Archive
2014.01.23
読書する権利
有村悠さんのアフィを踏んでから以下の書籍を購入しました。
氷菓 (角川文庫)
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 132
皇族誕生 (角川文庫)
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 186
国家と神とマルクス 「自由主義的保守主義者」かく語りき (角川文庫)
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 150
沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ二: 巻ノ2 (角川文庫)
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 186
沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ三: 巻ノ3 (角川文庫)
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 186
沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ四: 巻ノ4 (角川文庫)
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 186
ミステリーのおきて102条 (角川文庫)
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 174
ソドム百二十日 (角川文庫)
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 78
角川書店のkindle本が70パーセント引きなので、普通なら買わないレベルの本を買っている。
この種の本が意外と面白いこともあるし、よい機会だとも言える。
「読書する権利」も基本的人権と認められるべきである。
本を読みたいが金がない(買っても置く場所がない)という人はずいぶんいるはずだ。
家庭の事情で犬や猫が飼えないのはいいとしても、本が読みたくても読めないのは、人類の知性の大きな損失である。
もちろん本を書いて生活している人もいるわけで、著作権は大事だが、著作者の横暴もある。
わたしは蔵書が多くて困っており、そのおかげで古典文学とかかなり捨ててしまったのだが、読み直したい時には再度購入するしかない。
自炊という手段もあるのだが、手間が掛かる。
自炊代行は、ブルジョア漫画家が裁判で訴え、ずいぶんいい弁護士を使っているのか勝訴している。
自炊代行が悪いはずはなく、嫌がらせとしか言いようがない。
なぜ漫画家が自炊代行を潰したいのかと言えば、自炊代行文化が流行ると、書籍の画像データが大量に生じることになるからだ。
P2Pに出回るとか、もしくは友人知人に「貸す」こともあるだろう。
言うまでもなくパソコンのデータだと、自分の端末から消して友達に貸すのではなく、コピーして渡す。
コピーが蔓延するというのは、決して妄想とは言えないし、友人知人に「貸してやるよ」という人がある程度いれば、そこからコピーの輪が広がっていく。
とはいえ、自炊代行という段階で裁判を起こして止めるのは、自炊したデータがネットに出回るのを水際で阻止したいということであり、これは本当に正当なのか、という疑問がある。
コピーの蔓延を問題視してるのなら、ネットにアップした人間を取り締まるのが筋だが、蔓延してから法的に対処しても手遅れなので、罪もない自炊代行業者を訴える。
もし仮に(現実には無理だが)自炊したデータに完全なコピープロテクトが掛けられるとしたら、自炊代行なんて何ら問題になっていない。
知能が低いほど絵が上手いという傾向があり、ブルジョア漫画家はたいてい低偏差値で、ほぼ文盲なのである。
義務教育レベルの本しか読めない。
中学校の教科書読めるなら文盲じゃないだろ、という意見もあるだろうが、これは吉野屋のメニューが読めるのと同じ程度の能力であり、人間としての読解力があるとは言えない。
吉野屋のメニューしか読めないブルジョア漫画家が、出版文化を語るというのは嘆かわしいことである。
Nexus 7やiPad miniなどのタブレットは読書にとても適している。
紙の本と比べて何ら遜色がないし、タブレットを使い始めたら、スマホなんて使えない。
電子書籍は安価だから、読書の権利を、著作権者に配慮する形で実現できていると言えるだろう。
タダで読ませろとは言わないが、極力安くして欲しいし、電子書籍はその可能性がある。
今回の7割引は極端にしても、紙の本より数割安いというのは普通なのだ。
もちろんすべての本が電子書籍になるわけではなく、ネックなのが学術書である。
7000円くらいする学術書は電子書籍になっていない。
電子書籍になりやすいのは文庫本であり、ある程度固い本はなかなか電子書籍にならない。
今日の社会は、読解力があっても本がないという困難を抱えている。
これは人間性の悲劇だ。
図書館が近所にあるという人は少ない。
図書館がコンビニみたいになったら、それこそ著作権者からの抗議運動が起こるだろう。
読書の権利が拡大したら、誰でも知性が増大するわけではない。
たとえば有村悠さんだ。
有村さんは親戚一同全員が高卒以下の貧困家庭だが、東大東大と騒ぐママが息子を受験マシーンにすることで、東大受験を突破した。
そして母子家庭の特権で、東大から徒歩五分の学生マンションに住んだ。
知的好奇心のある人間であれば最高の環境だろう。
日本の大学で蔵書が最も多いのは東京大学である。
東大教授の講義を受けることも出来る。
だが、所詮は無教養家庭の悲しさである。
東大図書館にも、東大教授の講義にも、有村さんは関心を示さなかった。
ゲーム機さえやらせてもらえず、受験マシーンとして18歳まで生きてきた自己疎外の回復のために、勉強とはまったく別のことをやろうとした。
東大教授の講義や、東大図書館から(物理的に)とても近い距離にありながら、無教養家庭出身者にとっては、宇宙の彼方の存在だったのだ。
そもそも学問を大学で行うべきなのか、という疑問もある。
今日においては大学受験が知能検査の役割を果たしている。
(いわゆる知能検査は何度もやるとコツがつかめるので、あまり重視するわけにもいかない)。
とにかく高偏差値大学が大企業へのパスポートという現状だけで、高偏差値大学に殺到する。
偏差値を馬鹿にしていたロンブータイプの人間も、ソーシャルスキルで高偏差値大学に潜り込もうとする。
「講義」で知識を伝達するのがタテマエだが、マスプロ講義を受けるくらいなら、読書した方が理解度が高まるということもある。
大学入学者の過半数が推薦・AOなので、もはや知能検査としての役割があやしくなっている。
何にせよ、電子書籍で安価に書物が読める時代が来ている。
本の置き場に困って、引っ越しの時に泣く泣く処分ということもなくなる。
Kindleを読む権利はアマゾンのアカウントに紐付けされているので、端末の変更も問題がない。
アマゾンが倒産したり、アマゾンにBANされた時が厄介だが、可能性としてはかなり低く、安心できる書物の所有の仕方だと言える。
氷菓 (角川文庫)
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 132
皇族誕生 (角川文庫)
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 186
国家と神とマルクス 「自由主義的保守主義者」かく語りき (角川文庫)
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 150
沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ二: 巻ノ2 (角川文庫)
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 186
沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ三: 巻ノ3 (角川文庫)
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 186
沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ四: 巻ノ4 (角川文庫)
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 186
ミステリーのおきて102条 (角川文庫)
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 174
ソドム百二十日 (角川文庫)
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 78
角川書店のkindle本が70パーセント引きなので、普通なら買わないレベルの本を買っている。
この種の本が意外と面白いこともあるし、よい機会だとも言える。
「読書する権利」も基本的人権と認められるべきである。
本を読みたいが金がない(買っても置く場所がない)という人はずいぶんいるはずだ。
家庭の事情で犬や猫が飼えないのはいいとしても、本が読みたくても読めないのは、人類の知性の大きな損失である。
もちろん本を書いて生活している人もいるわけで、著作権は大事だが、著作者の横暴もある。
わたしは蔵書が多くて困っており、そのおかげで古典文学とかかなり捨ててしまったのだが、読み直したい時には再度購入するしかない。
自炊という手段もあるのだが、手間が掛かる。
自炊代行は、ブルジョア漫画家が裁判で訴え、ずいぶんいい弁護士を使っているのか勝訴している。
自炊代行が悪いはずはなく、嫌がらせとしか言いようがない。
なぜ漫画家が自炊代行を潰したいのかと言えば、自炊代行文化が流行ると、書籍の画像データが大量に生じることになるからだ。
P2Pに出回るとか、もしくは友人知人に「貸す」こともあるだろう。
言うまでもなくパソコンのデータだと、自分の端末から消して友達に貸すのではなく、コピーして渡す。
コピーが蔓延するというのは、決して妄想とは言えないし、友人知人に「貸してやるよ」という人がある程度いれば、そこからコピーの輪が広がっていく。
とはいえ、自炊代行という段階で裁判を起こして止めるのは、自炊したデータがネットに出回るのを水際で阻止したいということであり、これは本当に正当なのか、という疑問がある。
コピーの蔓延を問題視してるのなら、ネットにアップした人間を取り締まるのが筋だが、蔓延してから法的に対処しても手遅れなので、罪もない自炊代行業者を訴える。
もし仮に(現実には無理だが)自炊したデータに完全なコピープロテクトが掛けられるとしたら、自炊代行なんて何ら問題になっていない。
知能が低いほど絵が上手いという傾向があり、ブルジョア漫画家はたいてい低偏差値で、ほぼ文盲なのである。
義務教育レベルの本しか読めない。
中学校の教科書読めるなら文盲じゃないだろ、という意見もあるだろうが、これは吉野屋のメニューが読めるのと同じ程度の能力であり、人間としての読解力があるとは言えない。
吉野屋のメニューしか読めないブルジョア漫画家が、出版文化を語るというのは嘆かわしいことである。
Nexus 7やiPad miniなどのタブレットは読書にとても適している。
紙の本と比べて何ら遜色がないし、タブレットを使い始めたら、スマホなんて使えない。
電子書籍は安価だから、読書の権利を、著作権者に配慮する形で実現できていると言えるだろう。
タダで読ませろとは言わないが、極力安くして欲しいし、電子書籍はその可能性がある。
今回の7割引は極端にしても、紙の本より数割安いというのは普通なのだ。
もちろんすべての本が電子書籍になるわけではなく、ネックなのが学術書である。
7000円くらいする学術書は電子書籍になっていない。
電子書籍になりやすいのは文庫本であり、ある程度固い本はなかなか電子書籍にならない。
今日の社会は、読解力があっても本がないという困難を抱えている。
これは人間性の悲劇だ。
図書館が近所にあるという人は少ない。
図書館がコンビニみたいになったら、それこそ著作権者からの抗議運動が起こるだろう。
読書の権利が拡大したら、誰でも知性が増大するわけではない。
たとえば有村悠さんだ。
有村さんは親戚一同全員が高卒以下の貧困家庭だが、東大東大と騒ぐママが息子を受験マシーンにすることで、東大受験を突破した。
そして母子家庭の特権で、東大から徒歩五分の学生マンションに住んだ。
知的好奇心のある人間であれば最高の環境だろう。
日本の大学で蔵書が最も多いのは東京大学である。
東大教授の講義を受けることも出来る。
だが、所詮は無教養家庭の悲しさである。
東大図書館にも、東大教授の講義にも、有村さんは関心を示さなかった。
ゲーム機さえやらせてもらえず、受験マシーンとして18歳まで生きてきた自己疎外の回復のために、勉強とはまったく別のことをやろうとした。
東大教授の講義や、東大図書館から(物理的に)とても近い距離にありながら、無教養家庭出身者にとっては、宇宙の彼方の存在だったのだ。
そもそも学問を大学で行うべきなのか、という疑問もある。
今日においては大学受験が知能検査の役割を果たしている。
(いわゆる知能検査は何度もやるとコツがつかめるので、あまり重視するわけにもいかない)。
とにかく高偏差値大学が大企業へのパスポートという現状だけで、高偏差値大学に殺到する。
偏差値を馬鹿にしていたロンブータイプの人間も、ソーシャルスキルで高偏差値大学に潜り込もうとする。
「講義」で知識を伝達するのがタテマエだが、マスプロ講義を受けるくらいなら、読書した方が理解度が高まるということもある。
大学入学者の過半数が推薦・AOなので、もはや知能検査としての役割があやしくなっている。
何にせよ、電子書籍で安価に書物が読める時代が来ている。
本の置き場に困って、引っ越しの時に泣く泣く処分ということもなくなる。
Kindleを読む権利はアマゾンのアカウントに紐付けされているので、端末の変更も問題がない。
アマゾンが倒産したり、アマゾンにBANされた時が厄介だが、可能性としてはかなり低く、安心できる書物の所有の仕方だと言える。
2014.01.22
角川のKindle本が70パーセント引きのセール
有村悠さんのアフィを踏んでから以下の書籍を購入しました。
税務署は見ている。 (日経プレミアシリーズ)
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 299
肉食の思想 ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 399
私たちはなぜ税金を納めるのか?租税の経済思想史?(新潮選書)
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 1,120
知っておきたいマルクス「資本論」 (角川ソフィア文庫)
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 460
沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ一: 巻ノ1 (角川文庫)
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 186
或る「小倉日記」伝 (角川文庫)
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 150
数ヶ月前に角川のkindle本が50パーセント引きという破格のセールがあり、その時にあらかた購入したのだが、今度は70パーセント引きのセール。
角川以外でセールをやって欲しいのだが、また角川。
セールがいつまであるのかは不明。
角川は教養関連の本が少なく、エンタメ系が中心だから、あまり買いたいのがない。
とはいえ、70パーセント引きなら普通は買わないレベルでも買ってしまう。
スマホだとさすがに辛いが、7インチタブレットだと文庫本程度のサイズなので、電子書籍は非常に読みやすく、これからは電子書籍が主流になると思われる。
基本的にアマゾンのアカウントに紐付けされているので、端末を別の機種にしてもkindle本は読める。
アマゾンが倒産しない限りは大丈夫だろう。
紙の本の置き場所に困って捨てるくらいなら、Kindle本の方が確実。
税務署は見ている。 (日経プレミアシリーズ)
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 299
肉食の思想 ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 399
私たちはなぜ税金を納めるのか?租税の経済思想史?(新潮選書)
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 1,120
知っておきたいマルクス「資本論」 (角川ソフィア文庫)
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 460
沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ一: 巻ノ1 (角川文庫)
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 186
或る「小倉日記」伝 (角川文庫)
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 150
数ヶ月前に角川のkindle本が50パーセント引きという破格のセールがあり、その時にあらかた購入したのだが、今度は70パーセント引きのセール。
角川以外でセールをやって欲しいのだが、また角川。
セールがいつまであるのかは不明。
角川は教養関連の本が少なく、エンタメ系が中心だから、あまり買いたいのがない。
とはいえ、70パーセント引きなら普通は買わないレベルでも買ってしまう。
スマホだとさすがに辛いが、7インチタブレットだと文庫本程度のサイズなので、電子書籍は非常に読みやすく、これからは電子書籍が主流になると思われる。
基本的にアマゾンのアカウントに紐付けされているので、端末を別の機種にしてもkindle本は読める。
アマゾンが倒産しない限りは大丈夫だろう。
紙の本の置き場所に困って捨てるくらいなら、Kindle本の方が確実。
2014.01.21
全員が金持ちになれない理由
なぜ社会の全員が金持ちになれないのか。
これは所得というのが、自転車操業的に存在しているからである。
ある人が一万円払って本を買うとする。
この場合、一万円が消え去るわけではない。
この一万円は、出版社とか書店とか著者の所得になるわけだ。
一万円札は消費で消滅するのではなく、移動しているだけである。
たとえば医者になると自動的に一万円札が湧いてくるわけではない。
患者の支出が医者の所得になる。
患者の一万円札は消えるわけではなく、医者に移動するわけである。
誰かの支出が誰かの所得になるのだ。
この仕組みからして、たいていの人に余裕が発生しないのは当然なのだ。
余分に金を持っている方が特殊である。
収入があってもすぐに支出になり飛んでいくという自転車操業の世界に人間はいる。
この中で「金持ち」として蓄財するのはなかなか難しい。
どれだけ経済が豊かになっても、自転車操業的な本質は変わらない。
相対的な貧困はいつまでも続く。
いまから百年後の人間は、貧困層でも今より優雅な暮らしのはずだが、その時代の中では底辺の生活をするのだ。
相対的な貧困層は決して消えない。
世の中に一万円札が何枚あるかは、あまり重要ではない。
お金は右から左へ飛んでいくので、どれだけ通過したかが問題なのだ。
それが活発であるほど景気がよい。
左に飛んでいかないで欲しいと思うのが人情だが、次々と飛んでいき、別の誰かの所得になることが必要なのである。
これは所得というのが、自転車操業的に存在しているからである。
ある人が一万円払って本を買うとする。
この場合、一万円が消え去るわけではない。
この一万円は、出版社とか書店とか著者の所得になるわけだ。
一万円札は消費で消滅するのではなく、移動しているだけである。
たとえば医者になると自動的に一万円札が湧いてくるわけではない。
患者の支出が医者の所得になる。
患者の一万円札は消えるわけではなく、医者に移動するわけである。
誰かの支出が誰かの所得になるのだ。
この仕組みからして、たいていの人に余裕が発生しないのは当然なのだ。
余分に金を持っている方が特殊である。
収入があってもすぐに支出になり飛んでいくという自転車操業の世界に人間はいる。
この中で「金持ち」として蓄財するのはなかなか難しい。
どれだけ経済が豊かになっても、自転車操業的な本質は変わらない。
相対的な貧困はいつまでも続く。
いまから百年後の人間は、貧困層でも今より優雅な暮らしのはずだが、その時代の中では底辺の生活をするのだ。
相対的な貧困層は決して消えない。
世の中に一万円札が何枚あるかは、あまり重要ではない。
お金は右から左へ飛んでいくので、どれだけ通過したかが問題なのだ。
それが活発であるほど景気がよい。
左に飛んでいかないで欲しいと思うのが人情だが、次々と飛んでいき、別の誰かの所得になることが必要なのである。
2014.01.20
舛添要一が在日だというデマ
舛添要一は先祖が武家であり、生粋の日本人なのだが、なぜか在日だと主張する人がいる。
舛添は気性が激しく、手段を選ばないタイプなので、馬鹿正直な日本の国民性に合わないからだろう。
ボクシングの亀田兄弟が在日だという人もいるが、亀田も生粋の日本人である。
亀田兄弟も手段を選ばないタイプであり、日本では鼻つまみ者になるのだ。
日本人と韓国人のルーツはどこかで共通してるだろうし、外見も区別が付かないから、DNAに極端な違いがあるとは思えない。
だが正直さへの姿勢が全然違うのである。
遺伝子に大差が無くても、文化がまったく違うのだ。
日韓ワールドカップの共催の時にそれを痛感したわけだ。
韓国は怪しい審判を味方に勝ち進んだが、韓国では喜ばれても、世界では評価を受けなかった。
成功のためには手段を選ばないという国民性が如実に表れたのだ。
試合に勝つためにサッカーを強くするのではなく、審判を味方に付けるとか、そういう方向で頑張ってしまう。
日本人の韓国蔑視が問題になるが、そもそもどこの国が韓国をリスペクトしているのか、という問題がある。
韓国人がノーベル賞を取れない、もしくは韓国が天才を生み出さないという問題があるが、これは韓国文化が嘘つきを認めているからである。
天才の多くは馬鹿正直である。
かなりの変人であっても、天才は正直さを持っている。
嘘とか誤魔化しが多いと、天才にはなれないのだ。
韓国人がES細胞を「発見」したことがあり、ノーベル賞の期待が高まったが、これは捏造だったわけである。
その後にiPS細胞を発見したのが山中教授だった。
こちらは捏造ではなく、ノーベル賞を受賞した。
山中教授にしても、仮に韓国に生まれていたら、「手段を選ばない」という文化性に毒されたはずだし、iPS細胞を本当に発見するよりは、捏造した方が手っ取り早いと考えたかもしれない。
日本人でも考古学のゴッドハンドの人が捏造したわけだし、日本人は決して捏造をしないわけではないが、手段を選ばないタイプの人間は日本で蔑まれる。
自民が野党の時に舛添要一が離党したのは、手段を選ばない性格の象徴である。
離党が悪いというよりは、大義名分が無いところが問題なのだ。
舛添の愛人問題にしても、手段を選ばない性格が問題となるのだ。
日本と韓国は元々のルーツは同じであっても、日本は出来るだけ「手段を選ばない人間」を淘汰してきたのである。
逆に韓国では「手段を選ばない」タイプが生き残った。
自民党が嫌々ながら舛添を応援しているのは、日本文化の軽視であり、反日的だと言えるのである。
舛添は気性が激しく、手段を選ばないタイプなので、馬鹿正直な日本の国民性に合わないからだろう。
ボクシングの亀田兄弟が在日だという人もいるが、亀田も生粋の日本人である。
亀田兄弟も手段を選ばないタイプであり、日本では鼻つまみ者になるのだ。
日本人と韓国人のルーツはどこかで共通してるだろうし、外見も区別が付かないから、DNAに極端な違いがあるとは思えない。
だが正直さへの姿勢が全然違うのである。
遺伝子に大差が無くても、文化がまったく違うのだ。
日韓ワールドカップの共催の時にそれを痛感したわけだ。
韓国は怪しい審判を味方に勝ち進んだが、韓国では喜ばれても、世界では評価を受けなかった。
成功のためには手段を選ばないという国民性が如実に表れたのだ。
試合に勝つためにサッカーを強くするのではなく、審判を味方に付けるとか、そういう方向で頑張ってしまう。
日本人の韓国蔑視が問題になるが、そもそもどこの国が韓国をリスペクトしているのか、という問題がある。
韓国人がノーベル賞を取れない、もしくは韓国が天才を生み出さないという問題があるが、これは韓国文化が嘘つきを認めているからである。
天才の多くは馬鹿正直である。
かなりの変人であっても、天才は正直さを持っている。
嘘とか誤魔化しが多いと、天才にはなれないのだ。
韓国人がES細胞を「発見」したことがあり、ノーベル賞の期待が高まったが、これは捏造だったわけである。
その後にiPS細胞を発見したのが山中教授だった。
こちらは捏造ではなく、ノーベル賞を受賞した。
山中教授にしても、仮に韓国に生まれていたら、「手段を選ばない」という文化性に毒されたはずだし、iPS細胞を本当に発見するよりは、捏造した方が手っ取り早いと考えたかもしれない。
日本人でも考古学のゴッドハンドの人が捏造したわけだし、日本人は決して捏造をしないわけではないが、手段を選ばないタイプの人間は日本で蔑まれる。
自民が野党の時に舛添要一が離党したのは、手段を選ばない性格の象徴である。
離党が悪いというよりは、大義名分が無いところが問題なのだ。
舛添の愛人問題にしても、手段を選ばない性格が問題となるのだ。
日本と韓国は元々のルーツは同じであっても、日本は出来るだけ「手段を選ばない人間」を淘汰してきたのである。
逆に韓国では「手段を選ばない」タイプが生き残った。
自民党が嫌々ながら舛添を応援しているのは、日本文化の軽視であり、反日的だと言えるのである。
2014.01.19
ネトウヨ女という問題
犯罪は男性が行うものであり、女性が行うことはないとも言える。
女性から発せられる暴力はあまり恐くないので、深刻に扱われることはない。
たとえば痴話喧嘩の場合を考えよう。
ヤクルトのバレンティンは窓から入り込み奥さんの腕をつかんで逮捕された。
これが奥さんがバレンティンに食ってかかった格好だと逮捕はされていない。
女が男に暴力を振るっても絶対に逮捕されないわけではないが、かなりゆるいのは間違いない。
男性が犯罪者予備軍と見られるのに対して、女は犯罪を犯さない存在だとされるのである。
女は股を開くだけで何でも手に入るから、犯罪を犯す必然性がないという問題もある。
このような社会的背景から、抗議活動の主役を担うのは女性である。
ネトウヨが暴れ出し、スポンサーに抗議が殺到することがあるが、あれをやっているのは女である。
男は迂闊に抗議とか出来ない。
男が丁寧にボソボソ抗議すれば小馬鹿にされるし、そうかと言って強圧的に抗議すれば、脅迫とか恐喝とか言われかねない。
しまむらで店員に土下座をさせた女が逮捕されたが、あれは女がツイッターに写真をアップしたから逮捕されたのだ。
女が感情的になってわめき散らし要求を突きつけても、滅多なことでは罪にならない。
女は理屈に合わないことを言う。
知性が低いというのもあるし、ロンブー的なソーシャルスキルでもある。
理屈くらいに無力なものはこの世にないので、理屈に合わないことを主張した方がダメージを与えられるという発想がある。
悪人に対して「おまえは悪人」と言っても無意味なので、どうにか筋の通らない因縁を付けることで優位に立てるとも言える。
理屈に合わないことを主張し頑張り続け、ネトウヨが自滅する光景が結構見られるが、何しろ「名無しさん」なので何度死んでも復活してくる問題がある。
無責任に復活できるからこそ、無理な主張が出来ると言える。
ネトウヨに関しても、理屈に合わない主張が行われていたら、たいてい既婚女性板から流れてきているのである。
男性は無力であっても理屈の正しさにこだわるが、女は理屈に合わない方が強いというのを本能的に知っている。
女が団結するのは、無視することによってだから、2ちゃんねるで運動するとなると、異論を無視することに全力を出す。
工作員工作員と騒いで、偏った主張を繰り返す手法は、女が作ったのである。
ネトウヨ女は本当に気が狂っているのではなく、女の団結力は必ず破綻するという限界なのである。
共感性はその場限りで相手に合わせることだから長続きしない。
女性から発せられる暴力はあまり恐くないので、深刻に扱われることはない。
たとえば痴話喧嘩の場合を考えよう。
ヤクルトのバレンティンは窓から入り込み奥さんの腕をつかんで逮捕された。
これが奥さんがバレンティンに食ってかかった格好だと逮捕はされていない。
女が男に暴力を振るっても絶対に逮捕されないわけではないが、かなりゆるいのは間違いない。
男性が犯罪者予備軍と見られるのに対して、女は犯罪を犯さない存在だとされるのである。
女は股を開くだけで何でも手に入るから、犯罪を犯す必然性がないという問題もある。
このような社会的背景から、抗議活動の主役を担うのは女性である。
ネトウヨが暴れ出し、スポンサーに抗議が殺到することがあるが、あれをやっているのは女である。
男は迂闊に抗議とか出来ない。
男が丁寧にボソボソ抗議すれば小馬鹿にされるし、そうかと言って強圧的に抗議すれば、脅迫とか恐喝とか言われかねない。
しまむらで店員に土下座をさせた女が逮捕されたが、あれは女がツイッターに写真をアップしたから逮捕されたのだ。
女が感情的になってわめき散らし要求を突きつけても、滅多なことでは罪にならない。
女は理屈に合わないことを言う。
知性が低いというのもあるし、ロンブー的なソーシャルスキルでもある。
理屈くらいに無力なものはこの世にないので、理屈に合わないことを主張した方がダメージを与えられるという発想がある。
悪人に対して「おまえは悪人」と言っても無意味なので、どうにか筋の通らない因縁を付けることで優位に立てるとも言える。
理屈に合わないことを主張し頑張り続け、ネトウヨが自滅する光景が結構見られるが、何しろ「名無しさん」なので何度死んでも復活してくる問題がある。
無責任に復活できるからこそ、無理な主張が出来ると言える。
ネトウヨに関しても、理屈に合わない主張が行われていたら、たいてい既婚女性板から流れてきているのである。
男性は無力であっても理屈の正しさにこだわるが、女は理屈に合わない方が強いというのを本能的に知っている。
女が団結するのは、無視することによってだから、2ちゃんねるで運動するとなると、異論を無視することに全力を出す。
工作員工作員と騒いで、偏った主張を繰り返す手法は、女が作ったのである。
ネトウヨ女は本当に気が狂っているのではなく、女の団結力は必ず破綻するという限界なのである。
共感性はその場限りで相手に合わせることだから長続きしない。
2014.01.18
吉松育美はマット・テイラーの借金を肩代わりするべきだった
ミスインターナショナルの吉松育美がケイダッシュの役員谷口元一から「ストーカー」されているらしい。
安倍首相夫人も巻き込んだ上でストーカー反対運動を展開している。
だが、これは恋愛ストーカーではなく、(週刊文春によれば)谷口元一がマット・テイラーに対して1000万円の債権があり、「吉松育美に個人保証させろ」と言っているらしい。
その同じ記事によれば、谷口元一は個人保証の要求を否定しているが、谷口サイドとしては、マット・テイラーに貸した1000万円を吉松育美に返済させたいのだろう。
マット・テイラーはかつて自殺した川田亜子と非常に親しく、おそらく自殺の段階で恋人だったと思われる。
現在は吉松育美のエージェントである。
マット・テイラーと吉松育美が恋人関係にあるかどうかは判然としないのだが、おそらくかなり親しい関係だと思われる。
どうやら二人三脚で頑張って、ミス・インターナショナルを勝ち取ったようだ。
大手芸能事務所から圧力を受けても吉松育美はマット・テイラーをクビにしないので、固い絆で結ばれた関係だと判断していいだろう。
2008年頃にロシアで核兵器解体現場の撮影をすると称して、マット・テイラーが谷口元一から1000万円程度を借りたのがトラブルの発端のようだ。
その撮影は実現されなかったため、谷口はテイラーにたいして訴訟を起こし勝訴しているが、返済は行われていない。
谷口にテイラーを紹介したのが川田亜子であると週刊文春には書かれている。
このマット・テイラーだが、写真を見る限り、身長は180センチ弱と思われる。
白人男性としては平均くらいだが、顔は普通レベルで、デブではないので、日本人から見ると長身イケメンということになる。
夢中になる女性がいても不思議ではない。
吉松育美のストーカー防止運動はマット・テイラーを守るための単なるミスリードである。
借金トラブルのあるアメリカ人男性と固い絆で結ばれてしまったため、取り立てに巻き込まれているのだから、ストーカー云々ではない。
借金取りが職場に押し掛けるのをストーカーと呼ぶことはない。
たかが一千万円なら、吉松育美が代わりに返してしまうべきだった。
底辺ワープアではないのだし、ミスインターナショナルとして順調に活動すれば、軽く払えていた金額である。
もちろん法的にはマット・テイラー個人の負債であり、吉松育美が肩代わりする義務はないのだが、おそらく吉松育美にとって、マット・テイラーは極めて大事な存在だと思われる。
今は、マット・テイラーは吉松育美のエージェントとしてマネジメントをしているらしく、それにより、マット・テイラーは報酬を受けるわけである。
ひとまず吉松育美が谷口元一に返済してトラブルを打ち切り、その後、マット・テイラーが吉松育美に返済するというのが妥当だっただろう。
1000万円ならエージェントとしての報酬で、数年がかりで返せるだろう。
念押ししておくが、吉松育美がマット・テイラーの借金を肩代わりする義務はない。
だが、それなら大手芸能事務所の役員と借金トラブル起こしてるようなエージェントは解雇するべきである。
絶対に解雇したくない大切な存在なら、まず最初に吉松育美から返済してしまった方がよかった。
解雇するか肩代わりするか、どちらかの選択が適切だった。
普通に返せるレベルの借金を「返す義務はない」と主張して、谷口元一の強引な取り立てをストーカー呼ばわりして戦っている間に、ミスインターナショナルとして稼ぐ余地もなくなってしまった。
今後の芸能活動が難しいなら、1000万円は結構重いかもしれない。
おそらく推察するに、マット・テイラーの借金はこれだけではないのだろう。
彼は売れない映画監督というポジションだから、いろいろ負債を抱えていると想像される。
谷口元一への借金を代わりに払うと、他の借金も、ということになりかねない。
マット・テイラーの借金を肩代わりし始めるとキリがないので、すべてに応じない姿勢を取ったのかもしれない。
週刊文春の記事によれば、谷口元一からの圧力で、決まり掛かっていたCMの契約がなくなったりしたらしい。
一般人が谷口元一のようなことをやったら捕まるが、警察も芸能界には触れたがらない。
あと谷口元一が圧力を掛けているとは言っても、黒子のバスケの犯人と同じ扱いにはならない。
大手芸能事務所の役員なら、それだけの発言力があり、ごく普通に頼むだけで誰かを干せるからだ。
威力業務妨害と認定するのは厄介だと思われる。
安倍首相夫人も巻き込んだ上でストーカー反対運動を展開している。
だが、これは恋愛ストーカーではなく、(週刊文春によれば)谷口元一がマット・テイラーに対して1000万円の債権があり、「吉松育美に個人保証させろ」と言っているらしい。
その同じ記事によれば、谷口元一は個人保証の要求を否定しているが、谷口サイドとしては、マット・テイラーに貸した1000万円を吉松育美に返済させたいのだろう。
マット・テイラーはかつて自殺した川田亜子と非常に親しく、おそらく自殺の段階で恋人だったと思われる。
現在は吉松育美のエージェントである。
マット・テイラーと吉松育美が恋人関係にあるかどうかは判然としないのだが、おそらくかなり親しい関係だと思われる。
どうやら二人三脚で頑張って、ミス・インターナショナルを勝ち取ったようだ。
大手芸能事務所から圧力を受けても吉松育美はマット・テイラーをクビにしないので、固い絆で結ばれた関係だと判断していいだろう。
2008年頃にロシアで核兵器解体現場の撮影をすると称して、マット・テイラーが谷口元一から1000万円程度を借りたのがトラブルの発端のようだ。
その撮影は実現されなかったため、谷口はテイラーにたいして訴訟を起こし勝訴しているが、返済は行われていない。
谷口にテイラーを紹介したのが川田亜子であると週刊文春には書かれている。
このマット・テイラーだが、写真を見る限り、身長は180センチ弱と思われる。
白人男性としては平均くらいだが、顔は普通レベルで、デブではないので、日本人から見ると長身イケメンということになる。
夢中になる女性がいても不思議ではない。
吉松育美のストーカー防止運動はマット・テイラーを守るための単なるミスリードである。
借金トラブルのあるアメリカ人男性と固い絆で結ばれてしまったため、取り立てに巻き込まれているのだから、ストーカー云々ではない。
借金取りが職場に押し掛けるのをストーカーと呼ぶことはない。
たかが一千万円なら、吉松育美が代わりに返してしまうべきだった。
底辺ワープアではないのだし、ミスインターナショナルとして順調に活動すれば、軽く払えていた金額である。
もちろん法的にはマット・テイラー個人の負債であり、吉松育美が肩代わりする義務はないのだが、おそらく吉松育美にとって、マット・テイラーは極めて大事な存在だと思われる。
今は、マット・テイラーは吉松育美のエージェントとしてマネジメントをしているらしく、それにより、マット・テイラーは報酬を受けるわけである。
ひとまず吉松育美が谷口元一に返済してトラブルを打ち切り、その後、マット・テイラーが吉松育美に返済するというのが妥当だっただろう。
1000万円ならエージェントとしての報酬で、数年がかりで返せるだろう。
念押ししておくが、吉松育美がマット・テイラーの借金を肩代わりする義務はない。
だが、それなら大手芸能事務所の役員と借金トラブル起こしてるようなエージェントは解雇するべきである。
絶対に解雇したくない大切な存在なら、まず最初に吉松育美から返済してしまった方がよかった。
解雇するか肩代わりするか、どちらかの選択が適切だった。
普通に返せるレベルの借金を「返す義務はない」と主張して、谷口元一の強引な取り立てをストーカー呼ばわりして戦っている間に、ミスインターナショナルとして稼ぐ余地もなくなってしまった。
今後の芸能活動が難しいなら、1000万円は結構重いかもしれない。
おそらく推察するに、マット・テイラーの借金はこれだけではないのだろう。
彼は売れない映画監督というポジションだから、いろいろ負債を抱えていると想像される。
谷口元一への借金を代わりに払うと、他の借金も、ということになりかねない。
マット・テイラーの借金を肩代わりし始めるとキリがないので、すべてに応じない姿勢を取ったのかもしれない。
週刊文春の記事によれば、谷口元一からの圧力で、決まり掛かっていたCMの契約がなくなったりしたらしい。
一般人が谷口元一のようなことをやったら捕まるが、警察も芸能界には触れたがらない。
あと谷口元一が圧力を掛けているとは言っても、黒子のバスケの犯人と同じ扱いにはならない。
大手芸能事務所の役員なら、それだけの発言力があり、ごく普通に頼むだけで誰かを干せるからだ。
威力業務妨害と認定するのは厄介だと思われる。
2014.01.18
自由な女は自閉を嫌う
かつて自閉症は母原病と呼ばれた。今日では誤りだとされているが、なぜ誤解が発生したかというと、母親が自閉症を可愛がらないという現実があったからである。母親は子どもを愛するべきだと思われていたから、自閉症は冷たい母親の育て方に原因があると疑われたのである。今日ならそういう母子を見れば、母親が自閉の子どもをネグレクトしてると考えるが、昔は母親のネグレクトが原因で自閉になったと考えられた。母親が子どもを可愛がらないというのは普通であり、たとえばトルストイの「アンナ・カレーニナ」がそうである。ヒロインであるアンナの夫のカレーニンは政府高官である。このカレーニンに大きな問題があるわけでもなかったが、アンナはこの年の離れたつまらない夫が好きではなかった。そしてヴロンスキー公爵という青年と出会い情熱的な恋に落ちる。不倫の末、ヴロンスキー公爵との間の子どもを身ごもり、アンナはヴロンスキーと一緒に暮らすようになる。だが、アンナはヴロンスキーとの間に生まれた娘がかわいくないので可愛がらない。なぜ可愛くないのかという理由は作中であまり説明されてないが、可愛くないから可愛くないというのだ。アンナはカレーニンとの間の息子は溺愛しており、息子との縁を切りたくないので、正式な離婚さえ渋り、これで立場を悪化させる。会えない息子への激しい愛情と、一緒に暮らすかわいくない娘を放置する冷淡さが二面性として描かれる。トルストイは「アンナ・カレーニナ」に悲劇的な結末を設けるために娘がかわいくないということにしたわけだ。アンナとヴロンスキー公爵と娘の三人で幸福に暮らすと話にならないので、アンナが息子への執着を断念せず、どんどん問題がこじれるプロットにしたわけである。アンナは身寄りのない少女を養女にもらい、その子は可愛いので可愛がるのだが、それで問題が解決されるわけではなかった。不倫のスキャンダルで白眼視されていたアンナは、その不倫相手と幸福な家庭を築くことも出来ず、最後は鉄道自殺で轢死体となり、話は幕を閉じる。自閉がかわいくないのは、まさに自閉であり、自分のこだわりで閉じているからである。共感性が極めて低い。共感性が高い人間は、他人と合わせて楽しい空気を作る。共感性の高い人間は裏表の激しさを持つこともあり、ロンブー淳がサイコパスと言われるのは、そういう理由だ。だが裏表があるとは言っても、淳のようなドス黒い裏面とは限らず、常識的に使い分けているのが大半だ。女が自閉性を嫌悪するのは、その裏表の無さが気味悪いからなのである。アンガールズ田中のようなタイプは、馬鹿正直すぎて、逆に得体の知れ無さがある。若い女から見ると、鈍感な男性は接触が悪い機械のようなものであり、暗愚にしか見えない。自閉の度が強いと他者と関心を共有しないから、宇宙人にしか見えない。保守的なおばさんは鈍感男性を好む向きもあるが、自由な若い女は確実に嫌う。女が選挙権を得たのは最近100年くらいのことだが、そうなってから「自閉症」とか「発達障害」が発見されるようになった。女に嫌われるタイプとして浮かび上がってきたのだ。今日の自由恋愛社会では、女を口説いて股を開かせることが重んじられる。この能力が高すぎると保守的な一夫一婦制に亀裂が入るため、かつては自閉的な男性が肯定的に評価された部分もあるが、もはやそういう時代ではない。「アンナ・カレーニナ」のアンナのように自由を謳歌する女性がデフォの世の中になった。股を開きたい相手に股を開き、可愛くないこどもは可愛がらない。
2014.01.17
人見知りと鈍感さの問題
有村悠さんのアフィを踏んでから以下の書籍を購入しました。
政治的なものの概念 - C.シュミット
¥ 1,365 - 数量: 1
単行本 - 新品
販売: Amazon.com Int'l Sales, Inc.
経済学・哲学草稿 (光文社古典新訳文庫) - マルクス
¥ 680 - 数量: 1
文庫 - 新品
販売: Amazon.com Int'l Sales, Inc.
相続税の税務調査を完璧に切り抜ける方法 (経営者新書) - 服部 誠
¥ 777 - 数量: 1
新書 - 新品
販売: Amazon.com Int'l Sales, Inc.
https://twitter.com/y_arim/status/422121352984674304

有村悠さんくらいに人見知りをしない人間は、そうはいない。東大を不登校になり中退し、それでも東大のサークルに通い続けているのだから、この人見知りの無さはガチである。ハイスペックな人が社交的というのではなく、そうでない人間が人見知りをせず、場違いなところにも出掛けていくのだ。どれだけ転落しようとも人見知りがないのだから、これは凄まじいとしか言いようがない。
人見知りとは何かというと、「自分が他人からどう見られているか」を過剰に気にすることである。他人の目を気にしすぎることで、妄想の域にまで至ることもある。もしくは気を遣いすぎるという問題だ。他人と接していれば、気まずい空気が流れることが普通にある。繊細すぎる人は、「気まずさ」への耐性が非常に弱いのだ。
有村悠さんは、気まずさへの耐性が凄い。場違いなところに参加して、まったく平然としているのだ。有村さんは重度の鈍感なので、気まずさを吸収してしまう。普通は空気を読みすぎて、「気まずい空気になってる。やばい」と冷や汗をかくのだが、有村さんの鈍感さは、この気まずさを吸い取る。
有村さんは鈍感さを活かしているとは言い難い。有村さんの鈍感さは長所にもなりうるのだが、あまりにも重症なので、本人がコントロール出来ていないと思われる。だから後輩に告白した時「人の気持ちを考えろ」と面罵されたのだ。鈍感さはスキルであり、気まずさをやたらと恐れる人見知りという病を難なく克服する。使いこなせるなら、かなり有益だとも言えるが、使いこなせていないようだ。
有村さんは同窓会に呼ばれなくなったそうだが、ある程度大人になれば人生が確定してくるので、その確定性に従って「偏見」を持つのだ。女も結婚を考え出すと「偏見」を持つようになる。後半生の固定化が偏見なのだ。有村さんの場合、無垢な東大生の偏見の無さに依存して生きているわけである。おそらく有村さんの鈍感さは愛されているのだと思うが、勘違いして告白など始めると「いつまで大学にいるつもりですか」となじられる羽目に陥る。
政治的なものの概念 - C.シュミット
¥ 1,365 - 数量: 1
単行本 - 新品
販売: Amazon.com Int'l Sales, Inc.
経済学・哲学草稿 (光文社古典新訳文庫) - マルクス
¥ 680 - 数量: 1
文庫 - 新品
販売: Amazon.com Int'l Sales, Inc.
相続税の税務調査を完璧に切り抜ける方法 (経営者新書) - 服部 誠
¥ 777 - 数量: 1
新書 - 新品
販売: Amazon.com Int'l Sales, Inc.
https://twitter.com/y_arim/status/422121352984674304

有村悠さんくらいに人見知りをしない人間は、そうはいない。東大を不登校になり中退し、それでも東大のサークルに通い続けているのだから、この人見知りの無さはガチである。ハイスペックな人が社交的というのではなく、そうでない人間が人見知りをせず、場違いなところにも出掛けていくのだ。どれだけ転落しようとも人見知りがないのだから、これは凄まじいとしか言いようがない。
人見知りとは何かというと、「自分が他人からどう見られているか」を過剰に気にすることである。他人の目を気にしすぎることで、妄想の域にまで至ることもある。もしくは気を遣いすぎるという問題だ。他人と接していれば、気まずい空気が流れることが普通にある。繊細すぎる人は、「気まずさ」への耐性が非常に弱いのだ。
有村悠さんは、気まずさへの耐性が凄い。場違いなところに参加して、まったく平然としているのだ。有村さんは重度の鈍感なので、気まずさを吸収してしまう。普通は空気を読みすぎて、「気まずい空気になってる。やばい」と冷や汗をかくのだが、有村さんの鈍感さは、この気まずさを吸い取る。
有村さんは鈍感さを活かしているとは言い難い。有村さんの鈍感さは長所にもなりうるのだが、あまりにも重症なので、本人がコントロール出来ていないと思われる。だから後輩に告白した時「人の気持ちを考えろ」と面罵されたのだ。鈍感さはスキルであり、気まずさをやたらと恐れる人見知りという病を難なく克服する。使いこなせるなら、かなり有益だとも言えるが、使いこなせていないようだ。
有村さんは同窓会に呼ばれなくなったそうだが、ある程度大人になれば人生が確定してくるので、その確定性に従って「偏見」を持つのだ。女も結婚を考え出すと「偏見」を持つようになる。後半生の固定化が偏見なのだ。有村さんの場合、無垢な東大生の偏見の無さに依存して生きているわけである。おそらく有村さんの鈍感さは愛されているのだと思うが、勘違いして告白など始めると「いつまで大学にいるつもりですか」となじられる羽目に陥る。
2014.01.16
吉松育美のストーカー署名運動は的外れ
ミスインターナショナルの吉松育美が、ストーカー被害を訴えている問題。
安倍晋三の奥さんが応援するなどして、一時期話題になったが、署名が18000人くらいで頭打ちになり鎮火しているようだ。
この問題だが、そもそも交際を迫られているわけではないので、ストーカーかどうかわからない。
http://www.j-cast.com/2013/12/16191870.html
記事が曖昧で判然としないのだが、事務所所属を迫っていたのは元格闘技プロモーターのAであり、その後にストーカーを始めたのは役員のBである。
芸能界の大物Cのために動いているとされるが、その人物が出てきているわけではない。
吉松育美は個人事務所を設立し、エージェントDと契約したのだが、このエージェントDが問題の恐い人Bとトラブルを抱えており、怨恨が深まったようである。
その後は執拗な嫌がらせを受け続けているわけだ。
愛人にしたいとか、枕をさせようという思惑も感じられるが、ストーカーを実行しているBが「愛人になれ」とか「俺と付き合え」とか主張しているわけではないので、恋愛感情を立証するのは難しいだろう。
それに、恋愛感情というより、役員BがエージェントDに深い怨恨を抱いていて、そのとばっちりを受けている側面が強いと思われる。
マスコミが報じないのは、大手芸能事務所への畏怖が基本ではあるが、吉松育美と役員BとエージェントDの三人の関係が分かりづらいこともある。
このエージェントDは自殺した川田亜子の恋人だったらしく、役員Bとの怨恨が発生したらしい。
川田亜子も含めると四人の間の相関図が分かりづらく、事実関係が判然としないから、報道もしづらい。
普段なら飛ばし記事を平気で出すわけだが、この件で飛ばし記事を出すのはリスクが大きいのだろう。
このストーカーの役員Bは裁判所の執行官に「エージェントDの動産が吉松育美の家にあるから差し押さえて」と主張して、吉松育美の家の中を調べさせたりした。
嫌がらせが異常なレベルになっているのは明らかであり、通常なら何らかの手を打つ必要があると思われる。
警察はスケベ親父の集まりなので、普通であれば、女を守ってくれる。
警察は女を助けてセックスという発想で動いており、女にいい顔をすれば抱けると思っている。
普段なら冤罪をこしらえてでも女を助ける。
それが警察のスケベ親父の生き甲斐なのだ。
この件に関して言えば、相手が芸能関係だから警察が触れないだけである。
芸能界と裏社会の問題について触ると、日本のタブーを踏んでしまう可能性がある。
警察も芸能界の裏面に触りたくないからスルーしているだけである。
一般人男性が相手なら、警察は吉松育美にいい顔をするために逮捕に踏み切っただろう。
ともかく、交際を迫っているのではなく、嫌がらせが中心だから、ストーカーではない。
警察が芸能にメスを入れたがらないのが問題の核心なので、ストーカー問題の署名運動とか筋違いである。
警察が芸能界に触らないと決め込んでいるのだから、いくら法律があっても意味がない。
安倍晋三の奥さんが応援するなどして、一時期話題になったが、署名が18000人くらいで頭打ちになり鎮火しているようだ。
『STALKER ZERO~被害者が守られる社会へ~』
『吉松育美から安倍総理へ
女性に対する暴力、犯罪、ストーカー行為をなくすために、
タスクフォースの成立を!』
この問題だが、そもそも交際を迫られているわけではないので、ストーカーかどうかわからない。
http://www.j-cast.com/2013/12/16191870.html
吉松さんの説明によると、最初に問題が起こったのは2012年春。格闘技の元プロモーターの男性が突然吉松さんの事務所に現れ、大手芸能事務所のオフィスに連れて行かれたという。その場で元プロモーターの男性から、
「日本の芸能界で生きていくためには、『掟』として、事務所の会長に認めてもらわなければならない」
と伝えられ、その後も男性は、系列事務所への所属を求めてきたという。だが、この大手事務所は反社会的勢力とのつながりが取りざたされていることから、吉松さんは所属を拒否。ストーカー行為が問題になっている男性は、この系列事務所の役員だ。
記事が曖昧で判然としないのだが、事務所所属を迫っていたのは元格闘技プロモーターのAであり、その後にストーカーを始めたのは役員のBである。
芸能界の大物Cのために動いているとされるが、その人物が出てきているわけではない。
吉松育美は個人事務所を設立し、エージェントDと契約したのだが、このエージェントDが問題の恐い人Bとトラブルを抱えており、怨恨が深まったようである。
その後は執拗な嫌がらせを受け続けているわけだ。
愛人にしたいとか、枕をさせようという思惑も感じられるが、ストーカーを実行しているBが「愛人になれ」とか「俺と付き合え」とか主張しているわけではないので、恋愛感情を立証するのは難しいだろう。
それに、恋愛感情というより、役員BがエージェントDに深い怨恨を抱いていて、そのとばっちりを受けている側面が強いと思われる。
マスコミが報じないのは、大手芸能事務所への畏怖が基本ではあるが、吉松育美と役員BとエージェントDの三人の関係が分かりづらいこともある。
このエージェントDは自殺した川田亜子の恋人だったらしく、役員Bとの怨恨が発生したらしい。
川田亜子も含めると四人の間の相関図が分かりづらく、事実関係が判然としないから、報道もしづらい。
普段なら飛ばし記事を平気で出すわけだが、この件で飛ばし記事を出すのはリスクが大きいのだろう。
このストーカーの役員Bは裁判所の執行官に「エージェントDの動産が吉松育美の家にあるから差し押さえて」と主張して、吉松育美の家の中を調べさせたりした。
嫌がらせが異常なレベルになっているのは明らかであり、通常なら何らかの手を打つ必要があると思われる。
警察はスケベ親父の集まりなので、普通であれば、女を守ってくれる。
警察は女を助けてセックスという発想で動いており、女にいい顔をすれば抱けると思っている。
普段なら冤罪をこしらえてでも女を助ける。
それが警察のスケベ親父の生き甲斐なのだ。
この件に関して言えば、相手が芸能関係だから警察が触れないだけである。
芸能界と裏社会の問題について触ると、日本のタブーを踏んでしまう可能性がある。
警察も芸能界の裏面に触りたくないからスルーしているだけである。
一般人男性が相手なら、警察は吉松育美にいい顔をするために逮捕に踏み切っただろう。
ともかく、交際を迫っているのではなく、嫌がらせが中心だから、ストーカーではない。
警察が芸能にメスを入れたがらないのが問題の核心なので、ストーカー問題の署名運動とか筋違いである。
警察が芸能界に触らないと決め込んでいるのだから、いくら法律があっても意味がない。
2014.01.15
単一民族にディベートは必要ない
インターネットがブームになったのは1995年だが、その頃はパソコンの所有率が高いとは言えず、ネットの回線はとても貧弱だった。多数の人は指をくわえて見ているしかなく、本格的に大衆にインターネットが普及したのは21世紀になってからだ。その90年代においてネットの中心だったのはニフティフォーラムだった。会員向けのパソコン通信でしかないニフティサーブは衰退する運命にあり、実際2007年にニフティフォーラムは閉鎖になるのだが、ネットに手が出せない90年代の人達は、まだ見ぬニフティフォーラムに憧れていたのである。そこでは侃々諤々たるディベートが行われ、ニフティフォーラムでの勝敗が人生にとって重大な出来事であると扱われていた。おそらく限られた陣地を奪い合っている感覚だったのだろう。しかしインターネットはサイトやブログを作りたいだけ作れる仕組みである。新しい領土をいくらでも作れる空間である。21世紀になって大衆がネットを始めた当初は、ネットでディベートするというニフティ文化の流れを引き摺っていたのだが、だんだん誰も議論しなくなった。ネットユーザーは分散的になり、あちこちで慎ましくやるようになったのである。
そもそも日本人はディベートする必要がないのである。アメリカ人が議論好きなのは、人種や民族が違うからである。人種や民族の違いがあるから、ディベートせざるを得ない。裁判で訴えられたら弁護士を雇わなければならないのと同じだ。日本人は単一民族なので、人権問題を語る必然性が少ない。人権問題を除くとディベートの題材はかなり少なくなる。21世紀になってある程度人権が達成されたので、イデオロギー問題も薄くなった。日本人は常識的に物事を判断すればよいので、論争する必然性がない。自分が正義であるという主張を行う必要がない。ネットが完全に普及してから日本で広がったのは「自分は日本人である」というアピールだ。日本人なら常識が通用するので、議論の必要がないということであり、これが共通言語なのである。相手を韓国人と認定することで議論は回避できる。このような議論の拒否を知性の後退と言うことも出来るが、ネットユーザーが公人でないからには、人権軽視が合理的である。人権重視と言えば聞こえはいいが、弱者らしい人達に税金を使うとか、所得を移転させることでしかない。アメリカではアファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)が大々的に行われているが、ディベートの結果は逆差別の推進でしかないのだ。人権問題に時効はあるのか、というと難しい話だが、差別は、それが行われていた時代では合法なので、その後で政治的に救済するという話になる。人権問題は、差別された本人というよりは、その子孫の救済という側面が大きく、なかなか時効とか法の不遡及なども言いづらいので、日本人がディベートするメリットがないのである。
東浩紀は大昔は必死にディベートしていたが、ここ10年くらいは「議論する意味がない」として話し合いを避けている。大手サイトが零細を相手にしないのと同じだ。議論をふっかけることでアクセスを誘導したいという零細の欲望はあるわけで、そういう零細とのプロレスにはメリットがないので応じなくなった。グーグルがない頃の大手サイトは零細を相手にすることでアクセス(承認願望)を保っていた部分もあるのだが、グーグルのページランク制度だと、一度大手になれば地位は揺るがない。大手サイトが零細を相手にしないのは合理的なのである。東浩紀もその合理性に乗っかって、安泰な生活を手に入れたのである。日本人のディベート意識の低さに便乗したのだ。知識人として成長した様子は見えないが、本人はそれでいいのだろう。
そもそも日本人はディベートする必要がないのである。アメリカ人が議論好きなのは、人種や民族が違うからである。人種や民族の違いがあるから、ディベートせざるを得ない。裁判で訴えられたら弁護士を雇わなければならないのと同じだ。日本人は単一民族なので、人権問題を語る必然性が少ない。人権問題を除くとディベートの題材はかなり少なくなる。21世紀になってある程度人権が達成されたので、イデオロギー問題も薄くなった。日本人は常識的に物事を判断すればよいので、論争する必然性がない。自分が正義であるという主張を行う必要がない。ネットが完全に普及してから日本で広がったのは「自分は日本人である」というアピールだ。日本人なら常識が通用するので、議論の必要がないということであり、これが共通言語なのである。相手を韓国人と認定することで議論は回避できる。このような議論の拒否を知性の後退と言うことも出来るが、ネットユーザーが公人でないからには、人権軽視が合理的である。人権重視と言えば聞こえはいいが、弱者らしい人達に税金を使うとか、所得を移転させることでしかない。アメリカではアファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)が大々的に行われているが、ディベートの結果は逆差別の推進でしかないのだ。人権問題に時効はあるのか、というと難しい話だが、差別は、それが行われていた時代では合法なので、その後で政治的に救済するという話になる。人権問題は、差別された本人というよりは、その子孫の救済という側面が大きく、なかなか時効とか法の不遡及なども言いづらいので、日本人がディベートするメリットがないのである。
東浩紀は大昔は必死にディベートしていたが、ここ10年くらいは「議論する意味がない」として話し合いを避けている。大手サイトが零細を相手にしないのと同じだ。議論をふっかけることでアクセスを誘導したいという零細の欲望はあるわけで、そういう零細とのプロレスにはメリットがないので応じなくなった。グーグルがない頃の大手サイトは零細を相手にすることでアクセス(承認願望)を保っていた部分もあるのだが、グーグルのページランク制度だと、一度大手になれば地位は揺るがない。大手サイトが零細を相手にしないのは合理的なのである。東浩紀もその合理性に乗っかって、安泰な生活を手に入れたのである。日本人のディベート意識の低さに便乗したのだ。知識人として成長した様子は見えないが、本人はそれでいいのだろう。