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2023.07.27
差別の1ミリ
人間はどうしても二項対立が好きである。3つとか4つに分類すると、観念が分散されてしまってピンとこない。二項対立とは、物事を2つに分類しているのであるが、たとえば愛と憎しみという場合、愛の有無で分けているのであろうし、つまるところ、一元論である。ひとつの概念について、その有無や正邪を問うているのである。何かしらプラスとマイナスに振り分けるのが人間の思考の仕組みなのである。「差別」であれば、ラインに1ミリでも触れてしまえば差別である。「虐待」も1ミリで虐待であろう。アウトとセーフでいえば、人権問題になってしまった段階で、どこか1ミリは触れているからアウトになる。1ミリでも大騒ぎすることで人権啓発しているのかもしれないし、「セクハラ」にしても、性暴力に近いものもあれば、女性について保守的な見解を示すだけで当て嵌まることもある。というか、性暴力だと刑法の犯罪であるし、たぶん些細な一言の方がセクハラとして大問題になりそうである。他人を包丁で刺すのは人権侵害ではなさそうだし、そういうことである。またこういう風潮を作り出しているのは、ひとびとが正義中毒だからであろうし、プラス/マイナスに傾きやすい人間のサガである。LGBT問題などは、まだ人権として成熟してないのか、様々な配慮がされる一方で、その風潮を後押しすべく女子トイレ問題の最高裁判決が出たら反発も大きかったし、その判決と関係あるかどうかは不明だが、有名人らしい女装男性が自殺したり、今度はススキノで怪しい女装男性が頭部を切断される奇妙な事件があって、殺人被害者ではあるが加害者の側面もあるらしく、性転換しているならともかく、股間に陰茎がぶら下がっている状態で女装男性を信じろというのが無理である。この数週間、動きが目まぐるしいが、女装男性に対しては1ミリどころか、何メートルもラインをはみ出してバッシングすることになっている。犯罪と人権問題は違うので、人権問題に寄り過ぎた結果、女装男性の性犯罪の危険性が軽視されてきたのであり、その反動である。経済産業省の女装男性にしても、性転換手術はしてないそうなので、股間に男性器がついているのである。生粋の女性であれば、性被害への恐怖が強いはずである。女装男性だと襲われることもないので、そういう恐怖を抱く必要がないのかもしれないが、やはり本当の女性だったらあり得ない鈍感さであり、頭のネジが何本外れているのか気になる。性被害を恐れない女というのは、女という気がしないし、男女どちらでもない。よくわからない生物を男と女に分類しようとするのは、これも二項対立の病であろうか。
2023.07.20
ゾンビ世界
コロナが終わってから、おそらく人手不足で世の中が停滞しており、まったく賑わいがない。事業を興すというのは雇用を作ることではあるが、要するに低賃金労働者をあてにしているのであるし、そういう事業者がコロナ禍のバラマキで温存されてしまったのだろう。低賃金の雇用の受け皿がたくさんあり、その数えきれないお皿だけが縹緲として羅列されているのである。今はゾンビのような状態で、生き返るか死体になるか、瀕死の状態で息を潜めている。バラマキで最も生き残った事業は飲食であろうが、飲食のアルバイトは大変に見えても、器用で社会性があれば適職なのかもしれないし、少なくとも肉体的に重労働ではないから、人手不足が叫ばれる業界ではあれど、まだ労働力を吸い取っているのかもしれない。そろそろゼロゼロ融資の息切れ倒産が相次いで、あちこち整理されていけば落ち着くのかもしれないが、まだまだゾンビの状態で辛うじて息をしているのである。ひとびとは死体蹴りに慄いており、世界没落体験の渦中にいる、あるいは自分は大丈夫でも他人の苦境に心を痛めたり、あまり気分はよろしくない。なにしろ三年も軟禁されていたのだから、長患いで体の節々が軋んでおり、焼け付く日差しを謳歌できる体力もない。この三年間で自殺したひとはたくさんいるが、事業が本格的に死ぬのはこれからである。コロナ前は順風満帆であった事業がゾンビと言われてしまうこともあるだろう。この三年間でライフスタイルが変化したのかもしれないが、軟禁生活が続いているようでもあり、仮死状態なのかすでに死んだのかよくわからない昨今である。
2023.07.13
罪悪感でなにかをやった気になる
神経症とはなんだったのか、といえば、善良であろうという意思であるし、ではそんなに模範的な人物なのかというとたぶんそうではなく、おまじないの類である。罪悪感というのも、おまじないである。祟りを恐れるというか、本当に祟られるかどうかは別として、自己処罰をしておかないとまずいという疚しさである。HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)なる言葉があるが、これも要するに疚しさである。なにかにつけて罪悪感を持っておいた方がよいという呪術的なものである。この内面的な良心は人間の根幹ではあるが、それがない世の中には耐えられないから過剰に分泌するのか、とりあえずタダなので偽札を濫造しているのか、ともかくおまじないである。さて、それでは、どのような理由で疚しいのか、となると理由が判然としないこともある。この世界の様々なことについて心を痛めておくというか、それこそ天皇陛下みたいな感じになっている。あまねく人間の哀れさについて、いつも心の中で遺憾の意を表明している。いろんなことに心を痛め、菩提を弔うのであるが、それが実を結ぶわけではないので、悪習であるのは確かだ。神経症という言葉は使われなくなったし、反復強迫は強迫性障害という狭い括りになったが、うつ病という流行り病の正体は古典的な神経症かもしれないのである。とりあえず心を痛めて苦しんでおくという芝居がかった姿勢である。
2023.07.08
力関係で安く買い叩く
「2000円のものを1500円で売れ」と無理強いしたら恐喝だが、大企業が下請けに「今まで2000円で買っていたが、これからは1500円でなければ買わない」と通告するのは需要と供給で片付けられてしまう。力関係を利用して安く買い叩くのは、なぜか許されている。ときたま「優越的地位の乱用」として公正取引委員会が社名を公表したりするが、それによって大企業が大きなダメージを食らっている様子はない。われわれはいろんな場面で優越的地位の連中におびやかされながら生きているが、ほとんど公正取引委員会はでてこない。もしくは出てきたとしても、たいして効果はない。長いものにはまかれろという世渡りである。買い叩いたり買い叩かれたりするのが社会というだけかもしれない。刑法が禁じているのは暴力であるし、逆に言うと、権力を助長しているのが刑法である。刃物を振り回す粗暴犯に重い刑罰を課することで、ガツガツした社会的有力者を守っているのである。粗暴犯を野放しにすれば素晴らしい社会になるわけでもないので、暴力を禁止するのは当然であるが、ガツガツした有力者・権力者が報復をまったく恐れないのも困った話である。包丁を振り回さなくても他人を殺すことができる有力者がいるわけだ。無力な人間が抹殺されているのである。その業界では生きていけない、とかそういうことである。通り魔に刺されるのとは別のやり方で、日々いたるところで人々の命は終わっている。山上容疑者が英雄視されるのも、彼の犯行が素晴らしかったというよりは、社会的有力者が他人に圧力を掛ける現実にうんざりしているのだろうし、安倍晋三みたいなのが世の中にたくさんいるわけだ。
2023.07.01
交際相手。ヒモ。無料のセックス。
ストーカー殺人のニュースを見ていて思うのは、セックスは無料なのか、ということであり、今回の横浜市鶴見区の事件でも、つまり、18歳の美人と無料でセックスできるのであるから、執着して当然とも言える。むしろ執着しないほうがおかしい。交際相手への執着というより、無料でのセックスというのが肝心である。有料だったら執着しない。セックスが有償であると売春になってしまうが、お金が歯止めになっている側面もある。セックスは有料にするべきだという話ではないが、そもそも、世の中あらゆることで無料と謳うと食いつきがいい。なおかつそれが18歳の美人とのセックスであれば、刺すところまでいくのかもしれない。ストーカー殺人の加害者のお歴々を思い浮かべると、ストーカーをしてなくても別の事件で刑務所に入りそうな人間が多いので、どっちみち刑務所に入るなら、という発想もあり得る。底辺層の慣習として、ワル仲間から抜けると許さないという不可思議な怨恨もあるし、われわれ貴族からするとまったくピンとこない感情であるが、彼らは疑似家族が好きなのであろうし、育ちが悪い人間ならではの仲間意識がある。恋人とのセックスは無料であっても、実際は食事とか旅行とか、恋愛はお金がかかるという意見もありそうだが、おそらくストーカーはヒモなので、「俺の女」という具合になるのであろう。なぜヒモなのに偉そうなのか不思議だが、たぶんヒモだからこそ偉いのである。ホストという謎の職業に貢ぐ女性がたくさんいるわけだし、つまり、お金を払ってセックスをする男とは対極のエリートということかもしれない。それは倒錯的な価値観であるが、ヒモというのは物乞いであっても、なにかしら選ばれた乞食なのであろう。