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わたしが糾弾するべきは宮台真司の娘なのだろうが、こういうのは機運というのも必要であろうし、90年代の女子高生ブームが回顧されるタイミングの問題であるから、宮台に蹂躙された赤の他人の娘が告発でもすれば、宮台の箱入り娘が特異点としてクローズアップされるときも来るであろう。
ひとまず箸休めにはるかぜのことでも話題にしておこう。
時たまはるかぜが、親友がいるというアピールをするわけである。
「友達がいない」というのは、他人を攻撃する決まり文句であるが、やたらと反応するのである。
DQNは同類でやたらと群れるので友達がたくさんいるし、友達が本当に必要なのか、というのも何とも言えない問題である。
おそらく、本当の問題は発達障害なのだろうと思う。
教師という人種は「友達がいるかどうか」をやたらと問題にするのだが、本当は発達障害のことを言いたいのである。
発達障害の証拠として「友達がいない」という事実を挙げているわけだ。
発達障害者が周辺世界に馴染んでない様子を、そういう言葉で表現しているのであり、実際に友達がいるいないは重要ではない。
この地球上に住んでいても、その空間と時間に同期しておらず、やたらと周りからずれて浮き上がった宇宙人のオーラを発していることが問題なのである。

たった一人の親友にこだわるのも問題児にありがちな言動である。
ひとりだけ親友がいると主張するのである。
その実態は、発達障害者が博愛主義者に依存しているだけということが多いのである。
その博愛主義者だけは自分を避けないというだけの理由で、依存しているわけだ。
他人に馴染めないから、自分を受容してくれるたった一人の親友によって、疎外感のすべてを解決しようとしているのである。

友達が多いと主張してるのはたいていDQNだから、友達などいなくてもいいのだが、問題は発達障害かどうかである。
はるかぜはこの問題を早く明確にするべきである。
少なくとも注意欠陥に関してはコンサータという特効薬があるのだし、医療のサポートを受けるのは可能である。
障害者ということなら、われわれも一定の配慮をする必要があるだろうし、逆に健常者ということなら、いつも他人とぶつかって相手を粉々に砕いていく親子を許すわけにはいかない。
共産主義がなぜ不可能なのかを考えると、やはり自分の身内だけは可愛いからである。宮台はそこらへんを歩いている女子高生を、まったくの赤の他人であり、この社会の一員ではなく、近代社会を破壊する兵士と考えていたわけである。宮台が物資を送り込んでくれるわけではないので、彼女たちは最前線で自らの肉体で白兵戦を行ったのだ。近代的な結婚制度を破壊し、ポストモダンのユートピアへ移行しようとしたのである。

それでは宮台本人はどうしたかというと、東大教授の娘と結婚したわけである。東大教授の娘だって、宮台の本に感化されていろんなオッサンに身体を売っていたかも知れないし、今はすっかり澄ました顔をしているだけかも知れないが、ともかく出来るだけやってる可能性が低い物件を選んだのである。そして生まれた娘は当然ながら、宮台思想の兵隊として駆り出されてはいない。近代社会の破壊活動のために自らの裸体を生け贄にすることはやってないのである。

北朝鮮の将軍様にしてもそうだが、やはり身内は可愛いのである。世界を破滅させるとか言っていても、血縁だけは大事なのである。ここが共産主義の限界なのである。赤の他人はどうでもいいと思えるとしても、というか、赤の他人は本当にどうでもいいのだが、その気楽さで、近代社会の破壊を試みても、結局のところ自分の身内は可愛いというところに帰着するのだから、人類すべてが家族というところに行くわけがない。左翼はユートピアを信じている人格者ではなく、赤の他人は使い捨ての道具としか考えていない。人類愛どころか、自分の身内以外は本当にどうでもいいという感じが、宮台と将軍様から伝わってくるわけである。
子どもに責任はないという決まり文句をよく聞くのだが、いつどこでそれが決まったのかよくわからないし、国会で採決したわけでもないのに妙に力を持っている言説である。「子どもに責任はない」という論理に従えば、ユダヤ人に気を遣うこともないし、イスラエルも片付けられるのだが、人間は歴史性を持った存在であり、自分が生まれる前のことに責任を負うという考えもあり得るし、少なくとも差別問題に関しては、世代を超えて引き継ぐことになっているわけである。

宮台真司の過去の行状を現在の法律で裁くなら死ぬまで刑務所で過ごして貰うことになるが、法律は遡及しないので法的には無罪である。だが宮台が学匪であるという誹りは免れまいし、これだけ罪の重い人間はいないのである。女子高生とやってみたいというのがわれわれの本音だとしても、彼女たちは使い捨ての存在として生きているのではない。「自分の娘だったら」とか「未来の自分の恋人だったら」とか「未来の自分の嫁だったら」と、そういう可能性を考えることで、社会に同居しているのである。無論われわれ個人はそこまで立派に考えていまいし、取り締まる法律がないなら、社会がどうなろうが、若さの保証付きの安価な売春婦として消費する誘惑に勝てないこともあるだろう。宮台が学匪だと言えるのは、社会学者として、あの女子高生たちが、誰かの娘だったり、もしくはいずれ誰かと結婚するという社会の枠組みについて考えなかった、いや、むしろ逆で、結婚制度の完全なる破壊こそが目的だったということも出来る。結婚制度がないなら「自分の娘だったら」とか「未来の自分の嫁だったら」と考える必要はあるまいし、女子高生は使い捨ての売春婦という宮台理論は成り立つ。

わたしが宮台の娘に会うことがあったら、その豪邸の豊かな暮らしは、女子高生ブームで稼いだ金であることを説明してやりたい。また結婚制度の廃止によって宮台の主張が成り立つとすれば、東大教授の娘と結婚して子どもをなしているのが無責任極まりないわけで、自分が安全圏にいる状態で、女子高生を保守攻撃の兵隊として扱っていただけである。これは学匪であると言うしかないのである。また女子高生ブームの頃から「宮台は娘にも援助交際をやらせるのか」という批判はあったが、馬耳東風だったわけである。だから宮台の娘に会う機会があったら、宮台がやってきたことをよく説明し、その豊かな生活の欺瞞について問いただしたいものである。

今日は親の所得で人生が決まると言っても差し支えなく、少なくとも宮台の娘は女子高生ブームで稼いだ金の恩恵を受けているのである。宮台が女子高生ブームに乗っかって得た利益を社会に寄付するなどして放棄したという話は聞かないし、父親が学匪として稼いだ金で豊かな暮らしをしている娘には、世間でたくさん苦しんでいる貧困家庭の人をどう思うのか尋ねてみたいし、他人の娘は死地に追いやり、自分の娘は大事にするという宮台真司のスタンスへの考えも聞いてみたいものである。
われわれははるかぜ親子を笑っているが、実際はこの親子の馬鹿さ加減は、われわれが陥りやすい愚行でもあり、まったくの他人事ではないのである。この親子ほど酷いケースは稀だとしても、何かしら身に思い当たる人が多いからこそ、注目されるのである。本当の精神病の人はwatchされない。精神病の人は書いてることが妄想だらけで、われわれにはまったく思い当たらない支離滅裂な内容だからである。はるかぜ親子は裏聖書というか、黒い聖書というか、人間にありがちな愚かな部分の集大成なのである。

人間は時間の中で選択を迫られる存在である。止まらない時間の中でタイムリミットが設けられ、決断を迫られる。白い画用紙に好きな絵を描いていくのではなく、時間の中で差し迫ってくる課題に答えているのである。はるかぜ親子は現在選択を迫られているわけである。はるかぜ(娘)は来年中学三年生になるのだが、芸能人としてはまったく見込みがない。このまま芸能界にしがみつくなら、ヨゴレしか待っていないであろう。つまり、今すぐ普通の中学生に戻るか、このまま続けてヨゴレを極めて芸能界の底辺の底辺まで墜ちるか、それだけなのである。中学三年生を間近に控えた現在がタイムリミットであり、人間存在はそのように決断を迫られている。だが、この決断を曖昧にするのが奇跡という概念である。絶対に奇跡がないとは言えないし、はるかぜがスーパースターになることだって、絶対にないとは言えない。時間的な未来において「絶対にない」というのは証明できない。この未来の不確定性に頼った、奇跡という三番目の選択肢が厄介であり、人間は絶対にあり得ない可能性に縋ってしまうのである。

この愚かしさは決して他人事ではないだろうし、われわれも、差し迫った状況で決断を回避し、奇跡という第三の可能性に頼ってしまうことがよくあり、その意味ではるかぜは普遍性がある課題なのである。はるかぜが普通の中学生(つまり可愛くもなく勉強も出来ない冴えない中学生)に戻るのは嫌であろうから、芸能界にしがみつくのであろうし、そこからさらに積み重なる愚行を、わたしは裏聖書に綴り、人間の愚かさの教材として書き残していくしかないのである。
なんか宮台の空手は怖いと思う。
宮台は恐いのである。
われわれは子どもの頃は大男が怖いんだけど、中年くらいになると、小男が怖くなるのである。
さすがにいい年した中年になると、学校ではないのだから、粗暴な巨漢は怖くなくなる。
中年になると、なぜ小男が怖いんだろうと考えると、たぶん被差別者の怖さなのである。
過去に受けた差別をどこかで一気にやり返そうという恐さがある。
肉体的ハンデを負っているから尊厳が傷ついていて、どこかで空手パンチを繰り出して他人を撲殺しそうなオーラがあるのである。
普通の大学教授なら社会的地位があるし、ナードの小男は無害であり続けるが、宮台はなぜか通り魔オーラを感じるのである。
いつか空手パンチで人を殴り殺してやりたいという、肉体弱者の溜め込んだ怒りを感じる。
経歴の表面上はエリートコースに見えても、本人の内面では劣等感が強かったのだと思われる。
東浩紀も小男で内向的でナードだが、なぜか肉体コンプは感じない。
小男だと必ず肉体的な被差別者として怒りを溜め込むわけではあるまいし、これは、肉体的なハンデの歴史の問題である。
もちろんこれは本人のプライバシーの問題だから、彼らの人生の詳細は不明だが、東浩紀は5月生まれだから、肉体的劣等感を感じる機会が少なかったのであろうし、秀才エピソードが多いから、全国模試の順位とか、そっちに集中していたのだろう。
宮台は三月生まれだし、父親の仕事の都合でよく転校をしていたというから、肉体弱者として屈辱を感じる機会が多かったのかもしれない。
宮台が180センチあって本格的に空手が出来るなら、いい年した大学教授が、まさか殺人空手パンチを繰り出さないであろうし、仮に目を眇めてきても「どうぞどうぞ殺してください」と苦笑するだけだが、実際の貧相な宮台からは通り魔予備軍みたいな怖さを感じるのである。
宮台が子どもの頃に転校先でいじめられたとか、そういう経験があるなら、そのいじめっ子と対決してみてはどうだろうと思うが、さすがにそれはみっともないし、だから無関係のわれわれに肉体的弱者特有の殺意を見せるのであろう。
宮台の空手で殺人パンチが出来るのかは疑問だが、目玉を狙われて失明とか、なんかこの手の人間特有の恐さがある。
はるかぜアンチスレ見たら、こんな意見があった。

都合の悪い事を言われると、論点をずらして正論風の屁理屈にもっていくんだよな
信者は屁理屈部分だけを見る


ツイッターは、それぞれのツイートで切り離されているわけである。
それがはるかぜがネット上で延命している理由なのである。
はるかぜは言ってることが二転三転、というか10回でも20回でも変わるわけである。
馬鹿だから、矛盾する意見を並べ立ててもいいと思ってる。
流れを見ている人からすれば、明らかに頭が悪いし、ババアがまともな教育を受けてないことを思い知らされる。
だが、流れを見てない人もいるわけである。
馬鹿な信者は、切り離されたツイートを見て、なんかよさそうなのをふぁぼして終わりなのである。
三分ぐらい前にまったく真逆のことを言っていたことは忘れているのである。
恐るべし鳥頭の世界である。
それにRTという仕組みもあるんで、RTだけ回ってきて、それを見てしまう人もいるだろう。
RTが回ってきたとき、そのアカウントの発言全体など確認しないから、なんか、その単独ツイートにもっともらしいことが書いてあると、何となくふぁぼしてしまう人もいるのだろう。


BABYMETALが11月にロンドン公演で発表したThe Oneという曲。この作詞者が誰なのか判然としない、というより、正式な歌詞さえ発表されてないが、かなり自己言及的な内容である。本人たちが作詞していても不思議ではない(実際は違うだろうが)、そういう内容なのである。

It's the time It's the time
明日の君に歌うよ
さあ時は来た
RESISTANCE (RESISTANCE)
RESISTANCE (RESISTANCE)
WOW... 心は一つ
絆信じるなら 進め道なき道を
FOREVER (FOREVER)
FOREVER (FOREVER)
WOW... 心の奥に
燃える熱いハート
それが僕らのRESISTANCE
WOW... 
命が続く限り
決して背を向けたりしない
今日は明日を創るんだ

実際はレジスタンスというより、子どもが大人にやらされていたのだと思うが、ロンドンのワンマンライブで5000人の会場をソールドアウトにして、そこで堂々たるパフォーマンスをもって発表されたとなると、もはや「やらされてる」ではないであろうし、本人たちがレジスタンスをやっているという主体的な歌詞も似つかわしいものである。もちろん自己言及的な歌詞を大人が書いてるのであろうから、はるかぜのババアの代筆と同じという意見もあるかもしれないが、ここまでパフォーマーとしての実力が高まってくると、その類の批判は無意味であろう。また、これは勝者による歴史の書き換えなのである。多感な少女としては、本当は可憐ガールズとかBABYMETALはやりたくなかっただろうが、売れたので、こういう自己言及的な歌詞が書かれたのである。いろいろ迷走していたエピソードも、成功のために必要だった困難として採録され、レジスタンス活動の一環として総括されたのである。こういう歌詞は売れてないと恥ずかしいし、そうかと言って、完全に大御所になった人間が歌うものではないし、大衆の前に姿を現し、一定の成功を収め、さらなる飛躍が期待されるからこそ書かれたのである。

BABYMETALに関しては、たいして成功してないしここから落ちぶれるだけという人もいれば、最初から売れるのがわかりきっていたという人まで、いろいろいるのだが、どちらにせよ実力としては完成された、もしくはさらにこれから伸びる状態である。なんか子役扱いで見ている人がいるようで、劣化したら終わりという意見を言う人が多いのだが、しかし実際は劣化するどころか、容姿レベルが上がっている。菊地最愛(MOAMETAL)はそこらへんのクソガキだったはずなのに、いつの間にか見られる顔立ちになっているし、水野由結(YUIMETAL)も、子どもの頃だけ可愛いというイメージで見られていたと思うが、このところ大人の美人になりつつある。元から優秀な菊地最愛と違って、水野由結はちょっと幼いのだが、この間のさくら学院のライブではずいぶん落ち着いて品良く喋っていたし、劣化するどころか、だんだんグレードアップしている。20歳の頃には単なるおばさんになっているとも思われたが、この推移だと美人女優のような外見になっても不思議ではない。MOAMETALとYUIMETALを見ると、アミューズはちゃんと選んでいると感心させられれる。

わたしの癖で、(というかモーニング娘。も観察しているので)、中元すず香について語ると必ず鞘師里保の名前を出してしまうのだが、(わたしは鞘師を推してるつもりなのだが、あまり褒めるところがないので、中元すず香との比較の時だけ言及してるのだが)、おそらく鞘師の性格からして、ハロプロでアイドルをやりたかったわけではあるまいし、アミューズでアーティスト系のことをやりたかったのであろう。鞘師里保は現在16歳で、今でもそれなりに可愛いし、肌質が綺麗なので、アイドルとして充分な外見ではあるが、骨格の成長はあまり望ましいとは言えない。仮に肌の美しさがなかったら、ブスといって差し支えない。やはり鞘師は13歳の頃がピークである。℃-uteもメンバーが20歳くらいになって、見た目がそろそろ限界とも思えるし、動員力も翳りが見える。やはり女優が出来そうな容姿の人はハロプロには来ないのだなと、痛感させられるわけである。

まだ世界をなめつくしたわけではないし、BABYMETALは成功したという認識を共有するには至っていない。1月のさいたまスーパーアリーナのチケットは即座にソールドアウトしているので、大きな箱が簡単に埋まるだけの人気はあるが、子役がジュニアアイドルみたいな服を着てひらひらしているだけという先入観もあるので、客観性をもって成功者であると記述することは出来ない。とはいえ、あちこちで散発的に火が付いて連鎖的に炎を上げて声望が高まっているのは間違いなく、とりあえずロンドンの単独ライブで5000人の会場をソールドアウトにしたことで、彼女たちは、大人にやらされてきたことを、自分たちの行動として解釈し直し、結成してから四年間の活動は既存の音楽業界へのレジスタンスだったと勝利宣言するくらいの資格は得たのである。われわれが描く物語は、たいていは読みさしの本のように、半端なところで投げ捨てられてしまうが、彼女たちはやり遂げたのであり、ここからさらに戦線を拡大し戦塵に塗れるにせよ、もはやあてもなく山野を跋渉し蹌踉しているのではないし、この時代の中に煌めきをもって立ち現れた存在として、ひとまず勝利の美酒を酌み交わすべきなのである。これまでかなり楽曲を厳選してきたから、このThe Oneという曲は、それらとくらべて駄作であると思いつつも、本人たちが歌詞を書いていると勝手に思いこむと、感動的な曲になるのである。レジスタンス云々とか、はるかぜのツイートみたいであり、「命が続く限り。決して背を向けたりしない。今日は明日を創るんだ」なんてはるかぜが言いそうなんで陳腐ではあるが、実際に世界を変えていくBABYMETALだとすごい説得力があるのである。はるかぜ親子はトラブルメーカーでしかなく、中学生になれば他の子との差が歴然としてくるのを認められない。空気が読めないから他人と衝突する日々を戦いと言っているのである。菊地最愛とはるかぜの差は歴然としている。なぜ芸能人を引き合いに出しているのかというと、はるかぜが芸能界にいるからである。自称芸能人なのだから、他の優秀な女子中学生と比較されて、オーディションで落とされ続けているのである。そろそろ芸能界は諦めて、医療や福祉のサポートを受けて普通の子どもに戻るのがいいだろう。
なぜか人間には、自らの存在を証明したいという欲求があるのである。この欲求がなんなのかというと正体はわからない。そもそもなんで生きてるのかわからないわけである。どうせ死ぬのになんで生きてるのか、という謎は解かれない。それでも人間は存在を証明したいと願うのである。その証明しようとする自分とは何なのか、それすら判然としないのであろうが、なぜか証明したがるのである。道重さゆみちゃんが証明しようとしていたものが何だったのか、それは本人も曖昧であったであろう。具体的に証明するべきものがはっきりしていたわけではなかろうし、それは正体不明の欲求なのである。無から生まれて無に帰る根無し草だからこそ、この世界の中で、何かを証明したがるのかもしれないし、飢えた人間が、いずれどうせ死ぬのに食べ物を手に入れて生き延びようとすることと同じなのだろうが、しかし、どうやっても最後は無に帰るとしても、その前に存在を証明しておきたいという渇望は根源的なものであり、なかなかこれは断念しがたいのである。もちろん道重さゆみちゃんが目指していたのは理想のアイドル像であると要約するのは簡単だが、たぶんそれ以前に、どんな形でもいいから自分の存在を証明したいという欲求があるのである。たとえば女優としての適性があれば、容姿は並外れているのだし、いろいろラブシーンを演じて、かなりの人気女優となったであろうし、あれこれ浮き名も流したであろう。女優が出来るのにやらなかったのではなく、向いてないからやらなかったのであり、何が何でもアイドルというわけではあるまい。そもそも道重さゆみちゃんという人間は、やたらと聡明なわりには何も出来ないのであり、人の上に立つわかりやすい王笏を手にした存在ではなかったはずである。歌もダンスも出来ず、演技も出来ず、ただ容姿が美しいというだけなのだから、(その容姿の美しさは証明するまでもないから)、いったい何を証明したかったのか、その核心すらわからないのである。そしてわかりやすい特技がないからこそ、理想的な賢者になるというポジションに収斂したのであろうし、そこで自らを証明することにしたのである。道重さゆみちゃんの容姿レベルなら、何の取り柄がなくても楽しく生きられるであろうに、それでも存在を証明したかったのである。どうせ死んで無になると考えると、見た目を武器にして遊んで暮らしても結果は同じなのだが、おそらく本人も名状しがたい欲求に従って、その存在を世界に刻みつけようとしたのである。美少女が自分の存在を証明しようとして人間的に苦悩する姿が、共感を呼んだのであり、たぶんこの達成したポイントから、過去に遡って物語が塗り替えられ、すべての出来事は、その到達点のためにあったと証明が完結するのである。



http://ameblo.jp/mm-12ki/entry-11964276920.html

モーニング娘。に加入した野中美希ちゃんのブログが面白いと話題になっている。
この子は中学三年生なのだが、いかにも若々しい感性が伝わってくる。
文章を見た限り、しっかりした構成力があり、現代文はかなり出来るはず。
言葉のリズムとかアクセントがしっかりしていて、韻律を踏む感性がすごいあって、そこから世界観が作り出されていくので、なんか道重さゆみちゃんのトークを思わせる。
この文章のリズム感が話術に活かされるのかどうかは知らないが、活かされるようなら、かなり面白い存在になりそうである。
この子は帰国子女で英語が完璧なので、それも含めてかなり学業優秀であろうと思う。
オーディションの時の映像はわたしは見ていないのだが、見た人によれば、かなり歌唱力があるという評判である。
本来ならさくら学院に入るタイプなのだが、おそらく帰国子女という事情で、アミューズなどの大手芸能事務所が発見する機会がなかったのだろう。
野中美希ちゃんの残念なところは、顔がコケティッシュではなく芋臭いことである。
顔の系統がアイドルとしてはよくないのである。
顔立ちから性的魅力が感じられない。
何が何でもこの子を推すというよりは、二番手のポジションかもしれないが、とはいえ道重さゆみちゃんがいなくなったので、現メンバーの容姿レベルはたいしたことが無く、野中さんレベルでもずいぶん美人に思えるし、動画で見ると可愛らしい。
小顔で全体のバランスもいいので、日本で過ごしていたら確実にさくら学院に入れていたスペックである。
同学年の菊地最愛(MOAMETAL)と互角くらいの素材と考えていいだろう。
バク転が出来るという謎のスキルもあるので、おそらく運動能力も高いはずである。
またピアノがかなり得意という情報もある。
この子は鞘師里保の代わりにセンターのポジションになるかもしれない。
鞘師里保は、広島では中元すず香と一緒になり敗北し、ハロプロに来たら道重さゆみちゃんと一緒にさせられて嫉妬し、今度は自分がスターになる番だと思ったら、この野中美希ちゃんという逸材に阻まれるのである。
モーニング娘。は握手会が過疎っているのが評判となっているので、MOAMETALと同等くらいの子が入ってきたのは朗報だが、こういう優秀な子がハロプロに馴染めるのか心配である。
https://twitter.com/harukazechan/status/543372457524994048
harukazekamen.jpg



業界筋ではこの親子の実情が知れ渡っているので、はるかぜにオファーする人はもう誰もいないのだが、未だにババアがツイッターで同情を引こうとしている。かなり注意力が足りないから、発達障害も疑われるのだが、児童相談所が介入するのはいつなのだろうという問題である。また、はるかぜもツイッターユーザーに物乞いするのが間違えており、彼らは絶対に金は払わない。払わせるなら、まだ幻想が持たれている間に有料サイトでもやっておけばよかったのに、同情されるだけの今となっては手遅れである。津田大介なんか知恵遅れのレベルなのに、ソーシャルスキルだけで乗り切っており、有料メルマガでかなり儲けているわけである。はるかぜ(娘)も、仮に注意力やソーシャルスキルがしっかりしていれば、子どもの時の売名行為の成功に乗じて、それなりの地位は築けたはずである。はるかぜ(娘)が医師の診断を受けているのかどうかは不明だが、ごく普通に見ていて、意識の据わりが悪く、ひとりで勝手に喋っている印象を受ける。はるかぜは尾木ママに怒られたことがあったが、尾木ママは教師経験があるから、注意欠陥障害を見つけたら怒鳴ることにしているわけである。尾木ママが正義というわけではないが、はるかぜはかなりぼんやりした意識で過ごしているのである。そこが母親に人生を乗っ取られている原因でもあろう。打てば響くような利発な子が同世代にたくさんいるのに、なんで学力最低で空気が読めず可愛くもない人間にオファーするのかという問題であり、芸能界での活躍を断念するのが妥当である。お芝居をやりたいという意思表明も、ババアが好きなガラスの仮面の真似でしかないから、本人の意志と考えるべきではない。はるかぜ(娘)に必要なのは、ネットでの同情ではなく、医療や福祉による現実的なサポートである。同情している人間はババアの共犯だと言っていいだろう。
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