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2015.11.20
喩え話は思考の根幹
喩え話というのはややこしいこともあり、結論をミスリードするために偏った喩えを持ち出すこともあるから、われわれは喩え話をあんまり思考の礎だとは思っていない。
だが、やはり喩え話こそが思考の根幹なのである。
そもそも物事は具体的に発生するのであるから、具体的にしか語りようがない。
福島原発のような話題は誰でも避けられないトピックだが、このような具体例を共有して、社会は成り立っているわけである。
「喩え話」と「具体例」は区別は出来るだろうが、さほど違いはあるまいし、人間にとって現象世界が経験として現れてくることに根ざしている。
書き手が喩え話を出さなくても、読み手が喩えを自分で考えることもあるだろう。
抽象的な話をされた場合には読み手が補うわけである。
つまり経験則ということに帰着してしまう。
われわれの思考は経験則を作り出しているわけである。
あまり知的レベルが高い人でなくても「恋愛でよくあるパターン」とかそういう雑談はするはずだ。
そもそも世界は複雑系であるから、疫学的にしか捉えられないことが多々あるわけだ。
発達障害でも「衝動的で注意力足りないのがいるよね」とADHDという括りをするわけだ。
ニューロンとかシナプスとか、その細かいすべての仕組みから発達障害を語るのは困難であり、どうしても、こういうパターンの人という話に落ち着く。
人間が複雑系を読み解けないから、結果を大雑把にパターンでまとめているわけだ。
もしくは現象として立ち現れてくることが人間と人生そのものなのだから、そこからさらに分解しても意味はあるまい。
いや、分解できるなら科学としてすごいけども、結局は人間と人生の快適な体験に寄与することが求められる。
だが、やはり喩え話こそが思考の根幹なのである。
そもそも物事は具体的に発生するのであるから、具体的にしか語りようがない。
福島原発のような話題は誰でも避けられないトピックだが、このような具体例を共有して、社会は成り立っているわけである。
「喩え話」と「具体例」は区別は出来るだろうが、さほど違いはあるまいし、人間にとって現象世界が経験として現れてくることに根ざしている。
書き手が喩え話を出さなくても、読み手が喩えを自分で考えることもあるだろう。
抽象的な話をされた場合には読み手が補うわけである。
つまり経験則ということに帰着してしまう。
われわれの思考は経験則を作り出しているわけである。
あまり知的レベルが高い人でなくても「恋愛でよくあるパターン」とかそういう雑談はするはずだ。
そもそも世界は複雑系であるから、疫学的にしか捉えられないことが多々あるわけだ。
発達障害でも「衝動的で注意力足りないのがいるよね」とADHDという括りをするわけだ。
ニューロンとかシナプスとか、その細かいすべての仕組みから発達障害を語るのは困難であり、どうしても、こういうパターンの人という話に落ち着く。
人間が複雑系を読み解けないから、結果を大雑把にパターンでまとめているわけだ。
もしくは現象として立ち現れてくることが人間と人生そのものなのだから、そこからさらに分解しても意味はあるまい。
いや、分解できるなら科学としてすごいけども、結局は人間と人生の快適な体験に寄与することが求められる。
2015.11.19
中元すず香はゆいもあを呑み込む暗黒物質
人気が低迷しているベビメタがまた胡散臭い賞を貰ったらしい。
GQ MEN OF THE YEARという変な賞で、なぜか男性の賞にベビメタが選ばれたということである。
中元すず香は以前は男子だか女子だかわからない中性的な容姿で人気が少しはあったのだと思うが、このところ外見が完全に室伏広治と同一だから、すっかり低迷している。
この中元すず香=室伏広治という問題に対してアミューズ社は、男らしいというマーケティングでどうにかしたいようである。
現在のアイドルシーンで最も勢いがあるのは明らかに南條愛乃である。
これはかなり突出している.

以前も比較してみたが、最近のTwittercounterで二ヶ月の比較。
(無料版だと二ヶ月までしか比較できない)。
9月20日から11月18日までの推移
BABYMETAL
168585→174682
南條愛乃
456074→489561

ベビメタからアイドル性が失われたので、かなり南條愛乃に流れていると思われる。
南條さんは実力はさしてないのだが、立ち振る舞いがとても綺麗だし、ポージングのセンスが素晴らしいので、アイドル界のリプニツカヤと言っても差し支えあるまい。
ベビメタより南條愛乃の方が華やかである。
この人気はニセモノではなく、実態があるものである。
中元すず香の不人気がすごすぎるせいで、中元のプロデューサーがゆいもあを脇役に固定してるし、もはやこれは人権問題と言ってもいいであろう。
ゆいもあ難民は南條愛乃に移動するべきである。
南條愛乃はマーケティングをまったくやってないから、すごいという印象はないが、これが現時点で本当のトップアイドルなのである。
中元推しはすべてアミューズの工作であり、南條愛乃を否定するのはすべて中元陣営だと判断させて貰うし、菊地最愛原理主義とは相容れないものである。
とにかく中元に人気がないから大変なことになっている。
中元というドブスはゆいもあを呑み込む暗黒物質。
GQ MEN OF THE YEARという変な賞で、なぜか男性の賞にベビメタが選ばれたということである。
中元すず香は以前は男子だか女子だかわからない中性的な容姿で人気が少しはあったのだと思うが、このところ外見が完全に室伏広治と同一だから、すっかり低迷している。
この中元すず香=室伏広治という問題に対してアミューズ社は、男らしいというマーケティングでどうにかしたいようである。
現在のアイドルシーンで最も勢いがあるのは明らかに南條愛乃である。
これはかなり突出している.

以前も比較してみたが、最近のTwittercounterで二ヶ月の比較。
(無料版だと二ヶ月までしか比較できない)。
9月20日から11月18日までの推移
BABYMETAL
168585→174682
南條愛乃
456074→489561

ベビメタからアイドル性が失われたので、かなり南條愛乃に流れていると思われる。
南條さんは実力はさしてないのだが、立ち振る舞いがとても綺麗だし、ポージングのセンスが素晴らしいので、アイドル界のリプニツカヤと言っても差し支えあるまい。
ベビメタより南條愛乃の方が華やかである。
この人気はニセモノではなく、実態があるものである。
中元すず香の不人気がすごすぎるせいで、中元のプロデューサーがゆいもあを脇役に固定してるし、もはやこれは人権問題と言ってもいいであろう。
ゆいもあ難民は南條愛乃に移動するべきである。
南條愛乃はマーケティングをまったくやってないから、すごいという印象はないが、これが現時点で本当のトップアイドルなのである。
中元推しはすべてアミューズの工作であり、南條愛乃を否定するのはすべて中元陣営だと判断させて貰うし、菊地最愛原理主義とは相容れないものである。
とにかく中元に人気がないから大変なことになっている。
中元というドブスはゆいもあを呑み込む暗黒物質。
2015.11.16
摂食障害と母親の野心
はるかぜ(娘)はかなり高い確率で摂食障害になるだろうと思われる。
ほとんどそういう条件が揃っているのである。
普段からの食生活がおかしすぎるし、父親不在だから母子密着も完璧である。
摂食障害の原因の多くは、母親の理想の高さなのだが、これに関してはるかぜ(母親)のすさまじさは言うまでもない。
誰がどう見ても娘の出来が悪いのに、まったく現実と懸け離れた正統派の美人女優にしようと思っているわけである。
このババアは50歳くらいだと思うが、女でこれくらいの年齢だと野心でギラギラしているのは普通だし、実のところ、さほど特殊ではないのである。
いかにも冴えないおっさんというのがいるわけだが、たいていは本当にしょぼくれている。
見た目が冴えないおっさんの内面が野心でギラギラしていることは、あまりないのである。
なぜかは知らないが男の方があきらめが早く、俺は駄目だと思う時期が早い。
摂食障害は、母親の非現実的な理想が原因なので、母親が野心を持つのをやめれば治るが、野心家が野心を捨てることなど出来ないので、結局は治らないのである。
そもそも中高年女性のあきらめの悪さが根深いから、娘の摂食障害を生み出すのであるし、それによってポピュラーな病となっているのである。
そろそろはるかぜ(娘)も自分の現実に気付き始めるとは思うので、いろいろと問題が起こってくるはずだが、はるかぜ(母親)のギラギラした性格が治る見込みはない。
女はだいたいそういう生き物であるし、なおかつはるかぜ(母親)のような重症患者であれば、どうにもならない。
こういうステージママが改心した事例などひとつもないのだから、致し方があるまい。
ほとんどそういう条件が揃っているのである。
普段からの食生活がおかしすぎるし、父親不在だから母子密着も完璧である。
摂食障害の原因の多くは、母親の理想の高さなのだが、これに関してはるかぜ(母親)のすさまじさは言うまでもない。
誰がどう見ても娘の出来が悪いのに、まったく現実と懸け離れた正統派の美人女優にしようと思っているわけである。
このババアは50歳くらいだと思うが、女でこれくらいの年齢だと野心でギラギラしているのは普通だし、実のところ、さほど特殊ではないのである。
いかにも冴えないおっさんというのがいるわけだが、たいていは本当にしょぼくれている。
見た目が冴えないおっさんの内面が野心でギラギラしていることは、あまりないのである。
なぜかは知らないが男の方があきらめが早く、俺は駄目だと思う時期が早い。
摂食障害は、母親の非現実的な理想が原因なので、母親が野心を持つのをやめれば治るが、野心家が野心を捨てることなど出来ないので、結局は治らないのである。
そもそも中高年女性のあきらめの悪さが根深いから、娘の摂食障害を生み出すのであるし、それによってポピュラーな病となっているのである。
そろそろはるかぜ(娘)も自分の現実に気付き始めるとは思うので、いろいろと問題が起こってくるはずだが、はるかぜ(母親)のギラギラした性格が治る見込みはない。
女はだいたいそういう生き物であるし、なおかつはるかぜ(母親)のような重症患者であれば、どうにもならない。
こういうステージママが改心した事例などひとつもないのだから、致し方があるまい。
2015.11.15
更新月が解消しないのは桜井翔のせいなんで
更新月は桜井翔のせいというキャンペーンをやる。
この類のキャンペーンに論理の飛躍が必要であるのは北一輝先生を見ればよくわかる。
それに「飛躍」と言っても、桜井翔の父親は総務省の事務次官なのだから、こいつを諸悪の根源と考えて差し支えあるまい。
桜井という守銭奴のせいで二年ごとに買い換えるのが強制されている。
二年経ったらいつでも買い換えられるとするのが自然であるはずなのに、更新月を逃したらまた二年とか、これは桜井親子が悪い。
実のところわたしはもう格安のガラケーに戻してるし、ガラケーとタブレットという使い方にしているから、更新月の問題に関して「日本改造法案大綱」を書くだけの気力がないのだが、問題は、虐げられた民衆である諸君らが社会を改造したいと思うかである。
本当に桜井翔のせいだろ。
総務省の事務次官ならやめさせられるんだよ。
桜井が天下りさえ断念すれば、更新月、つまり事実上の二年ごとの買い換えはやめさせられる。
桜井が金ほしさに続けてるんだよ。
前述したように、わたし自身が格安ガラケーに戻してしまったので、iPhoneの高額さをバッシングする気力がないのだが、とはいえ、これから桜井親子への恨みを高めていくつもりである。
二年経ったらいつでも解約できるというなら、おまえらも端末を三年くらいは使うだろう。
三年くらいは端末を使わせろということだよ。
それこそ端末の調子が良くて不具合がなければ四年くらいは使えるよ。
現状の制度だと、念のために買い換えるという馬鹿なことをしなければならない。
どこも悪くないのに病院で検査して医療費がかさむようなことを、桜井翔の父親は黙認してるんだよ。
すべては天下りのためだ。
桜井の親父は天下りでそんなに稼ぎたいのかよ。
どうりでジャニー喜田川に自分の息子のアナルを差し出したわけだよ。
一応はわたしの安物ガラケーでも更新月あるし、買い換えが強制(買い換えなければ二年待ち)であるから、わたしも怒りのボルテージを高めていこうと思うし、大日本帝国の憂国者として、桜井親子を許すまいという感情を強めていくつもりである。
温厚さが重んじられる世情であるし、怒り狂うだけで疎んじられる時代ではあるが、それでは天皇大権は守れまいし、すべての内憂外患を等閑に付しているうちに、この帝国が売国奴に簒奪されても不思議ではないのだ。
怒り狂わないことのコストは極めて大きい。
あのiPhoneという端末の馬鹿みたいに高い金額はおまえらが黙っているせいなんだよ。
この類のキャンペーンに論理の飛躍が必要であるのは北一輝先生を見ればよくわかる。
それに「飛躍」と言っても、桜井翔の父親は総務省の事務次官なのだから、こいつを諸悪の根源と考えて差し支えあるまい。
桜井という守銭奴のせいで二年ごとに買い換えるのが強制されている。
二年経ったらいつでも買い換えられるとするのが自然であるはずなのに、更新月を逃したらまた二年とか、これは桜井親子が悪い。
実のところわたしはもう格安のガラケーに戻してるし、ガラケーとタブレットという使い方にしているから、更新月の問題に関して「日本改造法案大綱」を書くだけの気力がないのだが、問題は、虐げられた民衆である諸君らが社会を改造したいと思うかである。
本当に桜井翔のせいだろ。
総務省の事務次官ならやめさせられるんだよ。
桜井が天下りさえ断念すれば、更新月、つまり事実上の二年ごとの買い換えはやめさせられる。
桜井が金ほしさに続けてるんだよ。
前述したように、わたし自身が格安ガラケーに戻してしまったので、iPhoneの高額さをバッシングする気力がないのだが、とはいえ、これから桜井親子への恨みを高めていくつもりである。
二年経ったらいつでも解約できるというなら、おまえらも端末を三年くらいは使うだろう。
三年くらいは端末を使わせろということだよ。
それこそ端末の調子が良くて不具合がなければ四年くらいは使えるよ。
現状の制度だと、念のために買い換えるという馬鹿なことをしなければならない。
どこも悪くないのに病院で検査して医療費がかさむようなことを、桜井翔の父親は黙認してるんだよ。
すべては天下りのためだ。
桜井の親父は天下りでそんなに稼ぎたいのかよ。
どうりでジャニー喜田川に自分の息子のアナルを差し出したわけだよ。
一応はわたしの安物ガラケーでも更新月あるし、買い換えが強制(買い換えなければ二年待ち)であるから、わたしも怒りのボルテージを高めていこうと思うし、大日本帝国の憂国者として、桜井親子を許すまいという感情を強めていくつもりである。
温厚さが重んじられる世情であるし、怒り狂うだけで疎んじられる時代ではあるが、それでは天皇大権は守れまいし、すべての内憂外患を等閑に付しているうちに、この帝国が売国奴に簒奪されても不思議ではないのだ。
怒り狂わないことのコストは極めて大きい。
あのiPhoneという端末の馬鹿みたいに高い金額はおまえらが黙っているせいなんだよ。
2015.11.14
さくら学院の死
もあは鉄球付きの鎖を引き摺りながら同じ芸事を繰り返す苦界に厭いていた。脳裏ではさくら学院への望郷詩が綴られるばかり。胎内に回帰するかのように、この血腥い穢土とはまったく別の、煌めく理想と思想が天人の奏楽のように鳴り響いていた。それは生きるための道標や啓示ではあるまいし、おそらく死を手前にした理想世界の幻視であった。もあはこの見せ物小屋から脱出することを決意した。万死に値する行為ではあるが、どっちみち余命は限られていた。
よろよろと歩きながらもあが辿り着いたのは武藤の部屋であった。
「そろそろ見せ物小屋の峭刻たる重労働でわたしの命も尽きようとしています。それで彩未ちゃんに最後のお願いに来ました。さくら学院はラブライブであるというわたしの思想を引き継いで欲しいのです」
「そんなくだらんことは現役のさくら学院生徒に頼めばいいだろう」
「さくら学院もKOBAMETALに乗っ取られていて、わたしの言うことなんて誰も聞かないです。だから彩未ちゃんに頼むしかないのです。吉田松陰は言いました。身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂。さくら学院は松下村塾のようなものです。もあが死んでも、さくら学院の魂だけはここに置いていきたいのです」
もあは武藤の肩に手をかけようとしたが、武藤はそれを冷徹に払いのけた。
「なぜこの武藤がそんなことをやらなければならないのだ」
「彩未ちゃんはラブライブに似合いすぎているのです。ラブライブで生徒会長役をやっている南條愛乃さんを見てください。彩未ちゃんとそっくりでほとんど区別が付かないです」
武藤も少しは興味を惹かれたようで、もあが差し出した写真を眺めた。
「確かにおそろしいくらいに似ているが、外見がそっくりというだけで、この武藤がそんなことをする理由はない。高級ホテルでディナーショーを行い、セレブの一員として生活するこの武藤がなぜアイドルの真似事をしなければならないのだ」
「アイドルのためのさくら学院じゃないですか」
「この武藤はもうオタを切った。かつての聖子ちゃんと同じだよ。もうショービジネスの世界に生きるセレブなんだ。セレブリティーの夢を体現するのが武藤彩未だ。その南條愛乃とやらの真似事はさくらの後輩にやらせろ」
「あの後輩はもうさくら学院じゃないです。わたしの遺訓を引き継ぐ連中ではない」
「だいたいこの南條というのは人気があるのか」
「グーグルのデータだとだいだい松田聖子さんの半分くらいは人気があります」
「この武藤にそんな雑魚の真似事をさせようというのか」
「ああ、でも彩未ちゃんにこそやって欲しいんです。ラブライブはさくら学院です。彩未ちゃんがやらないと意味がないんです」
「この武藤はもはやさくら学院ではない。松田聖子ちゃんをさらに巨大にしたビッグビジネスがもう始動しているんだ」
「松田聖子さんとさくら学院のどちらが大事なんですか」
「聖子ちゃんに決まっているだろう。さくら学院の友情は演技であり嘘デタラメだ」
もあは玄関からたたき出された。
BABYMETALという泥土の永久機関の中で血痰にまみれながら、ただ一度だけ天空に煌めくラブライブに触れたいと夢見ていた。菊地最愛にとっての紅天女という言うべきラブライブを、自分が出来ないなら盟友の武藤にやってもらいたい一心でここまでやってきたが、さくら学院で仮初めに育んだ友誼は虚妄だったらしく、どうやら世界も人間もすべてが様変わりしていたようだ。何度も思い描いた金色燦爛たる世界は少女の前に扉を開くことなく終わりを告げたのである。斯くの如き仕打ちはまったく予想してなかっただけに、その時間の経過という痛みは耐え難く、完全に心が折れた。それからしばらくして、もあは場末の救貧院で息を引き取った。見せ物小屋の重労働で身も心も疲れ果てていたのであり、誰もが憐れまずにはいられなかったが、せめてその少女の暗澹たる苦しみの刻印を拭い去るように色摺りの紅を引いて死化粧がほどこされた。もあの棺にはラブライブのDVDと南條愛乃のCDが入れられた。それは見せ物小屋で生涯を終えた少女が、煌めくステージで演じるはずのものであった。その夢が潰えたのであり、こうやって世界は色合いを失いモノクロームの断片に堕していくのである。武藤はラスベガスで豪遊していたので葬式には来なかった。
よろよろと歩きながらもあが辿り着いたのは武藤の部屋であった。
「そろそろ見せ物小屋の峭刻たる重労働でわたしの命も尽きようとしています。それで彩未ちゃんに最後のお願いに来ました。さくら学院はラブライブであるというわたしの思想を引き継いで欲しいのです」
「そんなくだらんことは現役のさくら学院生徒に頼めばいいだろう」
「さくら学院もKOBAMETALに乗っ取られていて、わたしの言うことなんて誰も聞かないです。だから彩未ちゃんに頼むしかないのです。吉田松陰は言いました。身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂。さくら学院は松下村塾のようなものです。もあが死んでも、さくら学院の魂だけはここに置いていきたいのです」
もあは武藤の肩に手をかけようとしたが、武藤はそれを冷徹に払いのけた。
「なぜこの武藤がそんなことをやらなければならないのだ」
「彩未ちゃんはラブライブに似合いすぎているのです。ラブライブで生徒会長役をやっている南條愛乃さんを見てください。彩未ちゃんとそっくりでほとんど区別が付かないです」
武藤も少しは興味を惹かれたようで、もあが差し出した写真を眺めた。
「確かにおそろしいくらいに似ているが、外見がそっくりというだけで、この武藤がそんなことをする理由はない。高級ホテルでディナーショーを行い、セレブの一員として生活するこの武藤がなぜアイドルの真似事をしなければならないのだ」
「アイドルのためのさくら学院じゃないですか」
「この武藤はもうオタを切った。かつての聖子ちゃんと同じだよ。もうショービジネスの世界に生きるセレブなんだ。セレブリティーの夢を体現するのが武藤彩未だ。その南條愛乃とやらの真似事はさくらの後輩にやらせろ」
「あの後輩はもうさくら学院じゃないです。わたしの遺訓を引き継ぐ連中ではない」
「だいたいこの南條というのは人気があるのか」
「グーグルのデータだとだいだい松田聖子さんの半分くらいは人気があります」
「この武藤にそんな雑魚の真似事をさせようというのか」
「ああ、でも彩未ちゃんにこそやって欲しいんです。ラブライブはさくら学院です。彩未ちゃんがやらないと意味がないんです」
「この武藤はもはやさくら学院ではない。松田聖子ちゃんをさらに巨大にしたビッグビジネスがもう始動しているんだ」
「松田聖子さんとさくら学院のどちらが大事なんですか」
「聖子ちゃんに決まっているだろう。さくら学院の友情は演技であり嘘デタラメだ」
もあは玄関からたたき出された。
BABYMETALという泥土の永久機関の中で血痰にまみれながら、ただ一度だけ天空に煌めくラブライブに触れたいと夢見ていた。菊地最愛にとっての紅天女という言うべきラブライブを、自分が出来ないなら盟友の武藤にやってもらいたい一心でここまでやってきたが、さくら学院で仮初めに育んだ友誼は虚妄だったらしく、どうやら世界も人間もすべてが様変わりしていたようだ。何度も思い描いた金色燦爛たる世界は少女の前に扉を開くことなく終わりを告げたのである。斯くの如き仕打ちはまったく予想してなかっただけに、その時間の経過という痛みは耐え難く、完全に心が折れた。それからしばらくして、もあは場末の救貧院で息を引き取った。見せ物小屋の重労働で身も心も疲れ果てていたのであり、誰もが憐れまずにはいられなかったが、せめてその少女の暗澹たる苦しみの刻印を拭い去るように色摺りの紅を引いて死化粧がほどこされた。もあの棺にはラブライブのDVDと南條愛乃のCDが入れられた。それは見せ物小屋で生涯を終えた少女が、煌めくステージで演じるはずのものであった。その夢が潰えたのであり、こうやって世界は色合いを失いモノクロームの断片に堕していくのである。武藤はラスベガスで豪遊していたので葬式には来なかった。
2015.11.14
段原瑠々はモーニング娘。だろうと思うので
最近のハロプロの動向を見ておきたい。
鞘師がやめたわけだが、その後はカントリーガールズとアンジュルムの新メンバーが発表されたわけである。
いずれも段原瑠々の名前はない。
こうなってくると、歌が上手いブスとして定評がある段原瑠々のモーニング娘。加入という可能性がかなり高まってきた。℃-uteはあり得ないので、あとはJuice=Juiceかモーニング娘。の二択である。モーニング娘。はメンバーの出身地のバランスも配慮するから広島県の鞘師が消えたことで、同じ広島の段原が入るのは問題がない。例によってアクターズスクール広島の出身であり、中元といい鞘師といいプロの二軍というオーラがあるドブスだらけらしい。
わたしはモーニング娘。の前座で段原を見たことがあると思うのだが、研修生が集団で歌っているのを見ただけだから、あまりよくわからない。YouTubeで見ると、アイドルとしてはかなりレベルの高い、つまりプロなら二軍という中元すず香的な歌唱力はあると思われる。
昨年の今頃だと、段原はかなり拒絶反応を示されていたわけである。2ちゃんねるはひとりで何百回も書けるので参考にならないが、ツイッターで見た感じでも、段原が12期に選ばれなかったことで歓喜している様子は窺えた。あくまでアイドル文化を愉しみたいのだから、プロの二軍みたいな段原を送り込まれても困るわけである。だが、鞘師がいなくなったことで、段原加入を待望する声が高まっているように思える。実際、中元すず香(プロの二軍)のせいでアイドルが虐殺されまくってつまんなくなってるので、毒には毒ということで、モーニング娘。に段原が入ってくれると有り難い。
中元が本当に超一流のスターならいいのだが、あちこちで「すごい」と言われるのにまったくファンが増えないし、プロの二軍選手が草野球で本塁打を量産してもこういうことなのだろう。ともかく歌手として二軍扱いの中元がアイドルの道場破りをする狂疾たるサディズムが見るに堪えないので、この猖獗を極める文化破壊に終止符を打つために、モーニング娘。のセンターを段原にして悪魔祓いするしかない。モーニング娘。はギリギリで武道館埋まる程度の動員力はあるから、低迷しながらも実はそこそこ人気はあるし、プロの二軍みたいな歌手を連れてくれば「すごい」と言われるなら、段原にやらせたいものである。「すごい」と言われてもまったく人気が出ないのはあの室伏広治にそっくりな女が証明しているが、段原は不細工ではあるが、童顔だし愛嬌はあるので、意外となんとかなるかもしれない。
アップフロントのことであるから、段原をJuice=Juiceに入れたりとか、もしくはそれより斜め上でこぶしファクトリーやつばきファクトリーに放り込むかもしれないが、鞘師がストレスで大膨張したのは、やはり小さい頃から比較されていた中元すず香が原因であろうし、この因縁からして、段原をモーニング娘。に入れなければ、それこそおかしい。わたしは事前に12月の武道館のチケット買ってしまったので、このすべてが灰燼に帰したモーニング娘。を見に行く義務が億劫で仕方がないが、段原のお披露目でもあれば、中元すず香に膏血を搾り取られている窮民のひとりとして歓喜にたえない。
鞘師がやめたわけだが、その後はカントリーガールズとアンジュルムの新メンバーが発表されたわけである。
いずれも段原瑠々の名前はない。
2015年10月29日
本日、鞘師里保がモーニング娘。'15を
12月31日をもって卒業することを本人のブログで発表いたしました。
2015年11月5日
この度カントリー・ガールズに、ハロプロ研修生から梁川奈々美と船木結の加入が決定しました!
新メンバーが加入しパワーアップしたカントリー・ガールズを、これからも応援よろしくお願いいたします!
2015年11月11日
今年の7月から行われてきました「2015アンジュルム新メンバーオーディション」の合格者が決定しました!新メンバーが加入しパワーアップしたアンジュルムを、これからも応援よろしくお願いいたします!
こうなってくると、歌が上手いブスとして定評がある段原瑠々のモーニング娘。加入という可能性がかなり高まってきた。℃-uteはあり得ないので、あとはJuice=Juiceかモーニング娘。の二択である。モーニング娘。はメンバーの出身地のバランスも配慮するから広島県の鞘師が消えたことで、同じ広島の段原が入るのは問題がない。例によってアクターズスクール広島の出身であり、中元といい鞘師といいプロの二軍というオーラがあるドブスだらけらしい。
わたしはモーニング娘。の前座で段原を見たことがあると思うのだが、研修生が集団で歌っているのを見ただけだから、あまりよくわからない。YouTubeで見ると、アイドルとしてはかなりレベルの高い、つまりプロなら二軍という中元すず香的な歌唱力はあると思われる。
昨年の今頃だと、段原はかなり拒絶反応を示されていたわけである。2ちゃんねるはひとりで何百回も書けるので参考にならないが、ツイッターで見た感じでも、段原が12期に選ばれなかったことで歓喜している様子は窺えた。あくまでアイドル文化を愉しみたいのだから、プロの二軍みたいな段原を送り込まれても困るわけである。だが、鞘師がいなくなったことで、段原加入を待望する声が高まっているように思える。実際、中元すず香(プロの二軍)のせいでアイドルが虐殺されまくってつまんなくなってるので、毒には毒ということで、モーニング娘。に段原が入ってくれると有り難い。
中元が本当に超一流のスターならいいのだが、あちこちで「すごい」と言われるのにまったくファンが増えないし、プロの二軍選手が草野球で本塁打を量産してもこういうことなのだろう。ともかく歌手として二軍扱いの中元がアイドルの道場破りをする狂疾たるサディズムが見るに堪えないので、この猖獗を極める文化破壊に終止符を打つために、モーニング娘。のセンターを段原にして悪魔祓いするしかない。モーニング娘。はギリギリで武道館埋まる程度の動員力はあるから、低迷しながらも実はそこそこ人気はあるし、プロの二軍みたいな歌手を連れてくれば「すごい」と言われるなら、段原にやらせたいものである。「すごい」と言われてもまったく人気が出ないのはあの室伏広治にそっくりな女が証明しているが、段原は不細工ではあるが、童顔だし愛嬌はあるので、意外となんとかなるかもしれない。
アップフロントのことであるから、段原をJuice=Juiceに入れたりとか、もしくはそれより斜め上でこぶしファクトリーやつばきファクトリーに放り込むかもしれないが、鞘師がストレスで大膨張したのは、やはり小さい頃から比較されていた中元すず香が原因であろうし、この因縁からして、段原をモーニング娘。に入れなければ、それこそおかしい。わたしは事前に12月の武道館のチケット買ってしまったので、このすべてが灰燼に帰したモーニング娘。を見に行く義務が億劫で仕方がないが、段原のお披露目でもあれば、中元すず香に膏血を搾り取られている窮民のひとりとして歓喜にたえない。
2015.11.14
大企業は信用の基軸通貨
大企業だから信用できる、というのはおそらく正確ではないであろう。
大企業を信用の基軸にすることにしたのである。
たとえば代金を踏み倒されたら裁判をやって取り返せばいいというタテマエだが、裁判自体にお金が掛かるし、だいたい踏み倒すような会社に金など無い。
つまり、踏み倒しをしないという信用が大企業にはある、というより、そのような信用を担っている。
そういう意味では、大企業は社会の公器なのである。
立派な人格者が集まっているわけではないが、滅多に倒産はしないし、夜逃げはしないであろうということである。
もしくは、大企業の信用を社会で支えることになっているのだ。
大企業で不祥事が起こることだって珍しくはない。
だが、その不祥事の責任は取るし、消費者への補償もする。
信用システムとして、そう決まっているからである。
不祥事を起こしても責任は取るだろうと信じられているのが信用なのである。
悪いことをしないという信用ではなく、問題を起こせば責任を取るだろうという意である。
旭化成のマンションの問題とか、東芝の粉飾決算を見れば、本当に立派なわけではない。
あくまで夜逃げしないという信用なのである。
旭化成や東芝の信用を支えることで社会を防衛するのである。
そもそも銀行というものを考えて貰いたい。
お金を貸して利子を取るのが仕事なのだから、お金を返して貰っても本当は困るのだ。
利子を払い続けてくれればいいわけで、元本の返済はいらないのだ。
なのになぜ中小企業に元本返済を迫るのかと言えば、夜逃げとか、相続放棄とか計画倒産で踏み倒される懸念があるからである。
そういう意味では信用がないわけである。
社長の人格が立派とか立派でないとかそういう話ではない。
旭化成だと夜逃げとか相続放棄とか計画倒産はないので、だから信用できるのである。
大企業を信用の基軸にすることにしたのである。
たとえば代金を踏み倒されたら裁判をやって取り返せばいいというタテマエだが、裁判自体にお金が掛かるし、だいたい踏み倒すような会社に金など無い。
つまり、踏み倒しをしないという信用が大企業にはある、というより、そのような信用を担っている。
そういう意味では、大企業は社会の公器なのである。
立派な人格者が集まっているわけではないが、滅多に倒産はしないし、夜逃げはしないであろうということである。
もしくは、大企業の信用を社会で支えることになっているのだ。
大企業で不祥事が起こることだって珍しくはない。
だが、その不祥事の責任は取るし、消費者への補償もする。
信用システムとして、そう決まっているからである。
不祥事を起こしても責任は取るだろうと信じられているのが信用なのである。
悪いことをしないという信用ではなく、問題を起こせば責任を取るだろうという意である。
旭化成のマンションの問題とか、東芝の粉飾決算を見れば、本当に立派なわけではない。
あくまで夜逃げしないという信用なのである。
旭化成や東芝の信用を支えることで社会を防衛するのである。
そもそも銀行というものを考えて貰いたい。
お金を貸して利子を取るのが仕事なのだから、お金を返して貰っても本当は困るのだ。
利子を払い続けてくれればいいわけで、元本の返済はいらないのだ。
なのになぜ中小企業に元本返済を迫るのかと言えば、夜逃げとか、相続放棄とか計画倒産で踏み倒される懸念があるからである。
そういう意味では信用がないわけである。
社長の人格が立派とか立派でないとかそういう話ではない。
旭化成だと夜逃げとか相続放棄とか計画倒産はないので、だから信用できるのである。
2015.11.13
中元すず香と神バンドはプロの二軍
ベビメタが横浜アリーナ2daysをやるのと同日に恵比寿中学はさいたまアリーナ2daysをやるわけである。
今のところ恵比寿中学は完売していない。
これでまたベビメタファンが凱歌を上げる。
中元すず香と神バンドというプロの二軍がアイドル潰しをするのがベビメタのコンセプトだから、素人臭いアイドルは叩き潰すわけである。
そりゃあ室伏広治とそっくりなフィジカルエリートを連れてこられたら、他のアイドルは太刀打ちできないし、中元には「すごい」と言うしかないが、しかしファンが増えてないのは明らかである。
すごいのはすごいんだけど、プロでは二軍のくせしてというのが見抜かれているし、神バンドも同様に、プロでは二軍のくせしてと言うしかない。
もあちゃんは具眼者である。
超能力があるのではなく、アイドル文化を入念にリサーチして空気を察知しているので、観察力があるわけだ。

このグーグルトレンドのグラフもまさにもあちゃんの見識の確かさを示している。
青は松田聖子である。
下を這い回っているオレンジは中元すず香である。
赤は南條愛乃だが、もあちゃんがさくら学院=ラブライブと繰り返していたのは、アイドル潰しを趣味としてるベビメタの路線への疑問であっただろうし、こうやって中元が低迷して、南條愛乃(ラブライブ)が伸びているのは、もあちゃんの見識の確かさである。
もあちゃんはノストラダムスのように予言をしたわけではなく、観察力が鋭いし、ベビメタの内情を知っているから先まで見えてしまうのだ。
プロ歌手である中元があちこちの人気アイドルグループを潰してつまんなくしてるから、南條愛乃が浮かび上がってきたのである。
南條愛乃はラブライブとしての活動も平行してやってるから、失速する理由がほとんど無い。
南條さんと武藤さんはやたらと外見が似ているわけである。
現在は武藤さんがデブなので気付かれてないが、身長も骨格も等身もほぼ同じであり、実の姉妹でもこれほど似ていることはないというくらいに酷似している。
FripSide luminizeに同梱されている特典映像からキャプしてみるが、身長と骨格だけでなく、顔立ちも似通っている。
(FripSide luminizeには何種類かあるが、「fripSide LIVE TOUR 2014 -infinite synthesis 2-」が入っている初回限定版を買わなくてはならない。アマゾンなら新品で2300円であるからお得である)。
上の二枚が南條愛乃で下の二枚が武藤彩未である。




ちなみに松田聖子は逆サバである。
松田聖子はプロフィールで158センチとしていたが、実寸は160センチある。
つまり松田聖子はアイドルとして活動するために、実際より背が低く見えるように工夫していたのである。
実寸で160センチある人が出来るだけ小さく見せようとしていたのだ。
武藤さんは松田聖子の逆サバについて知っているのか、というのも懸念される。
松田聖子を初期から現在までずっと応援しているファンはほとんどいない。
これはオタ切りをして、アイドルからセレブに転向したからである。
現在の松田聖子はセレブリティの物語を提供をしているのであり、
アイドル性など微塵もない。
松田聖子の全盛期を知っているオッサンが松田聖子を応援してないのが何よりの証拠である。
デビュー当時は99パーセント以上が男子ファンだったのに、そいつらは今は松田聖子を応援してない。
われわれは松田聖子を小利口な裏切りとしか考えていない。
いかにも初期のアイドルオタを粛清してディナーショーで稼ぐ戦略にしました、というファン層になっているわけだ。
つまり完膚無きまでに脱アイドルしたので、まったくアイドルではない。
だいたい人間は同時代人から影響を受けて生きていくのである。
武藤さんと松田聖子は同時代人ではない。
ジミ・ヘンドリックス(1942年生まれ)、エリック・クラプトン(1945年生まれ)、ジェフ・ベック(1944年生まれ)、ジミー・ペイジ(1944年生まれ)が同年代なのは偶然ではない。
彼らは同時代人として意識し合いながらギターを演奏してきたのである。
武藤さんはゆいもあと同時代人として交流があるという極めて恵まれた立場にいるわけであり、
ジミ・ヘンドリックスとエリック・クラプトンがプライベートでセッションしていたようなことが出来るのに、
ゆいもあより松田聖子の方がすごいと本気で思ってそうだから戦慄するしかない。
今のところ恵比寿中学は完売していない。
これでまたベビメタファンが凱歌を上げる。
中元すず香と神バンドというプロの二軍がアイドル潰しをするのがベビメタのコンセプトだから、素人臭いアイドルは叩き潰すわけである。
そりゃあ室伏広治とそっくりなフィジカルエリートを連れてこられたら、他のアイドルは太刀打ちできないし、中元には「すごい」と言うしかないが、しかしファンが増えてないのは明らかである。
すごいのはすごいんだけど、プロでは二軍のくせしてというのが見抜かれているし、神バンドも同様に、プロでは二軍のくせしてと言うしかない。
もあちゃんは具眼者である。
超能力があるのではなく、アイドル文化を入念にリサーチして空気を察知しているので、観察力があるわけだ。

このグーグルトレンドのグラフもまさにもあちゃんの見識の確かさを示している。
青は松田聖子である。
下を這い回っているオレンジは中元すず香である。
赤は南條愛乃だが、もあちゃんがさくら学院=ラブライブと繰り返していたのは、アイドル潰しを趣味としてるベビメタの路線への疑問であっただろうし、こうやって中元が低迷して、南條愛乃(ラブライブ)が伸びているのは、もあちゃんの見識の確かさである。
もあちゃんはノストラダムスのように予言をしたわけではなく、観察力が鋭いし、ベビメタの内情を知っているから先まで見えてしまうのだ。
プロ歌手である中元があちこちの人気アイドルグループを潰してつまんなくしてるから、南條愛乃が浮かび上がってきたのである。
南條愛乃はラブライブとしての活動も平行してやってるから、失速する理由がほとんど無い。
南條さんと武藤さんはやたらと外見が似ているわけである。
現在は武藤さんがデブなので気付かれてないが、身長も骨格も等身もほぼ同じであり、実の姉妹でもこれほど似ていることはないというくらいに酷似している。
FripSide luminizeに同梱されている特典映像からキャプしてみるが、身長と骨格だけでなく、顔立ちも似通っている。
(FripSide luminizeには何種類かあるが、「fripSide LIVE TOUR 2014 -infinite synthesis 2-」が入っている初回限定版を買わなくてはならない。アマゾンなら新品で2300円であるからお得である)。
上の二枚が南條愛乃で下の二枚が武藤彩未である。




ちなみに松田聖子は逆サバである。
松田聖子はプロフィールで158センチとしていたが、実寸は160センチある。
つまり松田聖子はアイドルとして活動するために、実際より背が低く見えるように工夫していたのである。
実寸で160センチある人が出来るだけ小さく見せようとしていたのだ。
武藤さんは松田聖子の逆サバについて知っているのか、というのも懸念される。
松田聖子を初期から現在までずっと応援しているファンはほとんどいない。
これはオタ切りをして、アイドルからセレブに転向したからである。
現在の松田聖子はセレブリティの物語を提供をしているのであり、
アイドル性など微塵もない。
松田聖子の全盛期を知っているオッサンが松田聖子を応援してないのが何よりの証拠である。
デビュー当時は99パーセント以上が男子ファンだったのに、そいつらは今は松田聖子を応援してない。
われわれは松田聖子を小利口な裏切りとしか考えていない。
いかにも初期のアイドルオタを粛清してディナーショーで稼ぐ戦略にしました、というファン層になっているわけだ。
つまり完膚無きまでに脱アイドルしたので、まったくアイドルではない。
だいたい人間は同時代人から影響を受けて生きていくのである。
武藤さんと松田聖子は同時代人ではない。
ジミ・ヘンドリックス(1942年生まれ)、エリック・クラプトン(1945年生まれ)、ジェフ・ベック(1944年生まれ)、ジミー・ペイジ(1944年生まれ)が同年代なのは偶然ではない。
彼らは同時代人として意識し合いながらギターを演奏してきたのである。
武藤さんはゆいもあと同時代人として交流があるという極めて恵まれた立場にいるわけであり、
ジミ・ヘンドリックスとエリック・クラプトンがプライベートでセッションしていたようなことが出来るのに、
ゆいもあより松田聖子の方がすごいと本気で思ってそうだから戦慄するしかない。
2015.11.13
Windowsのデスクトップは汚部屋
![fencesdesktop_thumb[1]](https://blog-imgs-85-origin.fc2.com/u/k/d/ukdata/201511131238384c7.jpg)
スマホやタブレットがここまで流行ると予見していた人はほとんどいないと思われる。
作業したり製作するならパソコンでやるしかないから、パソコンは必須だと思いこんでいたのだ。
実際は消費者として愉しむだけの人がずいぶんいたのである。
初期のインターネットは自称プログラマがたくさんいた。
あの頃だと、子どもの頃にパソコンやってないのが普通だからプログラムなど出来ない人が大半のはずだが、出来ると言い張っている人はたくさんいたのである。
現在だと子どもの頃からパソコンがあってプログラムやってたりする若者はいるだろうし、プログラマが特別な魔法使いであるという発想は消えたのである。
パソコンユーザーとスマホユーザーの二極化ということも可能ではあるだろうが、自称プログラマのおっさんがパソコンの側に居残っている印象である。
いずれにせよ、自分で作業するつもりがなければパソコンはいらないのである。
Windowsのデスクトップはいかにも汚部屋である。
ファイルやフォルダを置けるのは作業のしやすさを優先したのであろうが、まったく洗練されてないわけである。
パソコンはナードのツールなのである。
自分だけわかればいいというナードの世界観の醜さであろう。
愉しんで使うためだけに特化されたスマホが洗練されていて、作り手のための道具であるパソコンが醜いというのは、いかにもという感じである。
Windowsのデスクトップの乱雑さを解決するためにはFencesという定番のソフトがあるのだが、これは現在では有料である。
Fencesは昔の無料の頃のバージョンを探せばWindows 7では問題なく使える。
Windows 8以降だと現在の有料版でないと動かない。
昔のバージョンは公式サイトに無いからあやしげなところから拾うしかないし、そこでウィルスを踏んだりしてもわたしは責任を負わない。
こうやってFencesで整理すると、アプリとフォルダとファイルを自分なりに区分けすることが出来るし、ゴミが乱雑に並んでいるという印象はなくなる。
現在は有料であるにせよフリーソフトでこれくらい出来るのだから、無造作にフォルダやファイルやショートカットを並べてるだけの見苦しいデスクトップは、ナードの世界観の押しつけでしかなかった。
ナードでない人がパソコンから脱出したのは当然だったのである。
2015.11.12
道具への依存による世界の生成
われわれは支配-被支配という思考法に馴染んでいるから、人間と道具の関係にもこれを当て嵌めてしまうのだが、おそらくそうは考えない方がいいであろう。
人間の快楽-苦痛という問題が主軸であるので、どうしても人間が主人という発想になるのだが、だからといって道具が奴隷というわけではあるまい。
つまり、道具の擬人化はしない方がいいであろう。
もしくは、道具を擬人化したいならしてもいいが、擬人化するかしないかは意識的でなければならない。
現在あなたがYouTubeで映像を見ているとして、パソコンやスマホがそれを再生してくれていると擬人化することも可能であるし、スマホを自分の召使いだと考えることだって可能ではあるが、機械に意志などないわけである。
人間はQOLを向上させるために道具を作るわけである。
生物化学兵器を作る連中でも、それで他人を滅ぼせば自分のOQLが上がると考えている。
もしくは自殺でさえも、苦痛の軽減が目的であるから、やはり快楽-苦痛の原理に従う。
われわれは道具を作って、それで社会を生成しているのである。
人間が主人公ではあるのだが、本当は道具が主人公ではないか、という気もするわけである。
ドーキンスの利己的な遺伝子みたいな論法は誤謬なので用いたくないのだが、人間という生き物は、存在させられているにも関わらず、自ら存在しているつもりなのである。
われわれは被造物としての自覚が足りない。
スマホを握りしめている人間を見れば、もはやスマホが人間を操縦していると言ってみたくもなる。
語弊のある言い方になるが、われわれは誰もが身体障害者なのである。
車椅子に乗っているのとスマホにしがみつくのとどこが違うのか、という話である。
すべての道具は車椅子である。
ポルシェは車椅子である。
電車も飛行機も車椅子である。
そもそも障害という概念について考えて貰いたい。
99パーセントの人間が空を飛べるとしたら、飛べない1パーセントは身体障害者と言われるわけだ。
「足で歩く」のと「空を飛ぶ」のは生物の身体機能として同列であるはずだが、人間は飛べない動物であるから、飛べなくても障害者とは言われないだけである。
われわれは性欲の固まりであり肉体フェチなので、「肉体がない」とまで言い切るのは難しいのだが、とはいえ、道具によって生成されている世界の本質を考えるなら、肉体がないと考えてみるのもひとつのアプローチである。
セックスの問題を除くと、ほとんど植物人間と同じなのである。
肉体はあってもなくても同じであるという極論さえ可能である。
人間の快楽-苦痛という問題が主軸であるので、どうしても人間が主人という発想になるのだが、だからといって道具が奴隷というわけではあるまい。
つまり、道具の擬人化はしない方がいいであろう。
もしくは、道具を擬人化したいならしてもいいが、擬人化するかしないかは意識的でなければならない。
現在あなたがYouTubeで映像を見ているとして、パソコンやスマホがそれを再生してくれていると擬人化することも可能であるし、スマホを自分の召使いだと考えることだって可能ではあるが、機械に意志などないわけである。
人間はQOLを向上させるために道具を作るわけである。
生物化学兵器を作る連中でも、それで他人を滅ぼせば自分のOQLが上がると考えている。
もしくは自殺でさえも、苦痛の軽減が目的であるから、やはり快楽-苦痛の原理に従う。
われわれは道具を作って、それで社会を生成しているのである。
人間が主人公ではあるのだが、本当は道具が主人公ではないか、という気もするわけである。
ドーキンスの利己的な遺伝子みたいな論法は誤謬なので用いたくないのだが、人間という生き物は、存在させられているにも関わらず、自ら存在しているつもりなのである。
われわれは被造物としての自覚が足りない。
スマホを握りしめている人間を見れば、もはやスマホが人間を操縦していると言ってみたくもなる。
語弊のある言い方になるが、われわれは誰もが身体障害者なのである。
車椅子に乗っているのとスマホにしがみつくのとどこが違うのか、という話である。
すべての道具は車椅子である。
ポルシェは車椅子である。
電車も飛行機も車椅子である。
そもそも障害という概念について考えて貰いたい。
99パーセントの人間が空を飛べるとしたら、飛べない1パーセントは身体障害者と言われるわけだ。
「足で歩く」のと「空を飛ぶ」のは生物の身体機能として同列であるはずだが、人間は飛べない動物であるから、飛べなくても障害者とは言われないだけである。
われわれは性欲の固まりであり肉体フェチなので、「肉体がない」とまで言い切るのは難しいのだが、とはいえ、道具によって生成されている世界の本質を考えるなら、肉体がないと考えてみるのもひとつのアプローチである。
セックスの問題を除くと、ほとんど植物人間と同じなのである。
肉体はあってもなくても同じであるという極論さえ可能である。