2012.03.29
20歳を過ぎると時間の流れが早い
動物は言葉を持たないから歴史を語り継ぐことが出来ないが、人間は語り継ぐことが出来る。
人間を人間たらしめているのは、人間が持っている能力による。
進化した人間に新たな能力が賦与されるとしたら、そこでまた新たな存在の在り方をする。
頭で考えたことをそのまま他人に伝える能力が出来たとしたら、それに応じた存在になるだろう。
僕らの存在とは、その存在を構成する能力に依存するのである。
存在とは時間性であり、時間性を構成するのは記憶である。
記憶により過去を構成し、そして言葉で語り継ぐ。
それが今の人類の在り方だ。
20歳を過ぎると、人は時間の流れが早いという。
これは20歳を過ぎると記憶力が低下するからである。
記憶の密度が下がるから、時間性の問題として、時間の密度も下がるのである。
同じ一ヶ月でも、20歳の一ヶ月と70歳の老人の一ヶ月では極端に違う。
老人であれば、昔の出来事はよく憶えていても、最近のことは曖昧だったりする。
記憶の密度が低いのだから、そういう時間を生きているのである。
どんなに記憶力が低下しようが、物理的な時間の流れ方に変わりはあるまいが、それを解釈する僕らの体感の時間性は変動する。
言葉がなければ歴史を語り継げないのと同じことであり、劣化した記憶では、密度の下がった時間しか生きられないのである。
さて、記憶力が低下したからといって、時間が減るわけではない。
一ヶ月なら一ヶ月である。
振り返った時に「あっと言う間」という気がするだけである。
生き方によっては、どんなに年を取ろうが、濃い一ヶ月を生きることは出来るだろう。
人間を人間たらしめているのは、人間が持っている能力による。
進化した人間に新たな能力が賦与されるとしたら、そこでまた新たな存在の在り方をする。
頭で考えたことをそのまま他人に伝える能力が出来たとしたら、それに応じた存在になるだろう。
僕らの存在とは、その存在を構成する能力に依存するのである。
存在とは時間性であり、時間性を構成するのは記憶である。
記憶により過去を構成し、そして言葉で語り継ぐ。
それが今の人類の在り方だ。
20歳を過ぎると、人は時間の流れが早いという。
これは20歳を過ぎると記憶力が低下するからである。
記憶の密度が下がるから、時間性の問題として、時間の密度も下がるのである。
同じ一ヶ月でも、20歳の一ヶ月と70歳の老人の一ヶ月では極端に違う。
老人であれば、昔の出来事はよく憶えていても、最近のことは曖昧だったりする。
記憶の密度が低いのだから、そういう時間を生きているのである。
どんなに記憶力が低下しようが、物理的な時間の流れ方に変わりはあるまいが、それを解釈する僕らの体感の時間性は変動する。
言葉がなければ歴史を語り継げないのと同じことであり、劣化した記憶では、密度の下がった時間しか生きられないのである。
さて、記憶力が低下したからといって、時間が減るわけではない。
一ヶ月なら一ヶ月である。
振り返った時に「あっと言う間」という気がするだけである。
生き方によっては、どんなに年を取ろうが、濃い一ヶ月を生きることは出来るだろう。
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