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青:南條愛乃
赤:中元すず香
橙:SU-METAL

EXILEのHIROはLDHという芸能事務所の社長であるから、所属タレントを全般的に売り出す立場である。だからEXILE周辺はどんどん増えていくわけである。それに対してベビメタのKOBAMETALは経歴不詳だが、おそらく中元すず香個人のプロデューサーとしてかなり昔から二人三脚である。あくまで中元すず香を売ることだけが目的なのである。ベビメタとさくら学院を連動させることなどあり得ないのである。

さくら学院が始まる前から重音部は決まっていたと考えるのが妥当である。KOBAMETALが謎のアミューズ社員という立場なのは、中元すず香のプロデューサーという立場を不明瞭にしたいからだと思われる。

KOBAMETAL+中元すず香に苦しめられているのがさくら学院である。ベビメタというイロモノでブレイクさせてくれたのだから、早期にやめてくれれば感謝するべきだが、このイロモノを延々とやられるとただの簒奪者であり、害虫以外の何者でもない。中元というドブスのためにゆいもあという人類最高の逸材を泥棒しただけである。KOBAMETALが経歴を明らかにしていないので想像で書くしかないが、おそらくキッズ部門には書類上で出向しただけであり、キッズ部門に実態として存在していたことはないはず。KOBAMETALはキッズ部門と無関係と考えるとたいていのことは説明が付く。

もあちゃんが「ソロアイドルになりたい」とか「声優になりたい」とか「さくら学院はラブライブ」と言っていたのは、南條愛乃(ラブライブ)を意識していたわけである。南條愛乃は31歳のおばさんであるから、狙い所がかなり的確である。彩未ちゃんの松田聖子という絵空事とはまったく違うわけであり、もあちゃんはいろいろとリサーチした上で現実的な目標を立てている。さくら学院をラブライブにした上でもあちゃんが南條愛乃になるのが本来の構想であった。さくら学院全体の相乗効果で売れていくというのは荒唐無稽ではないし、もあちゃんはラブライブを観察してそういう戦略を立てたのだ。だがこの路線は完全に切られたのであり、もあちゃんはKOBAMETALに監禁されたわけである。

この一年くらいで南條愛乃はかなり伸びているが、中元すず香は横這いであり、SU-METALとしての検索数もかなり少ない。フェスだと興味本位でわらわら人が集まってくるが、ベビメタ単独のライブだと1500人集めるのに苦労している。海外に頻繁に行っているのは、儲かっているからではなく、赤字を承知で宣伝のためにフェスに出ているのである。イロモノとしてネタにはなっても、お金を落とす忠誠心までは至っていない。

ベビメタを露出制限しているのは飢餓商法だとKOBAMETALは上層部に説明しているはずだが、中元すず香と南條愛乃の人気の格差は広がる一方であるから、ラブライブ方式の方が正しい。まったく飢餓商法の効果は出ていない。ゆいもあが個人でブレイクすると面倒なので表に出さないだけである。もあちゃんはすべての面で南條愛乃を上回っているし、基礎票もあるから、売り出して貰えればブレイクは確実である。ここまでラブライブの後塵を拝するとなると、むしろ中元を切り捨てたいが、あくまで中元を売り出すのがKOBAMETALの目的だから困ったことである。

中元というドブスのためにすべてが犠牲になるという状態が続いており、キッズ部門から見てKOBAMETALはもはや怨恨の対象でしかないだろう。イロモノでブレイクさせてくれたと喜んでいたら、そう都合のいい人間ではなかった。あくまで中元というドブスをプロデュースするために生け贄を探していただけである。中元に人気があれば状況は違うのだろうが、ともかくこのドブスの人気の無さが圧倒的であるから、ゆいもあの解放は進まないであろう。中元すず香よりもあちゃんの方が潜在的な商品価値が高いのは明らかであるし、だからこそ不自然な状況が継続する。もあちゃんなら南條愛乃の立ち位置まで行けるが、それだと中元が困るのである。悪いのはKOBAMETALであり中元は悪くないという立場を取る人もいるだろうが、わたしはそうは思わない。悪質なプロデューサーに飼われているタレントがいたら、そいつにも連座させるのが当然である。ゆいもあという人類の頂点に君臨する人物を使い潰しているのであり、いわば釈迦とキリストを使っても広まらないのが中元という粗悪品である。このままだとさくら学院はただの奴隷市場である。
待つのは誰でも嫌いであろうが、その嫌い方の度が過ぎている人がいるわけである。ADHDの特徴として、待つのが嫌いというのがよく挙げられる。普段はゴロゴロして時間を浪費しているのに、待たされるとなると、自分の貴重な時間が奪い取られているという感覚を持つらしい。レジで五分待たされると「この俺の貴重な五分が」とイライラして暴れたくなるらしい。本当に一分一秒を惜しむような多忙な生活をしているのならわかるが、結局は会計を終えて自宅に帰ればゴロゴロしてネット三昧なのである。買い物をするのであれば、レジ待ちの時間くらいは想定内であろう。たぶんスーパーまで歩く時間については「この時間は無駄だ」とイライラしないであろうに、レジ待ちとなるとイライラするわけである。おそらく時間は貴重という理由は嘘であり、本当は何もしない状態が苦手なのである。動き続けて放電するのが好きだから、ただ待つという理想的な状態が嫌いなのである。レジ待ちは人間として理想的な状態と言って差し支えない。何もしないという状態は、実は落ち着きのある人の準備運動である。何もせずに待つという精神状態になってこそ、たとえば難しい本を開くということが出来る。これまでのタスクを一度切って頭のリソースを確保する作業である。ADHDがレジ待ちを嫌がるのは、時間が貴重だからではなく、放電を停止することが嫌なのである。ADHDは頭を空っぽに出来ないのであり、生まれてから死ぬまで雑念で満杯になっている。ネットサーフィンなら雑念塗れで多動しながら出来るが、読書だと、ひとまずタスクを止めて、読書に割くリソースを確保する必要がある。「何もしない」と「ゴロゴロする」のは端から見ていると同じだが、本人からするとまったく違うのである。ゴロゴロしている間は頭の中が雑念で一杯である。待つというのはただ単に身体を止めることではなく、雑念を掃除する作業でもあるから、ADHDがイライラするのも無理はない。
2015.08.30

意志の合理性

目の前に一万円札があるとしておもむろにそれを燃やす人はいない。なぜ燃やさないのかと言えば、自分の生活にとってマイナスだからである。人生・生活、もしくはその根底を成している肉体の快楽と苦痛の問題である。何かをゴミとして捨てるというのは、それが生活に不要だからである。ただの紙くずと一万円札を同等の夾雑物と見なすのは不可能である。われわれの意志はほとんどが生活のための合理性に縛られている。悦びも痛みも感じない骸として空疎に横たわっているなら苦労はないが、われわれのこの貪婪な肉体の神経は大地に根を張り世界の人質となっている。わずか一晩で全財産使い切るようなことなら、やる人は時たまいるが、どれだけ惚け者の遊び人でも一万円札を燃やす人はいない。質素に生きている人も、苦痛減少主義者と言えるし、やはり快楽・苦痛に囚われていることに変わりはない。意志が自由だというのなら一万円札を燃やしてもいいはずだが、快楽が増えないし苦痛が増えるだけであるから、そこまでフリーダムな人はいないわけである。ここには葛藤もない。快楽と苦痛を巡る精神の劇がない。一万円札を燃やしても快楽が絶無なのだから、内面の戦いに身悶えして頭をかきむしるテーマではない。この欲望が漲ることはないので魔がさすこともない。われわれのすべては生活と人生と肉体の物差しで測っているので、一万円札を燃やすとか意味不明のことをやる人はいない。芸術家を名乗る山師が現代アートと称してやることはあり得るが、これはその奇矯な行為で話題になって一万円以上のリターンを目論んでいるのであろうし、やはりただひたすら無意味なことをやる人はいない。焼身自殺なら人生への絶望が見て取れるし、この苦界から逃れるための合理的行動であると理解できるし、教会に全財産を寄進するのなら敬虔な宗教的情熱として理解できるが、やはり一万円札を燃やす人はいない。ポトラッチとして文化的に回収されるなら燃やすこともあり得るが、そのような人間の欲求に触れる必要がある。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150827-00000113-nksports-ent

言葉というのは平等であり、誰でも言葉は使える。
言葉を並べれば意見は言える。
だが、それは思考ではない。
頭の中でどれだけ概念が作れているかの問題なのである。
さすがに中学三年生になってくると、根底の思考の弱さというのがかなり露呈してきたので、いろいろと言葉を並べても相手にされなくなってきた。
おそらくこの親子だと、意見を言うのが思考だと思っているのであろうし、どちらにせよ教育レベルが低いのでどうにもならない。

こうやって批判的なコメントが並んでいるのを見ると、やはり生理騒動から新規のアンチが増えた。
このわたしが元アンチになりつつあるのだから、おそらく空気がかなり変わったのだろう。
ババアを批判するのが元々は大半だった。
こちらがまともな批判をしても「アンチに攻撃されている」と騒いでいたわけだが、このところはるかぜ(娘)が本気でバッシングされるようになった。
アンチに攻撃されるのが本望だろうから、ようやく望み通りになったとも言える。

われわれはこの親子の実物をそのまま見ているわけではないので、想像で語っているわけである。
生理騒動までは娘が隷従させられているイメージで見ていたが、このところは、娘がババアの共犯という扱いである。
実態が変化したのかどうかは判然としないが、あの生理でスクワットがどうこうという話がやたらとインパクトがあったらしい。
わたしは何とも思わなかったのだが、あれで娘の方にかなり矛先が向かうようになった。
なんとなく同年代の女子が新規のアンチとして付き始めた印象があるが、娘はほとんど同情されなくなった。

おそらく今でも中川翔子のマネージャーが担当しているのだろうし、中川翔子ははるかぜに興味を失っているようにも見えるが、そうかといってナベプロを退社させられるわけでもなく、なんとなく惰性で続いているのだろう。
はるかぜがナベプロに入った経緯からしても、中川翔子の周辺にはイエスマンしかいないと思うので、なかなか難しい。
あと何年かしたら毒親被害者という形で芸能活動すると思われる。
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KOBAMETALとももクロの川上はもはや同じ状態になってきた。
ブレイクさせた功績のあるプロデューサーが好き勝手なことをやって、だんだん壊れていくわけである。
ベビメタが来年4月にやるウェンブリー・アリーナというのもなんか胡散臭いわけで、あの誰でも知っているウェンブリー・スタジアムの隣である。
おそらくウェンブリーという名前だけを前面に出すのであろう。
メディアでもウェンブリー・スタジアムと混同させる戦略が採られており、アミューズのステマがなりふり構わなくなってきた。
このアリーナは1万2千人のキャパがあるそうで、これが埋まるのかどうかは判然としない。
ベビメタは人気が横這いである。
もあちゃんを監禁してからラブライブの人気が爆発的に伸びただけである。
ベビメタの動員力はラブライブより遙かに落ちるし、ラブライブで生徒会長役の南條愛乃と大差がない。
もあちゃんにソロアイドルは無理だと言っていたらこの状況なのだから、もはや中元すず香のための犠牲者と言うしかない。
もあちゃんはラブライブをお手本にしているわけだから、もあちゃんの監禁と南條愛乃のブレイクは因果関係があるだろうし、KOBAMETALは商機を逸している害虫と成り果てた。
KOBAMETALはアミューズ全体の利益よりは、中元すず香単体が売れるかどうかが重要なのである。
KOBAMETALとPerfumeと中元は繋がっているのであろうし、あくまで中元のブレイクが求められており、もあちゃんが売れても困るのだ。
水野由結と菊地最愛に担当社員はいないのだし、中元の派閥が政治的に勝利したということだが、ラブライブと南條愛乃の人気が伸びているだけというのははっきりさせておかなければならない。
威張るというのはよくない行為である。
だが、誰も威張らない社会というのはあり得ない。
立場を教えるということである。
威張り散らされたり侮辱されたりすることで、自分の力の無さを知るわけである。
この立場というのは当然ながら政治的であり、時代が変われば変わるものである。

昔は医者が威張るのが普通であり、患者はぺこぺこしていたが、ここ最近の世情だと、血相を変えて医者に食ってかかる患者は普通であろう。
教師も少し前までは体罰は普通であったし、生徒に難癖を付けては殴りつけていたのだ。
これは医者や教師が父権を持っていたからである。
父親としての力があったのだ。
2015年現在の感覚だと、医者なんぞ赤の他人に決まっていると思うわけだが、これは父というシンボル性が弱まったからである。
昔の医者や教師が偉かったのも現実だし、今は偉くないのも現実である。
現実とはそういうものであり、普遍のものではない。
医者がエリートで高収入というのに変わりはないので、社会的地位の高さに変わりはないが、単なる他人ということになった。

われわれは自分の父親と他人の父親を混同したりする。
もちろんまったくの赤の他人であることは承知しているが、どうしても父というシンボル性によって、なにか同一人物のようなイメージを持ってしまう。
父というシンボル性を持った赤の他人に抑圧されることが昔の世の中ではよくあったのである。
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グーグルトレンドの推移。
青はラブライブ。
赤はBABYMETAL。

ラブライブの人気が上昇する一方なのに、BABYMETALは明らかに横這いである。南條愛乃の人気が右肩上がりなのに中元の人気が低空飛行という問題もあり、もはや中元がベビメタに寄生しているという格好であろう。ラブライブは南條愛乃が引っ張っているが、ベビメタで中元はお荷物である。Fripsideのボーカルとしては半年前の横浜アリーナ公演のチケットが平均12000円で取引されているし、南條愛乃として初めて行う九月のライブは豊洲PITだが平均20000円で取引されている。Fripsideは南條愛乃のソロアイドル活動みたいなものだし、単独で横浜アリーナは埋められるわけだ。こういうアニソン系の歌手としては、May'nが本物でFripsideはニセモノという認識だったので、わたしはあんまり好きではなかったのだが、よくよく見てみるとやはり実力は今ひとつではあるが、ステージの演出がかなりいいので、人気があるのはわかる。力不足でもプロデュースのセンスがあると意外と見られる。ソロアイドルは難しいと言われるのに、実質的にひとりのステージでベビメタに近いくらいの見映えはある。ベビメタはゆいもあという能力も容姿も人間性もすべて人類最高の傑出した素材がいるわけであり、南條愛乃の素材がよくないだけに演出としてはこっちの方が素晴らしい。

もあちゃんなら「さくら学院はラブライブ」という発言を繰り返していたし、実力もセンスもすべて南條愛乃を上回っており、人類の至宝というべき聡明さがあるだけでなく、アイドル文化やラブライブ文化にも通暁しているので、もあちゃんがセンターになればラブライブを追い抜くことは容易いが、あくまでベビメタは中元のプロデューサーがやってる企画なのだから、これは非現実的である。
「中元さえよければいいんだ。菊地は黙ってろ」というのがKOBAMETALの言い分であろう。

南條愛乃は公称150センチで、だいたい武藤彩未ちゃんと似た背格好なので、彩未ちゃんに同じことをやらせるというのもあるが、これまた難しいであろう。南條愛乃はあまり足元が映らないようにしているが、かなり高いヒールを履いている。南條愛乃は膝がぶっ壊れているのだが、おそらくやたらと高いヒールが負担なのだと思われる。
女性のハイヒールのことはよくわからないが、彩未ちゃんは靴底が5センチくらいのことが多いはず。南條愛乃はつま先しか付いてないようなハイヒールだから10センチ~15センチはあるように思える。実物は彩未ちゃんと同じ背格好でも、ステージでは10センチくらい違う。南條愛乃は31歳の不細工なおばさんなので、19歳で本当の美人の彩未ちゃんをダイエットさせて同じようなハイヒールを履かせれば容姿はかなり上回るし、歌唱力は圧倒的に上だと言えるが、あさま山荘で連合赤軍を投降させるような難しい説得工作となるし、これも不可能に近い。
アリアナ・グランデだってすごい高いヒールを履いているのだし、身長が低ければハイヒールで高くするのがむしろ常識であるから、彩未ちゃんが非常識なのである。彩未ちゃんはキッズモデルとしての知名度があるだけに、ハイヒールで突然10センチ高くするというのは抵抗があったのかもしれない。
やたらと高いヒールを履いたらダンスは出来まいし、膝が壊れたら肉体的にダンスは出来なくなるが、ソロで歌いながらダンスというのにそれほど意味があるのかという問題もある。
とにかく彩未ちゃんのステージは見た目の華やかさがないので、どうなっているのか、ということである。

もあちゃんはKOBAMETAL+中元すず香に監禁されて身動きが取れないし、大陸浪人のような立場の彩未ちゃんは極めて頑固であり梃子でも動かないから、アミューズという三流企業は、ラブライブと南條愛乃に水をあけられていくのだろう。
このままベビメタがボロボロになって解散するのを願うのが妥当であろう。
もあちゃんさえ自由になればラブライブとか南條愛乃はまったく敵ではない。
ベビメタのライブを初めて見た人は中元の声量にインパクトを受けるのだが、それが人気に繋がってないことは明らかである。
歌で魅了しておまけに声量もあるならいいが、声がでかいだけとか馬鹿としか思えない。
認識というのは座標を前提としている。三次元空間が固定されており、その特定の座標から見える世界が認識である。東京から大阪に移動して大阪を見ることは出来るが、東京と大阪に同時に存在することは出来ない。自分が存在している座標しか認識出来ないので、それを越えるとなると伝聞や想像が頼りである。WEBカメラで世界のあちこちを同時に見るのも可能ではあるが、人間は一度に二冊の本を読むことさえ出来ないから、同時に認識できる分量にはかなり制限がある。認識を拡張しようというのは人間的な欲求であろう。そもそも動物は言葉を使えないから、伝聞というのがあり得ない。人間は五感に映じた世界だけでなく、それを越える宇宙まで把握しようとする。地球上では人間だけが出来ることである。空海は大日如来という法身をイメージし、森羅万象のすべてが曼荼羅として描かれている世界を想見したが、この悟りの境地が宇宙の真理と同一であるかはわからない。「空はすなわち仮有の根なり。仮有は有に非ざれど而も有有として森羅たり。絶空は空に非ざれども而も空空として不住なり」と空海は述べるが、まさに色即是空、空即是色であり、われわれは認識と対象の世界に存在しているが、これもよくわからないものである。この宇宙は本当は三次元ではないはずなので、観測してこそ世界は立ち現れるという気もするし、その特定の座標から展開される世界があるだけであり、そもそも森羅万象というのが迷妄かもしれないが、人間はイデアとか物自体とか無意識とか大日如来とか、その類の言葉で宇宙を表現せずにはいられない。種や仕掛けがわかってないからこそ人間は存在しているのであるし、この他者性がゆえに、自分がそう決めたからそうなっているというトートロジーから逃れている。問題作成者と回答者が別人であることが重要である。これが対象と認識の越えられない壁である。誰が美人に見えるかはわれわれが自分で設定してないからこそ相対化されない絶対的価値がある。認識と対象が分かれているのは、われわれが自分で自分を設計してないからである。ただ理由も分からず生きており認識している。その生きるという行為そのものが苦痛であるから、相対化することを虚しく繰り返し、宇宙について縷々と書き散らすしかないのである。


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グーグルトレンドのグラフ。
青が南條愛乃で赤が中元すず香である。
南條愛乃は伸びているのに中元すず香は伸びていない。
ラブライブの力に過ぎないということも言えるが、中元だってベビメタの恩恵は受けている。
BABYMETALよりラブライブの方がネームバリューはあるが、ハンデというほどではない。
南條愛乃は九月に初めてワンマンライブを行うが、キャパ3000の豊洲PITでだいたい15000円~25000円くらいの価格が付いているし、単体でも動員は出来る見込みである。

南條愛乃はあまり声量がないので、そこでは中元が大きく上回っているのだが、そもそもベビメタは中元のために重低音を鳴らしすぎだし、実際のところ南條愛乃(Flipside)くらいの軽いアレンジで充分であろう。
中元より声量があるボーカリストは滅多にいないとしても、人気が伸びないのは、やはり大声を出すのは歌の本質ではないのである。
実際のところ中元すず香と南條愛乃では声量の格差がかなりあるにも関わらず、どっちみちマイクを通すのであるし、いろいろと調整されるのだから普通に聴いた場合にあまり変わらない。

ところで南條愛乃は公称150センチで実寸もだいたいそれくらいである。
南條愛乃はお世辞にも美人とは言い難いので、すべての点で武藤彩未ちゃんの方が上回っているはずなのだが、これくらいになれないのが不思議というか、プロモーションやプロデュースが不調すぎるしスタイリストも悪すぎる。
南條愛乃は素材が不細工なのにずいぶん工夫している。
アミューズのスタッフは武藤-水野を分断するためにお役所仕事でやっているという印象も受ける。
はるかぜ親子はアメブロに引っ越しすると宣言してツイートを全部削除し、なぜかフォローを全部外していたわけだが、またフォローをしてるし、ふぁぼも再開した。
どうやら松岡天星という子役がツイッターを始めたらしく、それに絡みたいらしい。
相手もフォロー返ししているので面識はあるらしい。
以前からはるかぜの想い人という設定である。
親が子どもの友達を決めてしまうことはよくあるが、この親子であればなおさらなのであろう。
この松岡天星という少年は情報が少なくよくわからないのだが、はるかぜが倉田紗南で、この少年が羽山秋人という設定らしい。
ここまで空想を膨らまされるとこの少年が気の毒になるが、親が子どもの設定を決めるということに違和感がないのかもしれない。

ところがはるかぜ親子は一日くらいでこの松岡天生という少年へのフォローを外したのである。
向こうからフォローを返されて相互フォローとなったのに外れたのは、先方の事務所から抗議があったのかもしれない。
今となっては偽装としてフォローした他の芸能人が残るのみである。

それにしても不思議なのは、ナベプロがツイッターのパスワードを変更しないことである。
ナベプロがパスワードを変更すれば、この親子もツイッターに触れなくなるのだが、やはり中川翔子のお気に入りということで特別枠なのであろう。
そもそもはるかぜ親子はナベプロにパスワードを教えていない可能性もある。
ナベプロとナベプロ所属の芸能人の関係としては考えがたいが、治外法権のような扱いであろうから、それくらいあるのかもしれない。
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