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なぜ人間は大義名分を必要とするのだろうか、という問題は難解であるし論述が煩瑣になるので、ひとまずネットのことだけに絞りたい。まとめブログはいくら罵詈雑言を浴びようとも儲かるから続くわけである。どれだけ蔑まれようが、儲かるならやるに決まってるし、自分の作品ではないからこそ、粗悪な切り貼りを酷評されてもダメージはない。瘴気漂う暗渠の最深層にいるのだから、仄暗ささえない完全なる漆黒の闇では、底が抜けても堕ちるところがないし、失うべき信用は一欠片もない。大手まとめブログは副管理人をバイトで雇っているし、会社形態にしているところもあるだろうが、このレベルの個人企業にコンプライアンスの問題を突き付けても意味がない。たとえば、有名なネット企業が大手まとめブログを運営していたと発覚したら、おそらく大炎上するであろうし、これはコンプライアンスを厳しく問われるであろう。ここでわれわれが困惑するのは、たとえばローソンのバイト店員がアイスケースの中に入ったとして、その不祥事を徹底的に叩き潰すとしても、別にローソンに恨みがあるわけではないことだ。本当の仇敵は、そのような炎上騒動でアクセスを稼いでいるまとめブログのはずである。殴れる相手を殴るという力学の結果として、なぜか敵陣の麾下に置かれており、不倶戴天の悪魔がさらに魔道の版図を広げていくのである。無産政党の赤色分子でさえ消費者としての権利があるのだろうし、ネットでネガティブキャンペーンを行い、立派な看板を掲げている大企業の倫理の綻びを槍玉に上げることは出来るのだし、それはひとつの消費者運動として正義なのであろうが、これはネットユーザーの力ではなく、この大衆消費社会において、消費者への施しのようにして与えられた権利なのである。そのような暴徒の騒擾により緊迫感を増大させ、企業のモラルを向上させられるのなら、それはそれで好ましい副産物と言えるが、この正義は、決してわれわれが空に手を伸ばして渇望した想いが像を結んだものではないし、あくまでそこら辺に転がっていた棍棒なのである。消費者運動に身を投じるつもりなどなかったのであり、たまたま大義名分として使いやすかっただけである。消費者を無碍には出来ないという弱みにつけ込み、炎上を畏れる法人に揺さぶりを掛けるというやり方は総会屋そのものである。金銭の授受がないと言うかもしれないが、まとめブログ管理人がなぜ豪邸に住んでいるのか考えてみるといい。われわれは総会屋になるために蹶起したのかと問い直さなければならない。消費者運動という大義名分に甘んじて暴れるだけでは巨悪は討てまい。バイトが馬鹿なことをやったという理由で大企業を追い詰める行為はまとめブログに協力的とも言えるし、あいつらの手駒として暴れるだけの恥ずべき軍歴である。まとめブログが嫌いだと口を揃えるのは欺瞞的であるし、新聞やテレビに煽られていた20世紀からまったく成長していない。
麻生太郎の長男が西村博之と一緒になって炎上マーケティングやステマをやっていたのは、やはり父親の遺伝で馬鹿だからだろう。
発達障害は疫学的な問題であるし、障害の根本のメカニズムは解明されてないから、本当に遺伝するのか、親の癖が伝染するのか、そこは判然としないが、ともかく親が馬鹿だと子どもも馬鹿なのである。
麻生太郎はアスペルガーの要素はないと思うのだが、肉体が静止していないというADHDの要素は確実にある。
麻生太郎は口が勝手に喋っている、というのは多くの人が持つ印象だろう。
失言癖が常に懸念されるのも、やはり口が勝手に動く人間だと思われているからであるし、まさにADHDの特徴である。
身体の静止が健常者の基本である。
人間の身体はかなりが自動操縦であり、ある程度は身体に任せて動いているからこそ、歯止めが利かないとまずいのである。
身体に任せているとは言っても、身体が勝手気ままに動き回るようではまずいのであり、それが楽しいとなれば、廊下でゴロゴロ転がったりするのであり、いわゆる多動性であるから、挙動不審者として疎まれ、トラブルを起こすことが珍しくない。
わたしは麻生太郎の長男(麻生将豊)の動画を見たことがないし、どういう人物か知らないが、おそらく麻生太郎の遺伝か、もしくは癖が伝染したタイプの人間だろうと思われる。
そうでもなければ、西村博之という最悪の人間とつるむような馬鹿なことはやらない。
ステマは現行法で禁じられてないとはいえ、将来的に禁じられる可能性があることをやるのは、父親の地盤を継ぐのであれば、あまりにも見識が低い行為である。
麻生太郎は放言するのが好きであろうし、馬鹿なことをやるのが楽しいのだから、なかなか失言をやめない。
馬鹿なことをやるのは快楽らしいので、結果がまずくてもやってしまうのだ。
馬鹿はほぼ例外なく身体が勝手に動いている。
本人が治したがらないので、多動性のある人間がADHDと言われて蔑まれるのは仕方があるまい。
やはり身体の静止が人間の聡明さの基本である。
2016.02.19

分類可能性

なぜコンピューターが世界を扱いうるのかと考えると、世界そのものが分類によって成り立っているからである。
人間は認識の主体だが、認識の対象でもある。
国籍で分類できるし、男女で分類できるし、身長や体重や年齢で分類できるし、そういう分類可能な属性をわれわれは持っている。
人間も犬も猫も、それぞれがオンリーワンだとは言えるし、固有の背番号を付けるのも可能ではあるが、分類出来てしまうのも確かである。
われわれは森羅万象を把握する認識能力がないので、分類済みのものとして物事を捉えているのである。
なにしろ世界のほとんどのことを直接は知らないのである。
だから分類の概念が先にある。
地球上のすべての犬を見た上で犬と分類しているのではなく、そこらの犬を少し見た程度で犬という分類概念を持つ。
ひとつの先入観であるが、認識能力の乏しさからして、先入観を排除することは出来ない。
われわれは人類の大半の人とは会ったことがない。
だが温厚とか気性が激しいとか、そういう情報を聞くだけで、会ったことのない人間の人物像を頭の中で生成出来る。

分類可能性の背景にあるのは、五感の絶対性である。
感覚一元論に帰着する。
その感覚の物差しが人類共通であるという確信である。
光に色は付いてないとニュートンは言ったが、われわれの視覚からすれば色は絶対的であり、それによって他人を素肌の色で分類するわけである。
色の認識がおかしい人がいれば、色覚障害者として分類されるのだ。
アイスクリームを食べながら甘いと思うとして、その味覚が本当に他人と同一であるかどうかは確認できないが、同一の物差しを持っていることが人類の大前提であり、おそらく同一なのであろう。
私、吉松育美は、私が管理するブログ及びFacebook本文において、①谷口元一氏(以下「谷口氏」と言います。)から、日本テレビ放送網株式会社内において暴行を働いたこと、②谷口氏が、私のスポンサー候補企業に対して圧力をかけて業務を妨害したこと、③谷口氏が私の家族に連絡をして脅迫した事、④谷口氏が、ミス・インターナショナルの主催者に連絡をして私が世界大会に出席できないよう働きかけたこと、⑤谷口氏が、私のスキャンダルを徒らに公表するために、私の自宅兼事務所を調査会社に調査させたこと、⑥谷口氏は裁判所に対して虚偽の報告をして執行官に私の住居兼事務所内で動産執行を行わせたこと、⑦谷口氏が、雑誌週刊新潮に私を誹謗中傷する内容の記事を掲載させたこと、⑧谷口氏が、川田亜子氏の自殺に関与したこと、という内容の記事を掲載し、また外国人記者クラブにおける記者会見においても同様の発言をし、更にCBSラジオでは「谷口氏は過去に何人も女性を殺しまた自殺に追いやったそうです。」と発言しましたが、これらの記事および発言は全て撤回し、これらの記事及び発言については自分に非があることを認めます。これらの記事及び発言によって谷口氏の名誉を棄損し多大なご迷惑をおかけしましたこと深くお詫び申し上げます。



この件は、実際は吉松育美の恋人であるマット・テイラーの借金問題が核心である。
よほどの馬鹿でもなければ、借金トラブルであるのはわかっていたはず。
だが、吉松育美がケイダッシュの谷口をストーカー呼ばわりしたら、ネット住人が乗っかっていって騒動になったわけである。

吉松育美が従軍慰安婦問題で日本を批判する発言をしてから、今まで応援していた馬鹿が掌を返したので、吉松が沈黙してうやむやになったのだが、裏では裁判になっていたらしい。

なお、吉松育美とマット・テイラーが恋人であるというのは本人達は明言してないはず。
やはり借金トラブルの問題があるので、明確にしない戦略だったのであろう。

かつて谷口元一とマット・テイラーはかなり仲がよかったと思われる。
だから1000万円貸したのであろうし、それが返ってこないから、敵対関係になった。
マット・テイラーはどう考えても払えそうにないが、吉松育美なら払えるだろうと谷口は考えたのであろう。
恋人の借金トラブルだと正直に言っていればよかったのだが、吉松育美はあくまでストーカー被害だと訴えていたのである。
恋人の借金を肩代わりする必要など無いので、正直に言っても問題なさそうな気がするが、いろいろと戦術的な問題として、ストーカー被害だと吉松育美は訴えたのである。
たぶん「恋人の借金トラブルで圧力を掛けられている」というよりは、「ストーカーされている」と主張した方がインパクトがあるという判断だったのだろう。

つまり吉松育美は本来は被害者なのだが、恋人の借金トラブルに巻き込まれているのが真相なのに、谷口にストーカーされていると虚偽の事実を言い張っていたため、わたしは吉松育美を批難していたわけである。

これが報道されなかったのはケイダッシュの圧力だと騒いでいるひとがいたが、やはり吉松育美が「ストーカー被害に遭っている」と虚偽を言っているのだから、いろんな意味で扱いが難しかったのであろう。
谷口が悪いとしても、実際は借金トラブルであり、ストーカーというのは冤罪であろうから、記事にするのを控えるのが当然である。
「人の話を聞かない」という定型文句がある。
他人の意見に耳を貸さないのだから、いかにも悪そうである。
では人から言われたとおりにすればいいのか、という疑問もあるだろう。

営業マンに扉を開いて話を聞いてしまったら、断って帰ってもらうのも大変である。
だから最初から門扉を閉ざすわけである。
ひとまず話を聞いて「興味がないので帰ってください」と言っても、営業マンは素直に帰らないであろうし、粘れるだけ粘るであろうから、話は聞かない方がいいのである。

試しに「営業マン」と言ってみたが、もちろん現実にはもっと距離の近い人間関係になるであろう。
どちらにせよ、説得が実るまで延々と粘るということになるから、最初から「話を聞かない」という態度になる。
聞くだけ聞いてから断るのは意外と厄介であり、承諾するまで粘られることが多々あるので、拒絶するのである。

他人の話を聞きつつ、のらりくらりと対応するスキルがある人だっている。
子どもの頃に「いい子」だった人が頑固になるのは、おそらく、話半分に聞きながらのらりくらりと対応する要領の良さが身についてないのだと思われる。
他人の話を聞くだけ聞いて、その回答は曖昧にしておくことも可能であるはずなのだが、相手に粘らせないのはそれなりの技術を要するし、簡単なことだとは言えない。
のらりくらりと躱す技術がないと、ひとまず話を聞いてから断るのが難しいので、自己防衛として最初から耳を塞ぐしかないのである。
昨年末で活動休止になった武藤彩未さんだが、アミューズを解雇(円満退社)になるのかどうかは判然としないわけである。
常識的に考えれば、痩せるかどうかはっきりするまで在籍させておくのが無難であると思われるし、またライブ終了後に痩せているのは渋谷公会堂の日の映像で明らかなので、出来もしないダンスをやめれば痩せる可能性は充分あるから、慌てて解雇(円満退社)する理由はないが、小林啓(中元すず香のプロデューサー)からすれば危険人物なので、小林啓が武藤さんを退社させる可能性もあるわけだ。
もう武藤さんは鞘師里保とか押尾学と同じ枠であるから、アミューズの保護が無くなったら転落人生しかないし、全身に入れ墨を入れて、そのまがまがしい有徴性と供に生きていくのである。

延命措置が取られてアミューズに在籍させたケースだが、その場合でも、武藤さんは馬鹿なので、二年くらい歌の練習だけをやりそうである。
それだと今度こそアミューズ退社であろうし、全身に入れ墨を入れて、鞘師里保や押尾学のような人間とつるんで、逮捕されたとか刑務所に入ったという話題しか無くなる。
歌番組は斜陽であり、今後も斜陽であるから、実は歌手でない方が歌う機会がたくさんあるのが実情なのだが、武藤さんは馬鹿なので歌手になりたがるような気がするのである。

ここでわたしが思うのは、女性特有の人生への悔恨である。
武藤さんはそもそも音楽はやってなかったので、それがゆえに固執しているとも思われる。
女という生き物は自分が出来なかったことを悔やむのである。
他の少女がピアノのお稽古とかをしている間に、武藤さんは芸能活動をしていたのだから、音楽スキルは低いわけだが、それで武藤さんが困っているかというと困ってないはずである。
芸能スキルは身についているのだから、司会者とかそういう方向でやればいいだけの話である。
武藤さんは女であるから、「本当は音楽をやりたかった」という発想が強いのだと思う。
男であれば「学歴が低いので苦労した」とか辛酸を舐めた実体験から恨み辛みを言うのだが、女はなんかファンタジックな憧れがあるのである。

小さい頃からバイオリンしかやってない女性がいるとして、あまり大成しそうになくても、バイオリンしかやってないから他のことはやらずにバイオリンだけやるというのは致し方あるまい。
武藤さんはまったくそうではないわけである。

そもそも音楽活動にこだわった結果として、森先生がスタッフから外れているので、誰も武藤さんをコントロールできていない。
トーク関連の仕事なら森先生を放送作家として入れるのは可能なので、本人の適性にあったことが出来るはずなのだが、果たしてそういう方向に進んでいるのかという問題である。

歌手というのは本当に需要が無く、歌しか出来ないという人は滅びていく。
歌で活躍している人は、たいていは兼業である。
いろいろと理由はあるが、兼業している人の方がエンターテイメントとして面白いからである。
歌しかやらないとなると、見ていてつまらないのである。
武藤さんは明らかに芸能スキルが高く、丁度いい具合に、森先生もあんまり忙しそうではないので、ここで組み合わせるのは可能だと思われる。
ベッキーが消えたので、タイミング的にも女性司会者は売り込みやすい。
というより、すでにそういう話が進んでいるのなら、こうやってわたしが愚見を述べるのは無用であっただろうが、武藤さんは馬鹿なので歌手しかやらないと言い張っている懸念もあるので、書くだけ書いてみたのである。

このところわたしもはるかぜ関連は気が向いた時しか見てないので、気付くのに10日も掛かってしまったが、なんとツイッターを再開しているのである。
相変わらずナベプロには所属しているようだ。
三月で中学を卒業するわけだが、おそらくナベプロの学校に進学すると思われる。
これは正式な高校ではなく、高卒認定試験を取るための学校であると思う。
このタイミングで出てきたのは、ナベプロの学校の宣伝か何かと推察されるが、はっきりとはわからない。

はるかぜ(娘)は発達障害の疑いが濃厚であり、いわゆる悪人ではなくむしろ善良でさえあるが、わけのわからないトラブルは頻繁に起こすというタイプである。
たぶんこれからも奇行を繰り返すのであろう。
普通では絶対にナベプロに入れないレベルであるのは言うまでもないが、中川翔子と家庭環境の悪さで意気投合したので、こういう具合になったのである。
これからこの意識不明瞭なモンスターの身体や指が勝手に動いてネットで暴れ回る。
われわれに実害を及ぼすのかというと何とも言えないが、目の前で貧乏揺すりや鼻くそほじりを繰り返して奇声を上げているようなものであるから、これが神経を擾すのは言うまでもない。
衝動的で目立ちたがり屋なADHD特有の言動を個性と言い換えるために、暗渠で憂き身を窶すことに耐えられなくなって、地下から這い出てきたのである。
どっちみち寿命で死ぬのに、なぜその半ばで死ぬのがそんなに嫌なのかというのは疑問であるし、90歳とか長生きして老衰で死ぬのを賛美する理由も判然としないが、たぶん長寿は死を曖昧にするのである。高齢の老人が死んだ場合の葬式がわりと和気藹々としているのも、長寿を達成して見事に完結したという感じで捉えられているからである。死というタブーを遁れた安堵感なのである。ジミ・ヘンドリックスやカート・コバーンのように27歳で死ぬと駄目なのかというと、これはそうではあるまいし、90歳くらいまで生きるのが凡人のなし得る業績なのである。ジミ・ヘンドリックスなら27歳で変死体になっても構わないのだし、生命尊重とか通俗的な正論を言うひとはいないだろうけども、凡人が27歳で死ぬと本当に痛ましいわけである。その中身のない27年間が、あまりにも痛々しく気まずい。万引きで捕まった少年が逃げて、その途中で鉄道に引かれたとか、その轢死体の無意味さは圧倒的であるし、こいつ何のために生まれてきたんだと慄然する感情が、何者にもなれないわれわれの人生全般の不安として輪を広げ、その空洞を埋めるべく生命尊重という話になり、店主のところに直接抗議に訪れる人間もいたようだし、閉店に追い込まれたわけだ。この少年について、死んでよかったというのは、公の場では言えまいし、またネットでさえもなんか言いづらいのである。馬鹿の人生は無価値ということを実演して死んだわけだが、われわれはこの無価値さと対極とは言えまいし、むしろ、われわれの似姿であるから、この少年がまき散らした血塗れの脳漿や臓腑は人間そのもののくだらなさを露呈させたと言えるし、ジミ・ヘンドリックスになれなかった人間としては、やけに居心地が悪くもやもやする事案である。
ツイッターは140文字制限が画期的だった。
やはり頭を使うと疲れるので、身体が勝手にツイートを読んだり書いたりしてくれるのが望ましい。
140文字くらいならそれが可能なのである。
身体で読んで身体で書く、それが出来る。

つまり頭脳を経由してないツイートがたくさん投下され、それを眼球が読んでいたのである。
人間の日常の動作はだいたいこれなのである。
かなりの部分は身体が動くがままに任せている。
顔を洗ってタオルで拭くとか、そういう動作は身体に任せているのであり、頭脳は使ってない。

この身体動作だけでやれることが、ツイッターのブームの理由だったのだが、しかしツイッターは業績という点で苦しんでいる。
なにしろ過去ログが無価値すぎる。
指が勝手に動いて書いてるわけだし、140文字ではろくな内容が書けないから、無価値なのは当然である。
過去ログはかなり厖大な分量だと思われるが、まったく情報資産でないのだから恐懼に堪えない。

この文字制限は近日中に外されると予想されているが、これがどう転ぶかはわからない。
端的に言えば、赤字が続いて危機的な状況であるから、賭けに出たのであろう。
これからは頭を使ってツイートしたり、頭を使って読んだりすることも可能になる。
指と眼球の自動操縦に頼ってきたツイッターユーザーが今さら頭で考えるのもさぞかし面倒であろうから、この頭を使うという作業に耐えられるのかどうかが疑問であるが、ともかく赤字続きだから、そういう冒険をするしかないのである。

頭は動いてないが指だけ動いているという人は淘汰されていくのだが、やらおんが自分で文章を書いてみたらすごい馬鹿だったとか、そういうことも露呈されていくわけである。


女性声優でフォロワー数首位と言えば、田村ゆかりさんであった。
(水樹奈々ならそれより上に行くだろうけどツイッターをやってない)。
つい先日、南條愛乃さん(31歳)が田村ゆかりさん(39歳)のフォロワー数を抜いて首位になったのだが、そろそろ田村ゆかりさんも潮時という判断なのであろう。
田村ゆかりさんも以前からいろいろとお悩みの様子が窺えたが、南條さんに追い抜かれたということで、最後の決断をしたと思われる。
フォロワー数など参考指標でしかないが、なにしろ南條さんの場合、パフォーマンスそのものが圧倒的過ぎるので、ここに人気が集中するのは当然である。

ゆいもあが音楽日本代表としてユニフォーム販売業に専念してから10ヶ月くらい経過しているが、この大空位時代において、あたかもチンギス=ハーンがユーラシア大陸を火焰でなめつくして蹂躙するがごとく、南條愛乃さんが勢力圏の版図を広げたのである。
ラブライブのブームが終わっても生き残れるだけの魅力が南條さんにはあるので、これは完全に正統なる帝國である。
この王朝が永遠だとは言わないが、三年か五年くらいは独占的にオタを支配するであろうし、人間の寿命を物差しとして、さらに女性アイドルの寿命の短さを勘案するなら、世界史の一章を割くべき時間の長さとも言える。

南條愛乃さんは、実物は不細工なババアだが、ステージ上での見映えが素晴らしく、ポージングのセンスはリプニツカヤに匹敵する。
われわれも南條さんのDVDを視聴しない日はほとんどない。
この美しさに加えて、母親が元アニメーターで、本人が代々木アニメーション学院で、サブカル系に該博な知識があり、ラブライブ声優なのだから、単独でも圧倒的な動員力がある。
μ'sは四月の東京ドームで区切りが付くので、そこで一段落するとしても、けいおん声優とは話が違うし、今後もかなりの信者を抱えた状態になる。

田村ゆかりさんが引退するとなると、その亡霊の行く先はほとんど南條愛乃さんしかないと思うので、また信者が増えるのであろう。
アイドルが草野球をやっているところに、中元すず香というプロの二軍選手がずいぶん嫌がらせをしてくれたわけだが、そうやってあちこちで道場の看板を破って、死屍累々たる地獄絵図を作り出そうとも、南條さんだけは凛とした立ち姿で、この欺瞞だらけの世界にアイドルの理想を具現化してくれる。
ゆいもあ難民もかなり南條さんに移動しているはずであるし、ある意味、一般層に浸透したBABYMETALと、オタ層で圧倒的な支持を得ている南條愛乃さんで棲み分けが成立した状態とも言える。

ゆいもあはわれわれとは縁遠いショービジネスの人間であり、もはや関係妄想としての親しさすら許されない。異国の地で傀儡を演じるラストエンペラーであり、そもそもゆいもあとわれわれは肉親でも何でもない赤の他人なのだから、ここまで圏外に置かれると、眷恋し続けるのも筋違いに思える。本気で海外に挑戦しているのなら話は別なのだが、何しろ日本人に見せるドキュメンタリーとしての海外挑戦だから、日本の愚民をチラチラ見ながらの活動が卑しい。どれだけ華やかに見せてもベビメタは卑しい物乞いである。一回性の人生において、青春をその活動に賭けているという凛とした姿勢は見えないし、彼女たちの軌跡を書き綴る提灯記事は嘘まみれの欺瞞であり、韓国人の自画自賛に近い状態である。ベビメタは海外ではまさにKARAや少女時代なのである。ゆいもあは人類の頂点に君臨する天子だったのに、もはや聖者ではなく腐敗した半僧半俗の存在である。ゆいもあが決してこの選択を希望したわけではないし、芸能界でショービジネスの論理が優先するのは言うまでもないが、海外が拠点だとうそぶいて、馬鹿な日本人に舶来品としての日本代表シャツを売るのは、親に手足を切られて不具者にされ、道端で物乞いをやらされているインドの子どもと似たり寄ったりである。物乞いと同じことをやって、それに馴染んでしまったら終わりである。われわれ菊地最愛原理主義者は、ひとまず、この歴史的転換期において決断をしなければならない。ゆいもあという概念は死んだ。音楽日本代表のBABYMETALがあるのみである。これはアミューズというマーケティングモンスターが作り出したニセモノだが、数え切れないくらいのミーハー層が支持しているらしいので、これはこれでサッカーの本田圭佑のようにカラクリが露見するのを待つしかあるまい。貴人たる人物が天意から遠く離れてショービジネスに生きているのだから、魔道に堕ちた聖者への素直な対応でもある。中元すず香という腐った蜜柑に馴染んで脇役の奴隷暮らしに甘んじるのもいいし、ネルソン=マンデラのように不屈の精神を持ちながら、人間としての本来性から疎外された痛みに気付き、嘘の自分と訣別し尊厳を取り戻すべく立ち上がれるかはゆいもあ本人の問題である。
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