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はるかぜ親子と中川翔子が意気投合しているのかどうか判然としないのだが、歴史上の真実だってわかりはしないのだし想像で補ってこそ世界は成立する。おそらくは意気投合したのだろうと思う。中川翔子のプッシュ無しにはるかぜがナベプロに入るのは考えられない。また中川翔子のマネージャーがはるかぜを担当しているのだから、やはり意気投合しているはずなのである。例の炎上騒動の時は、初期消火をせずに、主戦論を唱えるはるかぜ(母親)が参戦し、戦禍を拡大させたわけである。客観的に見れば、危険極まりない存在である。だが、たぶん中川翔子から見て、はるかぜ親子は頼もしい援軍だったのである。あの騒動の前から中川翔子は人気低下していたし、心が弱っていた。心が弱っている人がはるかぜの軍門に下るのである。同情に縋りたいという弱さが、はるかぜという病気の本質である。なにもかも世間が悪いというはるかぜ親子の思想と中川翔子が共鳴したのである。そして深い紐帯で結ばれたのである。はるかぜ親子はただひたすら同情を集める。偽善者しか集まらないから百鬼夜行のような光景となる。綺麗事が好きな妖怪が集い、虚業の悪臭が漂う。朝日新聞に縁がありそうな文化人のたまり場である。そこには本当の愛も憧れもないから、上っ面の優しい言葉があるだけで、お金を落とす人もいないのである。

中川翔子に年齢の自覚がないのが本人の勘違いによるものか、ナベプロ側の意向なのか、そこはまったくわからない。ナベプロは大手だけれども、他に売れているタレントがさほどいないので、中川翔子がエース格から降りられないという問題もあるだろう。多芸多才で将来性がありそうなイメージが辛くなってきたので、本来なら人気低下に合わせたポジションにしなければならない。この年齢的限界を巡り、あれこれジレンマや葛藤があるのだと思われる。だから世間の無理解を蒙っている受難者という物語に逃避したのである。無関心よりは憐憫を集めたいという心の弱さだったのだろうし、そこにはるかぜ親子が現れてしまったのだ。中川翔子に同情してくれる人間は増えたかもしれないが、憧れの感情などすべてこの世から消えたのである。若さを失えばほとんどの女性芸能人が憧れの対象から転落するのであり、娘盛りの時期をビジネスにしているだけである。中川翔子が特別な悲劇を体験しているのではなく、30歳を過ぎても落ちてこない方がおかしいのである。中川翔子は松田聖子が好きなはずだが、あのように若さを失っても人気が衰えないのは極めて稀であり、真似できるものではない。多くの才に溢れる作曲家が競うようにして松田聖子に傑作を提供したからこそ、その煌めくような楽曲の遺産で伝説的な存在たりえているのであり、かなり特殊な事例なのである。あれは本人の力ではなく楽曲の力である。中川翔子は終章を迎えているのであり、そもそも30歳になれば限界になるのが当然のことなのに、不定愁訴に陥って混乱しているなら珍妙な話である。30過ぎても、篠田麻里子より能力はあるであろうし、ごく普通のタレントなら需要はあると思われるので、中川翔子が目指すべきは和田アキ子のポジションであろうが、しかし和田アキ子でも「あの鐘を鳴らすのはあなた」だけは極めて名曲であり、いくら人気の実態が無くてもこれ一曲で歌手を名乗れるのだが、中川翔子にはこれに該当する決定的な持ち歌もない。歌手活動の打ち切りも決断する必要があるだろう。勝敗のラインをどこに引いているのか不透明であるが、もう若さの特権はすべて使い果たしたのであり、香り高い若木に駆逐されていく運命を受け入れられないのなら、はるかぜ(母親)の心一つで軍事境界線が決まってしまう。心が弱って同情を求めると、悪魔のささやきがやってくる。
花が咲く、風が吹く、花が散る。いかに多くの歌人がこれをテーマに詩を書き綴ったかわからないし、花に喩えて人生のはかなさを歌うのが詩歌であると言っていいくらいなのである。花には意識がないし、主体性などあるまいから、われわれの爪が伸びてはそれを切ってるのと変わりないだろうが、花鳥風月を擬人化して歌にするとして、やはり花の命こそが、その瞬間的な美しさからして、無常たるわれわれの人生に重ね合わせるのに似つかわしいのである。今年の花と来年の花は違う、とわれわれは認識しており、散りゆく今年の花は永遠に消え去ると考えるのである。残酷さを含んでいるからこそ時間がある。簡単に巻き戻せたり、もしくはいくら時間を無駄にしても永遠に無尽蔵だから構わないとなると、そこに人生の重みはまったくないであろう。この現世において、われわれは時間を売って生活していると言ってもいいわけである。経年劣化に脅えつつ、時間を投じて成果を得るのである。

道重さゆみちゃんが消えた世界において、最後の残された希望が菊地最愛ちゃんであることは論を待たない。アイドルたるべき人類愛にあふれたパーソナリティーの持ち主であり、AKBのような品性下劣さはまったくなく、どこまでも貴人として品位を保ち続ける人物であろうという信頼性は絶対である。ひとつの時代を作るべくしてこの世に生まれたはずなのである。本来なら国民的アイドルとしてドームツアーをやっている頃である。しかし、もあちゃんはなぜかBABYMETALのサイドダンサーの地位に甘んじているのである。

「そろそろBABYMETALを解散したいんです。五月からの海外ドサ周りとかあり得ないです。日本のファンの方にわたしの姿を見せることすら出来ません」
菊地最愛ちゃんは意を決してKOBAMETALの部屋を訪れたのである。
そこでは鶏やひよこが無造作に飼われており、あちこちに血塗れの潰された死体が転がっていた。
KOBAMETALは鶏をそのまま食べて生活しているのである。
この顔面に悪魔の入れ墨をほどこした狂人に文句を言うなど、そう簡単にできることではないが、もあちゃんも我慢の限界である。
「ずいぶん思い上がったものだな。この俺がプロデュースしたBABYMETALあってこそ、おまえもチヤホヤされているのだぞ」
KOBAMETALはスカル・リングを嵌めた指で鶏の首を絞め、あわれにも吐き出された血を舐めるのであった。
「SUちゃんがすごいのは認めます。あれだけ声量のある女性ボーカリストはいません。でもアイドルならわたしで充分です。SUちゃんにアイドル性は皆無です。まるでゼネコンの下請けのようなことを、わたしがやらされているのは納得がいきません」
確かにその通りであった。
中元だけは絶対にアイドルではない。
なのになぜアイドルと名乗れるのかと言えば、水野由結ちゃんと菊地最愛ちゃんにアイドル性を丸投げしているからである。
「おまえは何か誤解している。おれは中元を無理して売りたいわけではないんだ。中元はたまたま顔がオジー・オズボーンに似てるからボーカリストにしてるんだよ」
「そんなどうでもいい理由でボーカルを選んでいるんですか。でも、それならわたしと由結は外してもいいですよね」
「それだとアイドルとメタルの融合が出来なくなる。ゆいもあにアイドルの部分は任せているわけだ」
「でもBABYMETALなんてたいしたことないです。ゆいもあなら東京ドームを埋める自信があります。なぜ、メタルというニッチなところでやらないといけないのでしょうか」
もあちゃんの言い分はもっともである。
ゆいもあならいくらでも飛躍できる。
なぜ、メタルという足枷をはめられ、不自然なアイドルをやらないといけないのだろうか。
KOBAMETALはにやりと笑うと後方のディスプレイに映像を映し出した。
そこに映っていたのは、ゆいもあの裸であった。
ふたりが一緒にシャワーを浴びている姿が映し出されていたのである。
「俺が死んだら、この盗撮映像のコピーが世界中にバラまかれることになる」
もあちゃんは言葉を失うしかなかったのである。
KOBAMETALは後白河法皇に並び立つような大天狗なのであった。
水面下で今年の五月に予定されていた菊地最愛東京ドーム公演が、BABYMETALのメキシコライブにすり替わったのは、こういう真相である。
近いうちにすべてのアイドルは死滅する。
肥大したAKBは戦艦大和のようであり、秋元康はいつものように勝ち逃げしてすべてを無かったことにするし、世界最高のアイドルたるべき菊地最愛ちゃんが、その花が咲くべき時期をメタルレジスタンスの生け贄として捧げられているのだから、これで終焉を迎えなかったら不思議である。
同性愛とか無性愛とか特殊なケースは別として、正常な男性なら、いろんな女とセックスしたいと思うのは当然である。
その一方で恋愛するのが面倒くさいという感覚もあるはずである。
恋愛は無料で出来るものではなく、女に飯を奢って、その後でうまくいけばやらせてもらうということである。
だから男からして、めんどくさい、と思うのはわりと普通であるはずだ。
ただで恋愛できるなら楽しいに決まっているが、女に飯を奢るのが恋愛のプロセスに組み込まれているのだから、キャバクラ通いと似た性質のものである。

遊びたがる女は奢られる側だから、遊ぶのが楽しいと思うわけである。
タダ飯を食うのが楽しいと思うからデートするわけで、デートが割り勘だったら楽しいわけがないし、本命以外の相手はお断りだろう。
タダ飯を奢って貰うからデートが楽しいのに、なんで金を払ってデートしないといけないのか、と面倒になるはずだ。
こうやって考えると、タダで飯を食いたいという乞食根性が女の根底にあり、それが恋愛の根底なのである。

男はそう簡単に「遊びたい」とは思えない。
そりゃあ遊ぶのは楽しいに違いないが、遊べば遊ぶほど財布から一万円札が飛んでいくのであり、後々の生活苦まで考えたら慎重になるのは当然である。
男が恋愛したくないのは本音なのである。
セックスはしたいが、飯を奢りたくないのである。
決してセックスをしたくないのではなく、タダ飯を女に奢るのが嫌なのである。

いろんな相手と恋愛したいという女は、タダ飯が好きな乞食なのである。
奢られると財布も助かるし、お姫様気分も味わえる。
だからこそ女は恋愛したいのであり、仮に割り勘だったら絶対に面倒だと思うはずだし、家で寝ていた方がマシだと思うはずである。
こうなると女はフリーのキャバ嬢と言っても差し支えないのである。
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なぜか有村悠さんはここのところ金回りがいいようである。
あしなが育英会の奨学金を踏み倒しているはずだが、艦これに使うお金はあるらしい。

今やっている菱餅集めのために、3000円課金したそうである。
なぜ課金が必要なのか不思議だが、普段から資源を溜めてないのでそうなったんだろう。
バケツが底を突いているのもよくわからない。

ADHDは待つのが嫌いである。
だから修理が終わるまでの時間待ちに耐えきれずバケツを使いまくるのだろう。
普通の人は待てるのだが、ADHDは衝動性に突き動かされながら生きているので、今すぐやりたいのである。
ADHDが普通の人よりエネルギーがあるかというとそうでもない。
有村さんは鬱で寝ている期間も長いわけで、時たま起き上がるとエネルギーの固まりとなる。

才能がないのにエネルギーだけすごいという人が世の中にはたくさんいるが、彼らは本当にエネルギーがあるのではなくて、衝動性のスイッチが入ると止まらないだけなのである。
実際はすぐにガス欠になる。
健常者はマグマのように噴火しなくても、コンスタントに作業が出来る。

艦これは無課金だと100艦までしか持てない。
拡張すると10艦ごとに1000円かかるので、
保有艦が180を超えているというのは、最低でも9000円課金している。
余裕を持たせるためにたぶん枠を200にしているだろうから、
それだと10000円の課金である。

ゲーム音痴のため、最近のイベントでも一万円課金していたわけである。
無課金でもクリアできるのに一万円使ったのである。
課金しないとクリアできない馬鹿が一万円課金したのである。

たぶん今までに五万円くらいは課金しているであろう。
だからどうしたというわけではないが、ADHDがゲーム中毒になっている光景が繰り広げられているので、症例として記録してみた。
白鵬のファンは元からいないのである。朝青龍はサービス精神に満ちあふれていたから問題児でもすごい人気があったが、辛気くさい不景気な面をしている白鵬は人気など無かった。横綱になってから、取り口がズルいという不満を多くの人が持っていた。もちろん本当にズルをしているわけではないが、横綱なら普通はやらない立ち会いでの小細工を多用することに、多くの人が白けていた。しかし、なぜか立派な横綱という設定になっていた。メディアで言論統制していたわけではあるまい。朝青龍みたいにトラブルを起こすわけではないし、われわれも嘘だと知りつつ、優等生だと信じ込むことにしていたのである。われわれは普段の生活でもお互いの立ち位置については、あまり説明しないことにしている。バラエティー的なキャラいじりをすることもあるが、互いの立ち位置をメタで語ることは滅多にないのだし、白鵬に「あなたは仮面優等生やってくれればいいよ」と言葉に出しては言わない。大衆も本人も、その暗黙の了解を共有していた。白鵬を好きな人などほとんどいないのだが、不人気横綱にアンチ活動する意味がないし、われわれも黙過していた。やはりわれわれのアンチ活動のエネルギーは、チヤホヤされている人間に対しての反感である。嫉妬と解するのもいいし、ルサンチマンと呼ぶのもいいが、朝青龍がバッシングされていたのも、あの粗暴でユーモラスな人間性が観客を湧かせていたからである。最近の白鵬は憮然とした表情が目立つようになったが、それなりの期間、仮面優等生として役割をこなしていたのである。わたしもこいつの立ち位置は何か変だとは思っていたのだが、たぶんその仮面優等生ぶりは誰もが気付いているだろうし、決して詐欺的なわけではなく、相撲協会の都合に合わせてるんだし、この仮面を剥いで真実の素顔を暴き立てようという情熱は起こらなかった。白鵬は人間性の設定が八百長だったのである。白鵬の悪口を言うのがタブーだったわけではない。告発するような問題ではないし、彼の立ち位置の窮屈さを見やりながら、そらぞらしい思いをしていただけだ。日本人が弱すぎて、稀勢の里くらいしか白鵬とまともに戦える力士はいないのであり、11勝35敗だから、稀勢の里の方が弱いのは確かだが、まったく歯が立たないわけではない。日馬富士の17勝30敗が最も白鵬に対して健闘している数字であるし、横綱の鶴竜は4勝35敗で一方的にやられているのだ。稀勢の里をやたらと応援するのは観客として当然だと思うのだが、だんだん白鵬の怨嗟が積もり積もったようである。それが爆発したのが、あの不自然な取り直しだが、根本的に白鵬が不人気であり、われわれが仮面優等生として、白鵬を表面上リスペクトしていただけなのである。優等生が仮面なら、われわれのリスペクトも仮面だったのだ。人から好かれようなんて奴隷根性であるし、嫌われ者でいいのだが、白鵬の場合、嫌われ者として居直っていたわけではなく、相撲協会のために仮面優等生をやっていたから、いろいろ矛盾や葛藤を感じているはずである。やくみつるが悪い。あいつの所為で、嘘でもいいから優等生をやってくれと白鵬に要求することになったのである。まったく有徳者でもない人間が、大衆も含めた暗黙の合意の元で優等生という仮面をかぶってきたのだから、そろそろ無理が生じてきたのだろう。本当の人格者なら、日本人力士の弱さを嘆いている好角家の心情に配慮し、稀勢の里をライバルとして持ち上げてみせることもするだろうが、白鵬はあくまで仮面優等生だから、そんな心の余裕はない。さすがにこいつが生涯を通して優等生とか無理あるし、それも含めて、最近の暴君的な言動は、仮面優等生という欺瞞を暴き立てるトリックスター的な行動と見ることも出来る。
鞘師里保はサンジェルマン伯爵に呼ばれて山荘を訪れた。
モーニング娘。は不人気のため今年いっぱいで解散するのは確実だが、その元凶であるつんくを排除する計画のためである。
しかしサンジェルマン伯爵は鞘師里保を見ると浮かない表情を見せたのである。
「鞘師里保よ。事情が変わったのだ。佐藤優樹が天才だと発覚した。佐藤楽曲で最後の勝負をすることにしたのだよ」
佐藤が作曲に打ちこんでいることは鞘師も知っていたが、曲は聴いたことがなかった。
「そんなにすごい曲なんでしょうか」
「現段階ではすごくない。だが、音楽の基礎がしっかりしているし、かなり可能性を感じる。かつてわたしがリヒャルト・ワグナーと名乗っていた頃でも、15歳であれは作れなかった」
「佐藤は作曲家になりたいわけではないでしょう」
「だからいいんだよ。佐藤はワナビじゃないんだよ。作曲家になる夢など無いのに、ただひたすら曲を作っている。あいつは絶対音感もあるし、ピアノもなかなか上手いし、ドラムも叩ける。演奏スキルもかなり有望だ」
「佐藤楽曲でモーニング娘。を立て直せるんでしょうか」
「佐藤が傑作を生み出すまであと何年か掛かるだろう。その前にモーニング娘。が潰れてしまう。そこで、わたしがギタリストとして参加する案を考えた。佐藤楽曲が未完成な部分はわたしのギター演奏で補う」
「なるほど。まあいいんではないでしょうか」
鞘師里保は何となく頷いた。
元々はサンジェルマン伯爵の悪魔的な大傑作をやるはずだったが、佐藤が本当に天才ならそれはそれで面白いだろう。
サンジェルマン伯爵は透き通るような白い肌をした金髪の美少女であり、彼女がギタリストとして参加するなら、かなり有力なメンバーであるように思えた。
楽器担当なら鞘師のセンターを脅かすこともない。
「わたしのギターの腕は信用してくれ。かつてSteve Vaiを指導したこともあるが、少なくともあいつよりは上手いつもりだ。だが、わたしが参加するにはひとつ条件がある。鞘師里保よ、そなたは芸能界を今すぐ引退しろ」
唐突に思いもしなかった要求をされて、鞘師里保は言葉を失うしかなかった。
「悪魔は代償を求めるのだよ。犠牲が必要だ。鞘師里保が引退するという犠牲があれば、わたしがギタリストをやる。まあ強要はせんから、そなたが拒否するならお流れだ。つんく楽曲で突撃して轟沈するがいい」
「サンジェルマン伯爵の力はどうしても必要です。モーニング娘。に力を貸してください」
「だから鞘師が引退すれば、わたしは何でもやると言っている」
「わたしが引退したらマイナス材料です。伯爵がプラス材料でも相殺されるじゃないですか」
「センターは牧野真莉愛でいく。あいつはアイドル属性かなり強いし、鞘師みたいなちんちくりんと違ってスタイルもいいからな」
「確かに牧野はいいですよ。いつかはセンターになると思います。でもこの鞘師里保がセンターでないモーニング娘。なんてありえません」
「その鞘師がセンターだと今年で潰れるんだよ。そなたが潔く引退すれば、モーニング娘。は救済される。万が一の場合は、わたしの悪魔の力で延命させる。今年で終わりにはしない。おまえが引退すれば、モーニング娘。のみんなが幸せになれるんだ。モーニング娘。のために引退してくれ」
「いやです。自分が解雇された後にチームが優勝しても嬉しくないです」
「エゴの極みだな。実は今回の計画は道重さゆみちゃんも賛同してくれているのだよ」
サンジェルマン伯爵の後ろには、いつの間にか道重さゆみが立っていた。
その表情は、先ほどのサンジェルマン伯爵の言葉を肯定していた。
「道重さんひどすぎます。わたしを排除してモーニング娘。延命とかあり得ないですよ」
「もちろんわかってる。でも伯爵は代償が必要だって言うの。鞘師がセンターだからこそ、生け贄として価値がある。芸能界からすぐに引退して欲しい」
「わたしは絶対に引退しません。それでモーニング娘。が終わるとしても構わない」
「モーニング娘。のためになるんだよ」
「人に認められたい女の子が集まっているのがモーニング娘。です。道重さんだって、人に認められたくてやっていたわけでしょう。わたしもそうなんです。どうしても認められたい。認められてから死ぬならいいけど、無名のまま死ぬのは耐えられないです。わたしの考えはおかしいでしょうか。認めて欲しくて頑張ってるからこそアイドルではないでしょうか。道重さんのファンだって、道重さんみたいな類い希な美人が、モーニング娘。という泥船に乗りながら、正統派アイドルとして認められるために頑張ってる姿を応援してたんです。バラエティー番組で頭からローションをかぶっていた道重さんだからこそ、シンデレラになりたいという強い欲求があり、そこに共感してたんです。確かにわたしがセンターをやっているせいでモーニング娘。は今年で終わります。広島アクターズスクールにいた頃に、中元すず香だけアミューズに優遇されていて、わたしは黙殺されてましたが、いつかアミューズが後悔するだろうと思ってました。しかし、今の現状を見れば、アミューズが正しかっただけなんです。モーニング娘。とBABYMETALの格差を見れば、それは明らかです。でも、わたしは、中元すず香にひとつだけ勝っている自信があるんです。どうしてもアイドルとして認められたいという強い願望を持っていることです。このままでは死んでも死にきれないと悶絶していることです。これは中元のような天才にはわからないでしょう。中元は人から認められることに飢えてないし、マイペースでやってるだけです。わたしが素材として劣っているのは間違いないです。でもわたしは本当に認められたいんです。人から認められたいという渇望なくしてはアイドルたり得ないというのは、わたしの思いこみでしょうか。まるで趣味のようにマイペースでやっている中元がアイドルと言えるでしょうか」
鞘師里保は中元すず香への劣等感をぶちまけ、そして自分の中のもやもやの正体に気付いたのである。
シンデレラストーリーの渇望こそがアイドルの本質であるはずだ。
確かに中元すず香の実力はすごいかもしれない。
だが、のんびりとマイペースで天賦の才を開花させているのだから、そこにアイドルとしての情熱があるわけもなく、老人が盆栽をやっているのと同じなのである。
「さゆみは鞘師の言ってることは本当に正しいと思う。モーニング娘。は決して、アミューズみたいに選ばれた人間の集まりではないけど、ほんの一瞬でも認められたいと思って命を賭けている。鞘師がそこまで言うのなら、サンジェルマン伯爵の力を借りずに自分でやっていいと思う」
「でも道重さんの卒業で動員力を失ったモーニング娘。をわたしが支えるのは無理でしょう。今年で終わるというのは確かだと思います」
道重さゆみに自分の考えを肯定して貰っても、鞘師の心は晴れなかった。
絶対に芸能界引退はしたくないが、自分の我が儘でモーニング娘。を終わらせるのも後ろめたい。
そこに口を挟んだのがサンジェルマン伯爵だった。
「わたしから提案をさせて貰おう。鞘師里保の引退を条件としていたが、この条件の変更は受け入れる。道重さゆみちゃんの肉体なら、それだけの価値はある。ビジネス百合だと疑われている鞘師里保との関係。それがビジネスではないと、ベッドの上で証明し、その映像を世界中に公開するのであれば、代償として認めるし、わたしもあらゆる協力は惜しまない」
「さゆみでいいならやります。そのかわりモーニング娘。を助けてください」
「待ってください。なんで道重さんがそんなはしたないことをするんですか。誰からも聖女として崇められている道重さんの肉体を辱めるなんて、そんなの絶対にあり得ません。わたしが芸能界を引退した方がいいですよ」
「鞘師里保よ。そなたはわたしの提案をちゃんと聞いたのであろうか。道重さゆみちゃんにAV男優と寝ろとは言ってない。道重さゆみちゃんと鞘師里保で本気の性行為を行い、それをビデオで記録して、全世界に公開すると言っているだけだ。あのピンクのシャツを着た道重信者も、鞘師里保とのセックス映像が流出するなら、歓喜の声を上げるだろう」
「道重さんはわたしのことなんか好きじゃないですよ。すべてがビジネス百合です。横浜アリーナで唇を重ね合わせたのも、会場を盛り上げるための手段だったんでしょう」
鞘師里保はうちひしがれていたが、いつの間にか奥の部屋に導かれていた。
サンジェルマン伯爵がカメラを構える前で、道重さゆみが服を脱いでいく。
「道重さん。本当にそんなのはやめてください。こんなわたしみたいな売れないアイドルとやったら道重さんが汚れます」
だが道重さゆみの裸身を見ると、鞘師里保も目を奪われるしかなかった。おそらく世界の誰もがそれを夢見るであろう一糸まとわぬ姿が目の前にあるのだった。この聖性に触れる資格などないことはわかっていたが、鞘師里保の中で膨れあがる欲望は理性を踏みにじり、まるで夜盗が女に襲いかかるように、道重さゆみの華奢な躰を抱え込み、白い素肌に吸い付いたのであった。ベッドに押し倒された道重さゆみは鞘師里保の背中に手を回し、襟足に舌を這わせながら服を脱がせていった。その絡みついて焼けるような熱さは、自分が特別に寵愛されているという感覚を鞘師里保に与えた。もうこれ以上の記述に意味はあるまい。決して怠惰から筆を省くのではない。道重さゆみと素肌を重ね合わせ、お互いに骨の髄まで貪り合うことは、どのような言葉でも表現できまい。性を知らない無垢な少女である道重さゆみが、今こそ鞘師里保と本当の意味で巡り会った。床上手な美女もいいであろうし、それを表現するなら通俗的な言い回しで足りるが、道重さゆみが性に目覚める瞬間となると、ただ単に美少女であるだけでなく、歴史上類い希なる賢明さを持った人物が、ずっと畏れていた未知なる甘美さに触れ、その熱さに陶酔し溺れていく様子を書かねばならない。誰も見たことのない超越的な世界の具現、千年王国であり大日如来の曼荼羅世界、それを現す単語があるはずもない。だが、そのような永遠たる楽土を鞘師里保はまさに自らの肉体で経験したのであり、もはや道重さゆみの百合がビジネスだとひねくれることも出来なかった。
「いやあ、素晴らしいものを見せて貰った。ここまでの本格的な百合を見せられたとなると、わたしも本気で取り組まなければならない」
行為が終わって惚けていると、サンジェルマン伯爵がベッドの横に立っていた。
「この撮影したビデオはわたし個人の宝物として門外不出にする。世間の期待に応えないのが悪魔だからな」
「ああ、そうしてくれるなら有り難いです」
「つんくを追放するのはわたしがやっておこう。佐藤楽曲で勝負を賭ける。そう言えば、中元すず香はシンガーソングライターになりたいんだよな。これに関しては完全なワナビだぞ。あらゆることを何も言わずに実現していく中元が口に出すのだから、作曲なんぞ何もわかってない。中元は直感で閃いていることは何も言わずにやる。作曲に関してはセンスの欠片もないから夢を語るんだよ。中元が現段階で作曲してないのは、作れないと断定していいんだ。佐藤優樹こそが本物であるのは間違いない。つまりモーニング娘。は、自ら天才作曲家を抱えているという点においてBABYMETALを凌駕しているのだよ。あいつらは他人が作った曲を歌ってるだけだ」
われわれの社会は約束で成り立っている。
裏切りがあるからこそ、約束を取り付けることが必要なのである。

貨幣というものを考えて貰いたい。
後で払うと言って踏み倒されると困るから現金を使っているのである。
この現金は情報として絶対性があればよい。
絶対的な情報として通貨があればいいのだから、誰もがカードでお金を管理して、紙幣や硬貨が存在しない未来は普通に想像される。
現金というのは概念なのである。
お遊びではなく、それこそ現金を払うというのは、命を差し出すのと同じくらいの重みがある。
瞬間的に借金をして返済しているのが現金払いなのである。

払うと言って夜逃げするなら意味があるが、現金で払っておいて、その後で夜逃げしても意味がないわけである。
一万円札が移動していく仕組みであるのが、経済の難しいところなのである。
踏み倒しを許さない仕組みであるが、それがゆえにギリギリの自転車操業なのであり遊びがないのである。
売掛金・買掛金が商売で多用されるのは、さすがにすべて現金払いだと無理なので、多少の時間的余裕を与えているわけだが、本当に余裕があるわけではない。

世の中に貨幣のストックがあって、それを切り崩して商品を買っていると考えているなら、これは明らかに間違いである。
わたしが一万円使えば、その一万円は誰かの所得になるのだから、まったくお金は減ってないのである。
一万円札が移動しているだけであるから、貨幣というのは、交換原理の約束をしっかり守る保証なのである。

商品に付いている価格と労働者に払われる賃金は、同じ通貨なわけである。
これはもちろん偶然ではなく、一万円札がぐるぐる回っているからである。
生産に使う一万円札と、消費に使う一万円札は同じであり、それが回転しているのだから、お金が入ってはすぐに消費で消えていくのが資本主義の原則なのである。
等価交換であるからこそ、ギリギリの自転車操業になるのである。
ゆいもあが超多忙なのに、中元すず香が何もやってないのは人気がないことに他ならないのだが、センターのボーカリストが最も不人気というのはなかなか不思議なことである。中元すず香は初見だとかなりの美人に見えて、でもよくよく見るとあまり美人ではないと気付くので、あの超越的な美はどこに消え失せたのかという失望と共に興味を失うという問題もある。中元すず香が道重さゆみちゃんに似ていると主張する人間がいて、確かに初見だとそういう印象を持つのだが、やはりよくよく見ると、道重さゆみちゃんの女の子らしいコケテッシュな骨格からはほど遠い。中元はいかにも無気力な人間である。極めて意識が低い人間であり、中川翔子のような意識の高い人間とは対極なのである。現在では失墜しているが、中川翔子に人気があったのは意識の高さゆえである。いかにも可能性の余白がたくさんありそうで、その無限なる若さの中で理想に近づいていくというベクトルの力強さである。あれだけ頑張っているのだから、いずれは理想の人間になるというオーラである。このオーラがゆえに中川翔子は人気があったのである。ではなぜ中川に人気がなくなったのかと言えば、なんか30歳になっても、鈴木奈々と大差ない出来映えであり、さすがに未来に期待するのが無理になったからである。ネットで炎上する前から興味を失われていたのだから、ネットのせいにしてはいけない。中川翔子が、容姿、才能、知能に恵まれていたのは、決して幻想ではあるまいし、父親譲りの優秀な遺伝子は間違いなくあったはずである。それに加えて貪欲な意識の高さもあった。中元すず香は本当にやる気がなくて、実際寝てばかりいるが、とはいえ、その歌唱力は海外でも高く評価されている。骨格があんまり女子らしくないのに初見では美しく見えるのは、限界まで絞っているので、等身の高さも含め、見映えのする容姿になっているからである。女の子としてはまったく可愛くないが、貴公子然とした超越的な美しさを持ち、並外れた歌唱力も持っているのである。ビブラートが使えないので、歌い方に関しては賛否があるだろうが、女子でこれだけ声量があるのは他にいない。無気力な人間が、最初から最高の状態に仕上がっている様子は、一欠片の夢も無いので、だから共感されないのである。中元すず香はかなりおっとりとした性格であり衝動性が低いから、トラブルを起こすタイプではなく、その意味では安全な物件なのだが、本当にやる気がないし、中川翔子や小保方さんのように、人に夢を見させる力がないのである。小保方さんはたいへんな問題を起こしたが、あれこそアイドルなのである。中元はアイドルではないが、小保方さんはアイドルである。中元すず香に夢を見ることは出来ないが、中川翔子や小保方さんに夢を見ることは出来た。中元すず香には夢がないのである。中元が本当に一日中寝てるわけではあるまいし、最高の状態に仕上げるための作業はしているのだろうが、たぶん努力している自覚は皆無である。なんら苦痛を感じないで成し遂げている様子が、あまり好ましくないのである。中川翔子が「自分はこんなに頑張っている」というのは何十億回も聞いたし、それが人気の原動力だったのである。中元が「自分はこんなに頑張っている」というのは聞いたことがない。何ら苦痛を伴っていない様子が共感しづらいのである。努力が苦痛であるという通俗的な大前提が、中元にはない。苦痛こそが努力の本質なのだから、中元はまったく努力していない。中川翔子は世間一般の人と同じく、苦痛としての努力はしていたのである。エア努力の要素もあるにせよ、苦痛はたくさん味わっていた。それに対して、中元すず香は何の苦痛もなく成し遂げている。苦痛こそ努力であるのだし、中元は苦痛を感じてないから努力してないのである。なぜ努力が苦痛でなければならないのか、と言えば、それがアイドル性だからである。ニュートンというアスペルガーが「数式見るだけでアレルギーで、物理の勉強なんて嫌だ」と言うことはないだろうが、嫌いな数学をやってこそ血の通った人間的な努力なのである。アイドルに歌やダンスの完成度を求める人はいない。嫌いな数学や物理を頑張ってやっている様子がアイドルなのであり、ニュートンみたいに本当に微分積分の手法を確立したり、万有引力の法則を発見したりしなくていいのである。中川翔子が「こんなに頑張っている」とアピールしていたのは、数学の問題を見て解法が閃かない人間ならではの特徴であり、まさにそれこそ人間である。中川翔子が30歳になって特に何も成し遂げてないのは、要するにチンプンカンプンだったのであろう。小保方さんだって早稲田の一般入試が無理なのだから、理研では何もかもがチンプンカンプンだったのである。だが、われわれが中川翔子や小保方さんに夢を見たのは確かであり、それに対して、中元すず香を見ていてまったく面白くないのも確かである。中元は問題を見たら解法が閃いてしまうので、他者が夢を見る余白はない。やはり中川翔子や小保方さんのようにチンプンカンプンな状態で見当違いの夢を追い求めてこそ、そこには輝きがあり、自己が啓発されるのだし、意識の高い未来が無限に開けていく予感があるのである。
われわれが使っている道具は基本的に身体の拡張と言える。人間が千里眼を持つことは出来ないが、視覚の拡張は出来るわけであり、あちこちに監視カメラを置くことは出来る。カメラがなければ、目撃者以外は誰も見ていないわけで、過去の出来事の映像は完全に葬り去られる。

この世界の過去の映像が痕跡を残さないのは不思議であり、われわれは文献や考古学に頼るしかない。遠い星から見れば昔の地球が見えるとしても、それはナンセンスであるし、ともかく過去の映像や音声の痕跡は残ってないのである。なんか知らないが、神様がそのように設計したのであろう。どれだけ悪事を働いても目撃者がおらず、証拠も残さなければセーフである。視覚が過去に遡らないからこそプライバシーがあり、それによって個人が成り立つのである。どれだけ科学が進歩しても、遠い昔の地球の映像を見るのは不可能だと思われる。生物が視覚として見なければ、その風景は存在しなかったのも同然なのである。だがカメラや録音機は身体の拡張として、目撃者としての役割をこれから果たしていくわけである。過去には遡れないが、世の中を監視カメラで埋め尽くせば、それ以降の時代はすべて視覚的に記録される。

晒しという行為がある。普段なら見て見ぬふりをする出来事を晒すわけである。現場で目撃したら黙って素通りするのに、ネットで見かけたら全力で攻撃するわけである。それが勇気か臆病かという議論は、正義感が発達障害という問題もあるので、あまり意味がない。見て見ぬふりが倫理的に醜く、介入する正義感が倫理的に美であるというわけでもあるまい。ともかく、見て見ぬふりをするのが正常な行為である。正義の味方として剣を鞘から抜いて斬りかかるのは異常性である。

晒しに関してはなぜか異常性とは認識されないようである。勇気という問題だけでなく、それよりは恥の要素が大きいであろう。正義の味方として飛び込んでいくのは、対面だととても場違いな恥ずかしさであるが、ネットを通してなら恥ずかしくない。それに、晒しというのは、われわれがわざわざカメラを持って撮影してるのではなく、不謹慎な人間が仲間内しか見てないつもりで自慢げにネットにアップしたものを、誰かが晒して拡散し、群衆もそれに乗っかるのである。路上ではわれわれはバラバラにされており、連帯する気はひとつもないのに、匿名の群衆としては、たやすく連帯出来るのである。

ワル自慢による炎上はたくさんあるのに、正義君が「こんな悪い奴らがいた」と自ら撮影しに行って悪事を晒しているのはあまり見かけない。むしろそのような正義が叩かれることもある。探偵ファイルなどは、わりとそのような正義君の典型であるが、さほど支持を受けているとは言い難い。まったく支持されてないわけではないし、対象が極悪すぎればさすがにそいつが叩かれるのだろうが、たいていは探偵ファイルの方が悪印象を持たれる。

やはり悪人が自分からワル自慢してくれると、これは自爆であり、誰かが主導する正義ではないので、正義論に悩むことなく、拡散され叩かれることになる。探偵ファイルが自分で撮影に行くと駄目なのである。

正義による連帯が起こらないのは健全さと言ってもいいのだが、公務員が一般市民に嫌がらせをする場面を見たとして、そこに無関係の一般市民が何十人も集まって正義として口を挟めば、横暴もなくなるであろう。正義というアスペルガー的な精神を嫌悪するのは正常ではあるのだが、これが権力者に好都合になっている。カメラもネットも安価で用意されているので、われわれが身体を拡張し、探偵ファイルになるための道具は用意されているが、心理的抵抗がかなりあるようである。マスゴミのカメラマンは「仕事だから」と言って匿名性を確保できるが、われわれが同じことをやると、自らの意志に他ならないから、責任を負わされ、こっちも報復で晒されるという問題もある。これに関しては、自分の匿名性を維持した状態で監視カメラにアクセスできるかがポイントになるかもしれないし、技術の発展によって身体の拡張は進み、人間の在り方も組み替えられていくのである。
ある人が実存主義者であるかという議論はほとんど意味がない。
なぜならこのわれわれの世界と歴史が実存主義的だからだ。
ハイデガーが実存主義者と呼ばれるのを嫌がったのは、サルトルと一緒にされたくないというのが大きいだろうが、実存主義者であろうがなかろうがどっちでもいいのである。
世界に投げ込まれ、それを主体的に存在了解しているという二つの側面は「存在と時間」に描かれているのだから、受動性と能動性のどちらかに固定して考えるのは無益である。
いつの間にかどこかの世界に産み落とされて何らかの役を与えられ、それを主体的に生きるしかないのだから、世界の構造そのものが実存主義であるし、それは紛れもないのだから、肯定するとか否定するとか、そういう態度決定に大きな意味はない。

時間の一回性の中で生きているから事実はひとつである。
未解決事件はたくさんあるわけだが、事実はひとつである。
これは事実が客体として素朴に実在しているという意味ではない。
宇宙が素朴に実在していて、それが人間精神という鏡に素朴に映し出されるというわけではない。
認識と対象の合致などない。
そのような素朴さではないのだが、しかし世界内存在として事実はひとつなのである。

われわれはこの世界の枠組みの中で他人に出会うわけである。
われわれはそれぞれの役割を演じて、その役割として他人に出会う。
本当の意味での素顔というのはない。
たとえば親子関係でも「親」と「子」という前提があっての人間関係である。
親と子という立場を取り払った状態というのはないのである。
ハイデガーはあまりこういう社会的関係については述べていないが、たとえば警察官とニセ警察官は事実として区別できるのである。
これは力の問題である。
もしくは実効支配の問題であろう。
正統性をどこまでも問わずとも、事実は事実なのであり、それが歴史である。

ハイデガーは不安という言葉を多用するが、つまり、われわれはいつも自分の心配をしていないといけないのである。
自分の人生を他人事と考えようとしても、腹が減るとか、女とやりたいとか、金策の問題であるとか、暗い未来の話であるとか、それらが強制的なイベントとして迫り来るのである。
たとえば徴兵されて戦地に赴いて、本当に戦うとして、その一連の動作を、すべて感覚をオフにして行うことなど出来ず、飢えたり、喉の渇きや、行軍による肉体的な苦痛にしても、あらゆるものが全力でやってくるのである。
サバイバルゲームをやって疲れたから休憩するというわけには行かず、お遊びではない自分の人生として、退避することも撤回することも出来ずに戦わされるのである。
死んだら苦痛から退避は出来るが、自分自身が消えるという問題である。
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