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2020.11.26
一橋のゲイこそ許されない
一橋のゲイは無事に最高裁で敗訴してくれたようだ。其の一方で「アウティングは許されない」という一般論としての見解を最高裁から得て、遺族側が勝利宣言している。そもそも自殺したゲイが「加害者」に告白して執拗に迫っていたというのが、ほとんど記事には書かれていない。ゲイからストーカーされて、やむなく「ごめん」として暴露したわけである。このあたりの経緯は記事のコメント欄などで辛うじて補われているが、昨今ではこの検閲も厳しいので、大本営の記事にわれわれが加筆するのも十分ではない。この事件に継続的な関心のある人はゲイのストーカー行為を知っているが、たまたま記事本文だけを見ると、この「加害者」は「被害者」がゲイであるという秘密をたまたま入手して、それを暴露して自殺に追い込んだという誤解も発生する。肝心なところを報道しないことについて、大きな違和感を持つしかない。訴訟リスクが高い物件なので、触れたくないのであろうが、わたしとしてはこのゲイに対して強い怒りを覚えている。そもそも、この自殺したゲイだが、おそらく常習犯であろうし、ノンケに告白しては「自分がゲイである最高機密」を共有させるのは今回だけではあるまい。自分を悲劇の主人公として考え、その重荷を誰かに背負わせているのである。アウティングで思わぬ自殺をしたというよりは、普段から自殺の一歩手前にいるのである。性の煩悶による自殺という古典的な問題でもあるのだが、他人に罪を着せようという境界性人格障害的な行動に強い嫌悪を覚える。この手の輩は通常であれば自殺未遂を繰り返しながら、なかなか既遂には至らず、特定の相手にタゲるわけである。性欲のターゲットを特定の一人に絞って「他にいない」という態度を取るのがどれだけ重荷であるかという話であるし、これで最高裁まで争うのだから、逆差別的な人権認識の強い悪党なのだろう。見捨てられ不安を他人の喉元に突きつけ、とうとう見捨てられたというだけであり、もし仮に自殺せずに生きていたとしても、自殺を仄めかしては他人にタゲる繰り返しだったであろう。自殺志願者の背中を押す役割になりたくないから、たいていの人はうやむやにして逃げるだけであるが、この「加害者」はやむなくトドメを刺したわけである。境界性人格障害者にトドメを刺すべきという話ではないが、この手の輩は同じことを繰り返して、いずれどこかで自殺する、あるいはチンコが勃たなくなる年齢まで生き延びれば自殺しないのかもしれないが、こういう性欲魔人にタゲられた人間の身になってほしい。そもそもこの手の人間は自殺しなければ他殺もありうるのである。今回は「被害者」が自殺したが、「加害者」が殺される可能性だってあったと思う。人間誰しも性器を勃起させながら生きているのであろうが、特定の相手にタゲるのは強姦魔の一歩手前の状態であり、自らの性的煩悶をターゲットに押し付ける態度は卑劣極まりない。今回は当てつけの自殺として幕を閉じたが、こうやって自殺する人間は殺人者になる可能性もあることは強く指摘しておきたいし、自殺か他殺かという歪んだ世界観を生きているのである。マイノリティは人権として貴族であるという発想があり、それをこの自殺したゲイの家族は強く共有しているのである。このような人権貴族を打ち倒すべく、トランプが台頭したのだが、残念なことに郵便投票で敗北してしまったので、これから性的マイノリティの跋扈が再開されるであろう。人権が万人のためではなくマイノリティの特権であるという主張がこれから声高に繰り返される。そしてそれに歯向かえば検閲に逢着するであろうが、われわれは戦い続けなければならない。すでに述べたように「自殺か他殺か」という不穏な人物というのが実態であり、ゲイであろうがなかろうが、死を考えて特定の相手にしがみつくこと自体が許しがたいのである。ゲイだから許されないのではなく、ゲイであっても許されない。理由に関わらず、死を考えて溺れつつ、性器を勃起させて誰かにしがみつくのは許されない。
2020.11.23
中年男性の若者感
年齢相応ではない中年男性というのがいるわけだ。卑近な事例として有村悠さんが思い浮かぶが、有村悠さん(41歳)の話がしたいわけではない。41歳だと痛々しいにせよ、若作りも可能な年齢である。もはやそれどころではなく、50歳代までいったひとの話である。これくらいになっても、まだ年齢不詳な人がいるわけである。50歳代で年齢相応というのは外見的に醜いものであるが、その醜さは避けられないものであり、そうそう美しく年輪を重ねられるものではない。50歳代の男性が美しかったら、其の方がおかしいのである。その不可避である老醜を避けるために年齢不詳なタイプになってしまうのは、別の意味の薄気味悪さがある。こちらとしても接し方が難しい存在となってしまう。年齢が50歳代であれば、いかにもおっさんという方が接しやすい。「成熟していない」という言い方もできるが、年齢と比例して立派な人間になるというのは虚妄であるし、結局は衰える醜さを受け入れられるかどうか、なのであろう。あるいは、若者感が強い人は独特のプライドの高さがあり、威張っているおっさんとは別の種類の厄介さがある。典型的なのは引き篭もりのまま高齢になった人間ということになるが、ここでわたしが念頭に置いているのは社会人であるにも関わらず年齢不詳な連中であり、たとえばユニクロの柳井正なども、若者感が強くて厄介なタイプである。柳井正は71歳だが、なんかずっと昔から三十歳くらいのイメージである。ユニクロはコロナ禍でも好調であるし、柳井正本人も大富豪であるから、人生に失敗する条件というわけでもない。柳井正が財界の大物みたいなキャラクターになればいいというわけでもないが、なんとなく年齢不詳というオーラがあり、もちろん大富豪だから危険人物とは違うが、なぜか不穏な人間というイメージがある。孫正義みたいにハゲ散らかしたオッサンは立派というわけではないのだが、ここでわたしが言いたいのは、若作りするタイプの人独特の不気味さがあるという点であり、いかにもオッサンというオッサンなら素晴らしいという意味ではない。
2020.11.17
赤の他人への父性や母性
人間という生き物は、実の息子や娘に父性や母性を持つとは限らないが、意外と赤の他人には発揮したりする。厄介なタイプのおばさんが、われわれ赤の他人を息子のようにかわいがってくれることがある。他人のお母さんというのは、そういうものであろう。本当に可愛がられているわけではない。猫カフェで猫を可愛がるような仮初めのものである。実の息子となると、わざわざ妊娠出産して育てるのがうんざりというのがあり、また面倒を見るからには期待に沿うてもらおうというエゴも出てくる。また、実の親子だと優劣を競い合うが、赤の他人だと、そういう支配欲や警戒心も外れる。このような構図に気づかないと、赤の他人に可愛がられて本当に可愛がられていると錯覚したりすることもある。あるいは、このあたりを心得ていて、赤の他人におとうさん!おかあさん!と近づいていくのが得意な人もいる。近距離で人生をともにして本当に好ましい相手というのはそう簡単にいるものではない。実親との関係が非常によい親孝行な人というのも存在するのだろうが、それはたまたま近距離で接しても疎ましくない偶然が発生しただけである。ヤクザはやたらと義兄弟みたいな疑似家族を好む。あれは家庭環境が悪いからこそ疑似を発達させるのだと思う。赤の他人と兄弟姉妹になるのはヤクザ特有であるし奇異な印象を受けるが、父性や母性については一般人も変わりない。まったくの赤の他人を息子のように可愛がることは一般人もかなりやるので、人間誰しもヤクザと言える。本当に血がつながっていたら葛藤があるので、赤の他人と戯れるほうがプライドに優しいわけである。あるいは逆に、赤の他人から父親ヅラされて攻撃されることもある。これは「可愛がる」と括弧付きで評されるものであるが、おまえに面倒を見てもらった覚えはないと言いたくなるわけだ。良くも悪くも血縁者だけが家族ではなく、疑似家族的なものをわれわれは発達させており、社会全体が擬似家族たり得ている、と考えるのも可能である。さらに考えると、本当に愛情が父性と母性の本質なのかという疑問も呈されるであろうし、われわれが考えるそういう理想的な父性/母性はせいぜい赤の他人に戯れ事として行われるに過ぎない、と述べることもできる。
2020.11.13
ファッションのない世界。女性の自殺。
10月は普段であれば1500人くらいの自殺者であるのが、今年は2100人だったという。1500人まで自殺者を減らせば万々歳というわけでもあるまいが、ともかく増えており、また女性の比率が高くなっていることが注目される。普段であれば自殺者の7割は男性だが、今は6割になっている
1500人の7割が男性(3割が女性)だと仮定し、2100人の6割が男性(4割が女性)とすると、600人増加のうち、男性は210人、女性は390人ということになる。こういう計算方法が妥当なのか、という問題はあるが、普段との比較ということでいえば、女性の自殺者がずいぶん増えているのは確かである。
当然ながら経済苦というのが最大の理由であろうが、マスクでファッションが成り立たないのが大きいと勝手に考えている。普段から日本人女性はマスクを好むけれど、一日中しているわけではない。マスクを外してお洒落をする時間帯も当然ながらあるわけだ。コロナ禍において延々とマスクとなると、ファッションで自己満足することもできなくなる。どうせマスクだから化粧をしないという話も聞くが、それも精神的に詰む原因であろう。お洒落れはただの自意識過剰であるが、そのような自己暗示の世界に浸って人間は生きており、それが削がれているのはかなりのダメージである。マスクだと表情がよくわからないので、どうしても他人がモノに見えてしまうし、お互いの表情の交換がないから、自分が雑に扱われているという感覚も持ちやすい。捕虜として連行されている気分にもなる。世の中の大半の女は見惚れるような絶佳たる美人ではなく、安っぽい記号としての美人なのである。その美人という記号性を支えているのが、化粧やファッションなのだが、これが封じられていることが、女性の自殺の増加の一因とも思うわけである。だからどうしたというわけではないが、この牢獄から解放されるまで自己肯定感の低い世界をどうやって生きていくのかが問われている。
1500人の7割が男性(3割が女性)だと仮定し、2100人の6割が男性(4割が女性)とすると、600人増加のうち、男性は210人、女性は390人ということになる。こういう計算方法が妥当なのか、という問題はあるが、普段との比較ということでいえば、女性の自殺者がずいぶん増えているのは確かである。
当然ながら経済苦というのが最大の理由であろうが、マスクでファッションが成り立たないのが大きいと勝手に考えている。普段から日本人女性はマスクを好むけれど、一日中しているわけではない。マスクを外してお洒落をする時間帯も当然ながらあるわけだ。コロナ禍において延々とマスクとなると、ファッションで自己満足することもできなくなる。どうせマスクだから化粧をしないという話も聞くが、それも精神的に詰む原因であろう。お洒落れはただの自意識過剰であるが、そのような自己暗示の世界に浸って人間は生きており、それが削がれているのはかなりのダメージである。マスクだと表情がよくわからないので、どうしても他人がモノに見えてしまうし、お互いの表情の交換がないから、自分が雑に扱われているという感覚も持ちやすい。捕虜として連行されている気分にもなる。世の中の大半の女は見惚れるような絶佳たる美人ではなく、安っぽい記号としての美人なのである。その美人という記号性を支えているのが、化粧やファッションなのだが、これが封じられていることが、女性の自殺の増加の一因とも思うわけである。だからどうしたというわけではないが、この牢獄から解放されるまで自己肯定感の低い世界をどうやって生きていくのかが問われている。
2020.11.11
石井紘基議員
猪瀬直樹の「道路の権力」という本を読んでいたらこんな記述があった。
この猪瀬直樹の本は道路公団民営化についての本なのだが、猪瀬直樹がこれに関わっている最中に石井紘基議員の殺害事件が起こったそうである。
特殊法人がファミリー企業を設立して、そこに天下りさせて仕事を割り振る(実際は仕事を右から左に流すだけ)という構図を初めて明らかにしたのが石井紘基議員だったそうである。それ以前は誰もこの問題を知らなかったらしい。
かつて下山事件というのがあり、あれは犯人がわからないが、人員整理をしようとした国鉄総裁が轢死体になったわけである。
役人から利権を奪い取ろうとすれば死者が出るということなのだろう。逆に言うと、世の中は三権分立なので、役人の権限は限られている。司法(裁判官)の数が圧倒的に少ないし、裁判で争う利益がとても小さいから、われわれは役人に逆らわないだけである。司法で白黒つけるコストが高すぎるので、三権分立が存在してないかのような感覚で社会は成り立っているが、役人から権限を剥ぎ取るのはできないことではない。
そうやって追い詰めると最後にやるのは人殺しであり、なぜか下山事件も石井紘基議員の事件も迷宮入りなのである。
石井さんの質問に対し会計検査院は日本道路公団や住宅都市整備公団(のちに都市基盤整備公団)など特殊法人の名と数を列挙した。これらは訊くまでもなくすでに明らかだった。問題はこの先である。特殊法人が出資している株式会社は幾つあるのか。
おそらく石井さん以外にこうした問題意識を抱いた国会議員は皆無だったろう。いや国会議員だけでなく、ジャーナリストもまったく気づいていなかった。特殊法人が出資してつくられた株式会社という存在を。
会計検査院は公的機関を検査対象としている。したがって特殊法人の紐付きであろうと民間企業の装いをこらして保護色のような擬態で市場社会に紛れ込んでしまえば、追跡調査の対象にはならないのである。
この猪瀬直樹の本は道路公団民営化についての本なのだが、猪瀬直樹がこれに関わっている最中に石井紘基議員の殺害事件が起こったそうである。
特殊法人がファミリー企業を設立して、そこに天下りさせて仕事を割り振る(実際は仕事を右から左に流すだけ)という構図を初めて明らかにしたのが石井紘基議員だったそうである。それ以前は誰もこの問題を知らなかったらしい。
かつて下山事件というのがあり、あれは犯人がわからないが、人員整理をしようとした国鉄総裁が轢死体になったわけである。
役人から利権を奪い取ろうとすれば死者が出るということなのだろう。逆に言うと、世の中は三権分立なので、役人の権限は限られている。司法(裁判官)の数が圧倒的に少ないし、裁判で争う利益がとても小さいから、われわれは役人に逆らわないだけである。司法で白黒つけるコストが高すぎるので、三権分立が存在してないかのような感覚で社会は成り立っているが、役人から権限を剥ぎ取るのはできないことではない。
そうやって追い詰めると最後にやるのは人殺しであり、なぜか下山事件も石井紘基議員の事件も迷宮入りなのである。
2020.11.09
簡単すぎて試験に出ない
ひとびとが勉強に躓く理由として、簡単すぎると試験に出ないので、それより難しい問題を出されるというのがある。たとえば漢文などは典型的で、日本人ならなんとなく漢文はわかるはずなのだが、誰でもわかりそうな漢文を出題しても仕方がないので、どうしても感覚的にわからない漢文が試験には出るし、いわば暗号文を解く具合というか、教科書もそうなってしまう。昔の人が漢文をスラスラと書けたりするのは、簡単な漢文から始めていく文化があったからだと思う。漢字がズラズラ並んでいるのは、日本人にとっては暗号ではないし、漠然とわかるはずで、その曖昧でぼやけた理解を鮮明にするために、読みづらい箇所を克服するのが順当である。小学生の段階だと誰でも100点取らせる教育法は普通だが、中学校からそうではなくなるので、落ちこぼれもたくさん発生する。誰でも100点を取れるテストをいつまでもやってるわけにはいかないので、試験は試験として致し方あるまいが、簡単なところに戻って慣らしていくという作業が省かれてしまっている。まったく理解できてなくてもシャンシャン総会のような具合で卒業させているのが実情である。高卒が本当に高校レベルの学問を修了しているのか疑わしい、という話である。なんにせよ、漢文が苦手でまったくわからない、という人は、まずは誤解を解くべきだし、漢文がチンプンカンプンというのは日本人としてはありえないし、やはり難しい箇所が試験に出るからチンプンカンプンなのである。これは文法を軽んじるという意味ではなく、仏教でいうなら機根に合わせた説法というか、まずは簡単なものから馴染んでおいて、それだけでは理解できないものを理屈で解いていくことになるだろう。馴染むだけで漢文はできるという主張ではないし、むしろ馴染んでいるだけでは漠然とした理解、たまたま日本人は漢字を使っているから察しが付くという低い次元で終わってしまうが、その次元にすら至らずに躓いていることが多いと思うので、ここは教育の課題である。いや、できない人は徹底的にできなくて構わないというのもひとつの哲学ではある。知力の平均レベルを上げるのではなく、著しい格差があって然るべき、ということもあろう。だが、漢文については話は別で、ハングルに切り替えて漢字を使わなくなったのなら漢文を読めなくても仕方ないが、漢字を使っているのに漢文が読めないというのは大きな損失である。
2020.11.05
コロナ禍における言論活動
中途半端な感染症が蔓延しているめんどうな世情であり、死亡者だって出るのだから軽々しく扱うわけにもいかず、われわれはコロナ禍において、自らを慎みながら模範囚として生きている。これが永遠に続くのであれば、それに応じた戦いとなるが、来年春にはマシになるかもしれないし、2022年になればなくなると思うので、一時的な病臥に甘んじている。水増しされた郵便投票でトランプが敗北するという事件も起こってしまったが、考えてみるに、ここ数年来「トランプがなんとかしてくれる」とか「水野由結ちゃんがなんとかしてくれる」という他力本願があったと思う。下層の貧民窟で雨露を凌ぐだけのわれわれが、ドナルド・トランプや水野由結ちゃんのような世界史的人物を仰ぎ見るのは自然ではあるが、そのひざまずく姿が物乞いと似ているのも確かである。そろそろ自らの手で世界史に爪痕を残すべき、いや、残せなくてもいいが、端から他人任せというのが望ましいはずはない。現時点で身動きは取れないにしても、コロナ明けに向けて準備をすることはできるし、訪れつつある冬を耐えた上で、来年春を見据えなければならない。ひとびとの自尊心が低下しているので、名誉毀損云々で訴えて金を取りたがる輩がいるが、これはひとまず看過した上で、コロナ明けにまとめて討ち取るしかない。弁護士ドットコムの胡散臭さもいずれ追及しなければならない。自らの自尊心の低下を裁判で回復するのは荒唐無稽である。あるいは弁護士ドットコムに喝采を送るひとびとも、いわゆる正義くんであるが、つまるところ刑罰の愛好者であり、暴力好きとさほど変わらない。自ら暴力を振るう人間と、裁判による刑罰を愉しむ人間を同一視はできないが、気脈は通じているのである。他人を殴ってスッキリする感情と似たものを味わっているのだし、それこそそのカタルシスの心理は同じとさえ言える。われわれはほんとうの意味で自己を回復しなければならない。今すぐに回復しようとすると、弁護士ドットコムと組んで訴訟を起こす形になってしまう人もいるだろうが、悪銭身につかずである。現時点でこれを強く難ずることは控えるが、わたしはこいつらを決して許さない。