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佐村河内守の件はNHKの取材力不足とも言えるが、経歴を疑ったら失礼という風潮の問題でもある。佐村河内守は譜面を書いている場面を取材させなかったし、奇跡の詩人も検証には協力しないと言い張っていた。NHK批判は、詐称が発覚したからこそ出来る問題である。
ゴーストライターの告発がなければ、佐村河内守に「本当は聞こえてるんじゃないの」と疑いを掛けるのは名誉毀損になりうる。
たとえば辻井伸行が本当は目が見えるという可能性だって0ではない。辻井伸行の場合、明らかに眼球が小さいので、先天的な視力障害は疑う余地が無いが、うっすらと見えている可能性だって無くはない。しかし、辻井伸行のドキュメンタリーを作るとして、「本当に完全な全盲なのか」と検証するとしたら、かなり失礼であり、デリケートな問題になるだろう。

ブロガー界隈でも、切込隊長の100億円資産という問題がある。この件では、2ちゃんねるの書き込みが名誉毀損だとして西村博之が訴えられ、西村が敗訴している。賠償金は80万円だ。
上杉隆が盗用したとして問題になった時は池田信夫が訴えられた。

フィギュアスケートの織田信成が信長の子孫だというのは、おそらく信成の祖父が詐称したものだと思われるが、これに関しても、まともに検証されていない。いずれにせよ、信長の末裔という証拠はまったく無いようだ。
武田アンリというモデルが武田信玄の末裔を名乗っていたが、万引で逮捕された。

基本的に「検証には協力しない」という姿勢は真っ当らしい。
疑われるのは心外だと胸を張りながら非協力を宣言するのである。
何にせよ、他人の設定に疑いを掛けると、名誉毀損で訴えられるリスクは確実にあり、敗訴することだってあり得る。
経歴が権威となっている場合には、それを証明する義務があるのではないか、とも思うが、いろいろな事例を見ると、「疑うなんて失礼な」という態度で通ってしまうようだ。人を疑うのは犯罪レベルの行為らしい。

そしてSTAP細胞問題。
小保方晴子は理系科目が苦手ながら理系の研究を目指し、その意欲が買われて早稲田大学理工学部にAO入試で入った。
STAP細胞が本当ならノーベル賞に値するのだが、今のところ、再現したという報告がないため、怪しいという話が出始めている。
これに関しては小保方晴子の側に証明する義務があり、それが出来なければ捏造となる。
「自分の話は真実だが検証には協力しない」という姿勢で切り抜けることは出来ない。
昔、何かの雑誌を読んでいたら、医者と弁護士を両方やっているという人が記事になっていた。
旧司法試験の時代だから、ずいぶん優秀なのだろう。
医者と弁護士を両方やるのを実践している人が現実にいるわけだ。

だが通常は、時間というリソースをひとつの専門に投入することが求められる。
医者と弁護士の資格を両方取ったら、一日が48時間に増えるわけではない。
誰でも一日24時間というのは決まっている。
その24時間というリソースを、医者と弁護士に分散させてしまうのは、よくないだろう。

このような専門性を疎外の問題として考えたのがマルクスである。

マルクス/エンゲルスの「ドイツ・イデオロギー」にはこんなことが書いてある。
労働が分割され始めるやいなや、
各人は、ある特定の活動範囲だけにとどまるようにしいられ、
そこから抜け出すことが出来なくなる。
彼は猟師、漁夫、または牧夫、または批判的批判家のいずれかであって、
生活のてだてを失うまいと思えば、
どこまでもそのいずれかでありつづけなければならない。

これに対して共産主義社会では、
各人はそれだけに固定されたどんな活動範囲も持たず、
どこでも好きな部門で、
自分の腕を磨くことが出来るのであって、
社会が生産全般を統制しているのである。
だからこそ、私はしたいと思うままに、今日はこれ、明日はあれをし、
朝に狩猟を、昼に魚取りを、夕べに家畜の世話をし、
夕食後に批判をすることが可能になり、
しかも、決して、猟師、漁夫、牧夫、批判家にならなくてよいのである。


開いた口が塞がらないような意見であるが、しかしこれを昔の左翼学生は大まじめに受け取っていて、人間は疎外されている、と言っていたのだ。
大量生産する工場での分業が、退屈でやりがいがないのは確かであり、ある種の説得力があったのだろう。
工場で、あるひとつの作業だけを延々とやりながら人生を終えるのが、虚しすぎるという問題である。
そこでは人間が疎外されていると言うのである。
分業は人間を工場の歯車のひとつにしてしまう。
だから許せないということらしい。

分業の問題としても、工場で各工程が切り分けられる個別的分業と、医者が医者だけに専念する社会的分業では違う。
医者だって、医者以外の可能性を断たれているが、専門家として認められる。
工場の単純労働者は専門家として認められない。

ひとりで何でもやるとすれば、他者との競争が必要ない自給自足経済だけだろう。
そこではスキルが低くても淘汰されないわけである。
共産主義は専門性が低い状態を人間らしさと見なしているので、失敗するのも納得なのである。

ひとつの道しか選択できない(複数のことをやると中途半端になる)というのは、資本主義の問題ではなく、人間の宿命である。
役割分担というのは、避けられないことである。
特定の役割に固定されることをマルクスは人間疎外と考えたが、これは至って人間的宿命である。
他人と分業しながら共同存在するしかないのである。
カチェリーナはナスターシャとの話し合いを諦め、グルーシェンカの家に戻っていた。なにしろナスターシャはアスペルガー症候群であるし、理屈に強いから手に負えないのである。
そしてナスターシャが黙っているはずはなかった。真性引き篭もりを通じて、カチェリーナに反撃してきたのである。真性引き篭もりの最新エントリーでは、Lunatic Prophetというブログの軍事知識の底の浅さが馬鹿にされていた。このLunatic Prophetはカチェリーナが匿名で運営しているブログである。カチェリーナは艦隊これくしょんというゲームについてエントリーを書いたのだが、真性引き篭もりはこれをあげつらい、その知識の浅さを嘲笑したのだ。
カチェリーナはグルーシェンカを自室に呼んで相談することにした。
「わたしが匿名でやっていたブログがナスターシャに発見されたようだ。知識が浅いとして、すごい馬鹿にされている」
「あいつはカチェリーナ様の名前を出して嘲笑してるんですか」
「いや、今のところはそうではないが、わたしのブログだと嗅ぎ付けたんだろうな。あいつはハッキングの技術はかなりありそうだ」
「ナスターシャはカチェリーナ様の城に住んでるんですから、調べるのは容易かったんでしょう。すぐに城から追い出すべきだと思います」
それからグルーシェンカは真性引き篭もりの記事を読み始めた。Lunatic Prophetのことは話してなかったから、カチェリーナは顔から火が出る思いだったが、隠しておくわけにもいかなかった。
「いかにもwikipediaで生半可な軍事知識を身につけたというエントリーですね。これは馬鹿にされても仕方ないです。ナスターシャは機械系の知識がありますから、指摘はかなり的確です。あいつは親から虐待されてはいますが、両親とも高学歴で教育熱心です。情緒がゴミでも知識だけはあるんですよ」
カチェリーナもそれは認めざるを得なかった。艦隊これくしょんがブームになっているから、それに乗っかろうとしたのだ。カチェリーナは無教養な親からネグレクトされ、15年間ゴロゴロしていたから、ネットで囓った表面的な知識しかない。
「このLunatic Prophetというブログは、wikipediaの貼り合わせです。軍事の知識や世界史の知識の乏しさが明らかであり、文化資本が足りない育ちの悪い人間が書いたのが丸わかりです」
「わたしのように家庭環境がゴミだと何をやっても駄目ということか」
「そうです。投じられた文化資本を拡大再生産するのが、優れた人間なのです。文化資本は知性の元手です。この元手を運用して、秀才や天才になるんです。文化資本が乏しい環境だと、この元手がないから、才があっても使い物にならない。でもカチェリーナ様は頑張り始めましたから、すぐに追いつけます。まだ15歳ですから、うちで文化資本を身につければいいのです」
カチェリーナとしても、グルーシェンカの家に来てからはかなり手応えを感じていた。生来の偏頭痛はまったく改善しておらず、いつも脳から全身に疼痛が走っているが、最近はまったく問題としていない。具合が悪いのが普通だと思っており、休まないことにしているのだ。今までは、やらない理由を考えるのが得意であり、少しでも具合が悪ければ薬を飲んでゴロゴロしていたが、この素晴らしい家庭環境で怠けるのはとても恥ずかしいことだった。いきなり中学三年生から始めたが、勉強は難なく出来た。不満があるとすれば、最初からこの家に生まれたかったということだけである。
「カチェリーナ様はわたしより知能が高いですから、根気よく何年かやれば本物の教養を身につけることが出来ます。wikipediaは所詮は要約だけ書いてあるサイトなんで、豆知識の羅列です。文化資本に恵まれていないゴミに向いていると言えます。知的なバックグラウンドが無い階層にはこれで充分でしょう」
「せっかく憧れのお嬢様学校に入れて貰い、リザヴェータやグルーシェンカのような教養ある令嬢と暮らしているのに、わたしは見苦しい育ちの悪さを晒してしまったのだ」
「そんなのは簡単に変わります。うちで文化資本をたくさんインプットすれば、いずれ素晴らしい結果をアウトプット出来るようになります」
「わたしはそれで救済されるかもしれないが、これだけ恵まれた家庭環境に引き取ってもらえる事例はほとんどないだろう。文化資本が乏しい育ちの人間は救われないというのか。いっそのこと、わたしの資産を使ってwikipediaを越える内容のサイトを作りたいと思う」
「ああ、それは面白いと思います。wikipediaを潰す必要はなくて、これは豆知識サイトとしてあっていいんですが、もっと本格的な文献に接することの出来るサイトがあれば、人類の文化の発展に寄与することが出来るでしょう」
「実はわたしは古本が苦手なんで、資料がネットにあったらいいと思っている。絶版されていて古本で買うしかない本も結構あるが、手に取る気にならない」
「女性はきれい好きですから、古本嫌う人多いです。女性からも喜ばれるでしょう」
「わたしだけが読むなら、業者にスキャンして貰えばいいが、やはり人類に幅広く提供したいと思う」
そうやって二人でいろいろ話していると構想が盛り上がってきた。カチェリーナの資産で著作権の問題をクリアし、絶版されている有用な文献を幅広く提供するのだ。どのような家庭に生まれようとも、ネットにアクセスできるなら、無料の素晴らしい文献に接することが出来る。世界的大富豪であるカチェリーナの資産を使えば、これは現実的だった。そして、これから花開く教養文化に思いを馳せると、wikipediaの知識に甘んじていた自分が恥ずかしくなった。土台となる教養がないのに、ネットで調べた豆知識だけ並べても意味はないのだった。カチェリーナはLunatic Prophetを削除した。
津田大介「安倍首相の今日の予定は赤坂の天ぷら屋で支援者らと会食だそうです」 - Togetterまとめ

記録的な大雪の中で、安倍晋三が天ぷらを食べていたというのを左翼系の人間が批判しているが、津田もその一員になったようだ。
津田大介はロンブー淳に伍するようなソーシャルスキルがあるが、いかんせん凡人の度合いが強すぎるし、津田の社会活動もロンブー淳の社会活動と同レベルであり、双子のような存在だ。
無教養が社会活動ごっこしてるだけである。
その津田が先日のサンデーモーニングに出演したらしい。
津田は当たり前のことしか言えない人間だが、空気は読めるので、TBSに出演できたことを取っ掛かりに成り上がろうと考えたのだろう。
津田は空気を読んで合わせていく軟体動物のような人間であるから、左翼に媚びた方がいいと判断したのだ。
津田やロンブー淳は、ソーシャルスキルだけはすごい高いので、成功するために生まれてきたような人間と言えるし、津田が失敗する姿というのは思い浮かばない。
これからはTBSの思想に合わせて成り上がっていくと思われる。
津田はポーカーフェイスでもっともらしい空気を作るのが得意なので、唖然として顎が外れるような当たり前の意見で拍手喝采を受けることが出来るのだが、TBSの報道姿勢に合わせた発言をするとなると、ネットでは評判が悪くなる。
津田大介の父親は左翼活動家であり、それがゆえに、津田は(ソーシャルスキルの高さをもってして)出来るだけ行儀良く振る舞ってきたのだが、政治に関してコメントするとなれば、民主党的な地金が剥き出しになるだろう。
何にせよ、無知蒙昧無教養で対人スキルだけ最強という津田が、どこまで著名人の階段を登るのか見てみたいところである。
金と女は手にしたから最後は名誉が欲しいというところがロンブー淳とそっくりだが、淳でも「知りたがり」では失敗した。
津田はSNSで人脈を広げる才能があるから、この時代にフィットしたのであり、SNS中毒の馬鹿から絶大な支持を得たのだが、空疎な人脈を積み上げても教養はひとつも増えなかった人間である。
津田は人脈作りの天才ではあるが、無教養は無教養だと念押ししておきたい。
津田はSNSでスーパースターになりすぎたんで、そこから出ると単なるアホという側面もある。
ソーシャルスキルで金と女はいくらでも手に入るが、名誉とか知性は無理である。
https://twitter.com/harukazechan/status/433735929732141058
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このツイートなどは、ごく普通に見れば母親が書いてると思うのだが、リプの反応は誰も疑ってないのが興味深いところだ。

はるかぜに関しては、そろそろ危険水域に入った来た気がする。
ずいぶん前からフォロワーは16万人くらいで止まっている。
ツイッターのフォロワー数は遺漏無く数えているわけではなく、放置されているアカウントも含まれるから、実質的には減少しているとも言える。

普通であれば、子役としてブレイクし損ねたら、芸能界から去って一般人として生きる選択肢も考えていいはずだが、そういう気はさらさらないようで、土俵際に追い込まれて焦れている様子も窺える。
母親がツイートしているというのは、(過去の誤爆などから)状況証拠はあるのだが、はるかぜ側だけが真実を知っているので、第三者が立証するのは困難だ。

だいたい好かれる嫌われるにはパターンがあり、温厚だと好かれやすく、気性が激しいと嫌われやすい。
この気質はかなり決定的である。
犬や猫を飼う場合でも、そこを見るわけだ。
はるかぜのツイートは気性の激しさがあるので顰蹙を買うのだが、あれはたぶん母親のものだろうと思う。
たいして問題発言をしてるわけでもなく、はるかぜが焚き付けると戦渦が燎原の火のごとく広がるというのは誇張に過ぎないのだが、気性の激しさが生理的嫌悪感を抱かれてるのだ。
そうやってギスギスしてるから「ツイッターやめたらどうです」という自然な反応が来るのだが、「いじめられている側がやめないといけないのか」という意固地さを繰り返している。

喧嘩腰のツイートをしているのは母親だと思うのだが、とはいえ、はるかぜが普通のこどもだとは言い難い。
はるかぜはかつて尾木ママと共演したことがあり、途中ではるかぜが尾木ママの発言を遮る場面があったようで、尾木ママがキレたらしい。
その場面をわたしはテレビで見てないので何とも言えないが、はるかぜはマナー違反をするタイプではない。
尾木ママは教師を22年やってるから、扱いが難しそうな子どもに嫌悪感を抱く習性が付いている。
たぶんキレる前から「この子は空気が読めないわね」とイライラしていたと思われる。
教師が生徒を叱るのは、そういうことなのだ。

テレビではるかぜを見ると、あまり語彙が豊富ではない。
子どもが使わないような難しい言葉が次々出てくる利発な子なら評価を惜しまないし、テレビでも引っ張りだこになるかもしれないが、むしろトークでの語彙が貧弱という印象を受ける。
ツイッターでの人気がテレビ出演に繋がらなかったのは、トークスキルの低さである。
これは対人的な柔軟性の低さも要因だろうが、ツイートしてるのは母親なのだろうなという業界的評価をされていると想像される。
はるかぜが有吉にツイッターで媚びたことがあるのだが、その際に有吉は「もうお別れ」「目を合わせるのは仕事ができる人だけ」と冷淡に切り捨てた。
有村悠さんのアフィを踏んでから以下の書籍を購入しました。

非道、行ずべからず (集英社文庫)
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¥ 740

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写楽殺人事件 (講談社文庫)
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¥ 525

大誘拐: 9 (天藤真推理小説全集 9)
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 500


電子書籍の世界ではアマゾンkindleと楽天koboの間で血みどろの戦いが繰り広げられている。
koboがセールやクーポンを連発し、ユーザー獲得へと励んでいるのだが、アマゾンもそれに負けじと、後追いで潰しに来る。
koboがセールをやると、アマゾンも似たようなセールを始める構図になってる。

今回はミステリー30パーセント引きというのをkoboが仕掛けたが、いつも通りアマゾンが追随。
なかなか安くなっている。
たとえばアガサ・クリスティーは五割引くらいの状態だ。
四割引くらいのは普通にあり、今回はアマゾンも気合いが入っている状態だ。

この消耗戦がいつまでも続いてくれると、ユーザーとしてはかなり割安で電子書籍が買えるのである。
だが、数日前にこんな記事があった。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20140214/536871/
また赤字が続くカナダのKoboには、フュージョン・コミュニケーションズの経営の立て直しで頭角を現した相木孝仁氏を新CEO(最高経営責任者)として赴任させた。投資の最適化で、利益の確保を狙う。

koboが潰れてしまうと、アマゾンは値引きしなくなる。
最近のkindleは日替わりセールも月替わりセールもゴミのような本しか対象にならない。
koboのおかげでセールが行われるのだ。

わたしは楽天koboは使ってないのだが、koboの方がクーポンなどもあるので安い。
問題はサイトの閲覧性。
アマゾンの方がレビューが充実しているし、便利である。
koboは安いのだが、サイトのデザインがクソ過ぎて使う気にならない。
でも他のみなさんはkoboをもっと利用して欲しい。
https://twitter.com/y_arim/status/434727004663861249
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津田大介という外側が真っ白で内側が真っ黒な豚がいるのだが、なぜ津田がのうのうと生きていられるのかというと、注意力が並外れているからである。
決してポーカーフェイスを崩さないので、ゴミみたいな活動をさも立派そうに見せることが出来る。
一ミリでも崩れたら転落という立ち位置なのに、悟りきったように自若しており、決して姿勢が崩れない。
低知能であっても、全体が隅から隅まで見えていて、自己制御能力はあるのだ。

だが、津田の時代は終わりを告げようとしている。
今までの日本は警察がリタリンを凶悪犯罪レベルの扱いで取り締まっていた。
アメリカの子どもの一割がADHD診断されリタリンを飲んでるのに、日本では万死に値する行為という扱いを受けている。
法律というのは、警察の本気度で、その運用が全然違ってしまうのである。

しかし、その日本が2013年12月をもって変わったのである。
リタリンではないが、同じメチルフェニデートであるコンサータが、成人ADHDにも処方可能になった。
今までは18歳までに診断を受ける必要があり、そういうケアを受けなかった人間は難民化していたが、これから成人がADHD診断を受けても貰えるのである。
もちろん米国のように一割がADHDというような、ゆるい診断はしないだろう。
日本ではコンサータは登録医しか処方できない。
また診断もかなりシビアだと思われる。
軽症だと診断されない可能性が高い。
たぶん相当に重症でないと、成人のADHDに確定診断は出ないと思われる。

とはいえ、コンサータが解禁されたのも事実であり、今まで注意欠陥のポンコツとされていた成人が治る可能性が出てきた。
津田のように注意力だけが取り柄というタイプはアドバンテージを失うことになる。

なんといっても注目されるのが有村悠さんである。
ADHDの要素をほとんど満たしている人物であり、このジャンルでの三冠王と言っていい。
今までは絶対にADHDではないと主張しており、精神病だと言い張っていたが、コンサータ処方解禁となったら、急に診断されたがっているようだ。

有村さんは完全なポンコツだが、東京大学に現役合格したことはある。
ゴミ屋敷でゴロゴロ寝転がり、15年間大の字になってバンザイしている状態だが、メチルフェニデートで改善する典型的なタイプだと思われる。
コンサータ欲しさに詐病する成人が登録医のところに殺到しているとも思われ、ハードルは高いが、仮に有村さんが診断を受け、コンサータ処方に漕ぎ着けたなら、東大合格レベルの知力+注意力+落ち着きのある性格+整理整頓する力+空気が読める人間性というモンスターが誕生することになるのだ。
今までは受験勉強以外は何をやっても最底辺の人物だったが、コンサータで生まれ変わる可能性があるのである。
きゃりーぱみゅぱみゅのフォロワーが200万人を越えたそうで、それはどうでもいいのだが、その記事のついでにはるかぜへの言及があった。

http://news.livedoor.com/article/detail/8525707/
「同じデジタルネイティブ世代でも、“はるかぜちゃん”こと子役タレントの春名風花は、『ちょっと品が悪すぎる』とTwitterからの卒業を表明しています。春名の場合はしつこいユーザーに対して『うるさい、おばさん』『黙れカス』など感情的になることもありましたが、きゃりーの場合は歌番組で『爪のごみとか見てる』とぼっちだったことを明かすなど、うまくファンからの共感を得ているようですね」(同)


これに対してはるかぜが激怒。

https://twitter.com/harukazechan/status/433523500033126401
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https://twitter.com/harukazechan/status/433533811645624320
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しかし、はるかぜと言えば、よくブチ切れて暴言を吐いている。
なぜこんなことが言えるのか?

よくよく見てみると、暴言ツイートは母親臭い。

https://twitter.com/harukazechan/status/380211829240107008
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https://twitter.com/harukazechan/status/314720644854079488
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はるかぜが「汚い言葉は絶対に使わない主義」と言っているのは、たぶん母親とはるかぜのツイートが混ざっているため、混乱しているのだろう。

精神年齢を情緒の発達の問題とするなら、はるかぜは精神年齢が低い。
小学生くらいだと、理屈っぽい子どもが「大人みたい」と言われることもあり、はるかぜもその路線だったのだが、中学になれば単に理屈っぽいだけになってしまう。
はるかぜが他人と喋ってる映像を見れば、あまり周囲が見えておらず、共感性の低い子というイメージしかない。
はるかぜに物事を伝えるには言葉で言うしかないから、言葉の交換だけになってしまうので、場が盛り上がらない。
ひとりで勝手に喋ってるという印象が強く、娘盛りの女の子らしい愉しさが全然ないのである。
空気を読んでキャッチボールするのが苦手であり、一人遊びが好きなタイプだと思われるから、独演会しか出来ないので、ツイッター中毒になったのである。

はるかぜはトラブルメーカーである。
そのたびに「ツイッターやめろ」と言われて、「被害者のわたしがなぜやめないといけないのか」と激怒する。
まったく美人でないのに親が芸能人として売り出したがってるから、本人も健気なことに、理屈っぽいところを長所にしようと頑張っているのだが、正義感が強くて気難しい子がトラブル起こしている印象しかない。

A君がB君をからかってB君が反応した場合、教師はB君を怒る。
この話は以前書いたので、あまり詳しくは述べないが、それが世の中の仕組みなのである。
教師も「こいつは空気読めない馬鹿」と思ってるから、からかわれている方を注意するのだ。
これは理不尽であり、はるかぜが意地になるのは理解できるが、空気が読めないという欠陥についても考えた方がいいだろう。

空気が読めない人間が、黒柳徹子みたいな風変わりな芸風で売れることも芸能界ではあり得るが、はるかぜはトラブルメーカー扱いということになりそうだ。
暴言を吐いてるのは母親だろうと思うのだが、たぶん一体化した存在だろうから、なかなか切り離すのは難しいだろう。
空気が読めないタイプだから親から干渉されやすいという問題も見受けられる。
天才は0から生まれるわけではない。脳に文化資本を投入され、それをアウトプットする機械である。文化資本を投入すれば自動的に作品や発明が出てくるわけではないが、天才は読書などによって、文化資本の投入を行いつつ、独創的な成果を目指しているのだ。原始人として、何もない状態から生み出そうとしているわけではない。

江戸時代の平賀源内(1728-1780)は天才ではあったが、山師で終わってしまったところも大きい。平賀源内は、ずいぶん行動力があった人物のようであり、江戸の文化の中で才能を開かせたが、それが科学技術として今日の礎になっているとは言い難い。同時代の杉田玄白や前野良沢が四苦八苦してオランダ語を学び、『ターヘル・アナトミア』を訳して「解体新書」として世に出した頃である。江戸時代の算術はレベルが高かったと言われるが、何しろアラビア数字を使ってないから、ガラパゴスの世界である。ニュートンが死んだのは1727年であり、平賀源内が生まれる前年なのだが、平賀源内が近代科学という文化資本を摂取する機会はなかった。平賀源内は晩年はおかしくなっていたようで、人を斬り殺して獄死した。生涯独身だったが、同性愛的傾向はあったようである。このあたりは天才らしいが、やはり海の向こうの近代科学をほとんど知らないので、江戸の異才に終わったと言える。
(ちなみに獄死の際に、幕府が遺体を引き渡さなかったため、実は死んでおらず、平賀源内と懇意であった田沼意次が密かに匿ったという説もある)。

三島由紀夫は日本文化を最大限に生かした作家である。原始人として独自の文字を発明しながら三島文学が生まれたのではない。日本文化という巨大な資本を三島くらいに投入された作家はいない、と言っても言い過ぎではない。三島文学の名作の多くの耽美的な作品は、普通のわれわれが体験している日本ではなく、欧米人がイメージするような格式張った「日本」である。三島は歌舞伎や能などの伝統芸能に造詣が深く、思想的には天皇崇拝なのでわかりやすい。三島由紀夫はストーリーテラーとしての才があるとは言い難く、三島が粗製濫造した世俗的な作品は今日では読むに値しない。あくまで圧倒的な文化資本を武器にした正統派の文学が真骨頂である。文化資本が乏しい環境であったなら、中途半端な美文家で終わっていた可能性もある。

三島由紀夫の腺病質な体質を決定づけたのは、祖母の夏子であった。この夏子は身分が高い家柄の出身であり、有栖川宮家に奉公したこともある。かなり気性が激しく、家柄に過度な自尊心を抱いており、ある種の狂人であった。三島の祖父である平岡定太郎(内務官僚)に嫁いだが、この祖父は疑獄事件に巻き込まれ退職することになり、その後は実業家として失敗したため、金銭的に苦労したらしい。この二人の間の息子(平岡梓)は農商務省の官僚となっている。そして、この平岡梓の息子が三島由紀夫(平岡公威)である。三島由紀夫も東大法学部から大蔵官僚になっているから、親子三代で東大法学部卒の官僚ということになる。前述したように祖父の平岡定太郎が内務官僚として失脚して、その後の事業で借財を負ったので、金持ちとは言えなかったが、借家住まいとはいえ、女中が六人もいたようで、それなりに裕福な部類だと思われる。

夏子は生後49日目の三島由紀夫を奪い取り独占を続け、三島の母が三島とスキンシップを取れないくらいの状態だったらしい。三島の父の平岡梓はもちろん反対していたのだが、夏子の狂人ぶりがすごくて、どうにもならなかったようだ。三島が祖母に怨恨を抱いている様子はなく、異常に溺愛されたことが三島にとってトラウマになった様子は窺えない。三島由紀夫は生まれつきの病弱に加えて、この夏子の超過保護で、青白い青年に育つ下地が出来た。近所の男子と遊ぶのを禁じて、女の子と遊ばせることにしていた。夏子は歌舞伎や能に造詣が深く、文学書も愛読していたから、それが後年の三島文学に反映されていると言える。三島由紀夫が中学に進学した時に、両親は祖父母の元を離れており、またこの二年後に夏子は死んでいるので、三島が祖母の溺愛の影響下にあったのは12歳あたりまでだ。

三島のこのような超過保護な状態を支えていたのが学習院である。この家庭環境で粗野な学校に通うのは無理があるが、学習院だから歪な育て方も可能であった。三島由紀夫の家は平民であり、本来なら戦前の学習院には入れないはずである。だが、祖母の夏子の家柄がよいという理由で、平民ながら華族だらけの学習院に入ることになった。小学校から学習院であり、三島の弟によれば、三島は自分の家に爵位がないことがコンプレックスだったようだが、病弱な文学少年には向いている学校であった。ここで三島由紀夫は文学上の知己と巡り会い、文学的教養を育む。大半が華族の学校だから、かなり教養主義が濃い校風だったと思える。そして戦争が勃発し、三島由紀夫も兵隊に取られそうになるのだが、徴兵検査で落ちたので、軍隊を経験しないことになる。祖母の超過保護、学習院、徴兵検査失格(第2乙種合格だったが肺病と偽り徴兵忌避)と、粗野な体験をする機会をことごとく回避してきた。育ちが悪い階層と接する機会がほとんどなかったのである。昭和19年に学習院を主席で卒業し、昭和天皇から直接銀時計を手渡されている。普通なら持ちネタとして何十万回も自慢しそうな話だが、なぜか三島はほとんどこの件に触れない。昭和天皇に会う半年くらい前に徴兵忌避しているわけだから、戦争末期の日本の状況下で、どういうつもりで銀時計を受け取ったのかは知らない。

三島由紀夫のような天才といえども、投入された文化資本の産物なのである。無教養な教育ママに尻を叩かれているのとは違い、官僚一家として圧倒的な文化資本を投入されているから、大蔵官僚になった。三島由紀夫の弟も、東大法学部から外務官僚である。文学において多大な文化資本を投入されているのは前述した通りである。これがあってこその三島文学である。

三島の子どもはあまり出来が良くないのだが、このあたりは天才の子どもの出来の悪さという法則だろう。親が優秀であるのはいいことだが、天才であるのはマイナスであるようだ。天才は平凡さというバランス機能を欠いてる障害者なので、たいてい子どもの出来はよくない。
著作権切れの本が読み放題の時代が来たかと思えば、全然そうではなかった。
電子書籍化するのはなかなか大変であり、やる人がいないようだ。
青空文庫では校正者が不足しているらしい。
入力者よりは校正者の方が楽なように思えるが、失敗が許されない最終チェックならではのストレスもあるのだろう。
青空文庫側で底本が用意できない場合もあると思われる。
ともかく青空文庫化されるには、入力者と校正者が必要なので、奇特な人が二人いないと駄目という問題があり、著作権切れの本が大量に出回ることは無さそうだ。

徳富蘇峰の「近世日本国民史」を先日kindleで一冊だけ購入したのだが、内容は読み応えがあり面白いながらも、画像スキャンだった。
kindleでこういうのは初めて体験した。
スキャンの画質は普通で、読むのに支障はないが、あまり綺麗とも言えない。
講談社で525円の提供で、現在は30パーセントのポイントが付く。
厚い本が350円と考えると安いのだが、著作権切れの本である。
画像だとファイルサイズも大きいから、タブレット的にはきつい。
ただ、あくまでアマゾンのアカウントに紐付けされているから、読む時にダウンロードして、読み終わったら端末から消せばいい。
再読したければダウンロードしなおせばいいだけだ。

この徳富蘇峰の本が青空文庫で読めるのがいつかというと、かなり先になりそうだ。
現在四冊の本が入力済みだが、いずれも校正待ちである。
そのうち二冊は2008年に入力されているのだ。
徳富蘇峰の「近世日本国民史」(全100冊)が青空文庫で読めるのは未来永劫なさそうな雰囲気である。

それに加えて「近世日本国民史」固有の問題としては、徳富蘇峰の死後に平泉澄(1984年死去)が校訂していることである。
校訂に著作権が発生するのかという難しい問題がある。
慶應大学法科大学院の石岡克俊准教授がこの問題を取り上げており、「校訂」の著作権法における位置
http://www.sanken.keio.ac.jp/publication/KEO-dp/116/KEODP116.pdf
という文章はネットで読める。
あまり白黒言えないようであるが、グレーゾーンではあるので、出さない方が無難であるようだ。
青空文庫はグレーゾーンと感じたら出さないようである。
「近世日本国民史」は執筆者の徳富蘇峰の著作権は切れているが、校訂者の著作権が残っているため、青空文庫にはならないという判断でいいだろう。

「近世日本国民史」は国会図書館のサイトで(もちろん無料で)画像スキャンが読めるのだが、20ページずつしかダウンロードできず、画質も悪いので、パソコンでの閲覧ならまだしも、タブレットで読むとなると使い勝手はかなり悪い。
国会図書館の公開データは(閲覧性が最悪ながら)宝の山とも言えるので、これをフォルダにまとめて読みやすく整理して、P2Pで共有するべきだと思うのだが、津田大介という馬鹿が違法な使い方を広めたので、P2Pが死んでしまった。
津田にどれだけ影響力があっても知能不足で役に立たないひとつの事例である。
P2P擁護するなら、国会図書館の膨大なデータの交換というのは大義名分としてよいはずだと思うのだが、津田はそれに思い当たらない。
注意力が高くて気が回るタイプのくせして、教養不足で頭が回らないようである。
ロンブー淳と同じタイプの人間だ。
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