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わたしは人生への不満という概念そのものに関心がなくなったのだが、なぜかこのコロナ禍において、そういう不満を募らせている有象無象に憂いている。彼らの往生際の悪さに負い目を感じてしまう。わたし自体は人生になんの未練もないので、たとえば今から水野由結ちゃんが添い寝してくれたとしても、わたしの人生には何ら影響がない。そのようなことがあったとしても、それは水野由結ちゃんの偉大さに寄生しただけであり、決してわたしが何かを成し遂げたわけではないからである。このところそのような分別がつくようになった。自らが成し得なかった事実は甘んじて受け入れるべきである。それがそんなに難しいとは思えないが、世の中の少なからずの人は、欠落を埋めるべく他人にしがみつき、お相伴に与ろうとするのである。わたしが人間にうんざりしているのは、特に何もやってないのに何かを成し遂げたいという輩の存在であるが、なぜこれが憂いになるのかといえば、おそらくわたしのどこかに通底する感覚があるのであろうし、たまたまわたしは悟りを開いているが、この悟りの開き方が不完全であるから、その綻びが他者として登場し、後ろ髪を引くのかもしれない。三島由紀夫がボディビルで肉体を鍛えて太宰治を蔑むとしても、やはり本質的な文弱を克服できてないのであろうし、そもそも太宰治を反面教師とした上でのボディビルであるから、つまり太宰治と比較して筋骨隆々であるという低レベルの自信なので、太宰治の亡霊は付き纏うのである。このコロナ禍において切実な問題は経済苦なのであるが、お金だけでなく、自らが求められていないという精神的な苦悶もあろうし、必要・不要という人間の分別において、今までの人生の中途半端さが突きつけられている。ここにおいて、半端な人間でも構わないとわたしが悟ったとしても、やはりそれは太宰治を横目にしたボディビルのようなものであろうし、まかり間違っても須弥山の頂点に辿り着いたわけではない。このコロナ禍は永遠ではあるまいし、ひとまず来年春あたりにそこそこ落ち着いて、しばらくすれば解決しそうだが、そこで愁眉を開いて生命を回復する人もいれば、不要である実態が明々白々となってしまう人もいる。必要・不要がすべてではあるまいし、極めたのであれば不要でも何かしら価値はあったと言えそうだが、そもそも極めていない人は無残である。いや、中途半端ですみませんと言えるのならそれで済むが、どうも穏やかならぬ人が多そうなので、なぜか苦痛である。プライドだけが高くなってしまった人を今後どう扱えばいいのか悩んでいる。
平凡ではない人にいろいろとラベルを貼る作業をわれわれはするのだが、やや人格障害という概念が廃れてきたようにも思える。たとえば有村悠さんなどは人格障害と説明されてきたが、どう考えても発達障害という説明の方がしっくりとくる。有村悠さんが手首を切って他人を試す行動は境界性人格障害の典型的な行動であるが、やはり発達障害の根深さが本質である。大麻で逮捕された伊勢谷友介などは人格障害者であろうし、東京芸大に合格したという事実はあり、それでも芸術家ではない。東京芸大に合格しただけで芸術家の枠に入るのかという問題である。人格障害者は知能犯であり、他人を試す。嘘もたくさんつく。それは本物の知性ではないのだが、後でバレてもいいのなら、嘘で他人を騙すのは可能だし、騙されたほうが恥ずかしいというのもあるから、厚顔無恥であれば乗り切れるのである。(伊勢谷友介は経歴詐称ではないが)経歴詐称をする輩がこのようなオーラを放ちながら意外と生き残れるのも、やはり騙された人が恥ずかしくて黙っているからであろう。騙す方は恥ずかしくなくて騙される方は恥ずかしいというのが、人格障害の倒錯した世界である。世間の多くの人は、後でバレる嘘はつかないという常識があるので、人格障害者の餌食になる。この観点から言うと、人格障害の濃淡は、伊勢谷友介には濃くて、有村悠さんは薄い。有村悠さんも虚言癖はあるが、有村悠さんに騙されて恥をかいたという人はそんなにいないと思う。ただの見栄っ張りな田舎者と評したほうがよさそうである。
2020.09.08

好感度

芸能人に対して「あいつに本当に好感度があるのか」という批判をよく目にする。そもそも好感度というのは実態がないから虚名の最たるものであり、あるといえばあるし、ないといえばないのである。CMに出ると高いギャラが貰えるという構造的な問題があり、また出演の条件となる好感度は、本当にファンがたくさんいるというのではなく、イメージがよさそうという空疎な印象だけである。昭和の頃であれば、商品名を連呼する宣伝CMもたくさんあったのだが、最近はお目にかかれないし、企業イメージとタレントイメージをリンクさせてブランドイメージを高めるだけである。会ったこともないタレントについて知るわけがないし、あるいは日頃から会っている知人の実態でさえもよく知らなかったりする。これは人間の世界認識の限界であり、わずかな点のような体験を線で繋げており、そのいびつで貧しい網目の欠落を薄っぺらい知識で埋めて、フランスに行ったことがなくてもフランスのことを知っているような、漠たる世界像を生きている。社会的人間として表面だけ卒なくやれているなら、そこが大事というのもあるし、裏表うんたらよりも、表面こそが肝要ということもあるが、とはいえ、生々しいスキャンダルが出てくるとなると、過去に遡及してすべてが欺瞞となる。私生活まで問うつもりがなくても、知ってしまえば別の話であるし好奇の目で見ることになる。CMという贋造が禁止されないのは、広告宣伝費に依存して生活している人がたくさんいるからであろうし、文化人という寄生虫もそうだが、人間の形をした包装紙だけがヒラヒラと遊弋している。広告の出稿がマスコミへの口止め料であるという問題もあり、大手メディアと論壇同友会にさして径庭はあるまい。ちなみに広告宣伝費というのは商品の価格に上乗せされるのだから、どっちみち消費者が遠回りで負担しており、であるならば、無料の情報など求めずに、メディアのコンテンツそのものに課金した方が手っ取り早いという話もあるが、無料という惹句は世界中で遍く繁茂しており、このところようやくサブスクリプションも定着しつつあるが、広告宣伝費が巨大勢力であることに変わりはない。われわれは世界を多面的に知った上で世界内存在を生きているのではなく、知らないことだらけなのだから、そんなものである。
やはりコロナウィルスで自尊心が低下している人が多いのだと思うが、弁護士ドットコムの跳梁跋扈があり、尊厳の拠り所を求めて訴訟を起こす輩がおり、障らぬ神に祟りなしということなのだが、なぜかこういう神様を崇拝する匿名アカウントがわらわらと現れるのである。こういうボウフラの群れが工作とも思えないし、阿諛追従なのであろう。このようにして手にした尊厳には何の価値もない。弁護士ドットコムに支援されるのは恥ずかしいことであるし、また、これに群がってしまう正義くんの見識の低さについては、呆れることすら厭わしい。知能指数100未満に何を言っても仕方あるまい。尊厳を求める運動が支持されるのは、木村花の自殺がトリガーになっているのだが、コロナウィルスで活動が停止に追い込まれていなければ絶対に自殺はしてないし、本当に彼女の自尊心を傷つけたのはネットの中傷だったのか、という話である。あるいは、自尊心が傷つくたびに自殺するのもやはりコロナウィルスによって、人間の力への意志が削がれているからであり、鬱々としているしかない日々が続いていることが原因である。名誉毀損で誰かを訴えると称賛される奇妙な構図はコロナが明けるまでは消えないであろうし、そして、称賛とはいいつつも、要は、刑場に群がって拍手喝采する愚民に褒められているわけで、その拍手で満たされる自尊心の低劣さは言語に絶する。ジョージフロイドも木村花もコロナ禍の徒花として、後になれば、その荒唐無稽さに眉をひそめて嘆息するしかないであろう。銃撃しあっているアメリカに比べたら、名誉毀損の裁判に明け暮れている日本人の方が血は流れないのかもしれないが、なんにせよ、いくらそんなことをやっても自尊心の低下は恢復しない、というより、恢復してもおかしいのである。永遠にコロナがあるわけではないので、われわれはこの重力の魔に甘んじつつ、この拘束具が外れて娑婆に出た後の活動に向けて準備するだけである。路上で暴れたりネット上の名誉毀損問題で暴れても、それは痒いところを掻き毟っているだけであり、傷が化膿するだけである。痒いのは我慢しつつ勉強でもしたらどうか、ということである。
安倍晋三の辞任への同情や、病気を揶揄した石垣のりこ議員への猛反発などを見るに、まず敗者を贔屓する日本人独特のメンタリティーがあり、そこまで踏まえて発言したのかということであるし、言論の自由があるのだから、そのようなヤワな感傷を唾棄すべく、抹香を鷲掴みにして位牌に投げつける覚悟があったのであればよいが、石垣のりこ議員は逆風に抗ってまで言論で戦う気はなかったのであろうし、その中途半端さは褒められたものではない。さて、それはそれとして、このような同情を作り出しているヤフコメというものであるが、この仕組みを見ると、賛成すれば赤、反対なら青をポチって、賛成をポチポチされたコメントが上位を占拠するのである。つまり、賛否両論のように見えて、実は翼賛会的な仕組みである。赤ポチが九割くらいついているコメントがあったら、それはネット世論を代表するコメントなのである。そもそも安倍は国会議員は続けるのであるし、コロナウィルスがなく東京五輪が開催されていれば、バラマキ仲間と晴れがましい日々を過ごしていたに違いない。病魔に倒れたというよりは、戦時のストレスには耐えられないというだけの話であり、病気で気の毒という論調には首を傾げるしかない。コロナがなく東京五輪が開催されていれば病気になってないという観点から見ると、安倍晋三の病気を揶揄するのは必ずしも失言とは言えないし、戦時でメッキが剥がれただけなのである。ともかく、ヤフコメは異論を封殺する機能があり、そして、上位に上り詰めたコメントの刃は著名人の喉元に突きつけられるのだが、そのようなネット世論に抗して論陣を張れる人がいない。喉元の切られ方というのが、いわゆるテロルではなく、スポンサーへの電話攻撃による降板だったりするし、謝ったほうが無難というのもあろう。なんにせよ、今は感動ポルノに滂沱の涙を流している愚集で埋め尽くされているが、一段落すれば、今度は安倍晋三を唾棄する流れになる可能性も高い。そうなると、今度は安倍晋三は議員辞職しろということでヤフコメの上位が埋まるのである。これはそういう仕組みなのだと思っておくしかあるまい。
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