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2022.04.27
感情の同一性
われわれは、自分と他人が同一の感情を持っているという前提で生きている。喜び/悲しみという場合、同じ喜び、同じ悲しみがあることを前提としており、そこに共感する想像力が、社会の共同性の礎である。本当に同じ喜びか、本当に同じ悲しみか、他人の脳味噌の中身はブラックボックスなので確認できないのだが、そう信じている。「怒り」や「恐怖」や「不安」のようにわかりやすいものだけでなく、「気まずい」「恥ずかしい」という微妙な感じも文化の差はあれ、人類共通ではあろう。やたらと図太い人間がいて驚くこともあるが、それはそれで個人差である。われわれ人類は同じように、「後悔」したり、「期待/落胆」したり、「感謝/恨み」を持ったり、何かを「尊い/卑しい」と思ったり、「夢中」になったり「飽きた」とか、そういう人生である。そして、同じ三次元空間の中に人間がひしめき合っている。そこで感情はぶつかり合う。たとえば「嫉妬」という場合、地球人類誰しも同じ嫉妬なのであろう。他人を羨んだり妬んだりする感情は人類共通だから理解できる。「美味しい/まずい」という味覚はそれなりに一致しているはずだし、だからこそ美味いものを食うために争う。腐臭漂う残飯を食べてうまいうまいという人がたくさんいれば争いも起きないだろう。「美人・不美人」の絶対的な基準があるわけではないが、それなりに判断は一致しており、美人にこだわるからこそ競い合う。豪邸に美人と住んでいれば羨ましがられ妬みの対象になる。同一の欲望を持つがゆえの問題である。では「愛国心」はどうかというとこれも人類共通であろう。愛国心は国民国家が誕生した近代以降の産物という意見もあるだろうし、ひとびとの頭の中に思い浮かぶ愛国心の輪郭は、細かい描線まで寸分違わず重なり合うわけではあるまいが、愛国心を民族主義にまで広げれば、たぶん同じであろう。われわれは断じて地球市民にはなれず、民族というアイデンティティだけは譲れないらしい。普段から徒党を組んで戦うのが人類であるし、味方チームと敵チームといえばいいのか、そういうことでもある。われわれ根無し草は根無し草ゆえにルーツを求めており、どうしても「地球市民」ではルーツにならず、民族や国家になるであろう。同じ人種だから仲良しかというととんでもないが、外敵が攻めてくれば一致団結するのも確かである。地球人類は誰しも同じような感情の仕組みを持っているが、人種が違うとごく僅かに感覚の誤差があり、その違和感が名状しがたいところまで膨れ上がることもある。とはいえ、すでに述べたように、本当に違っていれば競合しないと思うし、同一の欲望を持っているからこそ、内輪揉めするのが基本である。
2022.04.22
木村花さんにうんざり
木村花さんの死は、人間が生きていく苦悩という実存的な課題から遠く離れており、物事の真実ではなく、法的に勝てるかどうかの話になっている。厳罰化を主張しておけば安全という人々の無責任さと相俟って、反知性主義が猖獗を極めている。知性ある人間は刑罰について吝嗇でなければならない。あまりにも阿呆が多いので仕方ないのだろうが、茫漠たる世情である。木村花さんが死んだのは、コロナでプロレス興行が中止に追い込まれたからであるが、これだと誰にも責任を問えない。であるから、誹謗中傷のせいで死んだとしたいのである。これで木村花さんの御遺族が儲かるわけではないと思うし、世論を動かすこと自体に酔ってるのかもしれないが、他罰的思考の見苦しさである。コロナは天災だから罪を問えないので、どうしても人災に話を擦り替えなくてはならないらしい。人生が苦しくて死んでしまいたいという実存的苦悩が等閑に附され、見当違いの勝利を目指した戦いが行われている。またこの件で正義ぶっている連中も、もはや義務感であろう。怒りを示さないと、正当化したことになるとやらで、とりあえず怒っているだけである。保身と言っても差し支えあるまい。誰も悪くないと言い張るとそれこそ投獄されそうな勢いである。物言えば唇寒しのごとく戦々恐々としているのだ。木村花さんは天災で死んだのだが、どうしても人災にしたいのである。天災が発生すると、人災にしたい弁護士が必ず出てくるが、それこそ弁護士に丸投げして、世間の人々は無関心でいればいいのである。とはいえ、火が付いてしまうとそうもいかず、実のところ、世論を味方につけると裁判で有利だという困った問題があり、これも社会を歪めている。ともかく、強調しておきたいのは、コロナでなければ木村花さんは断じて自殺してないということだ。プロレスの興行が中止になったのが最大の理由であり、誹謗中傷は小さな理由である。苦境に陥って自殺を考えている人の背中を押していいわけではないが、本質的には天災であるし、おそらく、多くの人々がコロナに巻き込まれ、活動制限の苦しさを知るからこそ、惻隠の情を催して、論理の擦り替えにお付き合いしているのだろうが、そろそろ幕引きにしなければならない。人生は苦しいし、コロナは本当に苦しい。他人とのコミュニケーションの機会が減り気が楽になった人もいるだろうし、飲み会に参加しなくて済むというメリットもあったに違いないが、人と人が触れ合う機会を削がれ、それこそ経済的に死活問題になった人もたくさんいるだろう。本当に死んだ人もたくさんいた。木村花さんはコロナ自殺の典型であり、コロナによる活動制限は人間を死に至らしめる。自粛生活の方が気楽という人もいるだろうが、木村花さんはプロレス興行の世界にいたのだから、もちろん真逆である。この人間的苦悩に向き合わずに、弁護士の真似事をしたり、弁護士の論法に動員されてしまうのは、あまりにも愚かである。弁護士は何でも主張できるのではなく、法的に~請求権と定められているところだけをピンポイントで主張する。無理して変な裁判を起こす人もいるが、基本的に訴訟というものはテンプレである。であるから、訴訟に適さないトラブルはたくさんあり、弁護士が人間的課題のすべてを引き受けることはないのである。コロナウィルスにより、世界中でたくさんの人が塗炭の苦しみを味わってきた。前を向いて歩けずに、後ろを振り返ることを強いられた。人間的活動が無に帰する二年間だったのである。死にたいと思ったり、現実に自殺したのは木村花さんだけではない。木村花さんの死を弁護士論法で人災と結論付ければ、世界中のコロナ自殺を弔えるとでもいうのか。木村花さん以外は誰も死んでないくらいの世論になっているが、大きすぎる誤解である。たくさんのひとがコロナの苦しみで死んだ。木村花さんもその一人であるはずだが、不思議なことに、誹謗中傷で殺された人というアイコンになったので、この二年間の人類の苦しみとは無関係の世界にいるかのようである。プロレスの興行が中止になって苦しんだということなら、同じパンデミックの時代を生きた人間として理解できるが、コロナと無関係の誹謗中傷が原因というのだから、まさに弁護士世界である。本当にうんざりして反吐が出る。人生は本当に苦しい、コロナで活動できないのは本当に苦しい、木村花さんも本当はプロレスの試合に出ることを渇望していて、もし出場できるのであれば、泥水を啜ってでも生き延びたのではないのか。その本質から目を背けて、他人のせいで死んだと主張する他罰的思考は、あまり真っ当には思えない。
2022.04.15
自力で模範解答を書く能力
小室圭さんが試験にまた落ちたそうだ。で、そのヤフーニュースを見ていたら、とても秀逸なコメントがあって感心したので引用しておく。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6c26d09713c77c36b7bce6a9f7a5863b8be3287e
これは本当に的確だと思う。(小室圭さんに該当しているかは知らない)。
「受かる人はそれらしい雰囲気を持った文章を書くんですよ」というのはまさしくその通りであろうと思う。文章を書かせると、丸写しの文章を出してくる馬鹿な人がたくさんいるので、「自分の考えを書け」と言われてしまうのだろうが、やはりそれらしき雰囲気のきちんとした文章が大事なのである。ここで丸写しというのは、文字通りの剽窃から、知識をベタベタ貼り合わせたような文章まで含む。模範解答を自力で書くというと変な表現に思えるが、実は変ではない。自力でもっともらしい雰囲気の模範解答が書けるかが大事であり、そこに独創性はいらない。丸写し(もしくは断片的な知識を貼り合わせただけの文章)はだめだよ、という当たり前の話から、独創的な文章が望ましいという歪んだ結論に到達していることが多いのである。なにかについていろいろ資料を調べて、それを要領よくまとめた文章を書く能力が社会性として高く評価される。あるいは、こういうことかもしれない。丸写しはひどすぎるので、「せめて自分の考えを書きなさい」と言われているだけである。つまり「丸写し」が最低最悪で、それよりは「自分の考えを垂れ流す」方が多少はマシであり、しかし、それよりさらに上のレベルの文章として、要領よくまとめた模範解答がある。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6c26d09713c77c36b7bce6a9f7a5863b8be3287e
資格は何でもそうだけれど、合格率じゃないからね。合格率が高かろうと低かろうと、受かる人は受かるし、落ちる人は落ちる。要はその資格を有するに値する人かどうか?が問われているんだよね?私も記述式試験の添削をしてあげたことあるけど、受かる人はそれらしい雰囲気を持った文章を書くんですよ。逆に知識はあるのに受からない人は難しく考えすぎ、新人さんにはありがち。語学と一緒で『英語ならその母国語の人が話すように』『中国語なら中国人が話すように』心掛ければいいのに、やれ文法がどうのとか?日本語の意味を辞書で調べて当て嵌めていくように話したら不自然なことになるのに気が付かない。だから、落ちる。一発で受かる人はその辺の要領が上手です。知識は受ける人はだいたいもってるんですけど、知識だけじゃありません、その辺に気付いたら大抵の資格試験は受かります。
これは本当に的確だと思う。(小室圭さんに該当しているかは知らない)。
「受かる人はそれらしい雰囲気を持った文章を書くんですよ」というのはまさしくその通りであろうと思う。文章を書かせると、丸写しの文章を出してくる馬鹿な人がたくさんいるので、「自分の考えを書け」と言われてしまうのだろうが、やはりそれらしき雰囲気のきちんとした文章が大事なのである。ここで丸写しというのは、文字通りの剽窃から、知識をベタベタ貼り合わせたような文章まで含む。模範解答を自力で書くというと変な表現に思えるが、実は変ではない。自力でもっともらしい雰囲気の模範解答が書けるかが大事であり、そこに独創性はいらない。丸写し(もしくは断片的な知識を貼り合わせただけの文章)はだめだよ、という当たり前の話から、独創的な文章が望ましいという歪んだ結論に到達していることが多いのである。なにかについていろいろ資料を調べて、それを要領よくまとめた文章を書く能力が社会性として高く評価される。あるいは、こういうことかもしれない。丸写しはひどすぎるので、「せめて自分の考えを書きなさい」と言われているだけである。つまり「丸写し」が最低最悪で、それよりは「自分の考えを垂れ流す」方が多少はマシであり、しかし、それよりさらに上のレベルの文章として、要領よくまとめた模範解答がある。