Archive
有閑や余暇とは決して言い得ない厖大なる虚無を前にして、このところ発達障害とか自閉の本をまとめて読んで、その読後感を筆遊びに書き綴っているわけである。このような書物によれば、健常者は暴言を吐いたりしない折り目正しい有徳者であるらしい。徳操高き天人のような健常者が舞う煌めく世界に、自閉という人間もどきが忌むべき塵芥として混ざって腐臭を放っているらしい。だからこの綺羅びやかな蒼い地球から、自閉は駆除しなければならない。とはいえ、健常者を礼賛する賛美歌と言うべき字句を辿りながら、どうも津田大介信者に通底する胡散臭さを感じ、違和感が鎌首をもたげ、わたしの中で圧倒的な質量を持ってきたのである。さて、結論から言うなら、健常者が暴言を吐かないとか、そんなことはありえない。アスペやADHDは失言が多いと言ったほうが適切である。わたしがこのところ読んでいた本では、暴言と失言の違いというのが峻別されておらず、健常者は後光が差している聖者という印象が定着しつつあったのだが、やはり健常者が聖者というのは経験的に受け入れがたいし、暴言と失言の問題として捉えたほうが適切であると思われる。健常者は暴言はたくさん吐くが、意識が明晰でしっかりしているから、口を滑らせた失言はしないというだけである。もしくはカースト構造を踏まえた上での暴言であるから、たとえば運動部の先輩が後輩に何を言おうが許されるのである。自閉圏の人間は、カーストの裏付けを持たない言葉そのものの力を信じているように思えるが、これは至ってファンタジックで非常識だというしかない。悪意に満ちたパワハラには耐える健常者たちでも、口を滑らせた失言に対しては、この遺伝子をすべて根絶やしにすると毅然とした態度を取り、発達障害者を異端審問で火炙りにしないまでも、雨露を凌ぐ場所さえ与えないほどに迫害し、無縁仏として消し去るべく奔走する官憲となるのである。
「関係者以外立ち入り禁止」が世界の基本原則である。
ここから内輪の論理が生まれてくる。

たとえば、そこらへんのオッサンとかおばさんが、学区内だとあれなので、自分の子どもが通ってない少し離れた地域の中学を見学するだけで、いじめはかなり減少するはずである。
見学者たちには何の権限もないし、正義感を滾らせて止める必要などない。
ただ校内を歩いて見学するだけである。
外部の人間に見られているというだけで、生徒は内輪の力関係に基づいた行為は出来なくなる。

もしくは役人が強気なのも、やはり役人に何かを頼みに来る市民を相手にしているからである。
この案件に無関係のわれわれが見学しているとしたら、そうそうふざけたことは出来まい。
役人は特定の狭い分野について権限があるだけであり、万能の王様ではないからだ。

世の中は利害関係者の目線だけで閉じている。
「関係者以外立ち入り禁止」において、なぜか共犯関係に巻き込まれている。
内輪の人間が壁の中でごちゃごちゃやっており、赤の他人がその中を見学することは出来ない。

暴走族を見学したら暴走をやめるかと言えば、そんなことはない。
別に内輪の論理で暴走を許しているわけではないからだ。
だから一定限度を超えた非行について、見学会は万能ではない。
かなり荒れている学校だとたぶん無理であろう。
だが、そこまで酷いケースでなければ、赤の他人に見られているだけでやめるはずである。
世の中のおかしなことの大半は、内輪の論理に頼って行われており、これは見学会だけで止められる。

内輪の論理を内面化してない赤の他人に見られていたら、おそらくその力関係は恥ずかしいと思うのである。
見学会の参加者には何の権限もないので、それを無視しても差し支えないのだが、やはり部外者に見られていたら、やりづらいのは間違いない。

人間にとって世界が密室である問題である。
「関係者以外立入禁止」の問題。
赤の他人に見学させるだけでずいぶん改善されそうなのに、「密室」を壊されたくないらしい。
この密室性こそが人間存在の本質なのか、それとも、うまい汁を吸っている一部の連中がそうしているだけなのか、果たしてどちらであろう。
「そだちの臨床」杉山登志郎
発達精神病理学から見た子ども虐待を見ると、中核にあるものは愛着障害と慢性のトラウマである。愛着障害の存在は、自己の核となるものの不安定さ、および自律的情動コントロール機能の脆弱さをひきおこし、その結果、個体における復元力(resilience)機能の不全が生じる。その結果、容易にトラウマが自我の中核に届く構造がつくられる。その結果、解離反応が生じやすくなり、スイッチングや自我の分裂がひきおこされ、易衝動性がさらに強まるという病理的な進展を見ることができる。この状態はさらなるトラウマに対して、記憶を担う部分を切り離すことで防衛がはかられるので、記憶の断裂、その場反応などの実行機能の障害、さらにはトラウマ記憶によるフラッシュバックの頻発、さらなる体験の分断と悪循環を形成するのである。

学童期に至ると、多くの児童はファンタジーへの没頭を抱えるようになる。没頭している興味の対象であったり、好きなアニメのキャラクターであったり、ビデオの一場面であったりするが、一人で何役も演じ、ブツブツと独り言を繰り返すこともある。このファンタジーへの没頭は通常、小学校高学年から中学生年齢までつづき、幻覚・妄想があるかのように誤診される場合もある。

治療開始一年目は、主として夢を用いた治療をおこなった。そのなかで、患者がファンタジーの世界に青年期以後生きており、患者は華やかな芸能人という、そのファンタジーが現実で、現実の世界が架空の世界のように感じられていることが語られた。治療開始二年目になって、患者の自己史記憶の欠落と、部分人格の存在が明らかになった。とくに幼い女児の人格が折りに触れて現われ、その前後に記憶の断裂と体験の分断があることが明らかになった。

繰り返すが、臨床的にはむしろ、統合失調症と診断され、治療を受けている青年や成人のなかに、高機能広汎性発達障害など発達障害の併存例、あるいは誤診例が含まれていることのほうが大きな問題である。実際に自伝などを著わした高機能広汎性発達障害の成人には、統合失調症と誤診されていた者が少なくない。また一方で、これまで統合失調症の特徴として語られた問題が、むしろ自閉症スペクトラムのほうに適合する場合が少なくないことは、先に述べたとおりである。

発達障害と統合失調症との決定的な違いは何だろうか。統合失調症は青年期に好発し、独自の症状をもち、進行性の経過をたどる症候群であるのに対し、発達障害は発達の形成期からの乱れや遅れがあり、二次的に形成される問題も看過できないほど大きいが、基本的には固定的ないしは軽快してゆく経過をたどることである。

独り言をブツブツ言ってるような人は、これまで統合失調症と診断されていたが、その少なからずは発達障害に起因する解離性障害であるらしい。発達障害者は内面世界と外面世界が接触不良、もしくは切断されており、その不適応性から虐待やトラウマが生じやすいが、この地獄草紙が連なるディストピアから逃れるために、ファンタジーに傾倒することが見られる。脳内にファンタジー世界が繁茂し、軸足はそちらに置かれており、忌まわしい現実の方は仮の世界であるようだ。そもそも発達障害者は外面世界がよく見えてないのだから、精神病ではなく、自閉としての現実把握力の欠如から、現実に現実味を感じてないわけである。現実をちゃんと把握していたら発達障害ではない。光風霽月たる健常者にとって現実は肝胆相照らす仲間であり、いつでもシームレスに繋がって、その重みや手触りを感じながら生きているのだが、発達障害者にとっては、自らの死体を眺めているような地獄なのである。廃疾たる彼らの眼睛に現実は鮮明に映じてないのだから、その仮死状態の身体よりは、内面のファンタジーに傾倒するのは必然であろう。そしてこれを健常者の空想と同じだと考えていると甘いようで、自閉的なファンタジー世界の形成において、解離性障害が生じて複数の人格が生成されることもある。ここまで病状が進行すると、他の人格とのやり取りとして、幻聴が聴こえてくるそうだ。いわゆる離人症なのだろうが、これが統合失調症と誤診されることが多いようだ。幻聴があれば統合失調症、というのが常識になっているが、発達障害者が脳内でのファンタジー世界を育てすぎた結果、ということもあるらしい。もはや悪魔憑きと言うべき状態であろうが、現実世界に焦点を合わせる能力が欠損しているからこうなっているのだ。空想から離れて現実に帰還せよというのは容易いが、まさに自閉だから自閉と言うしかなく、なにしろ外界が曖昧にしか見えてないので、いわば生得的に俗縁から絶たれており、還るべき現実を端から所持してない。目や鼻が付いていても、もはや痕跡器官であり、まともに世界は把握しておらず、山紫水明の地と言うべき内面では香り高い緋桜が咲き誇っているのである。
発達障害の権威である杉山登志郎先生の「そだちの臨床」より。
ハッペ(Happ, F. G.)の研究により、高機能広汎性発達障害では、言語発達年齢九~一〇歳において、「心の理論」(他者の信念や考えを把握する認知能力)課題を通過することが示された。この時点で、アスペルガー障害および高機能広汎性発達障害の児童は他者の考えが読めるようになってくる。しかし、健常児とは異なる脳の部分を用い、おそらく異なる戦略を用いて「心の理論」課題を遂行していることが確かめられている。つまり、われわれが直感的に速やかに他者の心理を読むのとは異なって、推論を重ねながら苦労して読んでいるのである。


発達障害は先天的なものである。
だが、先天的な障害なのに、遺伝子が残りすぎという問題があるわけだ。

自閉と真逆の人が何をやっているかというと、観察である。
他人の言動をよく見ているということだ。

発達障害が増加している一因として兄弟姉妹の数が少なくなっているのが大きいと思うのである。
心の理論は直感的だというが、やはり次男のほうが要領がいいというのは誰もが認める傾向である。
長男にとって、人生は手探りであり、未知のことだらけである。
これが次男以降だと、上の兄弟姉妹を観察しているから要領がよくなる。
このところは核家族で一人っ子が多いから、密室で母親が子どもとマンツーマンで育児することも多いであろうし、これも発達障害者がペストのように蔓延している一因であろう。

たとえば、この世の中には「社交辞令」というものがある。
馬鹿正直な性格だと社交辞令を真に受けたりする。
だが、「あれは社交辞令だよ」と誰かからアドバイスを貰えれば気づくであろう。
そういう説明をされずとも、いきなり社交辞令を見抜けるものか、という疑問である。

ロンブーや津田大介のようなコミュ強なら先天的に見抜く力があるのかもしれないが、女とどれだけやったとか、メルマガでどれだけ稼いだ、とかそういう話しか聞かない。
優秀というよりは、むしろ野生動物に近いという印象を受ける。

昔は兄弟姉妹がいろいろいたし、自分より年上の連中を観察する機会は多かったのである。
密室で母親に教え込まれるよりは、年上の兄弟姉妹を観察した方がいいはずである。
昨今は、一人っ子が多いから、そういう観察機会がないし、厳しい世界である。
有村悠さんなどは、周囲の状況がほとんど見えてないであろうし、鳥頭というよりは、最初から頭に入ってないはず。そのわりには、というより、それがゆえに長期記憶が強く、延々と過去を反芻しているわけである。文脈が読めて無くても、怒られたり殴られたりした記憶だけはトラウマとして刻まれているらしい。普通の人なら完全に忘れているようなことでも、何度も何度も繰り返しツイートしているのだ。有村さんは東大合格歴(中退)からして、暗記(長期記憶)はかなりの特技だと考えるしかない。短期記憶(ワーキングメモリー)と長期記憶が両方とも優秀な人だっているだろうが、そんなに多いとは思えない。やはりどちらかに偏ってしまうはずである。昨今では、長期記憶に偏っている人が発達障害と言われ、有村悠さんのような丸暗記の第一人者が酷い扱いを受けるのである。人類が文字を使い始めて文明を誕生させたのは5000年くらい前だが、そこから人類は記憶を刻み続けてきたのである。脳に深く刻まれていく血腥い記憶が桎梏として人間を縛っていたのだ。人類は神経症だったのであり、過去の記憶に固執し、どこまでも掘り返し、さらには天地開闢の始原まで遡ろうとする欲求を持っていた。このところ、記憶の機能はコンピューターに任せるようにしたらしいので、人類は長期記憶を切り捨てる方向に向かっている。そして短期記憶(ワーキングメモリー)が強いほうが、機械が出来ないことを補える器用な人間として高評価を受けることになった。歴史はコンピュータに記録しておけば充分であり、生身の人間が歴史性を引き受けることはない。記憶を長期間寝かせて反芻していると、その褥瘡に苛まれるので、心の健康の問題としても、あまり記憶しないのが望ましい。反芻すればするほどこじらせるので、嫌なことはすぐに忘れるのがルールである。いつまでも人間を抉り続けるトラウマこそが文明であるとも言えるが、ここはコンピューター化するから、これからの自由な時代において人間は歴史から解き放たれ記憶力を失くしていく。
英語はアルファベット26文字で組み合わせているから、暗号文みたいなものである。
なにより、知らない単語は本当にわからない。
想像がつかないのである。
もちろん想像が付くことも時たまあるが、知らない単語は皆目見当がつかないのが大半である。

これが日本語となると、漢字が表意文字であり、それぞれが意味を持っているから、だいたい想像がつくのである。
初めて見る熟語であっても、知っている漢字で構成されていれば、想像がつく。
だから専門用語が並んでいても、日本語だとなんとなく読めてしまうのである。
アルファベット26文字の英語ではあり得ないことである。

Kindle Unlimitedでも、この日本語の特性への留意が足りないように思う。
英語だと専門用語が出て来る段階でお手上げだし、いわば知らない漢字がズラズラと並んでいるようなものだが、日本語は漢字さえ知っていればどんな本でも読めてしまう。

普段は本を買わない人でも、無料となれば読むわけだ。
書籍代が意外と高いから普段はネットで暇つぶしをしている人でも、ただなら本は読む。
そして繰り返し述べたとおり、漢字なら専門用語でも想像が付く。
暇を持て余している日本人はたくさんいるし、専門書であっても読めばわかったつもりになる。

無料(もしくは月額980円)なら読まないと損くらいの乞食感覚もあるだろうから、モチベーションも高い。
金を払って読む気はしなくても、ただなら掻き集めるようにして貪る。
ここ最近は発達障害の遺伝子そのものを滅ぼそうという優生思想が跋扈している。
そこで不思議になるのは、今まで淘汰されなかったという事実である。
淘汰しなければならないと騒がれている障害が、なぜ生き残っているのか。
発達障害者は滅ぼせ、と言われるが、なぜ今まで滅ぼされなかったのか、という課題である。

よく槍玉に挙がる「暗記力」において、おそらく発達障害者の方が得意である。
暗記するのがまるで悪事のように言われるのは、自閉性が強いほど暗記が強いからである。
ADHDのような露骨な莫迦でさえ、必ずしも学力の障害にならないのは、暗記だけは得意だからであろう。

周囲をよく観察している健常者のほうが暗記力が低いというのは奇妙だが、たぶんそうなのである。
柔軟性がある人は、次々と忘れていくのである。
過去の記憶が現在と紐付き過ぎてほどけなかったら生きづらくて仕方がない。
だから記憶は刻みつけないほうがいいのだが、学力においては不利となる。
やはり何らかの優位性がなければ、発達障害の遺伝子が生き残っているのがミステリーなので、自閉傾向がある方が記憶力が強いと考えていいであろう。

おそらくソーシャルスキルの高い人間は物事をあるがままに見ている。
具体的にそのまま広い視野で受け取っているから、理屈に強くはない。
丸暗記と揶揄されるが、結局は解法の暗記が問われるので、実際は理屈に強くないと高度な暗記は出来ない。

人権社会であるから、学力が低い人間に長所を見出そうと努力してきたわけである。
そうなると、理屈や暗記に弱い替わりに、学力弱者は現実認識がしっかりしているとか、そういう話になるのであろう。
学力が低い人間の救済のために、アスペルガーとかを発見してきて、これを淘汰しようとしている戦いなのである。
退屈さは退屈さのままに放置しておくのが望ましく、その空白を埋める必要はない。暇つぶしは悟りから最も遠い。暇は潰す必要がなく、なすがままに遊弋させておけばいいのである。坐禅でもしてれば、容易くやり過ごせる悪魔の誘惑である。とは言え、達磨大師のように九年間壁に向かって坐り続けるのもどうかと思うし、われわれには適度な刺激が必要である。新しさによって世界を更新しなければ、このループは抜けられない。ループを抜けてもその新しさはまたしても鮮度を失い、磊落し腐臭を放つ新たなループに逢着するのだから、無明の世界に囚われていることに変わりはなく、やはり達磨大師の方が正しいという見識もあるだろうが、ここは何事も程々にという立場を取りたい。退屈は埋めないし、空白に何も描かないが、時には新しい刺激がほしいのである。

このところの精神的な干魃に慈雨をもたらすべく現れたのがSpotifyである。
クレカがないという前提で話す。
わたしのところに招待コードが届いたのは10月5日だったが、あっという間にお試しPremium一週間が終わってしまった。
いずれコンビニ決済とか、プリペイドカードの販売を行うとアナウンスされているが、現状だとクレカでしか支払えない。
今日辺りからキャリア決済が始まったという情報もあるのだが、わたしは最近ガラケーに退避しているので、しばらくは無料でSpotifyを活用するしかない。

わたしはGoogle Play Musicは一年前から課金しているが、Spotifyでコンビニ決済が始まったらグーグルを捨てて完全に乗り換えると思う。
Spotifyの方が明らかにラインナップがいいので、こちらを選択するしかないのである。
なぜかSpotifyにはアデルの「21」が無かったりするし、他にもグーグルにある曲がSpotifyで欠けてることもあるが、全体的にはSpotifyの売り場面積の方が圧倒的に広く、グーグルだけにある楽曲というのは、そんなに多くない。

わたしはグーグルに関しては、Jimi HendrixとPink FloydとAlice in Chainsのラインナップが揃ってないのがかなり不満なのだが、Spotifyはここがほとんど揃っている。

あと、Spotifyは無料サービスが意外と使える。
広告は三十分に一回程度入ってしまうし、シャッフル再生しか出来ないし、パソコンやタブレットだと一ヶ月に15時間しか聴けないらしい。
スマホなら時間制限はなさそうなので、わたしは契約切れのiPhone 4sを取り出して、Wi-Fi接続でSpotifyを堪能している。
(これがスマホの扱いになるのかは判然としないが、機種で判断してるだろうから、昔のiPhoneでも大丈夫だとわたしは勝手に思い込んでいる)。
特定の曲を聴きたいという欲求が強いのであれば無料版は差し障りがあるが、自分でプレイリストを作って、どれかがシャッフルで流れるだけでいいなら、課金の必要はないかもしれない。
欠点を治したくないというのは誰でもあるだろう。
アスペでも自閉を治したくないかもしれないし、ADHDでも雑念だらけの頭を治したくないかもしれない。
とはいえ、自分の欠点でいろいろ痛い目に遭えば修正を試みるものである。

だが、前半生でうまくいってしまった人間が性格的欠点を治すのは難しい。
長谷川豊なんか、発達障害でも精神障害でもないから、本来は治しやすいはずなのだが、サディスト的な気の強さで若い頃はうまく行っていたはずだから、その旨味が忘れられないのである。
長谷川豊がサディストと言っても、決してマルキ・ド・サドのように破滅的なレベルではないし、蓮舫と同程度であるから、これを病気ということは出来ない。

長谷川豊は41歳だが、そもそも2012年の経費の不正使用なんたらは、解雇ではなく退社であるから、横領とは違うのだろうが、経費を誤魔化したのであろう。
これは37歳くらいの頃である。
そしてフジテレビ退社後はなぜか関西ローカルで仕事を得て、それなりに稼いでいたという話もある。
これだとおかしな性格でもなかなか治さないであろう。

また蓮舫が偽善者であるのに対して、長谷川豊は偽悪趣味がありそうだ。
24時間気の強さを発揮している点では同じだが、蓮舫は偽善者ならではの反省のポーズは出来る。
長谷川豊は、若い頃からどうでもいい不正を故意にやってそうだし、カンニングしなくてもいいのにカンニングするとか、飲み会の幹事をやって端金を着服するとか、偽悪趣味の不正が好きそうである。
決して刑務所に入るタイプではないが、サディスト的な強さを誇示するために悪いことをしてみせるわけだ。

今後もこれは治らないであろう。
サディストとして相手を威圧するやり方が、後半生で無理になってきたのに、今までずいぶん味をしめているから治すわけがない。

長谷川豊はネットのせいにしているらしいが、「俺はレギュラーが8本ある」とか余計なことを言ったから、スポンサーに電話抗議する人が出てきたのである。
ひたすら強気を貫くやり方がネット住人には通用しなかったのである。
これはネットだけではなく、40歳を過ぎるとなると、他人を喧嘩腰で威圧するような対人スキルは使えなくなる。

清原和博や伊良部秀輝は発達障害的な粗暴性だが、あれも若い頃は通用したのである。
巨漢でADHDだと周囲もお手上げだし、媚を売る取り巻きもいるだろう。
彼らはアスリートであるという事情もあるが、後半生は見事に転落した。
40過ぎたらさすがに喧嘩自慢とか、そういうのは無理なのである。
世界に法雨が降ることはなく、ただ秋霜が泥土をさらに深くする。大企業は人権団体ではないが、コンプライアンスの問題として、人権団体の手先となっている。そもそも差別というのはよくわからず、現在や近い過去の出来事なら法的決着は付けられそうだが、自分が生まれてくる前のことを言われても苦慮する問題である。人間が根無し草であるからこそ、白人なら白人の物語を生きて、黒人なら黒人の物語を生きるという、ルーツだけが事実存在たる礎なのだから、それが人間の核心であろうし、少なくとも自分だけが無国籍になるわけにはいかない。スポンサーから金をもらう必要がないトランプは、正しくない発言を故意に繰り返し、人権時代の軋轢を体現するトリックスターとしてここまで上がってこれたのだが、さすがにそろそろ厳しくなってきたようだ。共和党のお歴々が揃ってトランプと距離を置き始めたが、彼らは決して本気で激怒しているわけではなく、人権問題に巻き込まれることを畏怖している。公人として政治的正しさを鮮明にし、紳士としてこの騒擾事件から撤収するために身繕いを始めたのだ。しかし、公人としての生命が終わった、というより、端から公人たる資格が無いようなトランプがヒラリーと接戦を演じてきたのもすごいことであり、人権社会に押しつぶされた白人有権者が、まだまだ敗色濃厚なトランプに投票しようとしている。いわばこれは大衆の秘密結社であり、人権社会に疑問を持つ有象無象が、反動的に世界を変えようとしている。彼ら平均以下の白人にはスポンサーがいないし、いたとしても秘密投票だから、コンプライアンスなど意に介することなくトランプに投票するのは可能だ。11月8日の選挙でヒラリーが大統領に選ばれるのだろうし、白人エリート層はますます政治的正しさを強め、マイノリティーを優遇しつつ、中間層の白人を蹴落としていく。イギリスがEUから離脱したのに対して、アメリカはヒラリーを選ぶのであるから、それに応じた結果が訪れるであろうし、雲霞の如く移民が大挙して押し寄せても、それは自らが招いた賓客なので、決して愁う莫かれ。有色人種が増えれば増えるほど民主党に有利であるから、有色人種を増やすのがヒラリーの生存戦略となる。人烟有るを見ないような縹渺たる土地だって北米大陸ならたくさんあろうし、あれだけ広い国土ならもっとたくさん詰め込めるから、移民が流れ着く場所として望ましいとも言える。現時点では、イスラムは厄介であるが、キリスト教だって、昔は魔女狩りとかやっていたのだし、これは近代科学の浸透する時間の問題かもしれない。イスラム教徒で科学者としてノーベル賞を貰ったのは、おそらくアブドゥッサラーム(物理学賞)、アハメッド・ズウェイル(化学賞)くらいであり、他にいるとしても、少ないのは確かである。トランプがイスラム系アメリカ人の戦死者の両親を軽侮して顰蹙を買ったことがあったが、あのひとたちはパキスタン出身であり、いかにも男尊女卑のご夫婦だったのは確かである。「母親は何も喋ることがないのか」とトランプが嫌味を言ったことで大問題になったが、これは白人最後の魔人としての名台詞とも言える。パキスタンといえば、女子教育の重要性を説くマララ・ユサフザイさんという少女がノーベル平和賞を貰って話題になったが、それだけの人権後進国だと見なされているわけだ。これからヒラリーが移民をたくさん入れていくことで、異質な文明とのぶつかり合いは多々あるだろう。肌の色で人を判断してはいけないというのは容易いが、文明や宗教の違いという根源的な問題もある。トランプの女性への卑猥な発言にしても、ヨーロッパならアメリカほどは問題にならない気もするし、やはり黒人奴隷という原罪を負っているアメリカの人権感覚である。
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
スポンサードリンク
RSSフィード
プロフィール

ukdata

Author:ukdata
FC2ブログへようこそ!

katja1945uk-jp■yahoo.co.jp http://twitter.com/ukrss
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
アクセスランキング