Archive
2017.05.31
ケリーアン・コンウェイの来歴

トランプ陣営のケリーアン・コンウェイについて、wikipedia日本版の記述がやや物足りないので、少し筆を補ってみる。
Kellyanne Elizabeth Conwayは50歳の女性であり、4人の子どもがいる既婚者である。
三人は娘で一人は息子である。
コンウェイは三歳の時に両親が離婚し、母親に育てられている。
George Washington University Law Schoolということなので学歴は高い。
世論調査の仕事を昔からやっており、共和党との関わりが深い。
世論調査をやるきっかけだが、Frank Luntzという現在は共和党の世論調査をやっている人物がいて、ロースクール時代に彼から、Wirthlin Worldwideという会社のアシスタントの仕事を紹介されたようだ。
summer jobとして時給8ドルだった。
Wirthlin Worldwideはレーガンの世論調査を担当していた会社であるようだ。
Richard Wirthlinはレーガンのchief strategistとされているから、共和党政権のかなり本格的なリサーチをする会社だったと思われる。
コンウェイは1995年、彼女が28歳の時に自分の世論調査会社を立ち上げているが、Wirthlin Worldwideでの経験を活かした起業だったのだろう。
ノウハウを学んで人脈を得た上での独立である。
http://www.newyorker.com/magazine/2016/10/17/kellyanne-conways-political-machinations
While Conway was in law school, she worked as a research assistant in the firm of Richard Wirthlin, Reagan’s longtime pollster and strategist. She briefly practiced law, and later worked for the Republican pollster Frank Luntz. The polling business was dominated by men. “I’m a female consultant in the Republican Party, which means when I walk into a meeting at the R.N.C. or somewhere I always feel like I’m walking into a bachelor party in the locker room of the Elks club,” she said.
http://www.cosmopolitan.com/politics/a8648002/kellyanne-conway-interview-career/
Back in the States, Luntz introduced her to Reagan pollster Dick Wirthlin, who gave Conway an $8-an-hour summer job. Her first assignment: Assess the GOP’s gender gap with women.
コンウェイは予備選の時はテッド・クルーズの陣営にいたが、本選ではトランプ陣営に移動している。
トランプの就任式の群衆の数についてalternative factsという言葉を使って有名になった。
コンウェイの夫であるGeorge T. Conway IIIは弁護士。
2017年3月ころにCivil Divisionの司法次官補(Assistant Attorney General)の候補に挙がったとされたが、実際には選ばれていない。
https://www.washingtonpost.com/news/wonk/wp/2016/08/17/trumps-new-campaign-manager-kellyanne-conway-doesnt-like-his-name-calling/
Conway met Trump in 2006, when she served on the condominium board at Trump World Tower in Manhattan. She said Trump seemed surprisingly hands-on, showing up at meetings to hear the residents’ concerns. She thought then he was much kinder than his public persona suggested.
コンウェイはトランプと2006年から面識はあるという。
時たま雑談するくらいの仲ではあったらしい。
2015年に選挙戦のスタッフになることをトランプから打診されたが、その時は断ったという。
http://www.newyorker.com/magazine/2016/10/17/kellyanne-conways-political-machinations
Conway worked for Newt Gingrich in the nineties, when he was rising in the House of Representatives, and in 2012, when he ran for President. Gingrich, who is one of Trump’s most prominent supporters, told me that he had recently observed Conway and Trump on Trump’s plane. “They have very good chemistry,” he said, adding that previous advisers had made the mistake of trying “to reshape him.”
トランプサポーターと言えばジュリアーニだが、それに並ぶのがギングリッチ元下院議長である。
コンウェイはギングリッチが90年代の下院議員の時から関わりがあり、また2012年にギングリッチが大統領選(予備選)に立候補したときも関わりがある。
おそらく、ギングリッチの推薦もあって、クルーズが敗退した後にトランプ側に移動することになったのであろう。
http://www.politico.com/magazine/story/2015/04/mike-pence-indiana-2016-116569
The working theory of a Pence bid, according to his allies, such as Kellyanne Conway, his longtime pollster, was somewhat Rube Goldbergian but plausible: If establishment and movement conservatives deadlocked in a primary, Pence could emerge as the consensus candidate.
また2015年の記事だが、コンウェイはマイク・ペンスの側近であり、長年の世論調査員として記述されている。
http://edition.cnn.com/2016/07/14/politics/donald-trump-vice-presidential-choice/
Already, Pence's orbit had begun blending with Trump's. Kellyanne Conway, a long-time Pence consultant, recently joined Trump's campaign.
前後関係として言えば、コンウェイがトランプ陣営に入ったのが先であり、マイク・ペンスが副大統領候補に選ばれたのはその後である。
マイク・ペンスは副大統領候補として本命ではなく、あまりトランプは選びたくなかったのだが、ポール・ライアン下院議長が選べというから選んだので、コンウェイの影響はほとんどないと思われる。
とはいえ、まったくの0ではあるまいし、ギングリッチとマイク・ペンスとつながりがあるから、自然と中心メンバーになっているのであろう。
2017.05.28
女にとって結婚が重大過ぎる
常識的過ぎて、わざわざ考えない話題というのもあり、おそらく、この話も、当たり前すぎるから論じない性質の退屈な話である。
とはいえ、退屈だから書かないことをわざわざ文字にしてみる試みもときには必要であろう。
女は結婚相手によって人生が決まるというのは、かつて数え切れないほどの人が述べたであろうが、あらためてこれを考えてみたい。
結婚で人生が逆転できるというのは男が夢見ると莫迦な話として扱われる。
これは有り難いことであり、そのような短絡的な手段は封じられているのである。
冨田真由さんに腕時計を送ったり、橋本愛のファンのコミュニティを荒らし回ったりしなくていい。
そういうベクトルで頑張っても岩崎友宏になるだけである。
この愚かしい希望が封じられてないとしたら、われわれの惨めな存在はさらに蝕まれる。
冨田真由さんに腕時計を送っても無駄であると、あらかじめわかっているのは素晴らしいことである。
わかっていても岩崎友宏のように実行する人間がいるわけだが、これは失敗例の陳列ということであろう。
これが若い女となれば、つまり自分自身の肉体をプレゼントするという方法があり、この方法があることで、女は聡明さを失うのである。
岩崎友宏が冨田真由さんを手に入れようとするような筋違いな行為が、若い女であれば実行可能なのだから、これでは愚かになっても仕方があるまい。
クラスチェンジへの渇望、それが男であれば無に帰するので、明らかに男は恵まれている。
家族と家(イエ)にまで話を延ばすと焦点がぼやけるかもしれないが、手短に述べてみよう。
家(イエ)はかなり衰退したし、われわれが縁戚関係の重しに縛られることはあまりなくなったが、今の話の文脈としては、恋愛に基づく核家族であろうとも、新しいサークルに入ってクラスチェンジするという野望は満たせてしまう。
家(イエ)という縁戚関係の体系に帰属することはなくなったにしても、やはり結婚は所属サークルの変更である。
自らが三流のままでも超一流のサークルの人間になりうるという願望は、若い女からすると、まったく損なわれることなく保持されている。
男であれば、三流なら三流のままであるが、これは素晴らしい決まりである。
冨田真由さんにたくさん時計を送ったり、橋本愛のコミュニティに大量の書き込みをするような真似をしなくてもいいのである。
これが拒絶されていることによって、人間は人間たり得ているのであるから、恩寵とさえ言えるのだが、それを逆恨みして滅多刺しに行くとか、婚活おばさんとレベルが変わらないと言える。
とはいえ、退屈だから書かないことをわざわざ文字にしてみる試みもときには必要であろう。
女は結婚相手によって人生が決まるというのは、かつて数え切れないほどの人が述べたであろうが、あらためてこれを考えてみたい。
結婚で人生が逆転できるというのは男が夢見ると莫迦な話として扱われる。
これは有り難いことであり、そのような短絡的な手段は封じられているのである。
冨田真由さんに腕時計を送ったり、橋本愛のファンのコミュニティを荒らし回ったりしなくていい。
そういうベクトルで頑張っても岩崎友宏になるだけである。
この愚かしい希望が封じられてないとしたら、われわれの惨めな存在はさらに蝕まれる。
冨田真由さんに腕時計を送っても無駄であると、あらかじめわかっているのは素晴らしいことである。
わかっていても岩崎友宏のように実行する人間がいるわけだが、これは失敗例の陳列ということであろう。
これが若い女となれば、つまり自分自身の肉体をプレゼントするという方法があり、この方法があることで、女は聡明さを失うのである。
岩崎友宏が冨田真由さんを手に入れようとするような筋違いな行為が、若い女であれば実行可能なのだから、これでは愚かになっても仕方があるまい。
クラスチェンジへの渇望、それが男であれば無に帰するので、明らかに男は恵まれている。
家族と家(イエ)にまで話を延ばすと焦点がぼやけるかもしれないが、手短に述べてみよう。
家(イエ)はかなり衰退したし、われわれが縁戚関係の重しに縛られることはあまりなくなったが、今の話の文脈としては、恋愛に基づく核家族であろうとも、新しいサークルに入ってクラスチェンジするという野望は満たせてしまう。
家(イエ)という縁戚関係の体系に帰属することはなくなったにしても、やはり結婚は所属サークルの変更である。
自らが三流のままでも超一流のサークルの人間になりうるという願望は、若い女からすると、まったく損なわれることなく保持されている。
男であれば、三流なら三流のままであるが、これは素晴らしい決まりである。
冨田真由さんにたくさん時計を送ったり、橋本愛のコミュニティに大量の書き込みをするような真似をしなくてもいいのである。
これが拒絶されていることによって、人間は人間たり得ているのであるから、恩寵とさえ言えるのだが、それを逆恨みして滅多刺しに行くとか、婚活おばさんとレベルが変わらないと言える。
2017.05.27
はるかぜが麻原三女を黙殺
麻原三女がはるかぜにやたらと親密なツイートをしていたので、とうとうラストベルト同士で結ばれたかと思ったのだが、はるかぜ親子は黙殺しているようである。
これはいつもどおりの行動である。
時たまはるかぜ親子の本質を見抜けずに愛情を乞う人が現れるが、だいたい同じ扱いである。
ババアはあくまで愛情を乞うているのであり、与えるつもりは毛頭もない。
矛盾と言えば矛盾だが、乞食が乞食に物乞いするとしたら拒否されて当然であろう。
ババアは施設育ちだから心が狭いし、他人に分け与えるような余白は持ってない。
同情を買うための狂言を繰り返しているのであるし、これを見抜けないとしたら可笑しいと言うしかない。
娘を炎上させて、どこかの偽善者が助けてくれるのを待っているわけだ。
母親が娘に物乞いさせているのは明白であり、これがわからないのは盲人。
そもそも愛情を与えると言うのは容易いが、溺れている人を助けるのは容易ではない。
本当に海に溺れている人なら救助すれば終わりだが、メンタル的に溺れている人間を助けるとなると、永続的な介護が必要である。
延々と承認願望を満たしてやらなければならない。
「困った人を助ける」という言い回しがあるが、これにしても、本当に助けるのであれば、かなり継続的な支援が求められる。
100円くらい寄付して扶けた気になるのもいいが、本当にひとりの人生を助けるなら、それこそ家のひとつくらいは寄進しなければならない。
溺れている人に本当にしがみつかれたら、そのために支払うコストは大変なものであるから、振り落とすのは当然である。
これからもはるかぜ親子のこのパターンは続くであろう。
口先ではいくらでも綺麗事は言うが、負担を伴う人助けはしないという当たり前のことだが、この親子はそれが極端というだけである。
はるかぜ親子についても、誰も助けなければいいのだが、どこかに変わった偽善者がいて、仕事を与えてしまうのであろう。
いずれにせよ、はるかぜ親子にしがみついて助かるわけがない。
はるかぜ親子に頭を撫で撫でされたいという信者は、言わば乞食の真似をしているのだから、その愚かさは克服されなければならない。
はるかぜ親子に認知されなければファンをやめるとばかりに騒いでいた信者が苦言のエアリプをされていたが、これは断罪されても仕方あるまい。
人生を諦めればだいたいの問題は解決する。
他人に承認を乞う必要などまったくない。
これもわれわれが与えるものでないから、自ら克服しなければならない。
これはいつもどおりの行動である。
時たまはるかぜ親子の本質を見抜けずに愛情を乞う人が現れるが、だいたい同じ扱いである。
ババアはあくまで愛情を乞うているのであり、与えるつもりは毛頭もない。
矛盾と言えば矛盾だが、乞食が乞食に物乞いするとしたら拒否されて当然であろう。
ババアは施設育ちだから心が狭いし、他人に分け与えるような余白は持ってない。
同情を買うための狂言を繰り返しているのであるし、これを見抜けないとしたら可笑しいと言うしかない。
娘を炎上させて、どこかの偽善者が助けてくれるのを待っているわけだ。
母親が娘に物乞いさせているのは明白であり、これがわからないのは盲人。
そもそも愛情を与えると言うのは容易いが、溺れている人を助けるのは容易ではない。
本当に海に溺れている人なら救助すれば終わりだが、メンタル的に溺れている人間を助けるとなると、永続的な介護が必要である。
延々と承認願望を満たしてやらなければならない。
「困った人を助ける」という言い回しがあるが、これにしても、本当に助けるのであれば、かなり継続的な支援が求められる。
100円くらい寄付して扶けた気になるのもいいが、本当にひとりの人生を助けるなら、それこそ家のひとつくらいは寄進しなければならない。
溺れている人に本当にしがみつかれたら、そのために支払うコストは大変なものであるから、振り落とすのは当然である。
これからもはるかぜ親子のこのパターンは続くであろう。
口先ではいくらでも綺麗事は言うが、負担を伴う人助けはしないという当たり前のことだが、この親子はそれが極端というだけである。
はるかぜ親子についても、誰も助けなければいいのだが、どこかに変わった偽善者がいて、仕事を与えてしまうのであろう。
いずれにせよ、はるかぜ親子にしがみついて助かるわけがない。
はるかぜ親子に頭を撫で撫でされたいという信者は、言わば乞食の真似をしているのだから、その愚かさは克服されなければならない。
はるかぜ親子に認知されなければファンをやめるとばかりに騒いでいた信者が苦言のエアリプをされていたが、これは断罪されても仕方あるまい。
人生を諦めればだいたいの問題は解決する。
他人に承認を乞う必要などまったくない。
これもわれわれが与えるものでないから、自ら克服しなければならない。
2017.05.25
麻原とはるかぜの交流が深まる
このところあのババアがまた炎上案件として復活しつつあるわけだが、麻原三女の方からもはるかぜに好意的なリプを送り始めたので、かなりややこしいことになっている。
ババアとしては、炎上が目的であろうし、本当に麻原三女と親しくしたいわけではなかろう。
いわばホンモノの同類であるから、これならババアが育った施設にもたくさんいたであろう。
たとえば盛時の中川翔子のような、類友でありつつ自らよりランクが高い人間を求めているのであり、本当に同じランクは求めていまい。
生まれた環境にとらわれないと言い張っていたら、アンタッチャブル同士でくっついたのであるし、似付かわしい腫れ物が救貧院で隣り合わせになったようなものであるから、あまりにも皮肉なオチであるし、この新たに発生した因縁は、ババアとしても解きほぐしたいに違いない。
向こうが遠慮してくれると思い込んでいたら、まさに瓜二つの人間であり、あまりにも無遠慮にぐいぐい来るものだから、これは想定外であろうが、あれだけ擁護したからには引っ込みもつかないと思われるので、今回の墓穴はかなり深度がありそうだし、その行く先は杳として知れない。
時たまこういう悪夢をわれわれは見るわけだが、はるかぜ親子は現実にこれを体験しているのだから、目が覚めて雲散霧消するわけではあるまい。
ババアとしては、炎上が目的であろうし、本当に麻原三女と親しくしたいわけではなかろう。
いわばホンモノの同類であるから、これならババアが育った施設にもたくさんいたであろう。
たとえば盛時の中川翔子のような、類友でありつつ自らよりランクが高い人間を求めているのであり、本当に同じランクは求めていまい。
生まれた環境にとらわれないと言い張っていたら、アンタッチャブル同士でくっついたのであるし、似付かわしい腫れ物が救貧院で隣り合わせになったようなものであるから、あまりにも皮肉なオチであるし、この新たに発生した因縁は、ババアとしても解きほぐしたいに違いない。
向こうが遠慮してくれると思い込んでいたら、まさに瓜二つの人間であり、あまりにも無遠慮にぐいぐい来るものだから、これは想定外であろうが、あれだけ擁護したからには引っ込みもつかないと思われるので、今回の墓穴はかなり深度がありそうだし、その行く先は杳として知れない。
時たまこういう悪夢をわれわれは見るわけだが、はるかぜ親子は現実にこれを体験しているのだから、目が覚めて雲散霧消するわけではあるまい。
2017.05.22
ホリエモンサロンのサイト剽窃問題
https://twitter.com/takapon_jp/status/866573046450081792
https://twitter.com/takapon_jp/status/866572502566264832
https://twitter.com/takapon_jp/status/866548541669253121



ホリエモンがアイドルのプロジェクトを立ち上げたそうで、しかし、そのサイトが初っ端から他サイトのソースコードをコピーしていたということで話題になっている。
これはホリエモンの弁によれば、サロンの会員のプロジェクトであるそうで、そこで剽窃が発生したそうである。
月額10800円のサロンだそうで、600人の会員がいるという話もあるが実数は不明。
この手の信者は本質的にマイナス戦力であるから金だけ巻き上げたほうがいいのだろうし、サロンビジネスはそれが真骨頂であるはずだが、手足として使おうとするから襤褸が出たのであろう。
信者は信者に甘んじる気はないだろうし、野心は燃えたぎっているだろうが、だからこそ囚われの身として、徹底して搾取されねばならない。
ホリエモンに法的責任がないのは言うまでもないが、厄介な信者を野に放ったという意味で、顰蹙を買うに値する行為である。
https://twitter.com/takapon_jp/status/866572502566264832
https://twitter.com/takapon_jp/status/866548541669253121



ホリエモンがアイドルのプロジェクトを立ち上げたそうで、しかし、そのサイトが初っ端から他サイトのソースコードをコピーしていたということで話題になっている。
これはホリエモンの弁によれば、サロンの会員のプロジェクトであるそうで、そこで剽窃が発生したそうである。
月額10800円のサロンだそうで、600人の会員がいるという話もあるが実数は不明。
この手の信者は本質的にマイナス戦力であるから金だけ巻き上げたほうがいいのだろうし、サロンビジネスはそれが真骨頂であるはずだが、手足として使おうとするから襤褸が出たのであろう。
信者は信者に甘んじる気はないだろうし、野心は燃えたぎっているだろうが、だからこそ囚われの身として、徹底して搾取されねばならない。
ホリエモンに法的責任がないのは言うまでもないが、厄介な信者を野に放ったという意味で、顰蹙を買うに値する行為である。
2017.05.21
ライブは一度見れば充分
このところ南條愛乃という33歳のババアが、ツイッターのせいで人気がなくなったとか、YouTubeのせいで人気がなくなったとか、更年期障害で措置入院が必要な状態になってきたが、やはり大きな会場でやると、ライト層が雲散霧消してしまう。
観光地に行って記念にスタンプを押して、それで満足するのが人間である。
何度も何度も何度も同じところに行くというのは、さほどないわけだ。
南條愛乃さんのSSAは発売してから一日くらいで売り切れているはずだが、逆に言うと、買いたい人は買えたのであるし、ライト層はすべて吸収した。
BABYMETALの東京ドームは直前になってソールドアウトしたから、これも買いたい人はすべて買えたと言える。
こうなると飢餓感はなくなるし、観光地に一度行けば充分とばかりに忘れ去られてしまう。
BABYMETALが東京ドーム以降ほとんど大きなライブをやってないのは関心の後退があるのだろうし、元からファンがいるのかいないのか判然としないが、今度こそ、少なからずの人が他界したと思われる。
いわばゲームを一度クリアしたような状態であり、その一度クリアしたゲームをもう一度やる気があるのか、という話である。
たとえば三森すずこに人気があるように見えるのは、95万というフォロワーに比例するような人気の実態がないので、誰もこの人に飽きてないからであろう。
ほとんどの人は三森すずこのライブに行ったこともないので飽きるのも難しい。
一度も行ったことがない観光地のような状態なので、まだ関心のリストから消えていない。
おそらく南條愛乃さんは動員しすぎたのであろうし、すでに観たという人も多いであろうから、消費されたか消化されたか、ともかく下り坂になっている。
大規模な動員をしたら駄目というわけではないが、二度目三度目と周回していくことになるので、大量の脱落者が出てくるのは避けられない。
東京ディズニーランドに何度も行くという人がいるように、水野由結ちゃんならなんど見てもいいが、中元と菊地はもう底が割れたし、東京ドームで完結して終わったというスタンスの人が大半だろうと思われる。
ここから悪あがきして延命するよりは、われわれ人類に水野由結ちゃんを返却するべきである。
観光地に行って記念にスタンプを押して、それで満足するのが人間である。
何度も何度も何度も同じところに行くというのは、さほどないわけだ。
南條愛乃さんのSSAは発売してから一日くらいで売り切れているはずだが、逆に言うと、買いたい人は買えたのであるし、ライト層はすべて吸収した。
BABYMETALの東京ドームは直前になってソールドアウトしたから、これも買いたい人はすべて買えたと言える。
こうなると飢餓感はなくなるし、観光地に一度行けば充分とばかりに忘れ去られてしまう。
BABYMETALが東京ドーム以降ほとんど大きなライブをやってないのは関心の後退があるのだろうし、元からファンがいるのかいないのか判然としないが、今度こそ、少なからずの人が他界したと思われる。
いわばゲームを一度クリアしたような状態であり、その一度クリアしたゲームをもう一度やる気があるのか、という話である。
たとえば三森すずこに人気があるように見えるのは、95万というフォロワーに比例するような人気の実態がないので、誰もこの人に飽きてないからであろう。
ほとんどの人は三森すずこのライブに行ったこともないので飽きるのも難しい。
一度も行ったことがない観光地のような状態なので、まだ関心のリストから消えていない。
おそらく南條愛乃さんは動員しすぎたのであろうし、すでに観たという人も多いであろうから、消費されたか消化されたか、ともかく下り坂になっている。
大規模な動員をしたら駄目というわけではないが、二度目三度目と周回していくことになるので、大量の脱落者が出てくるのは避けられない。
東京ディズニーランドに何度も行くという人がいるように、水野由結ちゃんならなんど見てもいいが、中元と菊地はもう底が割れたし、東京ドームで完結して終わったというスタンスの人が大半だろうと思われる。
ここから悪あがきして延命するよりは、われわれ人類に水野由結ちゃんを返却するべきである。
2017.05.19
はるかぜと麻原
このところはるかぜ親子の観察を怠っていたので、わざわざ麻原の三女と会食していたという話を今更ながら知ったのだが、おそらくこの行為の理非を云々しても意味はあるまいし、いわば露悪的な行動というか、批判されるからこそ会食したのであろうから、あの親子の発言の端々に朱筆を入れて歪みを正そうとするのは無駄事である。森閑たる保養地で優雅に沐浴して生きていける身分ではないから、金持ち喧嘩せずとは真逆の、貧困家庭のトラブルメーカーとして、暗澹たる炎上を求め続ける人生なのであろうし、あのババアの露悪的な魂が火柱を上げてうまく燃え広がったから、救貧院からその黒煙を眺めやり、久闊を叙するようにして悪魔と再び手を結んだことにさぞかし歓喜しているだろう。中川翔子とか岡田斗司夫とか乙武とか、あのあたりの偽善臭いお歴々がすべて失墜したので、今度はさらに闇が深い旦那衆と車座を囲むしかない。サイコパスというネットスラングがあるが、普通の人間の物差しで見るとただの出来損ないなので、何かしら独特の尺度を求め、毒親エリートとして、家庭環境の業が深いところには必ず居合わせる非常識な人物になるのであろう。普通の人間の末席に名を連ねることがよほど嫌であるらしく、親のせいでだめになったというエクスキューズを求め、今後も価値転覆の試みは繰り返される。
2017.05.17
作り話をITmediaに持ち込めば真実になる
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1705/16/news143.html
ネットで自作自演して、それをITmeidaに持ち込んで、たまたま通れば事実として成立しそうである。
この件でもITmediaは「取材」をしてはいるらしいが、それだけのことである。
この書店への取材はしてないから書店そのものが架空かもしれないし、そもそも差別されているという人間の自己申告は、自作自演、もしくは作り話を疑って然るべき。
今回の件については自作自演というよりは、ただの作り話だろうが、馬鹿みたいな作り話をしてしまうことは、根っからの虚言癖でなくても時たまあるだろう。
こんなのを「取材」して報じてしまうITmediaの胡散臭さ。
そもそもはるかぜを天才だと礼賛していたのはITmediaだし、自己申告をそのまま報じるスタンスなのだ。
しつこく裏取りまでやると、取材コストや相手側の拒否とか個人情報とか、いろいろ難しいから、言われたままに報じるのだろうが、フェイクニュースが出来上がるだけである。
作り話だという証拠があるのか、というと、あるわけない。
こちらは超能力者ではないから、そんなものは出せない。
普段から「これは作り話だな」と思うことは多々あるが、いちいち確認はしていない。
端的に言えば、われわれは普段から作り話をたくさんしているし、それは他人を騙しているのではなく、事実をあからさまに語ることが、そんなに望ましくないからである。
今回のも、よくある作り話だろうし、これくらいの作り話を一度もしたことがないという人はいないだろう。
事実の確認まで踏み込まないのだから、あくまで察しの問題だが、普通に聞いたら、話半分に受け取るであろう。
ITmediaという「権威」を通したから、ヤフートップを飾り、はるかぜが天才という真実になっただけである。
ゆーとさんに話をうかがったところ、以前にも他の利用客からLGBTの方の入店を断ってほしいという意見があったとのこと。LGBTの従業員が、利用客から「態度や言い方がオネェっぽくて気持ち悪い」と言われ退職に追い込まれたことも。それを受けて会社ではLGBTの従業員を支援する部署が発足。LGBTへの理解が深い会社なのだそうです。
自身もゲイであるゆーとさんは、本部の回答について「理解をしてくれている会社には本当に感謝をしています。お客さまの感じ方や捉え方を否定するつもりは全くありませんが、どうか理解して欲しいってことを伝えている返答には正直泣きました」と語っています。
ネットで自作自演して、それをITmeidaに持ち込んで、たまたま通れば事実として成立しそうである。
この件でもITmediaは「取材」をしてはいるらしいが、それだけのことである。
この書店への取材はしてないから書店そのものが架空かもしれないし、そもそも差別されているという人間の自己申告は、自作自演、もしくは作り話を疑って然るべき。
今回の件については自作自演というよりは、ただの作り話だろうが、馬鹿みたいな作り話をしてしまうことは、根っからの虚言癖でなくても時たまあるだろう。
こんなのを「取材」して報じてしまうITmediaの胡散臭さ。
そもそもはるかぜを天才だと礼賛していたのはITmediaだし、自己申告をそのまま報じるスタンスなのだ。
しつこく裏取りまでやると、取材コストや相手側の拒否とか個人情報とか、いろいろ難しいから、言われたままに報じるのだろうが、フェイクニュースが出来上がるだけである。
作り話だという証拠があるのか、というと、あるわけない。
こちらは超能力者ではないから、そんなものは出せない。
普段から「これは作り話だな」と思うことは多々あるが、いちいち確認はしていない。
端的に言えば、われわれは普段から作り話をたくさんしているし、それは他人を騙しているのではなく、事実をあからさまに語ることが、そんなに望ましくないからである。
今回のも、よくある作り話だろうし、これくらいの作り話を一度もしたことがないという人はいないだろう。
事実の確認まで踏み込まないのだから、あくまで察しの問題だが、普通に聞いたら、話半分に受け取るであろう。
ITmediaという「権威」を通したから、ヤフートップを飾り、はるかぜが天才という真実になっただけである。
2017.05.16
喜ぶための準備作業
わたしが今から人気女優とセックスできるとする。
この場合、ずっと前から憧れている方がその喜びは大きいに違いない。
事前に憧れてなくても、魅力的な女性とセックスする喜びが妨げられるわけではないが、ずっと思い焦がれている方が、喜びが深いのも確かであろう。
だから、われわれの自我は、あらかじめ憧れておこうという準備作業に多くを割いている。
長年に渡り思い焦がれてなくても、セックスできれば嬉しいのは言うまでもないから、準備作業の必要などないのだが、やはり喜びを最大化したいので、対象が手に入る前から、香辛料を振りまいてしまう。
フロイトのFort-Daの話、つまり「いないいないばあ」は普遍的であるらしい。
初っ端から手に入るよりは、ひとまず自分を飢餓状態に置いて、対象への憧れを高めたほうが美味しいらしい。
憧れの準備作業をしなくても美人とセックスできたら嬉しいというのは前述したが、やはり「手に入らない状態」というスパイスを付けたがる人がいるようだ。
飢え乾いた空腹でオアシスを発見したいらしい。
これが時として反復強迫の病気となる。
見当違いの準備作業を繰り返す人生になってしまう。
世の中、諦めて普通に生きている人だってたくさんいるし、放っておけば誰でも棺桶に入るのだから、わざわざ飢え乾いて救世主を渇望するくらいに莫迦げた妄念はなかろうが、救世主に取り憑かれた人に、自らの頭に描いた王道楽土は消したほうがいいと説明しても、まったく聞き入れない。
ひょんなことから千年王国が訪れて桃源郷になるかもしれないのに、喜ぶ準備を最大にしなければ感激できない、というのである。
食べる前から空の食器に香辛料を振りまいて、肝心なメインディッシュがガッカリだったらどうするのか、と問うても聞く耳を持たない。
この場合、ずっと前から憧れている方がその喜びは大きいに違いない。
事前に憧れてなくても、魅力的な女性とセックスする喜びが妨げられるわけではないが、ずっと思い焦がれている方が、喜びが深いのも確かであろう。
だから、われわれの自我は、あらかじめ憧れておこうという準備作業に多くを割いている。
長年に渡り思い焦がれてなくても、セックスできれば嬉しいのは言うまでもないから、準備作業の必要などないのだが、やはり喜びを最大化したいので、対象が手に入る前から、香辛料を振りまいてしまう。
フロイトのFort-Daの話、つまり「いないいないばあ」は普遍的であるらしい。
初っ端から手に入るよりは、ひとまず自分を飢餓状態に置いて、対象への憧れを高めたほうが美味しいらしい。
憧れの準備作業をしなくても美人とセックスできたら嬉しいというのは前述したが、やはり「手に入らない状態」というスパイスを付けたがる人がいるようだ。
飢え乾いた空腹でオアシスを発見したいらしい。
これが時として反復強迫の病気となる。
見当違いの準備作業を繰り返す人生になってしまう。
世の中、諦めて普通に生きている人だってたくさんいるし、放っておけば誰でも棺桶に入るのだから、わざわざ飢え乾いて救世主を渇望するくらいに莫迦げた妄念はなかろうが、救世主に取り憑かれた人に、自らの頭に描いた王道楽土は消したほうがいいと説明しても、まったく聞き入れない。
ひょんなことから千年王国が訪れて桃源郷になるかもしれないのに、喜ぶ準備を最大にしなければ感激できない、というのである。
食べる前から空の食器に香辛料を振りまいて、肝心なメインディッシュがガッカリだったらどうするのか、と問うても聞く耳を持たない。
2017.05.15
生命を守るために命乞いしているという嘘
通俗的な理解として言えば、われわれが他人を怖がるのは殺されるのを恐れるからである。
もちろんこれは間違いではない。
刑務所に入りかねないチンピラを怖がるのは当然であり、これについては論を俟たない。
たとえば関東連合に絡まれたら平謝りしておかないと、本当に殺されるケースだってあるわけだ。
だが、そういう犯罪的な事例だけに焦点を絞ると、怖い人の本質を見誤る。
また喧嘩の強さ弱さに着目しても見誤る。
喧嘩ということで言えば、泣いて許しを請う子どもがたくさんいるが、そうでない子どもが時たまいて、それが怖い人なのである。
懐柔することなど決して出来ないような目の据わり方とか、他者への蔑みの強さなど、これがわれわれには畏怖なのである。
教師から観ても、そういう子どもは怖いから尊重されるし、すぐに泣いて命乞いする子どもは馬鹿にされる。
やはり「怖さ」について考える場合に、生命の危機に矮小化するのは問題を見誤る。
こちらが生命の危機を感じているというよりは、相手が生命の危機を感じてないことがポイントである。
腕力がある方が強いという単純な話ではないし、命乞いした方が負けなのである。
学校での喧嘩で、命乞いしなかったから殺された子どもがいるかというとほとんどいないはずだから、命乞いが生命維持のための欲求という通俗的な理解はかなり疑問がある。
もちろんこれは間違いではない。
刑務所に入りかねないチンピラを怖がるのは当然であり、これについては論を俟たない。
たとえば関東連合に絡まれたら平謝りしておかないと、本当に殺されるケースだってあるわけだ。
だが、そういう犯罪的な事例だけに焦点を絞ると、怖い人の本質を見誤る。
また喧嘩の強さ弱さに着目しても見誤る。
喧嘩ということで言えば、泣いて許しを請う子どもがたくさんいるが、そうでない子どもが時たまいて、それが怖い人なのである。
懐柔することなど決して出来ないような目の据わり方とか、他者への蔑みの強さなど、これがわれわれには畏怖なのである。
教師から観ても、そういう子どもは怖いから尊重されるし、すぐに泣いて命乞いする子どもは馬鹿にされる。
やはり「怖さ」について考える場合に、生命の危機に矮小化するのは問題を見誤る。
こちらが生命の危機を感じているというよりは、相手が生命の危機を感じてないことがポイントである。
腕力がある方が強いという単純な話ではないし、命乞いした方が負けなのである。
学校での喧嘩で、命乞いしなかったから殺された子どもがいるかというとほとんどいないはずだから、命乞いが生命維持のための欲求という通俗的な理解はかなり疑問がある。