海燕が教養云々言ってるが、おまえの教養の方がよほど崩壊してるだろう、みたいな流れがあったようだ。

海燕はブロマガで有料記事を書いているのだが、そこでこんなエントリーがあった。

オタクにとっての「教養」は崩壊した。次は「常識」がなくなるだろう。(2124文字):海燕のゆるオタ残念教養講座:ゆるオタ残念教養講座 - ニコニコチャンネル :エンタメ
このお話のなかに「剣聖ラインハルト」という人物が出て来るんですね。ぼくはこの名前を見たとき、ちょっと苦笑してしまいました。いやいや、ラインハルトといえば金髪の孺子だろう、と(笑)。

ひょっとしたらわからないひとがいるかもしれないので解説しておくと、ラインハルト・フォン・ローエングラムは田中芳樹『銀河英雄伝説』の主人公(の片割れ)です。ぼくのなかではラインハルトといえばこの金髪の若者であって、ほかのラインハルトなどありえないんですね。

あまりに有名なキャラクターだから、ほかの作品でもかれの名前を使用することは避けて当然だと思うんだけれど、この作品ではそういう配慮はされていないみたい。で、ふと思ったのは、ひょっとしたら作者さんは『銀英伝』を読んでいない世代のひとなのだろうか、と。


これに対して、以下のようなツッコミがなされた。


オタク教養とは何か - novtan別館
違うでしょ。ここは田中芳樹がラインハルトという名をどこからとってきたかを提示した上で『Re:ゼロから始める異世界生活』の剣聖ラインハルトとやらの名前のルーツを詮索してみせるくらいがオタク教養なんじゃないの?これじゃあ単に銀英伝ファンの身勝手な固有名詞の絶対価値化でしかないよ。


海燕についての所見を述べると、彼は漫画やライトノベルが異常に好きである。これだけが唯一の長所であり、他に見るべきモノはない。この長所は意外と希有なものである。オタクというのはナードにとっての共通言語だから、やむを得ずオタク文化のミームの伝播に参加して中継しているだけの人も多い。要は、ラノベが本気で好きというわけでもないが、オタクであるためにとりあえず読んでいるという輩が多いのだ。その点、海燕は好きで好きで仕方がないから読んでいるというのは伝わってくる。わたしは今まで海燕の文章は合計10分くらいしか読んだことないが「本当に好きなんだなあ」というのはわかる。ブロマガで有料記事を書けるのも、そういう「好き」な度合いが強いというのが認められているからだろう。

海燕は1978年生まれだそうだ。われらが有村悠さんは1979年生まれだからほぼ同い年である。このふたりの格差を考えると、やはり他者の想像力が好きな度合いの格差なのだ。有村悠さんは自分の中で空想するのが好きなのであり、他人の想像力を楽しむという嗜好がないのである。自分大好きな人と、他者に関心がある人の違いなのだ。有村悠さんが「庵野秀明の後継者になりたい」というのも、他者への関心の強さから他人に物語を伝えたいというのでは決してない。自分大好きな人がそういう妄想をしているだけである。ロックスターのような存在になりたいという自己愛だけが浮遊している。これでは他人の作品を本当の意味では楽しめない。







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