ゆとりとはルサンチマンの勝利である。そして勝利できてしまうことが知的生命体としての悲劇であった。人間を動物として見た場合、知性はズレを作り出す諸悪の根源である。知性によって外界に溶け込めるのではなく、知性が育つほどに自閉的なズレが生じてくる。ただ単に楽しく生きるだけなら知性は無用なのである。そういう知性の低さという悦楽を選んだのがゆとりである。これは完全勝利なのだ。美人にブスと言っても美しさは減らないが、知性は否定されると価値が減る。知性は動物には荷が重い能力なので、これがないほうが楽しいのである。知性がなくてもコミュニケーションスキルがあれば動物には十分だ。知性が発達するとひとは自閉的になり外界との調和が失われるが、コミュニケーションスキルはハーモニーを奏でる。ロンブーの番組だって楽しく見られる。たとえばアスペルガー症候群は視野が狭い。決して視覚障害があるのではない。視覚が正常でも外界が見えていないのがアスペルガーなのである。ポーの盗まれた手紙の話ではないが、目に入っていても見えないことはあるのだ。アスペルガー症候群は仮に知的に優れていても外界との架け橋がないのである。知能が低くても、外界がちゃんと見えていれば問題はない。人生を享楽できる。このご時世において知性の高さを持つのは茨の道である。知性が高いと障害と言われかねない状況になっている。おまえらのように最初からロンブー並の知能しかない人間には最高の世の中になった。今までなんの取り柄も無かったのに知能指数が低いという取り柄ができてよかったじゃないか。







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