テキストサイト文化というのがあった。
それは1999~2002年くらいか?
かなり繁盛していたが、今では跡形もない。

その理由を考えてみる。

まず、サイトは文化圏である。
アクセスを送り合うシステムが必要だ。
単純に言えば、同類のサイトをやっている人が必要なのである。
もちろんライバルとの過当競争という側面もあるが、必要は必要なのだ。
人間にとって他人は嫌でも必要なのだ。
一人でテキストをしこしこ書いていても、アクセスを送り合う仲間がいなければ、誰にも見て貰えずに終わるのである。

テキストサイトは道化だ。
ピエロだ。
これをやるにはかなりのストレスが溜まる。
一年とか二年が寿命だ。
長期的にやれるものではない。
だから存続が難しいのだ。
文化圏を維持するには自転車操業的に新しいサイトが出て来なければならない。

一番大きな要因は侍魂の健さんが就職して更新を停止したことだ。
われわれは最大手のサイトを憎んだりするが、実際は、最大手が閉鎖するとその周辺も沈没する。
最大手がアクセスの供給源になっているのだ。
一日20万アクセスという当時としては天文学的なアクセス数を誇った侍魂がなくなったということは、最大の補給路を断たれたということだ。
直接自分が侍魂からアクセスをもらってなくても、文化圏の中にいれば巡り巡って流れてくるのだ。

ともかく侍魂の停止で、テキストサイト文化圏は衰退した。
そしてもう一つの大きな要因は当時はアフィがなかったことである。
いや、正確にはあった。
アマゾンのアフィは当時からあった。
だが、当時はアフィを貼るのが禁じ手という感覚を共有しており、アマゾンのアフィが幅広く使われるには、その後のブログ文化を待つしかなかった。

アフィがあれば、モチベーションが下がっても続ける。
しかし一銭にもならないのであれば、気持ちが切れたところで閉鎖だ。
そして連鎖的な閉鎖である。
アクセスを送り合う仕組みが必要だと言ったが、周りが閉鎖すればするほどアクセス的に苦しくなるのは必定である。

もちろんテキストサイトへの需要がなくなったという問題もあるだろう。
いろんな意味で2ちゃんねるに代替された。
個人のテキストを読むより2ちゃんねるの書き込みの方が面白いかもしれないし、2ちゃんねる自体が個人サイトをクラッシュする装置だし、個人として個性を前面に出すような記述スタイルは2ちゃんねるが肥大するにつれて難しくなっていった。

そう言えばはてなダイアリーも絶賛衰退中であり、はてな匿名ダイアリーという2ちゃんの劣化版の方だけが繁盛している。

かつてインターネットは個性を最大限表現する場として夢見られ、日本のネットユーザーも2002年あたりまでは全力でそういうサイトを作っていた。
しかし最近ではそういうサイトはまったく流行らない。
平凡さの極みであるNariNariとか昔は雑魚だったが、今ではかなりの大手になってるのが興味深い。







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