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2016.08.20
弱そうな方を止める。テロリストの温床。
なぜテロリストとか通り魔は、無関係の人に刃物や銃を向けるのだろうかと考えると、潜在的に誰もが強者の見方だからと言うしか無い。
だからルサンチマンの対象となりえてしまう。
たとえば喧嘩を仲裁するとして、要するに弱そうな方を止めるわけである。
強い方の味方をするのだから「仲裁」ではなくて「加勢」だと思うのだが、なぜかそうなっている。
止めてあげないと殺される、と思って親切で止めているのかもしれない。
降参しないと殺されるというのはよくよく考えると錯覚でしか無いのだが、われわれは誤謬である本能に従う。
ともかく弱そうな方を羽交い締めにするのである。
この「親切」に対する復讐が通り魔やテロリズムのような気がするのである。
弱い方を羽交い締めにするために集まってくる連中を抹殺したいというルサンチマンである。
われわれは、弱そうな側を「親切」で羽交い締めにするのはやめるべきであろう。
放置しておけばいいのである。
「その人に逆らってはいけない」と止めに入る必要はない。
とはいえ、たとえ傍観を貫いたとしても、「あの人に逆らうなんて馬鹿だな」とか思ってそうだし、おそらく現実はこれに近いであろう。
つまりわれわれは通り魔やテロリストに殺されても文句は言えないのである。
その通り魔に会ったことはなくても、人生の何処かで強い者に加勢をして、仲裁と称して弱い側を止めた経験はあるだろうから、そういう取り巻きの一人として討たれても仕方がないのだ。
だからルサンチマンの対象となりえてしまう。
たとえば喧嘩を仲裁するとして、要するに弱そうな方を止めるわけである。
強い方の味方をするのだから「仲裁」ではなくて「加勢」だと思うのだが、なぜかそうなっている。
止めてあげないと殺される、と思って親切で止めているのかもしれない。
降参しないと殺されるというのはよくよく考えると錯覚でしか無いのだが、われわれは誤謬である本能に従う。
ともかく弱そうな方を羽交い締めにするのである。
この「親切」に対する復讐が通り魔やテロリズムのような気がするのである。
弱い方を羽交い締めにするために集まってくる連中を抹殺したいというルサンチマンである。
われわれは、弱そうな側を「親切」で羽交い締めにするのはやめるべきであろう。
放置しておけばいいのである。
「その人に逆らってはいけない」と止めに入る必要はない。
とはいえ、たとえ傍観を貫いたとしても、「あの人に逆らうなんて馬鹿だな」とか思ってそうだし、おそらく現実はこれに近いであろう。
つまりわれわれは通り魔やテロリストに殺されても文句は言えないのである。
その通り魔に会ったことはなくても、人生の何処かで強い者に加勢をして、仲裁と称して弱い側を止めた経験はあるだろうから、そういう取り巻きの一人として討たれても仕方がないのだ。
2016.08.18
資本金という亡霊
貸借対照表の純資産の部に資本金を記載しなければならないのですが、たとえば『資本金4,000,000円』と書かれていたりすると、『この企業には資本金という名で蓄えているお金が400万円ある』と思う人が少なくないそうです。中小企業の経営者に少なくないとか。。。。極端な話、資本金が100億円の企業であっても、手元現金預金はまったくないこともありうるわけです。
Kindle Unlimitedで「会社法の入門書を読む前におさえとく ゼロからの簿記・会計と経理・経営のオハナシ」という本を読んでみた。
著者のふくしままさゆきという人は米国公認会計士ということで、あんまり経歴がはっきりしないのだが、この本そのものはかなりよく出来ている。
たいていのバランスシートの本だと「とにかくこうなっている」という書き方が多いのだが、この本は、なんでこういう仕組みなのか、というのをずいぶん考察している様子が伺える。
検索しても大学名が出てこないので、偏差値は不明だが、普段からいろんな物事の仕組みについて考えるのが好きな人間なのであろう。
複式簿記を見ると、まず立ち往生するのが「資本金」なのだが、これは要するに使ってしまっているお金である。
過去の亡霊のようなものであり、もう手元にはないわけだ。
世の中のたいていの本だと、なんか資本金が手元に残っているかのように錯覚してしまう。
資本金が金庫の奥に眠っていると誤解してしまうと、複式簿記は謎なのだが、この本ではその躓きが回避されている。
資本金は元手であり、すでに使ってしまっているからこそ、複式簿記の右側に書かなければならない。
だいたい世の中のことは、模範解答を身に付ければ、それだけで使える。
マニュアルが頭に入っていれば、なぜそうなっているかの意図は考えなくてもいい。
とはいえ、なぜそういうマニュアルになっているのか、自分なりにいろいろと考えている人に教えてもらうと腑に落ちるのである。
2016.08.16
ももクロの復権。ベビメタの凋落。


BABYMETALが海外のメタル界隈で話題を呼んでいるのは事実なのだが、この五年くらいのビルボードのチャート上位100曲で、メタルは0であるだけでなく、ギターのリフが魅力的な楽曲もほんとうに少ない。シンセサイザーのほうがいい音が出るので、最近の若者にはギターがノイズらしいし、メタルとなればなおさらである。1stはキャッチーなEDMをメタルアレンジにした程度だが、2ndでEDMから後退してメタルに傾斜したから、老境に差し掛かった男性にしか受けていない。ギミチョコはジューダス・プリーストのPainkillerのオマージュでもあると思うのだが、そのジューダス・プリーストと共演して見せても、老人ホームで喝采が上がっただけであった。
ベビメタは東京ドームを9月19日(祝日)と20日(平日)にやるのだが、今のところは、先行抽選に応募すれば19日はほとんど当選、20日は必ず当選という具合である。相変わらずフェスだと野次馬がたくさん集まるので、まったく関心が失われたわけではないだろうが、日本のファンが興を削がれている様子は見受けられる。まだ一ヶ月あるから、プロモーション活動で野次馬を呼べばいいし、興味本位で見てみたいという人は結構いると思うが、露出制限でレアリティを上げる戦略なので、バラエティに出すわけにもいかないし、どういう対応をするのか注目される。いずれにせよ、最終的に埋まったとしてもこの出足の悪さを見る限り、先日の白ミサ(顔を白く塗って参加するライブ)の動員の苦戦も含めて、ファン離れは露わである。
8月13日と14日に行われたももクロの日産スタジアムのライブはずいぶん動員出来たようである。ももクロはベビメタの後塵を拝していた状態であったが、離れていたファンがまた戻ってきている様子も伺える。ずいぶんあちこちでアイドルが活動休止しており、ブームそのものは冷めているのだが、中元すず香が傲岸不遜なアーティスト路線に行ったし、ゆいもあは口にガムテープだから、一時は引っ張れたドルオタもベビメタから離れたし、収容するべき難民はまだいる状態。ベビメタは意図的にももクロと棲み分けたつもりはないはずだが、実力アピールの方向に行ってしまったので、せっかく奪ったイロモノアイドルとしての王朝を、ももクロに譲り渡した格好である。本人たちが演奏も作曲も出来ないことを考えると、ベビメタがイロモノであるのはアイデンティティの中核であろうし、これを使い捨ての梯子のように放棄して、さくら学院の過去をなかったことにして、本格派アーティストの歴史に描き直そうというのは、勘違いも甚だしく夜郎自大と言うしかない。勝者として綺羅びやかなレガリアを身に纏い凱旋帰国したつもりだったのであろうが、ナイトの爵位を与えられたわけではあるまいし、メタル誌で賞を与えられた程度。2ndの内容に新奇性がなく、役人が伝統的な有職故実をなぞるかのような退屈さであったから、メタラーに擦り寄っただけであり、大半の人からは失望されている。BABYMETALは海外ではイロモノなのに、日本ではイロモノではなく、ポルシェやシャネルのような舶来品の扱いである。外人が連れ歩いている高級娼婦といえるし、水野由結ちゃんが海外で著名なユーチューバーとハグさせられるなど、果たして成り上がったのか成り下がったのか、どちらなのであろう。あの中元すず香というドブスも、黄禍論に目覚めたらしく、毛唐には媚びるが、日本人には目を眇めて睥睨し、まるで舛添みたいな凶相を見せるのである。
2016.08.15
有村悠さん。コミケ完売も艦これで負けてディスプレイを破壊。

わたしは同人文化とやらには疎いので、相場とかさっぱりわからないが、有村悠さん(37歳)は初版で2000部刷っているらしい。
一冊あたり300円の利益があるとするなら、60万円である。
赤貧に喘いで乞食生活していた頃からすると、暖衣飽食の徒と言うべきライフスタイルになっている。
わたしはもう艦これログインさえしてないので、このところの状況は知らないが、ほとんど課金する必要のないゲームであるはず。
有村さんはなぜか艦これに何十万円も課金しており、ゲーム音痴というか、もはや知的障害者の領域である。
小さい頃からゲームをやるとママンに殴られていたらしいので、製作者側の意図が読めないのであろう。
原始的なゲームの楽しさに没入できる立場ではあるが、怒りしか感情がないらしいので、イライラが募るらしい。
だが、こうやってディスプレイを破壊するのは、北条かやのようなビジネスであろう。
昔の有村さんであれば、ナイフで身体を切り刻んで画像をアップしていたのだし、そこまで行かないのは、北条かやからノウハウを学んだのである。
やはり有村悠さんは更生されたのだと思う。
ディスプレイは壊してもパソコン本体は壊さないなど、あたかも一芝居打っているかのようであるし、自制心はある。
加藤智大となんら径庭がないテロリスト予備軍と見なされた疾風怒濤の青年期は終わったのである。
オプトイン/オプトアウトが自由な狂気なのだから、やはり北条かやである。
2016.08.15
Kindle Unlimitedがダウンロードされすぎて規制か
わたしもあまり事態を把握してないし、まだ無料のお試し期間であるから、消費者問題ではなかろうし、蜂の巣をつついたような騒擾が版図を広げているわけではないが、ネットの片隅で不満を募らせている窮民の方々がいるらしく、公式アナウンスもされないから、あれこれ不透明であり、目鼻立ちも定かではないが、事態の輪郭が判然としないながらも、粗雑に書き綴っておこう。
噂によれば、初年度は著作権者に対して、購入されたのと同等の扱いをするらしいのだが、要するにアマゾンの大赤字である。
月額980円で賄えるわけがない。
目前の大赤字は承知のうえで、長期的な視点でサービスをローンチしたのだろうけど、なんか予想以上だったらしい。
高額の書籍がラインナップから消されているらしいのだ。
それと1000冊制限というのもある。
1000冊に到達すると、そこで制限されるようだ。
いくらコミックであろうとも、サービス開始から一週間かそこらで1000冊も読むのはちょっと無理だと思うのだが、立ち読み感覚、つまり、読みさしの本を積み上げていけば、それくらいいくのかもしれない。
あるいは、なにか裏技があるのかもしれないが、それはよくわからない。
同時に端末に残せるのは10冊という制限は最初からあり、一気になんでもかんでもダウンロードすることはできない。
ともかく、細かい事情はさっぱりわからないのだが、お試し期間は無料という惹句がまずかったのか、雲霞の如く押し寄せる赤貧の俗衆に対して、アマゾンの担当者が真っ青になっていると思われる。
普段は抜け目のない狡猾な連中であるだけに、珍しく杜撰であるのが興味深い。
噂によれば、初年度は著作権者に対して、購入されたのと同等の扱いをするらしいのだが、要するにアマゾンの大赤字である。
月額980円で賄えるわけがない。
目前の大赤字は承知のうえで、長期的な視点でサービスをローンチしたのだろうけど、なんか予想以上だったらしい。
高額の書籍がラインナップから消されているらしいのだ。
それと1000冊制限というのもある。
1000冊に到達すると、そこで制限されるようだ。
いくらコミックであろうとも、サービス開始から一週間かそこらで1000冊も読むのはちょっと無理だと思うのだが、立ち読み感覚、つまり、読みさしの本を積み上げていけば、それくらいいくのかもしれない。
あるいは、なにか裏技があるのかもしれないが、それはよくわからない。
同時に端末に残せるのは10冊という制限は最初からあり、一気になんでもかんでもダウンロードすることはできない。
ともかく、細かい事情はさっぱりわからないのだが、お試し期間は無料という惹句がまずかったのか、雲霞の如く押し寄せる赤貧の俗衆に対して、アマゾンの担当者が真っ青になっていると思われる。
普段は抜け目のない狡猾な連中であるだけに、珍しく杜撰であるのが興味深い。
2016.08.12
ボケる前に生前退位
大正天皇は20歳代の頃はかなり普通であり、まともな知力もあったと思われるが、幼少期からかなり病弱であり、わがままに育ったのもあるだろうし、また晩年は頭のおかしい人だったから、その奇妙な言動を失笑され、国民から軽侮される存在だったとも言える。
大正天皇の晩年は皇太子時代の昭和天皇が摂政としてやっていたわけだが、果たしてあれがどうだったのか、という問題もあるだろう。
時代背景として1917年にロシア革命があったので、隣国にソビエトがある状態であるから、大正天皇(1879-1926)だけの問題ではあるまい。
1932年の5.15事件の連中に減刑嘆願が殺到して国士として扱われた時代風潮などは、共産主義のオルタネイティヴであるファシズムを求めたのであろうし、天皇というのは理由付けでしかない。
また1922年に長州藩のボスである山県有朋が死んだので、ここから長州閥を叩き潰すための軍部での派閥抗争が活発化しているから、これによって殺伐とした軍人が威張り散らす風潮も生まれた。
大正天皇の晩年の状態がファシズムを跋扈させる一因だったという論旨も成り立つが、大正天皇がおかしくなり始めた段階で退位して昭和天皇にスイッチしていても、歴史はたいして変わってない気もする。
とはいえ、大正天皇の晩年が怪しかったから、昭和天皇がお飾りとして軍人に担がれたと言えないこともないし、これから今上天皇がボケ老人のようになっていくとすれば、これまた天皇の権威として危惧があるであろう。
青年将校がお手本にしていた明治維新も、あれは孝明天皇に嫌われていた連中が、なぜか都合よく孝明天皇が急死してから幼い明治天皇を担いだ格好であるし、松平容保(会津藩)などは孝明天皇から非常に信頼されていたから、大変なことになってしまった。
なんにせよ、今上天皇としては、頭がしっかりしている間に退位したいのであろう。
大正天皇の晩年は皇太子時代の昭和天皇が摂政としてやっていたわけだが、果たしてあれがどうだったのか、という問題もあるだろう。
時代背景として1917年にロシア革命があったので、隣国にソビエトがある状態であるから、大正天皇(1879-1926)だけの問題ではあるまい。
1932年の5.15事件の連中に減刑嘆願が殺到して国士として扱われた時代風潮などは、共産主義のオルタネイティヴであるファシズムを求めたのであろうし、天皇というのは理由付けでしかない。
また1922年に長州藩のボスである山県有朋が死んだので、ここから長州閥を叩き潰すための軍部での派閥抗争が活発化しているから、これによって殺伐とした軍人が威張り散らす風潮も生まれた。
大正天皇の晩年の状態がファシズムを跋扈させる一因だったという論旨も成り立つが、大正天皇がおかしくなり始めた段階で退位して昭和天皇にスイッチしていても、歴史はたいして変わってない気もする。
とはいえ、大正天皇の晩年が怪しかったから、昭和天皇がお飾りとして軍人に担がれたと言えないこともないし、これから今上天皇がボケ老人のようになっていくとすれば、これまた天皇の権威として危惧があるであろう。
青年将校がお手本にしていた明治維新も、あれは孝明天皇に嫌われていた連中が、なぜか都合よく孝明天皇が急死してから幼い明治天皇を担いだ格好であるし、松平容保(会津藩)などは孝明天皇から非常に信頼されていたから、大変なことになってしまった。
なんにせよ、今上天皇としては、頭がしっかりしている間に退位したいのであろう。
2016.08.12
社会契約しなくても人間は元から同じ
社会契約が人間をつなげているのではなく、人間の肉体が根本的に同じなのである。
この地球上のあちこちにタンポポが咲いているとして、それは全部同じタンポポである。
人間そのものが同じだから、社会を集団的に共有しているように錯覚している、もしくはそういう構想を可能にするのである。
歩行で移動は可能であるが、あちこちに似たような人間が根付いており、人間世界の現象の仕組みに従って同じような体験をしている。
人間存在としての在り方も、男とか女とか、父親とか、そういう遺伝的に組み込まれたシンボル性を生きている。
このシンボル性は人間の文化の基底を成している。
たとえば歴史上において、父親殺しは滅多に実行されないが、兄弟殺しはかなり頻繁にある。
われわれは父殺しの罪を原罪として背負っており、これは実行したわけではないが、願望自体が咎められている。
兄とか弟はどうやらシンボル性が弱いらしく、皇位継承権で争うとなれば、平気で斬って捨てる。
世の中の大半の人とは会うことがないが、だいたい誰でも同じような体験をしている。
その「体験」が人間世界の現象だからであり、似たり寄ったりである。
海やプールで泳ぐとなれば、人間の肉体の規格に沿って誰でも似たようなものになるから、「泳ぐ」という動詞で通じるわけである。
虫歯が0本という羨むべき人間もいるらしいが、そういう人でも「歯が痛い」というのは想像が付くだろう。
頭が痛い、腹が減った、眠りたい、セックスがしたい、蚊に刺されて痒い、そういうことである。
国民国家における市民としては、日本の一億三千万人と共同存在しているつもりだが、もっと昔の世の中だと、村で村人として生きていたであろう。
あちこちの僻地でバラバラに生きていて、独特の風習を文化的に持つとしても、胃袋と生殖器が中心であるから、だいたい似たようなものでもある。
社会を共有して人間がひとつになるというよりは、元からだいたい同じなのである。
この地球上のあちこちにタンポポが咲いているとして、それは全部同じタンポポである。
人間そのものが同じだから、社会を集団的に共有しているように錯覚している、もしくはそういう構想を可能にするのである。
歩行で移動は可能であるが、あちこちに似たような人間が根付いており、人間世界の現象の仕組みに従って同じような体験をしている。
人間存在としての在り方も、男とか女とか、父親とか、そういう遺伝的に組み込まれたシンボル性を生きている。
このシンボル性は人間の文化の基底を成している。
たとえば歴史上において、父親殺しは滅多に実行されないが、兄弟殺しはかなり頻繁にある。
われわれは父殺しの罪を原罪として背負っており、これは実行したわけではないが、願望自体が咎められている。
兄とか弟はどうやらシンボル性が弱いらしく、皇位継承権で争うとなれば、平気で斬って捨てる。
世の中の大半の人とは会うことがないが、だいたい誰でも同じような体験をしている。
その「体験」が人間世界の現象だからであり、似たり寄ったりである。
海やプールで泳ぐとなれば、人間の肉体の規格に沿って誰でも似たようなものになるから、「泳ぐ」という動詞で通じるわけである。
虫歯が0本という羨むべき人間もいるらしいが、そういう人でも「歯が痛い」というのは想像が付くだろう。
頭が痛い、腹が減った、眠りたい、セックスがしたい、蚊に刺されて痒い、そういうことである。
国民国家における市民としては、日本の一億三千万人と共同存在しているつもりだが、もっと昔の世の中だと、村で村人として生きていたであろう。
あちこちの僻地でバラバラに生きていて、独特の風習を文化的に持つとしても、胃袋と生殖器が中心であるから、だいたい似たようなものでもある。
社会を共有して人間がひとつになるというよりは、元からだいたい同じなのである。
2016.08.11
ベビメタとソーシャルゲームの末期
流行って廃れたものと言えばソーシャルゲームである。
他人より優位に立ちたいという快楽のために、三十万円とか五十万円くらい必要であった。
五十万円を平気で散財できる人間がそれほどいるとは思えないが、とはいえ、払おうと思えば払えるし、詐欺としては匙加減が丁度いい。
わたしはそんな十万円単位の課金はしたことがないけれども、かつてモバゲーとグリーが席巻している頃は、うっかり一万、二万くらいは課金してしまったこともあった。
こういう思い出を誰もが苦々しく語るのは、五十万円とか百万円払って威張り散らした人でもなんか馬鹿みたいだし、払わなかった人間としても、威張り散らされて不愉快な思いをしたであろうし、決して、素晴らしい記憶ではないのである。
BABYMETALというユニットも、ソーシャルゲームと似通っており、あちこちの道場の看板を叩き割る品性下劣で血腥い凶行を見せているのであるから、後から思い出すと、苦々しいだけなのである。
このところパンデミックが収束に向かうがごとく、ファン離れがずいぶん見受けられるのは、干戈を交える仮想敵も滅び去り、一通り攻略できるところは攻略したから飽きたのもあるだろう。
他のアイドルより優位に立てるSRカードではあったが、このレアリティが重荷になっている。
小林と中元が高圧的だから、まるでソーシャルゲームの運営に弾圧されているかのようであり、この群賊悪獣の組織から抜け出したいという脱落者も多いと思われる。
この殺伐とした空気を吸ったことは一刻も早く忘れ去りたいのであろう。
まだ東京ドームまで一ヶ月あるので何とも言えないが、9月19日(祝日)の方は、ギリギリで売り切れるかどうかであろう。
9月20日(平日)の方は、ずいぶん売れ残りそうな予感である。
いずれにせよ、チケット争奪戦のようなものはなく、当選者だらけである。
馬鹿にしていたももクロより動員力が低い状態。
重課金しか残ってないソーシャルゲームのような惨状だから、この地獄草紙の終幕が待たれるところである。
他人より優位に立ちたいという快楽のために、三十万円とか五十万円くらい必要であった。
五十万円を平気で散財できる人間がそれほどいるとは思えないが、とはいえ、払おうと思えば払えるし、詐欺としては匙加減が丁度いい。
わたしはそんな十万円単位の課金はしたことがないけれども、かつてモバゲーとグリーが席巻している頃は、うっかり一万、二万くらいは課金してしまったこともあった。
こういう思い出を誰もが苦々しく語るのは、五十万円とか百万円払って威張り散らした人でもなんか馬鹿みたいだし、払わなかった人間としても、威張り散らされて不愉快な思いをしたであろうし、決して、素晴らしい記憶ではないのである。
BABYMETALというユニットも、ソーシャルゲームと似通っており、あちこちの道場の看板を叩き割る品性下劣で血腥い凶行を見せているのであるから、後から思い出すと、苦々しいだけなのである。
このところパンデミックが収束に向かうがごとく、ファン離れがずいぶん見受けられるのは、干戈を交える仮想敵も滅び去り、一通り攻略できるところは攻略したから飽きたのもあるだろう。
他のアイドルより優位に立てるSRカードではあったが、このレアリティが重荷になっている。
小林と中元が高圧的だから、まるでソーシャルゲームの運営に弾圧されているかのようであり、この群賊悪獣の組織から抜け出したいという脱落者も多いと思われる。
この殺伐とした空気を吸ったことは一刻も早く忘れ去りたいのであろう。
まだ東京ドームまで一ヶ月あるので何とも言えないが、9月19日(祝日)の方は、ギリギリで売り切れるかどうかであろう。
9月20日(平日)の方は、ずいぶん売れ残りそうな予感である。
いずれにせよ、チケット争奪戦のようなものはなく、当選者だらけである。
馬鹿にしていたももクロより動員力が低い状態。
重課金しか残ってないソーシャルゲームのような惨状だから、この地獄草紙の終幕が待たれるところである。
2016.08.09
アスリートは赤の他人
インターネットは本音が発信できてしまうから、ダルビッシュや為末のように「自分のためにやっている」とか「こんな暇があるなら自分のために時間を使ってくださいよ」という言説が平気で垂れ流されるようになったのである。彼らは批判を甘んじて受けるのをやめたのであり、観客を馬鹿にし始めたのだ。われわれネットユーザーはひとりで大量投稿する暇人にうんざりしているから、なんとなく、アスリートの言い分を正論と認めてしまう。このふたりにすべてが帰着するわけではあるまいし、むしろ自分のためにやっているというエゴは幅広く蔓延し猖獗を極めており、それこそ無観客試合こそが理想とも言えるのである。そして現在のわれわれは、かつて他人の勝敗にあれだけ重大な関心を寄せていた自分を不思議に思っているのである。プロ野球の勝敗で狂喜乱舞していたのが、かつての日本の大衆だったが、もはやそんな変わり者は見かけない。おそらく喜怒哀楽のすべてをアスリートに叩きつけることは禁じられており、ただひたすら祝福することだけが求められているから、応援の熱量は下がるしどうでもよくなってしまう。他人の人生に感情のすべてをぶつけていく熱狂的なサポーターが好ましいとは言えないから、それを蔑まれれば反論のしようもないし、この断絶が無関心の輪を広げていくのである。格差社会においてそれぞれの人生が分解していく世情であるから、他人の人生に関心を持たないのが礼儀であるとも言えるし、いつも近所の噂話ばかりしているおばさんも消えたのである。このような散り散りな社会をひとつに纏める役割をアスリートも拒否しているのだが、それはそれとして彼らの権利であろうし、だから関心が薄れているのであり、日本人が金メダルを取っても、どこかの大企業で赤の他人が昇進したようにしか思えない殺風景な世情である。空閨を託つわれわれが持て余している閑暇の埋め草がスポーツでなければならない理由はないので、他のことで暇つぶしをするだけである。オリンピックやワールドカップがどうでもいいという風潮は、決して一時的な端境期ではなく、アスリート自体が暇人という主要顧客を軽侮しているのであるから、スポーツ文化そのものが廃れていくと思われる。
2016.08.08
Kindle UnlimitedでVプリカは使えない

Kindle Unlimitedは当初、Vプリカが使えるという噂も流れていたが、実際は使えない。
先ほど試してみたら、最初の登録は通り、一冊目は無事に手に入ったが、二冊目でエラーが出た。
そしてこういうメールが来る。
こんにちは、Amazon.co.jpです。
Kindle Unlimited無料体験の登録に使用したカードに問題があります。無料体験期間が終了した後に有料プランに移行できるように、有効なカードが必要です。
カード情報を更新しない場合、Kindle Unlimited無料体験はキャンセルされます。支払い情報を更新するには、こちらをクリックして次の手順に従ってください。
ちゃんとしたクレジットカードでなければ使えない、ということである。
Vプリカは同じ番号のままお金を追加チャージすることが出来ず、買い足した場合には番号が変わるから、当たり前といえば当たり前である。
継続的に課金することが求められるサービスではだいたい弾かれると言っていいだろう。
(追記)
この記事を書いてから数日後。
クレカの期限を適当に入力していたので、それを正しく打ち直して再登録したら、今度はうまくいった。
だが、Vプリカは途中から使えなくなることがよくあるらしいので、これからどうなるかは不明。
アマゾンプライムでもVプリカは使えないし、またどこかで使えなくなるかもしれないが、それまではこのまま試す。