Archive
清原和博が陥っている苦境は、彼が人生を通して、他者との関係に失敗し続けていたことにある。
マッチョ的なコミュニケーションは、失敗こそが成功なのである。
日本人にはマッチョというよりジャイアンと言った方がわかりやすいだろうが、ああいう具合に、他人をねじ伏せて嫌な思いをさせれば勝利なのである。
清原がトラブルメーカー体質なのも、喧嘩に持ち込めば勝てるからである。
普通であれば、トラブルを起こすのは失敗であり、リスクが増大しているだけなのだが、喧嘩で勝てるとなれば、若いうちはそれでいいわけである。
だが、30を過ぎれば、大男に威圧されても恐くなくなるので、成人しても喧嘩売ってるような人間はろくな事にならない。

相手に不愉快な思いをさせて屈服させたら、それはマイナスではなくプラス得点なのである。
つまり強者として権力関係を構成してしまえば、それはそれで「成功」なのである。
これがマッチョ(ジャイアン)のスタイルであり、褒められたことではないが、人生の勝利の仕方なのである。

いわゆるパワハラは中年以降のマッチョ的なやり方なのであろうし、何らかの権限を楯にして、他人に不愉快な思いをさせれば勝利なのである。
若い頃は大男として腕力を振るい、中年になったら社会的権力を手にしてマッチョなやり方を継続すればいいのだろうが、そううまくはいかない。

ともかく他人に不愉快な思いをさせるのが勝利というマッチョな論理がこの世にあり、それはそれで通用してしまうことがあるのである。
公務員に嫌がらせをされた一般市民がとうとうキレて殴ったという話は余り聞かない。
行政対象暴力というのはあるが、これは嫌がらせへの復讐ではなく、ヤクザが金目当てに因縁を付けているだけである。
復讐というのは実行は極めて容易であるが、刑務所に入ってまでやる人間はほとんどいない。

他人に不愉快な思いをさせてはいけない、というのはコミュニケーション論としては正しくない。
いろんなアプローチの仕方があるのだから、どれが正解とは言えない。
他人に嫌な思いをさせれば復讐されるリスクがあるが、このリスクはかなり低く抑えられているから、マッチョ的なやり方が成功してしまうこともある。
実際のところ、他人にペコペコすると逆に攻撃されるリスクが高まるのが実情である。
落ち着いて温厚でしっかりした性格なら、強者-弱者という枠組みに巻き込まれず平和的に生きることも出来るのだが、これはこれで、生まれつきの資質と、不満の少ない家庭環境が必要だと思われるので、誰もがそうなるわけにはいかない。
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/software/1424057121/l50
946 名前:koreawatcher ◆XenoM10nSg [sage] 投稿日:2015/02/18(水) 23:03:36.41 ID:8N2v1Chi0
前回の書き込み以来ずっと考えてみた結果、API使用許諾の契約は
行わないことにしました。(株)ジェーンさんにもそのようにメールしました。
ということで3月にdatの公開が停止するとJaneXenoは2ch.netのスレを
読み込むことができなくなります。引き続き専用ブラウザでアクセスするには
JaneStyle等のAPI対応ブラウザに乗り換えるようお願いします。
引き続き2ch.netで使用できることを期待していた皆さん、申し訳ありません。
JaneXenoは2ch型掲示板ブラウザとしてはまだ使えると思うので開発は
当分継続しようかと思います。
以降は基本的に以下のスレをサポートスレにします。おーぷんの方もチェックしてみます。


http://anago.2ch.net/test/read.cgi/software/1420712317/l50
947 名前: zako ◆JYVhQbtlsG49 [sage] 投稿日: 2015/02/16(月) 17:58:21.20 ID:JqzHuIDJ0
昨夜、2ちゃんねるAPI利用の契約に関するメールが届きました。
事前の話では、収益の配分を受け取らない場合は本名は不要という事でしたのでハンドル名で開発者登録を行っていました。
しかし、届いたメールによると、API利用契約自体に本名と住所が必要とのことでした。
私は、個人情報を使ってまで開発を続けるつもりはありません。
従いまして、私はギコナビ(避難所版)の開発から手を引きます。
プロジェクトの他のメンバー2人の意思はまだ確認できていませんが、恐らくプロジェクト自体がこれで終了という事になると思います。
今まで応援してくださった皆様、どうもありがとうございました。


このインターネットにおいて悪と言えば、麻生機関がまず思い浮かぶわけであるし、麻生将豊、竹中直純、西村博之の三名がステマに乗り出すことは何が何でも阻止しなければならない。現行法では違法でもなんでもないとしても、いずれは違法になるのだし、法律が遡及しないことは承知しているが、だからこそ言論の力で対抗しなくてはならない。そのためには一応はJIMを応援するしかないのだが、彼の立場も曖昧模糊としたものであり、裏では未来検索ブラジルと和解したと思われる節もある。JIMという人物が、敵の敵として、われわれの味方であると全面的に信じられるわけではないので、われわれとしても、この混迷たるゲリラ戦を眺めながら、判断不能に追い込まれているわけである。三月からJIMがJane Styleだけにライセンスを与えて、それ以外のブラウザを除外しようとしていることも、麻生機関の再軍備を阻止するという大願に叶うのかどうか、判断が付かない。普通のユーザーの立場としては、Jane Style以外が使えなくなるのは不便であろうし、JIMを排除するために立ち上がるべきなのかもしれないが、JIMがいなくなる代わりに西村博之が蘇ってくるのでは困るわけである。連日連夜どこかで火柱が上がり、その大地を舐め尽くす炎が衆生を焼き尽くしていく現象がなぜか減っているわけである。西村がいなくなったら不審火が減ったのだから、こいつが放火魔だったと断じるのは間違いではあるまい。黒こげとなった焼死体の山はわれわれの網膜に焼き付いている。ただ前述したように、なんとなく和解している節も見受けられるから、どのような立ち位置を取れば、西村博之に不利になるのかわからない。2ちゃんねるが本当に資金難を極めているのかもしれないし、Jane Styleだけにライセンスを与えて金を得るという手段を取らなければ、JIMが金銭面で詰むのかもしれない。すべては謎であり、この暗闇の中で誰が敵で誰が味方なのか杳として知れない状態であるから、われわれはどのような立場も取れないのである。西村博之さえ叩き潰してくれるのなら、それは東郷平八郎がバルチック艦隊を打ち破ったのを超える戦功となるであろうし、JIMが英雄であることに疑いはなく、われわれもあらゆる苦痛は甘受する。西村博之をこのインターネットから完全排除するための歩みを止めてはならない。今のところは、今回の動きが西村博之にダメージを与えるものかどうか判然としないので、全面的にJIMを支持するのは早すぎると言えるし、2ch.netと2ch.scの戦いも、どちらに寝返るかというゲームであるから、小早川秀秋が西軍を裏切るタイミングの問題でもあり、当事者でさえ、誰が敵なのか明確ではないのであろう。そもそも大将であるJIM自体が西村と裏で和解していて、西村を本気で追い詰める気がないかもしれないのだ。どちらにせよ、西村博之の排除こそが天意であることに疑いはなく、われわれは離合集散を繰り返しながらも、その大正義たる目標だけは見失ってはならない。
https://twitter.com/harukazechan/status/567936270246092800
saigunbiharukaze.jpg

はるかぜがナベプロに所属してからおとなしくなったので、あのババアを完全に封じ込める結界を張るとは、さすが大手の厳格な管理体制であると賞賛され、この堅牢なシステムの永続性が期待されたのだが、われわれが体験した平和の日々はつかのまの戦間期でしかなかったようである。なぜか知らないがはるかぜ(母親)の主戦論が勝利した模様である。芸能人として(時たま)テレビに出演しているのに、こうやって本人とは似ても似つかない加工写真をアップするのが無意味なのはすでに経験的に実証されているわけである。女優を目指すのが夢という設定だが、実物とまったく違う写真をアップして女優になりたいとか、何がやりたいのかわからない。はるかぜは時たまNHKの番組に出ているが、それを見たことのある人なら、唖然とするしかないのである。現在はナベプロという大手に所属しているのだから、この美少女画像こそが本人だというのなら、あちこち売り込んで貰えばいいのであり、ネットでアピールする理由がまったくない。つまり、このツイートはネットユーザーに向けたものであり、決して業界向けではないのである。はるかぜがナベプロに入った経緯は判然とせず、中川翔子と蒼波純さんを守るために娘を保護したのか、それとも中川翔子がはるかぜ親子と意気投合して親密になったのか、それはまだわからない。中川翔子のマネージャーがはるかぜのマネージャーを兼任している状態であるから、この美少女写真のアップを認めたことは興味深い。この深刻さに眉を顰めるか、眉を八の字にして笑えばいいのか、どちらにせよ、移籍当初の徹底した管理はいともたやすく崩れ去った。実像と懸け離れた知的な美少女としてアピールされるのは、はるかぜ(娘)も辛かろうし、児童虐待と言って差し支えないし、これでふぁぼを集めても、はるかぜ(娘)にプラスになることはない。見てくれが悪い落ちこぼれの少女が、ただひたすら母親の思い描いた理想像にお付き合いする気の毒な状態が継続しているのだから、かなり危険であり、学業をまともにやっているのかどうか児童相談所に確認して貰うべきかもしれない。
われわれ日本人は、黒人を差別していない証を立てるために、踏み絵を踏まされようとしている。田淵広子に渡されたガソリンを日章旗に撒きちらして火を放たなくてはならない。だが、われわれ一般市民は政治家でもないし文化人でもないし、それらになろうという意向も皆無なのだから、人権主義者であることを表明するために生け贄を差し出す必要もなく、公人ではない人間として言論の自由を行使できるのである。何億回生まれ変わろうと決して文化人にならないわれわれは、講演会や有識者会議で金儲けする必要もないので、政治的に正しくある必要はない。

果たして差別が人権問題なのかどうか、という疑問がある。もしくは実行行為と人権問題を切り分けるとするなら、果たして人権問題はそんなに重いのであろうか、という疑問である。黒人を奴隷船に乗せてアメリカ大陸で奴隷にするというのは、今の時代にやるとしたら凶悪犯罪である。たとえば殺人は人権問題ではない。つまり、人権問題とは歴史に対する姿勢の問題であり、誰かが歴史的に積み上げたカルマを前に、むしろ当事者でない後世の人間が当惑する事態なのである。そして(当事者がすでに死んでいるなら)歴史的な問題の重みを誰が担うのかという難問である。

なぜナチスを肯定する発言をすると、実行した人間と同じ扱いを受けるのかというのは、よくよく考えるとわからないし、「同じ」という強調表現の濫用にも思える。「セクハラ発言はレイプと同じ」と左翼はよく言うし、もしくはノンポリであっても「これは奴隷と同じ」という表現はよく使う。われわれは「同じ」という強調表現を日頃から多用しているので、このレトリックを使われると、それに搦め捕られるのである。ナチズムの名において虐殺を実行したのは(人権問題ではなく)凶悪犯罪であり、この歴史に向き合う現代のわれわれの姿勢こそが人権問題なのである。

ももクロの黒人差別の件にしても、それをかつて実行していたのはアメリカの白人であるし、ももクロがラッツ&スターと共演し、顔を黒く塗ったのは実行行為であるはずがないが、とはいえ、このような素朴な表現行為は、実際に黒人を奴隷として使役するのと「同じ」であるというレトリックが使用されるので、ももクロは文化人アイドルとして謝罪するしかあるまい。サブカルに媚びて文化人の片棒を担いできたツケが回ってきたのだろう。

だが、われわれは何億回生まれ変わっても文化人にだけは決してならないのだから、欧米の政治的正しさに反することを畏怖する立場ではないし、このあたりの人権問題については自由な意見を述べたいものである。田淵広子は、白人の犬としてももクロの黒人差別を批判するという奇妙なことをやっているわけだが、差別を実行していた白人(凶悪犯罪者)と、無自覚な日本人(人権侵害)は同じだと主張するのであれば、これは「同じ」という強調表現の濫用であると言うしかない。差別の歴史の重みという問題だが、その被害者たちの子孫、つまり歴史的な債権者が立ち現れると、文化人は(文化人としての死を避けるため)火の粉が降りかからないように避難するし、そのためには疑いを掛けられた容疑者を問答無用で断罪することも普通にやるわけだが、少なくともわれわれ一般市民が負い目を持つ問題ではないし、文化人になるつもりはないのだから、文化人として詰むことを恐れる必要もない。単なる一般市民であり、講演会にも有識者会議にも呼ばれないからこそ、政治的正しさというコードを逸脱して失脚することを危惧するはずもないし、マスメディアにおける筆禍や舌禍をやらかす立場にそもそもいないのだからこそ、綺麗事ではなく、本質的な問題について自由に書きうるのである。黒人奴隷やインディアンの虐殺など、アメリカ大陸で白人が行った蛮行を決して許すつもりはない。ももクロが顔を黒く塗ったら、あたかも指名手配犯を発見したかのように騒いでいる田淵広子の姿勢が問題であり、黄色人種が黄色人種を吊し上げて白人に突きだそうとしている不気味さである。黒人差別を実行したこともなく、その暗澹たる歴史を肯定する悪意もないわれわれに濡れ衣を着せようとする田淵広子の卑劣な行為には、多くの文化人が黙り込んでいるし、騒擾と粛清が終わり静かになるまで待つという姿勢を決め込むだろうが、彼らは講演業者のようなものなので、われわれ一般市民が言論の自由をたずさえて明確に反対しなければならないのである。われわれはももクロを擁護する立場でもないし、過去の白人の残虐行為を振り返り、鞭打たれ蹂躙された黒人奴隷たちを悼み、今日の人権社会に至るまでの経緯を歴史的に踏まえ、総合的にこの問題を考えることを望んでいる。タブーに塗れたジョーカーを誰に引かせるかというゲームではないはずだ。またこのような反日左翼は、外圧を理由として旧弊を排する自民党の手法を苗床として繁殖したものであるし、その手法はTPPという問題でも用いられているのであるから、外圧を利用した反日勢力の最たるものは自民党であることも付記しておかなければならない。
そもそもADHDというのも、よくわからないわけである。
脳障害とは言っても、解剖学的にここが壊れていると示されているわけではなく、本人の言動からの推察に過ぎない。
たぶん育ちが悪いとADHDになりやすいはずだと思うのである。
発達障害者特有の自分を曲げずに現実に体当たりしていく衝動性は、家が金持ちなら、さほど浮かび上がっては来ないであろう。
育ちがよくても、森喜朗の息子(故人)とか原辰徳の息子のように何かと悪評が流れてくる人間がいるわけであるし、どれだけ環境に恵まれていてもトラブルメーカー体質の人物はいるが、ごく普通に考えて、恵まれている人間がトラブルメーカーになる必然性は弱い。

育ちのいい人間が好かれるのは、自己のアイデンティティに不安がないため、現実に激突してぶちこわすという破壊衝動がないからである。
育ちがいいおっとりした人間がナチュラルに祝福された人間であるとすると、有村悠さんやはるかぜ(母親)のように育ちが悪い人間は、逆の意味での選ばれた人間として、自分が本当は特別な存在であるという誇大妄想を肥大させており、あちこち衝突を繰り返しているわけである。
問題はこの破壊衝動がifの世界に基づいていることであり、金持ちの家に生まれていたらお姫様になれたとか、そういう仮定の話でアイデンティティを模索しているわけである。
この現実世界に産み落とされた自分を憎悪しながらも、パラレルワールドに存在する本当の自分を信じているわけで、この因果律の認識の歪みが、はるかぜ(母親)や有村悠さんが顰蹙を買う理由なのである。

ADHDは脳のどの部位に障害があると特定して診断しているのではないから、本人の生活史のエピソードをたぐって、衝動性の強さを見ているわけである。
衝動的なパーソナリティーは「思い通りにならない」というストレスから生じるものであるし、恵まれた家庭の人間が、そういう世界認識を持つことは少ないと思われる。
家庭環境が悪いと、腹が減ったとか金がないとか即物的なストレスに加えて、本当は自分はお姫様だったという空想癖も伴いやすいから、現実を認めまいとする衝動が膨れあがりやすいのは間違いない。
またパラレルワールドを空想する体質から注意欠陥が悪化することだって考えられる。
有村悠さんの空想癖にしても、果たして金持ちの家に生まれていたら生じていたかどうかわからないわけである。
貧困の母子家庭からガリ勉で東大にギリギリ合格して、落ちこぼれ中退した人物像が嘲笑されているが、余裕のある家庭環境なら空想に逃避する必要はなかったかもしれないし、周囲と衝突してトラブルを起こし続ける毎日を過ごすこともなかったかもしれない。
われわれの人間関係は選べないように出来ている。たとえば小学校だと、家が近いとかいう理由で「友達」になったりする。中学校とか高校だと、同じ部活だということで「友達」になったりする。このあたりは半強制的である。大学のサークル活動は強制ではないが、人間関係は運の要素が大きいであろう。親も選べないし、教師も選べない。ある人が会社に入るとして、どんな人が同僚や上司になるかは選べない。ともかく、自分が配置された場所にいる人間と関わるということになるわけだ。

生徒が教師を選べないのはなかなか不思議な気がするのだが、おそらく教師は生活指導という点でモラルを体現する存在であり、ここが取り替え可能であってはならないのであろう。教師は親の代役というポジションであり、子どもが親を選ぶということがあってはならない。モラルというのが親や教師の尊厳によって担保されているからには、ここを崩すわけにはいかないのである。さすがに大学生になれば大学教授がモラルを体現するわけではないが、あれこれ生活指導される高校生までは、誰が自分の教師になるかを選択する権利が無く、それでいて学級崩壊とか、その教師の尊厳を値踏みする行為が行われることは多々あるわけである。普通に教師を選択することが出来ず、強制的に組まされる教師と尊厳の折衝をしなければならないという極めて不健全な関係なのである。反抗する権利よりは普通に教師を選べる権利があった方が健康的に思えるが、学校が生活指導の場であるとすると、今ひとつそぐわないのであろう。生徒が教師を選べないというのはさほど絶対的ではなかろうし、永遠に続くルールではないと思うが、選べないのが世界の本質なので、その選択不能性の象徴として、教師も選べないのである。自分が選んだ教師に生活指導してもらうというのは、あり得ない話ではないにしても、ここだけ世界のルールを変えても意味はあるまい。
https://twitter.com/useiou/status/565604528440238082
kakansiyou.jpg


艦これクラスタのひとたちが勝手に、有村悠さんのツイッターの使い方について議論しているそうである。ここ最近のはるかぜの状況を思わせるわけだが、有村さんは30代後半に突入しており、いまだにこのような過干渉を受けてしまう事態には慄然とさせられる。さすがに30代後半の男性を立ち直らせるのは無理であるし、悪魔的なツイートを繰り返し、「これが有村悠だ」というのだから、われわれ第三者としては手の打ちようがない。これからも転地療法のようにあちこちのサナトリウムを渡り歩くのだろうが、どこに行っても必ず同じように黒煙を上げながら墜落していく。有村さんが自分自身だと考えている「自分」が、端から見ると、ADHDに乗っ取られた怪物にしか見えないことが問題の根底にある。有村さんがネットで怪気炎を上げているだけなら放置されるだろうが、オフにまで出てくるのだから、周囲としてはネットでの暴言が白兵戦に転じる心配もするであろうし、自分が爆発に巻き込まれる現実的な危惧をもってして、何らかの干渉が必要だと考えているわけである。衝動的な言動をしている時の自分こそが本当の自分であるというスタンスを改めないのだから、艦これクラスタの人が畏怖するのも納得だが、おそらくはロックスターになった気分なのだろうから、そのデモーニッシュな勘違いは除去しがたい。有村悠さんと同席するのが恐いという女性も少なからずいるであろうし、誰が有村さんに対して「オフ会に来ると迷惑」と言うことが出来るかという問題である。頭をもがれた昆虫がその手足の触覚を頼りに甘い匂いを求めて突進していく気持ち悪い状態であるが、御本人の精神世界では、自分が全能の神になって宇宙の頂点に遊弋しているはずである。この水路付けを書き直すべきだが、そのためには空想をやめてもらう必要がある。有村さんが自ら空想という最大の好物を絶食しない限り状況は変わるまいが、生きた現実の虜囚となるくらいなら、空想と共に死のうと思ってるのだろうし、この夢遊病患者恐るべしである。
神様がサッカーをやろうと思ったら、決して22人すべてをやろうとはしないだろう。
それではサッカーにならない。
自分の右手と左手でジャンケンしても、楽しくないのと同じである。
だから、右手と左手を切り離し、それぞれ独立性を与える必要があるのである。
これによってジャンケンもサッカーも出来るわけである。
プレイヤーがそれぞれの人生を背負い、それぞれに喜怒哀楽があり、ルーザーになれば塗炭の苦しみを味わい滂沱の涙を流して悶絶することもある。
何者にもなれなかった人間として、この世界の中心から遠く離れた辺鄙なあばら屋を終の棲家とし、絶望の後半生を過ごすこともあるだろう。
そうでなければゲームとしては成立しないのである。
自分と他人というのは、神様からもぎ取られた右手と左手なのである。
右手と左手がそれぞれ独立的に行動してこそ、ジャンケンになるので、そういうことになっているのである。
また、サッカーがすべてでなければ、そこに人生を賭ける重みがないので、人生はひとつのことしか出来ないようになっている。
神様から分離され、シングルタスクしか出来ないようにさせられたのが、われわれなのである。
それでは死ぬと、まるで悪夢から覚めたように全知全能の神としての自分を取り戻すのかと言えば、それはわからない。
神様が気まぐれに、自分の右手と左手を喧嘩させているようなものだと喩えると、ゲーム終了後にその手は元に戻るような気もするが、自分の右手や左手をたくさんコピーして戦わせて遊んでいるのかもしれないし、この喩えなら、使い捨てるのが妥当である。
少なくとも神様はシングルタスクではあるまいから、われわれの現在の自我は死とともに鋳つぶされる。
神の恩寵で、現世の自我がそのまま天国に行けるということはない。
地上の楽園で美女と褥を共にしようが、宗門の道に入りディストピアで空閨を託つ人生を過ごそうが、どちらでも完全消去され無になるなら、まったく変わりはあるまい。
有村悠さんのアフィを踏んでから以下の書籍を購入しました。

量子力学の哲学 非実在性・非局所性・粒子と波の二重性 (講談社現代新書)
森田邦久
Kindle 版
販売: 株式会社 講談社

参謀本部と陸軍大学校 (講談社現代新書)
黒野耐
Kindle 版
販売: 株式会社 講談社

昭和陸軍全史 2 日中戦争 (講談社現代新書)
川田稔
Kindle 版
販売: 株式会社 講談社

昭和陸軍全史 1 満州事変 (講談社現代新書)
川田稔
Kindle 版
販売: 株式会社 講談社

新聞が面白くない理由 (講談社文庫)
岩瀬達哉
Kindle 版
販売: 株式会社 講談社

幕末遣欧使節団 (講談社学術文庫)
宮永孝
Kindle 版
販売: 株式会社 講談社


有村さんが艦これで一万円の課金をしたそうである。現在のイベントは2月23日まであるので、慌ててクリアしている理由が判然としない。普通にプレーするだけなら課金する必要がないのに課金しているのである。有村さんは貧乏なのに見栄っ張りで派手な性格なわけである。有村悠さんという人間にはキザという言葉が非常に当てはまるわけだが、「キザ」という概念はあまり考察されていない。キザだとあからさまに困るとか迷惑というわけでもないので、キザという性格を問題視して俎上に上げることは少ない。おそらくナルシストという言葉が同義語なのだろうが、キザとは要するにかっこつけるのが好きということである。本当にかっこいい人だとは限らない。かっこよくないのに格好つけるのが好きというと、狩野英孝や杉村太蔵やスネ夫が思い浮かぶわけだが、有村さんもその系統に属するのである。高校時代にサカタクというあだ名を付けられていたのも、木村拓哉みたいにキザな態度がユーモラスな印象を醸し出していたのであろう。ただ、似たようなタイプの狩野英孝と比べると、有村さんはかなり負けず嫌いという気質を含んでいるため始末が悪い。艦これに一万円課金してしまうのも、何かしらゲームに関して意地があるのだろうし、ゲーム音痴のわびしさでもあるが、艦これで暴れたり課金したりしている様子は、韓国がF1グランプリやオリンピックを無理して招致して大変なことになっている状況と酷似している。有村さんには「負けたくない」という衝動だけがあるようである。この衝動はADHDという概念で簡単に括れる。健常者なら「負けたくない」と思っても、よくよく熟慮すれば艦これで負けても構わないのだから、まあいいかと思い直すわけである。思い直すプロセスがないのが発達障害の恐ろしいところである。考え方を調整するという発想がないから、負けたら暴れて物を壊すか、課金してしまうか、もしくは鬱になって起き上がれなくしかない。これが発達障害者の直情的な気性の激しさなのである。思い通りにならない場合、健常者なら考え方を調整するのに、発達障害者は何が何でも自分を曲げず、世界が変われと暴れるのである。清原和博が現在陥っている苦境も、思い通りにならなかったら世界が変わればいいと子どもの頃から主張し、その我が儘が通用してきたからである。現役を引退しても、自分をコントロールして考え方を調整するという訓練はなされておらず、ただひたすら直情的に暴れるのだから、これでは有村悠さんと同じである。艦これで負けても構わないという考え方を有村さんに持たせるのはかなり困難であるし、ただひたすら直情的な、考え方を調節しないでゲロッと吐き出す行為を続けているのである。認知の歪みと呼ぶのは容易いが、根底にはADHDの衝動性とキザな性格があるから、なかなか常識的な思考には至らない。
BABYMETALが結成された経緯については意外と知られていない。
KOBAMETALというアミューズで閑職に回されていた男が、巨大なバイクにまたがり、奇声を発しながらさくら学院の門をぶち破ったのである。
その時のKOBAMETALは指にスカル・リングを嵌め、骸骨のシャツの上には、鋲をたくさん打ちこんだ黒いレザージャケットを羽織っていた。
縮れた長髪の中には蛇のタトゥーが彫られた凶相が浮かんでいた。
さくら学院という楽園に地獄からの使者が訪れたのだ。
そして校長室に押しかけ、校長と対面したのである。
「俺はメタルをやりたいんです。おたくの水野由結という子を使って、可憐ガールズを復活させたいんです」
そうつぶやく亡霊のような男に校長は慄然としたが、校長はさくら学院の生徒のために、出来る限り威厳を保ちながら接することにした。
「あなたのおっしゃってることは意味がわかりません。なんで水野由結がメタルをやらないといけないんですか」
だがKOBAMETALという狂人に話は通じなかった。
「可憐ガールズでメタルをやるんです」
「水野由結を加えて四人編成にするわけですね」
「年齢的にフィットする子を中心に選びたい。島ゆいかは外します。あと、ボーカルはひとりでいいので、武藤彩未は外します。中元すず香だけいればいい。中元に歌わせて武藤にダンスだけやらせると不協和音が生じますからね」
「待ってください。水野由結は武藤彩未の幼なじみで、その流れでアミューズに入ってるんですよ。武藤が連れてきた水野を可憐ガールズに入れて、可憐ガールズから武藤を外すのは無理があります」
「あくまで課外活動ということにしてくれればいいんです。可憐ガールズ復活でメタルで世界征服という野望は伏せておいて、あくまでお遊びとして始めるんです。すでにデモテープも作ってあります」
さくら学院校長はそのド・キ・ド・キ☆モーニングという曲を聴いて唖然とした。
可憐ガールズにギターサウンドを噛ませただけだったからだ。
このKOBAMETALという男がメタルで失敗して閑職に追いやられた経緯が目に浮かぶようだった。
「ともかく俺はメタルがやりたいんだよ。中元すず香・水野由結・菊地最愛の三人で可憐ガールズを復活させるのでよろしくお願いします」
「逸材を三人も使うならどんなプロデューサーでも売れますよ。確実に売れる素材を、あなたの個人的な趣味のメタルで使い潰すなんてありえない。だいたいそうやって分断されたら、さくら学院四天王の一人の武藤彩未が終わってしまう。すべての生徒を守るさくら学院校長として決して認められない。アミューズも大損害です。どうりであなたがアミューズで閑職に追いやられているわけだ」
「なんだと!」
KOBAMETALは激憤した。
これまで何度もメタル復活の野望を閉ざされてきた人生。
異端者として自分を蔑んできた世界。
その象徴がさくら学院校長に思えたのだ。
地獄の住人であるKOBAMETALにとって、遠い天上界の楽園であるさくら学院はレジスタンスの対象であった。
KOBAMETALはナイフを取り出すとさくら学院校長の胸を一突きにした。
「アイラブユー!ピーポー!」
KOBAMETALはさくら学院校長の死体を前にオジー・オズボーンさながらに叫ぶのであった。
これによってKOBAMETALの復讐劇は始まった。
KOBAMETALは校長室にガソリンを撒くと廊下に出て燐寸に火を付けて投げ入れた。
その血の色をまとい燃えさかる紅蓮の炎を背にして、新しい未来へと歩き出したのである。
校庭に出ると、避難したさくら学院の生徒が劫火の前に脅えている姿があった。
暗澹たる中世の地獄絵図の中に生け贄の少女が配置されるというメタラー好みの光景である。
KOBAMETALは水野由結の姿を見つけて近づいたのである。
「さくら学院は全焼してしまうね。これではアミューズも大変だ。君が稼いで赤字をどうにかしないといけないね」
KOBAMETALに肩を叩かれると水野由結は悄然として頷いた。
「おじさんは可憐ガールズを復活させようと考えているんだよ」
そして用意していたド・キ・ド・キ☆モーニングを聞かせるのであった。
「可憐ガールズそのままの曲ですね。武藤彩未ちゃんと一緒に武道館のステージに立つのが夢なので、やれるなら嬉しいです」
「彩未ちゃんは実力があるからソロでやっていくんだ。彩未ちゃんの代役として、君に白羽の矢が立ったんだよ」
KOBAMETALは水野由結に背を向けると悪魔崇拝者としてのほほえみを見せた。
音を立てて崩れ落ちながらも炎を吐き出すさくら学院の校舎は、まるでこれからのメタルレジスタンスを象徴しているようだった。
この時にKOBAMETALの頭の中に浮かんだのがBABYMETALというユニット名である。
可憐ガールズのパクリとはいえ、やはりまっさらなユニットとして自分の手柄にしたい。
さくら学院四天王の中で最も人望のある武藤彩未の排除に成功したのだから、実権はKOBAMETALが掌握したのである。
「これからの由結ちゃんはすべてキツネのお告げで行動するんだよ。キツネのお告げ以外のことをやってはいけない」
こうして水野由結から自由意志は奪われ、お告げのままに生きる人形になったのだ。
今や水野由結はさいたまスーパーアリーナを埋め尽くすほどのスターになったが、もはや人間ではないのである。
時折、あのもう名前も憶えていない幼馴染みと一緒に武道館を埋めるという、かつて人間だった頃に誓い合った夢を漠然と思い出して、よくわからないながらも涙がこぼれ胸が痛むのである。
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
スポンサードリンク
RSSフィード
プロフィール

ukdata

Author:ukdata
FC2ブログへようこそ!

katja1945uk-jp■yahoo.co.jp http://twitter.com/ukrss
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
アクセスランキング