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単純労働という概念に疑問を抱いている。
高度な専門知識や高い知力を必要としないから単純ということなのだろうが、実はそれほど単純ではない。
専門知識や知力が不要という点では単純であるとしても、注意力がしっかりしてなければミスの連続になる。
いわば注意力エリートである必要があるのだ。
高度で難解なことはやらなくてもいいが、注意深くノーミスでやりぬく義務はある。
注意力が安定してないとミスだらけになるから、果たして単純労働が単純なのか疑わしい。
注意力エリートは内面の空想とか雑念を完全に抑えている。
これは無理して抑えているのではなく、ごく自然体に、雑念をコントロールしているのだ。
注意力エリートは、上の空というエアポケットに入るようなことがない。
注意力エリートは外面世界の把握がとてもしっかりしている。

注意力と集中力はやや似た言葉だが、注意力は安定感が必要とされている。
たとえば八時間なら八時間安定して作業が出来るというのが注意力である。
集中力というと、八時間でやることを一気に四時間で片付けてしまうような馬鹿力を意味することもあるだろう。
ともかく、注意力と集中力は似たような言葉だし、同じ意味であることもあるが、集中力はわりと短期的な没頭であり、注意力は長い時間の安定感を意味することが多いように思う。

ともかく単純労働者は流れの中にいるから、ミスをしないように注意力エリートであることが求められる。
普通の人が八時間でやることを四時間で片付けるようなことは求められてなくて、八時間安定してきっちりやらなくてはならない。
おそらくこれは解雇に近い形だと思うが、つまりタレント側が強引にやめたのではなく、雇い止めというか、「円満退社」でフリーエージェントであるから、いろんな意味でアミューズ側からいらないと判定された格好。

ここ最近はさくら学院の卒業生三人がまとめて芸能界引退しているし、また菊地最愛がやたらと中元すず香と親しげに接するようになったという人間関係の変化も見られていた。
さくら学院が沈没しそうなので、泥船から逃げ出していたのだろう。

おそらく武藤彩未さんは摂食障害であろうし、それが当面は治らないということで、こういう判断が下されたと思われる。

また武藤彩未さんの母親は水野由結ちゃんの母親とアミューズに入る前から親密という関係であり、おそらく芸能界に中途半端に首を突っ込んでいる格好であるから、いわゆるステージママというか、アミューズも手を焼いていた可能性が高い。

武藤彩未さんそのものにはいろいろと才能はあったはずだが、おそらくアミューズ社員の言うことを聴いてないと思うし、やはりこういう結末も、社員が誰も味方してないからなのだろう。

実際のところ、小林啓(中元のプロデューサー)は優秀であろうし、本職のプロデューサーと敵対していたのでは話にならない。
武藤さんの側は、本間昭光が時たま非常勤でやっていただけであり、本職のプロデューサーがついてない状態だったが、おそらく母子密着の問題だろうと思われる。

ひとまず電通の二億円の賄賂の件が出てきてから中元-菊地はおとなしくなったし、ベビメタのプロモーション活動も停止したが、これは一時的なものであろう。
高額予算ライブを徹底することで圧倒的な動員力を維持することに変わりはない。
使ってる金が違うのだからライブがすごいのは当然であり、それを褒めるのもちょっと変ではあるが、ともかく金が掛かっているから華々しいのであり、ファンの数からは到底考えられない圧倒的な動員力を誇るし、どこかからこれを凌駕するものが出てくるまで、それは続くであろう。

今後の武藤彩未さんの見通しは当然ながら暗い状態である。
武藤さんをコントロール出来るのが森先生だけなので、ここで組んだ上で、特技の話術を活かした活動が出来れば面白いと考えていたのだが、この縁も切れてしまった。
ルサンチマンにより想像上の復讐を頭のなかで繰り返している人間はたぶんたくさんいるわけだ。
これが犯罪者予備軍と言われる。
過去に犯罪歴など無いにもかかわらず、通り魔的なことをやらかすと思われている。
この実行確率は何とも言えないが、たぶん一万人に一人くらいであろう。
もちろん一万人に一人と言ったのは雑漠たる印象でしかなく、数字的に厳密であるわけはないが、そうそう頻繁に実行に移されるものでないことには同意されるであろう。
殺人の完遂ということに絞ったらもっと少ないと考えていいだろう。

おそらく犯罪者予備軍というスラングがおかしいのであり、たぶん通り魔予備軍と呼んだほうが適切であろう。
犯罪常習犯は金銭が目当てでやっているのであり、通り魔とは違うわけだ。

通り魔予備軍を人間性の欠陥と言うのは容易いが、たいていは外見がブサイクであると言っていいであろう。
いかにも見てくれの悪い男が目を眇めて世の中を恨んでいる様子であれば、それが正しいかどうかは別として、その心境はたやすく理解できる。
不細工を敬遠するのは当然であり、たとえば若い女性がなまじ優しくしたら、片想いされて大変なことになってしまう。
疎外されてる人間に優しくすることは出来ないという、つまり溺れた人間にしがみつかれたくない問題であり、いわば用意された悪循環なのであり、これは解決不能なのである。

溺れた人を助けるという比喩は世界的によく使われているが、これは文字通り、生命が困難に陥っている人であれば、利害を度外視して助けようと言うことである。
つまり今すぐにも物理的に死にそうだという緊急事態のことを言っている。
精神的に溺れていて、何かにしがみつこうとしている人間のことは、われわれは絶対に助けない。
優しくするとブサイクにしがみつかれるということだから、冷淡にするしかないのである。

自殺を薦めるのはこの世界では禁じられている。
通り魔を実行した人間に対して後から「ひとりで自殺してればいいのに」というのは簡単だが、実行する前から自殺を薦めるわけにはいかない。
自殺の教唆は法律に違反しているであろうし、もしくは、断崖絶壁で懊悩している人間に最後の一押しをするのも後味が悪い。
その動機を手繰って犯人探しをした場合に、自分の一言が最後に背中を押したと判定されるとなかなか厄介である。
そいつが自殺するのは構わないが、目の前で死なれたらすごい嫌だから、「生きろ」と後押しをして別の崖に行かせるのである。
だから、彼らは生きるしかなく、諦めが悪いメンタリティは助長される、というより、これも人間なのであり、人類としてそれを求めているのだ。
自殺して人生を投了した方がいいとは言えないので、「生きろ」という悪魔の囁きをするしかなく、その教唆に基づき、彼らが悪あがきを続け、不穏な言動を繰り返したり、一万人に一人くらいが大事件をやらかすとしても仕方があるまい。
悩める人間を助けたくはなく、「自殺した方がいい」とも言えず、だから「生きろ」と言ってたらい回しにするしかない。
中元すず香というペスト禍についてだが、このところ電通の賄賂問題とも絡んできたし、ますますその瘴気はわれわれプロレタリアートの愁傷を深めている。

だいたいアイドルは低予算だと決っている。
ベビメタは高額予算でやっているわけであり、だからライブが華々しいし、動員が突出して強いのは当たり前である。
ファンの数はそんなにいないのだが、高額予算で華々しいライブというと他に選択肢がないので、ライブ動員だけは圧倒的に差がつくのである。

では、なぜどこもベビメタの真似をした高額予算ライブをやらないのかということだが、赤字が確実だからである。
大手芸能事務所であれば、高額予算を投じて豪華なステージにすることは可能だし、後ろのバックバンドも同等以上のは用意できるが、誰がやっても水野由結より下手くそであるから、見劣りするのは目に見えている。
迂闊に対抗ユニットを出すと、ベビメタの宣伝になってしまうので、勝算がなければやらない。

2015年4月にベビメタが露出制限したのはひとつの賭けであったし、人気そのものは下がったと言ってもいいから、ここで他の事務所から対抗出来るようなユニットを出されていたら終わっていた。
他から出てこなかったのは、やはり出せなかったということであるし、誰も水野由結には勝てないというだけである。
結果として、ファンが増えてないのにライブ動員数だけ跳ね上がるという現象が見られたのである。

ベビメタの最大の弱点は三人とも楽器演奏が出来ないことである。
ここが本当に致命的であるから、たとえばavexがギター弾けるブスを見つけてきて、新井ひとみと組ませたら、ベビメタ独裁が一気に終わることだってある。
どれだけ不細工でもいいから、ギター演奏で圧倒できる若い女が一人出てくるだけで状況は一変してしまう。
それが出てくるかというと、なんとも言えないし、この時点まで出てこないのだから、そう簡単ではない。
ギター弾ける女がいるユニットはいろいろあるが、だいたい実力不足である。
BAND-MAIDのギターの女はかなり上手いと思うのだが、全体の見映えがいかにも悪い。
ギターが弾ける女と美少女アイドルをうまく揃えていくのも難しいわけだ。

それにベビメタの初期はキラーチューンだらけなので、この格差も厳しい。
2ndを聴いた限り、すでに残弾はなさそうだが、それでも「いいね」と「メギツネ」と「ギミチョコ」だけで他を遥かに上回っている。
BAND-MAIDは楽曲が陳腐すぎるので、ここは勝負にならない。

電通の香川健二郎さんがアミューズにやってきてから、中元と菊地は東京五輪ということでずいぶん浮かれており、さくら学院の卒業生三人が揃って芸能界引退するなど、完全に小林啓と中元すず香が独裁しているのだが、その栄耀栄華に目がくらんだ菊地とは対照的に、水野は損得で動かない人間なので、さくら学院の卒業生まとめて引退の件に胸を痛めていたであろうし、電通のキャンペーンでも中元から目線を外すなどの抵抗は見られた。

芸能界引退そのものは賢明な判断であり、おそらく解雇ではないと思うが、アミューズから、推すつもりはないという暗い見通しを示唆されたはずなので、芸能界にしがみつくとしたら愚行であるから、一般人を選択した彼女たちの前途を祝したい。
ベビメタの人気には絶対に乗っからせないという中元すず香と小林啓の強欲さの前では亡骸になるしか無いので、一般人に転向するのが最前手である。
さくら学院に入ると、それだけで中元陣営から徹底して排除されるので、もはやアイドルの墓場と言うべきだろう。

そうやって中元と菊地が乱痴気騒ぎをしている渦中に、フランスで電通が二億円の賄賂で捜査されているとか、東京五輪が中止という話が出てきたのである。
いきなり中元と菊地はおとなしくなり、水野由結はいわば大西郷のような風格が出てきた。
どれだけの苦境にあっても、やはり人物は人物なのである。

3月半ばからベビメタの大々キャンペーンが始まったのは、グーグルトレンドのデータで記録されているし、グラフが異常に跳ね上がっているのは一目瞭然なので、いわば証拠も残っている状態である。
現時点でベビメタは敵がいないので、キャンペーンする必要はないのだが、中元すず香の人気が上がってないのが小林啓には不安であろう。
敵がいないから無敵であるだけであり、どこかから敵が出てきたら意外とベビメタは脆いのである。

ともかくダンサーとして水野由結に太刀打ち出来る人間はまずあり得ないので、これがベビメタ側にいる限り、ちょっと無理である。
演奏が出来ないという弱点を突ける凄腕の女ギタリストが敵として出てこないかぎり、ライブ動員が圧倒的であることに変わりはない。
水野由結が世界最高のダンサーであるから、まったく解放される見込みが無いという困難な問題であるし、水野由結がさくら学院であり、さくら学院が水野由結という存在なのに、さくら学院にとって最大の敵が水野になってしまっている難儀な状態である。
日本人は一億三千万人いるが、お互いをほとんど知らないので、物語の共有で日本人というアイデンティティを自覚している。近代日本の建国神話は明治維新である。その根底にあるのは陽明学であり、王陽明は知らずとも、誰でも吉田松陰やその弟子は知っている。明治維新については、あの時代背景を考えれば、そもそも民主主義ではないから剣で人を斬るのもいいであろうし、織田信長の言動が非常識なのと同じで構うまい。これが時代背景を踏まえずに美化されるとなるとずいぶん困ったことになる。伊藤博文や山県有朋が明治の創業メンバーだとすると、この連中が消えたあたりで、問題が肥大してきたのである。伊藤博文や山県有朋は決して立派な人間ではあるまいが、それなりに国家のことは考えていたし、天皇を本気で崇拝していたわけではない。山県有朋が軍人勅諭を作ったのも、近衛兵が反乱を起こした竹橋事件(1878年)を受けて、徴兵制の強化、もしくは天皇への忠誠心を高めることが必要だと考えたからであり、理由もなく天皇を崇めたのではない。竹橋事件は西南戦争への恩賞の少なさに不満が噴出したのが原因だが、武士が退場して軍人に入れ替わったことで、新しい思想原理が求められた。この薬が何十年も後になってからだんだん効き過ぎることになる。大企業病というのはスラングであろうし、また、どちらかと言えば、大企業に入れば無難にやるだけで安泰ということであるから、それとはニュアンスが違うであろうが、何かしら、創業メンバーがいなくなってからの肥大と腐敗という意味では大企業病である。最後の生き残りといえる山県有朋が83歳で死んだのは1922年だが、どうもこのあたりからバランスが崩壊した。山県有朋は悪役と扱われることが多いながらも、生きている間は、それなりにうまくいっていたし、日露戦争開戦時の参謀総長は山県有朋である。伊藤博文が政党政治を重んじていたから、そこでバランスが取れていたとも言える。やはり山県有朋が死んでから、新世代の軍人や右翼の群雄割拠と言うべき様相を呈してきた。この当時の軍部と右翼が一体化しているのは、現在からするとやたらと奇妙に思えるが、これはおそらく国民皆兵の問題であろうし、日本男児であれば誰でも軍人なのである。軍部大臣現役武官制は、後に復活させたのは広田弘毅だが、1900年に山県有朋内閣が作ったのが発端である。明治維新は時代背景からして許されるとしても、議会政治になってからテロルをやるのはただの民主主義の破壊である。ナショナリズムの骨格が固まり、一般庶民の精神の隅々まで浸透したと言えるし、明治維新を醜悪な形で再現しようという下心のある連中が出てきたのである。関東軍の勝手な拡大路線もやはり勲章が欲しかったのであろうし、もはや大義など無い。治安維持法(1925)は隣国がソビエトであるし、スターリンという人物を考えれば、共産主義者を弾圧しないほうがよかったなどと決して言えまいし、必要な法律だったが、右翼が跳梁跋扈し、一旗揚げたいという野心を助長した。行動在りきの陽明学が復活し、テロルが猖獗を極め、言論で成り立つ政党政治は完全にぶち壊された。帝国主義とは、支配する国と支配される国というヒエラルキーで世界地図が塗り分けられることであり、フビライ・ハーンが13世紀にユーラシア大陸で行ったようなことが、地球全般に広まったのであるから、そういう血腥い世界分割の時代において、日本のような島国が平和主義というわけにもいかないし、帝国としての志向を持つしかなかった。軍国主義という陋習が長きに渡り日本を覆い尽くしていたというよりは、兵農分離から国民皆兵の時代へ移行するため、すべての日本男子に軍人の精神を教えこまなければならず、国民国家の礎として必要なナショナリズムの種を蒔いていたら、徴兵制のための口実であった天皇崇拝が強毒化して手がつけられなくなった。だから軍国主義が荒れ狂ってきた期間はせいぜい15年くらい、もしくは五年程度と言ってもいいのである。そもそも1935年に美濃部達吉が天皇機関説を理由に攻撃されたのは、天皇機関説が通説だったからである。明治憲法を読んで天皇親政だと思う人間はいないわけで、主権は国家にあると読むのが普通である。だいたい絶対王政なら憲法などないので、憲法があるからには、王様でも制約されると考えるべきであろう。1935年になって、その常識的な通説が排撃されたのだから、そこまではそれなりに民主的であったとも言える。ともかく軍国主義が膨れ上がりすぎた問題は、敗戦後マッカーサーに解決してもらった。ソビエトに関しては、アメリカに守ってもらうことになったので、治安維持法は必要がなくなった。日本人は骨抜きにされたというが、大企業病だから倒産しただけであり、リストラしてもらったのに恨み節はよくない。自力で解決出来なかったせいで外圧頼みになってしまったが、だからと言って、もはや陽明学には戻れない。軍服を着なければ戦えないのでは困るし、腐敗した既得権益と言論で戦うための新たな思想が必要である。
人間は現在への関心が非常に強いわけである。
やや語弊があるが、たとえば映画を見るとして、それは現在の体験ではない。
現在というのが色濃くないのだ。
だが、その映画が、現在とても話題になっているのなら、話題沸騰の映画ということで、現在への参加という側面が強くなる。

ネットで暇人と言われやすい人は、現在への関心が極めて強い。
この場合は関心というより、好奇心と言った方がよさそうだが、ともかく現在への注目の強さである。
そして、それだけの注目を惹く出来事があるとは限らないので、現在の面白さの強度が弱いとなれば、他人にかまってもらうために馬鹿なレスを書き続けたりする。
昔の映画を見ることでは、この「現在」への好奇心は満たされない。
現在という突出した生々しい時間性は、やはりこの瞬間においての注目が際立って高くなくてはならない。

現在への参加意識が極めて高い人が、なぜ暇人と言われてしまうのか。
有名人で言えば、はるかぜなどいかにも、ずっとエゴサーチとツイートばかりしていて、現在への参加意識が強いが、その姿勢が蔑まれる。
いかにも時間を浪費しているというイメージであるし、実のところ、ずいぶん手持ち無沙汰であろう。
はるかぜ親子が勉強をやたらと嫌うのは、知能が低いというのも大きいが、勉強というのは現在性がさほど強くないからである。
数学の勉強をしている人は、現在まさに数学の教科書を開いて勉強しているはずだが、それははるかぜ親子が貪っている切羽詰まった現在性とは違うのである。
野次馬で火事を見物するのも、数学の教科書に向かって勉強するのも、現在といえば現在だが、やはり同等の現在性は持ってない。

現在話題になっているものの優位性というのは、人類が共同存在することに必要なのである。
火事が発生しているのに意に介さず数学の問題を解いているようなことは出来ない。
数学より火事のほうが緊迫性が在り、優先順位が高く、それが現在性として時代を作るのである。
だが、野次馬ばかりやっていると、暇人だと言われてしまう。
世間の耳目を惹く大事件が四六時中発生しているわけではなく、どうしてもだれている時間帯があるから、火事が起こってなければ自分で放火するような真似までするのである。
https://twitter.com/ukrss/status/735392541252722689
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津田大介からクソリプが来てきたが、こんなのどうでもいいんだよ。
アリバイだけしっかりしてるというコミュ強の特性を表したに過ぎない。


電通と喧嘩して大怪我するとか馬鹿だし誰もやらんだろうから、どこかの刑務所の囚人でも連れてくるしか無い。
これはまさに本間龍という人物がうってつけなのである。
彼は知人から金を借りて返さなかったとか、そんな理由で詐欺罪に問われて刑務所暮らししているから、今さらどうということはない。
彼は博報堂に18年館勤務していたことがあるから、ライバル社であった電通についての事情も知っている立場である。
前科だけだと、ただの無敵の人だが、博報堂に18年いたという経歴も合わせると、もはや超人と呼ぶべきだろう。
守秘義務の問題もあまりなさそうな気がするが、万が一問題があればまた刑務所に戻ればいいであろう。
ひとまず「電通と原発報道」という本を読んでみたが、内容はかなりしっかりしており、この業界の抱えている問題がよくわかる。
ネットのインフラが一通り整備されてきた昨今だからこそ、電通について問いなおすべき時期なのであろうし、東京五輪という重大関心事はまさに黒船としてやってきたのである。
とりあえずわれわれには本間龍という超人がいるので、誰も電通について書けないということはない。
というより、博報堂18年勤務で前科者というのは、極めて強力な書き手であるから、あたかも時代の大きな転換点に居合わせるために服役していたかのように思える。
3月15日に電通国際事業部門局次長である香川健次郎さんがアミューズの執行役員になってから、いろいろと変化があったようであり、BABYMETALのプロフィールからさくら学院の名前が消えるなど、政治的な動きも見られる。われわれコミンテルンとしては、菊地最愛は電通の傀儡と判断し除名する。コミンテルンの綱領に照らして、菊地最愛はブルジョワ独裁に与したと判断されたからである。これは同士諸君にとっても苦渋の決断であろうが、ブルジョワとプロレタリアートは峻厳に区別されねばならない。ブルジョワ独裁と無産階級独裁のふたつの道しかなく、その中間はないと同志レーニンは述べたが、菊地最愛はブルジョワ独裁に転んだのである。人間は変化するし、いつまでも同じということはないから、軍事境界線は刻々と変動する。そもそも菊地最愛と中元すず香は数年前まで親密だったのであり、中元のプロデューサーの個人活動禁止の方針にうんざりして距離をおいたというのが実際のところである。このところ心境の変化があったらしく、久闊を叙するかのように中元すず香との関係が旧に復したように見える。数年前は仲良しだったのだから、友誼を結び直すのも不自然ではあるまい。これは典型的な獄中転向であるし、菊地にはそれしか選択肢がなかったのである。どっちみち脱獄は出来ないのであるし、無期懲役の境涯に変わりがなく、以前は親密だったのだから、柔軟に考えて旧交を温めて、この終の棲家で楽しく活動しようというベクトルに向かうのは自然である。そもそも菊地最愛がさくら学院に深い思い入れがあるとは言い難い。個人活動への未練を表明する手段として、さくら学院にこだわっていただけである。昨年12月の、スターダストの小野寺君とやらの一件は真偽不明であるし、われわれ第三インターナショナルも調査不能ではあるが、やはり面識のある連中から噂を流されている格好であるから、完全な潔白を証明するのも難しい。おそらくこのタイミングで個人活動はしばらく断念することにしたと思われる。東京五輪に関する二億円の賄賂問題が浮上してきてから、中元すず香の提灯記事がぴたりと止んでしまうあたり、いかがわしさの極みであるが、それがブルジョワの本質なのであり、コミンテルンにとって不倶戴天の敵である電通というブルジョワ独裁の病巣が化膿しながら肥大し、われわれの自由精神を殲滅させ、この穢土に瘴気を放っている。

BABYMETALの動員力は圧倒的であり、たいして固定ファンがいないのに、三万人くらいは呼べるのである。ファンでない人の好奇心に訴える力があるので、固定ファンはいらないのだ。小林啓というファシストの思惑通りだったはずだが、肝心な中元すず香の人気がまったく上がっておらず、むしろ下がっているので、ここが悩みの種であろうから、中元へのテコ入れのために電通と組んだと思われる。小林啓と中元すず香がこれから十年二十年とコンビを組んでいくことを視野に入れると、現状の中元の不人気は深刻であり、現時点で三万人動員出来ても、ソロになったら過去の人になってしまう懸念も在り、電通によるテコ入れで中元すず香をカリスマにする必要があったのだ。

このところアミューズ内でさくら学院の立場が悪く、卒業生三人がいずれも芸能界引退するなど、やたらと見捨てられている感じがあるのは、中元-菊地のブルジョワ的な意志であろう。このところのアイドルの供給過多を考えるに、芸能界にしがみつかずに引退したのは賢明な判断であるが、おそらくアミューズ社は本人たちの未来を思慮深く考えたわけではあるまいし、さくら学院は切っていくということであろう。後輩三人が芸能界引退したのに昨年の生徒会長だった菊地がやたらと元気なのも面白いところであるし、これは本人が新しいステージに入ったのであり、旅の途次に思いを残すことなど煩わしいし、過去は通過点として忘却されていく。東京五輪の賄賂問題で、中元すず香を五輪の歌姫という物語で売るのは無理になったので、しばらく中元はおとなしくなるだろうが、ほとぼりが冷めたら、またこのドブスがゴリ推しされるのである。

武藤彩未はタレントや司会なら簡単に金メダルが取れる素材だが、武藤(母親)が強欲を出して花形競技に種目変更したわけである。16歳とか17歳の頃に一年以上も休業するとか、まともな神経ではない。そもそも専業歌手というのが成り立ちづらい現状からすれば、やたらと感覚が古く、むしろ司会者の方がランクが高いようにも思えるが、やはりその結果は無惨であった。子役上がりの芸能人がたいていおかしいのは、母親が野心的であり、事務所の社員と敵対するからであろう。母親が喧嘩している姿ばかり見ているのだから、ろくな人間にはならない。武藤が摂食障害になったのは、母親の野心的な考えに疑問を抱き始めたからであろう。そもそも武藤彩未と中元すず香がライバルというのがピンと来ないし、小林啓が武藤(母親)を蛇蝎の如く嫌っているのが実態である。われわれはそれを事実として確認はしてないが、武藤(母親)が複数のアミューズ社員から嫌われていて、そいつらが小林啓に協力していると考えると、だいたいのことは説明できてしまう。

ここのところ水野由結こそが孤高の聖者という風格を帯びてきており、中元すず香との関係も相変わらずの素っ気なさだが、一人だけ浮いている状況に水野が耐え切れるかどうかであろう。獄中でも精神を曲げない高潔さが不安ではあるが、武藤親子のような弱い人間ではない。ベビメタは海外アーティストからのコラボ依頼などないはずである。レディ・ガガの前座をやって、あれから音沙汰が無いことから察しである。とにかく真ん中のドブスが邪魔なのだが、水野だけならオファーはありそうな気がする。小林啓は当然ながらそれを蹴るはずだが、水野がそこまでの高みに登ってきた時に、どういうことになるのか愉しみである。かつて武藤親子を蹴落とした時と同じようにはいくまい。水野が最頂点まで上がって勝ち抜けするというエンディングもありえるわけだ。菊地がブルジョワ独裁に転んだのは、なまじ聡明で状況理解ができている人間だからである。電通のレクチャー通りにやった方が合理的だと総合的に考えて判断したのだ。まさか二億円の賄賂で東京五輪そのものが怪しくなるとは青天の霹靂であり、誰も予想しないことであった。電通社員が捕まったとしても、ベビメタに累は及ばないが、東京五輪を中元すず香の晴れの舞台にすることはできなくなる。念のため言っておくが、中元がソロですごい大人気になってグラミー賞でも取ってくれたら、水野由結が獄中から出られることを意味するので、それはそれとしてわれわれにとって大きな喜びである。だが絶対にそれがないし、海外人気を誇大宣伝して東京五輪にゴリ推しするくらいしかないから、われわれは批判的な主張を展開してるのだ。フランスでの捜査の結果を待ちながら、われわれは革命前夜の世界を書き綴っていく。過去も現在も未来も不透明である。本人たちの表明的な言動しか見えてないから、その篋底に秘めたる思いなど知る由もない。なんにせよ、中元-菊地を見ていて思うのは、さくら学院とは水野由結だったのである。水野由結がさくら学院である。水野由結が勝ち抜けして世界の頂点に上った時に、自由と名誉を勝ち取った少女がどのような言葉を述べるのか、それを楽しみにしていよう。
嫌な人間であるというのは、時として武器になる。
学校のいじめもそういうことだろうし、好人物だからランクが高いというわけではない。
巨漢で最悪の性格なら、コミュニケーションの食い違いでねじ伏せるというやり方もあるのだ。

他人の反感を買うようなことばかりやっていると報復されるリスクがあるが、このリスクは意外と低い。
時効という便利なものがあるし、その場で報復されなければ大丈夫である。
時効という概念がなければいじめなど迂闊に出来ないが、その場でまかり通ればいいのだ。

冨田真由さんが岩埼友宏容疑者に滅多刺しにされた事件だが、こいつは普段から嫌な奴に決っている。
報道によれば、身長が180センチを超えているらしいので、いじめっ子の典型であろう。
柔道をやっていたらしく、大会で優勝したことがあるという報道もあるが、他人と衝突して腕力でねじ伏せるのが癖になっているはず。
この容疑者は現場ではいつも最前列にいるはずである。
いろんな人を不愉快にさせてきたはずだが、そうするとファンが減ってくれるから、富田真由さんとの距離が近づくのである。
これはドルオタの本能であろうし、嫌な人間になって顰蹙を買うことにメリットがある。
この富田真由さんは最近事務所をやめて単独で活動していたらしいが、人気が無いのは本人の責任が大きいにせよ、岩埼友宏容疑者が現場で他のファンを削っていたことによるダメージもあったはずだ。

ドルオタは基地外なのか、基地外を演じているのかよくわからない生き物である。
最悪の印象を周囲に与えるとファンを減らせるので、基地外が合理的とも言えるから、ここがややこしい。
この容疑者みたいに180センチ超えていて柔道も強いとなれば、因縁をつけるだけの人生であろうし、それが合理的であったのだ。

たとえば座席交換のトラブルはどこでもあるはずだ。
岩埼友宏容疑者みたいなオーラのあるヲタが「俺はそこの席がいいから交換してくれ」と喧嘩腰で言い張るわけだ。
女性客が被害に遭うことが多いようだが、男性客でもライブに楽しみに来たら喧嘩というのも嫌だから、おとなしく屈してしまうこともあるだろう。
いい席に座りたいというエゴだけではなく、とにかくファンを減らしたいから喧嘩をふっかけるのである。
迷惑行為の大半が「ファンを減らしたい」という合理性と結びつくから手に負えない。

まあなんにせよ、180センチ超えで柔道も強い人間が、他人をねじ伏せながら生きてきて、周囲から相手にされなくなっていく末路だったのである。
清原和博や伊良部秀輝もそうだが、並外れた巨漢だと、たいていの無理難題が通ってしまうので、だんだんと他人から避けられて、結局はおかしくなる。

たとえば知人の山田さんが心臓発作で倒れて病院に運ばれ、しばらく入院して、今は退院して元気になっているとします。

このストーリーを説明する場合、すでに退院して元気になっているという結論から言うべきかという問題があります。

もちろん「山田さん今は退院したけど、心臓発作で入院したんだよね」と結論から言う方が手っ取り早い。

だが興味を惹くためには「山田さんが心臓発作で倒れたんです」と切り出して、結論は最後まで取っておくほうが話のつかみとしてうまい。

すでに退院しているという結論を言わないほうが、山田さんの現状について気になるから、食いつきがいいはず。

とはいえ、結論を最後に言われると、「元気になって退院してるなら最初に言えよ」と怒りが湧いてくることだってあるだろう。
結論を先に言え、と食って掛かりたくなることだってあるかもしれない。

退院して元気になったという結末を出し惜しみするのは、わりと女性にありがちな傾向という気がするが、明確な性差があるわけではない。
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