上杉隆を見ていて、彼に何かひとつでも長所があるのだろうかと考えた。

ある。

行動力である。

人一倍行動力があるから(今後はともかく)アルファとして階段を駆け上がったのだ。
現在かなり話題になっている乙武にしても行動力は凄まじいものがある。
津田大介にしても、なんかよくわからんが行動ばかりしている。

われらが有村悠さんに何が足りないかというと、そこなのである。
有村さんには著しく行動力が欠けている。

ではなぜ有村悠さんには行動力がないのだろうか?
空想力が強いからだ。
庵野秀明の後継者を目指すとか、30歳までにイラストレーターになれなければ死ぬとか、そういうのは決して津田のようなガツガツとした前進ではなく、前進することをモラトリアム的に保留したに過ぎない。現実に流れている時間の中では有村さんは一歩も歩いていなかった。

おそらく有村悠さんは、本人の中では成功した設定なのだ。空想だけで満ち足りてしまう能力がある。現実はおまけなのである。もちろんおまけの現実でも腹は減るから、その脊髄反射として金を欲しがるが、基本的には現実のアイテムなど欲しくないのだ。

有村悠さんは自己愛性人格障害とされるが、「モテるのにあえて童貞を選んでいる」という設定のようである。実際の有村悠さんは「もてない男」だと思うが、本人はそれを受け付けない。空想的に(ナルシスム的に)美少女が手に入っているはずという前提は絶対だから、非モテだとは自覚しないのである。空想の中で有村悠さんはどこにだって行ける。スーパーボウルにクォーターバックとして出場することも出来るし、ロックスターとしてグラミー賞に選ばれてもいいし、アカデミー賞でオスカー像をもらってもいい。現実の空間と時間の中で自分の人生を引き受けていないので、脳のリソースはいくらでも有り余っている。

有村悠さんと同じ学歴(久留米大附設高校卒・東大中退)であるホリエモンは空想などしない。現実の空間と時間の中で、自らの手でつかんだものしか信じない。だから金と女というリアルな記号が彼の哲学だったのだ。ホリエモンの「金と女」というのは空想の否定だ。「本当の僕はもっとすごい」みたいな甘えの否定なのだ。自分が持っている現金、自分が抱いている女、それがすべてという価値観である。リアルで足りない部分を空想で補う発想など無い。そういうリアルへの渇望がアルファなのである。自分の空想に現実が近づいてくれたらいいなあ、と思っているだけの有村さんは最下層なのである。宝くじが当たるのを漫然と待っているだけだから、それこそ宝くじ的な確率でしか成功しない。

われわれは「性格がいいと友達がたくさん出来る。性格が悪いと友達が出来ない」と教えられる。これは明らかな誤りである。友達の数は行動力と比例する。行動力のある人間に人は惹かれるのである。上杉隆がモデルと付き合えるのも、行動力があるからだ。モデルのお姉さんがやってくるのをひたすら待っていたわけではない。有村悠さんは人見知りをしないので、何となくどっかの集団に属したりするが、現実的な行動力を欠いているので、本当に誰かと親しいわけではない。人見知りをしない能力で最初は漠然と打ち解けるが、結局は関係を切られていく。東大に現役合格するまでひとつも悪いことをしたことがない有村悠さんがワルのわけはないが、行動力の低さという大いなる欠陥により疎まれるのだ。

最近の上杉隆や乙武は行動力がありすぎて失敗した。ホリエモンだって刑務所に入った。行動力があるというのは「いい人」ではない。現実的な欲に正直でガツガツしているということなのだ。金が欲しい、女を抱きたい。それだけだ。それで大怪我しようが突き進んでいくのだ。有料メルマガブームは基本的に信者からのお布施だが、そういうビジネスが可能なのは、リアルへの共感だ。行動力に満ち溢れたパーソナリティーが信者を惹き付けている。アルファは決して道徳の教科書に載るような立派な連中ではない。行動力が現実を作るという、それだけなのである。そういう意味ではアルファを道徳的に批判してもあまり効果がない。信者はアルファが類い希な行動力でサバイブしていくリアルな感覚に共鳴してるのだから、道徳的な善悪には関心がないのである。

かつて有村悠さんは新世紀エヴァンゲリオンに夢中になった。行動力の足りない主人公に共感したのだ。目的がはっきりしないことがメインテーマに据えられているため、アパシー(無感動)な体質の有村悠さんとのシンクロ率が高かった。有村悠さんは東大アニメ研究会の後輩女子に告白してなじられるという屈辱的な経験を経て発狂したが、これはアスカに受け入れられないシンジの運命を体感させられたのだ。有村さんは至って正常なので、鬱病でもないし分裂病でもないし神経症でもないが、人格障害という在り方が逃げ場としてフィットした。絶対にエヴァには乗らないという人生を決め込んだのである。行動力のない人間がどのように行動するかというエヴァンゲリオン的なテーマは棚上げされ、ただひたすら行動しないという白紙の時間を過ごしている。われわれの歴史は行動力のある人間が刻み込んだ記録である。アパシーシンドロームに落ち込んだ有村さんはこの記録に参加する資格はない。アカシックレコードにすら、有村さんが生きていた事実は刻まれない。行動力という力への意志を放棄したのだから、歴史という物語に参加する資格を失ったのである。







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