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2014.06.18
石原伸晃は積み重ねがない人間
石原伸晃はまったく発達障害ではないし、注意力も高いし、わりと衝動も抑えられるが、時たまストレスが溜まるとカッとなる人間である。平常時なら無難に物事をこなし、そこそこ優秀なのだろうが、胆力に欠けているから、大事な場面を任せられない人間の典型である。短絡的な気質は行動力の源でもあり、石原伸晃がそれなりに成功してきたのも、そのアクティブな姿勢ゆえである。注意力の低さを伴うとADHDというポンコツになってしまうが、石原伸晃は注意力はあるので問題がない。若いうちはリーダーシップもあっただろう。だが、思慮の浅さというマイナス点は常に付きまとう。
父親の石原慎太郎は、実はあまりカッとなるタイプではない。暴言吐いたり怒鳴ったりするのも、それなりに計算しているわけである。石原慎太郎はこのところすっかり老け込んできたので、もはや煽る発言をする気力もないようだが、プロレスラーのマイクパフォーマンスと同じである。石原伸晃はマイクパフォーマンスが出来るタイプではないし、普段は粛々とやっているのだが、どこかでカッとなるのである。石原伸晃の失言は「産む機械」みたいな問題発言と違う。政治家としての思想が問題となっているのではない。我を失っているだけである。根本的に思慮の浅い人間なのである。低知能というわけではないし、ADHDと違って注意力があるから、普段は表面を取り繕えるが、どこかで必ず短絡性を晒し、馬脚を現すのである。石原慎太郎は考えるのが好きなタイプだが、石原伸晃は考えるのが嫌いなタイプである。あまり気質が似ていない親子である。
石原伸晃は気質としては西村真吾に近いタイプである。石原伸晃は見た目が好青年っぽくて、弁舌も達者だから、西村真吾のような粗暴な気質を隠せていたのだが、さすがに56歳で初老だから見た目がしょぼくなり、カッとなって貧相な地金を露出するようになった。若い頃の容姿は悪くないのだから、普通なら年齢相応の風格が出てきてもいいのだが、老け顔の中年という印象しかないのは、器の小ささが顔に出ているのだろう。若い頃だと、少し短絡的で行動力のある人間がリーダーになったりするし、石原伸晃もある種のオーラがあった。だが、60に近い年齢になると、思慮の浅さだけが目立ってきており、思考の積み重ねがない人間であるという難点が浮き彫りになっている。
この世に肉体を持って存在し、時間の中で生きているのだから、言動の選択はとても重要である。これは知能より、思慮深さの問題である。石原伸晃は普段から何も考えてないから、それに応じた人間が出来上がったのである。これは気質の問題だから仕方がない。考えるのが嫌いな人間は、いつまで経ってもこうなのである。父親が有名政治家で好青年タイプというと、小泉進次郎が立ち位置としては似ているが、進次郎はいかにも思慮深い人間である。いつもじっくり考えながら行動している様子が窺える。進次郎は必ずしも頭の回転が速いというタイプではないのだが、普段からいろいろ考えている。石原伸晃は現在という瞬間だけを生きており、過去や未来を見渡す視野がない。こういう学生サークルのリーダーみたいな短絡性はいかんともしがたく、そろそろ西村真吾と同じ扱いにされるべきだろう。
父親の石原慎太郎は、実はあまりカッとなるタイプではない。暴言吐いたり怒鳴ったりするのも、それなりに計算しているわけである。石原慎太郎はこのところすっかり老け込んできたので、もはや煽る発言をする気力もないようだが、プロレスラーのマイクパフォーマンスと同じである。石原伸晃はマイクパフォーマンスが出来るタイプではないし、普段は粛々とやっているのだが、どこかでカッとなるのである。石原伸晃の失言は「産む機械」みたいな問題発言と違う。政治家としての思想が問題となっているのではない。我を失っているだけである。根本的に思慮の浅い人間なのである。低知能というわけではないし、ADHDと違って注意力があるから、普段は表面を取り繕えるが、どこかで必ず短絡性を晒し、馬脚を現すのである。石原慎太郎は考えるのが好きなタイプだが、石原伸晃は考えるのが嫌いなタイプである。あまり気質が似ていない親子である。
石原伸晃は気質としては西村真吾に近いタイプである。石原伸晃は見た目が好青年っぽくて、弁舌も達者だから、西村真吾のような粗暴な気質を隠せていたのだが、さすがに56歳で初老だから見た目がしょぼくなり、カッとなって貧相な地金を露出するようになった。若い頃の容姿は悪くないのだから、普通なら年齢相応の風格が出てきてもいいのだが、老け顔の中年という印象しかないのは、器の小ささが顔に出ているのだろう。若い頃だと、少し短絡的で行動力のある人間がリーダーになったりするし、石原伸晃もある種のオーラがあった。だが、60に近い年齢になると、思慮の浅さだけが目立ってきており、思考の積み重ねがない人間であるという難点が浮き彫りになっている。
この世に肉体を持って存在し、時間の中で生きているのだから、言動の選択はとても重要である。これは知能より、思慮深さの問題である。石原伸晃は普段から何も考えてないから、それに応じた人間が出来上がったのである。これは気質の問題だから仕方がない。考えるのが嫌いな人間は、いつまで経ってもこうなのである。父親が有名政治家で好青年タイプというと、小泉進次郎が立ち位置としては似ているが、進次郎はいかにも思慮深い人間である。いつもじっくり考えながら行動している様子が窺える。進次郎は必ずしも頭の回転が速いというタイプではないのだが、普段からいろいろ考えている。石原伸晃は現在という瞬間だけを生きており、過去や未来を見渡す視野がない。こういう学生サークルのリーダーみたいな短絡性はいかんともしがたく、そろそろ西村真吾と同じ扱いにされるべきだろう。
2014.06.17
西村博之が竹中直純を「上司」と表現
Jimが西村から2ちゃんねるを乗っ取ったのは、ある程度穏健な禅譲だったと思われる。
2月19日あたりに、禅譲が行われた。
2月19日にサーバーがダウンし、それからJimが掌握したと宣言したのだが、その前日に西村は「こうしてささやかに終わり、時代は変わっていくんですなぁ」とツイートしているので、Jimが強奪したわけではなく、西村も体制の変化を受け入れる様子が見られる。
3月に入ってからJimが未来検索ブラジルを遮断したので、西村は「約束が違う」と暴れ出したのである。
ホットリンク(電通の孫会社)が大きな痛手を蒙ったから、プロレスではない。
そして4月1日に、あくまで西村が所有者であり、Jimは表面上の名義を持つだけだと公にする。
つまり「通謀虚偽表示」だという主張だ。
しかし2月19日の時点では(名義だけでなく)実権を譲り渡しているようにも思える。
Jimがブラジル遮断や、まとめブログ転載禁止にしなければ、西村は何事もなくそのままにしていたのだろう。
あれから三ヶ月が経過し、ツイッター(通称バカッター)の素人が晒される炎上事件は極端に減った。
Jimは未来検索ブラジルのビジネスモデルを知っており、それを破壊してしまったのである。
電通絡みの世論操作事件であるので、マスメディアは報じない。
バカッターという言葉を考えたのが誰なのかも興味深いところだ。
このビジネスの鍵を握る人物が竹中直純なのだが、西村博之が竹中直純を「上司」と呼んでいるのが発見された。
竹中賀子(旧姓小泉)という竹中の会社の取締役であり、もちろん妻でもある人物のmixiで西村がそう書き込んでいるのである。
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=3033

少しわかりづらいが、西村が竹中賀子の紹介文を書いているのである。
竹中直純が上司だと、西村は言っているのである。
(竹中とか小泉とか名前が出てくると、竹中平蔵や小泉純一郎を連想するが、今のところそのあたりの縁戚関係の手掛かりはない)。
未来検索ブラジルを作ったのは竹中直純であるし、ニワンゴ設立時も西村とともに竹中直純が取締役に入っているから、西村という痴れ者を操る頭脳というポジションなのだろう。
ニワンゴ創設時の取締役の木野瀬友人という人物は麻生将豊(麻生太郎の長男)の子飼いであるので、わたしはこのあたりの組織を「麻生機関」と心の中で呼んでいたのだが、竹中機関と呼ぶべきかもしれない。
麻生巌(麻生太郎の甥)がドワンゴの取締役になっているのも麻生将豊の代役だと思われる。
あくまで中心にいるのは麻生将豊である。
先日、竹中直純が新オフィスを構えた時に、お披露目パーティーが開催され、そこに姿を現したのが津田大介である。
30代半ばまで燻っていた津田が「tsudaる」というコピーで売り出され、ネット文化人を取りまとめるような立場になったのは、竹中による仕掛けだと邪推出来ないこともない。
連日連夜炎上騒ぎがあったのが、ブラジル遮断で突然静かになったのだから、ネット工作の拠点であることは明らかで、何があっても不思議ではない。
2月19日あたりに、禅譲が行われた。
2月19日にサーバーがダウンし、それからJimが掌握したと宣言したのだが、その前日に西村は「こうしてささやかに終わり、時代は変わっていくんですなぁ」とツイートしているので、Jimが強奪したわけではなく、西村も体制の変化を受け入れる様子が見られる。
3月に入ってからJimが未来検索ブラジルを遮断したので、西村は「約束が違う」と暴れ出したのである。
ホットリンク(電通の孫会社)が大きな痛手を蒙ったから、プロレスではない。
そして4月1日に、あくまで西村が所有者であり、Jimは表面上の名義を持つだけだと公にする。
つまり「通謀虚偽表示」だという主張だ。
しかし2月19日の時点では(名義だけでなく)実権を譲り渡しているようにも思える。
Jimがブラジル遮断や、まとめブログ転載禁止にしなければ、西村は何事もなくそのままにしていたのだろう。
あれから三ヶ月が経過し、ツイッター(通称バカッター)の素人が晒される炎上事件は極端に減った。
Jimは未来検索ブラジルのビジネスモデルを知っており、それを破壊してしまったのである。
電通絡みの世論操作事件であるので、マスメディアは報じない。
バカッターという言葉を考えたのが誰なのかも興味深いところだ。
このビジネスの鍵を握る人物が竹中直純なのだが、西村博之が竹中直純を「上司」と呼んでいるのが発見された。
竹中賀子(旧姓小泉)という竹中の会社の取締役であり、もちろん妻でもある人物のmixiで西村がそう書き込んでいるのである。
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=3033

少しわかりづらいが、西村が竹中賀子の紹介文を書いているのである。
竹中直純が上司だと、西村は言っているのである。
(竹中とか小泉とか名前が出てくると、竹中平蔵や小泉純一郎を連想するが、今のところそのあたりの縁戚関係の手掛かりはない)。
未来検索ブラジルを作ったのは竹中直純であるし、ニワンゴ設立時も西村とともに竹中直純が取締役に入っているから、西村という痴れ者を操る頭脳というポジションなのだろう。
ニワンゴ創設時の取締役の木野瀬友人という人物は麻生将豊(麻生太郎の長男)の子飼いであるので、わたしはこのあたりの組織を「麻生機関」と心の中で呼んでいたのだが、竹中機関と呼ぶべきかもしれない。
麻生巌(麻生太郎の甥)がドワンゴの取締役になっているのも麻生将豊の代役だと思われる。
あくまで中心にいるのは麻生将豊である。
先日、竹中直純が新オフィスを構えた時に、お披露目パーティーが開催され、そこに姿を現したのが津田大介である。
30代半ばまで燻っていた津田が「tsudaる」というコピーで売り出され、ネット文化人を取りまとめるような立場になったのは、竹中による仕掛けだと邪推出来ないこともない。
連日連夜炎上騒ぎがあったのが、ブラジル遮断で突然静かになったのだから、ネット工作の拠点であることは明らかで、何があっても不思議ではない。
2014.06.17
男色の医学的根拠。百合という幻想。
女性声優が百合営業をやるのはデフォであるが、これはイケメン彼氏を隠すためである。女性声優が本当にベッドで抱き合っているなんて絶対にない。歴史的に見ても、男色という趣味は幅広く行われていたが、百合という趣味は稀である。レズビアンもホモセクシャルに比べるとずいぶん少ないとされる。
(このエントリーでは真性のレズビアンではない少女が愛し合うのを百合と定義する)。
アイドルにしても同じである。村重杏奈は宮脇咲良と百合営業をしていたが、上京した時に深夜にひとり抜け出してジャニーズと会っていた。15歳なだけに週刊文春の報道は控え目だったが、たぶんラブホくらいは入っているだろう。村重杏奈はカモフラージュとして百合営業をしていたのである。百合営業するのは逆に怪しいと言える。
男色が道楽としてあり得るのに、百合という道楽がないのは不可思議であるが、快楽の格差については医学的根拠がある。男色は肉体的にも快楽が非常に強いらしい。
検死の専門家である上野正彦の「死体は生きている」にはこんなことが書いてある。
昔は不衛生でも平気な世の中だったのである。ヨーロッパでは19世紀まで医師は手を消毒しなかった。それがゆえに、出産時の産褥熱で死亡する女性がとても多かったのである。センメルヴェイス・イグナーツという人物が、1847年あたりに、「医者が手を消毒すると産褥熱になる確率が10分の1になる」と発表した時は非難囂々であり、医学にとって大スキャンダルでもあったから、彼は凄まじい嫌がらせにあい医学界から追放され、悲惨な生涯を閉じた。19世紀後半にパスツールやコッホの細菌学が出てきたことで、ようやく、センメルヴェイス・イグナーツの仮説の正しさが証明されたのである。細菌の存在が知られるようになると、衛生的に男色は危険度が高すぎるとわかるから、ガチのホモ以外はやらなくなる。江戸時代までわりとあったはずの男色の道楽が明治からなくなったのも、このあたりの衛生観念の発達であろう。
女性同士だと、快楽を共有する仕組みがない。強烈な快楽を得るには、どうしてもペニスが必要なのである。少女と少女が愛し合おうとしても、快楽には限りがある。少女が少女に対して、火影のような想いを灯しても、躰の隅から隅まで版図を広げ焼き尽くすような快楽には至らない。レズビアンの少なさも、快楽の度合いの低さが原因だと推察される。だからどう転んでも男根中心主義になるのである。
しかし、いくら快楽の度合いが低いとはいえ、少女が少女を愛さないというのは不思議である。百合営業があるということは、(男性ファンから)需要があると知っているのだろうし、ファンサービスとして唇を重ね合わせてみせるが、実際にプライベートで身体を重ね合わせることはない。男色という道楽が衛生面でリスクが高いのに対して、百合はリスクがなく、ガチ百合が発覚しても、何らイメージダウンにならず、イメージアップする要素しかないのに、断じてやらないわけである。需要があっても供給がない。村重杏奈にしても、宮脇咲良とガチ百合であれば、ファンから大喝采を受けたはずなのに、同じホテルにいたと思われる宮脇咲良の肢体を愛でることに関心はなく、深夜に無断外出してまでジャニーズを求めたのである。
美少女が美少女と絡み合うという究極の耽美が、少女本人からすると(百合営業はやるけど)ガチでは絶対にやりたくないというのがとても興味深い。百合は男色のような不衛生さがなく、一点の曇もない美であることは寸毫の疑いもない。橋本環奈と道重さゆみちゃんが躰を求め合い素肌を重ね合わせていたら、それを醜いと思う人間はひとりもいるはずがなく、腕を絡ませ襟足に舌を這わせるだけで現世を超越出来るはずなのに、その絶対的な美が具現化されることは決して無く、吉本芸人やジャニーズに食われたという訃報しか届かない。枕営業は出来ても、ガチ百合は出来ないのが女性アイドルなのだ。どれだけ俗界から離れた聖者として百合を演じても、素顔は俗塵にまみれ、現世に堕し、泥人形としての実態を表してしまう。われわれはアイドルとは霊安室で対面するしかなく、買ってしまったCDは遺髪のように残るのである。リヒャルト・ゾルゲは第一次世界大戦でドイツ軍人として戦った人物であるから、まさか彼がソビエトのスパイだと思う人間はいなかった。ゾルゲは戦傷を負いドイツ軍を除隊となった後に共産主義にかぶれ、ソビエトのスパイとなったが、元ドイツ軍人がナチス党員として日本にやってきたのだから、正体を見破るのは至難の業であった。これに比べたら、薄っぺらい百合営業など下手な嘘でしかないし、まともな理性があれば、その裏側くらい即座に見破れるのだが、百合の実在を信じたいという気持ちが目を曇らせるのである。男だってイケメンを見て「抱かれてみたい」とふと思うことがないわけではないから、美少女が美少女に惹かれないという事実が腑に落ちないのだが、釈然としないながらも男根中心主義を認めなければならない。女と女が惹かれ合わないのが、ジェンダーの力学なのだ。橋本環奈と道重さゆみちゃんが出会っても、今からベッドに連れ込もうと思わないのが女という生き物なのである。人間はソドムには容易く堕ちるが、百合を実現する聖者はいない。天意を受けた人間など、これまでの歴史でひとりもいなかったし、すべてが僭称であり、われわれは雑居房のような地上で蠢めきながら繁殖していくだけなのだ。
(このエントリーでは真性のレズビアンではない少女が愛し合うのを百合と定義する)。
アイドルにしても同じである。村重杏奈は宮脇咲良と百合営業をしていたが、上京した時に深夜にひとり抜け出してジャニーズと会っていた。15歳なだけに週刊文春の報道は控え目だったが、たぶんラブホくらいは入っているだろう。村重杏奈はカモフラージュとして百合営業をしていたのである。百合営業するのは逆に怪しいと言える。
男色が道楽としてあり得るのに、百合という道楽がないのは不可思議であるが、快楽の格差については医学的根拠がある。男色は肉体的にも快楽が非常に強いらしい。
検死の専門家である上野正彦の「死体は生きている」にはこんなことが書いてある。
解剖学的に肛門に人さし指一本を入れたあたりに、男には前立腺がある。その下側に精のうという小さな袋があって、睾丸でつくられた精子がそのあたりに貯留されている。 鶏姦の場合、ここが相手方のペニスによって刺激されるから、精液が洩れるような快感が一気に生ずる。これをこらえようと肛門括約筋を収縮させると、相手方は膣括約筋よりもはるかに強いしまりに合うから、もう何をかいわんやである。男役も女役も同時に、最高の快感に到達できる。だから一度、体験するとやみつきになり、女性はいらなくなるとまでいわれている。
昔は不衛生でも平気な世の中だったのである。ヨーロッパでは19世紀まで医師は手を消毒しなかった。それがゆえに、出産時の産褥熱で死亡する女性がとても多かったのである。センメルヴェイス・イグナーツという人物が、1847年あたりに、「医者が手を消毒すると産褥熱になる確率が10分の1になる」と発表した時は非難囂々であり、医学にとって大スキャンダルでもあったから、彼は凄まじい嫌がらせにあい医学界から追放され、悲惨な生涯を閉じた。19世紀後半にパスツールやコッホの細菌学が出てきたことで、ようやく、センメルヴェイス・イグナーツの仮説の正しさが証明されたのである。細菌の存在が知られるようになると、衛生的に男色は危険度が高すぎるとわかるから、ガチのホモ以外はやらなくなる。江戸時代までわりとあったはずの男色の道楽が明治からなくなったのも、このあたりの衛生観念の発達であろう。
女性同士だと、快楽を共有する仕組みがない。強烈な快楽を得るには、どうしてもペニスが必要なのである。少女と少女が愛し合おうとしても、快楽には限りがある。少女が少女に対して、火影のような想いを灯しても、躰の隅から隅まで版図を広げ焼き尽くすような快楽には至らない。レズビアンの少なさも、快楽の度合いの低さが原因だと推察される。だからどう転んでも男根中心主義になるのである。
しかし、いくら快楽の度合いが低いとはいえ、少女が少女を愛さないというのは不思議である。百合営業があるということは、(男性ファンから)需要があると知っているのだろうし、ファンサービスとして唇を重ね合わせてみせるが、実際にプライベートで身体を重ね合わせることはない。男色という道楽が衛生面でリスクが高いのに対して、百合はリスクがなく、ガチ百合が発覚しても、何らイメージダウンにならず、イメージアップする要素しかないのに、断じてやらないわけである。需要があっても供給がない。村重杏奈にしても、宮脇咲良とガチ百合であれば、ファンから大喝采を受けたはずなのに、同じホテルにいたと思われる宮脇咲良の肢体を愛でることに関心はなく、深夜に無断外出してまでジャニーズを求めたのである。
美少女が美少女と絡み合うという究極の耽美が、少女本人からすると(百合営業はやるけど)ガチでは絶対にやりたくないというのがとても興味深い。百合は男色のような不衛生さがなく、一点の曇もない美であることは寸毫の疑いもない。橋本環奈と道重さゆみちゃんが躰を求め合い素肌を重ね合わせていたら、それを醜いと思う人間はひとりもいるはずがなく、腕を絡ませ襟足に舌を這わせるだけで現世を超越出来るはずなのに、その絶対的な美が具現化されることは決して無く、吉本芸人やジャニーズに食われたという訃報しか届かない。枕営業は出来ても、ガチ百合は出来ないのが女性アイドルなのだ。どれだけ俗界から離れた聖者として百合を演じても、素顔は俗塵にまみれ、現世に堕し、泥人形としての実態を表してしまう。われわれはアイドルとは霊安室で対面するしかなく、買ってしまったCDは遺髪のように残るのである。リヒャルト・ゾルゲは第一次世界大戦でドイツ軍人として戦った人物であるから、まさか彼がソビエトのスパイだと思う人間はいなかった。ゾルゲは戦傷を負いドイツ軍を除隊となった後に共産主義にかぶれ、ソビエトのスパイとなったが、元ドイツ軍人がナチス党員として日本にやってきたのだから、正体を見破るのは至難の業であった。これに比べたら、薄っぺらい百合営業など下手な嘘でしかないし、まともな理性があれば、その裏側くらい即座に見破れるのだが、百合の実在を信じたいという気持ちが目を曇らせるのである。男だってイケメンを見て「抱かれてみたい」とふと思うことがないわけではないから、美少女が美少女に惹かれないという事実が腑に落ちないのだが、釈然としないながらも男根中心主義を認めなければならない。女と女が惹かれ合わないのが、ジェンダーの力学なのだ。橋本環奈と道重さゆみちゃんが出会っても、今からベッドに連れ込もうと思わないのが女という生き物なのである。人間はソドムには容易く堕ちるが、百合を実現する聖者はいない。天意を受けた人間など、これまでの歴史でひとりもいなかったし、すべてが僭称であり、われわれは雑居房のような地上で蠢めきながら繁殖していくだけなのだ。
2014.06.16
ADHDは絶対に天才にならない
アスペルガーは天才になりうるが、ADHDは絶対に天才にならないとされる。アスペルガー症候群は、自閉そのものであるから、逆に妙な観察力があったりする。現実が見えてないので内面世界が肥大し、独特の思考が根を張り繁茂するから、正常な人間には盲点である問題に気づくことがある。障害者ではあるが、内面世界の巨人という側面がある。盲人ならではの視点が時として天才を生む。ADHDは同じ自閉症スペクトラムではあるが、衝動をコントロールできないのが根幹問題なので、アスペルガーとはかなり違う。ADHDは精神病とはまったく違う。分裂病的な理性崩壊ではなく、怒りや衝動で我を失うのだ。あまりにも思慮が浅いので、自由意思があるのか疑わしいくらいである。
落ち着きのある人間こそが、本当の意味で強いのである。ADHDの特徴である衝動性と短絡性はほとんどの場合マイナスである。なにしろ自分をコントロール出来ないし、そのバーサーカーな気質が暴君として人を恐れさせることもあるが、問題の本質がまったく見えてないので、困難に直面したら、何も解決できずに終わる。
怒り狂う人間が強く見える時がある。権力を持ってる人間が怒り狂う様は恐いわけである。だが、それはあくまで「力」があるからの話で、実際は怒りというのは脆く、滑稽である場合も多々ある。清原とか伊良部みたいなのはおっかないが、問題解決能力がとても低い。伊良部など奥さんとのトラブルで簡単に自殺してしまった。190センチある伊良部が眦を決して怒り狂うと本場のメジャーリーガーでさえ畏怖して後ずさりしたが、その衝動性と短絡性が恐いだけであり、狂人が恐れられるのと同じである。
人間の知能を抽象概念や数学の理解力で判断するなら、マー君はさほど優秀ではないだろう。しかし、学習能力が極めて高い。一球一球投げながら、いろいろ考えて、問題を発見し、問題解決へと向かっていく。知力があまり高くなくても、とても思慮が深く、気質がスマートなのである。考えるのが好きなタイプだと言えるだろう。思慮深さは知性とは別の問題であり、性格的な気質である。ADHDとは、知能が高い馬鹿が実在するから生まれた概念である。知能が高くても、気質の問題で何も考えない馬鹿がいるのである。ADHDは考えるのが嫌いなのである。ADHDは判断力が低いわけだが、決して知的障害ではなく、怒りや欲望や衝動で理性を失っているのだ。衝動にハイジャックされてどこかに飛んでいってしまう。ADHDは人の話を聞いてないとよく言われるが、実は自分自身でもよくわかってないのである。
ADHDは理性を失っているので、問題を発見できない。言動が極めて短絡的であり、考えることも嫌いである。マー君のような思慮深い健常者は、スマートな気質をもってして、なぜ打たれたのかをじっくり考えて、ちゃんとした攻略法を発見するのだが、ADHDは負けたら怒り狂って大暴れして終わりである。学習しないから同じ失敗を繰り返す。理性を失って現実を突破しようとするのは、暴力でしかないのだ。思慮深さがなければ問題が発見できないし、改善もないし勝利もない。粗暴な性格だと暴力でしか問題を解決できない。マー君が試合中に鬼神のようになると、ギアが上がって球速が速くなり、コントロールも精密になる。ADHDのように、怒り・欲望・衝動に自分を乗っ取られることがない。これが本当の胆力と言えるのである。
落ち着きのある人間こそが、本当の意味で強いのである。ADHDの特徴である衝動性と短絡性はほとんどの場合マイナスである。なにしろ自分をコントロール出来ないし、そのバーサーカーな気質が暴君として人を恐れさせることもあるが、問題の本質がまったく見えてないので、困難に直面したら、何も解決できずに終わる。
怒り狂う人間が強く見える時がある。権力を持ってる人間が怒り狂う様は恐いわけである。だが、それはあくまで「力」があるからの話で、実際は怒りというのは脆く、滑稽である場合も多々ある。清原とか伊良部みたいなのはおっかないが、問題解決能力がとても低い。伊良部など奥さんとのトラブルで簡単に自殺してしまった。190センチある伊良部が眦を決して怒り狂うと本場のメジャーリーガーでさえ畏怖して後ずさりしたが、その衝動性と短絡性が恐いだけであり、狂人が恐れられるのと同じである。
人間の知能を抽象概念や数学の理解力で判断するなら、マー君はさほど優秀ではないだろう。しかし、学習能力が極めて高い。一球一球投げながら、いろいろ考えて、問題を発見し、問題解決へと向かっていく。知力があまり高くなくても、とても思慮が深く、気質がスマートなのである。考えるのが好きなタイプだと言えるだろう。思慮深さは知性とは別の問題であり、性格的な気質である。ADHDとは、知能が高い馬鹿が実在するから生まれた概念である。知能が高くても、気質の問題で何も考えない馬鹿がいるのである。ADHDは考えるのが嫌いなのである。ADHDは判断力が低いわけだが、決して知的障害ではなく、怒りや欲望や衝動で理性を失っているのだ。衝動にハイジャックされてどこかに飛んでいってしまう。ADHDは人の話を聞いてないとよく言われるが、実は自分自身でもよくわかってないのである。
ADHDは理性を失っているので、問題を発見できない。言動が極めて短絡的であり、考えることも嫌いである。マー君のような思慮深い健常者は、スマートな気質をもってして、なぜ打たれたのかをじっくり考えて、ちゃんとした攻略法を発見するのだが、ADHDは負けたら怒り狂って大暴れして終わりである。学習しないから同じ失敗を繰り返す。理性を失って現実を突破しようとするのは、暴力でしかないのだ。思慮深さがなければ問題が発見できないし、改善もないし勝利もない。粗暴な性格だと暴力でしか問題を解決できない。マー君が試合中に鬼神のようになると、ギアが上がって球速が速くなり、コントロールも精密になる。ADHDのように、怒り・欲望・衝動に自分を乗っ取られることがない。これが本当の胆力と言えるのである。
2014.06.15
少女は貢ぐのが好きである
村重杏奈(15歳)はロシア人ハーフである。おそらく今がスラヴ人少女の魅力のピークであると思われる。週刊文春に載っていたジャニーズとの写真は、後から(事務所側との手打ちで)撮られたものだと思うから、おそらく深夜に抜け出して会った時は、相当にえぐい写真が撮られたに違いない。15歳が乳繰りあっている写真を雑誌に載せられないという配慮だろう。恋愛に目覚めた近代以降において、イケメンに自分を捧げるのが少女の最大の夢なのである。美しさがピークの自分の透き通るような素肌を薔薇色に染めて、その裸体を惜しげもなくジャニーズに貢ぎたいのである。歌舞伎町のホストに貢ぐために借金漬けになるのと、精神構造はあまり変わらない。若さを失いイケメンから相手にされなくなると、産業廃棄物を引き取ってくれる男を探すわけである。扶養されたいという願望が湧き上がってくるのだ。産廃処理に最適な不細工男性公務員を何とかして引っかけようとする。たいていの若い女が非処女であるのに対して、20代男性の半数くらいが童貞だという話もある。江戸時代あたりは下半身が緩いとはいえ、イケメンが若い女を総取りするわけではなかった。伐採や採取を分け合う入会地のように、女は分配されていた。昔は隣近所みんな顔見知りであるから、牧歌的な譲り合いも可能だったのだ。明治になってから、結婚するまで処女というのが徹底された。大正時代の女性は平均20歳で結婚していた。敗戦後は性の解放が進み、見合い結婚はかなり廃れた。現代の日本では一部のイケメンが若い女を独占している。入会地(分け合う発想)が否定され、エンクロージャー(囲い込み)に移行しているのである。若い女を独占し片っ端から食いまくるという行為は昔の農村なら顰蹙を買い、鍬を持った凶徒に囲まれ、轢死体のような肉片に化するだろうが、現代の都会では自由なのである。入会地が強者の乱獲により崩壊するプロセスである。コモンズの悲劇と評することも出来るが、イケメンが武力で女を拉致しているわけではない。自分の人生で一番可愛い瞬間をイケメンに捧げたいという少女の近代的な願望が根底にある。少女が自らの熱情でイケメンの元に走り寄り、衣擦れの音とともに艶めく裸体をさらし、人生で一番美しい自分を貢ぐのである。合コンは若い女性であれば誰でも出席することが出来る。男性は何かしらモテ要素が必要であり、自分に自信がないキモヲタに参加資格はない。合コンは(入会地と対極の)エンクロージャーだと言えるのだが、少女がイケメンに身を捧げたくて仕方がないのだから仕方がない。性欲というより、自我の欲求なのである。自らより格上だと感じる男性に身を捧げるのが近代的な少女の欲求なのである。10代で結婚するのが当たり前の時代だと、こういう自我の欲求はさほど強くなかったはずだ。ある程度晩婚化して、恋愛と結婚が切り離されてこそ、恋愛という概念が浮上してくる。昔の人も恋愛はしただろうが、美しさのピークの時に結婚しない現代だからこそ、恋愛という感情が強度をもって前景化する。80年代のバブルにせよ、90年代の女子高生ブームにせよ、少女たちは若さを蕩尽するように遊び尽くしても必ず結婚で尻ぬぐい出来るという確信があったのである。未来の結婚相手への蔑み。容姿が劣化したら、どっかの間抜けな男に扶養させればいい。イケメンに貢ぎすぎた少女時代の負債を贖うかのように、老化した自分を扶養してくれるアホな旦那を探すつもりだった。この構図は不況の長期化と晩婚化によって成り立たなくなっている。恋愛とは言いつつも、構造的にはハーレムであるが、一夫一婦制なのでひとりの女しか選ばれない。イケメンが結婚するとしても、その際にはまったく新規の若い処女を選ぶかもしれない。美しさを失い廃棄されたセカンドバージンが現代日本には大量に溢れており、その瘴気を放つ女たちの思惑が童貞の思惑と像を結ぶことはなく、すべての美が刈り尽くされた後半生の長患いだけが残る。恋愛が悪疫のように広まってから、われわれは繋がりのない社会を放浪し、無意味さを問う紀行文を綴り、地縁も血縁もない白茶けた空間を終の棲家とし、無縁仏として客死するしかないのである。15歳の村重杏奈となら誰でも結婚したいだろうが、ビヤ樽になったら引き取り手はいないと思われる。しかし最も美しい瞬間の自分をジャニーズに捧げたのだから、村重杏奈は近代的な恋愛少女として本懐を遂げたのである。
2014.06.14
津田はジャーナリストなのだろうか
ホットリンク事件、もしくは長きに渡る「作られた炎上」事件は西村博之、竹中直純、麻生将豊によって主導された。今のところ日本ではステルスマーケティングは違法ではないが、将来的には必ず禁止になるだろう。法律は遡及しないとはいえ、西村・竹中・麻生がサクラだらけのネットにしてくれたのである。不思議なことに、この「作られた炎上」を取り上げる大手ネットメディアは皆無に等しい。あれだけネットの炎上を問題にしていたわけで、それが突然無くなったのだから、明らかな大事件であり、大きく報道されるべきなのにタブー化している。報道すると電通にたどり着いてしまうというのも大きいだろう。広告代理店は、ひとつの業種あたり一社しか担当できないというのが先進国のルールであり、日本以外の先進国で電通のような会社(同じ業種の複数企業を担当する広告代理店)は存在しないのだが、このメディアを面制圧する権力に逆らえるはずがない。TPPは秘密主義なので、交渉案件にこれが含まれてるかどうかは知らないが、これだけは先進国基準に合わせて欲しいものであり、アメリカ頼みということになる。西村・竹中・麻生に近い人物というと、津田大介である。6月5日に竹中直純は渋谷に新しいオフィスを構えてお披露目のパーティーを催したようである。招待者の中には、西村博之、麻生将豊とともに津田大介の名前があった。津田大介は「メディアの現場」という有料メールマガジンで知られ、月額630円で一万人読者がいるということだから、毎月630万円の売り上げがある。そこから手数料が差し引かれるだろうが、原価がないようなものだから、かなりの利益である。津田大介が「つくられた炎上事件」を指弾している様子はなく、それどころか竹中直純のパーティーに賓客として恭しく姿を現すくらいである。気骨がありそうなふりをしているが、実際は軟体動物である。MIAUという団体にしても、セルフプロデュースの一環であり実効性などさらさらないのは御本人も折り込み済みである。考えてみれば、津田大介は30代半ばまでは売れないライターとして燻っていたわけである。Winnyの記事を書いたり、Winnyの書籍を出すなどして、糊口を凌いでいた。それがSNSの時代になってから、いきなりスターになったのである。有料メルマガという電通から横槍の入らないインディペンデントな媒体で、発言の自由や、干されても困らないだけの収入は確保しているはずだが、「つくられた炎上事件」をスルーするだけでなく、西村・竹中・麻生と懇意にしているようである。白い皮下脂肪の内側は真っ黒のようである。いずれ渋谷に竹中直純の銅像でも建つのだろうが、その除幕式で、津田は感極まりながらスピーチでもするのだろう。しかしTPPで電通が弱体化されたら、元から竹中など知らなかったという態度に出るに違いない。ハイソサエティーの人間関係を見せるのが津田のビジネスだろうし、叶姉妹のような存在なのだから、「つくられた炎上事件」というネット最大のスキャンダルもスルーするだろう。Jimが未来検索ブラジルを潰したら炎上事件がほとんどなくなったという最大級の事件を取材できる立場でありながら、それもしない。これでメルマガ会員一万人集めて、ネットについて語るなど片腹痛い。意識が高い愚衆にオサレな人脈を見せるだけの人物だと言える。カラクリがばれて裸城になってもお得意のポーカーフェイスは続けなければならない。文筆の力で一万人集めたというよりは、ソーシャルスキルへの憧れを情報商材として売ってるのが実情であり、溝口敦のような取材が出来るわけではないから、西村・竹中・麻生については黙して語らずとなるのだろう。今後は津田がネットについて語るたびに呵々と哄笑するしかないだろう。
2014.06.13
人権と道徳は対立概念
日本は人権後進国であるらしい。
敗戦国であるから、人権を指導される立場にあるのだろうし、国民に主権はないと言いながら戦争をやり、敗戦してマッカーサーが日本人に憲法を書かせようとしても、誰も国民主権に基づいた草案は書かなかった。
天皇陛下(大元帥陛下)の大権は絶対的であるというのが、その当時の日本人の立場であった。
やむを得ず、マッカーサーが国民主権に基づいた憲法を作り、昭和天皇に人間宣言をさせたのだが、いまだに日本では国民が主権者という意識が希薄なのであろう。
しかし不思議なことに、人権意識が高いはずの欧米では犯罪率が高いのである。
逆に日本の治安のよさはよく知られる。
これは人権が反道徳的であることに根ざしている。
日本人は人権(権利)ではなく、道徳(義務)から物事を考えている。
人権と道徳は対立概念なのである。
教育に関しては、人権意識の低さはさほど影響があるわけでもない。
日本人のノーベル賞受賞者の生まれ年を見れば、むしろ戦後の人権意識の高い世代の方が、明らかに知力が低い。
戦前生まれのエリートは強い向学心を持っている。
テストに出るところだけ勉強するという戦後生まれとは対極である。
戦前の日本は人権意識が低いから土人のように生きていたということはない。
1899 川端康成
1901 佐藤栄作
1906 朝永振一郎
1907 湯川秀樹
1918 福井謙一
1921 南部陽一郎
1925 江崎玲於奈
1926 小柴昌俊
1928 下村脩
1930 鈴木章
1935 根岸英一
1935 大江健三郎
1936 白川英樹
1938 野依良治
1939 利根川進
1940 益川敏英
1944 小林誠
1959 田中耕一
1962 山中伸弥
児童ポルノの問題に関しても、欧米の人権活動により、量刑が天井知らずに上がってしまっている。
18歳以上と18歳未満を区別し、18歳未満を性的に保護するという論理で暴走しているのである。
18歳未満が修道僧のような生活をしているならいいのだが、それとは真逆であるがゆえの問題である。
カトリックの国なのに18歳未満が連日連夜乱交しているのが欧米の姿であり、それを前にして愚策を練る人権主義者という構図なのである。
本当は18歳未満を取り締まりたいが、人権的にそれが出来ないので、18歳以上を刑務所に入れたがるのである。
道徳とは、要するにパワハラである。
道徳が大事という人間は、果たして軍隊に入って、上官から殴られ罵声を浴びせられることに耐えられるのだろうか。
実際のところ一昔前なら、学校で教師に殴られることは普通であった。
道徳の遂行は生やさしいものではないのである。
増長してから怒っても手遅れなので、罪もないこどもを脅しつけ殴るわけである。
人間は欲望のかたまりであるから、人権と道徳の兼ね合いに解決策などあるはずがない。
敗戦国であるから、人権を指導される立場にあるのだろうし、国民に主権はないと言いながら戦争をやり、敗戦してマッカーサーが日本人に憲法を書かせようとしても、誰も国民主権に基づいた草案は書かなかった。
天皇陛下(大元帥陛下)の大権は絶対的であるというのが、その当時の日本人の立場であった。
やむを得ず、マッカーサーが国民主権に基づいた憲法を作り、昭和天皇に人間宣言をさせたのだが、いまだに日本では国民が主権者という意識が希薄なのであろう。
しかし不思議なことに、人権意識が高いはずの欧米では犯罪率が高いのである。
逆に日本の治安のよさはよく知られる。
これは人権が反道徳的であることに根ざしている。
日本人は人権(権利)ではなく、道徳(義務)から物事を考えている。
人権と道徳は対立概念なのである。
教育に関しては、人権意識の低さはさほど影響があるわけでもない。
日本人のノーベル賞受賞者の生まれ年を見れば、むしろ戦後の人権意識の高い世代の方が、明らかに知力が低い。
戦前生まれのエリートは強い向学心を持っている。
テストに出るところだけ勉強するという戦後生まれとは対極である。
戦前の日本は人権意識が低いから土人のように生きていたということはない。
1899 川端康成
1901 佐藤栄作
1906 朝永振一郎
1907 湯川秀樹
1918 福井謙一
1921 南部陽一郎
1925 江崎玲於奈
1926 小柴昌俊
1928 下村脩
1930 鈴木章
1935 根岸英一
1935 大江健三郎
1936 白川英樹
1938 野依良治
1939 利根川進
1940 益川敏英
1944 小林誠
1959 田中耕一
1962 山中伸弥
児童ポルノの問題に関しても、欧米の人権活動により、量刑が天井知らずに上がってしまっている。
18歳以上と18歳未満を区別し、18歳未満を性的に保護するという論理で暴走しているのである。
18歳未満が修道僧のような生活をしているならいいのだが、それとは真逆であるがゆえの問題である。
カトリックの国なのに18歳未満が連日連夜乱交しているのが欧米の姿であり、それを前にして愚策を練る人権主義者という構図なのである。
本当は18歳未満を取り締まりたいが、人権的にそれが出来ないので、18歳以上を刑務所に入れたがるのである。
道徳とは、要するにパワハラである。
道徳が大事という人間は、果たして軍隊に入って、上官から殴られ罵声を浴びせられることに耐えられるのだろうか。
実際のところ一昔前なら、学校で教師に殴られることは普通であった。
道徳の遂行は生やさしいものではないのである。
増長してから怒っても手遅れなので、罪もないこどもを脅しつけ殴るわけである。
人間は欲望のかたまりであるから、人権と道徳の兼ね合いに解決策などあるはずがない。
2014.06.12
坂本龍一は馬鹿だと言いづらい
前々からずっと思っていながら黙っていたが、坂本龍一は馬鹿である。こう言った瞬間に、坂本龍一が過去に抱いた美人を列挙し、坂本に反対するのは「やっかみ」だと断じる狂信者がいるし、坂本龍一というリア充と散々対比され、いかにも卑小な虫けらとして縮こまらなければならない。これぞルサンチマンの極みとして、まるで昆虫の標本のように、鈴ヶ森の刑場にさらされるわけである。だから坂本龍一を持ち上げておいた方が無難というスタンスもあるのだが、やはり馬鹿は馬鹿と言わなければならない。そもそも坂本龍一のファンは実はあまりいないと思われる。一目置かないといけないという義務感が蔓延しているだけで、本当のファンはとても少ない。ローランドやヤマハの機械をピコピコ鳴らしてるだけの音楽に感銘を受けている貧しい感性の人間が、そうたくさんいるわけがない。坂本は「若者がダンスや音楽を楽しむクラブやライブハウスを文化の発信地として守るべき」とクラブを擁護し、署名運動をしている。こういう発言を見て、ああこいつは馬鹿だと内心ではみんな思っているわけである。いかにも公家が蹴鞠をやりながら空々しい歌を詠むかのようであり、決して「羊水は腐る」のような本質をぐさりと突く発言はしないのである。この現世に存在しているという重みが感じられず、自己啓発書を諳んじているようなメッセージを老境に差し掛かっても代わり映えもせず発し続けるのである。どれだけ馬齢を重ねても成長しない人間はいるものだ。だが、坂本龍一を馬鹿にすると、美女をたくさん抱いた男に嫉妬している虫けらと扱われるので、われわれは耳を傾ける振りをするし、周囲の取り巻きも偉人の謦咳に接するようにしてるのだろう。クラブの問題に関して言えば、深夜0時で店を閉めればいいだけである。0時を過ぎてもやりたいのは「出会い系」だからである。音楽のためだけだったら深夜0時まででいいはずだ。深夜0時まで音楽を楽しんで終電で帰ればいいだけである。深夜営業したいのは、要は音楽以外の快楽を求めているからである。深夜0時までの営業なら(風営法で届ければ)法律で認められているわけである。だいたい「クラブから音楽文化を発信」とかわけがわからない。発射しているのは精液くらいだろう。どうせ米兵にパンパンがまとわりついてるような光景しかなく、尋常ではないくらいに炯々と目を光らせた連中が集まるだけの文化的退廃が乱杭歯のように生い茂っているだけである。
2014.06.11
2chmateは西村サイドに与しているアプリらしい
2chmateというAndroidの代表的なブラウザがある。
5月20日頃に2ch.scに対応したので囂々たる批難を受けたが、まったく反省する素振りが見えない。
それもそのはずで、これは竹中直純の関係する会社のブラウザなのである。
2chmateはAIRFRONT,Inc.という会社がリリースしている。
この会社の代表者は飯塚豊という人物なのだが、東大理工学部で小柴昌俊や坂村健から指導を受けた天才プログラマという経歴である。
エアフロント立ち上げ時には竹中直純から多大な協力があったらしい。
http://www.airfront.co.jp/profile
竹中直純は2003年7月までエアフロントの取締役だった。
2chmateのコードを書いてるのは池野尚史という人物らしい。
ネットではNaofumi Ikenoと名乗っている。
ここから竹中直純への繋がりは見えない。
とはいえ、エアフロント社長の飯塚豊と竹中直純の繋がりは間違いない。
池野尚史は所属を明らかにしてないが、東京都世田谷区の某社に勤務となってるので、エアフロントで間違いないと思われる。
2chmateが2ch.scに対応してから、scの書き込みが倍増した。
ただし倍増したと言っても、6000から11000に増えた程度である。
われらがJimの2ch.netは一日200万の書き込みがあるから、到底及びも付かない。
池野尚史ははてなダイアリーをやっているのだが、2ch.scが公開された日にはこんなことを書いている。
http://d.hatena.ne.jp/gae/20140412/1397275573
この記述だけでは何とも言えないが、エアフロント社長の飯塚豊が竹中直純と懇意なので、2chmateはsc対応になったのだろう。
ちなみにJim側のアプリは2chA1Foxというのがある。
中尾周辺が製作したようである。
2chmateに比べると出来はよくない。
Jimの会社のプログラマがアプリを作るという話も出ていたが、今のところリリースされていない。
Jimになってから炎上がピタリと止んだのは紛れもない事実なので、どちらに正義があるかは言うまでもない。
エアフロント社長の飯塚豊が、竹中直純との純粋な友情か、利益を受けているのか、それは不明であるが、炎上ビジネスが強く疑われる西村博之に与するのは反社会的と言えるのではなかろうか。
5月20日頃に2ch.scに対応したので囂々たる批難を受けたが、まったく反省する素振りが見えない。
それもそのはずで、これは竹中直純の関係する会社のブラウザなのである。
2chmateはAIRFRONT,Inc.という会社がリリースしている。
この会社の代表者は飯塚豊という人物なのだが、東大理工学部で小柴昌俊や坂村健から指導を受けた天才プログラマという経歴である。
エアフロント立ち上げ時には竹中直純から多大な協力があったらしい。
http://www.airfront.co.jp/profile
未踏ソフトウェア創造事業採択者56名の中でさらに評価が行われ、飯塚豊は12名の”天才/スーパークリエイタ” の1人と認定される。
自己増資して株式会社とし、スタッフの増員、新事務所への移転、株式会社エアフロント”へ社名変更。スタートアップ時には、竹中直純氏に多大な協力をいただく。
竹中直純は2003年7月までエアフロントの取締役だった。
2chmateのコードを書いてるのは池野尚史という人物らしい。
ネットではNaofumi Ikenoと名乗っている。
ここから竹中直純への繋がりは見えない。
とはいえ、エアフロント社長の飯塚豊と竹中直純の繋がりは間違いない。
池野尚史は所属を明らかにしてないが、東京都世田谷区の某社に勤務となってるので、エアフロントで間違いないと思われる。
2chmateが2ch.scに対応してから、scの書き込みが倍増した。
ただし倍増したと言っても、6000から11000に増えた程度である。
われらがJimの2ch.netは一日200万の書き込みがあるから、到底及びも付かない。
池野尚史ははてなダイアリーをやっているのだが、2ch.scが公開された日にはこんなことを書いている。
http://d.hatena.ne.jp/gae/20140412/1397275573
公開されたんですな。2ch.netの書き込みが2ch.scにもコピーされるという…。
まさかこんな仕様になるとは…。
これはまともな人間には真似できそうにないw
ff2ch のクローラは bg20 からデータを取得していたけど、これが動かなくなったらしい。
とりあえず直接取得するように変更したけど規制されて動かなくなるだろうな。
2ch.net に検索機能も付いたみたいだし、無理に維持することもなさそうだけど。
この記述だけでは何とも言えないが、エアフロント社長の飯塚豊が竹中直純と懇意なので、2chmateはsc対応になったのだろう。
ちなみにJim側のアプリは2chA1Foxというのがある。
中尾周辺が製作したようである。
2chmateに比べると出来はよくない。
Jimの会社のプログラマがアプリを作るという話も出ていたが、今のところリリースされていない。
Jimになってから炎上がピタリと止んだのは紛れもない事実なので、どちらに正義があるかは言うまでもない。
エアフロント社長の飯塚豊が、竹中直純との純粋な友情か、利益を受けているのか、それは不明であるが、炎上ビジネスが強く疑われる西村博之に与するのは反社会的と言えるのではなかろうか。
2014.06.10
Jimはすべてを知っていたのだろう
公式発表しか信じないという人が世の中にはたくさんいて、本田圭佑がバセドウ病だというのも、公式発表までは絶対に信じないという人がいるわけである。目が突出していて首に手術痕がある。明らかな体力と筋力の低下。バセドウ眼症は物が二重に見える複視という症状があるが、本田のプレーではそれが窺える。本田の目に「ボールが二重に見えている」とは証明出来ないが、そう考えると説明が付くわけである。米軍機の焼夷弾が空からたくさん振ってくるのに、大本営発表を信じている人がいたわけである。想像でたやすく推察出来ることでも、公式発表までは受け入れないのだ。大衆食堂で腐臭がただよう定食を出されても、「腐ってませんよ」と言われたら、そのまま箸を進めるのである。瘴気が立ちこめる飼い葉桶に首を突っ込めるのは、目も鼻も付いてないのと同じである。目端が利く人間は説明される前から理解している。説明されないと理解できない人間は盲いているのと同じであり、嘘の説明にも隷従するしかないのだ。
2ちゃんねるの実権がJimに渡ったのは2014年2月19日前後と想像される。たぶんこの段階ではわりと穏健に奪取したと思われる。この穏健な禅譲が西村側との激しい抗争に発展したのは、三月になってからブラジルを遮断し、まとめブログを転載禁止にしたからである。かつてJimは経営の窮状を訴え、ブラジルから金を回して欲しいと言っていた。騒動から三ヶ月経っていろいろ考えると、Jimはブラジルのビジネスモデルを知っていたのである。炎上させてスレを伸ばし、スポンサーに抗議するという行為は、未来検索ブラジルがやっていたのである。この三ヶ月くらいで炎上は極端に少なくなり、スポンサーに電話攻撃する鬼女もいなくなった。かつて「鬼女は恐い」という書き込みがたくさんあったが、あれも炎上の恐怖を周知するためのキャッチフレーズだったのだろう。そもそもスポンサーに抗議するとか、いかにも西村が考えそうなことである。やたらと鬼女の統率が取れていたのも、渋谷のオフィスでテーブルを囲んでいたと考えれば単純なカラクリである。髭面の婦人運動だったのだ。
未来検索ブラジルはブラックジャーナリズムだったのである。Jimは2ch.netの表向きの所有者になっていたくらいだから、ブラジルのビジネスの中身を知っていたに違いない。ブラジルの羽振りのよさを知っているからこそ、「うちの会社は苦しい」と訴え、ブラジルからの送金を求めていた。竹中直純が栄華を極め、渋谷の高級住宅街に邸宅を構えているのに、Jimはフィリピンの安普請である。Jimがまとめブログ転載禁止にしたのは嫌儲板の住人の意を汲んだというのが外形であるが、2月19日にわりと穏健に西村から2ちゃんねるを奪取したのに、三月からブラジルを遮断して戦端を開いたのは、ブラジルの炎上ビジネス(ブラックジャーナリズム)の破壊を意図していたと思われる。この際のJimの心情は、個々人の想像に委ねるしかない。ブラジルからの分け前の少なさへの不満が背景にあっただろうし、2月19日に実権を掌握してから、ブラジル遮断の3月5日の間に分け前を巡る話し合いが決裂したのかもしれないが、動機はどうであれJimが獅子身中の虫として、ブラジルを根絶やしにしたのは事実であり、Jimがブラジルを遮断してからネットの炎上などほとんどなくなった。戦争に完全な幕が引かれたのかどうかは知らないが、われわれは戦間期を愉しんでいるのである。
2010年に「ドブスを守る会」という首都東京大学の学生の行いがネットで炎上したことがある。
駅前などで不細工な女性に「ドブスの写真集を作る」などと持ちかけて嫌がらせをしたのだ。
当然ながら痛いニュースがまとめているし「鬼女恐い」というお決まりのフレーズが並んでいる。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1494164.html
この件で、久木元拓という准教授が解雇されている。
この久木元拓は竹中直純のdigitiminimiとOTOTOYに関わっているのである。
http://artsfield.jp/lecture/000282.html
久木元拓准教授は竹中直純の依頼で学生をけしかけ炎上騒動を作り、高みの見物を決め込むつもりが、自分の足下まで燃え広がり焼死体となった、と想像するのも可能だろう。
もちろん証拠はないけれども、久木元拓准教授がdigitiminimiとOTOTOYに関わってるのは事実である。
久木元拓が首都大学東京を解雇されたのは2010年7月だが、2010年10月にこんなのがある。
http://blog.livedoor.jp/itpress/archives/51742479.html
彼が正社員かどうかは判然としないが、少なくとも幽霊社員ではなく本当にdigitiminimiに勤務していた実態が窺えるのである。
2ちゃんねるの実権がJimに渡ったのは2014年2月19日前後と想像される。たぶんこの段階ではわりと穏健に奪取したと思われる。この穏健な禅譲が西村側との激しい抗争に発展したのは、三月になってからブラジルを遮断し、まとめブログを転載禁止にしたからである。かつてJimは経営の窮状を訴え、ブラジルから金を回して欲しいと言っていた。騒動から三ヶ月経っていろいろ考えると、Jimはブラジルのビジネスモデルを知っていたのである。炎上させてスレを伸ばし、スポンサーに抗議するという行為は、未来検索ブラジルがやっていたのである。この三ヶ月くらいで炎上は極端に少なくなり、スポンサーに電話攻撃する鬼女もいなくなった。かつて「鬼女は恐い」という書き込みがたくさんあったが、あれも炎上の恐怖を周知するためのキャッチフレーズだったのだろう。そもそもスポンサーに抗議するとか、いかにも西村が考えそうなことである。やたらと鬼女の統率が取れていたのも、渋谷のオフィスでテーブルを囲んでいたと考えれば単純なカラクリである。髭面の婦人運動だったのだ。
未来検索ブラジルはブラックジャーナリズムだったのである。Jimは2ch.netの表向きの所有者になっていたくらいだから、ブラジルのビジネスの中身を知っていたに違いない。ブラジルの羽振りのよさを知っているからこそ、「うちの会社は苦しい」と訴え、ブラジルからの送金を求めていた。竹中直純が栄華を極め、渋谷の高級住宅街に邸宅を構えているのに、Jimはフィリピンの安普請である。Jimがまとめブログ転載禁止にしたのは嫌儲板の住人の意を汲んだというのが外形であるが、2月19日にわりと穏健に西村から2ちゃんねるを奪取したのに、三月からブラジルを遮断して戦端を開いたのは、ブラジルの炎上ビジネス(ブラックジャーナリズム)の破壊を意図していたと思われる。この際のJimの心情は、個々人の想像に委ねるしかない。ブラジルからの分け前の少なさへの不満が背景にあっただろうし、2月19日に実権を掌握してから、ブラジル遮断の3月5日の間に分け前を巡る話し合いが決裂したのかもしれないが、動機はどうであれJimが獅子身中の虫として、ブラジルを根絶やしにしたのは事実であり、Jimがブラジルを遮断してからネットの炎上などほとんどなくなった。戦争に完全な幕が引かれたのかどうかは知らないが、われわれは戦間期を愉しんでいるのである。
2010年に「ドブスを守る会」という首都東京大学の学生の行いがネットで炎上したことがある。
駅前などで不細工な女性に「ドブスの写真集を作る」などと持ちかけて嫌がらせをしたのだ。
当然ながら痛いニュースがまとめているし「鬼女恐い」というお決まりのフレーズが並んでいる。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1494164.html
首都大学東京(東京都日野市)の学生が路上の女性に「ドブス写真集を作る」などと声をかけて無断で動画を撮影し、動画投稿サイトに投稿していた問題で、大学側は24日、システムデザイン学部4年の男子学生2人=(22)と(23)=を退学処分に、動画の音楽制作を担当した同研究科の博士前期課程の男子院生(22)を停学処分(1カ月)にした。
大学などによると、動画投稿サイト「YouTube」に投稿された問題の動画は今月12日、東京都立川市のJR立川駅で撮影したものなど6本に上り、通行中の女性に「ドブス写真集を作ろうと思っています」などと声をかけ、女性がいやがって逃げる様子などが撮られている。
学生たちは「不道徳なものから生じるおかしみを表現したかった」などと説明しているという。 首都大の原島文雄学長は「本学学生の悪質な行為により、映像を公開された方々におわびする。元の安寧な学修環境を取り戻せるよう取り組んでいく」とコメント。大学側は今後、撮影された女性らへ直接謝罪することなどを検討するという。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/100624/edc1006241733001-n1.htm
この件で、久木元拓という准教授が解雇されている。
この久木元拓は竹中直純のdigitiminimiとOTOTOYに関わっているのである。
http://artsfield.jp/lecture/000282.html
モデレーター:久木元 拓(くきもと・たく)3331 TRANS ARTS 展 ディレクター
1992年早稲田大学人間科学部卒業後、三菱総合研究所研究員として、文化産業振興政策、コンテンツ流通促進の制度設計をはじめ、 美術館の事業運営計画等に関するコンサルティング等を実施。2005年東京芸術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修了。首都大学東京准教授、webサービス会社digitiminimi、音楽配信サイトOTOTOYにて経営企画に携わった後、現在「3331 TRANS ARTS 展」、「TRANS ARTS TOKYO」両プロジェクトのディレクション、プロジェクトマネジメントを行う。発表論文に「文化価値循環モデルによる都市ブランディング分析試論」「集団的知性の形成から捉えたアートプロジェクトの組織経営政策分析・評価試論」等がある。
久木元拓准教授は竹中直純の依頼で学生をけしかけ炎上騒動を作り、高みの見物を決め込むつもりが、自分の足下まで燃え広がり焼死体となった、と想像するのも可能だろう。
もちろん証拠はないけれども、久木元拓准教授がdigitiminimiとOTOTOYに関わってるのは事実である。
久木元拓が首都大学東京を解雇されたのは2010年7月だが、2010年10月にこんなのがある。
http://blog.livedoor.jp/itpress/archives/51742479.html
◆本件に関する問合せ先
株式会社ディジティ・ミニミ
東京都渋谷区代々木5-59-5 東信代々木ビル4F
TEL:03-5465-1606
担当:久木元 拓:kukimoto@digitiminimi.com
彼が正社員かどうかは判然としないが、少なくとも幽霊社員ではなく本当にdigitiminimiに勤務していた実態が窺えるのである。