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たいていの人は物事を総花的に飾り、言葉を丸めて、全体的なバランスを取る。実際のところ、この暗澹たる灰色の世情において、物事はAともBとも言い難く、どちらも一長一短あるケースの方が普通であるから、保身のためだけでなく、それなりに社会全体の損益分岐点を探りつつ、バランスを取って中間くらいのことを言っておくわけである。ニーチェは社会学者ではないし、それはいいことだが、あくまで哲学者もしくは文学者であるから、均衡点に擦り合わせるべく言葉を丸めることはない。ニーチェは24歳で大学教授になったはいいが、25歳で普仏戦争に志願した時に健康を損ねて、それが癒えることなく死ぬまで病に煩わされる境涯となった。この病という拷問器具に締め付けられ、神経毒に蝕まれることによって、病者の光学を発見したのである。健康な身体で社会に馴染むという人間らしさが欠損しているからこそ、厭世主義を強者の論理で克服する自己啓発的な夢想を繰り返した。この病者の光学において、人権などは顧慮されない。たとえばニーチェは貴族主義を礼賛する。これもひとつのレトリックである。ニーチェは奴隷根性を憎んでいるから、それを貴族礼賛として表現しているのである。奴隷に甘んじることへの嫌悪が根底にあるのだから、奴隷に応援歌を送るような記述も可能であるはずだが、間違ってもそんなことはしないし、露悪的な差別主義者として奴隷を徹底的に叩き潰し、人間の本質を暴露していく。どうせ発狂して心神喪失になるのだから社会的立場に配慮して右顧左眄する必要などない。CMタレントではないし文化人でもないから、一切丸めないし、奴隷への反感は徹底して尖らせている。「ツァラトゥストラ」の途中から自費出版であるから、筆禍事件の懸念がないのでなんでもありだし、どれだけ筆が滑っても差支えないので、表現を丸めはしない。物事は極端に表現してみることで、曖昧さが縹渺として広がる世界の裏側の生々しさを露わにすることもある。そしてニーチェの貴賤の感覚からすると、貴族の家に生まれたから貴族という話ではないから、自分こそが超人だと誤読することは可能であり、ボーンアゲインとして新たな自分を揮毫することも可能であるし、仮象をこの世界に真実として描けるのである。なんにせよ、読み手の側が好意的に解釈しているから、ニーチェはかなり広く受け入れられている。奴隷や弱者を糾弾する露悪的文章が、あえてヒールを演じている人類愛として読まれている側面もある。そこまで計算しているわけではあるまいが、そういうトリックスターとしての位置を確立してるからこそ、哲学書など読まない人でもなんとなく知っていたりするのである。
実のところ、われわれは親から教えられるというよりは、親の代弁をする他人からとやかく言われることがずいぶんあるのだ。
なぜ赤の他人が親に仮装して文句を垂れるのか、至って不可解と言うしかない。

この不可解さを紐解くなら、とりあえず実親から「他人様の言うことを聴け」と言われているからであろうし、他所様に迷惑を掛けるなとか、そういう物言いで他人への隷従を強いられている。
赤の他人はわれわれの親から委任状を受け取っており、親の代弁をするのは親が認めている。
他人様と明示的に社会契約しているはずがないし、書面に記しているはずはないのだが、なんとなくそうなっているのだろう。

おそらく人類は古今東西そうなっている。
赤の他人との結節点がせいぜい親くらいしかないからであろう。
そこらのオッサンを父親だと錯覚し、そこらのおばさんを母親だと錯覚し、人類は生きてきたのである。

ここには当然ながらヒエラルキーが組み込まれている。
運動部の先輩が後輩をリンチ出来るのも、やはり先輩は面倒を見る立場であり「親同然」だからである。
扶養してくれるわけでもない先輩が「親同然」とかわけがわからないが、世の中はそういう錯視に満ちている。

親がなんとなく「他人様の言うことを聴け」と委任している変な状態には終止符が打たれなければならない。
われわれはそこら辺のオッサンを赤の他人と看破することを覚え始めており、彼らに父親面などさせないようになってるが、おそらくこれは人類の成長である。
すべての係累は絶たれなければならない。
赤の他人は赤の他人であり、親の仮面を被って現れるのを認めてはならない。
不思議な事だが、拒絶と執着は同じである。絶対にやらない、のと、絶対にやめない、のは同一の心理である。何かに執着して365日不眠不休でやり続けるのと、何かを拒否して365日寝ているのは同じなのである。これは自閉性の問題に他ならないので、発達障害と括って終わりにするのは容易いが、とはいえ、「やる」と「やらない」が同一である不可思議さは、人間普遍のものである。われわれは他者から隔絶されているので、人間誰しも自閉性があるが、おそらく常識人と言われる人は軽症であるから、柔軟に調整するのがうまいのであろうし、力の入れ方が適切なのである。頑固だと言われる人はこの調整ができない。自閉状態に陥った人間にとっては、何もやらないのと、取り憑かれたようにやり続けるのが同一なのである。熱中するのは何もやってないのと同じというと如何にも奇妙であろうし、たまたま有意義なことにリソースを割いていれば、「何もやってない」などとは言えまいが、しかし、熱中と拒絶は似ているし、まったく見当違いのことに熱中していて、「何もやってない」のと変わりがないことも多々ある。ここで補助線を引くなら資本や労働や賃金の話になるであろうし、その埒外にあるものは社会化されていないので、すべては非生産的=無であるという論理を導き出すのも可能である。他人から頼まれておらず、自ら自分の時間を使うということになると、熱中と拒絶が似通ってくる。では、本当に価値ある活動とはなんだろうかというと、これは究極的には難しすぎる問題、もしくは素朴な価値判断としては当たり前過ぎる話なので、論を広げるのは差し控えておいた方がいいであろう。とりあえず他人から頼まれたことをやるのが無難だという常識的な結論は出せるし、拒絶と執着は同じと冒頭に書いたことについては、自分で考えた独りよがりなことは、やってもやらなくても同じだと言い得るが、それだけのことである。
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この何年か、中元や菊地のように「アイドルを馬鹿にするアイドル」という厭味な勢力が版図を広げわれわれを煩わせている。目を三角にして怒るのも疲れたので、この腐れ外道の不行跡は放置しているが、外タレ気取りですっかり勘違いした御様子である。もちろんBABYMETALの人気など、欅坂にまったく及ばないが、平手友理奈が国民的スターになれるかというと、ちょっとむずかしい。ステージでの立ち姿にオーラはあるが、周囲が生かされてないので求心力を感じない。平手友理奈によって世の中は微動だにしていないのだから、センターというよりはワンマン社長という印象が強く、求心力のあるヒロインが誕生したわけではないので、これはまったくアリス・イン・ワンダーランドではない。この愁傷深くうんざりさせられるディストピアにおいて、傷病兵として横たわる褥瘡の痛みに終止符を打ち、世界地図を塗り替えようとしているのが松下玲緒奈である。平手友理奈は所詮はAKBと地続きであるが、松下玲緒奈は革命家である。まねきケチャはフォースミュージックという無名レーベルから「メジャーデビュー」したことがあるのだが、そこは倒産したか、もしくは別の形で任意整理したのかもしれないが、ともかくレーベルとしてはお亡くなりになった。行き場を喪い大陸浪人としてアイドルシーンを眺めていたはずの彼女たちだが、数奇なことにこれを拾いに来たのが世界最大のレコード会社であるユニバーサルミュージックであった。アップフロントが鞘師里保さんをリンチしてドブに捨てたときにマツコ・デラックスが怒鳴り込んできた一件があったが、捨てる神あれば拾う神ありというか、やはり見てる人はちゃんと見ているのである。松下玲緒奈は世界を転覆させ、腐敗を焼き尽くすために歴史に現れるのであるから、ナポレオンやドナルド・トランプの系譜に属する偉大な特異点として、廃疾者にさえ血を通わせる磁場となり、歯車が回転していくのである。松井玲緒奈は広瀬すずを思わせる容姿で、アイドル性が極めて高い。もしくは広瀬すずでなければ、広末涼子のイメージでもあり、不祥事の火薬庫という懸念もあるが、時代の寵児となることに疑いはない。松下玲緒奈という姫君の王朝は長続きはしまいし、スポンサーに多額の違約金を支払わされる通俗的な結末もありそうだし、ユニバーサルミュージックでの栄耀栄華も短命であろうし、セントヘレナの獄舎を終の棲家とするのだろうが、この偶像不在の端境期に瞬間的に現れる奇瑞であることに疑いはなく、その蒼天に煌めく姿は、ほんの瞬間であれ森羅万象を照らし出し、万古の憂いを癒やすものであろう。また、このまねきケチャはかなり強い隠し玉を持っており、藤川千愛というメンバーの歌唱力が凄まじすぎる。まねきケチャはマイクのエコーが強めなので、最初に現場で聞いた時はわたしも懐疑的だったのだが、もう一度ちゃんと現場で聴いてみて、これは本当に桁が違う物件だと確信した。メンバーの中で一際パワフルな歌声を持っており、中元すず香と同等の声量があるとは言わないまでも、それに近いくらいはある。中元は歌自体が下手くそなので生涯その獣声を武器にしたデスメタルしか歌えないだろうが、藤川千愛は演歌歌手だった祖父から薫陶を受けているから何でも歌える。藤川千愛のような超一流の歌い手でも、演歌はくどいし二時間続けて聴きたくないのも事実だが、松下玲緒奈のハスキーな歌声も魅力的であり、これを重ね合わせると、人類史で最も魅惑的なツインボーカルとなるのだ。松下玲緒奈と藤川千愛が同じグループにいるのは奇跡であり、喩えるなら、平手友理奈の後ろで安室奈美恵が歌ってるような感じなのである。またBABYMETALはアーティストと名乗っているTシャツ販売業者であるが、松下玲緒奈のTシャツの方がセンスがありそうだ。気になるのはまねきケチャの藤咲真有香という子が病んで休業しているそうで、これだけ勢いがあるのにリタイアするのは謎である。映像を見るとかなり容姿もかわいいし、すごく優しそうな性格に思えるから、この優しさに依存する厄介なオタも多そうである。血腥い地獄をあまねく歴訪し、人類のあらゆる醜さや憎悪、愛や官能に触れながら、松井玲緒奈のワンダーランドを建国するべく、須弥山の頂点に軍旗を掲げようと言うのだから、世界最終大戦に参画する軍属としての資格の問題であるし、血で書かれた文字にしか価値はないとニーチェは言ったが、優しすぎる人間に用はないのであろう。
https://twitter.com/nanjolno/status/860885695103090689
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そろそろ33歳のババアだし更年期障害かもしれんが、ひとまず迷惑ヲタへの私信だと解釈するのが妥当であろう。何年か前に南條愛乃さんは、「街を歩いていて誰からも気づかれない」と話していたことがあって、その当時はμ’sも大人気だったのだが、ああやはり最年長のババアにはストーカーもいないのだと腑に落ちたわけである。とはいえ、いくらババアとは言ってもμ’sの中で突出して動員力があるのも確かであり、もちろん容姿端麗である三森すずこの方がチヤホヤされているが、現実の動員力では南條さんの方が圧倒的である。さいたまスーパーアリーナでも、アリーナモードではあったが、5階席の最後列まで埋め尽くしていたから二万人+αは動員していた。

ではそれでストーカーが発生したのかということだが、南條さんの最近の画像を見ると、この真ん中のババアにストーカーが発生するとは思えない。このババアに近づいている人がいるとしたらストーカーではなくボランティアであろう。

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さいたまスーパーアリーナの公演のときも、最初に何曲か歌ってから、「お隣さんと仲良くしてくださいね」と呼びかけていたから、よほど前方のマナーの悪さが目に余ったのか、それとも、これだけの不細工にも熱狂的なファンがいるというアピールなのか、スタンド席からは遠くてわからなかったが、ひとまずマナーの悪さが気になっていると素直に考えておこう。

そもそも想像力というのは、大人がちゃんと教えてくれない。
「思いやりを持て」とか見当違いの綺麗事を言ったりする。
ロンブー淳とか津田大介みたいなコミュ強は生まれてから一度も他人に思いやりなど持ったことない。
想像力とは結果であり、他人をよく観察していれば自然と得られる。
他人を観察するのは女子だと自然にできてるのが大半だし、男子は鈍いが、だんだん大人になるにつれて学習する。
とはいえ、生まれつきの発達障害や、もしくは、自己愛の強さから、観察を怠り続ける人もいる。

また「全体を見ろ」という間違ったアドバイスもある。
人間は視覚情報の大半は見落としている。
さっき通り過ぎたサラリーマンのネクタイの柄を聞かれてもたいていは答えられない。
この場合で言えば「スーツ」という記号で省略して認識しており、その細部までは見てないのである。
世の中のサラリーマンは全て同一人物というくらいに省略して捉えているのだ。

では全体を見るやり方をどう説明すればいいのかというと、「周辺視野」という言葉を使わなければならない。
これは発達障害の文脈だとよく使われる、というより、成人知能検査でもそこは問われる。
つまり先天的な格差があるのだが、とはいえ、問題に気づいている人と気付いてないひとではまったく違う。

ここで他人のネクタイの柄を事例に出しているのは、われわれはそこに「焦点」を当ててないからであり、あくまで「周辺」として見落としているからだ。
たとえばファッションを仕事にしている人なら、ネクタイの柄をちゃんと見てるかもしれない。
あくまで喩え話だから柔軟に考えてもらいたい。

ロンブー淳などは、普通なら見落とすような細かいところまで見ている。
これが「思いやり」かと言ったらそんなわけはあるまいし、生まれつきの野性的な本能の格差であろうが、この格差の問題は知っておかなければならない。

周辺視野が弱い人は、こういう格差自体を知らないから、周辺視野をまったく使ってない。
気づくだけでも、使うようにはなるから、ロンブー淳のような野人と同等には出来なくても、あまり見落とさないように気をつけるべきである。
他人をジロジロと見るという意味ではなく、むしろ視野の端の方でそれとなく観察しなければならないし、それによっていろんなことが自然にわかってくるのである。
ペーパーテストの話だが、問題文が読めたらおかしいのである。
これは科目による。
たとえば現代文なら、問題文の中に答えが書いてあるから、問題文を読めて当然である。
それなりの読解力があれば、問題文の中にある答えを抽出できる。

算数もわりと問題文だけで理解できる。
解法を知らなければ絶対に解けないというわけではない。
もちろん普段から勉強しているに越したことはないが、現代文や算数は、問題文だけで解けるパズルと言ってもいい。

だが、科目によっては、問題文自体がイミフであるのが多いはずである。
一言で言えば「専門知識」がある人には読めるという文章なのだ。

だから普段の勉強において、最初から模範解答を見るのは妥当である。
数学者のガウスは子供の頃からオリジナルの解法を編み出して周囲を驚かせたとされるが、ほとんどの人にとってそれは不可能である。

数学や物理を苦手にしてしまう人が多いのも、ここが原因のような気がする。
特別な天才でもない限りは問題文自体がイミフなはずなので、普段の学習では模範解答から見て、それを理解して馴染むことで「専門知識」を身に付け、ようやくテストの問題が可読となるのだが、なんかそれが卑怯な気がして、現代文や算数のように自力で解くアプローチをしてしまうこともある。

これが歴史のテストなら「知らなければ答えられるはずがない」というドライな判断を大半の人がするのに、数学や物理となると、自力で解くという変なロマンがあるらしい。
あらゆる資料を駆使して、それを活用しつつ、新しい解答を探すような愉しみは、特別な天才でなくても体験可能だと思うが、学力テストでそれをやる必要はない、もしくは、どちらにせよ「専門知識」を活用するわけである。
未知の問題に原始人のように立ち向かう縛りプレイをする必要はあるまい。
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6月にユニバーサルからメジャーデビューするまねきケチャだが、現場で見てみた印象として、おそらくかなり行けると思う。ユニバーサルミュージックと契約できたのも不思議ではないし、武道館が目標という設定らしいが、かなり控え目に思える。

人類はすでに名曲の資源を掘り尽くしてしまったし、たとえば小室哲哉などは、メロディーを作れなくなったらド素人同然になってしまい、刑務所の一歩手前まで凋落したわけである。メロディーに頼ると、砂漠化した作曲文化で死に絶えることになる。小室哲哉や浅倉大介みたいに、メロディーの作曲をしてアレンジする具合だと苦しい。南條愛乃さんがやっているfripSideも八木沼が小室好きだから、only my railgunのような超名曲がある一方で、薄っぺらい楽曲がたくさんある。だから、これからはメロディーを作ってそれを編曲するというスタンスではなく、サウンドとしてアプローチしていくしかないのであるが、まねきケチャはそういう文脈をうまく踏まえている。高音でチャカチャカとシンセを鳴らすのではなく、ベース音が太くて、粗雑に言えばダブステップ風味である。モーニング娘。もアレンジャーの力でずいぶん立ち直ったし、ここはかなり重要だ。

歌唱力については何とも言えず、ちょっとマイクのエフェクトに頼り過ぎであり、カラオケでエコー全開にする人みたいな具合なのだが、Perfumeの口パクが許されるのなら、アイドルがエコーかけまくるくらいは問題あるまい。プロの歌手ではないのだし、ごく普通に聴いて上手いのだからいいであろう。センターの松下玲緒菜は本当に上手いわけではないはずだが、見た目がいかにもアイドル顔でかわいいし、ハスキーな声は魅力的である。いずれにせよ、ライブハウスという密室でならエコー全開でうまく聴こえるのだからそれで充分だろう。

藤川千愛というメンバーは祖父が演歌歌手でカラオケ喫茶をやっていたそうで、水樹奈々と似通った境遇だが、おそらく素でもかなり上手いと想像される。やはり演歌の歌唱法が身についていると特別感がある。前述したように、まねきケチャはマイクのエフェクトが強いと思うので、水樹奈々とどっちが上手いか判定は出来ないが、藤川千愛の歌唱力が大きな武器であることに疑いはない。広島アクターズスクールなんぞに通うよりは、演歌を習ったほうが近道なのである。Perfumeは口パクだし、中元すず香は地声がでかいので最初は絶賛されるがよく聴けばあまりうまくないし、だんだん褒められなくなる。鞘師里保ちゃんは松岡茉優さんやマツコ・デラックスのような超大物に推されていたのに消えてしまったが、やはり広島アクターズスクールの歌の教え方がまずかったのであろう。娘をステージでひらひらさせて歌姫みたいな歌唱法でお遊戯させたほうが母親の受けもいいのだろうが、そうやって賞翫して愛でているものの実態は、日本人がバスケットボールで小手先のテクニックを身に付けるようなニセモノである。バスケをやる自由はあるし、演歌をやらない自由もあるし、表層的なポップカルチャーに走るのも人間的欲求だろうが、歌姫気取りだけおぼえて中元すず香みたいになるとプロ歌手としては通用しなくなるから、水野由結ちゃんのような世界的ダンサーを泥棒してガムテープを貼るとか、そういう胡散臭い山師になるしかない。

さて、まねきケチャは現状では地下アイドルで接触イベントもたくさんやってるようだが、女子のファンも一割かそこらはいるし、ここから大きくブレイクしそうな予感は強い。たぶんこれから男子のファンは減り、女子が増えると思う。オタのマナーの悪さは、人倫を違えているというよりは、地下アイドルならではの距離感の近さの演出でもあろうし、いわばTPOに沿った無遠慮とも言えるが、いずれまねきケチャはメジャーシーンの遠い存在となり、図々しく無作法な連中は他界して、もっと距離を縮めやすい別の対象に移動するであろう。

彼女たちの母体である日本ツインテール協会についてはまだよく把握していない。おそらく古谷完という人物がやっているコンセプトであり、有名モデルなどにゲスト参加してもらう泡沫企画だと思われる。コレットプロモーションという事務所に所属しているのが、自前で抱えているタレントであり、まねきケチャがそれである。大手のしっかりした事務所ではなく、むしろ真逆であろうから、スキャンダルの懸念もあるし、ホンモノの実力がないから醜聞で失墜する可能性が高い。藤川千愛の歌唱力という武器はあるにしても、センターの松下玲緒菜にスキャンダルが出来ると厳しいであろう。松下玲緒菜はアイドルが好きだとか、ソロのコーナーではけいおんの曲を歌うなど、もっともらしいギミックは兼ね備えているが、われわれも道重さゆみや菊地最愛のようなインチキ人間から人生訓を学んでいるし、一見したところ凛としたポリシーがあるように見えて、裏でやっているのはエロとグロの暗黒舞踏だから、いずれは床が抜け落ちたり柱が枉がる欠陥住宅と見做した方がいいだろう。とはいえ、まねきケチャはひとまずブレイクはする。ユニバーサルミュージックと契約したら売れるわけではあるまいし、放課後プリンセスのような事例もあるが、まねきケチャはすでに1000人規模の会場でやれるくらいの動員力があるから他とは話が違う。
二年縛りは初期費用の償却、端的には月賦販売ということで理が通っているように思えるが、その二年が終わって娑婆に出られるわけではなく、さらに二年延長というのは、月賦が終わったのにさらに払わされる理不尽さである。端末の支払いが終わっても二年縛り前提の通話割引があるのだと、役人気質のドコモ社員なら囀るのだろうし、たとえどれだけ反論しようとも、無から有を生み出すように二年縛りを正当化する理由はホムンクルスのように作り出され、われわれは鉄球付きの鎖を足首に填められた奴隷として横死し、またみどり児として獄中に生を受けて塗炭の苦しみを味わう無間地獄である。

解約料9500円に理があるならたいしたことないが、人倫に悖る腐敗に追い銭はしたくない。更新月まで耐え忍び新しい端末にすれば済むというが、待っているのは月額8000円のスマホである。自由主義社会なのか、それとも新手の共産社会なのかと懊悩しつつ、ずるずると身動きがとれないまま様子見をしていたわけだが、ドコモのSIM(FOMA)をスマホに挿せばいいという天啓が閃き、これは荒唐無稽にも思えたが、海外端末だとFOMA(3G)とLTE(4G)の二枚挿しが出来るというのだ。海外端末ならどれでもいいわけではなく、たとえばHuawei P8では出来たが、後継機のP9では駄目だそうである。それに、二枚挿しが出来る端末でも、その2つめのスロットはMicroSDと兼用であり、SIMを挿すならMicroSDを断念しなければならない。たとえばAsusのZenfone 3は二枚挿し出来るのだが、スロットがMicroSDと兼用なので、二枚挿しするとMicroSDが挿せなくなってしまう。

では三つのスロットがある都合のいいスマホがあるのかというと、あるのである。わたしがこのたび購入したMOTO G4 Plusである。モトローラというのはブランドイメージが悪いし、現在はLenovoに買収されているのだが、ただのルーザーではなく、あたかもソビエトの地下出版のような妥協なき端末を作っているのである。

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MOTO G4 PlusはシンプルなAndroidであるから素の状態に近く、メーカー独自のファームウェアに煩わされることもない。これが本来のAndroidの力とばかりに、長患いを癒やすがごとく縦横無尽に駆け巡ってくれる。わたしはタブレットはHuawei Mediapad M3を使用しており、これは大変素晴らしい端末だが、8.4インチなので、手に持って長時間使うと疲れる。MOTO G4 Plusの方が手軽なので、いつの間にかこちらを手に取ってしまう。妥協で買ったはずが、必要な機能を過不足なく備えており、思いのほか性能がいいので驚いている。モトローラーの端末に興味を持ったことなどないので、なぜ三つもスロットを作るのか知らんが、三つ必要だから三つ作ったのだろうし、ひとつ省略してコストダウンを量るお利口さんではないのだろう。なお、ガラケーのSIM(3G)だけ挿してもうまくはいかない。わたしは楽天モバイルのデータSIMを契約して二枚刺しにしたらうまくいくようになった。たいていの人は、それでうまく繋がっているようだ。ただしauはCDMA2000なので、海外端末との相性が悪く、これはちょっと無理らしい。

わたしはガラケーが月額1000円(無料通話1000円付き)で、楽天モバイルが月額3.1GBで900円(口座振替の場合は手数料100円)で、MOTO G4 Plusが実売24000円だから、だいたい月額3000円で維持できていることになる。iモード携帯の出荷はもう終了してるし、いずれ、このあたりは消滅していくのだが、FOMA契約者はまだ1700万人いるし、あと何年かは二枚挿しで戦うことにしたのである。半分もげているような生首で命脈を繋いでこの流動的な世界に接するのは傷病兵としていつものことである。

言うまでもないのだが、二枚挿しなどしなくても、ドコモからMNPで楽天モバイルにしてしまうという平易な選択肢もある。更新月に切り替えられるなら、徴税官のようなドコモ社員から9500円を収奪されることもない。あるいは、更新月でないとしても、資本家が民衆の膏血を啜るのが自由社会の実態でもあろうし、おかしなことに唯々諾々と従うことに馴染んでいるのも事実だから、ドコモの役人根性に矯正の余地なしと、いわば諦観の境地から支払ってもいいであろう。これなら二枚刺しなど面倒なことをする必要はないわけだ。楽天モバイルの3.1GBプランで通話もできるSIMだと月額1600円である。ほとんど通話しないならこれの方が安い。また楽天モバイルは850円で5分以内の電話が掛け放題というオプションがある。わたしはこれをIP電話だと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしく、「楽天でんわ」というアプリを使って楽天コミュニケーションズの回線で通話するらしい。詳しい技術的なことはわからないが、通信の品質は悪くないらしい。とりあえずこの記事では二枚挿しを紹介してみたが、ごく単純なMNPという方法でも似通った金額にはなるので、決して二枚挿しを薦めているわけではない。
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