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http://lineblog.me/yamamotoyutaka/archives/10873966.html
うわー。

もうどう言葉にしていいか解らない。
ただ興奮しかない。

僕はベビメタに関しては完全に「後乗り」なので、どう語っていいか見当も付かない。
だから今まで言及しないでいた。

ベビメタについての議論は今や世界中で行われている。
だから自分が今更語っても、既出の陳腐な論評しかできないと思っていた。

だがしかし、それでも、ここで声を出したい、出すしかないと思える程、今日のライブは圧倒的だった。
それまでのアイドルのドーム公演は何だったんだ、というくらい、圧倒的な出来栄えだった。

今日の「LEGEND -METAL RESINTANCE」公演は、一つの最上級の「作品」だった。

間違いなく、BABYMETALは今のアイドルシーンの頂点だ。
差が違いすぎる。
彼女らに比べたら他のアイドルはただの学芸会だ。


アイドルシーンの頂点はどう考えても南條愛乃さんである。
μ’sが終わっても、未だにチケットの入手難易度は下がらない。
というより、ヤマカンは「Wake Up, Girls!」というラブライブの二番煎じみたいなアニメを作って失敗しているから、ただの逆恨みである。
さすがにフォロワー70万人超えている南條愛乃さんを知らないとは思えないので、南條よりBABYMETALだ!と言いたいだけであろう。
「それまでのアイドルのドーム公演は何だったんだ」という下りは露骨にラブライブへのdisである。
いくらベビメタを絶賛しても、ヤマカンがラブライブの二番煎じで失敗したことに変わりはない。
ベビメタの真ん中の虫みたいな顔をした女はプロ歌手の二軍だから、あの程度は当然であり、よくよく聴くとあまりうまくない。
最初に聴いた人はたいてい絶賛するが、何度も繰り返し聞くと意外と音痴だから興醒めする。
二軍では本塁打が打てるが、一軍には対応できない。
歌唱力を求めているなら、一軍のプロ歌手を聴いたほうがいいであろう。

あと、演奏力に関してだが、ベビメタみたいにあちこちからスタジオミュージシャンを集めたほうが品質が上がるというのがある。
Xで言ったらTAIJIの演奏力は超一流だが、HIDEは二流か三流である。
(ただしTAIJIは作曲の才能はなく、それに対して、HIDEはリフの音作りのセンスはある)。
仲間でやっているロックバンドよりベビメタのほうが演奏力の粒が揃っていても、それは当たり前の話。
神バンドはすごいわけではなくて、下手くそがいないと評したほうが正しい。
誰もがHIDEより上手いが、TAIJIより下手だというのが神バンドの実態。

なんにせよ、ヤマカンのようなニセモノがベビメタを絶賛して、ラブライブや南條愛乃さんをdisっているというのは、ある意味有り難いことかもしれない。
ファン離れしてるのにドームが埋まったのは、ヤマカンみたいなのがたくさん来たのであろう。
アミューズにヤクザは一人もいないし、ヤクザとも無関係である。
では、なぜゆいもあの口封じが出来るかと言えば、「芸能界の掟」にタダ乗りしているからである。
つまり他のヤクザ事務所を0円で使っている状態。
いや、使っているとさえ言えない。
なにしろアミューズが頼んでいるわけではないし、「芸能界の掟」を守る自警団のようなヤクザがいるだけである。

ヤクザがアミューズのためにタダ働きしている側面もあるわけだ。
「芸能界の掟」のためにアミューズはコストを払ってないが、それでも、それを守るべくヤクザ集団が自警団として動いている。
ゆいもあが勝手に発言したら、そちら方面のダークサイドに放り出すという暗黙の脅しはある。

こう考えると、アミューズは利口極まりない。
0円でヤクザを使っている、いや、頼まなくても勝手に「芸能界の掟」が自走しているので、それをうまく利用しているわけだ。
ヤクザとしてのコストを負ってないアミューズのために、他のヤクザ事務所が協力するのは馬鹿げているのだが、とはいえ、「芸能界の掟」を乱されたくないので、やむを得ず、アミューズタレントも裁きの対象とするしかない。

ともかく、ゆいもあ口封じはヤクザと無縁とは言えないのである。
アミューズにヤクザはいなくても、自警団が勝手に「芸能界の掟」として晒し者にすることはあり得るのだし、そういう恐怖イメージに頼っているわけだ。

こうやって0円で芸能ヤクザの掟にタダ乗りしているアミューズの行為がいつまで認められるのかは知らないが、今のところは認められているから、あの昆虫みたいな女の隣で、水野由結ちゃんのような世界最高のダンサーが脇役として踊るしかないのだ。
結婚には金が掛かるというが、子どもを大企業の正社員にする教育に金がかかるだけである。
ここはユニクロのような安物で済ますわけにはいかないらしい。
民進党が、大学の授業料を無料にするという荒唐無稽なことを言っているが、無名大学に入っても大企業入社にはつながらないので意味が無い。
座れる椅子の数が決まってるのだから、なにをやっても欺瞞である。
大企業の正社員になれるかどうかがすべてであり、なれないなら生まれてこないほうがいい。
そこまでして大企業に入りたいのかというと、決して人間の根源的な欲求とか、究極の理想ではないだろうから、ずいぶん重苦しいノルマなのである。
それが現代の閉塞感であり、これはアメリカでも日本でも事情はさほど変わらない。
たとえばビル・ゲイツがハーバード大学を中退していることが、かつてはドロップアウトの美学として語られていた。
いまだと、どうやってスタンフォードやMITで好成績を収めてグーグルに入るか、という話になる。
スティーブ・ジョブズが早々と鬼籍に入ったことも影響があるだろう。
ジョブズも大学中退だし、インドを放浪していたヒッピーであるから、グーグル社員より偉大な超人であった。
マイクロソフトやアップルを起業する物語から、グーグルの正社員になる物語にシフトしており、これは日本にも通底する風潮である。
Make America Great Againというトランプのスローガンに乗ったところで世界は変わるまいが、グーグルの正社員から縁遠い人生に絶望している少なからずの人が、アウトサイダーが覇権を握ることに希望を求めている。
スティーブ・ジョブズが成功したことで、あなた方がどこかの大衆酒場の片隅で蜷局を巻いている日々に終止符が打たれたわけではあるまいが、官僚や正社員が出世するのとは違って、モーゼが道を開いていくような色めき立つ感覚を体験したはずである。
錯覚でしか無いとも言えるが、物語こそが人類の真実であるならば、それによって夢は見れたはずなのである。
トランプが大統領になるよりは、ヒラリーのような偽善者が官僚的にやるほうが無難ではあろうが、ここには物語としてまったく希望がないのである。
アウトサイダーがエスタブリッシュメントの結界を破るのはひとつの奇跡であり、その奇跡がなければ、この世界は役人で埋め尽くされてしまう。
トランプはヒラリーをスポンサーの飼い犬と断じた。
そして自分にはスポンサーがいないとふんぞり返った。
これが現在の社会ではアウトサイダーとして偉大なのである。
日本であろうがアメリカであろうが、コンプライアンスがとても厳しく、スポンサーに縛られている。
スポンサーは人権団体ではないが、企業イメージという弱みを攻撃される畏怖から、人権問題に神経をとがらせるしかない。
アウトサイダーが英雄として現れなければ、ヒラリーのような偽善者に埋め尽くされてしまう。
その異端の有徴性が、大いなる正午と言うべき晴れやかな蒼天を見せるわけではあるまいし、兇変と呼ぶべき惨禍を巻き起こし火柱を上げ、その業火にわれわれも巻き込まれるのだろうが、それでもアウトサイダーを渇望するのである。
https://twitter.com/y_arim/status/776589112794947584
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https://twitter.com/y_arim/status/776593352506552320
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このところ有村悠さんは艦これクラスタでそれなりに売れているらしく、ずいぶん羽振りがよさそうである。
わたしは同人とか疎いのでどれくらい利益が出ているのか見当が付かないが、1000部くらい出しているらしいので、年収300万円くらいはあるのかもしれない。
とはいえ、艦これクラスタに定住しているだけに、焼畑農業のように人間関係を燃やしながら、すべてが黒焦げになって荒廃した廃墟を後にして、また新天地に向かうという手法が使えないらしく、ストレスが溜まっているようだ。
人間はルーツに乗っかった存在である。文明的なルーツに乗っかった存在という意味である。文明が誕生する前まで遡ると、たとえば日本人と韓国人は同じルーツになりそうだし、そもそも人類はすべて黒人ということにもなる。あくまで文明が成り立ってからのルーツが重要になる。このルーツの文化的差異でわれわれは自らのアイデンティティを見出している。現在のアメリカは白人63.7パーセント、黒人12.2パーセント、ヒスパニック16.4パーセントであるが、3分の1を占める非白人層にヒラリーは極めて強いわけである。白人は63パーセントで多数派だろうと言うかもしれないが、エリート白人層はヒラリー寄りである。社会的地位が高い白人となれば、失言などは絶対に許されないし、徹底して「政治的に正しい」意見を教えこまれる。ヒラリーを徳操の高い人物だと誰も思うまいが、政治的に正しいのは間違いがなく、要するに、平均以下の白人は冷遇して、有色人種を優遇することだが、これは白人エリートの基本なのである。白人エリートとしては、自らの立場を確保しているからなのか、それでも構わないらしい。何よりも、黒人に対してネガティブな発言でもしたら、社会的に死亡であるから、そうするしかない。報道がヒラリー支持に偏っているのも、今に始まったことではなく、マスメディアはリベラルだから、民主党を応援するしかない。共和党もリベラルに阿るしかなく、主流派は両親がキューバ生まれのマルコ・ルビオを大統領候補にしようとしていた。そこに最後の反動と言うべきか、ドナルド・トランプというトリックスターが現れ、平均以下の白人に決起を促し、政治的正しさへの反感を前面に出して勢力を伸張したのである。白人というルーツを持っている人間は、差別者としての咎を負っているとも言えるが、これもなかなか不思議である。他国の事情は知らないが、特別な名家でもない限り、自分の先祖についてよく知らないのが普通であろう。それでもルーツが背負っている罪科を糺される。おそらくこれは法的には追及出来ないから、あくまで政治的な問題である。われわれが互いにルーツという物語を抱いているからには、そうなるのである。たかが5000年前に文字を覚えた人類が、そこを天地開闢の起点とみなしている。眩暈がするほど長きに渡る先史時代は無であるので、文明が成り立ってからの因縁が古色を帯びて色褪せるどころか、ますます重みを増してくるのである。われわれ個人はつい最近この世界に産み落とされて、しばらくしたら死んでいくという謎だらけの人生を生きているのだが、白紙が文字で埋め尽くされていくように、この肉体には文化的なコードが縷々と書き綴られ、万巻の書を読みつくし仔細まで辿ることは出来ないにせよ、そこまでに成り立った文明を学習しているのである。自らを恃むしかない無国籍で文盲の野蛮人として手付かずの自然を彷徨って生きるのでなければ、身体の隅から隅まで文明人として啓蒙されるしかない。この仮住まいの文明、特に自らが帰属する民族こそが、アイデンティティであると確信するしか無く、学べば学ぶほど、この泥土に嵌り込んで終の棲家とするしかなくなる。そのアイデンティティを共有する過去の同胞が蹂躙されたというのなら、恨み骨髄に入るように、われわれの肉体に侵食しており、仇討ちしなければならない、という感情が湧き上がっても不思議ではないが、どうもよくわからないのも確かである。
https://www.instagram.com/harukazechan24/

はるかぜ親子がフォロワーを買っているというのは、直接的な証拠があるわけではなく、キンコン西野が誰かからフォロワー購入の話を聞いて、それを実践して見せたというだけである。
キンコン西野に指南したのがはるかぜ親子か、というと、断定は出来ないので、弱い情況証拠でしかないが、あの親子なら買っていてもおかしくはない。
相場はフォロワー一人で1円くらいらしい。
一万円払えば一万フォロワー増えるわけだ。

ともかく、はるかぜ親子がInstagramを始めたそうで、今のところフォロワー100人である。
Instagramでも業者がいるようだが、いいねとかコメントの数で、だいたい実人気がわかるであろう。

ほんとうの意味で応援している人はいないわけだし、偽善者タイプの人間が、この親子の嘘の世界を支持しているだけである。

乙武が離婚したそうだが、岡田斗司夫といい、中川翔子といい、はるかぜ親子に取り憑かれた人間はいろいろと裏があるし、はるかぜ親子が何かのプロジェクトに参加したとしても、表面だけ綺麗で裏側があやしげだったりするので、不調に終わることが多い。
嘘でも構わないという偽善者は一定数いるようだが、だいたい没落するようである。
余計なことをするな、と言われて、「だって気が済まない」と返す人は発達障害である。
もしくは、生まれつきの発達障害でなくても、それと似通った頑迷さや衝動性を身に付けてしまった人である。
大半の人が「余計なこと」と感じることを、やらないと気が済まないというのは本当におかしなことなのである。

このあたりは、親や教師から教えてもらうことは、まずない。
「余計なことをするな」と怒鳴られるだけであり、「だって気が済まない」と不満を募らせるだけの平行線、もしくは病状の悪化である。

インターネットでよく「あ、察し」という表現があるが、これは卓見である。
察しと言いつつ書いてしまうのがネットユーザーなので本当の賢者ではないのだが、リアルで賢明な人というのは、いろいろと察しつつも、あえて言わないのである。
常識人たる彼らは「あ、察し」とすら言わないから、そういうアティテュードがなかなか学べない。
「わかってても言わないほうがいいよ」とアドバイスしてくれることもないのだ。

「察し」というのは、何も気づいてないボンクラな白痴を演じることではない。
気づいているけど口は閉ざしているという姿勢が「察し」である。

「余計なこと」を「気が済まない」と言ってやらかしてしまう人が、何かしら新しい文化を生むこともあるが、今日ではそういう非常識は許されない。
ほとんどは何の才能もない莫迦だから、非常識で迷惑なだけだし、あるいは天才であっても、コンプライアンスの観点から顰蹙を買う可能性がある。
いわゆるリベンジポルノの話題で「三鷹ストーカー」として必ず引き合いに出されるが、記事には名前が出ない人。鈴木沙彩さんである。池永チャールストーマスに殺され、なおかつハメ撮りした画像がネットに流された人物だ。われわれは死者の尊厳というのを社会的約束にしているが、ここまで尊厳を盾にされると、いい加減棺桶を蹴飛ばしたくなる。なぜわれわれが死者の尊厳を重視するかというと、赤の他人が死んでも本当は悲しくないからである。実は悲しくない。そのことへの負い目なのである。悲しんでないからこそ、われわれはいつも誰かの死に対して、芝居がかった哀悼の意を示している。鈴木沙彩さんが延々と引き合いに出されると、いい加減うんざりするわけだし、実は悲しくないからこそ哀悼するという社会的儀礼が、とても胡散臭い欺瞞として重みを増す。だいたいリベンジポルノとやらが本当に社会的に深刻で蔓延しているなら、そろそろ鈴木沙彩さん以外を事例に出してもいいであろう。もはや鈴木沙彩さん自体が深刻な社会問題である。他人が死んでも悲しくないとなると殺伐とし過ぎなので、われわれは嘘泣きでヒューマニズムを取り戻そうとするのだが、鈴木沙彩さんについて嘘泣きして涙を零そうとしても一滴たりとも落ちてこない。赤の他人が死んでも悲しくないという人類の秘密を叫ばなければならない手前まで来ている。われわれの哀悼の意の裏側にある冷淡な感情を白日の下に晒す除幕式を行わねばならない。リベンジポルノとは、乱交と言っていいほどの男関係に収拾がつかなくなっているから発生する現象である。色情魔の色恋沙汰であるのに、たまたま清楚な面立ちである鈴木沙彩さんを引き合いに出すことでミスディレクションすることはやめた方がいいであろう。なぜここまで鈴木沙彩さんが引き合いに出されるかと言えば、実はほとんど出回ってないからであろう。殺害されたのは18歳の時だが、映像そのものが18歳未満の時のものであるから、リベンジポルノ云々でなくても取り締まれてしまうのだ。児童ポルノとリベンジポルノを混同させるのに格好の人物なのである。つまり、リベンジポルノそのものはたいした犯罪ではなく、莫迦じゃねえの、という扱いであるはずなのに、鈴木沙彩さんは児童ポルノと殺人を含んでいるので都合がいい。つまり鈴木沙彩さんでないと、自業自得だと嗤われるし、さらに拡散されておしまいなのは論を俟たないから、これからも鈴木沙彩さんの霊廟を崇めないといけない。本来なら池永チャールストーマスとのハメ撮りなんて、鈴木沙彩さんの男道楽の遍歴の一コマでしかないだろうに、他人の死が悲しくないというわれわれの原罪を見事に突いてくるから、そろそろ列聖でもされるのだろう。
狼狽という感情表現があるが、これは「してみせる」ものである。
たとえば家の中で家族が首吊り自殺しているのを発見したとか、そういうショッキングな出来事で狼狽することもあるだろうが、たいていの狼狽はそうではなく、あえて動揺した様子をオーバーアクションで見せているのである。
弱者の奴隷根性として狼狽してみせるわけである。

本当に心神喪失して狼狽することは滅多にないし、弱者として許しを請う芝居なのである。
パワハラされたら慌てふためいてみせないといけない、というようなことである。
動揺して慌てふためくという人間的な弱さをオーバーアクションで曝け出す。
芝居がかっていてこそ狼狽なのである。
そうやって自らを晒し者にするわけだ。
ケースバイケースだが、おそらく、許しを請わないのが合理的である方が大半であろう。
特に駆け引きの余地がある関係ならそうである。
許しを請えば許してもらえるものではなく、むしろ相手からの攻撃がエスカレートするのが普通である。
もちろん平身低頭するしかない相手というのもわれわれにはいるわけで、そういう相手には、ひたすら頭を下げたり狼狽してみせるほうが合理的だろうし、もしくはあなたの友人知人のご両親が亡くなられたとして、「ふ~ん」という対応でもまずいから、いかにも重大事件でショックを受けたという共感的態度が望ましいし、もしくはこちらの致命的なミスで相手に迷惑をかけて土下座でもしないとまずいという状況もあるだろう。
まさにケースバイケースである。
基本的に人間は平然としている方が望ましく、狼狽してみっともない様子など見せる必要はないのである。
狼狽するのがデフォになっているとすれば、奴隷根性が心身に染み渡っていると言うしか無い。
詰め込み教育という言葉自体に疑問があるし、世の中のことは根源的に理解せずとも、マニュアル的に理解していれば充分だろうと思うのだが、浸透しているので、そのまま使うことにする。
「育ち」というのは差別用語だと思っていたのだが、ここ最近は平然と使われているようだから、これも致し方あるまい。
親が優秀だと、学ぶのが楽しいという感覚を自然と持つようになる。
これが育ちの良さである。
親が馬鹿だと、学ぶのが楽しくないので、詰め込むしか無い。
つまり、詰め込み教育の否定は、育ちの悪い人間に喧嘩を売っているのである。

親が優秀でもその優秀さを引き継ぐとは限らないから、遺伝的に出来損ないは生まれる。
精子も卵子も減数分裂で作られるから、つまり精子・卵子の段階で遺伝子は半分になっている。
23対の染色体のうちどちらかを選んでいくから、だいたい精子は840万通りある。
卵子も同じである。
つまり、両親の遺伝子すべてを混ぜるのではなく、減数分裂してから混ぜるから、840万×840万の組み合わせがあり、兄弟姉妹でも当たり外れがある。
兄弟姉妹で当たり外れがある事例はいくらでもあるから、具体的に列挙する必要もあるまい。

人間を育ちのよさだけで高く評価するとなれば、賄賂と同じである。
ブランド大学の入試が、大企業の入社試験を兼ねていることが根本的な問題だが、これは誰もがわかっていることだから、筆は省く。
育ちが良くてご両親から学ぶ楽しさを教わり、最高の教育を受けて、それでも有村悠さんのような極貧母子家庭の詰め込みタイプに学力で負けるとすれば、遺伝子的にかなりハズレを引いたのであり、知的障害者も同然、もしくはそれ以下のインチキなフリークスだから、人間と名乗るべきではない。
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