痛いニュース(ノ∀`) : 今の若者は尾崎豊に全く共感しないらしい 「独りよがりで意味不明」「何に怒っているかわからない」

まずリアルタイムでも尾崎豊は大袈裟と言われていたわけだが、とはいえ、彼は時代の写し鏡であり、時代の寵児であった。時代性を深く背負い込んだがゆえに、四枚目以降のアルバムは迷いや逡巡が見られる愚作が多く、ほとんど評価に値しない。どれだけ悪く言われようと、10代の頃に作った三枚のアルバムが、尾崎豊なのである。尾崎豊(1965年生まれ)の時代だと、かなり体罰・校内暴力・管理教育的な学校空間だったはずだ。学校の生徒なんて暴力的に抑圧し、去勢する対象である。2ちゃんねらーに関しても言えるのだが、1960年代生まれ、1970年代生まれというのは、親が見合い結婚世代である。見合い結婚の価値観を持った親に育てられつつも、自分たちは自由恋愛に移行しつつあるという難しい世代である。2ちゃんねるで「処女」にこだわったスレが伸びるのも、「親が見合い結婚世代」というユーザーが多数いるためだと思われる。尾崎豊は古臭い封建社会で育ったわけではないし、今のような自由な社会で育ったわけでもない。言うなれば、時代がシフトする重苦しい端境期に彼は誕生したのであり、それを唄い綴ったのがその時代の象徴的で記念碑的な作品群になった。尾崎豊が今の若者に評価されづらいとすれば、そのような時代性を背負いすぎたからだし、また、特に時代性を背負った曲が代表曲として扱われているから、それ以外の曲があまり耳に届かない。もしくは届いたとしても、個性が強すぎて伝わらない問題もある。私が尾崎豊の曲の中で一番好きなのは「米軍キャンプ」なのだが、これは風俗嬢やキャバ嬢に好意的な感情を持っている人間だけがわかる曲である。その種の女の子に対する弔辞であり、弔鐘の鐘であり、深く悼みながらも人間賛歌の側面を持った楽曲であり、私はすごい共感するのだけど、拒絶反応を持ってしまう人は持ってしまうでしょう。尾崎豊はテンプレ化されたJ-POPソングではないだけに、幅広く受け入れられることがない。最近フロイトの評価がかなり下がっていて見向きもされないように感じるのは、過去をほじくり返すのが治療効果として極めて悪い、それどころか、悪化させることにしかならないことが明瞭になってきたからだが、時代的に抑圧がない社会にシフトしている結果でもあるだろう。フロイトも尾崎豊的に、封建社会から自由社会への橋渡しをするような存在であり、人々が橋を渡り終わったら用済みなのだ。今の世の中に若者として生まれてきたら、抑圧も去勢もされない。権力の圧迫もない。親が自由恋愛世代だから、価値観の葛藤もない。「自由にやれ」ということだから、イケメンとブサメンではQOLが違いすぎるし救いもないが、それは社会的で人工的なコードというより、生物の動物的な選り好みに立ち返った原始的コードによる切り分けだ。見合い結婚世代だと、女に一生縁がないような不細工な男でも学歴と定職があれば若い処女の女と結婚できた。実態的な問題として見合い結婚世代は嫁が処女ばかりだったとは言えないが、社会のコードとして、処女の分配式だったのである。ある種のイケメン排除だから、不細工でも生きやすい世の中ではあったでしょう。パーソナリティーの面に関して言うなら、かつての家制度や封建制を背負いながら生きていた人間は気難しさが必要で、それこそがストリクトに制度を守る武器だったのだけど、今の若者だと、対人的にフレキシブルに処理する姿勢が求められる。生き方や生まれつきのEQの問題として、男女混合社会の中で、女レベルの社交性に合わせないといけないから、「自由にやれ」というのは脱落者も多い。この自由でアノミー的な社会を象徴するシンガーは見当たらない。教師が生徒を殴りまくっていた時代は尾崎豊を生んだけど、この自由な世の中では、表現者を屹立させる圧力が足りないのかもしれない。職業選択の自由などと言うが、人は環境を選ぶことが出来ない。自分の手で触れて目に入る狭い環境世界が全てで、そこで与えられた配役を実演するために生まれて死んでいく。血塗られた暴政は時として優れた芸術表現を生む。スイスの平和は鳩時計しか生まなかったが、今はまさにそういう時代で、恋愛やコミュニケーションを漂いながら鳩時計を作り続けていく。







スポンサードリンク

最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
スポンサードリンク
RSSフィード
プロフィール

ukdata

Author:ukdata
FC2ブログへようこそ!

katja1945uk-jp■yahoo.co.jp http://twitter.com/ukrss
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
アクセスランキング