次のような言及。
この「王国」というのは、昔の切込隊長のブログのタイトルが「俺様キングダム」だったからである。
これから何年かしてTBSのアクセスは打ち切られたので、井上の姿はあまりメディアで見掛けなくなった。
今回、切込隊長が井上トシユキに言及したのは7年ぶりだと思うのだが、なぜ今さらdisるのか不明である。

井上トシユキと言えば、元々は多重債務者のフリーライターということだった。その後、2002年発売の「2ちゃんねる宣言」という書籍の印税を巡って、いろいろあった。この「2ちゃんねる宣言」という本は、七割くらいが西村博之のインタビューであり、三割くらいが井上の解説である。当時わたしが井上に対して否定的な見解を述べたところブチ切れてきた。やはり多重債務者になるだけあって、気性は激しい。井上はサラリーマン経験があるので、表向きは温厚に振る舞えるのだが、激すると黒い中身がどろりと出てくるタイプだ。
「2ちゃんねる宣言」の印税はI&Pが全部取る形で、西村側には流れなかった。これで西村が激怒し、切込隊長と決裂した。切込隊長は「印税は井上の借金返済で消えた」と発言し、西村はこれを否定している。ただ、後に井上が借金を完済したことから、それなりのお金は得たのだろうと思われる。
井上はこの後も、切込隊長の子分という立ち位置で活動していたが、2006年にTBSアクセスのパーソナリティーに就任。これを切っ掛けに切込隊長から離れる。
そしてその頃、井上が切込隊長を「マル精」と罵倒する。
当時のブログは消えているのだが、こんな内容であった。
2006年9月1日に井上ブログで次のような発言。
「イレギュラーズアンドパートナーズ株式会社(I&P)監査役。」
に関しては、本年7月付けで辞任しています。理由は、少なくとも
この2年ほどは実態がなかったから。
2006年10月1日に切込隊長がブログで次のような言及。
井上氏がブログ上で「実態が無い」と書いていたのは、彼個人が監査役時代に常勤した実態がないというだけであって、まあI&Pは通常通り活動しているわけです。前期もI&Pは普通に利益を出して納税しとるのだが、当然監査役である井上氏は退任前に決算でハンコ押してる。お前、勝手に人の会社を実態が無いなどと書いてどういうつもりだとうちの元社員が大変怒っておりました。気が短い部下を持つと社長は幸せです。ま、今回はI&Pはどうでもええのですが。
で、上記wanwan氏のことについて、彼を取材した雑誌記者の方に井上氏が身許について聞いたらしく、何がどう行き違ったのか知らないけど職業倫理上の問題へと発展。
ただし、個人的には井上氏は本当のジャーナリストになるためのラストチャンスであり、そのためのTBSラジオであって、本音を言えば私や西村氏やその周辺など、いわゆる程度の低い掲示板界隈と仲良しこよしで意見ご代弁、なんて立ち位置をやってたら潰されるわけで、当方としては黙って背中を見送ってやりたいと思ってたとこであります。当方だけでなく、彼の周辺にいた一部の人間と距離を置きたいと思う気持ちは充分伝わってくるので、それは上等、なるだけ連絡は取らないようにしているという次第。
一般論であって、誰かを具体的に指すわけではないけど、よく「先生」と呼ばれるようになって、馬鹿をやった旧友と付き合わなくなる人がおるわけで、逆に言えば”踏み台”冥利に尽きるし、どっかでまた脱線して潰れてしまったとしても、セーフティーネットのひとつも用意しておけばまたネットラジオのひとつも復活させられるだろとか適当なことを思っておりやす。
これに対して、10月3日に井上が次のような言及。
ここにウソつきで虚言癖持ちでロクなソースもないくせに自分の王国があると
信じ込んでいて高みからモノを言う自己愛性人格障害(http://ja.wikipedia.org/wiki/自己愛性人格障害)のマル精がいたとして、そいつが何を言おうが相手にするとゆーか、
ネットに粘着しているそいつと違って、あるいはネットに世論があってリアル社会に
影響を及ぼしていると勘違いしているバカと違って、相手にしてる暇はないです。
なぜなら、ヴァーチャル=ネットとゆーのはリアル社会の写し鏡でしかないからです。
特にシリーズの汚点とか評されているウソつきで虚言癖持ちで鼻持ちならない基地外
なんて、なんで相手にしなきゃならないのかわかりません。リアル社会のあれやこれやで
忙しーんだよ、こちとら。
この「王国」というのは、昔の切込隊長のブログのタイトルが「俺様キングダム」だったからである。
これから何年かしてTBSのアクセスは打ち切られたので、井上の姿はあまりメディアで見掛けなくなった。
今回、切込隊長が井上トシユキに言及したのは7年ぶりだと思うのだが、なぜ今さらdisるのか不明である。