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2014.05.18
「人の話を聞かない」という問題
「人の話を聞かない」という決まり文句がある。
この命題を文字通りに受け取ると、じゃあ人の言うとおりにすればいいとなるが、決してそうではあるまい。
あなたの父親が、台風のさなかに突然旅行に行くと言い出したとする。
当然ながらあなたは止めるだろう。
台風なのに何を考えているのか、と言うはずだ。
しかしあなたの父親は言うことを聞かず、今すぐ旅行に行きたいのだと主張して譲らない。
これは「人の話を聞かない」の典型である。
この父親の問題はあなたの話を聞かないからではなく、その非常識な衝動性である。
思いついたことに猪突猛進するタイプは、何かに取り憑かれたかのように振る舞う。
デモーニッシュな衝動に乗っ取られたような状態である。
理性が衝動に敗北し、盲いた状態になるのだ。
西村博之、ロンブー淳、秋元康のような反社会的人物は、人の話など聞かない。
好き勝手なことばかりやっている。
しかし彼らは「人の話を聞かない」とは言われない。
「人の話を聞かない」というのは文字通りの意味ではなく、盲目的に突進する様子のことなのである。
西村や淳や秋元のように冷静で抜け目のないタイプは、モラルに反した言動を繰り返す生涯を送るが、あくまで倫理的な欠落性であり、盲目的な衝動で動いているわけではない。
台風なのに旅行に行くと言い出すあなたの父親は、西村のように倫理に反した行動をしようとしているわけではない。
理性を失って動いている様子が、こいつを取り押さえなければならないという周囲の反応を生むのである。
「人の話を聞かない」という決まり文句は考え直すべきだろう。
衝動的に非常識な行動をするのが問題なのである。
人の話を聞いてないというよりは、自分で自分をコントロール出来てないのである。
ドストエフスキーの傑作の大半は45歳以降に書かれているが、衝動を制御できない人間を描いて世界的な文豪と認知された。
「カラマーゾフの兄弟」「罪と罰」「白痴」「悪霊」はいずれもそんな話だ。
登場人物は不合理な行動ばかり取るが、衝動に乗っ取られて狂奔する様子が人間的であり、ヒューマニズムの陰画、もしくはある種の人間賛歌として評価されたのである。
「カラマーゾフの兄弟」の中でとても有名な箇所だが、主人公のドミートリーはこんなことを言う。
これが「カラマーゾフの兄弟」のテーマ、もしくは後期ドストエフスキー作品のテーマなのである。
ドストエフスキーの作品はトラブルメーカーばかりが出てくるが、単なる悪人ではなく、理想主義者なのである。
「おれの我慢できないことは、心の気高い、しかもすぐれた知能を持った人間が、ともすれば、聖母(マドンナ)の理想をいだいて踏み出しながら、結局ソドムの理想に終わることなんだ」というのが最も重要な一節だろう。
ここで言われる聖母を体現するのがヒロインのカチェリーナであり、ソドムを体現するのがグルーシェンカである。
ドミートリーはカチェリーナという理想的な婚約者がありながら、それを踏みにじり、穢れたグルーシェンカとの愛を追求するのである。
度し難い衝動に翻弄され破滅する姿が、世界的に幅広く共感されたのである。
このドミートリーの台詞は三島由紀夫の「仮面の告白」の冒頭にも掲げられている。
聖母の理想を持った人間がソドムに落ちるというのが、三島由紀夫の心に響いたと思われる。
「人の話を聞かない」というのは大きな欠陥であるが、文学としては人間の根底に触れるものなのだ。
周囲をよく見て常識的な最適解を出すよりは、膨れあがった内面世界に従い盲目的に暴走する方が人間の生々しさを描けるのだろう。
この命題を文字通りに受け取ると、じゃあ人の言うとおりにすればいいとなるが、決してそうではあるまい。
あなたの父親が、台風のさなかに突然旅行に行くと言い出したとする。
当然ながらあなたは止めるだろう。
台風なのに何を考えているのか、と言うはずだ。
しかしあなたの父親は言うことを聞かず、今すぐ旅行に行きたいのだと主張して譲らない。
これは「人の話を聞かない」の典型である。
この父親の問題はあなたの話を聞かないからではなく、その非常識な衝動性である。
思いついたことに猪突猛進するタイプは、何かに取り憑かれたかのように振る舞う。
デモーニッシュな衝動に乗っ取られたような状態である。
理性が衝動に敗北し、盲いた状態になるのだ。
西村博之、ロンブー淳、秋元康のような反社会的人物は、人の話など聞かない。
好き勝手なことばかりやっている。
しかし彼らは「人の話を聞かない」とは言われない。
「人の話を聞かない」というのは文字通りの意味ではなく、盲目的に突進する様子のことなのである。
西村や淳や秋元のように冷静で抜け目のないタイプは、モラルに反した言動を繰り返す生涯を送るが、あくまで倫理的な欠落性であり、盲目的な衝動で動いているわけではない。
台風なのに旅行に行くと言い出すあなたの父親は、西村のように倫理に反した行動をしようとしているわけではない。
理性を失って動いている様子が、こいつを取り押さえなければならないという周囲の反応を生むのである。
「人の話を聞かない」という決まり文句は考え直すべきだろう。
衝動的に非常識な行動をするのが問題なのである。
人の話を聞いてないというよりは、自分で自分をコントロール出来てないのである。
ドストエフスキーの傑作の大半は45歳以降に書かれているが、衝動を制御できない人間を描いて世界的な文豪と認知された。
「カラマーゾフの兄弟」「罪と罰」「白痴」「悪霊」はいずれもそんな話だ。
登場人物は不合理な行動ばかり取るが、衝動に乗っ取られて狂奔する様子が人間的であり、ヒューマニズムの陰画、もしくはある種の人間賛歌として評価されたのである。
「カラマーゾフの兄弟」の中でとても有名な箇所だが、主人公のドミートリーはこんなことを言う。
美――こいつは恐ろしい、おっかないものだぞ! はっきりと決まっていないから恐ろしいんだ、しかもはっきり決めることができないのだ。だって、神様は謎より他に見せてくれないんだからなあ。美の中では両方の岸が一つに出会って、すべての矛盾がいっしょに住んでいるのだ。おれはね、ひどい無教育者だけれど、このことはずいぶんと考えたものだよ。なんて神秘なことだらけだろう! この地上では人間を苦しめる謎が多すぎるよ。この謎が解けたら、それこそ、濡(ぬ)れずに水の中から出て来るようなものだ。ああ美が! それに、おれの我慢できないことは、心の気高い、しかもすぐれた知能を持った人間が、ともすれば、聖母(マドンナ)の理想をいだいて踏み出しながら、結局ソドムの理想に終わることなんだ。もっと恐ろしいのは、すでに姦淫(かんいん)者ソドムの理想を心にいだける者が、しかも聖母の理想をも否定し得ないで、さながら純情無垢(むく)な青春時代のように、本当に、心から、その理想に胸を燃え立たせることだ。いや、人間の心は広大だ、あまり広大すぎる。おれはそいつを縮めてみたいくらいだ。ええ畜生、何が何だかさっぱりわかりゃしない、ほんとに! 理性では汚辱としか見えないものが、感情ではしばしば美に見えるんだ。ソドムの中に美があるのかしら? ところが、おまえ、本当のところ、大多数の人間にとっては、このソドムの中に美があるんだよ、――おまえはこの秘密を知ってるかい? 美は恐ろしいばかりじゃない、神秘なんだ――それがこわいのだ。つまり悪魔と神が戦っていて、そしてその戦場が人間の心なんだよ。ところが人間というものは自分の痛みより他には話したがらないものさ。
これが「カラマーゾフの兄弟」のテーマ、もしくは後期ドストエフスキー作品のテーマなのである。
ドストエフスキーの作品はトラブルメーカーばかりが出てくるが、単なる悪人ではなく、理想主義者なのである。
「おれの我慢できないことは、心の気高い、しかもすぐれた知能を持った人間が、ともすれば、聖母(マドンナ)の理想をいだいて踏み出しながら、結局ソドムの理想に終わることなんだ」というのが最も重要な一節だろう。
ここで言われる聖母を体現するのがヒロインのカチェリーナであり、ソドムを体現するのがグルーシェンカである。
ドミートリーはカチェリーナという理想的な婚約者がありながら、それを踏みにじり、穢れたグルーシェンカとの愛を追求するのである。
度し難い衝動に翻弄され破滅する姿が、世界的に幅広く共感されたのである。
このドミートリーの台詞は三島由紀夫の「仮面の告白」の冒頭にも掲げられている。
聖母の理想を持った人間がソドムに落ちるというのが、三島由紀夫の心に響いたと思われる。
「人の話を聞かない」というのは大きな欠陥であるが、文学としては人間の根底に触れるものなのだ。
周囲をよく見て常識的な最適解を出すよりは、膨れあがった内面世界に従い盲目的に暴走する方が人間の生々しさを描けるのだろう。
2014.05.16
木坂麻衣子が嫌儲民の低学歴をdisる
角川とドワンゴが統合され、ますます巨大化していく昨今だが、あまり西村周辺の新しい情報は出て来ない状態である。
そんなおり、木坂麻衣子が嫌儲の住人をdisった。

木坂麻衣子は、結婚式の媒酌人が麻生太郎であったことで、注目を集めた。
結婚相手は渡邉哲也という人物である。
三橋貴明の盟友であり、要は2ちゃんねるのネトウヨである。
この渡邉哲也は日大卒であり、あまり家が金持ちという感じもしないので、なぜ麻生が媒酌人なのか不思議がられている。
三橋貴明は自民党から立候補(落選)したことがあるし、渡邉哲也と麻生太郎も面識はあるが、媒酌人をやるほどの深い繋がりが見えない。
おそらくは木坂麻衣子の方の繋がりなのだろう。
木坂のツイートの意味はよくわからない。
今回の登場人物に慶應関係者が多く、木坂も慶應OBである。
だがスレで話題になっていた慶應OBは、木坂ではなく、麻生将豊や木野瀬友人である。
麻生太郎の長男である麻生将豊は慶應幼稚舎から慶應大学卒という経歴だが、問題となっている株式会社エクストーンの取締役である。
株式会社 エクストーン | インタビュー | IT/Web業界の求人・採用情報に強い転職サイトGreen(グリーン)
麻生将豊は1984年12月29日生まれである。
この木野瀬という人物は2005年に大学院進学ということなので、1983年あたりの生まれであることが察せられる。
麻生将豊と木野瀬友人は年齢が近いので、慶應で接点があったのだろう。
(というか、慶應で接点があったからこそ、株式会社エクストーンの取締役として名前が並んでいるのである)。
上記のサイトでは豊田陽一、上村亮という慶應OBもエクストーンにいるが、取締役にはなっていない。
この木野瀬友人はニワンゴ取締役である。
ニワンゴが創業された時点で取締役である。
木野瀬がニワンゴの創業に関わったのは、麻生長男の代役だと想像するのが妥当であろう。
なおエクストーンのサイトを見てみたが、顧問がドワンゴ川上量生である。
なぜか麻生将豊の名前が取締役として記されてない。
最近の登記で麻生の名前があるので、取締役を退任したわけではないはずだ。
(退任しても、登記には名前が残る)。
そんなおり、木坂麻衣子が嫌儲の住人をdisった。

木坂麻衣子は、結婚式の媒酌人が麻生太郎であったことで、注目を集めた。
結婚相手は渡邉哲也という人物である。
三橋貴明の盟友であり、要は2ちゃんねるのネトウヨである。
この渡邉哲也は日大卒であり、あまり家が金持ちという感じもしないので、なぜ麻生が媒酌人なのか不思議がられている。
三橋貴明は自民党から立候補(落選)したことがあるし、渡邉哲也と麻生太郎も面識はあるが、媒酌人をやるほどの深い繋がりが見えない。
おそらくは木坂麻衣子の方の繋がりなのだろう。
木坂のツイートの意味はよくわからない。
今回の登場人物に慶應関係者が多く、木坂も慶應OBである。
だがスレで話題になっていた慶應OBは、木坂ではなく、麻生将豊や木野瀬友人である。
麻生太郎の長男である麻生将豊は慶應幼稚舎から慶應大学卒という経歴だが、問題となっている株式会社エクストーンの取締役である。
株式会社 エクストーン | インタビュー | IT/Web業界の求人・採用情報に強い転職サイトGreen(グリーン)
取締役 / 最高技術責任者 / サービス開発事業部 マネージャー 木野瀬友人氏 (左から3番目)
慶應義塾大学卒業後、2005年、同大学院へ進学しつつ、有限会社シーリンク設立に携わり、同年、株式会社ニワンゴの取締役に就任(現職)。2007年、株式会社エクストーンの取締役となり、現在に至る。
麻生将豊は1984年12月29日生まれである。
この木野瀬という人物は2005年に大学院進学ということなので、1983年あたりの生まれであることが察せられる。
麻生将豊と木野瀬友人は年齢が近いので、慶應で接点があったのだろう。
(というか、慶應で接点があったからこそ、株式会社エクストーンの取締役として名前が並んでいるのである)。
上記のサイトでは豊田陽一、上村亮という慶應OBもエクストーンにいるが、取締役にはなっていない。
この木野瀬友人はニワンゴ取締役である。
ニワンゴが創業された時点で取締役である。
木野瀬がニワンゴの創業に関わったのは、麻生長男の代役だと想像するのが妥当であろう。
なおエクストーンのサイトを見てみたが、顧問がドワンゴ川上量生である。
なぜか麻生将豊の名前が取締役として記されてない。
最近の登記で麻生の名前があるので、取締役を退任したわけではないはずだ。
(退任しても、登記には名前が残る)。
2014.05.15
温厚でなければ人間扱いされない時代
われわれは他人に評価されるために生きてるので、その時代の評価基準に合わせるわけである。他人から評価されなければ、餓死したり、性交の相手がいなくなるのだから、必死になるのは当然である。だからどうしても、その時代特有のパーソナリティーというのが出来上がる。今日の社会において、温厚でなければ人間ではない。怒りは暴力であり異常性である。人類は怒りで歴史を刻んできたのだが、そういう大きな物語は用済みとなったのである。発達障害が発見されたのも、時代性の問題である。かつては怒りまくるような人間は正常であった。父親は怒鳴り散らすのが正常であった。家父長制の消滅により、激怒しやすい人間は異常者として扱われることになった。アスペルガー症候群にしても、厳格で怒りっぽい気質は家父長として問題はなかったはずだが、今日では、その易怒性が障害とされるのだ。厳格さとは、状況を無視してルールを適用することである。封建社会ならそれでいいが、自由社会では盲いた狂気なのである。かつて激怒していた人間たちは、復員船に乗って戦地を離れ、自由で平和な社会に帰還することを求められる。今の世の中は世界史的なモンスターが誕生しない端境期とも言える。核ミサイルを撃ち合いたくないという腑抜けの集まりになった。怒りという武装は解除され、世の中から厳格さが消えたが、それで犯罪者が増えたわけではない。弱者に怒りをぶつければ厳格な人間として扱われる安易さは、ようやく否定されるようになった。われわれは温厚な人間であることを強制され、去勢されているのである。神経症から鬱へ人々の病理がシフトしたのは、こういう時代の変化もある。神経症とは厳格さによって生み出される。真面目であればあるほど素晴らしく、厳格であればあるほど素晴らしいという発想が、神経症の病因である。厳格さに歯止めが利かなくなると神経症になるのである。なにしろ、昔の世の中では厳格さが称揚されてるのだから、抑圧すればするほど素晴らしいという価値観も生まれうるのだ。今日においてわれわれは、そのような厳格さ(抑圧)から逃れたのだが、それで自由に飛び回れるわけではない。怒りを解除して温厚になろうが、人生のストレスはさして変わらないので、鬱という病態がメジャーになってくる。去勢された存在として機能停止になり横臥するようになったのだ。人生に対して無抵抗でバンザイした状態が鬱病なのである。今日では生きるだけなら誰でも可能になっている。結婚もせず、自分一人で細々と暮らすことなら出来るので、空腹に耐えかねて鞘から剣を抜くことはないのである。存在としてどれだけ朽ち果て死斑が浮かぼうが、愛する相手もおらず空閨をかこつとしても、口に入れる食べ物はある。本来なら白眼を剥いて血まみれになって横たわるべき存在が、植物人間のように生かされている。鬱病とは電池が切れたように動けなくなることだが、それが今風のライフスタイルなのである。犬や猫を去勢して寿命まで生かしておくような発想が人間にも適用されており、一滴も血が流れないおとなしい悲劇が進行しつつある。
2014.05.14
著作権の保護期間が死後70年になった場合
TPPでどうやら著作権の保護期間が死後70年になりそうである。
実際に法律が変わるのがいつかはわからないが、そう遠くない時期に変わるのだろう。
まず50年から70年に延長された場合、既存の著作物に遡及して適用されるのか、そこが不明である。
2004年に著作権法を改正して映画だけ保護期間が70年になったのだが、この際は、既存の著作権切れ作品に対しては遡及しないことになった。
だが、海外では遡及している事例もあるから、何とも言えない。
TPPともなれば強制力が強まるので、アメリカの意向次第である。
三島由紀夫は1970年に死んでいるので、あと6年で死後50年になるのだが、たぶんこの頃には著作権の保護期間が70年に延長されていると思われる。
米国やEUは著作権を延ばしたがっているので、この70年もさらに延長される可能性はある。
三島由紀夫を無料で読めることは当分無いと考えた方がいいだろう。
山本周五郎は1967年没だが、この頃には70年に延長されているだろう。
志賀直哉は1971年没だから、何十年も先まで著作権が切れない。
川端康成は1972年没。
武者小路実篤は1974年没。
志賀直哉、川端康成、武者小路実篤の著作権がこれから何十年も続くのはどうかと思うが、そういう時代の流れのようである。
谷崎潤一郎は1965年没なので、(50年のままなら)2016年にパブリックドメインになる。
江戸川乱歩も1965年没なので、同様に2016年である。
このあたりまでに著作権法改正がなされるのか、が注目である。
もしくは一時的に著作権が切れて、また復活するのかも注目だ。
吉川英治(1962年没)は二年前に著作権が切れており、すでに青空文庫で読むことが出来る。
吉川英治は今でも売れると思うので、遡及してまた保護期間に入るかどうかは、大きな問題だろう。
野村胡堂の銭形平次シリーズも今年から著作権切れとなり、すでに青空文庫で読むことが出来る。
これは吉川英治と違って、あまり需要がないだろうか。
絶版になってるような作品までディズニーのために長期間保護するのはナンセンスだが、どっちみち青空文庫では有名な作品しか対象にならない。
誰かが文字起こしして、それを別の人が校正チェックする仕組みだから文字起こしされただけで放置されている作品がずいぶんある。
マイナーな本だと、文字起こしする人はいても、それを校正する人がいないのである。
校正したければ底本は青空文庫側で用意してくれるらしいが、面倒だと感じる人が多いのだろう。
実際に法律が変わるのがいつかはわからないが、そう遠くない時期に変わるのだろう。
まず50年から70年に延長された場合、既存の著作物に遡及して適用されるのか、そこが不明である。
2004年に著作権法を改正して映画だけ保護期間が70年になったのだが、この際は、既存の著作権切れ作品に対しては遡及しないことになった。
だが、海外では遡及している事例もあるから、何とも言えない。
TPPともなれば強制力が強まるので、アメリカの意向次第である。
三島由紀夫は1970年に死んでいるので、あと6年で死後50年になるのだが、たぶんこの頃には著作権の保護期間が70年に延長されていると思われる。
米国やEUは著作権を延ばしたがっているので、この70年もさらに延長される可能性はある。
三島由紀夫を無料で読めることは当分無いと考えた方がいいだろう。
山本周五郎は1967年没だが、この頃には70年に延長されているだろう。
志賀直哉は1971年没だから、何十年も先まで著作権が切れない。
川端康成は1972年没。
武者小路実篤は1974年没。
志賀直哉、川端康成、武者小路実篤の著作権がこれから何十年も続くのはどうかと思うが、そういう時代の流れのようである。
谷崎潤一郎は1965年没なので、(50年のままなら)2016年にパブリックドメインになる。
江戸川乱歩も1965年没なので、同様に2016年である。
このあたりまでに著作権法改正がなされるのか、が注目である。
もしくは一時的に著作権が切れて、また復活するのかも注目だ。
吉川英治(1962年没)は二年前に著作権が切れており、すでに青空文庫で読むことが出来る。
吉川英治は今でも売れると思うので、遡及してまた保護期間に入るかどうかは、大きな問題だろう。
野村胡堂の銭形平次シリーズも今年から著作権切れとなり、すでに青空文庫で読むことが出来る。
これは吉川英治と違って、あまり需要がないだろうか。
絶版になってるような作品までディズニーのために長期間保護するのはナンセンスだが、どっちみち青空文庫では有名な作品しか対象にならない。
誰かが文字起こしして、それを別の人が校正チェックする仕組みだから文字起こしされただけで放置されている作品がずいぶんある。
マイナーな本だと、文字起こしする人はいても、それを校正する人がいないのである。
校正したければ底本は青空文庫側で用意してくれるらしいが、面倒だと感じる人が多いのだろう。
2014.05.13
岩波茂雄と藤村操
岩波書店を作った岩波茂雄は藤村操(華厳の滝に飛び込んだ学生)の友人であった。藤村操が自殺してから精神的に不安定になり、旧制第一高等学校を中退してしまう。その後東京帝国大学哲学科選科に入学するが、この「選科」というのは要は本科生ではないということである。この当時は東京帝国大学に入るには旧制高校卒であることが必要だったので、それ以外のルートだと「選科」と扱われる。似たような境遇の西田幾多郎のエッセイを読むと、大学内での扱いも本科と選科は別だったたらしいので、おそらく聴講生のようなものだと思われる。その後、岩波重雄は岩波書店を作り、軌道に乗せる。藤村操の友人が岩波書店の創業者となったわけである。岩波書店は古本屋としてスタートしたが、出版社として最初に出したのは夏目漱石の「こころ」であった。夏目漱石と岩波茂雄を結びつけたのは安倍能成である。安倍能成は後の文部大臣になる人物だが、岩波茂雄とは旧制第一高等学校の同窓である。この安倍能成は藤村操の妹と結婚しているのである。藤村操が自殺する数日前に、若き日の夏目金之助が叱りつけたという出来事があり、漱石はこれを気に病んでいたとされる。「こころ」のモチーフも藤村操を連想させると言えるし、藤村操の自殺から岩波書店という教養主義の総本山が生まれたと言える。
岩波茂雄は藤村操の自殺に影響されて出奔した出来事について、次のように書いている。
今日だと岩波書店の本を読む人はとても少ないが、戦前は進学率も低いので、いろいろと余計なことを考える余裕があったようである。煩悶する旧制高校の学生のメンタリティーが岩波書店によって再生産されたのだ。1926年に改造社が廉価な円本を出したあたりでは、岩波も経営不振に陥ったようだが、1927年に価格の安い岩波文庫を創刊して、それに対抗した。1939年に津田左右吉が聖徳太子の実在性を疑った記述をしたことで、問題となった。1940年に津田左右吉と岩波茂雄が起訴される。執行猶予付きの有罪判決が出たが、控訴され、その後なぜかうやむやになり時効となる。そしてこの頃は、本が飛ぶように売れたらしい。
岩波茂雄の娘と結婚した小林勇は「惜櫟荘主人」(講談社文芸文庫)でこのように記述している。
戦争末期1945年5月にこの小林勇が特高に捕まった。この頃は岩波書店も機能してなかったようである。本来なら獄死するパターンだったが、戦争終結により、三ヶ月かそこらで解放されることになった。なお、岩波茂雄はお咎め無しであった。理由は不明だが、岩波茂雄は周囲の反対を押し切って貴族議員になっていた。それも影響したかもしれない。岩波茂雄のエピソードを読んでいると、あまり気が回らないタイプであり、夢中になったことに突き進んでいく。懸案となってる事項に対しては嫌がって先延ばしにするが、突発的に新しいことを思いついてはやり始める。嫌なことから逃亡して新しいことを始めるというパターンの繰り返しであり、ADHDに近いものを感じるのだが、岩波茂雄は人と接するのが大好きであった。家に客を呼ぶのがとても好きであったらしく、そういう性質が人脈を作ったのである。また人から好かれるタイプだったようだ。旅行するのが大好きで、あちこち飛び回っていた。いろいろ大変な時期にあちこち旅行するのは、ちょっとおかしいとも思われる。娘婿が特高に捕まって拷問されている間も旅行に出掛けているのだ。ともかく、かなり活動的な人物だったようである。教養主義は「試験に出ない知識」である。戦後になって進学率が上昇するに従って、教養主義が衰退したのは自然の理である。岩波書店は電子書籍に極めて消極的である。岩波書店といえば、返品を認めない買い切り制度で知られる。岩波書店はもはや紙を売っているだけであり、文化を売っていないのである。
岩波茂雄は藤村操の自殺に影響されて出奔した出来事について、次のように書いている。
明治三十六年の夏、私は信濃の国の北奥野尻湖上、人の住まぬ孤島に唯一人閑寂な生活を楽しんだことがある。
その頃は憂国の志士を以て任ずる書生が「乃公出でずんば蒼生をいかんせん」といつたやうな、慷慨悲憤の時代の後をうけて人生とは何ぞや、我は何処より来りて何処へ行く、といふやうなことを問題とする内観的煩悶時代でもあつた。
立身出世、功名富貴が如き言葉は男子として口にするを恥ぢ、永遠の生命をつかみ人生の根本義に徹するためには死も厭はずといふ時代であつた。
現にこの年の五月二十二日には同学の藤村操君は「巌頭之感」を残して華厳の滝に十八歳の若き命を断つてゐる。
悠々たる哉天壌、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て此大をはからむとす。ホレーショの哲学竟に何等のオーソリチーを値するものぞ。万有の真相は唯一言にして悉す曰く「不可解」。我この恨を懐て煩悶終に死を決するに至る。既に巌頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし。初めて知る大なる悲観は大なる楽観に一致するを。
青天の霹靂の如く荘厳剴切なるこの大文字は一世の魂をゆりうごかした。
当時私は阿部次郎、安倍能成、藤原正三君の如き畏友等と往来して常に人生問題になやんでゐたところから他の者から自殺でもしかねまじく思はれてゐた。
事実藤村君は先駆者としてその華厳の最後は我々憬れの目標であつた。
巌頭之感は今でも忘れないが当時これを読んで涕泣したこと幾度であつたか知れない。
友達が私の居を悲鳴窟と呼んだのもその時である。
死以外に安住の世界がないと知りながらも自殺しないのは真面目さが足りないからである、勇気が足りないからである、「神は愛なり」といふ、人間に自殺の特権が与へられてゐることがその証拠であるとまで厭世的な考へ方をしたものである。
かかる感傷的な気分にかられたるが故に山色清浄なる境域に静思を求めたのであつた。
今日だと岩波書店の本を読む人はとても少ないが、戦前は進学率も低いので、いろいろと余計なことを考える余裕があったようである。煩悶する旧制高校の学生のメンタリティーが岩波書店によって再生産されたのだ。1926年に改造社が廉価な円本を出したあたりでは、岩波も経営不振に陥ったようだが、1927年に価格の安い岩波文庫を創刊して、それに対抗した。1939年に津田左右吉が聖徳太子の実在性を疑った記述をしたことで、問題となった。1940年に津田左右吉と岩波茂雄が起訴される。執行猶予付きの有罪判決が出たが、控訴され、その後なぜかうやむやになり時効となる。そしてこの頃は、本が飛ぶように売れたらしい。
岩波茂雄の娘と結婚した小林勇は「惜櫟荘主人」(講談社文芸文庫)でこのように記述している。
津田事件のために、岩波は打撃をうけたが、仕事については却って張切っていた。このころ紙その他の物資が次第に不足して来たのと労働力の不足などのために生産が落ちてきた。それに加えて戦争景気が出て来たために本の売行は猛烈によかった。ストックはどんどん出てしまい、倉庫は空になる勢であった。岩波書店はじまって以来の売行を挙げた。或るとき岩波は私に、半期の売上額が三百万円になったと驚いたように話した。次第に品切の書目が多くなった。言論統制は日毎にひどくなり、時勢に逆うものの存在を許さなくなったが、一方においては自然科学書、殊に工科関係のものは軍需生産に従事する連中、またその方面にゆく学生が増えたために需要が急に多くなった。岩波書店の出版物には自然科学のものも多かったので売上げは減ることがなかった。
戦争末期1945年5月にこの小林勇が特高に捕まった。この頃は岩波書店も機能してなかったようである。本来なら獄死するパターンだったが、戦争終結により、三ヶ月かそこらで解放されることになった。なお、岩波茂雄はお咎め無しであった。理由は不明だが、岩波茂雄は周囲の反対を押し切って貴族議員になっていた。それも影響したかもしれない。岩波茂雄のエピソードを読んでいると、あまり気が回らないタイプであり、夢中になったことに突き進んでいく。懸案となってる事項に対しては嫌がって先延ばしにするが、突発的に新しいことを思いついてはやり始める。嫌なことから逃亡して新しいことを始めるというパターンの繰り返しであり、ADHDに近いものを感じるのだが、岩波茂雄は人と接するのが大好きであった。家に客を呼ぶのがとても好きであったらしく、そういう性質が人脈を作ったのである。また人から好かれるタイプだったようだ。旅行するのが大好きで、あちこち飛び回っていた。いろいろ大変な時期にあちこち旅行するのは、ちょっとおかしいとも思われる。娘婿が特高に捕まって拷問されている間も旅行に出掛けているのだ。ともかく、かなり活動的な人物だったようである。教養主義は「試験に出ない知識」である。戦後になって進学率が上昇するに従って、教養主義が衰退したのは自然の理である。岩波書店は電子書籍に極めて消極的である。岩波書店といえば、返品を認めない買い切り制度で知られる。岩波書店はもはや紙を売っているだけであり、文化を売っていないのである。
2014.05.12
吉田茂と麻生財閥
吉田茂と麻生財閥の仲を取り持ったのは白洲次郎である。
北康利の「白洲次郎 占領を背負った男」(講談社文庫)には次のように書かれている。
白洲次郎は毀誉褒貶のある人物だが、日本人らしからぬイケメン高身長であり、ケンブリッジ大学に聴講生として留学していた時代にかなりの英語力を身につけた。
そして吉田茂の側近として重用された。
白洲次郎に関するエピソードはかなり盛られている、という話もある。
日本人離れしすぎなので、そもそも日本人ではないという説もあり、なかなか分かりづらい人物である。
前掲書によれば、白洲次郎が永野重雄(新日鐵会長)と銀座のクラブで殴り合いになった際にも、麻生太賀吉が居合わせたという。
ともかくこの白洲次郎が吉田茂の娘の結婚相手として、麻生太賀吉を見つけてきたのである。
この結婚により生まれたのが麻生太郎である。
そして妹の信子は三笠宮寛仁親王に嫁いでいる。
吉田茂の妻の雪子の父親は牧野伸顕である。
牧野伸顕の父親が大久保利通である。
また麻生太郎の嫁の麻生ちか子は鈴木善幸の娘である。
このところ麻生太郎の長男の麻生将豊が注目されているが、彼は麻生太郎・鈴木善幸・吉田茂・牧野伸顕・大久保利通と血が繋がっているわけである。
麻生太郎の弟である麻生泰の息子・麻生巌がドワンゴ取締役である。
言うまでもなく麻生将豊と麻生巌は従兄弟である。
麻生将豊がドワンゴ川上会長と親しく、そのため麻生巌が取締役になったという話もある。
また麻生泰の夫人は武見敬三の姉である。
麻生巌から見ると、武見敬三は血の繋がった叔父さんである。
武見敬三の父親は武見太郎(日本医師会会長)である。
なお、吉田茂のもう一人の娘は吉田寛という外交官に嫁いでいるが、この吉田寛は岸信介と従兄弟である。
麻生太郎と安倍晋三は血は繋がってないが、親戚関係ではある。
つまり吉田茂には娘が二人いて、片方が深く麻生太郎、片方が浅く安倍晋三に繋がっている。
あくまで岸信介の従兄弟に吉田茂の娘が嫁いだだけだから、吉田茂と安倍晋三はまったく血は繋がっていないが、遠い親戚ではあるわけだ。
言うまでもなく岸信介と佐藤栄作は、養子に出された関係で名字は違うが実の兄弟である。
あと宮沢喜一と麻生太郎は、(かなり遠い)遠縁である。
宮沢喜一のいとこの夫の姉が麻生家に嫁いでいる。
ここまで遠縁だと親戚とは言えない気がするが、人間関係の狭さゆえに繋がるのだろう。
また、宮沢喜一の長男の嫁は、ブリジストン石橋の血を引く娘だから、鳩山由紀夫・邦夫と遠縁である。
吉田茂の異母兄が竹内明太郎という小松製作所の創業者である。
この曾孫がTBS報道記者の竹内明である。
このあたりも親戚関係があるわけだ。
おそらくは麻生太郎の長男である麻生将豊も、いずれは大物自民党政治家の娘か、もしくはどこかの名門の娘と結婚するのだろう。
前述したように麻生将豊は血縁だけで麻生太郎・鈴木善幸・吉田茂・牧野伸顕・大久保利通と繋がっており、遠縁も含めれば、皇族も含め、数多くの社会的有力者に行き当たるのだから、最強の縁故で作られた世界に生きているとも言える。
政略結婚で一族を繁栄させるという力学の中にいるのである。
北康利の「白洲次郎 占領を背負った男」(講談社文庫)には次のように書かれている。
次郎は吉田の妻・雪子にも可愛がられたが、ある日彼女から折り入って頼みごとをされた。
「うちの和子にいいお相手はいないかしら? 次郎ちゃん、さがしてやってちょうだい」
というのである。
和子というのは、吉田が目の中に入れても痛くないほど愛していた三女のこと。吉田には健一(英文学者で評論家、小説家)という長男がいたが、吉田とは性格が正反対だったことから、吉田の愛情はもっぱら男勝りの和子に集まっていた。その相手を探すというのは並たいていのことではないはずだ。
にもかかわらず、次郎は割り箸を割ってくれと頼まれたような気軽さで、
「OK! マミー、任せておいてよ」
とふたつ返事で引き受けると、はりきって帰っていった。
そしてそれからいくらも経たないうちに、
〈欧州出張から帰る船の中でいい男を見つけたから、この男性と結婚するように〉
という命令口調の手紙を和子に送りつけてきた。
その〝いい男〟とは、九州で炭鉱を経営している麻生鉱業社長・麻生太賀吉のこと。たまたま船で一緒になり、サンフランシスコから横浜までの二週間ほどずっと一緒に賭け事をしていてすっかり意気投合したのだ。ギャンブルは上流階級の嗜みの一つ。〝賭け事〟とはいってもたいへんスマートなものだった。あれよあれよという間に話は進んでいき、和子はめでたく太賀吉と結婚することになった。次郎は吉田家にとって縁結びの神でもあったわけだ。
後年吉田は、
「金は銀行に取りにいけばいつでも引き出せるところをみると、麻生が入れておいてくれるのだろう」
と語っている。
麻生財閥の経済的バックアップなくして後の吉田の政治活動はなかっただろう。こうして次郎は、吉田家にとって家族同然の関係となっていく。そして和子、太賀吉、次郎の三人は、その後の吉田側近グループの核となっていくのである。
白洲次郎は毀誉褒貶のある人物だが、日本人らしからぬイケメン高身長であり、ケンブリッジ大学に聴講生として留学していた時代にかなりの英語力を身につけた。
そして吉田茂の側近として重用された。
白洲次郎に関するエピソードはかなり盛られている、という話もある。
日本人離れしすぎなので、そもそも日本人ではないという説もあり、なかなか分かりづらい人物である。
前掲書によれば、白洲次郎が永野重雄(新日鐵会長)と銀座のクラブで殴り合いになった際にも、麻生太賀吉が居合わせたという。
社会的地位のあるふたりが衆人環視の中、取っ組み合いの大喧嘩である。今なら間違いなく週刊誌ネタになったことだろう。一緒にいた麻生太賀吉が間に入ってなんとかその場をおさめた。この喧嘩の勝敗はどちらに軍配が上がったとも言えない。次郎は「永野のほうが詫びてきた」と言っているが、永野のほうは「殴りつけたら向こうが詫びてきた」と言っているし、麻生太賀吉は次郎の味方だからか「永野さんがひどい目にあっていた」と、みんなてんで好き勝手なことを言っている。 永野は後に日商会頭を長く務め、水野成夫、小林中、桜田武らとともに財界四天王と呼ばれるようになるが、次郎は、 「あいつらはバスが走り始めてから飛び乗るのがうまいだけだ」と言っている。
ともかくこの白洲次郎が吉田茂の娘の結婚相手として、麻生太賀吉を見つけてきたのである。
この結婚により生まれたのが麻生太郎である。
そして妹の信子は三笠宮寛仁親王に嫁いでいる。
吉田茂の妻の雪子の父親は牧野伸顕である。
牧野伸顕の父親が大久保利通である。
また麻生太郎の嫁の麻生ちか子は鈴木善幸の娘である。
このところ麻生太郎の長男の麻生将豊が注目されているが、彼は麻生太郎・鈴木善幸・吉田茂・牧野伸顕・大久保利通と血が繋がっているわけである。
麻生太郎の弟である麻生泰の息子・麻生巌がドワンゴ取締役である。
言うまでもなく麻生将豊と麻生巌は従兄弟である。
麻生将豊がドワンゴ川上会長と親しく、そのため麻生巌が取締役になったという話もある。
また麻生泰の夫人は武見敬三の姉である。
麻生巌から見ると、武見敬三は血の繋がった叔父さんである。
武見敬三の父親は武見太郎(日本医師会会長)である。
なお、吉田茂のもう一人の娘は吉田寛という外交官に嫁いでいるが、この吉田寛は岸信介と従兄弟である。
麻生太郎と安倍晋三は血は繋がってないが、親戚関係ではある。
つまり吉田茂には娘が二人いて、片方が深く麻生太郎、片方が浅く安倍晋三に繋がっている。
あくまで岸信介の従兄弟に吉田茂の娘が嫁いだだけだから、吉田茂と安倍晋三はまったく血は繋がっていないが、遠い親戚ではあるわけだ。
言うまでもなく岸信介と佐藤栄作は、養子に出された関係で名字は違うが実の兄弟である。
あと宮沢喜一と麻生太郎は、(かなり遠い)遠縁である。
宮沢喜一のいとこの夫の姉が麻生家に嫁いでいる。
ここまで遠縁だと親戚とは言えない気がするが、人間関係の狭さゆえに繋がるのだろう。
また、宮沢喜一の長男の嫁は、ブリジストン石橋の血を引く娘だから、鳩山由紀夫・邦夫と遠縁である。
吉田茂の異母兄が竹内明太郎という小松製作所の創業者である。
この曾孫がTBS報道記者の竹内明である。
このあたりも親戚関係があるわけだ。
おそらくは麻生太郎の長男である麻生将豊も、いずれは大物自民党政治家の娘か、もしくはどこかの名門の娘と結婚するのだろう。
前述したように麻生将豊は血縁だけで麻生太郎・鈴木善幸・吉田茂・牧野伸顕・大久保利通と繋がっており、遠縁も含めれば、皇族も含め、数多くの社会的有力者に行き当たるのだから、最強の縁故で作られた世界に生きているとも言える。
政略結婚で一族を繁栄させるという力学の中にいるのである。
2014.05.10
「試験に出る」という価値基準
最近神経症という言葉をほとんど聞かなくなった。DSMの用語(たとえば強迫性障害)が使われるようになったというのもあるが、そもそも神経症自体が減っていると思われる。神経症とは、真面目な人間がさらに真面目になろうとする力学で発生する。一昔前は、真面目であればあるほど望ましいという風潮があったのだ。今日では真面目さより温厚さが評価される。真面目さというのは、頑固さ・気性の激しさ・思い込みの激しさ・視野の狭さを含んでいるので、今日では忌避される。今日では、真面目な人間は、その真面目さの度合いを下げることが求められ、空気を読んで柔軟に物事を見るように努力する。それによって厳格さは低減することになるから、厳格さによって発病する神経症にもなりづらい。われわれはそういう時代の価値基準に従って存在しているのである。
現世に生きるわれわれ空蝉は他人から評価されるために生きているのである。それにより時代に取り込まれるのだ。他人からの評価など不要と言えるわけがない。現世に送り込まれ戦わされ、死んで除隊するまで、延々と勲章を得るための行動を選択するしかないのだ。その時代の評価基準は遺漏無くすべての人々を拘束する。時代から逃げられる人間はひとりもいない。現世に肉体として存在するとは、胃袋と生殖器を人質に取られるということだ。その時代の評価基準に合わせる努力をしなければ、胃袋は空になり、生殖器をあてがう相手がおらず空閨を託つことになる。時代に合わせることで美食と美女が手にはいるとしたら、誰が逆らえるだろう。
かつて教養主義というのものがあった。これは旧制高校の文化であるが、自分なりに読みたい本を読む余裕があったと思われる。今日では自分が勉強したいことを勉強するのは許されない。試験に出るところだけ勉強しなければならない。試験に出ないことは極力やらないことが求められる。試験に出ないことを勉強するのも自由であり、役に立たない本を読んで憲兵に引っ張られることはないが、受験で不利になるので、「試験に出る」と言われたら唯々諾々として従うしかなく、事実上の強制である。これだと教養主義などあり得ないのである。
大学受験にすべてを掛けている韓国の文化レベルの低さ、もしくは戦後生まれの日本人のレベルの低さは、このあたりが原因であろう。日本と韓国では(事実上)試験に出ないことを勉強をするのが禁じられている。試験に出ないところを勉強するのが時間のロスと認識されているから、それに応じた教養レベルになるのである。ペーパーテストは公正な制度であるが、日本や韓国のように親の教育熱が高まると受験のハードルが高くなりすぎて、試験に出ないことは一切やらないという合理性に到達する。
日本の戦後生まれの知的水準はかなり低い。戦後生まれのノーベル賞受賞者は田中耕一(昭和34年生まれ)と山中教授(昭和37年生まれ)だけである。村上春樹(昭和24年)はノーベル文学賞を受賞するかもしれないが、どっちにせよ、昭和20年代生まれは反知性主義の固まりである。団塊世代(1947-1949年生まれ)が大学を卒業して就職したのは1970年あたりなのだが、彼らは頭が悪いだけでなく、戦後の復興を担ったという嘘を広めている。団塊世代は大学で暴れていただけである。1970年までの日本は戦前の人間が創った。それ以降は戦後生まれが乗っかって壊していっただけなのである。
戦前と言えば、1925年の治安維持法で共産主義者への弾圧が始まり、やがていろいろな思想が規制され全体主義に向かっていったから、ものすごく不自由で北朝鮮のような国家だったというイメージがあるが、1925年まではわりと民主的な国家であった。戦前に問題があったとすれば、明治憲法の統帥権の問題である。幕末の孝明天皇は江戸幕府寄りであり公武合体を支持していた。それが新政府に都合よく死んでしまい(たぶん暗殺)、明治天皇は新政府が確保し、大政奉還、江戸無血開城となった。市民革命ではないのだから、国民主権のはずがないし、明治天皇を持ち上げて天皇の軍隊だと強調するのは当然であった。明治憲法は内政問題は議会だが、軍事問題は天皇(大元帥)ということだった。戦後にマッカーサーが憲法を日本人に作らせようとしたら、誰も国民主権に基づいて草案を作らないから、マッカーサー側が作ることになったのだ。このあたりの経緯からして、日本人は戦前は土人のような生き方をしており、戦後になって民主的になったとされているが、エリート層に関しては、ノーベル賞受賞者がこれだけいるのである。
1899 川端康成
1901 佐藤栄作
1906 朝永振一郎
1907 湯川秀樹
1918 福井謙一
1921 南部陽一郎
1925 江崎玲於奈
1926 小柴昌俊
1928 下村脩
1930 鈴木章
1935 根岸英一
1935 大江健三郎
1936 白川英樹
1938 野依良治
1939 利根川進
1940 益川敏英
1944 小林誠
三島由紀夫(1925年)も生きていればノーベル賞は間違いなかった。偉大な日本人というのを思い浮かべると、たいていは戦前生まれなのである。高名な経営者にしても、松下幸之助(1894年生まれ)、本田宗一郎(1906年生まれ)、盛田昭夫(1921年生まれ)、稲森和夫(1932年生まれ)は戦前である。戦後生まれは、試験に出ない勉強をすればするほど不利になるのだから、主体的な向学心を奪い取られている。推薦入学に関しても、定期テストに出るところだけ勉強しているわけだ。AOは大学入学後の意欲が求められるだけである。最近は予備校でもAO入試コースがあるところが多く、そこでAO対策をするのだ。試験に出ないことを勉強するメリットがあまりにも乏しい。受験制度をどのように変えたところで、入試に役に立たない勉強はしないというのは鉄の規律である。日本も韓国も、教育ママによって文化レベルがとても低くなっている。嫌韓と言って、韓国を馬鹿にする風潮があるが、戦後生まれの日本人は韓国人と大差ないので注意が必要だ。
現世に生きるわれわれ空蝉は他人から評価されるために生きているのである。それにより時代に取り込まれるのだ。他人からの評価など不要と言えるわけがない。現世に送り込まれ戦わされ、死んで除隊するまで、延々と勲章を得るための行動を選択するしかないのだ。その時代の評価基準は遺漏無くすべての人々を拘束する。時代から逃げられる人間はひとりもいない。現世に肉体として存在するとは、胃袋と生殖器を人質に取られるということだ。その時代の評価基準に合わせる努力をしなければ、胃袋は空になり、生殖器をあてがう相手がおらず空閨を託つことになる。時代に合わせることで美食と美女が手にはいるとしたら、誰が逆らえるだろう。
かつて教養主義というのものがあった。これは旧制高校の文化であるが、自分なりに読みたい本を読む余裕があったと思われる。今日では自分が勉強したいことを勉強するのは許されない。試験に出るところだけ勉強しなければならない。試験に出ないことは極力やらないことが求められる。試験に出ないことを勉強するのも自由であり、役に立たない本を読んで憲兵に引っ張られることはないが、受験で不利になるので、「試験に出る」と言われたら唯々諾々として従うしかなく、事実上の強制である。これだと教養主義などあり得ないのである。
大学受験にすべてを掛けている韓国の文化レベルの低さ、もしくは戦後生まれの日本人のレベルの低さは、このあたりが原因であろう。日本と韓国では(事実上)試験に出ないことを勉強をするのが禁じられている。試験に出ないところを勉強するのが時間のロスと認識されているから、それに応じた教養レベルになるのである。ペーパーテストは公正な制度であるが、日本や韓国のように親の教育熱が高まると受験のハードルが高くなりすぎて、試験に出ないことは一切やらないという合理性に到達する。
日本の戦後生まれの知的水準はかなり低い。戦後生まれのノーベル賞受賞者は田中耕一(昭和34年生まれ)と山中教授(昭和37年生まれ)だけである。村上春樹(昭和24年)はノーベル文学賞を受賞するかもしれないが、どっちにせよ、昭和20年代生まれは反知性主義の固まりである。団塊世代(1947-1949年生まれ)が大学を卒業して就職したのは1970年あたりなのだが、彼らは頭が悪いだけでなく、戦後の復興を担ったという嘘を広めている。団塊世代は大学で暴れていただけである。1970年までの日本は戦前の人間が創った。それ以降は戦後生まれが乗っかって壊していっただけなのである。
戦前と言えば、1925年の治安維持法で共産主義者への弾圧が始まり、やがていろいろな思想が規制され全体主義に向かっていったから、ものすごく不自由で北朝鮮のような国家だったというイメージがあるが、1925年まではわりと民主的な国家であった。戦前に問題があったとすれば、明治憲法の統帥権の問題である。幕末の孝明天皇は江戸幕府寄りであり公武合体を支持していた。それが新政府に都合よく死んでしまい(たぶん暗殺)、明治天皇は新政府が確保し、大政奉還、江戸無血開城となった。市民革命ではないのだから、国民主権のはずがないし、明治天皇を持ち上げて天皇の軍隊だと強調するのは当然であった。明治憲法は内政問題は議会だが、軍事問題は天皇(大元帥)ということだった。戦後にマッカーサーが憲法を日本人に作らせようとしたら、誰も国民主権に基づいて草案を作らないから、マッカーサー側が作ることになったのだ。このあたりの経緯からして、日本人は戦前は土人のような生き方をしており、戦後になって民主的になったとされているが、エリート層に関しては、ノーベル賞受賞者がこれだけいるのである。
1899 川端康成
1901 佐藤栄作
1906 朝永振一郎
1907 湯川秀樹
1918 福井謙一
1921 南部陽一郎
1925 江崎玲於奈
1926 小柴昌俊
1928 下村脩
1930 鈴木章
1935 根岸英一
1935 大江健三郎
1936 白川英樹
1938 野依良治
1939 利根川進
1940 益川敏英
1944 小林誠
三島由紀夫(1925年)も生きていればノーベル賞は間違いなかった。偉大な日本人というのを思い浮かべると、たいていは戦前生まれなのである。高名な経営者にしても、松下幸之助(1894年生まれ)、本田宗一郎(1906年生まれ)、盛田昭夫(1921年生まれ)、稲森和夫(1932年生まれ)は戦前である。戦後生まれは、試験に出ない勉強をすればするほど不利になるのだから、主体的な向学心を奪い取られている。推薦入学に関しても、定期テストに出るところだけ勉強しているわけだ。AOは大学入学後の意欲が求められるだけである。最近は予備校でもAO入試コースがあるところが多く、そこでAO対策をするのだ。試験に出ないことを勉強するメリットがあまりにも乏しい。受験制度をどのように変えたところで、入試に役に立たない勉強はしないというのは鉄の規律である。日本も韓国も、教育ママによって文化レベルがとても低くなっている。嫌韓と言って、韓国を馬鹿にする風潮があるが、戦後生まれの日本人は韓国人と大差ないので注意が必要だ。
2014.05.10
有村悠さんに言及するのはやめるので
三月頃から有村さんは人間関係を新しくしようとしている。
自分の過去を知らない人と友達になろうと頑張っているわけである。
そして、わたしのエントリーに対しても、明確な反感を示されるようになったので、今までのような言及はしないことにする。
有村さんは空気が読めない自分をソフトな印象にするために道化を演じていたわけだが、だんだんそれが嫌になってきたようである。
これからは自分を律することで、問題の解決を図ろうというのだろう。
わたしが「有村さんのアフィを踏んでから~」とやってたのは、有村さんのネット乞食な言動に対応したものだったが、もうそういう道化はおしまいということなのだろう。
御本人が道化をやめて真っ当な人間になろうとしているのだから、わたしも当然ながらこれ以上ネタにするわけにはいかない。
好きで道化をやる人間がいるわけもなく、有村さんは自堕落な自分を最大限晒すことで、(悪い意味で)適応していたのだと思われる。
わたしがそういう有村さんのキャラに悪ノリしていた部分は否定できない。
いじられキャラの人間が、自分の立ち位置をリセットしたいと思うのは当然の心情である。
久留米大附設から東大に進学にしている有村さんが本当に馬鹿であるはずはなく、だからこそネタにしやすかったのもあるが、これまでの自堕落な道化をやめて生まれ変わり、新しい人間関係を構築したいらしいので、わたしはその方針に従うまでである。
そう言えば、有村さんは数ヶ月前から自撮りをやめている。今まであれだけたくさん自分の写真を撮ってネットに晒していたのを急にやめたのである。理由はわからないが、自分のことを何でも晒しまくることに疑問を感じたのだと思われる。何かしら大きな心境の変化があったのだと思うが、露悪的な趣味がなくなったのはたぶん健全な方向なのだろう。
自分の過去を知らない人と友達になろうと頑張っているわけである。
そして、わたしのエントリーに対しても、明確な反感を示されるようになったので、今までのような言及はしないことにする。
有村さんは空気が読めない自分をソフトな印象にするために道化を演じていたわけだが、だんだんそれが嫌になってきたようである。
これからは自分を律することで、問題の解決を図ろうというのだろう。
わたしが「有村さんのアフィを踏んでから~」とやってたのは、有村さんのネット乞食な言動に対応したものだったが、もうそういう道化はおしまいということなのだろう。
御本人が道化をやめて真っ当な人間になろうとしているのだから、わたしも当然ながらこれ以上ネタにするわけにはいかない。
好きで道化をやる人間がいるわけもなく、有村さんは自堕落な自分を最大限晒すことで、(悪い意味で)適応していたのだと思われる。
わたしがそういう有村さんのキャラに悪ノリしていた部分は否定できない。
いじられキャラの人間が、自分の立ち位置をリセットしたいと思うのは当然の心情である。
久留米大附設から東大に進学にしている有村さんが本当に馬鹿であるはずはなく、だからこそネタにしやすかったのもあるが、これまでの自堕落な道化をやめて生まれ変わり、新しい人間関係を構築したいらしいので、わたしはその方針に従うまでである。
そう言えば、有村さんは数ヶ月前から自撮りをやめている。今まであれだけたくさん自分の写真を撮ってネットに晒していたのを急にやめたのである。理由はわからないが、自分のことを何でも晒しまくることに疑問を感じたのだと思われる。何かしら大きな心境の変化があったのだと思うが、露悪的な趣味がなくなったのはたぶん健全な方向なのだろう。
2014.05.09
有村悠さん。艦これイベント敗北で大荒れ。
有村悠さんのアフィを踏んでから以下の書籍を購入しました。
稲盛和夫の実学
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 238
伊藤真の法学入門
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 1,050
有村さんが艦これイベントでまたしても敗北し大荒れしている。
最近はおとなしい仮面をかぶり、新しい人間関係を作ろうとしていたが、一ヶ月に一度はこうやって怒り狂い、悪罵にまみれたツイートを連投しまくるのだから、まともな人は引いてしまう。
このところ差別発言が減ったとはいえ、根本的に治ってないので、ストレスが溜まると暴発するのは変わらない。
人間の気質は、都合よく施錠したり解錠したり出来ないのである。
なんかウオッチされるのが嫌になったらしく愚痴を垂れているが、これは人間関係のリニューアルに失敗したからである。
新しい自分になれず、また元の世界に戻るのにウンザリしているのだ。
みんな有村さんのことを本当に嫌っているわけではない。
有村さんが善良な人間であることは誰もが知っている。
一ヶ月に一度は凶暴化しても、生暖かく許容するひとたちがいるのだ。
いわば戦友会のメンバーである。
有村さんがよく「メンタル崩壊」するのは、発達障害特有のパニックだと思われる。
柔軟性がないから、思い通りにならないと混乱するのである。
「発達障害 暴言 パニック」で検索すると有村さんみたいな事例がたくさん出てくる。
これは成城のクリニックでカウンセリングを受けても治らない。
本当に衝動をコントロールして生まれ変わりたいなら、ADHDの診断を受けてコンサータを飲むしかない。
発達障害者支援センターという社会福祉法人がある。
発達障害の問題は、発達障害者支援法に基づき、行政がここに委託することになっている。
(だから支援センターの人は公務員ではないが、行政サービスである)。
ここは相談が無料である。
川崎駅の近くにも支援センターがある。
一ヶ月くらいの予約待ちになるようだが、無料なので、ここで相談するのがよいだろう。
発達障害は幼児期のエピソードの聞き取りが必要なので、母親も同行することになる。
東大を中退してゴミ屋敷でゴロゴロしている現状を説明すれば、ADHDの疑いありとされ、病院を紹介される。
その病院での検査は有料である。
たぶん一万円以内の費用で済むはずである。
これは事情を説明すれば、必要なお金としてママが払ってくれるだろう。
ともかくすぐにでも川崎市の支援センターに電話して予約を取るべきだと思われる。
コンサータを飲まない限り、一ヶ月に一度は大暴れするのが続くのだから、いくらまともなフリをしても、すべてが灰燼に帰するパターンの繰り返しである。
稲盛和夫の実学
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 238
伊藤真の法学入門
Kindle版
販売: Amazon Services International, Inc.
¥ 1,050
有村さんが艦これイベントでまたしても敗北し大荒れしている。
最近はおとなしい仮面をかぶり、新しい人間関係を作ろうとしていたが、一ヶ月に一度はこうやって怒り狂い、悪罵にまみれたツイートを連投しまくるのだから、まともな人は引いてしまう。
このところ差別発言が減ったとはいえ、根本的に治ってないので、ストレスが溜まると暴発するのは変わらない。
人間の気質は、都合よく施錠したり解錠したり出来ないのである。
なんかウオッチされるのが嫌になったらしく愚痴を垂れているが、これは人間関係のリニューアルに失敗したからである。
新しい自分になれず、また元の世界に戻るのにウンザリしているのだ。
みんな有村さんのことを本当に嫌っているわけではない。
有村さんが善良な人間であることは誰もが知っている。
一ヶ月に一度は凶暴化しても、生暖かく許容するひとたちがいるのだ。
いわば戦友会のメンバーである。
有村さんがよく「メンタル崩壊」するのは、発達障害特有のパニックだと思われる。
柔軟性がないから、思い通りにならないと混乱するのである。
「発達障害 暴言 パニック」で検索すると有村さんみたいな事例がたくさん出てくる。
これは成城のクリニックでカウンセリングを受けても治らない。
本当に衝動をコントロールして生まれ変わりたいなら、ADHDの診断を受けてコンサータを飲むしかない。
発達障害者支援センターという社会福祉法人がある。
発達障害の問題は、発達障害者支援法に基づき、行政がここに委託することになっている。
(だから支援センターの人は公務員ではないが、行政サービスである)。
ここは相談が無料である。
川崎駅の近くにも支援センターがある。
一ヶ月くらいの予約待ちになるようだが、無料なので、ここで相談するのがよいだろう。
発達障害は幼児期のエピソードの聞き取りが必要なので、母親も同行することになる。
東大を中退してゴミ屋敷でゴロゴロしている現状を説明すれば、ADHDの疑いありとされ、病院を紹介される。
その病院での検査は有料である。
たぶん一万円以内の費用で済むはずである。
これは事情を説明すれば、必要なお金としてママが払ってくれるだろう。
ともかくすぐにでも川崎市の支援センターに電話して予約を取るべきだと思われる。
コンサータを飲まない限り、一ヶ月に一度は大暴れするのが続くのだから、いくらまともなフリをしても、すべてが灰燼に帰するパターンの繰り返しである。
2014.05.08
有村悠さん。艦これイベントがクリアできない可能性。

有村さんといえば、昨年10月はやけにテンションが高かった。編プロのバイトに連日終電まで通い、とても充実した日々を過ごしているとアピールしていた。だが、生まれ変わったと思われた時期はとても短かった。艦これイベントで武蔵が取れなかったことで、メンタルが崩壊したのである。精神科に駆け込み、また元のゴロゴロ生活に復帰したのである。今回のイベントでも、あと一日というところでまだクリアに至らず、かなり病んでいる御様子である。最終のE5は武蔵を壁にして戦えばいいのだが、何しろ有村さんは武蔵を持っていない。貧困のスパイラルである。
ゲームで負けてもどうでもいいのだが、そう思った瞬間に、ゲームとしての意味を失ってしまう。ゲームの不毛性に気づいた瞬間に、これまで生命を持って息づいていたキャラクターは白茶けたデータの破片に変貌する。まさに累卵の危うきと言うべき状態であり、ぎりぎりのバランスで積み重ねた卵が崩れ落ち、卵白と卵黄はその形態を失い、腐臭を放つだけの液体になってしまう。あらゆる生活の義務を懈怠し、艦これという一本の杖で自我を支えている有村さんが、これに耐えられるはずがない。震えた指でマウスを掴みながらディスプレーに貼りつき、過呼吸に陥りながら戦い続けるしかないのだ。タイムリミットは金曜日の午前11時である。