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ここ最近中元すず香というドブスがずいぶん調子に乗っているので、とうとう武藤彩未でも死んだかと言いたくなるが、ともかくデスマスクみたいな顔のくせしてスター気取りだったわけだ。
連日連夜あちこちからベビメタの提灯記事が出ていた。
ところが数日前からベビメタのステマ活動が完全に止まっている。
やはり二億円の賄賂の問題が出てきたので、アミューズが手を引いたと思われる。

そもそもBABYMETALは、なぜか知らないがファンでなくてもライブは見てみたいらしいので、動員力はかなりある。
ベビメタをこれだけ嫌っているわたしが言うから本当である。
ファンの数からは想像できないくらいにライブ動員できるのがベビメタである。
東京ドームはたぶん実数だとキャパ四万人くらいだろうが、祝日で一日限りのライブだから、これは簡単に埋まる。
宣伝しなくても埋まるのに、なぜステマがすさまじいのかというと、世間的な知名度を上昇させて、あのドブスを東京五輪で歌わせるためである。
3月15日に電通の香川健二郎さんがアミューズの執行役員になってから、とにかくステマがすさまじく、グーグルトレンドでの跳ね上がり方を見れば一目瞭然である。
ベビメタと唯一競り合っていた南條愛乃さんも完全に振り切られた格好であった。
だが実はよくよく見ると、Instagramのいいねの数では南條愛乃さんと似たり寄ったりである。
ツイッターでは南條愛乃さんが相変わらず三倍くらいの差をつけている。
強引なプロモーションで数値は跳ね上がっているが、ファン獲得に結びついてない様子が伺える。

電通はAKB担当だろという意見を言う人もいるだろうが、電通はすべてを手がけているのだ。
欧米だと、たとえばコカ・コーラとペプシのようなライバル企業の広告を同時に手掛けるのは禁止されているが、日本では禁じられてないから、ライバル関係にあるクライアントを電通が兼任していることが多々ある。
AKBとベビメタは、両方とも電通案件である。

おそらく四年後までAKBは持たないということで、東京五輪はベビメタという流れだったのだろう。
そこに二億円の賄賂問題である。
東京五輪の開催自体が危ぶまれている。
電通からアミューズにやってきた香川健二郎さんがどうなるかは不明だが、ともかくプロモーションは中止したと思われる。
二億円で作られたステージにあの勘違いしたドブスが上がって歌うところも見てみたい気がするので、開催しても差し支えないが、ひとまず計画は中断されたのだろう。
ベビメタは動員には困ってないので、香川健二郎さんが提案したスター戦略からはこのまま手を引きそうだが、今後の捜査の行方も含めて注目される。
贈与の一撃。
他人からプレゼントされたり、好意を示されるのは怖いことである。
それを断ったら逆恨みが待っている。
頭を下げられるというのも、それに含まれる。
政財界の人間が森喜朗に頭を下げられたら、迂闊に拒めない。

いわば営業活動で世界は動いているわけだ。
頼んだり頼まれたり。
これがデリケートだからややこしい。

頭を下げて頼むのはそれ自体がプレゼントである。
そんなプレゼントはいらんのだが、無碍に突き返せない問題。
これは階層を問わず、権力者からチンピラまで通底している。
いろんな階層の人間が脅しのようなプレゼントをするのである。
最上位から最底辺まで「俺の頼みを断るのか」とすごむのだから、これは人間そのものというべき行為であろう。

受け取る側が「これが欲しい」と指定すると、親子なら微笑ましいかもしれないし、ビジネスなら賄賂だが、相手が欲しがってないものを強引に送るのは、純粋なように見えて、ずいぶん自分勝手な賄賂である。
プレゼントを断ると侮辱したことになるのは、やはり賄賂を突き返すようなものであろうから、まごころ(下心)を見透かされた恥なのである。
親子関係でも、親のまごころ(下心)を断るのは大変である。

もしくは、「愛」というプレゼントの扱いの難しさである。
女がノーと言っているのが本当にノーなのかわからない。
キモオタが女の子に絡んでいたら、それは完璧に嫌に決まっている。
だが、池永チャールストーマスみたいなDQNが鈴木沙彩さんみたいな可愛い子に言い寄っている場合、これは判断が難しい。
鈴木沙彩さんが嫌がっているように見えても、本当は池永チャールストーマスのような野性的なゴロツキに突きまくられてハメ撮りしたいかもしれないわけだ。
理性では断ろうとしても、まんこが反応しているかもしれない。

そういう営業活動で世界は動いている。
たいていはいらないプレゼントを押し付けられるだけで、気持ち悪いだけなのだが、その強引さから、池永チャールストーマスと鈴木沙彩さんみたいなエポックメイキングなカップルが誕生することもあるし、そのイエス・ノーが曖昧だからといって切断するのは好ましくない。

鈴木沙彩さんも一時期は大喜びで池永チャールストーマスとセックスしていたのだから、「もう別れたい」という意思が本当なのかどうかは不明瞭である。
殺害された結末を見て、ああこのカップルは本当に決裂していたのだと思うのは結果論である。
壮絶な痴話喧嘩の結果として寄りを戻すカップルだっているし、喧嘩して仲直りするのは普通にある。
別れ話に応じない男をストーカーと断定するからには、関係が旧に復することなどあり得ないと断じる必要があるが、これまた機微の問題であるし、警察が別れさせたはずのカップルが、いつの間にか復縁していたというマヌケなことだってあり得ないことではない。
電通の件で何よりも頭にくるのはネットユーザーの怠慢である。
一般人なら、金もかからず、ノーリスクで電通批判ができるし、これでネットを埋め尽くして騒動にすることは可能である。
だが、電通批判を検索してみると、田舎の商店街くらいに閑古鳥が鳴いている。

相手がダウンしたら殴る、どこまでも何年も殴り続ける、それがネットユーザーの体質であるのが露呈した。
俺は腸が煮えくり返っている。
ダウンした相手しか殴らないのはおかしいだろう。
おまえらくらいに卑しくて下賤な連中がいるのかよ。

ネットユーザーは他人から頼まれたら絶対にやらないという自由人であるし、その行動の自由はいいとしよう。
あくまでおまえらは自由人だ。
だが、やはりダウンした相手しか殴らないというのは、ずいぶん下劣な自由である。

ダウンした相手を何万回も死ぬくらいに殴る時間が在るのなら、その一割くらいは、ふらつきながらもまだその巨躯をリングに横たえることなく持ちこたえている電通へのトドメのために割り当ててくれてもいいはずだ。
おまえらは自由人であるから、俺の頼みを聞く必要が無いし、嫌なら嫌でいいのだが、ダウンしたら殴りに行くという行動パターンはもはや自由人というよりは、腐った肉にたかる蛆であろう。
電通を蜂のように刺すくらいのことを一度やってみせてもいいのではないかね。
いわゆる「玉の輿」という概念がある。女子中学生や女子高生はそんなこと考えまいが、だんだんおばさんなると、そういう発想が生まれてくる。瘴気を放つ塵芥のような女でも、医者と結婚すれば、医者という看板を掲げた家の一員になれる。父権が失墜しても、この職業への感覚は変わらないし、大文字の父を中心に世界を理解するのは本能に深く根を張っている。その男尊女卑に抗するべく「専業主夫」をやる男性もいるようだが、やはり父親の職業がその家の看板であり、家族の構成員がそれに帰属するのが普通である。職業に貴賎なしというのは容易いが、職業で階層化されているのが21世紀の社会の実態である。

若い女とおばさんが本当に同一人物なのかわからないし、われわれ男にしても、10年前の自分と現在の自分の同一性は疑わしい。とはいえ、股間についている一物はずっと同じであり、そして健在でもある。おばさんでも性器は付いているが、40歳くらいが出産の限界である。実践でチンコを使う機会など無い非モテの男も似たり寄ったりのはずだが、60歳の爺さんでもデリヘルの可愛い子を呼ぶとか、そういうのは可能であるから、どこか違う。女というのはチヤホヤされる花ざかりの煌めく時期を体験しているだけに、加齢によりそれを失うと、枯れ木として第二の人生に入るのである。生まれてから死ぬまで一貫してモテない醜男とはまた別である。

そしておばさんになると、人生への「悔恨」が生じてくるらしい。たぶんこれは本当の後悔ではなくて、中年になると名誉が欲しくなるのだ。知性と無縁であり、知性を蔑んでいた人間が中年になると、それを欲しがる。時として男より女のほうが「人生」に執着するのは、男だと自分が冴えない人間なら自業自得として諦めがつくが、女は玉の輿という逆転オプションがあり、もしくは「子育て」で人生を逆転するというルートである。女が帰属する生き物だからこそ、諦めが悪くなってしまうのだ。

加藤智大の母親のように息子にスパルタ教育をしたり、もしくは、はるかぜのババアのように娘を自分のクローンにして、二度目の人生をやろうとする。いずれも「後悔」が根っこにあるわけだ。本当に悔恨があるなら、自分で勉強してみてはどうかと思うが、実のところ、知性に目覚めたのではなく、階級意識に目覚めただけなので、見栄っ張りは止められない。この後半生で目覚めた理想主義は厄介である。母親自身が東大卒とかそういうことならいいが、たいていは後付けの理想主義者であり、人生逆転への執着であるから、身の程知らずであり、妥協も加減もない。
ここで戦端を開き干戈を交えなければいつ電通と戦うのかという好機が到来しているのだから、われわれの怒りから生み出された業火のような焔がネットをなめ尽くしても不思議ではないはずだ。ところが、実はかなり反応が鈍く、怒りの焔は版図を広げていないし、むしろ火消しのほうが頑張っている。学生運動が流行らなくなった後にシラケという言葉が流行ったらしいが、まさにしらけている。よくよく考えると、電通が大きなダメージを負ったとしても、われわれの人生に影響はない。電通が退場すれば、それよりスケールが小さい悪が跋扈するだけであり、巨悪が小悪人に変わる程度であろうから、民衆が膏血を搾り取られることに変わりあるまいし、此世が天国になるわけではないのだ。目的や利益が中途半端なのである。ネットユーザーは普段はどうでもいいことに怒り狂っているのだから、その目的の無さは問題ないように思えるが、たぶん目的の無さの極みだからこそ暇人は活動的なのだ。所詮はアホであるし、社会的意義が生じたら興が削がれてしまう。電通を取り除くことで、社会が少しはマシになるので、なんというか、少しはマシになって、僅かな利益があるからこそ、腐敗が糺されたところで、われわれの人生に影響なんぞ無いという事実に逢着する。明日からモテモテの輝かしい人生になるわけではない。電通を倒すことに現実味が生じてきていて、それが現実に為されるとしたら、日本の歴史の大きな転換点であるとしても、個人の冴えない人生を塗り替えるロマネスクな物語ではないから、無意味に暴れるというネットの暇人のロックンロールは電通には向かわない。腐敗の象徴というべき悪人が消えても、五濁悪世というべき世界は浄化されず、わずかにマシになるという些末な報酬があるだけに、世界は薔薇色にならないという現実が人を萎えさせる。だいたい怒りはストレスであり、温厚である人間こそが最高であるというのが昨今の価値観である。これ自体は適切であり、怒り狂う人間に正義が在ることは稀であるから、温厚な人間のほうがいい。怒ってみたところで血圧が上がるだけである。暇人が怒り狂うのでも、やはりそれを娯楽として考えているからこそ一年中やっているわけで、無意味なことだからストレス発散にもなるのだろうが、電通のような社会的矛盾に対して怒るとなると、その理不尽さに悩まされるから、ただの娯楽としては楽しめないのでストレスが溜まる。歴戦の老耄たる暇人は、電通に怒り狂って血圧を上げる事で、その馬齢を重ねた老躯を動かしている心臓とか脳にダメージが行くだろうから健康に悪い。娯楽ではない怒りなど論外である。ネットの暇人はそれぞれの玩具でただひたすら無意味と戯れて遊んでいるのであり、社会の改善など目指してないから、どうしようもないのである。
雑誌というものは、出版社が電通に魂を売った結果として成り立つ。
広告まみれにしてようやく成り立つわけだ。
これが腐敗である。
雑誌広告なんてスポンサーからの口止め料。
普通の書籍なら広告載せる必要ない。
もしくは人気漫画に広告載せる必要などないわけだ。
出版社は人気漫画家に依存してるのであって、電通に魂を売る必要は無い。
雑誌は出版社の独立性を損ない、スポンサーと電通に魂をうるものでしかないから、すべて廃刊でいいだろ。

ネット以前ならまだしも、現在の世の中で雑誌が本当に儲かっているとは思えない。
どうせ漫画の黒字で雑誌の赤字を補ってるんだろ。
社員をリストラできないから惰性で続けているのだろうが、不採算部門なんだから切れよ。

大手出版社の高給はよく知られるが、これも電通経由で雑誌に広告(口止め料)を出してもらって、そういうビジネスモデルで高給が保証されていたわけだ。
こいつらをリストラするのは日本だと難しそうだが、そこは知らん。
もう破綻してるし斜陽産業なんだから、紙媒体の雑誌は全部なくせ。
ネットでやって有料会員制にすればいい。
違法コピーとか気にする必要はない。
金を払わないネットユーザーは死んでも払わないし、どうしても週刊文春に存続して欲しいということで課金する人だっている。

もしくは大手出版社であれば、グーグルと法人契約すればいい。
プレミアムアドセンスを貰えるだけのアスセス量があれば言うこと無い。
グーグルが手厚くケアしてくれるし、言論の自由への干渉もない。
クソみたいなまとめブログがライブドアにたくさんあり、なぜかグーグルのプレミアムアドセンスが貼られているが、あれはライブドアのアドセンスをまとめブログに又貸しするのをグーグルが認めているからである。
NAVERまとめは似たようなことをやろうとして、グーグル担当者と何度も話し合ったようだが、アダルト関係の規約違反が多すぎて無理ということになったが、別に嫌がらせではないし、NAVERはページの大量生産で面制圧しようとしてるから、個々の記事へのチェックが行き届かないだけだ。

グーグルはグーグルで問題あるが、言論の自由は守る会社。
むしろ守りすぎるから、吐き気がするようなまとめブログが野放しにされることになってる。
ともかく紙媒体の雑誌は全部終わりにして、本当に需要があるならネットで継続し、電通からグーグルに切り替えればいい。
やはり民進党が信頼されないのは、蓮舫みたいに安全圏から他人を殴りまくる人権屋しかいないからであろうし、自分に弾が飛んできたら逃げる準備をしているからである。世渡りは上手いんだろけど、とにかく人間として器が小さい。このところわたしは明治維新の根底に有る陽明学に疑問を感じつつあるが、とはいえ、西郷隆盛のように肝が据わっていると大人物に見えるのは間違いない。

17日に枝野幹事長が電通を名指しで大々的に批判し、18日も民進党議員がそれに続いていることから、ひとまず決起はしたのだろうが、まだまだ信用されるレベルではない。

安倍晋三は電通という車椅子に乗った存在であり、乙武と同じようなパワー系の人間でしか無いと思われるが、やはり民進党が逃げるタイプの人間ばかりであるから、安倍晋三のほうが肝が据わっているように見えてしまう。

言論に徹した陽明学、というと形容矛盾だが、言論活動で死んでみせるくらいのことをやって見せないと、時代は変わらないであろう。ライブドアの野口英昭さんのように沖縄で惨殺され、それを自殺したことにされるようなことは無いと思うが、電通を相手に情報戦をするのなら、社会的な抹殺は予想されるし、そこまで腹が据わっているかどうかである。生きたい人間ばかりだと、電通の懐柔策で分断されたら、誰かを生け贄として差し出して傍観する流れになってしまう。たとえば江田憲司とか、いかにも仲間を電通に売りそうな民進党議員はいるわけだ。

たとえば菅直人は1946年生まれだから、要するに団塊世代であるし、リスク無しで権力と戦うという甘えた闘士であった。こいつらの世代の学生運動も、死ぬつもりがない生ぬるい運動であるし、人権への甘えなのである。危険なことから逃げるのが平和主義者であるとしたら、誰もそれに付いてこないのは当然である。死にそうになったら逃げるという菅直人のような人間が信頼されるわけがない。安倍晋三を軍国主義だと批判するなら、それこそ電通から逃げてはならないのである。危険なことから逃げまわるのが平和主義だとしたら、誰も共感はしない。逃げる準備をしている文人よりは、軍人のほうが信頼できるし、軍服を着て戦うという安倍晋三の陽明学が勝利してしまう。相手が軍人だからこそ、文人は逃げてはいけないし、言論のために社会的に死ぬ覚悟を決める必要があるのだが、民進党議員にそれが出来るかどうかは疑問である。

電通を名指しで批判するというのは、極めて危険であるから、これをやり始めたのは評価したいが、追い風を感じたから勢いで決起したというのも確かであろう。さすがにこれだけ矛盾が積み重なると、革命が起こるべきタイミングであるから、勝算は十分あるし、安倍昭恵が元電通社員であることを追及すれば、安倍晋三も叩き潰せる。巨悪に大きな隙が生じたのであるから、討つなら今しかない。だが、電通は全共闘時代の警察のように甘くはない。特高警察を相手にするようなものである。電通からの揺さぶりに屈しない民進党議員がどれだけいるかというと疑問である。当然ながら栄耀栄華を保証されて転ぶ議員もいるだろうし、戦況が不利になれば空中分解する懸念があり、蜘蛛の子を散らすように逃げまわるみっともない結末になりそうだが、ともかく、肝の据わっているところを見せられるかどうかなのである。
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枝野幹事長のインパクトの強さには遥かに劣るが、それよりも前の5月14日(土曜日)に上杉隆が東京MXで電通の問題に言及していたらしい。

これはこれでひとつの肯定的な評価をしなければならないであろう。

最速の立場を上杉に譲ってしまった他の沈黙している文化人はどうなのかという気もするが、電通に圧力かけられたらスポンサーも離れるし、家族に飯も食わせないといけないだろうし、まあ仕方がないのである。

上杉は文化人ではないという人がいるかもしれないが、実際は、このジャンルの人こそ文化人なのである。
まともな人は「文化人」とかやらない。
たとえば研究業績で評価されている大学教授がたまたまテレビに出ても文化人ではないわけです。
2016.05.18

JOMとJOCと電通

10年位前に買った「電通の正体」を書架の奥から引っ張りだしたのだが、Amazonではこの本が一時的に品切れということになっている。

売り切れたら増刷するだけであるから、電通が買い占めたわけではあるまいし、おそらく最近の二億円賄賂騒動で買った人も多いのであろう。

わたしが持っているのは2005年の初版本である。2006年に増補改定されているらしいが、そちらは読んでいない。どちらにせよ10年前にこのような試みが行われたのに、続くことがなかったわけだ。

これはバイブルというべき書物となるだろうが、JOCに関するところを引用してみよう。

翌八九年、当時の文部省下にあった体協内のオリンピック委員会は、
(財)日本オリンピック委員会(初代会長は堤義明・現名誉会長)として独立、
新たな「アマチュア・スポーツの総本山」になる。
一方この頃から、電通任せのオリンピックマーケットからも独立する機運が芽生え、
長野オリンピックに向けた九十三年、
JOCは関連団体として、ジャパン・オリンピック・マーケティング株式会社(JOM)を設立する。
JOMは五輪選手の肖像権や、スポーツイベントの商業的権利などの企画や販売を扱う会社であった。

これに加え九六年、バブル崩壊不況のあおりを受け、電通が、JOCへの最低保証額を値切ったことをきっかけに、
「契約通りにやってもらえないなら、今後は他の代理店を使うことも考えるべきだ」
と、競争原理導入を求める声がJOC内部で噴出した。
JOM関係者は当時の様子を語る。
「たとえば電通はある企業をスポンサーにしたら、そのスポンサー料の15パーセントを取った。
さらにそのスポンサー企業のオリンピック関連のプロデュース料として制作費の15パーセントを取った。
JOCに入るはずの30パーセントが電通に渡ってしまうわけだ。
そこでJOMをつくったわけだが、確かに電通が間に入るより利益が大きくなりました」
実際、マーケティング事業をJOMに業務委託し、代理店に総合商社・三菱商事を加えたところ、二年間のマーケティング収入が、当初掲げた目標額10億円の二倍、20億円を突破した。
これで自信をつけたJOCは、競争にさらなる拍車をかけるべく、博報堂など二社を新たに加え、現在の「四社体制」が出来上がったのだ。
だが、八年間で350億円を稼ぎだしたJOMはなぜか2000年末に解散してしまう。
この事について、JOM社長だった菊地陞JOC元理事(日本ライフル射撃協会会長)は、
「西武グループがオリンピックビジネスを牛耳るためには、透明性の高い中立な組織などあってはならないのだ。おそらくわたしの解任によってJOMは解散させられるだろう」
(『文藝春秋』2000年4月号)と告発している。
予言通り、菊地はJOC理事を解任され、JOMは解散したのだった。
だが、関係者は、解散の原因は西武・堤支配だけではないという。
当時、「政治」からの自立を目指したJOC=JOMは、電通からも自立しつつあった。
だが、出向者を常駐させるほどJOCに食い込んできた電通は当然、納得できるはずもなかっただろう。
「菊地さんも『文藝春秋』では、堤義明批判とともに、電通批判も書こうとしたほど、電通の商法に疑問を持っていた人です。
菊地さんはJOC役員クラスには電通を入れなかったし、そんな菊地さんを電通は嫌っていた。
電通のある局次長などは当初、菊地さんに取り入ろうとしたが、それがだめだとわかると解任させようと動いた。
この局長は退社後、マーケティングアドバイサーとして菊地さんのいないJOCに入ってきた」(JOM元職員)
電通の逆襲が始まったのである。


さすがに長いし疲れたので適法引用という問題も含めこの辺りにしておきたい。
増刷されたら「電通の正体」を購入してほしい。

高橋尚子が自分でCMに出ていたりしていたが、ああやって選手が自分の肖像権を主張するようになったことが電通に付け入る隙を与えていたようだ。

この本にはまったく書かれてないが、電通が高橋尚子に金儲けの知恵を授けたという推測も出来なくはない。あまり筆を走らせると妄想になってしまうし、高橋尚子が金メダルを取ったのは2000年のシドニー五輪であるから時系列がちょっと合わないが、なんにせよ、選手が肖像権を主張し始めたので、JOCが選手の肖像権で儲けられなくなったのが、排除したはずの電通に再び食い込まれたひとつの要因のようだ。
そして完全にJOCは電通に屈服した、のであろう。

「電通の正体」が2005年に出されて、2006年に増補されたらしいが、そこから10年間はとても資料が乏しいので、調べるのが難しい。

とはいえ、事実の断片から想像を巡らせることはできる。
たとえば、電通の香川健二郎さんが3月15日にアミューズの執行役員になってからベビメタ推しが露骨になっているのだが、これは中元すず香を東京五輪で歌わせるというシナリオなのだろう。
電通からJOCにずいぶん入っているらしいが、アミューズの方に入った香川健二郎さんは今後どうなるのだろう。
枝野幹事長が電通を名指しで批判し始めたので、東京五輪関連の事情がいろいろと暴かれることを期待する。
朝まで生テレビで荻上チキがネットのデマの事例として「津田大介は朝鮮人」と言ったことがある。
津田大介の知名度からして、あまり適切な事例ではなかっただろう。
だいたい津田の本当の国籍とか知らんし、真実かもしれないのだから、デマの事例として不適切だ。
これに対して津田大介が殺人鬼のような目線で荻上チキを睨み、荻上チキは当然気づきながらも、気づかないふりで話を続けたのだが、その間の津田の表情は、まさに怒り方のお手本だった。
東浩紀だと馬鹿だから憤慨して衝動的に立ち上がって、周囲から取り押さえられるとかマヌケなことになる。
体温が上がるとダメなのである。
清原和博や伊良部秀輝みたいに190センチあればいいが、そうでもなければ取り押さえる対象なのだ。
不当なことをされて怒り狂っているのに取り押さえられるという状況が発生してしまう。
これを避けるためには、津田大介のように、体温を下げながら、殺人鬼のような表情をしなくてはならない。
身体の静止が絶対条件である。
ソーシャルスキルの高い人間はたいてい身体がきっちり静止しているが、怒る時でもそれは同様である。
身体を静止した上で怒れば、周囲も取り押さえる大義名分がないし、だから徹底した冷血動物となるべきなのだ。
これは性格の問題もあるが、コントロールできる。
生まれつきの衝動性の強さ次第で、どちらで怒るかは傾向として決まってそうだが、後天的に切り替えるのは難しくない。
意識すればどちらの怒り方も可能である。
津田大介という最高のお手本がいるから、こいつの殺人鬼みたいな顔を真似すればいいだけ。
清原和博や伊良部秀輝のように周囲が後ずさりするような巨漢なら別だが、そうでないなら、たいていは身体を静止して無言で睨みつけた方がいいのである。
それに無言の方が怒りは伝わるのである。
理由を説明しないのが強者の特徴だからだ。
熱くなって怒り狂うというのは、プロレス的に場を盛り上げたいならまだしも、真剣に抗議したい時には望ましくないであろう。
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