Archive
TPPは交渉の内容が表に出て来ないので、中身はさっぱりわからないが、日本の制度がいろいろ変更されるわけである。国民皆保険もターゲットにされる。好ましいと思われる制度でも、アメリカに破壊される可能性があるのだ。TPPで唯一素晴らしい出来事があるとすれば、電通の弱体化である。先進国ではほとんど「一業種一社制」となっており、トヨタとホンダの広告を同じ会社が扱うことは認められていない。日本では同じ業種の複数の企業を電通が担当しているのが普通だから、マーケティングは電通に一本化されている。テレビでどこのチャンネルを回しても同じ話題ばかりというのは、電通のせいである。安倍晋三の奥さんは馬鹿であるが、森永製菓の令嬢なので、いたましい不器量であるがコネで電通にいた。安倍晋三が電通を弱体化させたいわけがないが、アメポチであるのも間違いなく、米国の意向には逆らえないだろう。というか、TPPに参加して「一業種一社制」が実現しないとなると、ほとんど悪いことだらけである。日本人にとってTPPのメリットは電通の弱体化くらいしかない。ひとつの業種においてひとつの企業しか担当出来ないとなれば、電通の影響力はかなり弱体化する。麻生太郎の馬鹿息子(麻生将豊)も、株式会社エクストーンの木野瀬友人を介して、西村博之のニワンゴ創設に関与しているくらいだから、ネットも電通の支配下にあるのだ。これに抗えるはずもなかったのだが、ふとジープが音を立てて乗り付け、元米軍の退役軍人が穢れに満ちた大地に降り立ち、西村の顔面に乾坤一擲の一撃を食らわせ、未来検索ブラジルの社員は蜘蛛の子を散らすように姿を消し、地平線の果てまで毒々しく黒ずんでいたはずの世界に光がこぼれ、金色の美しい少女の襟足から生命の匂いがただよい、光が降り注ぐ薔薇園で午餐を愉しむように自由の欠片を慈しみ、その表情に血色を取り戻したのである。最近は「祭り」という単語を聞く機会がめっきりと減り、鬼女が暴れて炎上することもなくなった。今までの炎上の多くは、ブラジル社員による工作だったのだ。ブラジルという放火魔が追放されたことにより炎上自体がなくなったので、世の中の企業はホットリンクと契約する意味がなくなった。連日連夜飽きずに篝火を灯し、目ざとく獲物を見つけては火を熾し、天高く火柱を上げさせ、スレ番を伸ばすことをひたすら目標とし、ネットの隅々まで野火が燃え広がるまで頑張るなんて、消火作業でお金を貰うためとしか考えられない。Jimになってからの炎上の少なさを考えると、過去の「2ちゃんねる論」はかなりが誤りだと言わざるを得ない。これまで炎上について分析していた人間は、「作られた炎上」を見ていたに過ぎず、箍が外れた痴れ者であるか、もしくは西村に金をもらって提灯記事を書いていたのだ。AKBの熱狂的ファンという設定で本を出してるサブカルライターと何ら変わりがない。Jimの2ちゃんねるは誰でもクロール出来るから、ホットリンクの「独占契約」は無意味である。独占と謳うからには、排他的に独占している必要があり、(もはや排他的に独占してないので)、ホットリンクが独占と言っているのは虚偽と言える。そもそも西村時代の独占契約にしても「面倒なことになりそうな会社さんへ」という西村の脅しで成り立っていたのだ。本来はクロールに許可がいるわけない。これからはどこの会社でも西村に脅されることなく、2ちゃんねるのデータ分析が出来る。日本人にとって、すべてのメディアは電通のコントロール下にある。隅から隅まで遺漏無く、電通に面制圧されているのだ。政治評論家の森田実は電通を批判したことで、テレビから消えた。「電通に逆らうなんて」とテレビマンに馬鹿にされたこともあったらしい。血を流さなくても人間は殺せるのである。前述のようにインターネットには元米軍のJimが解放軍として現れたのだが、われわれ日本人はいつでも外圧に頼るしかないらしい。電通に勝てるのはアメリカしかいないからだ。電通が同じ業種の複数の会社の広告を担当しているのは異常でしかないのだが、これは大きなタブーであり、社会問題にすらならない。何が社会問題になるかは電通が決めているからだ。先進国の中で電通のような会社は他にないのである。日本以外では、ひとつの業種においてひとつの企業しか担当出来ないので、大手の広告代理店といえども影響力には限度がある。憲法を「押しつけられた」と言うが、マッカーサーは最初は日本人に草案を書かせた。誰も国民主権に基づいた草案を書かなかった。だからマッカーサーが天皇から主権を奪い取り、国民主権に基づいた憲法を書いた。昭和天皇の人間宣言もマッカーサーだからこそ出来た。国民主権と人間宣言を否定するなら、「押しつけられた」と言ってもいいが、主権が国民にあり、天皇が人間であると思うなら、マッカーサーに感謝するべきなのである。そして主権者は国民だと言えなかった日本人の情けなさを悄然として恥じるべきである。天皇の弱体化はマッカーサーにやってもらった。西村博之の弱体化は元米軍のJimにやってもらった。そして電通の弱体化はアメリカにやってもらう予定である。この息詰まる密室を米軍がこじ開けて、外気に身をさらせる日まで待つしかない。タブーに触れる役割を誰も引き受けず、傍観者を決め込むのが日本人なのだが、これは明治維新の負の側面である。下級武士が明治天皇を祭り上げることで体制が作られたから、禁忌として天皇が屹立する国家になった。この嶮岨な山に逆らうように登攀しても、タブーに触れた咎人として天使の羽根は黒檀の色に染まり、逆賊として右翼に刺され、あえなく命が失われ、不名誉だけが歴史に刻まれるのだから、タブーが多く、誰もタブーに触れない傍観者主義が現在も続いている。すべての日本人がサムライ(下級武士)であることの問題である。タブーに触れる冒険に出発し客死したひとの死体など、誰も関わりたくなく、その死斑は至って虚無であり異端の徴であるから、合掌して哀悼の意を示すことさえ躊躇われるし、素通りしていくしかないのだ。安倍晋三は電通という「聖域」を守ろうとするだろうが、この問題がTPPの最も大きな案件なのである。われわれはTPPに関しては、ここに最も期待するべきであるし、仮に広告代理店が先進国基準にならなければ、この暗黒中世に荷担した安倍晋三を、民主主義への逆賊と見なさなければならない。
その時代を支配する言葉があるわけである。ひとつのフレーズが価値観と思考を支配するのだ。人間は、言葉を自由に組み合わせて、自由に思考しているということはない。あくまで言葉に引っ張られながら、その決められた路線を行くのである。お決まりの言葉から、お決まりの思考が出てくるわけだ。言葉を共有するというのは、思考(価値判断)の共有なのである。

数年前までは「自己責任」という言葉がやたらと使われていた。このワンフレーズで事足りるのだ。この「自己責任」という言葉について解説の必要はないだろう。ワンフレーズの強さである。1990年代には「援助交際」という言葉が流行った。女子高生が気軽に売春するのを肯定する単語である。今日では「児童買春」と言われ、売春少女を被害者と規定し、警察はこれを凶悪犯罪と見なし(少女を買った大人を)地の果てまで追い詰める。そこらの傷害事件よりは、はるかに熱心に捜査されるのだ。言葉の呼び換えで価値観を変更するのが、世界の本質である。援助交際と児童買春は同じ事象を指し示しているが、それぞれの言葉から生み出される思考は異なるのである。

言葉狩りは、戦略的にかなり効果的なのである。言葉は思考を含んでいる。思考を変えさせるためには、言葉を禁止し、別の言葉に変更することが重要である。言葉は価値判断を担っているので、言葉を換えなければ価値判断も変わらない。言葉を換えずに思考を変えさせるとなると、かなりの難作業である。

軍国主義の時代は、「君側の奸」という言葉がキーワードであった。この言葉の流行が天皇の側近達を震え上がらせた。天皇は崇拝するが、天皇の側近は奸計を巡らす逆賊であるから、テロで殺すべきという考えである。昭和天皇から信頼されればされるほど逆臣としての度合いが高まり、テロのリスクが上がる。下級武士が天皇の側近になるというのが明治維新だったため、誰もが皇民であり、誰でも天皇の側近になりうるという世界の常識ではあり得ない発想が生まれた。天皇の側近(君側の奸)を殺して成り上がろうという思考が本当に実行されたのが2.26事件である。

言葉を流行らせることで世の中はコントロール出来るのである。かつては「搾取」というワンフレーズが多くの革命家を作り出し、マルクス主義という怪物が暴れ回ったのだが、今日ではとても使いづらい。非正規の賃金は需要と供給で決まるが、正社員の賃金は下がらないし、窓際でも解雇されることはない。需要がなくなった正社員の賃金は保護される。窓際の正社員が非正規労働者を搾取しているとも言える。非正規の賃金を出来るだけ安くすることで経済を成り立たせているのは問題がありそうだが、「搾取」という言葉は使いづらい。だから「自己責任」として片付けられてしまう。

おそらく「同一価値労働同一賃金」というフレーズが、同じような仕事なのに非正規の賃金が安すぎる状態を救うと思う。同じ仕事は同じ賃金という価値観が広まれば、非正規雇用の待遇がおかしいということになる。だが「同一価値労働同一賃金」という言葉を流行らせても権力者側のメリットがない。言葉を流行らすことが出来るのは媒体を牛耳っている人間だけである。グーグル検索の上位が麻生将豊と西村博之のグループに占拠されてる現状では、ネットも手詰まりである。

日本人が一億三千万人いるとしても、ほとんど全員を知らないわけである。知らない人に話し掛けるのはタブーであるし、知らない人に伝達する手段はほとんどないのである。だから流行り言葉がわれわれの中に根を張り支配する仕組みが出来上がる。ワンフレーズでいとも簡単に操られるのである。
三浦カズがいた頃は、サッカーは国民的行事だった。たぶん今度のワールドカップは国民的行事ではなく、サッカーファンだけが見る大会になるだろう。本田と香川がスーパースターに見えるのが、サッカーファンの条件なのである。マクドナルドのハンバーガーを「うまいうまい」と食える味覚音痴しか、本田と香川のプレーは味わえないだろう。美食家なら嘔吐して吐瀉物として吐き出す食べ物を平気で食えるのがサッカーファンである。マー君と激突したら紙細工のようにペラペラと飛んでいくような体躯の男が、両腕に高級腕時計をはめて力こぶを作り、アポロンの彫像のように崇められている。

過去のワールドカップは生きるか死ぬかの戦いであったが、ザッケローニという監督はどうも不自然である。日本が惨敗したとして、ザッケローニが目を真っ赤にして唇をわなわなと震わせる光景は想像しがたい。負けて平然としてるのもまずいから、一芝居打って悔しがってみせるかもしれないが、本当は勝ち負けなどどうでもいいというサバサバしたオーラがある。負けたら面子を潰され顔に泥を塗られ、大将として斬首されたような、そんな表情を見せるのが普通なのに、ザッケローニは負けても笑顔だ。勝っても負けても、彼の尊厳に無関係らしいのだ。ザッケローニは勝敗に自分の面子を賭けてない。ザッケローニは協会の意向に唯々諾々と従っているし、これから真剣勝負が始まるとは思えないぬるさである。戦場に赴き大将首を賭けて決戦に挑むという緊迫感がまったくないのである。

岡田監督やトルシエは、三浦カズでも中村俊輔でも平気で外していたから、ザッケローニはとても奇妙に思える。本田はつい最近バセドウ病になったのではなく、一年半前に発覚したわけである。それにも関わらず、ザッケローニは本田がいることが大前提のチームを作った。本田を外すにも外せないようにしたのだ。またACミランに本田を推薦したのもザッケローニである。バセドウ病患者のうち目に症状が出るのは半数くらいだが、本田は明らかに眼球突出しており、ボールの動きが見えてない様子が窺え、(バセドウ病特有の複視で)ボールが二重に見えている疑いも濃いから、サッカー選手としては致命的である。

このザッケローニという監督は、ワールドカップで惨敗して監督としての経歴に傷が付いても意に介さないようだ。CMにたくさん出ている選手を尊重し、サッカービジネスに最大限配慮しているのである。ザッケローニという人物は、(岡田監督やトルシエとは違い)完全にサッカービジネスに取り込まれている。トルシエはマーケティング優先のやり方をスターシステムと繰り返し批判し、当てつけのように中村俊輔を外すことさえ断行したが、これは監督として何が何でも勝ちたいという執念があったからである。ザッケローニはマーケティングに協力的なので、なにか怪しげである。トルシエが頑として拒絶したスターシステムをザッケローニはすんなり受容しているので、なにかキックバックがあるのかと邪推したくもなる。ザッケローニの勝っても負けてもどうでもいいというサバサバした態度は、今までまったくいなかったタイプであり、極めて特異と言える。ジーコは負けず嫌いを剥き出しにし、晒し首のようになって日本を去っていったが、ザッケローニの四年間で、代表が勝っても負けてもどうでもいいという空気になった。

これから行われるワールドカップも、キリンカップくらいの重みしか感じられない。ザッケローニの四年間で、サッカービジネスは拡大したが、国民的にはしらけている。本田の体力面はともかく、ボールが見えてない(ボールが二重に見えている)と思われるプレーが多々あるのに試合に出るのは無理がある。サッカー協会は本田の視力検査や視野検査もしてないのだろう。中田英寿みたいに実力で地位を築いたわけではないから、ミラン入団もAO入学みたいなものだし、惨敗後はお得意の自己アピールで美談にするのだろう。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140604/k10014954921000.html
サッカーのワールドカップブラジル大会の開幕が間近に迫るなか、40%余りのブラジル国民がワールドカップの自国開催に反対していることが民間の世論調査で明らかになりました。
この世論調査は「ブラジル世論調査統計機関」が先月15日から19日にかけてブラジル全土で16歳以上の男女およそ2000人を対象に行なったものです。
それによりますと、ワールドカップのブラジル開催に賛成する人は51%となり、前回、2月の調査に比べ7ポイント下がりました。
これに対して、大会の自国開催に反対と答えた人は42%に上り、前回調査よりも4ポイント増えています。
また大会への関心については39%の人が冷めていると答え、1月の時の調査に比べて15ポイントも増え、関心が高いとする人の30%を上回りました。
ワールドカップ開催を間近に控えたブラジルでは、スタジアムの建設費や運営費に多額の公的資金を充てるよりも教育や福祉の充実に回すべきだという不満が貧困層や中間層を中心に根強くあり、各地でワールドカップ開催に反対するデモが起きていて、大会期間中の治安維持が大きな課題となっています。



かつてワールドカップは戦争に喩えられた。エルサルバドルとホンジュラスは戦争にまで発展した。しかし、開催国のブラジルでワールドカップ反対運動が起きている。何しろ42パーセントの人が反対しており、39パーセントの人が大会に冷めているという。ブラジルでさえ四割の人がどうでもいいと思ってるのだから、もはやワールドカップに国家の威信を賭ける時代ではないのだろう。

たとえばワールドカップのグループリーグで日本が敗退したらミサイルが落ちてくるのであれば、何が何でも本田圭佑を外そうという国民運動が起こるだろう。本田を使い続けている勢力は国家を滅ぼすスパイである。だが、所詮はサッカーの試合だし、興行である。やるかやられるかという殺伐としたムードは遠い過去の話である。本当に熱狂している人間は少ない。本田のバセドウ病を必死で隠しているのも、日本を滅亡させたい陰謀があるわけではなく、単にビジネスの理由である。本田という「作られたスター」が金を生み出すのだ。膝が壊れているプロレスラーがリングの上では無敵になるのと同じだ。実際のところ、日本が勝とうが負けようがどうでもいいのが本音であるし、話題を集めて視聴率は取れるとしても、どこか冷めている。日本が敗退しても何ら問題がない。0勝3敗だろうが、3勝0敗だろうが、どうでもいい。ワールドカップなんぞ、もはや単なるオールスターゲームであるのが実情である。最近はプロ野球の結果を誰も気にしなくなったが、サッカーの勝敗もだんだんどうでもよくなりつつある。

三浦カズがワールドカップにこだわっていたのと、本田がワールドカップにこだわっているのが全く別次元なのは明らかだ。ドーハの悲劇、もしくは三浦カズが外された頃は、極めて大きな国民関心事であり、その生きるか死ぬかの残酷さこそがワールドカップの重みと考えられた。だがもはや勝敗への関心は薄いし、命を賭けた真剣勝負というムードも絶無であるから、何となく本田も出場するのである。これだけ商業主義が蔓延すると、人生ではなく金を賭けているだけということになるし、総合格闘技のような急速な衰退も考えられる。
石原新党が22人くらい集めた一方で、田母神はほとんど終了する見込みである。田母神は東京都知事選に立候補した時、石原新党の四人から応援演説を受けている。石原慎太郎、平沼赳夫、山田宏、中山成彬の四名である。この四人から応援を受けたのだから、謙虚にしていれば石原新党の中に足場を築くことは充分可能だったはずだが、「日本真性保守党」の立ち上げを宣言し、お山の大将の方向に行ってしまったようである。田母神は65歳であるから、石原新党で一兵卒となり、次の選挙で出番を待つのに最適な年齢でもあるのだが、それも叶わなかった。

田母神の「日本真性保守党」という政党は、まだ正式に発足したわけではないが、石原新党に対抗するタイミングで作られたわけである。たぶんほとんど準備もなく発表されたのだろう。田母神サイドでは都知事選で60万票取ったのだから、世間的な支持がすごいと考えているようだが、実際は議席はひとつも取れないだろう。もともと失言が心配される人物であり、今回のような軽挙妄動をするとなると、次の選挙の時に石原新党から出る選択肢は完全になくなった。

田母神は自衛隊の航空幕僚長という肩書きはあるが、さして知力は高くない。田母神の書いている内容を見ると、あまり頭脳明晰とは言えない。自分の能力を過大評価することで幕僚長になれたのかもしれないが、ともかく地頭が悪い。これは自覚すれば、多少は修正出来るはずである。いくら馬鹿とは言っても、知能指数100未満というレベルではないし、自分の限界を自覚すれば、それなりに有用にもなりうるだろう。「気づく」ことで人間は少しはマシになる。だが、田母神はソクラテスに学ぶことがなかったようで、馬鹿を自覚しないという生き方を選択したのである。実力以上に自分を過大評価した状態で生涯を終えたいと考えたのだ。

田母神は決してアスペルガーではないし、すごい低知能というわけでもないが、自分を偉人だと思ってるから、実質的に知能が低いアスペのようになっている。暗君の典型といえる人物だ。今回の新党立ち上げで、今までヨイショしてきた人もずいぶん去っていくだろう。空気が読めず、周りも見えず、キザなロマンチストとして、夢遊病のように歩き続けるのである。民草の生活など目に入らず、ただ天下国家を語って酔いしれるのである。大きな挫折をしたことのない人間だから、自分を見つめ直すこともないのだろう。「日本真性保守党」を終の棲家として、マック赤坂とか羽柴秀吉のポジションになりそうである。
本田圭佑が明らかにバセドウ病なのに、それを知らない人がたくさんいる。首に手術痕があり、逞しかった筋肉が削げ落ち、目玉が飛び出ている選手が、ワールドカップのピッチに立とうとしている。やぶにらみ、というより眼筋癒着で黒目が変な方向にいってるから、空振りするために目玉を付けているようなものである。さすがに調子がまったく上がらないので、日刊スポーツが(おそらく本田の許可を取って)首の手術痕を報じたので広まる可能性はあるが、このような重要事実が臥せられていたわけである。電通が本田の病気を隠そうと思ったら隠せるのが、すっかり証明されたわけである。

ヤフコメでも「病気」というコメントはそのままだが、「バセドウ病」とはっきり書いたコメントは削除されている。
たとえばこういうのはOKのようである。

http://brazil2014.headlines.yahoo.co.jp/wc2014/cm/main?d=20140603-00000028-goal-socc&s=lost_points&o=desc&p=1
首の手術痕みれば
原因がわかるでしょ
間に合うというか
病気なんだからさ

「病気」だと書くのは大丈夫だが、「バセドウ病」とはっきり書いたコメントは、”そう思う”がたくさん付いて上に上がってくると削除される模様である。

そもそもバセドウ病は一般人ならたいした病気ではない。運動選手には致命的というだけで、寛解すれば普通の生活は何ら問題ないわけだ。特に女性ならありふれた病気であるし、隠すようなものではないわけである。

これはツイッターで広めるしかないかもしれない。
ツイッターの規約で禁止されているスパム行為は以下のものである。

有害リンクの投稿 (フィッシングサイトやマルウェアサイトへのリンクを含む)
過剰なフォロー行為 (大量のフォローとフォロー解除によって注目を集める)
@返信や@ツイートの機能を悪用した不適切メッセージの投稿
複数のアカウント作成 (手動または自動化ツールを使用)
注目を集めることを目的としたトレンドトピックの繰り返し投稿
同じツイートの繰り返し投稿
ツイートと無関係なリンクの投稿


本代圭佑を応援している人のツイートに対して、「本田はバセドウ病なんだけど」というリプを送るのは、たぶん問題はないはずである。本田への応援ツイートに向かってリプしているのだ。「本田はバセドウ病」と本田を応援してるアカウントに何百と送りまくったら、スパム扱いされるかもしれないが、控え目にやるのは、おそらく問題ないはずである。

こんな具合にやってみている。

basedoubixyou.jpg


セルジオ越後に「本田がバセドウ病だと指摘すると干されるの」とリプしてみたが、もちろん反応はない。サッカージャーナリストたちは「不調」としか言わないし、誰もが(バセドウ病だと知りながら)口をつぐんでいるおかしな状況である。

ツイッターの暗黙のルールとして「知らない人にリプしてはいけない」というのがあるが、これはあくまで暗黙でしかない。ここに規約の問題はないはずである。

麻生の馬鹿息子と西村博之が固い紐帯で結ばれたせいで、言論統制はネット世界まで遺漏無く行われる。斯様な薄ら寒い現状に馴致されている人々は、何も知らずにワールドカップに大歓声を送り、その結末に悄然とするのである。このまま言論統制が完遂され惨敗に終わったら、さすがに電通の工作がバッシングされるかもしれないので、そこに期待するしかないだろうか。本田のバセドウ病を指摘するのは、電通ビジネスへの営業妨害なのかもしれないが、営業というより詐欺師と言った方がふさわしいだろう。
麻生太郎の長男の麻生将豊は馬鹿である。
これは断定的に言える。
なぜなら、彼は西村博之のように勝ち逃げできる人種ではないからだ。
西村のような山師なら、稼ぐだけ稼いで勝ち逃げすればいいが、麻生将豊は勝ち逃げする立場ではない。
いずれは麻生太郎の地盤を継いで、政治家になる人物である。
麻生太郎が鈴木善幸の娘と政略結婚したように、麻生将豊も有力者の娘と結婚し、首相くらいは目指すつもりなのだろう。
そして子孫もさらに縁故で発展していくのである。
そう考えると、西村のようにネットを荒らすだけ荒らして海外逃亡ということは出来ない。
麻生将豊はこれから50年とか100年先の麻生ファミリーを背負う立場である。
西村と一緒にザンビアに逃げるわけにはいかない。

ニワンゴ創設時に木野瀬友人という人物が取締役になっているが、これは麻生将豊の会社(株式会社エクストーン)の人物である。
麻生太郎の甥の麻生巌がドワンゴの取締役になったことでもわかるように、ニワンゴの立ち上げ時点から麻生ファミリーが関わっているのだ。
最初から西村博之と麻生ファミリーは繋がっているのである。

麻生将豊が関わっているネットでの情報操作(ステルスマーケティング)は将来的には処罰の対象となる。
やっているのは西村だというのかもしれないが、麻生ファミリーのコネがあってこそ可能だった。
法律は遡及しないから大丈夫というのは、西村のようなどこの馬の骨かわからない人物だけに許されるのである。
田中角栄の金権政治を考えて欲しい。
自民党総裁選で10億円くらいの札束が飛び交っていた。
これは現在ではありえない。
100年先まで保身するべき立場の麻生将豊が、西村のようなネットの山師に関わるのはかなり危険なことなのである。
人生をギャンブルする立場でないのに、西村博之と絡んだりしているのは、コネで世の中どうにでもなるという思い上がりである。
田中角栄だって三木武夫に執拗に追い詰められて失脚したのだから、どれだけ無敵に見えても、何があるかわからない。
今は安倍晋三と麻生太郎で組んで何も恐くないだろう。
安倍晋三は麻生と血は繋がってないが遠縁である。
だが、麻生将豊が西村博之や竹中直純と組んで、2ちゃんねるやドワンゴでいろいろやっていたのは、いずれは問題になる。
三木武夫が現れるまで10年か20年は掛かるだろう。
西村はザンビアの別荘で隠居生活だろうが、麻生ファミリーの人間にそんなことは出来ない。
今はこうやって、ネットユーザーを虚仮にして、あれこれ操作して、ネットをつまらなくしてくれているが、麻生将豊の長い人生、いずれは現在やっていることが旧悪として疵になる。
角栄や鈴木宗男と同じく、地元では当選できるだろうが、世間からは白眼視される。
現在に生きるわれわれは麻生将豊のせいで、ゴミだらけのインターネットを見せられている。
無力なわれわれは何も出来ないが、田中角栄の金権政治と同じく、語り継ぐことだけはしよう。
ElvR7IY.jpg
QO5CMDP.jpg
hRD1IaN.jpg
Dolo5N1.jpg
BwzZ7kG.jpg
yMXUjLC.jpg
myRJEc4.jpg

http://yoyogiblog.digitiminimi.com/office/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B8%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%83%9F%E3%81%AF%E5%BC%95%E3%81%A3%E8%B6%8A%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%EF%BC%81
この度、弊社は14年間慣れ親しんだ参宮橋を離れ、渋谷区松濤へと移転いたしました。新オフィスは、以前よりも広く、道玄坂を走り上がれば渋谷駅から10分ほどという好立地。
今後ともこれまで同様、ご愛顧を賜りますようお願い申し上げます!

株式会社ディジティ・ミニミ
オトトイ株式会社
150-0046 東京都渋谷区松濤2-11-11 松濤伊藤ビル
Shoto Ito Bldg. 2-11-11, Shoto,Shibuya, Tokyo, 150-0046, Japan

麻生将豊が日本のネットをメチャクチャにしている昨今である。
このゲス野郎のせいで、どれだけネットがつまらなくされてるか表現する言葉も見当たらないが、知恵を付けてるのが竹中直純なわけである。

この麻生将豊は親父と同じで脳障害の可能性がある。
これだけ縁故でネットを牛耳っても、絶対にスキャンダルにならない自信があるらしい。

ホットリンクにしても、インサイダーを取り締まる金融庁の担当大臣は麻生太郎だから、絶対に捕まらない。
一時期の田中角栄の絶頂ぶりを思い起こさせる。
自民党総裁選で何億円もの札束が飛び交った金権政治も過去の話である。
麻生のネット操作も、今はいいかもしれないが、いつかどこかで破綻するだろう。
田中角栄も永遠ではなかったのだ。

ともかく竹中直純が新オフィスをオープンするそうで、この麻生将豊、西村博之、その妻、津田大介、あたりが参加するそうである。
本来なら芋づる式に捕まりそうな面々が、麻生太郎の庇護に安心しきって集結するのである。

基本的に知力が低く、縁故で世渡りしている人間の集まりである。
特に何かしら業績があるわけでもないのに、縁故だけでお金が入ってくるらしい。
http://www.nikkansports.com/brazil2014/news/p-sc-tp0-20140602-1310961.html
本田が首にメスを入れていたことが判明した。頸部に横に10センチほどある生々しい傷。赤みがかった手術痕は、病に苦しんだことを物語っている。W杯に向けた最終合宿地となるフロリダ入りした5月29日(日本時間同30日未明)、チャーター機で到着したタンパ国際空港内。日刊スポーツの頸部手術歴に関する問いに、本田は「何もないよ。何でもない」とだけ語り、病名と手術時期については明言を避けた。
本紙の取材では、CSKAモスクワ退団が決まって一時帰国した昨年12月12日から、ACミランに移籍するためにイタリア入りした今年1月4日の間にメスを入れた可能性が高い。昨年12月に成田空港に到着すると極秘で首都圏の病院に家族を伴って直行。黒いワゴン車で病院駐車場に入ったまま、再び姿を見せることはなかった。関係者が大型スーツケースを数個、車から病院内に運び込む姿も見られ、病院職員が本紙記者を追い払うほど緊迫した状況だった。その後、年末にかけて療養のためか、沖縄・宮古島に滞在している。


この日刊スポーツの報道は、おそらく本田の意を受けてのものだと思われる。ACミランに入る前に甲状腺を摘出する手術を行ったが、まったくよくならないため、白旗を上げたのだろう。電通による報道のコントロールのおそろしさである。ホットリンクのインサイダー疑惑も闇に葬られた。なにしろ内閣府特命担当大臣(金融担当)が麻生太郎である。インサイダーを監視する金融庁の担当大臣が麻生なのだから、西村博之の闇を暴こうとする動きはすべて封じられる。それにしても考えさせられるのは、われわれが自分固有の精神だと思っているものは、まったく土台のない根無し草であるということだ。もしくは同じ病根から人間が生い茂ってると言ってもいいが、個々人固有の精神などないのだ。バセドウ病の初期は甲状腺機能亢進症と言って、やたらとテンションが高い。通常では考えられないくらいに陽気だったり、もしくは怒り狂ったりする。本田がある種の超人的なプレーを見せていたのも、バセドウ病特有の興奮状態でリミッターが外れていたからだ。本田特有の個性的なパーソナリティーと思われていたのは、単なる病気の症状だったのである。いわゆる正常な人間達にしても、天使でもなく極悪人でもないような俗物であり、そのように脳がチューニングされているだけである。ADHDがリタリンの投与で改善することもある。脳内物質に操られているだけという、人間精神の本質に絶望せざるを得ない。人間性はすべてが症例なのである。スターリンもマザーテレサも症例として同列に並んでいるのだ。われわれが歴史から学ぶことが出来るのは、人間のフォーマットが同じだからであり、本田のバセドウ病にしても、日本代表のサッカー選手としては珍しいだけであり、一般人でこういう症例は無数にあるわけだ。ADHDはADHD特有のパターンを繰り返し、バセドウ病はバセドウ病特有のパターンを繰り返す。自分が唯一固有の存在だと信じていたら、アスペルガー症候群として似たような他人がゴロゴロいるというのが、あなたがたの現実なのである。自分という人間が、よくある症例のひとつであると気づく瞬間に、本田圭佑は立ち会わされているのだ。今までの本田はバセドウ病により常人離れした世界にいたが、個性的であるどころか、かなり典型的な症例だったのである。梅毒が頭に回って暴れていたのと何ら変わらない。バセドウ病は普通に寛解する病気であり、一般人なら何の問題もないが、トップアスリートとしては致命的である。ブラジルのロナウドは(本田とは逆の)甲状腺機能低下症だったわけである。本田がガリガリに痩せてギョロ目で暴れていたのも、ロナウドが皮下脂肪の塊となりポンコツになっていたのも、甲状腺ホルモンの問題でしかなかったのだ。人間存在はすべからく症例であるという恐ろしさである。自分だけが特別なワルだと思っていたら感化院で似たようなクズがたくさんいたとか、選ばれた存在だと思っていたらよくある自己愛性人格障害だったとか、そんなのばかりである。われわれは、生殖器と胃袋が別々であるから我執があり、それぞれ権利主体として唯一性があるのだが、その在り方はおそろしくパターン化され細密画をなぞるかのように似ているのである。同じ根っこから似たような病人が量産されるのは永遠に変わらない。
精神と肉体を区別し、意思は精神のものであるという考えがあった。
これはあまり正しくないだろう。
意思は身体的欲求である。
飯が食いたい、喉が渇いた、女とやりたい、という欲求が意思なのである。
そういう欲求が自動思考として浮かんでくる。
あなたという肉の塊の中で、女とやりたいという欲求が浮上すると、それを意思と呼ぶのである。

それでは人間は、身体的欲求に従って生きているだけなのだろうか。
主体的な決定の余地があるとすれば、行動の結果を考えることである。
ここに理性が入る余地がある。
たとえば、辺鄙な田舎道ですごい美少女が歩いているのを見つけたとする。
あと30分で世界が終わるとしたら、強姦しようと考えるかもしれない。
だが、世界は終わらないし、臭い飯を食うことになる未来を考えたら、何もしないのが普通だ。

夜中にお腹が空いて、コンビニに弁当を買いに行こうと思ったとする。
これは空腹によって促されているわけである。
空腹である状態を解消する手段として、コンビニで弁当というのを思いついたのだ。
とはいえ、その思いつきを実行するとは限らない。
生活苦で汲々としていたら、将来困ることを考えて空腹に耐えるかもしれない。
肥満であるなら、糖尿病を懸念し、空腹に耐えることにするかもしれない。
将来的な金銭苦や糖尿病での苦しみを考え、空腹と戦うわけである。
これは現在の快楽と、未来の不快を秤に掛けているのである。

現在やりたいことをやるだけなら、自由意思はない。
身体感覚と意思が接着しているだけである。
現在やりたいと思ったことを、未来のことを考えて断念するところに理性を働かせる余地がある。
人生設計や生活設計があるからこそ意思がある。
何の縛りもなければ現在の快楽に従うだけだろう。
どれだけケーキを食べても糖尿にも虫歯にもならないというのなら、際限なく食べるに決まっている。
われわれが肉体的欲求の完全な奴隷とならないのは、未来のことを計画的に考える必要があるからである。

歯を磨くのは面倒くさい。
でも、磨かないと虫歯になって、後で苦しむわけである。
だから面倒くさくても、歯を磨く。
これは快適な未来のために行動しているわけである。
勉強も面倒くさい。
しかし人生設計のために勉強するのである。
眠気が迫ってくれば眠りたいわけだが、何らかの義務を果たすために我慢することは多々あるわけだ。

こう考えると、われわれが一回性の人生を生きているから(その人生のプランがあるから)人間的な意思があるとも言える。
詰んだら肉体を交換してリスタート出来るとなれば、ボロボロになっても構わないのだから、現在の快楽のために放蕩するのみである。
過去のツケを未来で払う仕組みだからこそ、思考や理性があるのだ。
現実という壁の前で、生活設計とにらめっこしながら我慢したり、面倒でも重い腰を上げたりするのである。
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
スポンサードリンク
RSSフィード
プロフィール

ukdata

Author:ukdata
FC2ブログへようこそ!

katja1945uk-jp■yahoo.co.jp http://twitter.com/ukrss
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
アクセスランキング