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2013.11.19
「ネット弁慶」は東浩紀のことだろ
https://twitter.com/hazuma/status/402308365952368641

最近のネットにおいては、素人ブロガーが絶滅危惧種となっている。かつては「真性引き篭もり」のような素人ブロガーが多大なアクセスを得ていた。彼の極端な視野の狭さや、一点だけに執着し激昂し、常軌を逸した長文を書くのはアスペルガーなのだろうし、決して彼の書いている内容は公平ではないが、それでも視野狭窄ならではの鋭い観察眼で人気を集め、万単位のアクセスがあったのである。
真性引き篭もりは今でもブログを書き続けているが、もう終わった存在である。ブログが読まれるには、ある程度の市場が必要である。競争相手がいなければ自分のブログで多大なアクセスを独占出来るというわけではなく、文化的な盛り上がり(それによるアクセスの環流)が必要なのである。文化圏が成り立たないくらいに寂れると、もうおしまいなのである。はてなダイアリーなどがよい事例である。
今でもブロガーがいるように見えるが、彼らのほとんどは「文化人」である。彼らは実名主義だが、勇敢だから実名を名乗ったのではなく、文化人として売り出したいという意図があるから実名を名乗っている。そして、そういうランクの、時たまテレビに出られる程度の、マスメディアの末席にいる文化人が、ネットを主戦場とし、影響力を拡大しようと考えているのである。彼らはなけなしの「知名度」を武器にして、ネットの言論を支配し、有料メルマガという方法でマネタイズする仕組みも考え出した。だからはてなダイアリーのような素人日記は終焉を迎えた。
東浩紀がアンチに神経を尖らせているのは、哲学研究者としての道から外れて社会的な行動に踏み出したことで、哲学オタクの信者が脱落したという危機感があるからだろう。彼の経営するゲンロンカフェはさほどうまく行ってないようだが、これは哲学オタクが離反したことが大きいだろう。津田と組んだことで東浩紀のネットでの影響力は増したように見えるが、コアな哲学オタクは離れた。東が本当に中傷に心を痛めているというよりは、方向性を変えたことによって信者が離れたという不安である。原発問題とか(そういう時事的な社会問題は)、東浩紀の元々の読者は関心持っていないのだ。津田の信者が流入した分と、東についてた哲学オタクの離反した分の差引勘定は知らないが、少なくともゲンロンカフェやるんなら、哲学オタクを切っては駄目だった。津田の信者なんかミーハーなんだから、思想的情熱があるわけがない。牛乳瓶みたいな眼鏡掛けてる気持ち悪い哲学オタクよりは、津田の取り巻きのミーハーの方が東浩紀には輝かしく見えたのだろうが、彼らは思想書を読まない、というより、読むだけの読解力もないだろう。
さて、「ネット弁慶」に関して言おう。二軍の文化人が素人の遊び場を乗っ取ったわけである。はてなダイアリーが衰退したのは、あそこで書いてる素人のエントリーがゴミだからであり、自業自得だという意見もあるだろう。だが文化人たちは知名度でミーハーを集めているだけだから、これは対等なゲームとは言えない。東浩紀が、ネットの素人を「ネット弁慶」呼ばわりしているが、東こそ、ネットという二軍に降りてきて弁慶のように無双しようとしてるのではないか。学者として一軍の世界で優れた論文を書いたり、名著を執筆したっていいんですよ。学者の一軍から脱落したからと言って、われわれ素人相手に優越感を持たれても困る。ネットという掃きだめで弁慶のように振る舞いたいのは、本当は誰なのかというのを考えた方がいい。

最近のネットにおいては、素人ブロガーが絶滅危惧種となっている。かつては「真性引き篭もり」のような素人ブロガーが多大なアクセスを得ていた。彼の極端な視野の狭さや、一点だけに執着し激昂し、常軌を逸した長文を書くのはアスペルガーなのだろうし、決して彼の書いている内容は公平ではないが、それでも視野狭窄ならではの鋭い観察眼で人気を集め、万単位のアクセスがあったのである。
真性引き篭もりは今でもブログを書き続けているが、もう終わった存在である。ブログが読まれるには、ある程度の市場が必要である。競争相手がいなければ自分のブログで多大なアクセスを独占出来るというわけではなく、文化的な盛り上がり(それによるアクセスの環流)が必要なのである。文化圏が成り立たないくらいに寂れると、もうおしまいなのである。はてなダイアリーなどがよい事例である。
今でもブロガーがいるように見えるが、彼らのほとんどは「文化人」である。彼らは実名主義だが、勇敢だから実名を名乗ったのではなく、文化人として売り出したいという意図があるから実名を名乗っている。そして、そういうランクの、時たまテレビに出られる程度の、マスメディアの末席にいる文化人が、ネットを主戦場とし、影響力を拡大しようと考えているのである。彼らはなけなしの「知名度」を武器にして、ネットの言論を支配し、有料メルマガという方法でマネタイズする仕組みも考え出した。だからはてなダイアリーのような素人日記は終焉を迎えた。
東浩紀がアンチに神経を尖らせているのは、哲学研究者としての道から外れて社会的な行動に踏み出したことで、哲学オタクの信者が脱落したという危機感があるからだろう。彼の経営するゲンロンカフェはさほどうまく行ってないようだが、これは哲学オタクが離反したことが大きいだろう。津田と組んだことで東浩紀のネットでの影響力は増したように見えるが、コアな哲学オタクは離れた。東が本当に中傷に心を痛めているというよりは、方向性を変えたことによって信者が離れたという不安である。原発問題とか(そういう時事的な社会問題は)、東浩紀の元々の読者は関心持っていないのだ。津田の信者が流入した分と、東についてた哲学オタクの離反した分の差引勘定は知らないが、少なくともゲンロンカフェやるんなら、哲学オタクを切っては駄目だった。津田の信者なんかミーハーなんだから、思想的情熱があるわけがない。牛乳瓶みたいな眼鏡掛けてる気持ち悪い哲学オタクよりは、津田の取り巻きのミーハーの方が東浩紀には輝かしく見えたのだろうが、彼らは思想書を読まない、というより、読むだけの読解力もないだろう。
さて、「ネット弁慶」に関して言おう。二軍の文化人が素人の遊び場を乗っ取ったわけである。はてなダイアリーが衰退したのは、あそこで書いてる素人のエントリーがゴミだからであり、自業自得だという意見もあるだろう。だが文化人たちは知名度でミーハーを集めているだけだから、これは対等なゲームとは言えない。東浩紀が、ネットの素人を「ネット弁慶」呼ばわりしているが、東こそ、ネットという二軍に降りてきて弁慶のように無双しようとしてるのではないか。学者として一軍の世界で優れた論文を書いたり、名著を執筆したっていいんですよ。学者の一軍から脱落したからと言って、われわれ素人相手に優越感を持たれても困る。ネットという掃きだめで弁慶のように振る舞いたいのは、本当は誰なのかというのを考えた方がいい。
2013.11.18
アンナ・カレーニナは傑作である
リザヴェータはカチェリーナを描くことをライフワークにしているが、カチェリーナと親しくなれたので、裸のカチェリーナをデッサンすることが出来るようになった。今までは本人をデッサンしてないので、写真だけを参考に描いていたカチェリーナの絵は公開してなかったが、これからは公開していくつもりである。
そして最初の作品が完成した。カチェリーナをモデルとした裸婦像であるが、あまりセンセーショナルな内容ではない。自宅のアトリエで、リザヴェータはカチェリーナに完成した作品を見せた。
「わたしの実物そのままで、かなり忠実に再現されているが、イメージが少年っぽいな」
カチェリーナは裸になって自分の裸体と絵を見比べていた。
「あまり猥褻にならないようにという配慮と、カチェリーナ様の美しさは少年っぽいところだと思うんです。そこを強調して描きました」
カチェリーナは女の子らしい共感性に欠けていて、現世に馴染めず、情緒も足りないところがあるが、知力はかなり高く、リザヴェータはそこに崇高さを見いだしていた。カチェリーナは生まれてから友達がひとりもいないような人間だが、それはカチェリーナが俗塵にまみれることが出来ないからだとリザヴェータは考えていた。
すでにリザヴェータは天才として誉れ高かったが、今回の作品は自信作である。ウクライナ最高の美少女と言われるカチェリーナの裸体を忠実に描きながらも、女の子らしくない少年の側面を出せたつもりである。
「少年愛は人間の根源的な願望だからな。人類で最高の美はコーカソイド系の少年にある。これはそのあたりの願望に訴えかける絵だ。普通の裸婦のように見えて、少年愛を賛美してるのだから、問題になりそうだ」
「なんで少年愛は問題になるのでしょうね」
「みんなで我慢してるからさ。この世の中、ひとりひとりが勝手に禁欲するということはないんだ。禁欲は共同的にやるものだ。本音では酒池肉林をやりたいわれわれが、お互いのモラルを監視してるんだよ。おまえはアンナ・カレーニナを読んだことあるだろうか」
「昔読んだことがあります。不倫のお話ですよね」
「アンナ・カレーニナは結構イライラさせられる作品だよ。アンナはカレーニンという20歳年上の夫と暮らしていた。この夫のカレーニンは政府高官であり、平凡な仕事人間なのだが、そのアンナの前にヴロンスキー公爵という魅力的な青年が現れる。アンナはこのヴロンスキーと不倫するわけだが、あくまでアンナは聡明な貴婦人として描かれる。ドストエフスキーならアンナを売女のように描くだろうが、トルストイはそれはしないんだ。貞操が乱れきった売女の話ではなくて、貴婦人が愛を貫く。このあたりが、どうもモラルの問題として釈然としない。そしてその違和感がゆえに名作なんだよ」
「アンナ・カレーニナは旦那さんが悪役ではないんですよね」
「映画のタイタニックだと、ヒロインの婚約者の男が露骨に人間のクズだろ。だからディカプリオ演じる青年がヒーローとして登場するわけだ。ハリウッドの観客が喜ぶ展開なんだよ。アンナ・カレーニナはそういう話と違って、平凡でさして問題のない夫をアンナが捨てて、ヴロンスキー青年の元に走るんだ。このイライラさせる手法がうまいんだ。われわれは世間一般のモラルをみんなで守って我慢して生きている。アンナはそれを守らないし、自分の立場もあまり理解しない。不倫で顰蹙を買っているのに、貴婦人として平気で社交界に出ようとしたりする。アンナがヴロンスキーと同居して子どもも出来たので、正式にカレーニンと離婚してヴロンスキーと結婚しようという案が当然出るのだが、アンナはこれにも難色を示すんだ。アンナはヴロンスキーとの間に出来た娘が可愛くないので可愛がってないのだが、夫との間の息子は溺愛している。この息子との縁を保ちたいから離婚しないと主張するんだ。離婚するなら、愛する息子を引き取りたいというのだよ」
「おそろしいほどわがままですね。そしてそれが作劇のテクニックなんですね」
「アンナは恋人のヴロンスキーも大好きだし、夫との間の息子も大好きで、この愛はかけがえのないものであると考えている。まともな神経があれば、息子のことは諦めて、ヴロンスキーとの間に出来た娘を愛そうとするものだが、アンナはそういう妥協をしない。すべて愛が基準だからだ。愛したい相手を愛する。愛のためにすべてを捧げる麗しく聡明な貴婦人だから、常識が通じない。アンナは自分の手元にいる実娘が可愛くないから、イギリス人の利発で素直な少女を養女にしたりするんだ。アンナにとって全てが愛なんだよ」
「そういう常識が通じない人をヒロインに立てることで、モラルの問題を提起してるんですね。アンナが夫の元に残した息子を諦め、ヴロンスキーとの間に出来た娘を溺愛するようだと、幸せに丸く収まってしまう。だから息子に思い焦がれる設定にして、アンナのキャラクターを立たせているんですわね。決して愛に妥協しない女性なのですね」
「わたしはドストエフスキーの堕落した登場人物が大好きだから、アンナ・カレーニナはあまり好きではないのだが、それでも名作には違いない。いかにわれわれが共同的にモラルを守っていて、それを乱されるのを嫌がるか、ということなんだ」
「最後にアンナは鉄道自殺をしてしまうんですよね」
「悲劇的な幕引きが必要だとトルストイは判断したのだろう。彼はアンナが自由奔放に胸を張って生きていく姿を描きたかったわけではないからね。だが、決してアンナは悪人として罰せられたわけではない。アンナは血にまみれた轢死体として人生の幕を閉じるが、世間との軋轢に潰されたのであって、あくまで聡明な誇り高い貴婦人として死ぬんだ」
「アンナ・カレーニナの結論は何なのでしょう」
「結論はないんだ。トルストイは意図的に結論を用意していない。聡明な麗しい貴婦人が不倫をして、最後は自殺するだけの話だよ。トルストイは問題を提起しているだけなので、われわれは結婚とか不倫とか、愛とか、社会的モラルとか、人生における妥協の問題を考えたりするわけだ」
そして最初の作品が完成した。カチェリーナをモデルとした裸婦像であるが、あまりセンセーショナルな内容ではない。自宅のアトリエで、リザヴェータはカチェリーナに完成した作品を見せた。
「わたしの実物そのままで、かなり忠実に再現されているが、イメージが少年っぽいな」
カチェリーナは裸になって自分の裸体と絵を見比べていた。
「あまり猥褻にならないようにという配慮と、カチェリーナ様の美しさは少年っぽいところだと思うんです。そこを強調して描きました」
カチェリーナは女の子らしい共感性に欠けていて、現世に馴染めず、情緒も足りないところがあるが、知力はかなり高く、リザヴェータはそこに崇高さを見いだしていた。カチェリーナは生まれてから友達がひとりもいないような人間だが、それはカチェリーナが俗塵にまみれることが出来ないからだとリザヴェータは考えていた。
すでにリザヴェータは天才として誉れ高かったが、今回の作品は自信作である。ウクライナ最高の美少女と言われるカチェリーナの裸体を忠実に描きながらも、女の子らしくない少年の側面を出せたつもりである。
「少年愛は人間の根源的な願望だからな。人類で最高の美はコーカソイド系の少年にある。これはそのあたりの願望に訴えかける絵だ。普通の裸婦のように見えて、少年愛を賛美してるのだから、問題になりそうだ」
「なんで少年愛は問題になるのでしょうね」
「みんなで我慢してるからさ。この世の中、ひとりひとりが勝手に禁欲するということはないんだ。禁欲は共同的にやるものだ。本音では酒池肉林をやりたいわれわれが、お互いのモラルを監視してるんだよ。おまえはアンナ・カレーニナを読んだことあるだろうか」
「昔読んだことがあります。不倫のお話ですよね」
「アンナ・カレーニナは結構イライラさせられる作品だよ。アンナはカレーニンという20歳年上の夫と暮らしていた。この夫のカレーニンは政府高官であり、平凡な仕事人間なのだが、そのアンナの前にヴロンスキー公爵という魅力的な青年が現れる。アンナはこのヴロンスキーと不倫するわけだが、あくまでアンナは聡明な貴婦人として描かれる。ドストエフスキーならアンナを売女のように描くだろうが、トルストイはそれはしないんだ。貞操が乱れきった売女の話ではなくて、貴婦人が愛を貫く。このあたりが、どうもモラルの問題として釈然としない。そしてその違和感がゆえに名作なんだよ」
「アンナ・カレーニナは旦那さんが悪役ではないんですよね」
「映画のタイタニックだと、ヒロインの婚約者の男が露骨に人間のクズだろ。だからディカプリオ演じる青年がヒーローとして登場するわけだ。ハリウッドの観客が喜ぶ展開なんだよ。アンナ・カレーニナはそういう話と違って、平凡でさして問題のない夫をアンナが捨てて、ヴロンスキー青年の元に走るんだ。このイライラさせる手法がうまいんだ。われわれは世間一般のモラルをみんなで守って我慢して生きている。アンナはそれを守らないし、自分の立場もあまり理解しない。不倫で顰蹙を買っているのに、貴婦人として平気で社交界に出ようとしたりする。アンナがヴロンスキーと同居して子どもも出来たので、正式にカレーニンと離婚してヴロンスキーと結婚しようという案が当然出るのだが、アンナはこれにも難色を示すんだ。アンナはヴロンスキーとの間に出来た娘が可愛くないので可愛がってないのだが、夫との間の息子は溺愛している。この息子との縁を保ちたいから離婚しないと主張するんだ。離婚するなら、愛する息子を引き取りたいというのだよ」
「おそろしいほどわがままですね。そしてそれが作劇のテクニックなんですね」
「アンナは恋人のヴロンスキーも大好きだし、夫との間の息子も大好きで、この愛はかけがえのないものであると考えている。まともな神経があれば、息子のことは諦めて、ヴロンスキーとの間に出来た娘を愛そうとするものだが、アンナはそういう妥協をしない。すべて愛が基準だからだ。愛したい相手を愛する。愛のためにすべてを捧げる麗しく聡明な貴婦人だから、常識が通じない。アンナは自分の手元にいる実娘が可愛くないから、イギリス人の利発で素直な少女を養女にしたりするんだ。アンナにとって全てが愛なんだよ」
「そういう常識が通じない人をヒロインに立てることで、モラルの問題を提起してるんですね。アンナが夫の元に残した息子を諦め、ヴロンスキーとの間に出来た娘を溺愛するようだと、幸せに丸く収まってしまう。だから息子に思い焦がれる設定にして、アンナのキャラクターを立たせているんですわね。決して愛に妥協しない女性なのですね」
「わたしはドストエフスキーの堕落した登場人物が大好きだから、アンナ・カレーニナはあまり好きではないのだが、それでも名作には違いない。いかにわれわれが共同的にモラルを守っていて、それを乱されるのを嫌がるか、ということなんだ」
「最後にアンナは鉄道自殺をしてしまうんですよね」
「悲劇的な幕引きが必要だとトルストイは判断したのだろう。彼はアンナが自由奔放に胸を張って生きていく姿を描きたかったわけではないからね。だが、決してアンナは悪人として罰せられたわけではない。アンナは血にまみれた轢死体として人生の幕を閉じるが、世間との軋轢に潰されたのであって、あくまで聡明な誇り高い貴婦人として死ぬんだ」
「アンナ・カレーニナの結論は何なのでしょう」
「結論はないんだ。トルストイは意図的に結論を用意していない。聡明な麗しい貴婦人が不倫をして、最後は自殺するだけの話だよ。トルストイは問題を提起しているだけなので、われわれは結婚とか不倫とか、愛とか、社会的モラルとか、人生における妥協の問題を考えたりするわけだ」
2013.11.18
鈴谷の「きんもー」に萎えた

わたしは艦これでは金剛が嫁だと思ってプレーしていた。
しかしイラストが改悪され、整形失敗のような格好になったため、アイドルとして死んでしまった。
出撃はさせるが、もう愛でることは出来ない。
もはや偶像ではなくなったのである。
そんな心境の頃に、鈴谷を引き当てたので、今度はこの子を嫁にして頑張ろうと考えた。
重巡洋艦だった頃はいい子のように思えたし、新たなアイドルに巡り会えたと考えたものである。
しかし、航空巡洋艦に改造したらまた失墜してしまった。
鈴谷は航空巡洋艦になると、カットインの場面で「うわ、きんもー」と言うのである。
意外と清楚で学級委員みたいな子というのが鈴谷のイメージだったが、「きんもー」のカットインのせいで、繁華街を徘徊してるギャルになってしまった。
またしてもアイドルがひとり死んだのである。
艦これの運営はあり得ない。
金剛の絵を改悪し、鈴谷改が「きんもー」と言うのは、どういう意図なのだろう。
鈴谷はビッチ的な位置づけなのかもしれないが、誰がそれを望んでいるのかという問題である。
鈴谷の超絶可愛いイラストを見て「きんもー」という決めゼリフを付ける人間がこの地球上に存在することが信じられない。
このようなクズが二人もいるとは思えないので、金剛の絵を改悪した人間と、鈴谷の決めゼリフを「きんもー」にした人間は同一人物だろう。
こいつひとりのせいで、キャラが次々と壊されるのだから溜まらない。
やりきれないので、備蓄している資源で新しい航空母艦を手に入れようと思った。
その子を嫁として育てるのだ。
しかし、翔鶴・瑞鶴を目当てに資源を合計で30000くらい使ってレシピ回したのに出会えなかった。
バケツを浪費するのを避けるため、5-2を回すより、レシピを選択したのだが、あまりにも不幸な結果に終わった。
基本無料のゲームだから(わたしは3000円課金してるが)レシピで爆死したことで金銭的なダメージを負ったわけではない。
だが、金剛と鈴谷の件でペットロスのような状態になっているのに、新しい嫁をお迎え出来ず、資源も底をついたのが慚愧の念に堪えない。
2013.11.17
もし電器製品が故障しなくなったら
魔法使いが地球の上空で杖を振って、電器製品が故障しないようにしてくれたとする。それは人類にとって恩恵なのかというと、なかなか難しい問題である。故障しなければ、冷蔵庫や洗濯機などは延々と使える。よほど大きな技術革新がなければ新品には買い換えない。それは消費の停滞である。壊れてない家電製品を買い換えるなんて滅多にないからだ。消費の停滞とは、われわれの財布が傷まなくなるということでもあるのだが、当然(この事例で言えば)家電製品の製造・販売を生業にしている人間は失業の危機に晒される。失業者の財布には(失業保険は別として)お金が入らなくなる。
貨幣経済の仕組みは、要は、生産(労働)した分だけ消費できるということである。時間(労働時間)を提供し、その分だけ分け前が貰える形になっている。家電製品が故障しなくなり、大幅に需要が落ち込んだら、その生産に携わるひとびとは労働を提供する機会を失う。人間の脳は融通が利かないので、ある程度の年齢になれば新しいことなど憶えられず、そう簡単に転職は出来ない。
時間は溜めておくことが出来ない。失業者が発生するとして、その失業している間の時間を蓄積しておくことは出来ない。時間は垂れ流しなのである。その現在現在の瞬間で時間を使わないと利用できないものだ。
大雑把には、この世界は、みんなで生産してみんなで消費している。だが、資本主義はシビアである。漠然と生産すれば消費してもらえるのではない。売れないのに生産しても在庫の山が増えるだけで赤字の垂れ流しである。消費されてようやく生産した行為が(貨幣を貰う形で)認められるのだ。その貰った貨幣でようやく消費が出来るのである。
貨幣経済の仕組みは、要は、生産(労働)した分だけ消費できるということである。時間(労働時間)を提供し、その分だけ分け前が貰える形になっている。家電製品が故障しなくなり、大幅に需要が落ち込んだら、その生産に携わるひとびとは労働を提供する機会を失う。人間の脳は融通が利かないので、ある程度の年齢になれば新しいことなど憶えられず、そう簡単に転職は出来ない。
時間は溜めておくことが出来ない。失業者が発生するとして、その失業している間の時間を蓄積しておくことは出来ない。時間は垂れ流しなのである。その現在現在の瞬間で時間を使わないと利用できないものだ。
大雑把には、この世界は、みんなで生産してみんなで消費している。だが、資本主義はシビアである。漠然と生産すれば消費してもらえるのではない。売れないのに生産しても在庫の山が増えるだけで赤字の垂れ流しである。消費されてようやく生産した行為が(貨幣を貰う形で)認められるのだ。その貰った貨幣でようやく消費が出来るのである。
2013.11.16
有村悠さん、土曜出勤もメンタルが不安定
https://twitter.com/y_arim/status/401559911701569537

有村悠さんのアフィを踏んでから以下の書籍を購入しました。
口語訳聖書
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 200
決定版 図説 旧約・新約聖書 この一冊で聖書がまるごとわかる!
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 332
イエスの生涯 (新潮文庫)
周作, 遠藤; 文庫
販売: Amazon.com Int'l Sales, Inc.
¥ 515
なんでもわかるキリスト教大事典 (朝日文庫)
八木谷 涼子; 文庫
販売: Amazon.com Int'l Sales, Inc.
¥ 998
有村さんと言えば、10月に入ったあたりから突然真人間になったわけである。後半あたりになると、編プロでバイトを始めた。8時間勤務で日給5000円という安い仕事だが、これを二週間くらいやりきった。15年間ゴロゴロしていた人間としては長足の進歩である。この改心の理由は説明されていないが、おそらくお気に入りの女子大生が出来たのだろう。
そして最近も、同じ編プロでバイトを始めたようだが、あまりメンタルの調子がよくないようである。御本人の弁によれば、女性エロ漫画家の作品を見て性嫌悪に陥ったらしいが、有村さんの性欲の強さを知るわれわれとしては不可解な悩みである。
有村さんは東大合格歴もあるから、編プロのバイトで実力を見せつけて、栄達していく姿を見られるのではないかとも考えていたが、メンタル不調ということであり、今日は一時間遅刻して出勤だった模様。今後どうなるのかが注目される。

有村悠さんのアフィを踏んでから以下の書籍を購入しました。
口語訳聖書
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有村さんと言えば、10月に入ったあたりから突然真人間になったわけである。後半あたりになると、編プロでバイトを始めた。8時間勤務で日給5000円という安い仕事だが、これを二週間くらいやりきった。15年間ゴロゴロしていた人間としては長足の進歩である。この改心の理由は説明されていないが、おそらくお気に入りの女子大生が出来たのだろう。
そして最近も、同じ編プロでバイトを始めたようだが、あまりメンタルの調子がよくないようである。御本人の弁によれば、女性エロ漫画家の作品を見て性嫌悪に陥ったらしいが、有村さんの性欲の強さを知るわれわれとしては不可解な悩みである。
有村さんは東大合格歴もあるから、編プロのバイトで実力を見せつけて、栄達していく姿を見られるのではないかとも考えていたが、メンタル不調ということであり、今日は一時間遅刻して出勤だった模様。今後どうなるのかが注目される。
2013.11.15
左の頬を差し出す理由
肌寒い季節になると、妙にわびしくなってくるものである。上流階級の恵まれた環境に移ってから、カチェリーナはゴロゴロ生活をやめ意欲的にやっていたが、どうも調子が出なかった。おそらく季節が変わろうとすると、それだけ時計の針が動いたことを感じるからだ。普段は寿命のことなど考えないのに、残りの命とか、これまで無駄にしてきた時間とか、そういう圧倒的な重みに押し潰されそうになるのだ。普段は曖昧にしている時間の流れに直面させられるから、季節の変わり目は人間を感傷的にさせる。
なんとなくカチェリーナはグルーシェンカを部屋に呼んで説法でも聞こうと思った。グルーシェンカは片手間に修道女の真似事をやっているが、かなり人気があるようである。あの悪魔的な女の話に御利益があるとは思えないが、今は暇つぶしが必要だった。
「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せって、聖書にあるだろ。おまえあれをまったく実践してないよな。聖書を実践出来ない人間が修道女をやる資格あるのだろうか」
カチェリーナはグルーシェンカに問いただした。この女にはまったく寛容の精神がなく、軽く十倍は反撃してくるわけである。まったくカトリックを実践している様子が見えない。
「復讐するなというのは、キリスト教の運動方針の話なんです。もちろん個人間のモラルの問題としても聖書に書いてあるんですが、根本的にはキリスト教の布教戦略なんです。ご承知のように、旧約聖書はユダヤ教という民俗宗教ですが、それを世界的に広めるにあたって、新約聖書のイエス・キリストの論法が必要だったのです。迫害されたら反撃というのでは権力に潰されて終わってしまう。つまりキリスト教への迫害に対して、寛容に許すという非暴力の姿勢で対処することにしたのです。そうやってリスペクトを得ることで勢力を広げようという戦略なのです」
「キング牧師とかガンジーと同じやり方だな」
カチェリーナはコニャックを傾けながらつぶやいた。
「そうです。ガンジーだってイギリスと本格的に戦ったら負けるに決まってるから、ああいう手法を取ったのです」
「要は個人間のトラブルで左の頬を差し出すのは単なる馬鹿ということか」
「無抵抗な個人がリスペクトされることはないですね」
カチェリーナは、険悪だった家族にいたぶられるだけだった日々を思い出した。宗教的な感性を持っていたカチェリーナは抵抗しないのが正義だと考えていたが、今から考えれば愚かでしかなかった。
「おまえは信者にもちゃんとそう説明してるのか」
「復讐したくても出来ないことが多いですから、赦すという宗教的なアプローチを薦めることはあります。そうやって自分が高級な魂の持ち主だと自己満足出来ればいいじゃないですか」
「まあそうだな」
「被害者になると、被害者としての債権が生じますよね。相手から賠償金を貰いうる。でもたいていは不良債権になります」
「他人を傷つけるたびに賠償金払うなんてないからな。被害が回復されるなんてレアケースだ」
「被害者に滅多に賠償などされないという現世的な問題に解決を与えるのが宗教です。神様に不良債権の回収を依頼するのです。神様が取り立ててくれると考えるのです。そうやって丸投げした方が精神的に楽なのです」
「本当に神様は債権回収をやってくれるのだろうか」
「被害の回復が困難である場合は、宗教のロジックで説明しております。聖書にも罰を与えるのは神様に任せろと書いてあります」
「わたしの場合、家族が皆殺しにあったが、神様がやってくれたのかもしれないな。大事な幼少期にネグレクトされたダメージは取り返しが付かないし、この素晴らしい家庭環境に接してると、育ちの格差を思い知らされるばかりだが」
「今からでも遅くないです。いつまでもうちにいてください」
「おまえは神様とか信じてないんだよな。まったく宗教家ではない」
「いろんな御意見はあるでしょう。ローマ法王も進化論を認める時代なので、それに合わせるだけです。懐疑的ながら、わたしもカトリック信者の端くれなのです」
なんとなくカチェリーナはグルーシェンカを部屋に呼んで説法でも聞こうと思った。グルーシェンカは片手間に修道女の真似事をやっているが、かなり人気があるようである。あの悪魔的な女の話に御利益があるとは思えないが、今は暇つぶしが必要だった。
「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せって、聖書にあるだろ。おまえあれをまったく実践してないよな。聖書を実践出来ない人間が修道女をやる資格あるのだろうか」
カチェリーナはグルーシェンカに問いただした。この女にはまったく寛容の精神がなく、軽く十倍は反撃してくるわけである。まったくカトリックを実践している様子が見えない。
「復讐するなというのは、キリスト教の運動方針の話なんです。もちろん個人間のモラルの問題としても聖書に書いてあるんですが、根本的にはキリスト教の布教戦略なんです。ご承知のように、旧約聖書はユダヤ教という民俗宗教ですが、それを世界的に広めるにあたって、新約聖書のイエス・キリストの論法が必要だったのです。迫害されたら反撃というのでは権力に潰されて終わってしまう。つまりキリスト教への迫害に対して、寛容に許すという非暴力の姿勢で対処することにしたのです。そうやってリスペクトを得ることで勢力を広げようという戦略なのです」
「キング牧師とかガンジーと同じやり方だな」
カチェリーナはコニャックを傾けながらつぶやいた。
「そうです。ガンジーだってイギリスと本格的に戦ったら負けるに決まってるから、ああいう手法を取ったのです」
「要は個人間のトラブルで左の頬を差し出すのは単なる馬鹿ということか」
「無抵抗な個人がリスペクトされることはないですね」
カチェリーナは、険悪だった家族にいたぶられるだけだった日々を思い出した。宗教的な感性を持っていたカチェリーナは抵抗しないのが正義だと考えていたが、今から考えれば愚かでしかなかった。
「おまえは信者にもちゃんとそう説明してるのか」
「復讐したくても出来ないことが多いですから、赦すという宗教的なアプローチを薦めることはあります。そうやって自分が高級な魂の持ち主だと自己満足出来ればいいじゃないですか」
「まあそうだな」
「被害者になると、被害者としての債権が生じますよね。相手から賠償金を貰いうる。でもたいていは不良債権になります」
「他人を傷つけるたびに賠償金払うなんてないからな。被害が回復されるなんてレアケースだ」
「被害者に滅多に賠償などされないという現世的な問題に解決を与えるのが宗教です。神様に不良債権の回収を依頼するのです。神様が取り立ててくれると考えるのです。そうやって丸投げした方が精神的に楽なのです」
「本当に神様は債権回収をやってくれるのだろうか」
「被害の回復が困難である場合は、宗教のロジックで説明しております。聖書にも罰を与えるのは神様に任せろと書いてあります」
「わたしの場合、家族が皆殺しにあったが、神様がやってくれたのかもしれないな。大事な幼少期にネグレクトされたダメージは取り返しが付かないし、この素晴らしい家庭環境に接してると、育ちの格差を思い知らされるばかりだが」
「今からでも遅くないです。いつまでもうちにいてください」
「おまえは神様とか信じてないんだよな。まったく宗教家ではない」
「いろんな御意見はあるでしょう。ローマ法王も進化論を認める時代なので、それに合わせるだけです。懐疑的ながら、わたしもカトリック信者の端くれなのです」
2013.11.14
海燕は低偏差値の模様
https://twitter.com/kaien/status/400165406226120704

海燕と言えば、有村悠さんと妙に経歴が似ており、メンヘラで大学を中退し、はてなで有名になり、ブロマガのチャンスを得た同い年です。
だが、結果として、海燕だけが成功したので、いろいろ考えさせられました。
オタクになりたがっていた有村さんと、ナチュラルなオタクだった海燕の差が現れたのです。
その海燕ですが、どうやら偏差値は低い模様です。
考えようによっては、低偏差値の大学を中退したわけで、ダメージは非常に軽いと言えるでしょう。
卒業してもゴミ扱いの大学をドロップアウトしたのだから、たいしたことない。
東大中退の有村さんに比べたら、ノーダメージと言えます。

海燕と言えば、有村悠さんと妙に経歴が似ており、メンヘラで大学を中退し、はてなで有名になり、ブロマガのチャンスを得た同い年です。
だが、結果として、海燕だけが成功したので、いろいろ考えさせられました。
オタクになりたがっていた有村さんと、ナチュラルなオタクだった海燕の差が現れたのです。
その海燕ですが、どうやら偏差値は低い模様です。
考えようによっては、低偏差値の大学を中退したわけで、ダメージは非常に軽いと言えるでしょう。
卒業してもゴミ扱いの大学をドロップアウトしたのだから、たいしたことない。
東大中退の有村さんに比べたら、ノーダメージと言えます。
2013.11.13
有村悠さんの母親、一切料理をせず
https://twitter.com/y_arim/status/400477281061048320

他人の親に言及するのはなかなか難しいものである。本質的に根無し草であるわれわれ人間存在は、自らのルーツを求めざるを得ないし、わけもわからず地球に生まれて生きている流浪の民だという現実から目を逸らしたいから、お父さんがいておじいさんがいて、というクロニクルな物語性で自分の根っこを理解している。
料理をしない有村さんの母親をクソと呼ぶとなれば、神武天皇を信じることで日本という国体に帰属しているネトウヨに「神武天皇なんているわけねえだろ」と言うのと同じであるし、エルサレムが約束の地だからユダヤ人が乗っ取ってもいいという世迷い言を世界は認めたわけだし、ルーツを求める業病は尊重せざるを得ない。
有村さんの母親はこどもにゲームをさせなかったり、東大以外は認めないと主張する高卒の女であったが、育ちのよい家に生まれた娘さんというよりは、貧困家庭でお嬢様のような自閉的意識を培ってきた神経質な眼鏡女と思われる。有村さんは宅間や加藤を崇拝しているわけだが、加藤の母親とも通底するものがある。大学受験、すなわち偏差値というものは圧倒的なヒエラルキーでありながら機会均等であり、そこにしがみつく教育ママという存在を大量に生んだ。教育ママの特徴は、本人が無教養であることだ。つい最近まで農奴だったような階級の人間でも、東京大学に合格すれば皇帝として戴冠することが可能なのだから、低学歴の主婦達がおきつねさんのように学歴を崇拝したのである。まともな文化資本や教養の背景がなくても高学歴を手に出来るという夢があり、その挫折が加藤を秋葉原で大暴れさせたのだが、有村さんと加藤智大の類似性は明らかである。
育ちのよい人間に接すると、その存在の安定感に驚かされる。育ちの悪い人間は他人からナメられたくないため、四六時中癇癪を起こし攻撃的なオーラを発しているのだが、育ちがいい人間はナメられたら終わりという緊迫感とは無縁であり、とてもまともな人間性を持ったりしているのである。こう考えると、人間性などというのは、一回しか人生がないから生まれる虚妄であり、人間性のよさなんて育ちのよさの余裕でしかないから、魂の永遠性など当然のごとく否定されるべきなのだが、下賤な人間でも現世の桎梏から逃れ、俗塵の穢れを断ち切り天国に行きさえすれば、本来的で永遠的な美しい自分になれると願うのだろう。

他人の親に言及するのはなかなか難しいものである。本質的に根無し草であるわれわれ人間存在は、自らのルーツを求めざるを得ないし、わけもわからず地球に生まれて生きている流浪の民だという現実から目を逸らしたいから、お父さんがいておじいさんがいて、というクロニクルな物語性で自分の根っこを理解している。
料理をしない有村さんの母親をクソと呼ぶとなれば、神武天皇を信じることで日本という国体に帰属しているネトウヨに「神武天皇なんているわけねえだろ」と言うのと同じであるし、エルサレムが約束の地だからユダヤ人が乗っ取ってもいいという世迷い言を世界は認めたわけだし、ルーツを求める業病は尊重せざるを得ない。
有村さんの母親はこどもにゲームをさせなかったり、東大以外は認めないと主張する高卒の女であったが、育ちのよい家に生まれた娘さんというよりは、貧困家庭でお嬢様のような自閉的意識を培ってきた神経質な眼鏡女と思われる。有村さんは宅間や加藤を崇拝しているわけだが、加藤の母親とも通底するものがある。大学受験、すなわち偏差値というものは圧倒的なヒエラルキーでありながら機会均等であり、そこにしがみつく教育ママという存在を大量に生んだ。教育ママの特徴は、本人が無教養であることだ。つい最近まで農奴だったような階級の人間でも、東京大学に合格すれば皇帝として戴冠することが可能なのだから、低学歴の主婦達がおきつねさんのように学歴を崇拝したのである。まともな文化資本や教養の背景がなくても高学歴を手に出来るという夢があり、その挫折が加藤を秋葉原で大暴れさせたのだが、有村さんと加藤智大の類似性は明らかである。
育ちのよい人間に接すると、その存在の安定感に驚かされる。育ちの悪い人間は他人からナメられたくないため、四六時中癇癪を起こし攻撃的なオーラを発しているのだが、育ちがいい人間はナメられたら終わりという緊迫感とは無縁であり、とてもまともな人間性を持ったりしているのである。こう考えると、人間性などというのは、一回しか人生がないから生まれる虚妄であり、人間性のよさなんて育ちのよさの余裕でしかないから、魂の永遠性など当然のごとく否定されるべきなのだが、下賤な人間でも現世の桎梏から逃れ、俗塵の穢れを断ち切り天国に行きさえすれば、本来的で永遠的な美しい自分になれると願うのだろう。
2013.11.12
なぜゴロゴロするのが悪いのか
「もしかするとカチェリーナ様はストーカー殺人でもやらかすんですか」
カチェリーナの不穏な様子を見てグルーシェンカが尋ねた。
「ソーネチカに生き恥をかかされたのだから、叩き殺すしかないだろう」
カチェリーナが空気が読めないのは確かだとしても、あそこまで面罵されると屈辱である。これは復讐するしかなかった。
「なるほど。殺人者になるわけですね」
「育ちの悪い人間の末路なんてこんなものよ。わたしは育ちの悪い人間の代表として、ソーネチカの頭部をざくろにしてやる。これは革命なのだよ」
「わかりました。カチェリーナ様が決断されたなら止めても無駄でしょう。ワイドショーで報じられるのを待とうと思います」
「絶対に止めるなよ。本当にやるからな」
「止めません。実行すると宣言したのだから決行してください。途中で日和ったりせずに絶対に決行するだろうと確信しています」
それからグルーシェンカは部屋の外に出て飲み物を持ってきた。
「新聞に載る人殺しの発言なんて警察発表の丸写しなんです。あんなのは容疑者の本音ではなく、警察の作文です。せっかくですから、犯罪者の生の声を聞いておきたいです」
グルーシェンカはグラスを二つ並べてコニャックを注いだ。
「カチェリーナ様は明日この家から出て行って貰います。犯罪者の居候はまずいですから」
「なんでだよ。この上流階級の家に移り住んで、せっかくゴロゴロ生活から脱出したんだぞ」
「だってカチェリーナ様はストーカー殺人を絶対に決行するんですよね。ソーネチカをブスリとやるんですよね。その後は少年院とか刑務所に行くわけです。もううちでの生活は終わりでしょう」
「まあそれもそうだな」
「カチェリーナ様とはずいぶんたくさんお話をしました。その中で頻出した単語が15年間ゴロゴロ生活というものですが、わたしにはこれがよくわかりませんでした」
「普通の人は、夜に寝て朝に起きる。必要な時間だけ寝る。これではゴロゴロの快楽は得られないんだ。ゴロゴロとは、要は二度寝なんだよ。二度寝は楽しいんだぞ。これこそ布団の快楽なんだ。半分寝ながらうつらうつらして楽しむんだ。その半覚醒状態が素晴らしい。必要がない惰眠だからこそ、ゴロゴロを楽しめる。目覚まし時計が鳴ったら目を擦りながら起きて活動するなんて、ゴロゴロの楽しみを奪われているわけだ」
「15年間ゴロゴロしてきただけあって、言葉に重みがあります。これから猟奇的な殺人事件を起こして刑務所に入るということなので、カチェリーナ様とお話出来なくなるのがとても残念です」
「やっぱり事件とか起こすのやめようかな」
「いやいや、やると決めたわけでしょう。育ちの悪い人間の代表として革命的な事件を起こすんでしょう」
「ううむ」
カチェリーナはすでにソーネチカを殺すのが面倒になってきたが、このままだと無理矢理決行させられそうである。
「カチェリーナ様はこの家ではゴロゴロしてないようですが、なんででしょう」
「ゴロゴロを楽しむのは時間が掛かるんだよ。布団で暖まっているうちに眠りに落ちることが多いから、睡眠時間が余分になりすぎる。余分な惰眠を楽しむのがゴロゴロ生活の本懐とはいえ、この道楽は時間を浪費しすぎる。城にいた頃は時間の浪費も気にならず、お姫様のようなベッドで微睡むのを楽しんでいたわけだ。しかしこの上流階級の家に来たら、ゴロゴロで失われる時間が惜しくてゴロゴロ出来なくなった。ゴロゴロする時間で勉強とかしたい。睡眠時間出来るだけ削りたいと思ってる」
カチェリーナが変われたのは、グルーシェンカというロールモデルがいたからである。グルーシェンカはいかにも頭がよさそうな顔立ちをした天才少女であり、知性を体現する存在であった。そういう人間に感化されることで、カチェリーナも生活が改善されたのである。
「刑務所でもゴロゴロは出来ないでしょうから、ゴロゴロとは永遠に決別できたようで、いいじゃないですか」
「おまえわたしに殺人を決行させたいのか」
「だって絶対やるって約束したじゃないですか。この部屋だって、カチェリーナ様のためにリフォームしたのに無駄になりますね」
「そうだったな」
この広い部屋は複数の客を泊めるための部屋だったのだが、カチェリーナひとりが広々と使えるように改装したのだ。城の寝室とあまり変わらないくらいの豪華な部屋になっている。
「この素晴らしい部屋を捨ててまで、育ちの悪い子どものために決起して人殺しをやるわけですから、カチェリーナ様はすごいです」
グルーシェンカは楽しそうにコニャックを飲んでいる。カチェリーナは引っ込みがつかなくなったので、不安になっていた。グルーシェンカは悪魔的に人間を操作するので、このままだと本当に実行させられそうだ。
そうやって語り合ったり、つまみを口にしたり酒を流し込んでいると、玄関の方で音がした。誰かが来たようである。
「リザヴェータ姉さんだと思います。お別れの挨拶をするように連絡しておきましたから」
それから部屋にリザヴェータが入ってきた。
「カチェリーナ様、ストーカーで補導されたんですって」
「これからストーカー殺人をやるとカチェリーナ様が決断したので、お別れの酒盛りをしてるんです」
グルーシェンカがリザヴェータに事情を説明した。
「では刑務所に行ってしまうわけですわね。カチェリーナ様がうちの養女になってくれたらいいと思ってたんです。カチェリーナ様は友達がいないですが、グルーシェンカとは長時間話せるようですし、わたしもカチェリーナ様が大好きです。養女にならずとも三人姉妹のようなつもりでいたんですが、すでに決断されたのだから覆らないでしょうね」
「カチェリーナ様は頑固ですから、確実にストーカー殺人を決行します。最愛のリザヴェータ姉さんから溺愛されてるのに、ソーネチカとかつまらん女に惚れて人生狂わせるなんて情けないです」
それからリザヴェータがカチェリーナと一緒に風呂に入りたいと提案してきた。カチェリーナはリザヴェータの絵のモデルをやっているので、性的な結びつきは創作意欲に支障が出るといわれ、寝たりすることはなかったが、最後に風呂くらい一緒に入ろうということになった。
湯船の中でリザヴェータの身体に身を委ねていると、カチェリーナはこの生活を手放したくないと強く願ったが、絶対にストーカー殺人を決行すると誓ってしまったため、もはや撤回は出来ない。心から尊敬しているリザヴェータに抱きしめてもらえる快楽は何物にも代え難く、楽園そのものだった。このように偽りなき愛を注いでくれる人がいるのに、どうでもいい女のために人生を滅ぼそうとしている自分は馬鹿にしか思えず、出来るなら計画を撤回したいが、ここまでお別れの儀式が盛り上がるとなると、今さらやめるとは言えない。
「カチェリーナ様って、人間性が素晴らしいんです。そこが大好きでした」
「人間性がゴミだから、友達ひとりもいないんだけど」
「空気が読めてないからですよ。この世の中は言葉で説明して貰えないので、お互いに想像して理解してるんです」
「わたしの情緒は欠落してるのだろうか」
「でも人間性は尊敬してますよ」
この時間が永遠に続いたら、カチェリーナにとってどれだけ幸せかわからないが、いつまでも湯船に浸かっているわけにはいかない。二人は湯船から上がり、再びカチェリーナの部屋に戻った。
「お別れは済んだでしょうか」
キャビアを摘んでいたグルーシェンカが目を向けた。
「もうソーネチカとかどうでもいいんで、殺人計画は撤回したいのだが」
カチェリーナは恥を忍んでそう言った。
「どういうことでしょうか。ソーネチカに冷たくされたら殺すと息巻いて、リザヴェータ姉さんに優しくされたら乗り換える。これぞまさしくストーカーの思考法です。仮にリザヴェータ姉さんと不仲になったら猟銃でも持ち出すんでしょうね」
「なんとか許して貰えないだろうか」
カチェリーナは床に頭を擦りつけて土下座した。
「カチェリーナ様は病的な女好きですからね。どうせほとぼりが冷めたらコンパで女子大生漁りでもするんでしょう。女のためなら何でもする人間ですよ」
そう言われると、カチェリーナは反論できなかった。女を断つと宣言できればいいのだが、自分にはとても無理そうだった。
「まあいいじゃないですか。とりあえず今回は収まったようですし」
リザヴェータが助け船を出した。
「今後も女絡みのトラブルは絶えないでしょうがね」
グルーシェンカは悟りきったような表情でコニャックを飲んだ。
カチェリーナの不穏な様子を見てグルーシェンカが尋ねた。
「ソーネチカに生き恥をかかされたのだから、叩き殺すしかないだろう」
カチェリーナが空気が読めないのは確かだとしても、あそこまで面罵されると屈辱である。これは復讐するしかなかった。
「なるほど。殺人者になるわけですね」
「育ちの悪い人間の末路なんてこんなものよ。わたしは育ちの悪い人間の代表として、ソーネチカの頭部をざくろにしてやる。これは革命なのだよ」
「わかりました。カチェリーナ様が決断されたなら止めても無駄でしょう。ワイドショーで報じられるのを待とうと思います」
「絶対に止めるなよ。本当にやるからな」
「止めません。実行すると宣言したのだから決行してください。途中で日和ったりせずに絶対に決行するだろうと確信しています」
それからグルーシェンカは部屋の外に出て飲み物を持ってきた。
「新聞に載る人殺しの発言なんて警察発表の丸写しなんです。あんなのは容疑者の本音ではなく、警察の作文です。せっかくですから、犯罪者の生の声を聞いておきたいです」
グルーシェンカはグラスを二つ並べてコニャックを注いだ。
「カチェリーナ様は明日この家から出て行って貰います。犯罪者の居候はまずいですから」
「なんでだよ。この上流階級の家に移り住んで、せっかくゴロゴロ生活から脱出したんだぞ」
「だってカチェリーナ様はストーカー殺人を絶対に決行するんですよね。ソーネチカをブスリとやるんですよね。その後は少年院とか刑務所に行くわけです。もううちでの生活は終わりでしょう」
「まあそれもそうだな」
「カチェリーナ様とはずいぶんたくさんお話をしました。その中で頻出した単語が15年間ゴロゴロ生活というものですが、わたしにはこれがよくわかりませんでした」
「普通の人は、夜に寝て朝に起きる。必要な時間だけ寝る。これではゴロゴロの快楽は得られないんだ。ゴロゴロとは、要は二度寝なんだよ。二度寝は楽しいんだぞ。これこそ布団の快楽なんだ。半分寝ながらうつらうつらして楽しむんだ。その半覚醒状態が素晴らしい。必要がない惰眠だからこそ、ゴロゴロを楽しめる。目覚まし時計が鳴ったら目を擦りながら起きて活動するなんて、ゴロゴロの楽しみを奪われているわけだ」
「15年間ゴロゴロしてきただけあって、言葉に重みがあります。これから猟奇的な殺人事件を起こして刑務所に入るということなので、カチェリーナ様とお話出来なくなるのがとても残念です」
「やっぱり事件とか起こすのやめようかな」
「いやいや、やると決めたわけでしょう。育ちの悪い人間の代表として革命的な事件を起こすんでしょう」
「ううむ」
カチェリーナはすでにソーネチカを殺すのが面倒になってきたが、このままだと無理矢理決行させられそうである。
「カチェリーナ様はこの家ではゴロゴロしてないようですが、なんででしょう」
「ゴロゴロを楽しむのは時間が掛かるんだよ。布団で暖まっているうちに眠りに落ちることが多いから、睡眠時間が余分になりすぎる。余分な惰眠を楽しむのがゴロゴロ生活の本懐とはいえ、この道楽は時間を浪費しすぎる。城にいた頃は時間の浪費も気にならず、お姫様のようなベッドで微睡むのを楽しんでいたわけだ。しかしこの上流階級の家に来たら、ゴロゴロで失われる時間が惜しくてゴロゴロ出来なくなった。ゴロゴロする時間で勉強とかしたい。睡眠時間出来るだけ削りたいと思ってる」
カチェリーナが変われたのは、グルーシェンカというロールモデルがいたからである。グルーシェンカはいかにも頭がよさそうな顔立ちをした天才少女であり、知性を体現する存在であった。そういう人間に感化されることで、カチェリーナも生活が改善されたのである。
「刑務所でもゴロゴロは出来ないでしょうから、ゴロゴロとは永遠に決別できたようで、いいじゃないですか」
「おまえわたしに殺人を決行させたいのか」
「だって絶対やるって約束したじゃないですか。この部屋だって、カチェリーナ様のためにリフォームしたのに無駄になりますね」
「そうだったな」
この広い部屋は複数の客を泊めるための部屋だったのだが、カチェリーナひとりが広々と使えるように改装したのだ。城の寝室とあまり変わらないくらいの豪華な部屋になっている。
「この素晴らしい部屋を捨ててまで、育ちの悪い子どものために決起して人殺しをやるわけですから、カチェリーナ様はすごいです」
グルーシェンカは楽しそうにコニャックを飲んでいる。カチェリーナは引っ込みがつかなくなったので、不安になっていた。グルーシェンカは悪魔的に人間を操作するので、このままだと本当に実行させられそうだ。
そうやって語り合ったり、つまみを口にしたり酒を流し込んでいると、玄関の方で音がした。誰かが来たようである。
「リザヴェータ姉さんだと思います。お別れの挨拶をするように連絡しておきましたから」
それから部屋にリザヴェータが入ってきた。
「カチェリーナ様、ストーカーで補導されたんですって」
「これからストーカー殺人をやるとカチェリーナ様が決断したので、お別れの酒盛りをしてるんです」
グルーシェンカがリザヴェータに事情を説明した。
「では刑務所に行ってしまうわけですわね。カチェリーナ様がうちの養女になってくれたらいいと思ってたんです。カチェリーナ様は友達がいないですが、グルーシェンカとは長時間話せるようですし、わたしもカチェリーナ様が大好きです。養女にならずとも三人姉妹のようなつもりでいたんですが、すでに決断されたのだから覆らないでしょうね」
「カチェリーナ様は頑固ですから、確実にストーカー殺人を決行します。最愛のリザヴェータ姉さんから溺愛されてるのに、ソーネチカとかつまらん女に惚れて人生狂わせるなんて情けないです」
それからリザヴェータがカチェリーナと一緒に風呂に入りたいと提案してきた。カチェリーナはリザヴェータの絵のモデルをやっているので、性的な結びつきは創作意欲に支障が出るといわれ、寝たりすることはなかったが、最後に風呂くらい一緒に入ろうということになった。
湯船の中でリザヴェータの身体に身を委ねていると、カチェリーナはこの生活を手放したくないと強く願ったが、絶対にストーカー殺人を決行すると誓ってしまったため、もはや撤回は出来ない。心から尊敬しているリザヴェータに抱きしめてもらえる快楽は何物にも代え難く、楽園そのものだった。このように偽りなき愛を注いでくれる人がいるのに、どうでもいい女のために人生を滅ぼそうとしている自分は馬鹿にしか思えず、出来るなら計画を撤回したいが、ここまでお別れの儀式が盛り上がるとなると、今さらやめるとは言えない。
「カチェリーナ様って、人間性が素晴らしいんです。そこが大好きでした」
「人間性がゴミだから、友達ひとりもいないんだけど」
「空気が読めてないからですよ。この世の中は言葉で説明して貰えないので、お互いに想像して理解してるんです」
「わたしの情緒は欠落してるのだろうか」
「でも人間性は尊敬してますよ」
この時間が永遠に続いたら、カチェリーナにとってどれだけ幸せかわからないが、いつまでも湯船に浸かっているわけにはいかない。二人は湯船から上がり、再びカチェリーナの部屋に戻った。
「お別れは済んだでしょうか」
キャビアを摘んでいたグルーシェンカが目を向けた。
「もうソーネチカとかどうでもいいんで、殺人計画は撤回したいのだが」
カチェリーナは恥を忍んでそう言った。
「どういうことでしょうか。ソーネチカに冷たくされたら殺すと息巻いて、リザヴェータ姉さんに優しくされたら乗り換える。これぞまさしくストーカーの思考法です。仮にリザヴェータ姉さんと不仲になったら猟銃でも持ち出すんでしょうね」
「なんとか許して貰えないだろうか」
カチェリーナは床に頭を擦りつけて土下座した。
「カチェリーナ様は病的な女好きですからね。どうせほとぼりが冷めたらコンパで女子大生漁りでもするんでしょう。女のためなら何でもする人間ですよ」
そう言われると、カチェリーナは反論できなかった。女を断つと宣言できればいいのだが、自分にはとても無理そうだった。
「まあいいじゃないですか。とりあえず今回は収まったようですし」
リザヴェータが助け船を出した。
「今後も女絡みのトラブルは絶えないでしょうがね」
グルーシェンカは悟りきったような表情でコニャックを飲んだ。
2013.11.11
有村さんが艦これイベントで詰んだらしい
https://twitter.com/y_arim/status/399591831945494528

有村悠さんと言えば、東大を中退し、あしなが育英会の奨学金を踏み倒したことで知られますが、現在の艦これのイベントでも無計画性を発揮しているようです。
艦これのゲームの本質は、資源の節約です。
空母で艦載機をたくさん飛ばして、戦艦で大砲をたくさん撃てばいいというゲームではない。
基本的に同じ資源量で戦うのだから、やみくもに戦えばいいわけではないのです。
いかにして、資源を節約し、備蓄するかというゲームです。
有村さんは戦艦武蔵という景品に釣られ、イベントに全資源を投入しているようですが、やはりこれも詰んだようです。
戦艦武蔵が欲しいなら、普段から圧倒的な備蓄をしておく必要がありますが、有村さんにそれが出来るわけがなかった。
なぜ開戦の決断をしたのかという責任が問われます。
まさに太平洋戦争の末期であり、にっちもさっちもいかない状態です。
一億総玉砕みたいな戦い方をして、結局何も得られずに終わるのです。
要するに、艦これは、あしなが育英会の奨学金を踏み倒すような人間には向かないのです。
もちろん「踏み倒していない。いつか返す」という反論は予想出来ますが、この「いつか返す」というふてぶてしいセリフを言う人間にろくなのはいません。

有村悠さんと言えば、東大を中退し、あしなが育英会の奨学金を踏み倒したことで知られますが、現在の艦これのイベントでも無計画性を発揮しているようです。
艦これのゲームの本質は、資源の節約です。
空母で艦載機をたくさん飛ばして、戦艦で大砲をたくさん撃てばいいというゲームではない。
基本的に同じ資源量で戦うのだから、やみくもに戦えばいいわけではないのです。
いかにして、資源を節約し、備蓄するかというゲームです。
有村さんは戦艦武蔵という景品に釣られ、イベントに全資源を投入しているようですが、やはりこれも詰んだようです。
戦艦武蔵が欲しいなら、普段から圧倒的な備蓄をしておく必要がありますが、有村さんにそれが出来るわけがなかった。
なぜ開戦の決断をしたのかという責任が問われます。
まさに太平洋戦争の末期であり、にっちもさっちもいかない状態です。
一億総玉砕みたいな戦い方をして、結局何も得られずに終わるのです。
要するに、艦これは、あしなが育英会の奨学金を踏み倒すような人間には向かないのです。
もちろん「踏み倒していない。いつか返す」という反論は予想出来ますが、この「いつか返す」というふてぶてしいセリフを言う人間にろくなのはいません。