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2021.05.30
名誉職。加齢で立派な人間になるというファンタジー。
われわれはファンタジーなくしては生きていけない。年を取ることで立派な人間になるというのもそのひとつである。だいたい40歳、50歳、60歳、70歳となるにつれて肉体も精神も腐敗し使い物にならなくなるのは当たり前だが、それを認めたくないので、年齢に比例して立派になるという虚偽に縋るのであり、それを体現するのが名誉職である。加齢して使えなくなった人間が名目上の高い地位に就くわけである。東京五輪が差し迫ってくるにつれて、この能無しのお歴々の重さが耐え難くなってくるが、われわれが普段は黙過している褥瘡が膿んで腫れ上がりツケとして回ってきた。世界中に森喜朗のような人がたくさんいて、それが群れをなして東京五輪に集結するのである。こいつらは必要ないのだが、しかし、名誉職というのは人類から取り外せないようである。われわれは赤ん坊としてこの世に生まれてきて、大人に面倒を見てもらうしかなく、もちろん実親頼みであるから、実親以外の大人は石ころとも言えるが、実はそうではなく、集団安全保障のように、実親と子どもの関係はあるのである。面倒を見るのは実親だとしても、それは個人的な契約ではなく、社会として集団的に縛っているのである。なにかしら年長者への負い目を負わされており、あるいは年長者としても後進を育成する義務を課せられるのかもしれないが、これは権利の側面も強く、この人間的な宿痾に伴って名誉職という虚妄が立ち現れる。年長者は偉い人であるというファンタジーのために支払うコストは少なくない。今回の東京五輪は空疎な旦那衆にお金を巻き上げられ、なおかつ疫病を広められるのであるから、被害は天井知らずである。われわれが無力な赤子としてこの世に産み落とされる原始的不安の問題から、偉い大人の象徴が必要なのかもしれないが、結局は役人の天下りのたぐいが増えているだけなので、名誉職に就いている老人が本当に立派な人間なのか問わねばならない。おそらくこれは日本だけの問題ではないし、世界中に名誉職が溢れているからこそ、五輪貴族を入国阻止できない見通しなのだが、名誉職が子どもを養ってくれるわけではないので、ファンタジーも大概にしたいものである。名誉職の仮面を剥ぎ取ることで、われわれ人類のみすぼらしい素顔が晒されるのであれば仕方があるまい。昔と違って平均寿命も伸びており、高齢者は邪魔になっているのだが、コロナのついでにたくさん死んでもらうわけにはいかなかった。さすがに死なせるわけにはいかないのであろうが、歳を取ると立派な人間になるというファンタジーは唾棄せねばならない。
2021.05.28
目標達成へ確信歩きする若さ
小室圭さんについてはあまりよく知らないのだが、これからアメリカの司法試験を受けるそうである。日本より難易度は低いそうだから、受かると予想されているが、それにしても、彼の確信歩きが興味深い。念の為、皇室のコネとかいう話ではない。目標が達成されるのを当然の前提として生きているのは若さの特徴であり、そこが興味深いと思っている。そして、そのまま達成することもあれば、挫折することもある。小室圭さんは今の所、達成を確信している状態であり、この態度はおかしいと言えばおかしいが、意外とよく見かけるものである。合格してもいないのに合格を確信しながら人生を送り、その結果として合格できなかったらどうするのか、という疑問もあるし、日本の法科大学院とかそういう人を大量に生み出しているはずである。目標に向かって確信歩きをして平凡な外野フライだったということが起こりうるのである。あるいは、確信歩きのまま本塁打になったとして、一個人としては成功と言えるが、失敗する人がいてこその話である。誰でも本塁打を打てるなら本塁打に価値はないし、やはり確信歩きが外野フライで終わることは多々あるに違いない。小室圭さんがまだ試験に受かっていないのに確信歩きをして支離滅裂な主張をする状態に陥っているのは、小室圭さんの異常性というよりは、資格試験が持っているいびつさなのかもしれない。弁護士は双方代理が基本的に禁じられているので、どうしても一方的な意見を持つことになる。本職の弁護士も支離滅裂な文章を書くのが常であるし、これは弁護士という資格の権威によって、そういう怪文書が脅迫として機能しているのである。原告/被告の関係からすると一勝一敗のペースであり、半分は負けるので、決して正しくはないはずなのだが、お互いにビンボールを投げあう職種である。もし小室圭さんが不合格なら、それはそれで資格試験のひとつの側面であるし、合格して意気揚々とするのも、またひとつの側面である。
2021.05.25
赤字とは何か?
東京五輪を巡って殺伐とした昨今であるが、赤字は赤字で致し方ない。地方の公共事業だってそうではないか。たとえば100万円の費用を掛けたプロジェクトとして何かを作ったが、誰も買ってくれず赤字になったとする。これは100万円の損失である。それに対して、過失で100万円の札束を燃やしてしまった場合はどうか。これも一応は損失であり、その点ではイコールだ。しかし、何かしら違いはありそうである。100万円のプロジェクトで費用を使ったのであれば、従業員の給与になったのかもしれないし、あるいは、どこかの誰かの所得になったかもしれない。100万円を燃やしてしまった場合とは話が違うであろう。東京五輪の損失にしても、たぶんどこかの誰かの所得にはなるわけである。100万円を燃やしたのとは違って、どこかの誰かの所得にはなっているわけだ。IOCに巨額賠償となると、さすがに人類愛の次元になるので、それはまた別の話だが(巨額賠償を払っても中止するべきだとは思うが)、なんにせよ、日本人の中で還流するのであれば甘受するしかない。それがたとえ電通の中抜きであっても、電通マンが浪費すれば経済の回転には貢献するかもしれない。電通マンは日本人とは限らないし、むしろそうではないかもしれないが、日本国内で浪費するなら消費税は払うしかないし回収はしうる。狭い視点から見ると、電通にお金をやるくらいなら燃やしたほうがマシとも思えるが、実際は電通の懐が潤うことでどこかに循環されることもあるだろう。国家という視点から見ると、赤字はまったくのマイナスとは言い切れない。どっちみち誰かの懐に入るから赤字でも構わないというわけではないし、いわばカーストの固定であるから、特権階級への垂れ流しは腐敗国家の典型でもある。底辺へのおこぼれは底辺労働だけであり、そこに発展はない。だが、今更時間を元には戻せないので、国家として完全に無駄な赤字ではないという側面も見ておく必要がある。その上でこれ以上の腐敗を食い止めるために特権階級は破壊しなければならない。カースト上位の連中が中抜きしているだけだと、空洞の国家である。もはや日本は旧先進国として、空疎な社会になっているのかもしれないし、手遅れでもあろうが、われわれはまだ生きているので手を尽くさなければならない。
2021.05.15
大阪での死亡者数
大阪での死亡者数が間違いという変な話がある。
ヤフーニュースでヤフーオーサーの弁護士がこんなことを書いているが、これは勘違い、もしくは日本語の能力が低いか、あるいはあえて誤読させる意図の文章である。
https://news.yahoo.co.jp/articles/aa456db15375a8a7860bd5d7d52cd3271691edd8

では、誤読させずにきちんと書くとすれば、こんな具合になるだろう。
たとえば5月6日に何人死んだのかについては、
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/23711/00376069/0507.pdf
5月7日発表分 16人
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/23711/00376069/0508.pdf
5月8日発表分 6人
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/23711/00376069/0509.pdf
5月9日発表分 2人
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/23711/00376069/0511.pdf
5月11日発表分 3人
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/23711/00376069/0512.pdf
5月12日発表分 4人
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/23711/00376069/0513.pdf
5月13日発表分 2人
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/23711/00376069/0514.pdf
5月14日発表分 1人
とりあえず合計で34人だと思われる。
あるいは、さらに遅れて発表されるものもあるかもしれないが、それだけの話である。
つまり5月6日に死亡した人の数というのは、5月7日時点では確定していないだけのことである。
同じように5月10日に何人が死んだのかというと、これは5月11日以降の発表を集計する必要がある。
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/23711/00376069/0511.pdf
5月11日発表分 15人
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/23711/00376069/0512.pdf
5月12日発表分 7人
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/23711/00376069/0513.pdf
5月13日発表分 2人
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/23711/00376069/0514.pdf
5月14日発表分 2人
とりあえず合計で26人。
あるいは、これよりあとに追加があるかもしれない。
つまり、マスコミで報道されている数字は、目安としては間違いではない。
人数が水増しされているわけではなく、あくまで死亡について確認するのに時間がかかっているだけである。
5月の前半で言えば、だいたい一日に30人程度死んでいるのである。
ヤフーニュースでヤフーオーサーの弁護士がこんなことを書いているが、これは勘違い、もしくは日本語の能力が低いか、あるいはあえて誤読させる意図の文章である。
https://news.yahoo.co.jp/articles/aa456db15375a8a7860bd5d7d52cd3271691edd8

では、誤読させずにきちんと書くとすれば、こんな具合になるだろう。
たとえば5月6日に何人死んだのかについては、
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/23711/00376069/0507.pdf
5月7日発表分 16人
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/23711/00376069/0508.pdf
5月8日発表分 6人
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/23711/00376069/0509.pdf
5月9日発表分 2人
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/23711/00376069/0511.pdf
5月11日発表分 3人
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/23711/00376069/0512.pdf
5月12日発表分 4人
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/23711/00376069/0513.pdf
5月13日発表分 2人
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/23711/00376069/0514.pdf
5月14日発表分 1人
とりあえず合計で34人だと思われる。
あるいは、さらに遅れて発表されるものもあるかもしれないが、それだけの話である。
つまり5月6日に死亡した人の数というのは、5月7日時点では確定していないだけのことである。
同じように5月10日に何人が死んだのかというと、これは5月11日以降の発表を集計する必要がある。
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/23711/00376069/0511.pdf
5月11日発表分 15人
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/23711/00376069/0512.pdf
5月12日発表分 7人
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/23711/00376069/0513.pdf
5月13日発表分 2人
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/23711/00376069/0514.pdf
5月14日発表分 2人
とりあえず合計で26人。
あるいは、これよりあとに追加があるかもしれない。
つまり、マスコミで報道されている数字は、目安としては間違いではない。
人数が水増しされているわけではなく、あくまで死亡について確認するのに時間がかかっているだけである。
5月の前半で言えば、だいたい一日に30人程度死んでいるのである。
2021.05.09
池江瑠璃子と宇都宮けんじ。その党派性。
さて、最近は「中傷された」と申し立てる著名人がたくさんいるわけである。活動がままならず、それでいて野次だけは飛んでくる苦界であるから、経済的な不安も合わせて心労は察するに余りあるが、悪疫に侵食された地球上では有名であれ無名であれ誰もが困難に陥りうる。防疫という観点から、ウィルスが国境を超えてブレンドされることは避けねばならない。池江瑠璃子に抗議しても仕方がないというのは正論極まりないが、ここに一抹の党派性を見て取ることもできる。共産党の宇都宮けんじが署名運動を始めたから、いわば推進派のマドンナである池江瑠璃子が、反対運動の悪質性を訴える立ち位置になったのである。オリンピックが大企業のスポンサーマネーで成り立っていることを考えると、党派性が背景にあるのは当然である。自民党と大企業の結びつきについては言うまでもない。党派的だから党派的なのだ。大企業も本当はオリンピックのスポンサーを降りたいのであろうが、今更降りられないのである。そもそも大企業も本当は広告など出したくないのだし、口止め料のバラマキである。これからコカ・コーラやトヨタ自動車に鉾先を向けるしかないが、その役割にふさわしいのはやはり日本共産党である。開催の可否について、池江瑠璃子が埒外であるのは論を俟たないが、スポンサーからの需要が極めて高い象徴的な存在であることに間違いはない。その商品価値が無に帰することが不安なのか、あるいは悲劇のヒロインとしての立ち位置だけでも確保しようということなのか、トリックスターとして舞台に上がってきたのである。狂言とまでは言うまいし、中傷被害も実際にあるだろうが、あえてそれを声高に言い立てるような苦境に追い込まれているのである。つまるところポジショントークである。われわれはアスリートに同情している場合ではない。スポーツ大会だから駄目というのではなく、世界中から人を集めるイベントが悪なのであり、これを食い止めるために万策を尽くさなければならない。まずは国境を封鎖し、その上で最低限の経済を維持していくしかないのである。このような原理原則の確認が揺らいでいるから、なぜか劇場は許されて映画館が封鎖されるという奇妙な状態になっている。映画館であれば、出演者がその場にいるわけではないので安全だと思われるが、ライブ感がないからこそ規制しやすいのであろう。空港での検疫が甘いのもオリンピック関係者の入国を見据えてのことである。オリンピックのために物事の理非が歪んでいる。大企業と自民党の結びつきが腐敗の背景にあるとすれば、ここで日本共産党が出てくるのは必然的であり、党派性は避けられないが、ではどの党を支持するべきかと言えば日本共産党となる。東京五輪のスポンサーをするというのは、論壇同友会の機関誌を買うのとなんら径庭がない。最終的にはコカ・コーラとトヨタ自動車に決断してもらう必要があるし、ここまでの罪過の重さも問わねばならない。
2021.05.07
天賦人権の価値。NBAでダンクができる価値。
わたしはNBAに興味はないのだが、なんとなくYouTubeで八村塁のダイジェスト映像は見ていて、数日前は一試合で五回のダンクを決めるという大活躍だった。なぜこれが日本のメディアで取り上げられないのか、と不思議に思っていたら、八村塁の弟さんが、差別云々の投稿で話題になった。そして八村塁は体調不良になった。ダンクを5回も決めて疲れたのかもしれないが、人権問題で心労が溜まったのかもしれない。人間は誰しも天賦人権を持っており平等の価値があるが、しかしNBAの試合で一日5回のダンクができる人間が平等性を訴えるのは意味がわからない。というより、弟さんが訴えたのでやむなく同調したのであろう。スーパースターの弟さんというのも大変な立場である。兄弟間格差で鬱になったと決めつけるのも失敬な話ではあるが、人の内面など知る由もないからこそ、あえてわたしは通俗的にそう解した。一試合で五回のダンクができる人と、そうでない人という格差があり、それを埋めるには天賦人権に訴えるしかなかった。ひとびとはコロナ禍において蟄居生活を強いられており、活動そのものに制約があるので被害者意識が強まっている。多くの人が腐りながら生きている。ひとびとの思考が後ろ向きになるのも悪疫のせいであるから、早く元の世界に戻りたいものである。元の世界が素晴らしかったわけではないが、スマホをいじっているよりはダンクを決めたほうがいい。元の世界に戻ればダンクを決められるという話ではなく、むしろまったくそうではないのだが、格差が明白になるのは、それはそれで仕方がないことである。