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明治天皇は自分の身長を測ることを生涯拒絶していた。
崩御して、ようやく明治天皇の身長を測ることになったのである。

福田和也「昭和天皇 第一部 日露戦争と乃木希典の死」には次のように書いてある。
その間、藤波言忠は、なきがらに寄り添い、お上の身長を測っていた。 先帝は、身長や体重を測られることを嫌い、洋服の寸法すら取らせなかったのである。藤波が、最後に測っておこう、と発意した心持ちには推し量りきれないものがある。五尺五寸四分(約一六七センチ)だった、と藤波は記録している。


明治天皇が身長を測るのを拒絶し、写真も嫌がっており、御真影すら肖像画で済ませたのだから、替え玉説を唱える人がいるわけである。
三浦芳堅という人物が「田中光顕に聞いた話」として著作に書いたのである。
田中光顕本人が言ったのなら信じるが、これは完全に三浦某の作り話である。
歴史において闇に葬られた事実はたくさんあるだろうが、孝明天皇と一緒に息子の明治天皇(睦仁親王)を暗殺し、別の誰かとすり替えたとなると、かなり多くの人が知っているはずだから、まったく話が出ないということはない。
幕末に公武合体派だった孝明天皇が暗殺された疑惑についてはたいていの幕末史が触れているが、三浦某のはほとんど目にしない。

明治天皇(睦仁親王)を生んだのは孝明天皇の側室の中山慶子である。
孝明天皇の死後に明治天皇(睦仁親王)を新政府が抱き込むことが出来たのは、中山慶子の父親である中山忠能の力が大きい。
中山忠能は長州寄りの言動のため、孝明天皇から不興を買っていたが、孝明天皇崩御で復権したのである。
中山忠能は、討幕の密勅や王政復古の大号令に中心人物として関わっている。
明治天皇(睦仁親王)は五歳まで中山邸で暮らしていた。
その後に宮中に戻ってからも、中山慶子が養育係となっている。
孝明天皇死亡時に、明治天皇は満14歳である。
血が繋がっている中山親子に説得されて新政府側に唯々諾々と従っていたと考えるのが自然である。
ちなみに中山忠能は明治21年まで生きている。
中山慶子は明治40年まで生きている。
また大正天皇は生まれてから6歳まで中山邸で過ごしている。
その後に宮中に戻ってからも、中山慶子が育てている。
仮に明治天皇がすり替えられているなら、中山慶子が大正天皇を育てているのがとても不自然である。
そもそも中山家の先祖を辿れば藤原氏であるから、お得意の外戚政治を行っただけだろう。
中山親子が明治天皇をコントロール出来る立場であるのに、すり替える必要などまったくないのである。

明治天皇は肩幅が広く、いかにも闘士型という体型である。
闘士型はすごい立派で強そうに見えるのだが、あまり知性を感じない体型であり、頭部が大きめであることが多く、よくよく見るとあまり背も高くない。
明治天皇の身長167センチというのは当時としては長身の部類だが、明治天皇の写真(肖像画)から身長180くらいの印象を持っていた人が多いと思われる。
開かれた皇室の時代ではないし、明治天皇は帝王というイメージにフィットすることを望んだに違いない。
新政府の面子だと、西郷隆盛は180あるし、大久保利通も175はあり、木戸孝允も170以上とされる。
明治天皇はあまり自分が長身という認識がなかったかもしれない。
身長を測るのを生涯拒んだのも、長身というイメージにしておきたかったのだろう。
われわれは大往生を望むわけだが、その大きな理由のひとつは、死体の醜さへの畏れである。公衆便所で自殺体を見つけたら、しばらくは悪夢に悩まされるだろう。他人の死はたいして悲しくないのが本音であるが、死体への恐怖はガチである。だからわれわれは生者とあまり変わらない安らかな死を願う。白眼を剥いてこときれている自分はイメージしたくなく、まるで眠っているような表情で死にたいのだ。自然死であっても、独居老人だったら腐乱死体になることはあるだろう。最近増え続ける独身者はもちろん、核家族化で一人暮らしの老人もたくさんいる。死によって肉体が腐り、蝿が飛び回ってるのに、なかなか発見されないこともあるだろう。どうせ火葬場で焼かれて骨になることを考えると、近親者に死を看取ってもらい、すぐに死体を綺麗にして貰うことに特別な価値があるかわからないが、やはり醜い死体にはなりたくないのである。死体に綺麗も汚いもあるだろうか、と思うのだが、たぶんあるのだろう。綺麗な死体と腐乱死体はやはり違うのである。死んだら生ゴミだから、どっちでも同じな気がするが、おそらく、生ゴミであるという事実を認識したくないのである。綺麗な死体は生ゴミではない、ということらしい。死んで生ゴミになるのではなく、永遠の眠りであると考えたいのだ。そういうファンタジーを信じたいのである。水死で膨張して土左衛門になったりすると、永遠の眠りというイメージが湧かない。「カラマーゾフの兄弟」において、主人公のアレクセイ(修道僧)が崇拝するゾシマ長老が死に瀕する場面がある。ひとびとが聖者と崇めていた高僧であるから、死によって何かしら神々しい奇跡が慈雨のように降り注ぐと思われていたのだが、死んでからすぐに凄まじい腐臭を発したのである。この腐臭の広がりに、多くの人が鼻をつまみ幻滅したのである。聖者は精神世界と繋がる存在であり、八重咲きの桜の花弁のように惜しげもなく神秘を開き示すべきなのに、その瘴気を放つ遺骸は光り輝くこともなく、きわめて俗的で唯物論的な死に方をしたのである。奇跡に無縁の聖者は痴れ者と同じである。聖者は天意を受けてこの現世に産み落とされたはずであり、その肉体が死するからこそ、精神世界への道標を示すべきなのに、悪臭を放つ生ゴミになってしまったのだ。われわれはこの俗世間がすべてだとは思いたくないのである。俗世間を超越する世界があると、どこかで信じている。カリスマ性がある人間とは、俗世間を越える道筋を提示してくれる人物のことである。思考が世俗の域を出ない人間はカリスマ性がないのだ。宗教家の場合、超越的な世界と交信しているというオーラが必要である。ゾシマ長老は腐った死体を晒してしまった。肉の塊、もしくはタンパク質の固まりとして生涯を終えてしまったのである。「カラマーゾフの兄弟」の続編では、還俗したアレクセイの生き方が描かれるはずだった。修道僧が還俗するのだから、ゾシマ長老の死に方も含めて、唯物論と宗教の問題がテーマになっただろうと思われるが、ドストエフスキーの死亡により、それは執筆されずじまいに終わった。
この世に生きていて難儀なのは、他人を馬鹿にするのが合理的であることだ。馬鹿にされて怒る人間はいないわけである。尊重されるとたいてい怒るわけだ。丁寧に接するというのは「相手を立てる」ことだからクレーマー化することがままあり、どうしても(合理的に行動するなら)他人を馬鹿にするしかないのである。あなたの人生経験、自分自身や他人の言動の観察を含め、馬鹿にされて怒っている人間などいなかったはずである。激怒しているのは例外なく、尊重されている人間である。尊重されてない人は怒らない。パワハラされて怒り狂って上司の顔面を叩き潰す人間が100人に1人いるなら、パワハラはないに違いない。パワハラを100人にやれば(期待値として)鼻骨がひしゃげ前歯が全損し顔面麻痺の後遺症が遺るとしたら、誰もパワハラをしないだろう。身分制度において、下の人間は決して怒らない。奴隷は一片たりとも尊厳が残らないように蔑まれ馬鹿にされているから怒らないのだ。逆に身分の高い人間は尊重されているので怒る。それが世の中の仕組みなのである。そもそも法とは貧困層の管理である。親が金持ちである場合、犯罪を犯す必然性が極めて低い。腹を空かせた素寒貧が盗みを働いて鞭打ちにされ血に塗れるのを葉桜見のように愉しむのが貴族である。犬をやたらと大事に育てると権勢症候群になる。あくまで飼い主が主人で、犬は家来であるというケジメが必要なのである。そのケジメがなくなると、犬も威張り出すのである。犬と人間は同じなのである。蔑まれればおとなしくするし、大事にされたら威張り出すのだ。ハイスペックな人間の場合は、丁寧に振る舞うことで、「なんて謙虚な人なんでしょう」と賞賛されるのだが、それだけのスペックがなければ、他人の顔色を窺う弱者としか思われない。実際、あなたがよほどハイスペックでなければ、丁寧に振る舞っていて、相手がいきなり怒り出したという経験があるはずだ。やはり馬鹿にされて怒るのはみっともないという意識が人間には強くあり、屈辱で頭の血管が切れても我慢するのである。殺意を抑制することで気が遠くなり、悔しさで唇を噛み切っても怒りの声は出さない。しかしいざ尊重されるとなると、ストレス発散のために怒り出すのである。これは社会を成立させるのに必要な性質である。弱者の怒りに力があっては社会が成り立たない。弱者の怒りの無力性が世界の根幹である。馬鹿にされたら何がどうなろうが相手を殺すというのを徹底していれば、この世に身分などなかった、もしくは社会すらなかっただろう。馬鹿にされたら我慢するというのを人類が延々と反復してきたからこそ、社会があるのである。そもそも社会とは、建国神話を創作し、皇位を僭称することから始まる。聖者の起こした奇跡はすべてが嘘であるが、人間という根無し草の有象無象が意味もなく繁殖している無意味さを克服するには、奇跡という架空の特異点により正統性を打ち立てるしかないのだ。天啓を受けたと一芝居打ってみせてから天意を実行すると称し、他者を睥睨し蔑むことで、王者の風格をそなえるのである。
金持ちが金を稼ぎまくれば、必ず貧困層にも金が回って豊かになるという意見がある。
いわゆるトリクルダウン理論である。
竹中直純は東京プラスと未来検索ブラジルの取締役であり、ニワンゴ設立時の取締役でもある。
おそらくはソーシャルスキルの天才である。
かなり多くの会社の取締役をやってるから、人たらしの能力は桁外れであろうし、度外れに目ざといタイプだと思われる。
竹中直純は渋谷の麻生邸の近くに住んでいる。
出身は福井であり、実家はあまり金持ちそうでもないから、まさに成り上がったのである。
トリクルダウン理論に従うなら、竹中直純が稼げば稼ぐほど貧困層も豊かになるはずである。
だが竹中直純という人脈の天才の恩恵を受けているのは、竹中直純周辺に限られる。
普通のネットユーザーから見れば、未来検索ブラジルの活動に困っているわけだ。
竹中直純の周辺に富が集中しているだけで、それが吐き出されてこない状態と考えた方がいいだろう。

今日においてSEO業者は死んだ。
主流であるのは人脈SEOである。
日本で言えば、人脈SEOを始めたのはAMN(アジャイルメディアネットワーク)である。
ブロガー交流会で、直接的な繋がりを作るのが最強のSEOだと気づき、それを実行したのである。
アルファブロガーという惹句で二束三文のライターをスターにした。
まとめブログが流行るまではネタフルのゴミ記事が必ず一ページ目に来ていたのである。

ソーシャルスキルとは、要は内面と外面の接触の問題である。
内面世界に沈潜している人間は自閉であり、逆に、打てば響くように外界との通気がいい人間は、ソーシャルスキルが高いのである。
この通気性で本人が得をするのは言うまでもないのだが、果たして(トリクルダウン的に)赤の他人にまで恩恵があるのはわからない。
たとえば竹中直純が任天堂に入社したら、本人は出世し栄達を極めること間違いないが、それによって任天堂の業績が上がるかは疑問である。

人脈SEOの覇権はAMNから未来検索ブラジルに移行したが、単にグーグルの一ページ目をゴミで埋める作業を争っているだけである。
今日のネットにおいては、グーグルの一ページ目に載ることが最重要課題である。
グーグルの一ページ目を支配できれば、ネットメディアを支配したことになる。
この「グーグルの一ページ目を奪い合う」というゲームは、まさにゼロサムであるし、人脈SEOの発達により、われわれネットユーザーは、他人の縁故を見せられているだけという状態に置かれているのである。

いずれにせよ、たまたま竹中直純を俎上に挙げてみただけで、今後も人脈SEOの本質は変わらない。
ネットで自分を売り込みブロガー交流会などで顔を繋げば、評価に値しない記事でも稼げるというのをAMNが広めたので、そういうマーケティング技術がこれからも発達し続ける。
Jim体制が長期的に維持されるなら、西村周辺は退潮の憂き目に遭うだろうが、また別の人脈集団がグーグルの一ページ目を支配するだけである。
「忘れられる権利」なるものがEUでは認められており、それがグーグルの検索結果にも影響を及ぼすことになりそうだ。

http://mashable.com/2014/05/13/right-to-be-forgotten-europe-google/
Addressing that question, the European Court of Justice (ECJ) ruled on Thursday that citizens do have a certain "right to be forgotten" online. The court ordered Google to remove links to archived newspaper pages containing old information about the repossessed home of a Spanish man who sued Google and the newspaper in 2010. But what does the "right to be forgotten" actually mean? What does this decision actually say, and what are its implications? We have the answers, below.

先日話題になった欧州司法裁判所の判決。
スペイン人の男性が、過去に自宅が競売に掛けられたという事実をネットから消してくれとグーグルに訴えた。
そして欧州司法裁判所は、この男性の訴えを認め、グーグルに削除を命じた。

The right to be forgotten is not regulated in detail in European law, although the EU is working on a comprehensive new law that would regulate it explicitly.

今のところ「忘れられる権利」は細かい成文法としては存在してないが、EUは明確に定める法律を作成中らしい。
まだ完成してないので、線引きがどうなるのかはわからない。


ネット以前の状況を考えると、われわれは他人の過去をたいして知らなかった。
両親の過去の話でさえ、都合のいいエピソードを聞かされているだけである。
田舎ならともかく、都市部で誰かと会うとすれば、過去は完全に闇であるから、相手の自己紹介を信じるしかない。
根掘り葉掘り聞いたり、証明書の提示を求めるわけにもいかないから、経歴詐称していたとしても気づかない。
もちろん正社員として採用とかなら、経歴の真偽は洗われるが、そうでもなければ自称で構わないのである。
他人の過去がわからないのが世界の本質だったわけだが、それが正当だとするなら、「忘れられる権利」も正当なのだろう。

日本で言えば、名誉毀損は(たとえば前科を晒すなど)事実でも適用されうるし、「忘れられる権利」との違いが分かりづらい。
何にせよ、EUは法律が出来てないのに先走ってるらしく、よくわからない状況である。

乱暴狼藉を働いていた人間が、丸くなって妙に落ち着いてくることはよくあるわけだ。
最近は若気の至りがネットに残る時代であるが、今までは一般人の言動など記録されなかったのだから、そういうネット以前の在り方を踏襲するなら、自分の過去を抹消する権利があると言えないこともない。
凶徒として刃物を振り回し浴びた返り血や悪評をグーグルから消し去り、何食わぬ涼しげな顔で新しい人生を歩む権利はあるらしい。

すべての過去を洗いざらい公開しながら生きている人は極めて稀であり、身振り手振りを交えて饒舌に自分を語る人でも、肝心な部分を隠すために多弁になっているだけである。
自己紹介を盛ることは何となく認められている。
われわれもいちいち疑わないことにしている。
それがゆえに結婚詐欺や経歴詐称も起こるのだが、過去を正直に話したくないというのは、人類共通の願望である。
不可逆的な時間の中で、撤回不能な事実が生成され、それを焼き印のように刻み込まれたのがわれわれの存在なのだが、過去がガラス張りになってるわけでないのも確かであり、存在の根幹である「事実」の多くは隠蔽されている。
たとえ多くの人が知っていても、公然の秘密として伏せることにしているのだ。

そもそも人間に恥という感情がなければ、まったく別の社会になっていただろう。
あらゆるアクションを総当たりで試すカオスな世の中になっていたはずだ。
われわれは恥があるからこそ、最低限の慎みを持ち、無関心を装い、秘密には触れずに、互いの過去を曖昧にすることを認めているのである。
身長186センチで粗暴な楽しんごがいじめられていたという不自然な告白や、ホスト狂いで容姿強者の中川翔子がいじめられていたという不自然な告白は、意味が分からない漢文を素読するように空々しく語られ、その薄っぺらさが、手軽に消費されるエピソードとして丁度いいのだろう。
本当に胸を抉られ銃創が残るような記憶があったら憚り無く話せるわけもなく、何もなかったような顔をしているしかない。

人生において積み重ねるカルマは重すぎるので、それをなかったことにして新しく他人に接するのである。
人間存在にとって、事実が重すぎるからこそ、死斑のような焼き印の痛みは自分だけで抱え込みたいのであり、他人にオープンにはしたくないのである。
事実を知っている数少ない人間が秘密を墓場まで持っていき、永遠に真相が消え去るというのは、人間社会の基本なのだろう。
過去を背負って歴史的に生きているのが人間ではあるのだが、過去を隠したいというのも、極めて強い願望なのである。
われわれは森羅万象から疎外されている。この苦界に俘虜として産み落とされ、肉体に幽閉され、その肉体に付属した五感で周辺を垣間見ることしか出来ない。五感の到達する範囲は極めて限られている。肉体は遍在性と対極であり、空間の一カ所にしか存在出来ない。視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚、これで何がわかるというのか。その肉体が存在する座標の景色、その耳がある位置の音、舌の可動域に限定された味わい、手の届く範囲での触覚、鼻がある場所の匂い、それで世界全体はわかりようがない。どこまでも広がる暗闇の中で、手にした蝋燭の灯りが照らし出す部分だけが見えている。肉体の五感が届かない圏外を知るためには「情報」が必要になる。われわれ個々人が自らの五感で認識できる範囲は極めて狭く、世界のほとんどが圏外であるから、他人から聞いた話で世界を理解しているのである。つまり伝聞である。世界全体(森羅万象すべて)どころか、自分の肉体周辺しか認識出来ないのだから、伝聞でわかったつもりになるしかない。日本人の大半はフランスの大地を踏んだことがないが、フランスのことはよく知っているつもりである。「言葉」でフランスを説明されて、理解したつもりになる。そもそも日本人が一億三千万人いるとして、そのうちのほとんど全員と会うことはないのだ。世界はバケツリレーのように出来ていて、われわれはわけもわからず渡されたバケツを他人に手渡すわけだが、果たして消火作業なのか放火なのか、それは判然としない。誰もが不自由な肉体に縛り付けられている中で、伝播するのは言葉だけなのである。伝聞でしか理解できないわれわれは、サクラに弱すぎる。自分の意見として言うより、伝聞として伝えた方が効果的である。「知り合いの女子高生がこんなことを言っていた」という伝聞を創作するのがサブカル系の記事の基本である。伝聞として提示された話に反論することは出来ない。せいぜい伝聞の裏を想像してみるくらいである。出来るだけ妥当性の高い想像を行い、情報を検証するしかないのだ。われわれ一億三千万人の日本人は、(お互いをほとんど知らないながらも)6月になればサッカーワールドカップに熱狂することになっている。本田圭佑という巨大ビジネスを見せられるのである。それぞれが幽閉され、互いに接点のないわれわれが仮想的に連帯して手を取り合うのだ。本田圭佑という特異点から流される情報はほとんどが潤色されており、嘘だらけなのだが、その嘘にわれわれの関心が集約され、メッキだらけの煌びやかな像を結ぶのである。首の手術痕とギョロ目からバセドウ病であるのは断定できるのだが、それが取り上げられることはない。気づいてる人だけが、もやもやした思いを抱えているが、誰も気づいてないことになっている。情報の伝達はフラットではなく、影響力の格差による一方的な支配だ。西村が電通に魂を売った段階で全てが死んだのである。われわれは森羅万象から疎外されているだけではない。この肉体に付属する貧しい五感は西村の黒塗りの手で目隠しされている。どうせ死ぬのに人間は生まれてきて、どうせ死ぬのに生きるために何でもやり、頭の中もすっかり洗脳されて、西村の指図通りに本田圭佑と安倍晋三に熱狂して、苦界の生涯を閉じるのである。真理から遥遠いつんぼ桟敷に置かれているのが人間存在の本質であり、世界が未知であるがゆえに物語が生じるとも言えるのだが、この五年くらいまとめブログの言いなりになっているネットユーザーを見るにつけ、愚衆の脳味噌は西村が塗り絵をするためのキャンバスでしかないのであり、森羅万象(物自体)から遮断され、伝聞にコントロールされる人間存在の限界に思い至る。芦部信喜の名前を知らない人間が憲法を語る茶番がこの世界なのである。実際のところすべてが茶番では無かろうか。
人間は手段として存在している。他人の手段として有用性を発揮することで存在出来る。あなたに「本命の恋人」と「やり捨てる恋人」がいるとして、本命は本当に好きだから手段ではないと強弁するかもしれないが、これにしても理想に適合しているから用があるのだ。何らかの理由で理想の適合性が破綻したなら、真実の愛も目出度く消え去るし、用済みということになるだろう。つまり人間存在はすべて有用性から説明されるべきなのである。用済みになって掌替えしというのは、多くの人が経験することである。近衛文麿は12歳の時に父親を亡くして周囲の態度が変わったことで、ずいぶん疑心暗鬼な性格になったとされる。有用性が無くなった瞬間に、先日まで媚びていた連中の顔つきが変貌し「こいつは用済み」という態度になるのは当然である。馬齢を重ねて人生の苦みを味わえば誰もが気づく仕組みなのだが、経験するまでわからないようである。チヤホヤされるというのは、有用性を失った段階で捨て去られる危険な状態なのだが、だいたいの人間は手遅れになってようやく気づくらしい。われわれはお互いに相手の有用性をあてにして人間関係を作るので、手段として存在することには逆らえない。西村博之は完全に有用性を失った存在である。用済みなのである。今後西村が新しいビジネスをやることは出来ない。しかし、西村は多くの秘密を知っているわけである。まとめブログでグーグル検索を占拠する現状まで生んだのだから、ネットの世論工作のすべてを知る立場である。誰もが西村と手を切りたいのだが、西村が秘密を暴露すると大変なことになる。現行法だとステマは違法ではないが、自作自演のカラクリが発覚したら社会的信用を失う。われわれとしては西村が麻生太郎と竹中直純の手練手管の全てを活写すべく筆を執り、前代未聞の暴露本が揮毫されることを願うわけだが、義憤や正義感が寸毫も認められない人物であるから、おそらくはブラックジャーナリストとしておこぼれを貰う後半生になるのだろう。共犯者であったお歴々にとって、抜いてはならない虫歯のような存在になる。最近はツイッター炎上や、既婚女性板の祭りもめっきり減ったが、落ち武者となった西村が座する貧しい裸城には多くの秘密が根雪のように残っており、社会的有力者の弱味を握った状態なのである。その罪障の深さに連座する旦那衆がどういう態度を取るか、それが今後の見物だろう。
われわれは手付かずの自然に触れることは出来ない。世界は加工されている。いつの時代にもサクラはいる。電通はタウンミーティングで二度サクラ問題をやらかしている。小泉の時と、裁判員制度の時である。これは官公庁の問題に関わったから露見しただけであり、マーケティングの裏にはいつでもサクラがいるのだ。他人にまったく合わせない奇人変人として生きるのは困難であるから、どうしてもサクラに釣られてしまう。最近はステルスマーケティングと呼ばれるようになったが、この古来から続くサクラというマーケティングはどこにでも巣くっているのである。

角川とドワンゴが統合したわけだが、なぜか小説関連のスレがラノベの話で埋まっていたりする。たとえば電子書籍のセールを扱うスレなどである。本をたくさん買う人が多いスレで、糞ラノベの話を延々とやっているので迷惑している。現在の日本ではステマ(サクラ)は合法である。匿名で「この本面白いよ」と自社の作品を褒めるのは何ら法に触れない。2013年4月に、2ちゃんねるラノベ板のスレを埋め立てていたのが、メディアワークスのIPアドレスであることが発覚した。あれから一年くらい経過しているが、三木一馬はツイッターを放置している。2ちゃんねる運営がメディアワークスのIPを晒したということは、西村と共謀はしていないのだろう。だが、角川とドワンゴが組んだわけだし、今後は危惧される。日本ではサクラを使うのが完全な自由であるから、違法化されるまでは法的に問題ないわけである。われわれは超能力者ではないので、名無しさんの書き込みを見て、これがサクラだと断定出来るはずもないから、疑わしい事例を列挙して長広舌を振るうことはしないが、このネットという暗渠で無聊をかこって長いなら、手練れの娼婦のように斜に構えて、いろいろと見抜かなければならない。

グーグルはネットという混沌を腑分けして、使えるところだけ摘出する検索エンジンとして登場した。しかし極東の日本という島国は、グーグル日本法人によって扼殺されそうである。西村博之のまとめブログに検索結果を占拠される現象が起こった時、グーグル日本法人は、ライブドアを通じてプレミアムアドセンスを又貸しするという愚策を取った。まとめブログはサクラとして害悪であるだけでなく、ブラックジャーナリズムという側面も持っている。サクラを排除することを徹底的にやるのがグーグルであるはずなのだが、日本法人は目先の売り上げを選択した。長期的な(少なくとも五年は続いている)機能不全をもたらし、西村というブラックジャーナリストの権力は肥大し、さらなる悪化を招いた。これからも日本のグーグルの麻痺状態は続く見込みである。かつてツイッターが勃興し、検索結果がツイッターのツイートだらけになった時、グーグルはそれを排除した。しかし、まとめブログに関しては、(グーグル日本法人は)アドセンス又貸しという愚かな手法で対応した。グーグル日本法人の社員は優秀であるはずだが、彼らはラリー・ペイジとは対極の人間である。革命が成功した後に船に乗り込んで意気揚々と凱旋するのはこういう人間達なのだ。コピーサイト排除がグーグルの哲学であるはずなのに、西村博之という簒奪者の戦利品を無効にするどころか、マネタイズの方法まで提案したのである。バブルの時に大手銀行が地上げ屋に巨額融資をしたのと同じである。もはや被リンクではなく、人的なネットワークが検索結果になっている。グーグル日本の検索結果は縁故採用と同じ原理になっているのである。ラリー・ペイジがこの問題に気づいているのかどうかは知らないが、ツイッターの時は排除したのだから、おそらく知らされていないのだろう。検索すると似たようなまとめブログがずらりと並ぶという地獄のような絶景が見える景勝地に日本人は縛り付けられている。
2014.05.21

右翼と日本人

2.26事件(1936年)が起きた時、北一輝は頭を抱えたのである。1932年に三井財閥の団琢磨が暗殺されてから北一輝は三井から金を貰うようになっていた。今日の貨幣価値で言うと、たぶん1億円くらいは手にしているはずである。三井財閥としては、北一輝に金を渡すことで、これ以上三井に危害が及ばないようにしたのだ。北一輝はテロリストに影響力があり、あの有名な「統帥権干犯」という言葉を考えたのも彼である。テロリストへの恐怖感により、三井財閥から北一輝に金が流れ、立派な家屋敷を構えて生活できるのだから、本当にテロを実行されても困るのである。大川周明のように著作がベストセラーになるわけではないから、北一輝は犯罪で得た贓物で暮らすしか無かったのである。2.26は当初は成功するとも思われた。だが、昭和天皇が激怒し彼らを賊軍と見なしたので、討伐されることになった。そして直接は関与していない北一輝もこれで死刑となってしまう。2.26が発生した後に、実行犯に電話を入れたことが大きな原因だが、勝ち馬に乗ろうという色気があったのかもしれない。騒擾が鎮圧されたと言っても、実際に人間が死んで血が流れたことで、テロの恐怖が生々しく広がったのは確かである。この当時はソビエト共産主義という脅威があったから、日本が勝手に発狂したというわけでもないが、完全なファシズムの時代に突入していくのである。海外の右翼と日本の右翼は毛色が異なっている。普通であれば、右翼は外国人を攻撃するわけである。日本の右翼は「君側の奸」を標的とした。つまり天皇の側近が逆臣だとして、殺そうとするのである。昭和天皇のおぼえがよい人物は暗殺リストに入る。玉(天皇)を奪えば、下級武士でも頂点に立てるという明治維新が悪いお手本となったのである。大正天皇は幼少期から病気を繰り返し我が儘であったから、ほとんど崇拝の対象にならず、大正デモクラシーの頃は軍服を着ていると肩身が狭かったと言われる。そこに昭和天皇という無私を極めた元首が登場したのである。底辺の有象無象が天下国家を語り、明治維新の再現をやろうとしたのである。2.26の実行者たちは自分たちの計画を昭和維新と称していた。イギリスのような階級意識がないから起こった現象と言える。大物右翼という存在は戦後も君臨し続けたが、ここ最近は空気となっている。時代の変化は老人の死によってもたらされる。児玉誉士夫とか笹川良一が永遠に生きていたら、彼らに引導を渡すのは難しく、なかなか厄介だっただろう。もしくは昭和天皇にしてもカリスマ性がありすぎて、アンタッチャブルな存在であった。無私を貫く昭和天皇が永遠に生きていたら、その代弁者たる右翼は永遠に続いただろう。今上天皇は類い希な常識人であるから、非常識な衝動を投影する対象にはならない。そもそもかつては後鳥羽上皇や後醍醐天皇が島流しにされたし、江戸時代も天皇は冷遇されていたから、やはり明治維新が右翼という物語(下級の志士が天皇の側近になる物語)を生んだのである。三島由紀夫が楯の会を作り、青年将校のような学生を集め、自衛隊市ヶ谷駐屯地でクーデター未遂事件を起こして割腹自殺したのも、2.26の挫折を再現したのである。三島由紀夫が外国人排斥運動をやっていたということはまったくないし、あくまで戦後の日本人に呼び掛けたのである。
2010年に「ドブスを守る会」というのが炎上した。
首都大学東京の学生二人が退学処分になったわけである。
久木元拓という准教授も諭旨解雇となった。

この久木元拓という人物が、竹中直純の会社にいたようである。
(現在もいるかどうかは不明である)。

解雇されたのが2010年7月で、この情報は2010年11月のもの。

http://blog.livedoor.jp/itpress/archives/51742479.html
◆本件に関する問合せ先
株式会社ディジティ・ミニミ  
東京都渋谷区代々木5-59-5 東信代々木ビル4F
TEL:03-5465-1606 
担当:久木元 拓:kukimoto@digitiminimi.com



2012年の「TRANSする空間感覚と快楽」というイベントに出ているが、こういうプロフィールになっている。

http://artsfield.jp/lecture/000282.html
モデレーター:久木元 拓(くきもと・たく)3331 TRANS ARTS 展 ディレクター
1992年早稲田大学人間科学部卒業後、三菱総合研究所研究員として、文化産業振興政策、コンテンツ流通促進の制度設計をはじめ、 美術館の事業運営計画等に関するコンサルティング等を実施。2005年東京芸術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修了。首都大学東京准教授、webサービス会社digitiminimi、音楽配信サイトOTOTOYにて経営企画に携わった後、現在「3331 TRANS ARTS 展」、「TRANS ARTS TOKYO」両プロジェクトのディレクション、プロジェクトマネジメントを行う。発表論文に「文化価値循環モデルによる都市ブランディング分析試論」「集団的知性の形成から捉えたアートプロジェクトの組織経営政策分析・評価試論」等がある。

このプロフにあるOTOTOYも竹中直純が社長である。

このドブスを守る会は既婚女性板が大騒ぎしたわけである。
そう言えば、西村が追放されてから、既婚女性板の勢いが無い。
ネットでの炎上を西村が仕掛けていたと考えることも出来る。
炎上事件をまとめブログで拡散させることで、西村のパワーが増すわけである。
髭を生やしたブラジル社員が奥様を演じて動員してたのではないだろうか。

何にせよ、ドブスを守る会で解雇された准教授が竹中直純の会社にいたという不思議な関係があるのである。
digitiminimiとOTOTOYという竹中直純の二つの会社に関わってるのだから、ずいぶん親交はあるはずだ。
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