Archive
わたしが佐藤日向に対して強い怒りを抱いたのは、「少女 歌劇 レヴュースタァライト」について、「当日券がある」という紛らわしいツイートをしたからであるし、実際は「当日券のための整理券配布」と抽選であったから、わざわざ渋谷まで行ったのが無駄足になったからである。
佐藤日向は自らを推してもらうために、自らのカラーの水色の服を着てくれとか、つまり、オタ向けの営業活動として「当日券がある」とやっていたわけだ。

なぜわたしだけが怒っているのかというと、真人間を装っているヲタは黙っているのであろうし、わたしは佐藤日向に興味がないからであろう。
わたしは今まで佐藤日向のツイッターをフォローしたことさえないし、たまたまRoseliaの姉ちゃんが出ているから、今回の演劇を見てみようと思っただけである。
普段は佐藤日向のツイートなんぞ見てないのだが、たまたまRoselia繋がりでチェックしたのである。

さて、このタイプの利口で素直な人間に時たま激しい怒りを持つことがある。
たとえば道を譲らないとか些細な事でも、人から好かれそうなタイプの人間にそれをやられると、こちらが悪者にされる予感がMAXになるので、それが憎悪になるのである。
ゴロツキに攻撃されるのとはまた別の怒りである。
無個性で利口で見た目も好青年みたいなやつから無神経なことをされると、いかにも差別的な言動を受けたという強い印象を受ける。
喧嘩を売られたというよりは、貴族と賤民が当然のごとく決っているというナチュラルなカースト意識を感じるのである。

わたしが佐藤日向に全く関心がなかったことは前述したとおりだが、やはり利口で素直なタイプなので、人から好かれそうなところが嫌だというか、「こっちが悪者にされそう」という畏怖があり、敬遠していたのであろう。こうやって小さなトラブルが起こると、向こうが健全な貴族でこちらが狂った廃疾であるという前提について、天道是か非かという義憤があり、おそらく人間の根源的な劣等感の問題である。当日券の抽選があるのを「当日券がある」と記述するのは誤りだと思うのだが、どれだけ理屈を弁じ立てようが、賽の河原で小石を積むような徒爾にしかなるまいし、あくまで人間の貴賤で決着が付き、結論が綴じられてしまう。

人類全員が佐藤日向の味方をしそうだし、そういうナチュラルな貴族主義というか、逆に言えば、こちらがナチュラルで賤民というか、そういう理不尽さである。
当日券の問題で佐藤日向は釈明もしてないし、すっかりAKB商法でヲタを転がすことに馴染んだ様子だが、このままいろんな人に取り入りながらうまくやっていくのであろうし、時たま無神経な言動をしても声を荒げる人はいないし、御本人は大過なく生きていくわけである。
佐藤日向は人から好かれやすい人物であるにも関わらず人気はないが、おそらくこれも人間社会における典型的な事例なのである。
「人から好かれやすそう」という特権的な貴族が世の中には一定数いて、果たして本当に好かれているのかというとそうでもないし、好きだという自己判断の積み重ねというよりは、なんか「他人から好かれているだろう」という迂回した目線で見ているわけだが、これが人間社会なのであろうし致し方あるまい。
https://twitter.com/lp_announce/status/911431502486921221

sekininnourixyoku.png

本当に心神喪失している人は病気そのものが苦痛であるはずなので概して活動量が少ないし、ネットで大暴れしている輩のほとんどは有村悠さんのような快楽主義的人格障害者であるが、どうやら、本当に心神喪失の人から怪文書が直に届けられたようである。
この文面からは何も読み取れないが、いわゆる世界没落体験をしたのであろうし、その原因が有村悠さんということらしい。
われわれは寝ているときの夢で「コーラを飲むと癌が治る」とか「池田大作から攻撃されている」とか、そういう荒唐無稽な観念に取り憑かれるのだが、目が覚めているときにもその憑き物が落ちず、なおかつ直接的に訪問してくる人がいるのであれば、これは警察に相談するべき案件であろう。
普段からキチガイを演じている有村悠さんが警察に頼るのは恥ずかしい気もするが、どうせ生き恥だらけなのだし、どっちみち数え切れないからひとつやふたつ増えても差し支えあるまい。
親を尊敬するとか、教師を尊敬するとか、先輩を尊敬するとか、そういうのを定型的な訓示として述べて終わりにするのは、物事の深層まで洞察してないのだし、人間理解が足りないと言える。
温厚な親とか温厚な先輩なら、「尊敬します」と言っておけばそれまでだし、いわば儀礼で済むのである。
これが気性の激しい人間となると、そうはいかない。

つまり尊敬と一言で言っても、温厚な人と気性の激しい人では話が違う。
気性の激しい人間であれば絶対服従を求めるから、儀礼では済まない。
奴隷としての実践活動で尊敬を示す必要がある。

「尊敬に値する」とか「尊敬に値しない」というのは分別としてあまり適切ではない。
表面的な儀礼で済むか済まないかが大事なのである。
儀礼で済むのであれば、相手が誰であれ一定の敬意を払って然るべきだろう。

温厚さ、気性の激しさはある程度は先天的なものだが、本人の人生への態度でもある。はるかぜババアのような気性の激しい人間は生まれつきであるだろうが、それに加えて育ちの悪さとして、娘に絶対服従を求めるのである。あちこちで干戈を交えては、その累が娘に及ぶ仕組みなのである。娘を使って炎上を繰り返すことができるのは、やはり気性の激しさが突き抜けているのであり、これは自らの人生への憎しみであり、その深淵には底がない。

有村悠さんはディスプレイ破壊おじさんとして知られており気性も激しいのだが、どこかしらユーモラスな側面もある。高卒なのに朝から晩まで東大の話をしている最底辺の人間だが、はるかぜババアほどに突き抜けてないのは、やはり東大に合格した体験があるからであろう。虚無へ還るべく人生や世界という事実性の全てを焼き尽くし根絶やしにするとなると、東大合格という事実が消えてしまうのでまずいわけである。金持ち東大生から「おまえは高卒」とか「わたしは特別な人間だが、あなたは特別な人間ではありません」となじられて退学した怨みがあるとはいえ、人間最後のプライドが満たされているのである。有村さんが本質的にファッションメンヘラであり、通り魔のような気質を持ちながらも実行しないのは、どれだけ潰走を繰り返しても、やはり東大合格が金字塔として煌めいているのであろうし、もしこれがなかったら、箍の外れたルサンチマンの虜として、森羅万象のすべてを消去するために怪物化していただろう。

平凡で温厚な人はたくさんいる、というより、世の中の半分くらいの人はそうであるから、尊敬する美徳が安易に説かれるのであろう。
前述したように、相手が温厚な人間だと儀式で済むが、気性の激しい人間だとそうはいかない。

気性の激しさはプライドの問題とかなり深く関わっているので、まずはそこに着目する必要がある。
温厚な人間と気性の激しい人間を厳密に区別できるわけでもないが、それでも明確な違いはある。
社会的に成功しているにも関わらず、あたかも殺し合いのような勢いで他人に向かってくる激しさを持つ人間もいるし、いろいろとバリエーションはあるだろうが、こういう気質まで考えた上で「尊敬する」という行為を考えねばならない。
なぜかわれわれは自分の家族と他人の家族の区別がつかない。
いや、別人であることは知っているが、あたかも同一のように見做して共感しているのである。

社会には経済というものがあり、家族は連帯保証人のようなものだから、身内と他人というのは区別できるけれども、家計という縛りがないとしたら、どこまで家族関係の根拠があるのかわかりづらい。
経済という要素がなければ、という仮定はナンセンスかもしれないが、仮に経済という要素がなく、誰もが最高の環境で生まれてくるとするなら、親が誰かはさして問題ではない。
やはり経済的な問題として連帯している関係だと言うしかないのである。

ベビーカーが迷惑という変な話が出るのも、イエ制度から核家族に転じているので、個人主義的な発想に基づいて家族を守るという観念が強くなっており、子連れの親が警察官のように見えるからだろう。
事件報道があるたびに、ネット上で「これが自分の家族だったら相手を殺す」とか書いてる善男善女がたくさんいるわけだが、そのような家族愛の意識が、現実のベビーカーなどを見ると、自らが犯罪者だと疑われないように警戒する形で跳ね返ってくる。
家族に何かあったら「相手を殺す」と仇討ちを予告しているのが最近の親であり、そういう殺伐とした善男善女と現実に接するとなると厄介なのである。
仇討ちの予告は犯罪に該当しないようだから、これは自由なのであろうし野放しにされるが、其の結果として殺伐感が生まれる。

自分の家族は本当に自分の家族なのかというと、前述したように、人間は経済的存在なので、富貴の生まれとか貧賎な生まれという格差が出るわけだが、これは要するに縄張りの問題であるし、事実といえば事実だし、無根拠と言えば無根拠である。
「これが自分の土地だ」という所有権に事実性があるのなら、「これが自分の家族」というのも事実なのであろう。
人間同士での取り決めでしかないが、その事実性が人間存在である。
経済的に運命共同体であるというのは、たまたまどこかで接点があるという程度ではなく人生そのものであるし、だから最寄り駅の駅員さんを「自分の駅員」だと言うことはなくても、自分の家族は自分の家族なのである。
ではなぜ自分の家族と他人の家族を混同して共感しているのかというと、「身内」というイデオロギー性なのであろうし、それが軍事境界線なのであろう。
有村悠さんがいつもの金欠に入り始めたらしい。印刷代の前借りをしているようである。同人誌でそこそこ利益はあるはずだが、赤字を承知で地方のイベントに遠征したり、川崎から近場の秋葉原でさえワシントンホテルに泊まったり、艦これに100万円を超える課金をしたり、数多の無軌道な奢侈が彼を行き詰まらせたと思われる。

このような不行跡を断ち切るために、強制的に貯金させるという対処療法はあるとしても、その強制力のために後見開始の審判まで行くのは容易ではない。

金銭感覚の話だけではなく、世界認識の在り方が問われている。有村悠さんの金遣いの荒さは、あたかも手足のない人間が電動車椅子であちこちに突撃していくような生き方である。バリアフリーでどこまでも辿り着けるという全能感ではなく、自らの手足で世界を認識し、事理弁識能力を獲得しなければならない。

空間的に別の場所は不可知とも言えるし、未来も不可知ではあるのだが、空間には地図があり、時間についてもだいたい妥当な経験則があり、予想は可能である。世界は決してバリアフリーではないので、空間認識と時間認識をきちんとした上で人生を操舵しなければならない。

われわれの地理認識はかなり拙いものである。さすがに最寄り駅への道や生活圏の土地勘はあるけれども、そこから少し外れたら地図を参照してやり繰りしている。自宅から5キロくらいの近場でも、たまたまほとんど行かない場所があったりするし、そこでは迷う。フランスに行ったことがなくても場所を知ったつもりになっているし、其の程度のかなり端折られたものなのである。決して細密画のような空間認識はしていない。

時間についてもかなり拙いはずであり、そもそも時間は現在しかないので、過去の記憶と未来の想像を直線的に繋いで見当識を生成しているに過ぎない。過去も未来も判然としないものである。それでもやはり、生活に必要であれば、たいていの人はスケジュール通りに回転している世界に合わせて、時間と空間の平仄を合わせ、適切に存在していくのである。時間と空間は幻想のようであるが、人間にとっては絶対的な真実である。時間と空間は絶対的なバリアである。この真実から目を背けてバリアフリーな言動をしていると、人生の破綻が待っている。人生が破綻したらどうしたという話もあるし、どれだけ立身栄達を遂げて勲章をぶら下げようと誰しも荼毘に付されて無に還るのだが、この文脈ではそこまで思考を虚無に這わせる必要はあるまい。人生には計画性が必要である。

東京大学に合格したことがある有村悠さんが、このような障がい者同然の人生を送っているのは憂うべきことである。嘘がバレても平気で活動を続けている連中をネットで散見するわけだが、有村悠さんの破滅的な散財は、そういう後からバレる嘘に似ていて、実は破滅というのではなく、箍が外れた図太い神経に根差した故意であるようにも思える。疫学的に見れば、だいたい母子家庭育ちはこんなものという気もするし、外に女を作って出ていった父親はかなり浪費癖があったようだし、ママンは料理をしない人である。世界認識の弱さと育ちの悪さが相俟って病膏肓に入るという印象だが、いずれこのあたりは自伝小説で綴られるのであろう。
岡目八目という言葉がある。

たとえば昼飯のためにラーメン屋に行ったとする。
すごい行列が出来ていて、その後に用事があるとしたら、ラーメンを断念して、カレーでも何でもいいと思うのが普通だが、本人のこだわりとして、後の用事に差し障りがあってもラーメン屋の行列に並ぶということだってある。
端から見ていたら、ラーメンに固執する合理性がわからないし、カレーでもいいと思うわけである。

この喩えでは、ラーメンとカレーにヒエラルキーがないという前提で話しているわけだ。
これが岡目八目なのである。

「カレーでいいだろ」という岡目八目な意見が誤謬である可能性もある。
好き嫌いがあるからこそ人間なのだと言えるし、ラーメンにこだわるべき合理性があるかもしれないのだ。
第三者が見ると、当人の好き嫌いを無視して「どちらでもいい」とか、「こっちの方が正解だろ」と決めつけてしまうのだが、その合理性に適応できないのが人間でもある。

どうもRoseliaを見ていて懸念されるのは、ギターの姉ちゃんだけ、この歴史的なユニットに価値を感じてなさそうなことである。
ギターの姉ちゃんは、元がトップコート所属のセブーンティーンモデルだが、おそらく身長150センチないと思うので、それが原因で解雇されているはずなのである。
調査したわけではないので想像でしかないが、ごく普通に見てモデルをやる身長ではなかろうと思うだけである。

オジー・オズボーンとセブンティーンモデルのどちらが凄いのかと言ったら、オジー・オズボーンに決まっているのだが、これは好き嫌いの問題でもあるから、本人のこだわりも重要である。
われわれが端から見て岡目八目でとやかく言っても仕方がないのであろう。


Roseliaはブシロードが手がけているバンドリ!というアニメの中のユニットであるが、木谷社長がずいぶん熱心にやっている企画であるらしい。また、声優が実際に演奏することに強いこだわりがあるという。声優のチョイスについては、楽器を演奏できることが最優先であるという。つまりアニメ作品を成功させることはもちろんだが、そこから派生する声優ユニットを本格的にやりたいらしいのだ。声優ユニットはおまけではなく、むしろそちらをやりたいらしいのである。おそらく木谷社長が人選にも関わっている。

バンドリ!自体はアニメとして成功しておらず、スマホのゲームの方はiPhoneだと40位くらいで、これもなんとも言えないのだが、まだまだ諦めている様子はない。

Roseliaのボーカルの姉ちゃんが中元すず香のコスプレをして露骨に喧嘩を売って完全勝利した件についてだが、これはブシロードの木谷社長が了承したはずである。
木谷社長のこだわりが、アニメそのものよりは、そこから派生していく声優ユニットにあることは前述した。
とにかくRoseliaがBABYMETALに勝つことが重要なのである。
楽曲制作をしたのは上松範康だが、アニメと連動したユニットで、作品世界をぶち壊しにしてまで中元に喧嘩を売るなんて、上松範康が独断でやるわけがない。
やはり、上松範康と木谷社長が意気投合して、こういう悪ノリが発生したのであろうし、実際にRoseliaは中元すず香を打ち砕いてみせた。
Roseliaは東京ドームまで行くだろうし、BABYMETALはもう無理っぽいから、勝負は決したのである。

ブシロードの木谷社長が新日本プロレスに金を出して立て直したのはよく知られるが、よほどプロレスが好きなのであろうし、Roseliaのボーカルの姉ちゃんが女子プロレスラーであるのも、木谷社長が人選しているからであろう。
また人生に挫折した経験のあるおばさんを露骨に選んでいるのも、やはり木谷社長の人選であると思われる。
優秀な人間を集めてBABYMETALに勝とうとするのではなく、あえて出来損ないを集めた。
これはプロレス好きの感覚なのであろう。

そもそも作品の中でRoseliaのボーカルが孤高の美少女であるのに、実際の姉ちゃんはオジー・オズボーンの再来というようなロックスターであるから、作品に忠実であるなら人選を間違えているが、しかし本当にBABYMETALを捩じ伏せてみせたのだから、実演の部分にこだわりを持った木谷社長の狙いは当たったといえる。
木谷高明は雇われ社長ではないので、ブシロードとしてやりたいと思ったら何でもできるのである。
これまでの音楽業界で、BABYMETALを仮想敵にするユニットが登場しなかったのも、本当の無一文や無能では出来ないし、能力や資金がある大企業の雇われ社長にそんな馬鹿は出来ないということもあった。
たまたまブシロードはそれができる立場なのである。
このバンドリという企画が今ひとつであることを考えると、もう作品どうこうではなく、Roseliaという歴史的なユニットを全力で売り出していくと思われる、もしくはバンドリという作品を立て直すなら、実在するRoseliaに活躍してもらうしかないであろう。

中元すず香は広告代理店を集めて話し合っているのかもしれないが、ブシロードは広告を出しまくることでウザいとよく言われるから、広告代理店も攻撃できない。
アミューズ全体としては、ブシロードより広告を出しているかもしれないが、(ベビメタが広告を出さないのに、アミューズの他のアーティストの広告出稿量に頼っているのも欺瞞のひとつだが)、何にせよ、広告代理店がブシロードに嫌がらせすることはない。
ともかく音楽的にRoseliaが完全勝利したのは明らかだし、この三年くらい、中元すず香さんはゴミみたいな作品しか提供されてない。
海外人気という間接情報で他人に劣等感を持たせるやり方に我慢の限界という音楽関係者がたくさんいたからこそ、水樹奈々の楽曲制作者に直接対決で打たれたのである。
情報のBABYMETAL、音楽のRoseliaということだが、Roseliaの大傑作を見てしまった後では、この中元というドブスが何をやりたくてこの世に生まれてきたのかとても疑問である。
おそらくわれわれは、尊敬されたいという感情はたいして持ってないのである。
他人から侮辱されたら激しい怒りを抱くが、尊敬されたいという感情はそんなに強くない。
何が言いたいかというと、実は尊敬されたいのではなく、侮辱されたくないから、そのために、尊敬されておくと手っ取り早いというだけなのである。

侮辱されてから怒っても遅いので、われわれは先制攻撃として他人を威嚇したり、偉そうにしたり、あるいは一目置かれるような人間になろうとしている。
尊敬されたいという気持ちもあるだろうけど、侮辱への激しい怒りに比べたら、ささやかなものである。

こうやって考えると、人間の実態がなぜこうなのか、だいたい理解できる。
「侮辱されたくない」と「尊敬されたい」を明確に区別するとしたら、侮辱されたくないのが人間の根源的な欲求であり、尊敬されたいというのは付録である。

侮辱には実害があり、誰かから馬鹿にされると、同調者が次々と現れる。
端的にはいじめというものである。
リンチで死んだり後遺症を負うことだってないとは言えない。
だから、ありもしない幻想を恐れているのではないし、明白な実害を避けたい感情である。

尊敬と侮辱は対概念であるという前提で筆を進めてきたが、これも判然としないし、実はあまり関係がないかもしれないのである。
侮辱への恐怖が巨大な問題であり、尊敬という概念が付け足しのように出てきているだけである。

「怖がられる」のが尊敬されるのとほとんど同じであるのも、そういうことだろう。
侮辱されない状態として同一だからである。
怖がられるなら満足なのである。
キモオタに対して「あいつは怖い」と煽ったりする場合もあるが、山口組や稲川会の組員に対してそんなことは決してやらない。
本気で怖がるのは尊敬である。
ヤクザを怖がるのと天皇を崇拝するのはまったく違うように見えて、畏怖という点では同じである。
なぜ同じなのかというと、ここまで述べてきたように、われわれは侮辱を非常に恐れており、尊敬はさして望んでないからである。
侮辱されない保証があるなら、尊敬されなくてもまったく困らない。
中元すず香は作曲家から見放されたという感じが強い。
室伏広治と同等のフィジカルエリートであるとしても、ただの音痴なので、中元に歌ってほしいという作曲家がいないのである。
水野由結ちゃんは人類全体のローマ法王のような人物であるし、水野由結ちゃんが健在であった頃はキラーチューンだらけだったが、水野由結ちゃんにガムテープが貼られてから、作曲家が一気に手を引いて愚作だらけになっている。

上松範康という天才作曲家が、自らの最高傑作をRoseliaに提供したので、BABYMETALは完全敗北した。
これについては前回のエントリーで長々と書いたから、ここでは筆を省くが、上松範康は水樹奈々の代表曲の多くを手がけているから、カラオケ印税だけで年収何億円もあるわけである。
腐るほど金がある人間なので、「熱色スターマイン」という生涯最高傑作は出し惜しみしていたと思うのである。

・中元すず香のコスプレをする
・中元すず香のストロングポイントであるパワーで喧嘩を売る
・「頂点へ!狂い咲け!」という決め台詞を叫ぶ

こういう馬鹿な企画は、少なからずの人が考えたのであろうが、誰も引き受けないし、実行もされなかった。
空想はしても実行はしない。

空想と現実は似通っているが、やはり本当に実行してしまう人間を見ると、やはり歴然たる違いがある。
普段は区別がつかないが、たとえばオジー・オズボーンやドナルド・トランプのような本当の革命家が現れるときにその違いが分かるのである。

Roseliaが人生に失敗した出来損ないの集まりであるのも、中元に喧嘩を売るという馬鹿な企画は誰もが断るからであろう。
誰もやりたくない企画だから、本当に馬鹿な人間だけが集まったのである。

上松範康という天才が生涯最高傑作を投下してくれるという条件であれば、何千万人も応募者はいただろうが、そんな保証はないのだし、最初のシングルの段階では、上松範康も、彼にとっては朝飯前の楽曲しか出してないから、やはり、これに参加すること自体がすごい馬鹿なので、人生に失敗したおばさんの集まりになったのも納得である。

中元すず香はオジー・オズボーンになれなかったが、Roseliaのボーカルの姉ちゃんはオジー・オズボーンである。
オジー・オズボーンはロックスターの不在を嘆くが、やはり皆さん利口になったのである。
本物の馬鹿がいなくなった。
中元すず香に喧嘩を売ってパワーで対決するという愚行を実行する人間は、これまでまったくいなかったのである。
稀に見るフィジカルエリートではあるが、音痴であるから褒めるのも難しく、腫れ物扱いで、触らぬ神に祟りなしという枠であった。

「熱色スターマイン」は水樹奈々を想定して作曲されたという印象が強いし、この大傑作があれば、紅白に返り咲くことも出来ただろうが、今更そんなことをしてもおもしろくはない。
Roseliaの姉ちゃんが本物の馬鹿であり、オジー・オズボーンだからこそ、上松範康という天才作曲家が、最終大戦の決戦兵器として、水樹奈々ではなく、Roseliaに「熱色スターマイン」を授けたのである。

さて、ここからが本題だが、Roseliaのカップリング曲を作曲している藤永龍太郎は、まねきケチャの楽曲制作者なのである。
「きみわずらい」をはじめとするまねきケチャの楽曲の多くは彼が手がけている。

まねきケチャはずいぶんポテンシャルが高いのだが、権利関係の難しさというか、プロデューサーの古谷完は地下アイドルのおじさんとしてはずいぶんセンスがあるが、上まで行くノウハウは全くない。
まねきケチャにはユニバーサルミュージックも関わっているのだが、今のところユニバーサルが主導権を握れていないから運営が拙い。
ともかく、そのポテンシャルが高いまねきケチャの楽曲をやっている人がRoseliaのカップリング曲をやっているのである。

おそらく藤永龍太郎は、これからキラーチューンを思いついたらまねきケチャではなく、Roseliaの方に提供するであろう。
まねきケチャは松下玲緒奈と藤川千愛のポテンシャルはかなりあるし、プロデューサーの古谷完も面白みがあるのだが、それ以外の大人がクソであるし、ユニバーサルミュージックが主導権を握れる見込みもなさそうなので、そろそろ見捨てられるべき時期であろう。
このまま地下で終わる可能性が強まった。

しかし、まねきケチャが見捨てられるのはわかるが、中元すず香の立ち位置で作曲家から見放されているのは本当に凄いことである。
中元すず香が完全敗北するという事件が突然発生したので、わたしもまだ状況をよく把握してないのだが、一応自分なりに調べたことを継ぎ接ぎしながら書いてみたい。

端的に言えば、BABYMETALのマーケティング戦略が優秀すぎるので、いらだちを抱えている音楽関係者はずいぶんいると思われる。
他のアイドルグループから水野由結ちゃんを泥棒した経緯があるわけだが、その水野由結ちゃんを使って海外の大御所のご機嫌を取る戦略は卑怯だという思いもあるはず。
そのうちのひとりが水樹奈々の楽曲制作者だったわけだ。
なにしろ天才作曲家だからただのやっかみではない。
マーケティングではなく、音楽で正々堂々と戦おうではないか、というだけである。
Roseliaという馬鹿な鉄砲玉と共鳴し、最高傑作を授けた上で、正々堂々と真っ向から勝負して、確実に中元すず香に勝利したのである。
これをアミューズ側が誤魔化そうとしても、今回の歴史的な快挙を支えたのは水樹奈々のチームとも言えるから、業界内でこの評判は伝わっていく。
すでにBABYMETALとRoseliaの立ち位置は変わったと言っても差し支えあるまい。

Roseliaの3rdシングル「熱色スターマイン」を作曲した上松範康は水樹奈々の代表曲をずいぶん手がけており、「DISCOTHEQUE」や「深愛」や「ETERNAL BLAZE」などは彼の手によるものである。
「熱色スターマイン」は、おそらく彼の最高傑作であろうし、なぜ水樹奈々ではなくRoseliaなのかという謎もあるのだが、しかし、馬鹿が命をかけてやっている様子を見れば、こっちに出したくなるのも分かる気がするのである。
通常なら水樹奈々に提供されてしかるべき作品を、わざわざRoseliaに出したわけである。

Roselia運営が「期間限定」という言葉を頻繁に使っていることからして、BABYMETALを仮想敵にしているのは明白だが、中元すず香みたいなフィジカルエリートにパワー勝負するとか馬鹿しか考えない。
中元が室伏クラスのガタイだから女子プロレスラーに戦わせればいいとか、やはり馬鹿しか考えない。
馬鹿が命を賭けているのを見れば、なんとなく共鳴したくなるのが人情であるし、水樹奈々が中元に喧嘩を売るような馬鹿をやるかというと絶対にやらないから、こういう展開になったのであろう。
前後関係はともかく、Roseliaという出来損ないが、打てば大人物として響くすごい馬鹿だから、天才作曲家と共鳴し奇跡が起こったのだ。
「熱色スターマイン」は本当に名曲なので、これをRoseliaに使われてしまった水樹奈々は気の毒だが、やはり現時点ではRoseliaのボーカルの姉ちゃんの方にポテンシャルを感じたのであろう。
水樹奈々は立派な人間であると思うし、若い頃は時代を変えようとする精神もあっただろうが、これだけ長期間活躍してるとお役所仕事になってるだろうし、「熱色スターマイン」を本当に死ぬ気で歌うとも思えない。
天才作曲家が最高傑作を与えるのだから、ステージで死んでくるくらいは最低限必要だが、現在の水樹奈々にそんな馬鹿なことは出来ない。
誰でもよかったのではないし、水樹奈々では駄目だったのだ。
人生のすべてを賭けて中元すず香に真っ向から激突していく馬鹿が必要だったのだし、それは今までまったくいなかったが、Roseliaというすごい馬鹿がたまたま現れたのである。

これはわたしの想像でしかないが、この天才作曲家は以前からこの楽曲を隠していたような気がするのである。
たまたま最近作曲したわけではあるまい。
すでに水樹奈々は功成り名を遂げているし、また37歳という限界もあるし、この最高傑作を保留していたとも思われる。
水樹奈々はあくまでプロデューサーである三嶋章夫との関係で成り立っているのであるし、上松範康は作曲者の一人でしかないというのもある。
代表曲の多くを手がけていると言っても、他の作曲家だっているわけだ。
そこに現れたのがRoseliaという出来損ない集団であった。
水樹奈々を作り出した正真正銘の名工が、生涯最高傑作と言うべき刀をRoseliaに授けたのである。
Roseliaはそれだけ人間の心を揺り動かしたのだ。

Roseliaのひとたちは28歳位までまったく売れてないから、過去の経歴は想像するしかないが、ボーカルの姉ちゃんは、競馬とコスプレが趣味であるそうだし、酒も強そうだから、女子プロレスラーとして活動しながら、昼間から酒を飲んで馬券を買ってるようなうだつの上がらない人生を歩んできたと思われる。
コスプレが趣味であるからには、コスプレイヤーとしても活動していた痛い人間であろう。
中元すず香をイメージしたコスプレがずいぶんサマになっているのは、やらされているのではなく、本人の趣味だからだろう。
わたしは決してRoseliaのボーカルが酒浸りで馬券を買っていた姿を見たわけではないが、ロックスターと言えばアルコール依存が必須であるし、少なくとも馬券は買っていたのだから、ギャンブル中毒などの堕落がイメージされるわけである。

Roseliaのギターは公称で151センチであり、実寸は150センチ未満と思われるが、なぜか10年前までトップコートに在籍していて、セブンティーンの専属モデルでもあった。
18歳あたりでお払い箱になっているのは、身長的に無理ということだったのであろう。
益若つばさみたいに身長が低い有名モデルもいるから、そういうニッチな枠もあると思われるのだが、だいたいのモデルは長身であるし、それで契約解除に至ったと想像される。
それから10年くらい鳴かず飛ばずであった。
ギター演奏は基本的なことしかやってないので、スキルは高くないと思われるが、少なくとも下手ではない。
むしろリズム感とか、そのあたりの演奏力はありそうな気もする。
カート・コバーンも超絶テクニックはないが、ニルヴァーナがどれだけ支持されたかは述べるまでもない。
あるいはジミ・ヘンドリックスは超絶技巧も凄いが、カッティングのリズム感も素晴らしい。
運指を極めてジミ・ヘンドリックスを越えたような人もいるが、マニア受けして終わりになるのは、やはりカッティングを疎かにしているからだと思われる。
ギターは打楽器でもあるから、簡単なコードでも、リズムの取り方の感性の違いはある。
Roseliaのギターは、そのあたりが意外とうまいという印象を受ける。

Roseliaでピアノを担当する明坂聡美さんは非常に頑固な性格であるから、一年に一回くらいは揉め事を起こしており、このわたしとも揉めたことがある。
この人が「レベルE」の役に選ばれた時、「自分から発表したかったのに他人がすでに知ってるのは嫌だ」と暴れていたので、このアスペルガー馬鹿じゃねえかとやっていたら、ずいぶん丁寧なDMをいただいた。
おそらく真面目な人なのであろうし、またピアノは小さい頃からやっていて絶対音感もあるそうだ。
ピアノができるのは恵まれているが、やはり頑固な性格で疎まれているから、疎外されてきた経験もずいぶんあるだろう。

ドラム(櫻川めぐ)についてはよくわからんのだが、やたらと上手いので、本当に叩いているのか疑問に思うくらいである。だが、当て振りという批判が出ないので、本当に演奏しているのであろう。
この人も28歳まで売れない声優であり、なんか改名もしたりしているから、まさに「何度も産声を上げて」ということなのだろう。

ベース(遠藤ゆりか)はまだ23歳だし、まったく売れてないわけでもないが、他の四人は28歳を過ぎてもうだつが上がらない連中であり、いろいろと疎外されてきた経緯もあるが、これこそがロックスターの典型的な人生なのである。
いわば創造的退行というか、底辺から頂点へというロックスターの条件を満たしている。

中元すず香はお膳立てされまくってる人生であり、アミューズと小林啓が何でもセッティングしてくれるから、Perfume程度の成功は収めたと言えても、決してロックスターではない。
実姉も蹴落として、一人勝ちしたのかと思ったら、このタイミングでRoseliaというロックスターに倒されたのだから、まさに奢れる者久しからず、であろう。
そして、これがロックの面白さなのである。

中元すず香には小学生の頃から音楽プロデューサーがついてるのだが、ロックスターの大半は、小学生の頃からプロデューサーなどついてない。
親に安物のギターを買ってもらったというエピソードは多々見られるが、それだけである。
クラッシック音楽だと、家庭環境そのものがクラッシック音楽に染まっている必要があるし、英才教育を受けなければ話にならないが、ロックスターは別枠である。
親に安物のギターを買ってもらうという経験は必要だが、それ以外は「持たざる者」として生きてきたわけである。

中元すず香は天下り役人のようなものだから、Roseliaに敗北したことも無視すればいいのだし、喩えばニルヴァーナに憎悪を剥き出しにされたガンズ・アンド・ローゼズが、それを苦笑いで終わらせたのと同様に、中元すず香もただの苦笑いで終わらせるだろう。
いろんな意味で現在のPerfumeのような具合で続くと思われる。
Perfumeになれれば充分という役人根性だから、本当の頂点に縁がない人間なのである。
Roseliaこそが頂点である。
背後に水樹奈々のチームがいるにせよ、中元すず香に真正面からパワーで喧嘩を売るという馬鹿な行為は誰もできなかったのであり、それをやってのけたRoseliaは英傑と言うしかないのである。
東京五輪で中元すず香が歌うとしても、こうなるとただの音痴であるし、業界内では失笑されるだけである。
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
スポンサードリンク
RSSフィード
プロフィール

ukdata

Author:ukdata
FC2ブログへようこそ!

katja1945uk-jp■yahoo.co.jp http://twitter.com/ukrss
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
アクセスランキング