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武藤彩未さんがアミューズ残留なのか円満退社なのか不明だが、おそらく円満退社であろうし、アミューズ所属でなくなったら、ようやく周囲の冷たい目線に気付くのであろう。

武藤彩未さんはステージでは明らかに太っているわけだ。
これが活動休止の大きな原因となったわけである。
だが、不思議なことにライブが終わると痩せているのである。
2014年4月29日の渋谷公会堂のライブ直後のLogirlを見れば、明らかなのである。
あの運動量だと三キロぐらいは痩せると思うので、ダンスが負担で太っていた可能性もある。

念を押しておくが、上の二枚の画像は、いずれも2015年4月29日の武藤彩未さんなのである。
まったく同じ日でこれだけ体型が違うのである。
ライブだけ見てるとクソデブだが、ライブ終了後はかなりの美人であるのは言うまでもない。

これは武藤彩未さんのマネージャーの保身の結果でもあるだろう。
Perfume周辺に間借りしている格好だったと思うので、武藤さんの側からあまり注文を出せなかったはず。
武藤さんのマネージャーは権限なさそうだから、問題が発生しても黙過していたのである。
いくら権限がないとは言ってもアミューズの正社員だろうから、そこらの通行人とは違うであろうが、しかしアミューズ社員だからこそ、今後の人生を考えて、武藤さんのことでPerfumeのスタッフと喧嘩するのは損だと考えたのだ。

ダンスをやめれば痩せるという単純な話ではないだろうが、画像で比較してみれば、ライブ終了後にかなり痩せているのは明らかである。
歌うだけなら、運動量を気にする必要がないから、痩せた方の状態でステージに上がれていたわけだ。
ステージに上がる前に絞れるだけ絞って、ステージでは動かないというやり方も可能だった。

ダンスをやめるとなると、MIKIKO先生の問題も含めて、全面的に見直すことになる。
MIKIKO先生は陰険そうなババアだし、迂闊に断れないであろう。
MIKIKO先生の振り付けで成功した事例もたくさんあるが、武藤さんの身長からして、誰がやっても難しいであろう。
あるいは振り付けが悪いと言うよりは、体力面で負担が大きすぎるのが最大の問題だが、ともかくやめるべきだったし、MIKIKO先生も降板したかっただろうが、武藤さんのマネージャーの方から断ると臍を曲げてもおかしくないし、だから武藤さんのマネージャーはMIKIKO先生との関係悪化を懸念して何も言わなかったのである。

根本的には武藤彩未さんの性格が難しいから、誰も本当は担当したくないわけで、武藤さんのためではなく、アミューズの仕事としてやってる人しか周囲にいないし、武藤さんのために喧嘩してくれる人もいないわけである。
小林啓が中元すず香に執着しているような、ああいう関係がなかったのだ。
武藤さんはスタッフを「いい人」だというけど、武藤さんが退社に追い込まれて解放されるのを待っていただけであろう。
Perfume周辺と喧嘩するよりは、武藤さんの失敗の責任を取る方がダメージが少ないという判断である。

Logirlで清野さんと固定して組み合わせたのも、武藤さんのスタッフの出来の悪さである。
ああいう形だと清野さんに降板してくれとは言えまいし、万事が万事こういう具合である。
軌道修正が困難なことばかりやるから身動きが取れなくなる。
武藤彩未さんは森先生を希望したはずだが、たぶんさくら学院の方からNGが出たのであろう。
武藤さんと森先生の共演はNGではないが、レギュラーで毎週毎週はNGだと言われたはず。
そうでなければ森先生がやっているはずである。
武藤さんが司会でゲストの人をいろいろ呼ぶという形式なら、不定期で森先生も呼べた。
そもそも武藤さんは司会の方が向いているのに、なんかスタッフが本人の適性を把握してない感じがある。
やはり武藤彩未さんが頑固で面倒な人間なので、武藤さんを押しつけられたスタッフがその面倒さをなぞっていたのであろう。
本人が頑固すぎて面倒だから、周囲も柔軟性を失っていったように思える。
釈迦は苦行を否定したわけである。
苦行をしてはいけないというわけではないが、闇雲に苦しむようなことは否定した。
ただ単に座っているだけで悟りは開けるのである。

何かをやるために気合いを入れるのは、どこか堕落しているからである。
普段からの行住坐臥がきちんとしているのであれば、気合いを入れる必要がない。
気合いを入れたがるのは、わりとADHD気質というか、気分にムラがあるわけである。
自分に鞭を入れる姿は美徳のようにも見えるが、鞭を入れなければ動けない状態とも言えるから、やはり普段は怠けている。
試験前の一夜漬けのためにカフェイン剤を囓りながら徹夜している人がいるとしたら、それは頑張っていると言うよりは、日頃の自堕落の埋め合わせであり、試験が終わればまた自堕落の世界に帰還していく。
365日を通してずっと安定している人間なら気合いを入れる必要はない。

気合いを入れている人を見たら、それは釈迦と対極の人間であると考えていいであろう。
緩んでいる螺子を締め直そうというのであるから、雑念が遊弋する野放図で自堕落な生活が背景にあるのは間違いない。
臨済宗の棒喝みたいなのもあるが、道元が目的もなくただ座っているだけの坐禅を説いたのは、正しい思想なのである。
道元が坐禅だけでなく普段からの生活態度を重視したのも当然のことであろう。
煩悩が積もるだけ積もってから掃除しようというのは仏教の本意ではあるまい。
坐禅をやる時だけ無色透明の究竟たる境地に達し、やってない時は自堕落に塗れた煩悩の塊というのでは何の意味もない。
自堕落という原罪が或る限り、どれだけ土壇場で気合いを入れても贖うことは出来ない。
そもそも世を遁れて捨聖にならずとも、落ち着きのある人は普段からの準備がしっかりしている。
グーグルは2015年9月にGoogle Play Musicを日本でも始めたわけである。
3500万曲という如何にも凄そうなラインナップであるし、US垢でやっていた人によれば、洋楽は何でもかんでも揃っているということだったので、期待していたわけである。
GPM(Google Play Music)は月額980円であり、わたしは最初のキャンペーンで申し込んだので780円で使い続けているのだが、やはりこのサービスは物足りない。
洋楽アーティストでアルバム10枚出している人がいるとする。
US垢だと10枚全部あるらしいが、日本のGPMだと7枚くらいしかない感じである。
権利関係がクリアできないから、レーベルとの関係で、どうしても抜け落ちてしまうのであろう。
このように歯抜けが多い状態だと、YouTubeでいいだろうという気もする。
たかが780円だから払ってるんだけど、邦楽のラインナップは壊滅的であるし、あんまり加入する意味はない。
たいした金額じゃないから、わたしは今後も使い続けると思うが、日本は冷遇されているようであり、黄禍思想は依然として健在であるらしい。
US垢を取得してそれで利用すればいいじゃないか、と言うかもしれないが、これまたいろいろとチェックが厳しくて、なかなか面倒であるらしい。

Spotifyが日本に上陸しないのも、このGPM(Google Play Music)の惨状からすれば察しである。
Spotifyは大量に洋楽があるらしいが、日本に上陸したらスカスカになる。
そういうことなのだろうと思う。
邦楽が0であっても、洋楽さえ大量に揃っているのなら需要はあると思うが、GPMの歯抜け状態からして、アルバム10枚あったら3枚くらいはなかったりすると予想されるわけである。
techcrunchの10月頃の報道ではSpotifyは東京に四人の社員を置いて準備はしているそうだから、意欲はあるのだろうけど、たぶん難航しているのであろう。
正直とは何かというと、言葉の世界なのである。
すべてを言葉で伝える、という発想だ。

言葉で伝えるのは実はあまり好ましくなく、本当は言われなくてもわかる方が望ましい。

長男は不器用で次男は器用だというのは、かなり強い傾向があり、多くの人の見解が一致するところであろう。
長男は言葉の世界に生きており正直者だが、次男は言葉の世界に生きていない。
長男だと親と言葉で確認し合いながら生きているが、次男だと確認されないのである。
そしてあれこれ細かく言われてない次男の方が要領がいいのである。

正直とは親に全てを申告する発想であり、言葉でなにもかも説明しようという態度であるから、この悪癖が身についていると、人間の裏側が読みづらくなる。

いろんな意味で人間は正直には説明しない。
必ずしもこれはずるさではなく、あんまり正直に言うと角が立つことは多々ある。
何でもかんでも明け透けに言うのは、まさに発達障害の世界である。
敢えて言わないというのも、ひとつのモラルであるから、嘘がすべて人倫に反しているということはない。

次男が器用なのは「正直に言いなさい」と親から情報開示を迫られないからである。
言葉で確認作業をしてしまうと、ソーシャルスキルが低くなる。
親の過干渉というのが問題になるのも、他者とのコミュニケーションは、あえて言わないというのが基本なのに、過干渉だと言葉に囚われるからである。
未来は未開拓地であり、10年後の世界は誰も知らない。
とはいえ、個々人のスペックに関しては固定されているので、そこは正体がバレている。
フリーターの人が10年後もフリーターであることは確定している。
どこでアルバイトをしているかまでは予見できないが、フリーターであることは予見できる。
世界が複雑系であるのに対して、個々人のスペックはだいたい固定であるから流動性はない。
そこらへんのオッサンがいきなりサッカーの天才になって世界的スターになるとか、そういうことはないわけだ。
世界がどれだけ変わろうとも、自分がたいしたことないのに変わりはない、もしくはハイスペックな人なら10年後もハイスペックであろう。

人間が10代後半あたりで自我に目覚めるのは、おそらく、そこに至るまではかなり多くの夢想に囚われているからである。
中学生なら中学生の閉じた世界を生きている。
10代後半ともなると、肉体の成長が止まり自分の実像と向き合わされることで、描いていたイメージが破綻して思い悩むわけである。
個人個人の性能が固定されているという人間の根本問題に行き当たるわけである。
個人個人のポテンシャルは周囲にはわかっており、幼少期であろうとも、端から見ていれば見当が付くのだが、個人としては考えまいし、また親の欲目により謬見が発生することもある。

生まれた段階で終戦していると考えるのが妥当なのだが、個人としては、それに耐えられないので、これまでのは前哨戦に過ぎなかったと考えて、ここからが本当の未来であると思ったりするのである。
いわゆる「未来がない」というのは、その人間個人がステップアップする見込みがないということである。
そこらへんの工員がグーグルの社長になることは絶対にない。
世界自体は、おそらく愚にも付かない未来であろうが、まだ決まってないから不確定、というだけである。
https://twitter.com/n_nishiken_k/status/677256469180379137
mutonishiken.jpg


武藤彩未さんが活動休止というのは唐突ではなく、さくら学院のツイッターが武藤さんに言及しないとか、赤坂のチケットの売れ行きが芳しくないとか、あれこれ予兆はあったわけである。
さくら学院のツイッターが武藤さんに言及しないので不自然だと気付いていた人にとっては、それなりに予感はあっただろう。

赤坂のラストライブはさくら学院の生徒がみんな見に行ったそうで、さくら学院のツイッターでも報告されたから、なにかしら、アミューズ残留での休業か、もしくは円満退社ということで落ち着いたのであろうと思う。
これがどちらであるのかはまだわからないが、ゴタゴタに決着が付いたわけである。

これは確率としては低いのだが、nishi-kenと組む可能性も一応指摘しておきたい。
武藤さんは音楽スキルは皆無であるし、歌しか出来ないから、それで次にライブをやるつもりというのも何か変である。
nishi-kenなら音楽業界での力はないにしても、楽曲製作や楽器演奏やバンドメンバーを集めることは出来るし、nishi-kenが新しくユニットを立ち上げて、それにボーカルとして参加する可能性も0ではない。
今まで武藤さんは大原櫻子を意識していたと思うのだが、それが失敗に終わったので、今度は八木沼悟志と南條愛乃みたいなのを志向しているのかな、とも思うわけである。
過保護なアミューズでさえストレスが限界に達する武藤さんが他でやれるとは思えないので、アミューズに籍だけ残して無期限休業の可能性が最も高いが、アイドルで失敗した人が再起するとなるとバンドのボーカルの方がやりやすいであろうから、予想の一つとして一応書いたまでである。
武藤彩未さんのこれまでの活動を見て気になるのは、最大の特技である話術が生かされてないことだ。
話術が特技なのに歌しかやらないという頑固さがあるわけである。

武藤さんがアミューズ所属であることを考えると、社員の人から、福山雅治みたいな感じでやってみればと言われたことはあるはず。
音楽だけだと苦しいので、他のこともいろいろとやるわけだ。
しかし絶対にやらない。
武藤さんが松田聖子を連呼するのは、歌以外はやらないという決意のように思える。

もちろん武藤さんが福山雅治みたいな方向性を薦められている場面をわたしが見たわけではないが、アミューズの人なら、武藤さんの話術のスキルから考えて、福山雅治みたいにラジオやるとか、そういう感じのことを言いそうである。

武藤さんは音楽的な素養が皆無だし、歌も中元の影響で後から始めたのだから、普通は話術で補おうとするはずである。
武藤さんは話の中身が無いから、司会が向いてそうなので、たとえばラジオでもやって、毎回誰かをゲストで呼んで話を聞くとか、そういう方向性も呈示されたはずだ。
武藤さんがそれをやらないのは、本人が拒否したのであろう。
武藤さんのまわりのアミューズの人は権限が無いように思えるし、プロデューサーが非常勤だからやりたい放題である。
福山雅治みたいなタレント性を持たせようとしても、誰も強要出来なかったのであろう。
Logirlはやらされてたけど、あれは一般人は誰も見ないし、まったくファンの拡大には繋がらない。

重ねていっておくが、わたしは武藤彩未さんが福山雅治みたいな方向性を薦められている場面は決して見てない。
アミューズの人なら言いそうだと想像しているだけである。
武藤彩未さんは話術を最大の特技として優等生の位置だったのに、キッズから方向転換するに際して、話術を放棄したのだから落ちぶれるのは当然だった。
福山雅治がやっていることだから、アミューズの方針に反するはずがないし、話術を活かした活動を平行するのは何ら問題がないというより、むしろ福山雅治をお手本にするべきなのに、それを拒否していると思われるので、アミューズで煙たがられるのも当然だろう。
他人の顔色を窺うのがよくない理由はいろいろあるが、まず顔色というのが機嫌がいい・機嫌が悪いということでしかないからである。
いろいろと察しがいい人は他人の顔色だけでは判断しない。
機嫌がいい・機嫌が悪いというのもひとつの情報ではあるが、そこだけに注目するのはよくないし、相手の機嫌が悪いのは自分のせいだと考えて、ご機嫌取りまでするとなると終わりである。

さらに問題なのは、まともな人は機嫌の善し悪しを出さないからである。
まともな人は他人に否定的な感情を抱いたら、ごく自然に心の中で相手を切り捨てている。
わざわざ「不機嫌さ」を顔色に呈示することはしないのである。
もちろん不機嫌にならざるを得ないような酷いことをされたなら別だが、そうでもない限り、敢えて顔には出さないし、もちろん言葉で言うことはない。
機嫌・不機嫌が現れやすいのはだいたい気分屋でおかしな奴なのである。

機嫌・不機嫌もひとつの情報だが、まともな人はそんなのを露骨に現さないから、いろいろと総合的な状況から推し量るしかないのである。
われわれは超能力者ではないから、察したつもりが的外れということもあるが、とはいえ、想像が正しいとは限らないというのは人生全体に言えるのだから、そこは問題ではないのである。
想像がすべて正解だったら、それこそ他人の頭の中を読んでるわけで、時には想像が外れているからこそ、自分と他人という区分けがある。
他人についてはいろいろと察しておけばいいのであり、顔色(機嫌・不機嫌)で判断するべきではないのである。
トランプだと、終わったらお互いの札を晒したりするが、人生は手札を晒さない。
死ぬ前に手札を全部晒すということはないのだし、墓場まで持っていくわけである。
「今だからあの出来事の真相を話す」というケースもあるが、別に自分の人生のすべてを晒すわけではないし、やはり手札を晒すことはないのである。

この世界は完全情報ゲームとは対極であり、他人の手札が見えないわけである。
それではすべてが謎なのかというとそうではなく、同じ人間であるから、だいたい察しは付くのである。
見えなくてもだいたい想像は付く。
というより、裏側を読まないとなると、アスペルガー症候群か、もしくはアスペルガーのような性格ということになる。

死ぬ前に全部晒して答え合わせというのがないから、想像が正しいかどうかは、究極的には不明である。
重大事件なら警察が捜査して真相が世間に公開されたりするが、逆に言うと、そういう事件性がなければ、われわれは他人の真相を調査する権利を持っていない。

プライバシーを守りたいという感情の根拠はよくわからないが、これが人間の根幹なのである。
仮に恥という感情がなく、自分の状態を完全にオープンにして生きているとしたら、現在とは全く違う生き物である。
単純に言えば動物にはプライバシーの観念はあるまいが、動物だと隠すような社会的事情や戦略性もあるまい。
人間社会の仕組みとしては、プライバシーの意識が強い中で、お互いの手札がわからない状態で戦略的に読み合いながら接しているのである。

言うまでもないが、表面は開示するのも世界の本質である。
存在するからには、正体不明というのではなく、表向きのペルソナは持っている。
だが全部を洗いざらい晒しているわけではない。
裏側は想像するしかないし、端から見ていてある程度はわかるのだが、いつまでも想像のままである。
ゲームが終わって手札をオープンということにならないのは、まさにその手札そのものが自分であるからだし、やはり人生はゲームに似ているがゲームではないのである。
赤坂Blitzのラストライブに行ってきた。
武藤さんのライブに参戦したのは通算六度目である。

アーティスト宣言についてはMCでツイッターは恐いとか言っていたが、自分でツイートした内容を怖いと言われても困るし、いつもの衝動的な発言だったのであろう。
勢いで発言して、後からその自分の発言で困ってるのだから、恐いのは武藤彩未さんである。
そのうちツイッターが乗っ取られたから警察に行くとか言いそうだ。
ともかくアーティストを目指すのではなく、本格的な歌手を目指すんだとか、そんなことを言っていた。

武藤さんは6月のクアトロとかその後のカラオケライブとか、あんまり調子よさそうではなかったけど、10月のアコースティックは出来が良かったし、今回もコンディションはよさそうだったから、渋谷公会堂よりよかったかもしれない。

どちらにせよ、武藤さんのライブはいつも評判がいいんだけど、なかなかリピーターが付かないから、そろそろやめるのが正解であろう。本人が肥満で一般向けのプロモーション活動も出来なかったし、仕方があるまい。

武藤彩未さんがデビューできたのは、やはりキッズ時代の功績へのご褒美なのであろう。多忙な本間昭光が非常勤でプロデューサーをやっているのは、たぶん最初から本間昭光なのではなく、いろいろ探したけど引き受け手がなかったということだろう。武藤さんはアミューズの自社レーベルでやってるのだが、たぶん他の大手レーベルにも売り込んだだろうから、あまり反応はよくなかったはず。

平野綾ちゃんのライバルだった水樹奈々にはキングレコードの三嶋章夫がいたし、中元にはアミューズの小林啓が貼り付いているし、こういう大手のプロデューサーが付いてくれるかどうかが重要なのであろう。
大手から保護されて、なおかつ手厚い指導もあるし、本人の長所や短所も踏まえながらプロデュースしてもらえる。
中元なんか欠陥だらけなのに、そこは小林啓が把握しているから、ゆいもあでうまく補っているわけである。

小さい頃から本格的に歌をやっていた中元や水樹奈々と話を一緒にしてはいかないが、そうやって芸事のスキルが付いていると、プロデューサーも付きやすい。武藤さんはそもそも音楽スキルがまったくないし、歌も途中から始めたから、付きっきりで見てくれる音楽プロデューサーがいるはずもなく、これは仕方があるまい。

BABYMETALのプロジェクトは小林啓(中元のプロデューサー)が武藤彩未さんを外して水野由結ちゃんだけ使いたいという意図が大きかっただろうが、それでもキッズ関係の偉い人からデビューさせて貰ったのだから、恵まれてはいた。もちろん想像で書いているから、この内容はまったく証拠はないのだが、キッズ関連の偉い人がご褒美として推してくれたと考えないと、ではどこの誰がデビューさせてくれたのか謎である。

80年代のコンセプトにしても、付け焼き刃だったのであろう。もしアミューズの音楽プロデューサーが本格的に80年代音楽とか準備して、その演者として武藤さんが抜擢されたのなら、その人がプロデューサーになるだけである。たぶん練りに練られたコンセプトではないのである。小林啓がBABYMETALを入念に準備していたのとは話が違うであろう。武藤さんはPVがイノセントなところを強調してるのに、本人は上昇志向の固まりで壮大な公約を掲げるし、やたらとチグハグだった。このあたりも寄せ集めの難しさで統一が取れなかった。

腐ってもアミューズだから、非常勤の寄せ集めとはいえ一流ではあるし、それなりのクオリティーには仕上がるし、ライブの出来映えもいいんだけど、なんか無難という感じは拭えない。
本当に全身全霊をこめて作った作品とはまた違うのであろう。

公式サイトを見ると、12月一杯でツイッターやインスタも消すそうだから、ひとまず完全消滅である。アミューズ退社なのか、残留して休業なのかはまったく不明であり、ライブのMCでもまったく触れなかった。
これから20歳を迎える武藤さんがアミューズを出て、どこかでまともな契約をしてもらえるとは思えないし、過保護なアミューズでも耐えられないなら、他だとさらに難しいであろう。
壊れたいい子の典型でもあるから、いわば保護することを主旨として、アミューズに籍だけ置いておいて休業するのが無難ではあるが、ここは小林啓の判断次第であろう。
武藤さんを外したのは小林啓だし、現在だとあの界隈で最も発言力があるのはBABYMETALのプロデューサーであろうから、水野由結ちゃんを完全掌握するために、武藤さんにトドメを刺すか、それともゆいちゃんのメンタルのために、武藤さんに温情措置を執るか、そこがポイントだと思われる。
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