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われわれは関心を共有することで世界に共同存在している。その場に居合わせるひとたちと関心を共にしなければならない。物が交換されると市場となるように、人間が接すると世界なのである。満員電車に押し込まれたひとたちは、アーヴィング・ゴッフマンがいう儀礼的無関心を貫いており、狭い空間にひしめき合いながらも素知らぬ様子を貫いているが、コミュニケーションが期待される空間でそういうわけにはいかない。場を生成しなくてはならないのだ。ADHDは気が散っているから関心の焦点が合っていない。ひとびとの注意や関心がひとつの像を結ぶことが期待されている時に、ADHDは一人だけぼんやりしているのである。これは悪事とは別の問題である。注意欠陥で交通事故を起こせば悪事となるだろうが、ぼんやりしている程度であると、悪事というわけではない。何かしらズレがあり、周囲と咬み合わないだけであるから刑務所に送るわけにはいかない。なにをやってもチグハグな人を悪意に満ちた凶賊と扱うわけにはいかず、地獄で獄卒にいたぶられるべきとも言えないが、やはりADHDは酔っぱらいと言うしかないのである。昼間から酒を飲んでいるような状態。これも文字通り本当に飲酒していれば悪いと言えるのだろうが、ADHDは酒を飲んでないのに酔っぱらいなのだから悪事とは言い難い。ぼんやりしているのは、他者に注意を向けて関心を共有することを拒んでいるのだから、一人だけ酔いつぶれて正体不明なのである。ADHDは面白がる天才であるがゆえに天才にならない。どのような愚かしい些末な夾雑物でもADHDは笑うことが出来るし、自分だけでお祭り騒ぎになってカタルシスを得る。そんなに楽しいのになぜADHDの人生が塗炭の苦しみになるのかと言えば、一人ではしゃいでる状態が顰蹙を買うからである。空疎な歓喜があるだけで、そのカーニバルが終わった後は狂躁の残骸しか残らない。やはり酔っぱらいなのである。いかにも楽しそうにネットに大量投稿する人がどこにでも必ずいるが、アル中かADHDかどちらかである。面白がるのが悪事であろうかというと悪事ではないだろうが、やはり酔っぱらいなのであるし、自分が面白いことが他人も面白いかどうか考えることもないから、悪目立ちを繰り返して蛇蝎のごとく嫌悪されるのも自然である。「酒など飲んでない」と反論されても困る。抜け目がない人間とは対極であるからイノセントと言えないこともないし、迫害される無辜の民という自意識を持つこともあるが、その盲いた生き方はアル中と同じなのだから脳障害と呼ぶしかない。地獄には堕ちないとしても賢明さを欠いているのは間違いなく、何をやってもちぐはぐな人間を有徳者とは言わない。
はるかぜ親子は今年の一月あたりにツイッターを消したが「ナベプロに移籍しました」と二週間くらいで戻ってきたわけである。
ツイッターはアカウントを消しても一ヶ月間は復活可能なので、その間に粘ったと思われる。
裏側がどうなっているのかはまったく不明であるが、マネージャーが厳しい方針を決めてもはるかぜ親子が「しょこたん助けて」と泣きついて覆していたというのがわたしの想像である。
このところ中川翔子とも共演がなくなったので、さすがに距離を置かれたと思われる。
今回ブログに移行となったのは、中川翔子が助けなかったから、マネージャーの意向が通ったのだと思う。
タイミング的に、進撃の巨人のコンサートの件でつまらない弁解をして炎上しそうだし、しばらくはツイッター禁止にしたいというのもあるだろう。
ほとぼりが冷めたら舞い戻ってくる可能性は充分にある。

この親子は善悪の観念はあるが、常識・非常識という観念がまったくなくて、それによって他人との衝突を繰り返している。
アンチから被害を受けていると言っているのは狂言の部分が大きいが、どこかしら本心なのである。
顰蹙を買う言動をしてもまったくおかしいという自覚がないらしく、完全な冤罪で非難されていると考えているようだ。
悪事とは別枠の非常識という問題がなかなか理解できないようだ。
極貧家庭というわけでもなさそうだが、貧困の部類には入るであろうし、その階層特有の品性の欠落がある。
恵まれた家庭環境の人間なら上品に振る舞うわけだが、それと真逆だとDQNになるのはよくある話である。
この親子は悪事を働くタイプではないので、非常識さが悪目立ちする。
いわゆるワルだと他人の隙を窺っているし、周辺世界への観察眼はあるわけである。
この親子はワルとはまた違うので、周囲が見えてないしズレている。
普通の人なら遠慮がちに振る舞うところでガツガツするし、はしたないと言われることを平気でやる。
はしたないのは悪事ではないし、品性の問題であるが、どうやら品性という観念を持ってないらしい。
善悪が判断のすべてで常識・非常識はないのだから、これは困った問題。
自己欺瞞が強くて、自分で自分を騙しているタイプだから、現実を認識させるのも困難。
先日の彩未ちゃんのライブをさくら学院の子が見に来たというので、やや意外な気がしたのである。TOKYO IDOL FESTIVALにも、さくら学院と武藤彩未ちゃんが出るのだが、なにかしら武藤-水野寄りの人間の反動的な動きにも思える。国土を恢復しようというひとつのレコンキスタであり宗教戦争であろうが、さくら学院校長になったつもりのKOBAMETALからすれば、武藤-水野が何かをやるのは、コミンテルンの紅旗を掲げた極左冒険主義者が火炎瓶を投げているのと同等の破壊活動であろう。時間も空間もない無から有象が立ち現れ、それがまた無に帰る力学である。正統と異端が判然とせず、誰が容喙し僭称しているのかわからない力の世界。さくら学院はあくまで重音部(中元すず香)が支配しており、バトン部(武藤彩未)は磊落を極めている。彩未ちゃんがゆいもあと共演を希望しても断られていたわけである。現状のさくら学院はKOBAMETALの麾下にある。ゆいもあと彩未ちゃんの共演を拒否するのは、この地球上にKOBAMETALしかいない。重音部が成功案件でバトン部が失敗案件なので、重音部に優先権があるのは当然であるとはいえ、水野由結ちゃんに彩未ちゃんの宣伝すらさせないというのは解せない。渋谷公会堂の彩未ちゃんのライブにも中元は来なかったし、裏事情は察しが付く。ゆいもあは来たけれども、その画像などは禁止でありコメントも出されていない。つまり観客として見るのは勝手だが、宣伝は禁止ということだ。アミューズキッズの流れはあまりよくわからないのだが、おそらく武藤・水野・佐藤・飯田は幼少期からの関係であるはず。中元すず香は当時アミューズと提携していたアクターズスクール広島経由である。もあちゃんはちゃおガール経由で、今はこっちが主流ながらも、元々は傍流と思われる。もあちゃんが中元に対して過剰にフレンドリーに接していたのは、浮いていた中元への配慮もあるだろうし、また武藤-水野の派閥が強いので、そことは別のところで人間関係が生まれたと思われる。もあちゃんもいろいろと反省したのか、このところは武藤-水野に擦り寄っていて、中元から離反しているが、アミューズの決算資料では三吉・松井がさくら学院の代表という扱いであり、この不自然さはKOBAMETALの意向であろう。人気ファッションモデルである三吉・松井としてはさくら学院のイメージは付けたくないはずだが、KOBAMETALという暴君が中元の代わりに三吉・松井を立てたのである。さくら学院の顔と言えば、どう考えても水野由結ちゃんであるだろうに、KOBAMETAL+中元すず香としては武藤-水野グループは排除したいのであろうし、ついでにもあちゃんも巻き込まれて廃嫡の扱いである。水野由結ちゃんが表紙から消されたさくら学院は、日本から日本人がいなくなって朝鮮人しか住んでないような世界である。武藤-水野を分断するためにいろいろ工作しているのだろうが、中元と水野は一貫して仲がよくないし、三吉と松井も本人が嫌だと思うので、これはKOBAMETALの暴政に他ならない。さくら学院にこだわりのあるOBといえば、武藤-水野ともあちゃんであるが、ここは賊軍の扱いであり、あくまで中元が官軍なのである。中国皇帝は易姓革命により支配者が変わるから、乗っ取ればそれが正統なのだし、チンギス・ハーンがユーラシア大陸を蹂躙していた13世紀にはモンゴルが支配したわけである。フビライ・ハーンの元王朝は正統であるし、中国としてはこれが当然なのだ。力による皇位の簒奪は正義である。天皇制は万世一系であり世界最古の王朝であるが、武藤・水野・菊地を排除して新しいさくら学院の王朝を作るのは、いかにも日本人らしくないので、アミューズらしいと言える。深山幽谷の地でひとりのゾロアスターとして思想を深めているもあちゃんがいずれ人類愛を説くために世界史に現れる時をわれわれは待ちわびているのであり、現在の重苦しい沈黙は、来るべき最終大戦に向けて超人が羽化するための端境期であろうと考えるのだが、それは終の棲家で死を俟つだけの窮民が生み出した夢想かも知れず、KOBAMETAL+中元すず香が真っ黒に塗りつぶした大地が浄化され、金色燦爛たる煌めきを放つ瞬間が来るかどうかは杳として知れない。どれだけ生活の利便性が増そうとも人類はすでに頭打ちであり、BABYMETALというゴミユニットが変わり映えのしない舞台を延々とループさせているのは、歴史が終わった世界の勝利者そのものなのであろう。階級闘争の理論は破綻し人間の序列が固定された世情である。これまでわれわれが苦悶してきたのは死骸となるまでの断末魔であった。このあらゆる大衆運動が頓挫した末法の世で死に絶えるわれわれは、人類の限界を目の当たりにしながらも、屍山血河の戦場で天使を見るように、新たなる宇宙を生成するひとりの超越した個人を想見するのである。これを菊地最愛原理主義という。
はるかぜ(母親)の年齢はまったく不明であり、推定の材料となる傍証もまったくないのだが、話題の選択がやたらと古いので、あまり若くない母親であろうと思う。弟が中学一年生なので、それを38歳で生んで現在50歳というのが現実的な想像であろう。この世代だとやたらとヒステリックな女が多いというのもあるだろうが、とにかく負けず嫌いで口論がすべてである。負けず嫌いだから黙々と勉強するというのではない。ただひたすら口論するのである。

そもそも負けず嫌いの定義だが、試合に勝つためにひたすら練習に打ちこむ人間を負けず嫌いというべきではないだろう。負けたくないという理由で他人に突っかかっていくのが負けず嫌いである。いわば場外乱闘をやるかどうかである。はるかぜ(母親)は口論だけの人生であった。やはりネットだと会話が文字で残ってしまうので、それが揶揄される原因となった。リアルでの口論だと、とりあえずわけのわからない難癖を付けておけば、その当事者の間だけで押し切れるが、ネットだと第三者が会話のログを見て、その支離滅裂な内容を嘲笑するのである。

負けず嫌いが口論に向かってしまう人間は人格障害と言っても差し支えがない。お隣の韓国が文化的にレベルが低いのも、エネルギーが口論に向かってしまうからであろう。韓国では見知らぬ人が路上で口論するのも珍しくないという。やたらと口論が好きなのである。ネット以前であれば、ログが残らないので口論はひとつの攻撃として有効であったが、現代ではそうではない。嫌韓が広まっているのも、彼らがソウルの路上でやっている口論がネットでは残ってしまうからである。路上でおかしなことを言っても当事者しかわからないのでいいが、ネットでもそれをやったのが韓国人であり、これは手に負えない民族だという認識が広まった。

はるかぜは現在ツイッターを禁止されているようだが、禁止されてなければ、例の進撃の巨人のオーケストラに関して主催者を擁護するようなことを言っていたはず。おかしなところを突っ込まれたら論点をずらして徹底抗戦したであろうし、紅蓮の焔が大地をなめつくすようにこの問題が燃え広がり、多くの人の関心を惹起しながら版図を広げ、ヤフートップにまで載ったかもしれない。自尊心のためなのだろうが、要は他人を敵と見なして口論しているだけである。他者と敵対的であり面子がすべてというメンタリティーなのである。温厚な人はあまり自尊心という言葉を使わないのに、気性の激しい人間は多用するから、怒りの強さの問題でしかない。
四日連続で休んだ後に明石家さんまのラジオに出た鞘師里保だが、「起き上がれなかった」とかそういう説明。もうこれは鬱である。岡田有希子みたいな最悪の事態だってある。岡田有希子みたいな美人と違って、鞘師は投身自殺をやってきたばかりという顔だが、ブスだから死んでいいわけがない。この状態で未だに公演に出たりしているのだから、アップフロントの神経を疑う。ここで休ませると戻るポジションがないという問題もあるだろうし、アイドルはナマモノである。すでに失速しているが、ここで停止させると完全に鮮度を失い腐敗臭を放つというのが当局の判断であろう。無理な延命措置で露命をつないでいる。サヤシステムでセンターに固定されていただけだから、ひとつの時代を作ったとも言えないし語るべき事蹟もないから、気付けば人生にあぶれた無位無官の傷病兵である。大衆酒場の片隅で壁を見つめながら濁り酒で潰れているのが似つかわしい立場である。アイドルはみんな病んでいる。10代後半の少女なら、その若さ特有の香り高さをもってして誰でもチヤホヤされるものである。それがわざわざ蜃気楼のような幻影を求めて出奔する数奇者が後を絶たないのだし、ごく稀にスターになれた人間以外は、煌めく青春の頂点にいるべき時期にチヤホヤされないという懊悩を抱えることになる。人気が発生したところで、いつでも飽きられる可能性はあり、潜在的には没落貴族である。ももクロだって動員が落ちてるのは明らかだし、先行販売で落選にした人に「こちらの手違いで実はあなたは当選でした」というメールを送るくらい窮している。ブレイクしてから左前になるまであっという間。転げ落ちるために峻険なる山嶺に向けて登攀を続けるのは愚かであろうし、その運命を愛して難儀な思想にコミットしているのならまだしも、たいていは都合のいいことしか考えていない。モーニング娘。はこれまで数多くのトラブルメーカーを生み出したが、鞘師里保は悪事には手を染めないにしても、やたらとめんどくさい鬱女として蹌踉し、一部の人に語り継がれるであろう。
われわれはこの肉体で世界を測っている。
この肉体の基準が当然だと考えているわけである。
チーターは時速100キロで走れるが、もし人間が同じように時速100キロで走れるなら、街の設計から交通機関の在り方まですべてが違っていたはずである。

われわれは現在の人間の身体の基準に合わせて世界を認識し、使いやすい街を設計するわけである。
現在の人間の身体能力が絶対ということはあるまいし、仮に肉体の標準規格が異なっていたら、物差しも違うわけである。

五感はまさに物差しであるが、これにしても絶対ではあるまい。
人間は紫外線が見えないが、他の生物は紫外線が見えているわけで、紫外線が見えない状態が絶対ということはない。
見えなければ紫外線が存在しないわけではないし、だからこそ日傘を差すのだが、その守るべき肌も物差しのひとつであろう。

かつては産褥熱で死亡する女性がたくさんいたのだが、これは細菌の存在が知られてなかったため医師が手を洗ってなかったからである。
細菌は目に見えないからスルーしていいわけではないのだ。

つまり人生や生活の快適さの中には健康(生命)という重大な問題も含まれる。
それも含んだ上で、肉体が物差しなのである。
食べるのが楽しいからと言って何でも食べていたら肥満の限りを尽くしていろんな病気になる。
食べる快楽と肥満のリスクを秤にかけるわけである。

とにかく何でもかんでも肉体が物差しである。
この物差しに逆らうと、病気と不幸に塗れることになる。
われわれは死が恐いと考えているが、実は死体が恐いだけである。死んだら水蒸気のように蒸発して消えるのであれば、気軽に自殺する人がたくさんいるはずだ。とにかく死体はグロテスクで仕方なく、そのおぞましさに抗えない。美しさもしくは醜さは脳の演出である。死体の腐臭を考えて貰いたい。究極的には物質そのものに臭いがあるはずがなく、あくまで嗅覚がキャッチするとおぞましい臭いが脳内に発生するだけである。死体のグロテスクさは演出である。だがこれはわれわれの感情や感覚を総動員した現実という舞台演出の根幹なのである。死体はグロテスクである。これを覆すことはできない。137億年前から決まってはいないだろうし、あくまで人類の脳の設定の問題だが、なにしろ死体はグロテスクなのである。美-醜という演出はこの現象世界を感じ取る本能に強く根ざしているから、これを迷信として片付けて蒙を啓き、死体は恐るるに足らずというわけにはいかない。だからわれわれは寿命で死にたいのである。あたかも眠っているかのような安らかな死に顔を求めている。寝ているのか死んでいるのかわからないような死体の状態が理想と考えている。踏みつぶされた昆虫の死骸のような姿では死にたくないのである。どんな死に方でも、死んだら水蒸気のように蒸発するなら、寿命で死ぬことを求める理由がない。この世界から綺麗に消えるならいいが、絶命の瞬間の姿として轢死体をさらすのは避けたい。肉体の左右対称を美として考え、素肌に美しさを見いだし、そこに収まっている臓器については考えないことにしているのに、千切れた躰から臓器が飛び出し、すべての有機的な繋がりを削ぎ取られたおぞましい肉片として大地に横たわるのは、いかにも無惨な結末であるし、自らが死んだ後など認識し得ないとはいえども、この地球の美観を損ね、それに立ち会わされて嘔吐している他人を思い浮かべるだけで心苦しい問題である。死体が水蒸気として霧散しないからには、寝ている間に老衰で死ぬことを模索するしかあるまい。
ネット初期の頃はアングラ文化が中心だった。歯の根が合わないような恐怖に震え、クリックひとつでさえ躊躇われ、心臓が早鐘を打つ世界であった。他人を追い詰めて血祭りに上げるくらいは造作もない凄腕ハッカーの集まりという世界観だったのである。プログラムが出来るという詐称は普通であった。最近の若者だと小さい頃からパソコンがあるので、プログラムが出来るのはさほど自慢にはならないが、それより前の世代においては稀少性が強いのでかなり憧れの対象だったのである。津田大介もSNSでブレイクするまでは貧乏ライター時代が長いので、かつてはアングラ文化の中で「本当はすごい人たち」の輪の中にいたわけである。津田大介自身が凄腕のハッカーだという詐称はしてなかったと思うが、だいたいその類のパソコンの達人で他人を抹殺できると称する恐いひとたちの中にいたわけである。その結果として誕生したのがネットランナーというゴミ雑誌であり、すごい人たちの貧相な実像の惨めさたるや縷々と述べる必要もあるまい。津田はこの頃からSNS的なところがあったため貧乏だったのである。やまもといちろうは津田大介より華やかだった。やまもといちろうはアングラ文化の人脈はなかったが、2ちゃんねるの共同運営というポジションにありついたのでその手の文化コードの恩恵は受けていた。「本当はすごい人」というアングラ文化の世界観の恩恵を受けて、100億円という設定で扶桑社から本を出すことも出来た。アングラ文化ではプライバシーが極めて重要とされており、身元が特定されたら死と考えられていたから、守秘義務という大義名分はかなり通用したのである。SNS時代を迎えてからは、守秘義務があるから言えないというスタンスで凄い人が出てきても、ああ察しということで与沢翼と同じ枠にいれて黙殺となるだろうが、アングラ文化では大半がそういう人たちだったのである。津田大介もなんか中身のない政治活動をやって胡散臭いアピールはしていたのだが、おそらくこれは100億円と違って許容範囲なのだろう。結局のところ、ネット黎明期のアングラ文化がずっと続くわけが無く、あれは初期の頃の手探りだっただろうし、お化け屋敷を造って本気で怖がっていた愚行であろう。ニフティフォーラムが永遠に続いてシスオペで一生食えると思っていた人もいたみたいだし、ある種の文化が流行っている間はそれで永遠に稼げると錯覚するらしい。津田大介が永遠というわけではあるまいし、たとえば現状のネットだと権威のある学者はほとんど出てこないが、そのあたりの第一級の頭脳がネットで活動する流れが勃興したら、現在のネット文化人はだいたい淘汰されるであろう。いつでも時代は流転し、適者として生き残れない者たちは潰走し、新たな戦災孤児が生まれていく。
当たり前だが、われわれはコマンド総当たりで生きてはいない。
ゲームみたいに、いろんなコマンドを試すわけにはいかない。
人生における行動選択には何らかの躊躇がある。
このためらいが人生の本質なのだ。
怒りへの恐れ、恥への恐れ、そういうためらいなのだ。
「これはまずいのではないか」という畏怖がある。
恥の感情に制御されてなかったらわれわれはあらゆることを試している奇妙な生き物だっただろう。
ゲームと違って、この現実世界ではボタンを押してみる前にいろいろと考える必要がある。
ゲームにもいろいろあるのだろうし、たとえばヒロインの身体に触ろうとしたら無効なのがたいていだと思うが、警察に連れて行かれて取り調べを受けるゲームだってあるかもしれない。とはいえ本当に逮捕されるわけではない。
あなたが今から繁華街の目抜き通りに向かい、楽しそうな人々に向かって包丁を振り回すのもコマンド選択としては可能であるが、それは人生そのものが加藤智大になるわけである。
ゲームの中で通り魔をやって死刑になるのとは違うわけである。
われわれはゲーム感覚で生きるのは極めて難しいようになっている。
刑務所暮らしさえ遊びの一貫と考えるのはなかなか難しい。
また恥をかくというのも主観の問題ではなく、なにかしら顰蹙を買い、それがつきまとうのである。
言動からマイナスの結果が出るとそれが後々までつきまとうので、コマンド総当たりは出来ない。
マイナスの結果を承知でなんでも突撃していく人もいるが、どうしてもB級路線の生き方だし日陰者ということになってしまう。
役人とは何かというと分散的に嫌がらせをする組織である。
かなり専門性で細分化されていて、そこでは絶対的な権力を持っている。
その権力で嫌がらせをすることが実は推奨されている。
それによって賄賂(天下り)に繋がるわけである。

国立競技場の問題を見ると、川内優輝がかなりのワルに思えてきた。
確かに彼は直接的には関わってないが、直接的に関わらないのが役人の本質なのである。
つまり、個々が散り散りになりあちこちで利権確保を行い、最終的には天下りに繋がる。
「川内さんがゼネコンに天下りしてから言え」だと????
それまで待たなければならないのか。
だいたい役人全体での分散的な活動であるのはすでに述べた。
川内がゼネコンに恩を売ったわけではあるまいし、何かしら日本全土の役人全体での分散的な活動なのだ。

だから川内のせいなのである。
あんなにマラソン出来るのは公務員だからだろ。
川内優輝は何かしら間接的な利益を受けてるんだよ。
この間接性こそが役人なんだ。
あちこちに分散して嫌がらせや恫喝を行い、役人全体で分け合うんだよ。
川内もその乞食のひとりだよ。
間接的に利益を受けている役人に対して「直接的な利益を受けてない」というのは擁護としておかしいし、むしろ論理を飛躍させないと責任の分散には対抗出来ないだろ。

国立競技場はゼロベースで作ると言って一端鎮火したが、価格を下げたくない、最低でも1300億円のラインは守るという寝言がまだ続いている。
このままだとやはり2000億円くらいには膨らみそうである。
川内優輝が悪いんだよ。
そう決めつけない限り、誰が悪いのかわからない役人の世界には対抗出来ない。
こいつが国立競技場で走ったりしたら胸くそ悪くて仕方がない。
どうせ2000億円くらいになるんだろうし、こうやって行政にこぼれるお金が巡り巡って川内のポケットに入る。
川内は金返せ。
俺は川内を許さない。
川内さんは直接は関わってません!!!!
知らねーよ。
どこかしら巡り巡ってこいつが豪遊したりする金になるんだよ。
川内は間接的におこぼれ貰う集団の一人だろうが。
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