ミュージックレインは、スフィアメンバーに一斉にブログを更新させた。事務所の代筆か、本人自身の文章かは判然としませんが、事務所の統一的な方針の下に書かれたものである。中身としては、彼女たちは決して修道院の聖処女ではなく、普通にこの街を歩き人と出会い恋愛する存在であるという宣言です。声オタと共犯的に共有していた背景を破棄し、ありがちな物語に組み替えました。平野綾ちゃんの考えをソフトにしたものとも言えましょう。今の世の中は何しろ自由な社会で、とにかく恋愛は自由である。そういう時代性の大車輪に巻き込まれわれわれは生きていく。「声優」とは、そういう時代に乗れない人を守るシェルターであった。声優のファンクラブに入るのは、落ちこぼれ向けの学校に入るということだ。それは修道院的な物理的保証があるものではなく、街の女の子を修道女に仮装させたハリボテだった。板が倒されて中身が見えてしまい、「裏切られた」人たちが昏倒して白眼を剥いているのが現在。見せられた現実を容認するか拒絶するか、その選択を切迫性のある中で迫られているのが声オタである。スフィアの恋愛を応援するか、応援しないか。ただ、この二択は引っかけだ。ここで必要なのは選択肢を分析し、バラしてしまうことだ。結論から言うと、他人の恋愛を応援する選択はあり得ない。この選択肢は消して、新たな選択肢を自分で書き加えるべきだ。女の子だったりすると他人の恋愛を焚きつけたりする感性はあると思う。「告白しちゃいなよ」「やっちゃいなよ」と、他人の背中をぐいぐい押していく具合だ。男にはこういう感性はない。他人の恋愛なんぞ応援出来るものか。そもそも応援の対象になりえるものではない。スフィアが恋愛するのは自由だが、しかし、それを応援する義務など誰にもないということなんだ。恋愛とはまさに個人的事情であり、他者が共感的に関与するものではない。男であればなおさらだ。恋愛とは共有性が無く排他性を持ったものだ。何にせよ、幻想から醒めたからには、絶対的正解はない。あえて騙されて二日酔いを続けるのもいいし、まだ仮装を続けている他の声優に流れてもいい。望んだ世界が壊れたのだから、第二志望か第三志望あたりを見繕う行為になる。それはそれで人の生き方らしいと思うのです。第一志望に大願成就するより、不本意入学で戸惑いあがく方が、人生です。最高に仕立て上げられた人生は人生ではない。ガチで処女の声優がいないのと同じだ。







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