われわれは注意力で世界を見ている。たとえば自分の部屋において、どれをどの場所に配置するというのは注意力だ。爪切りを押し入れの奥には仕舞わない。電気カミソリをどこに置くかと考えたら、洗面台の横か、そうでなくとも、毎朝手に取りやすい位置に置くことを考える。卒業アルバムなら、押し入れの奥とか、出しづらいところに置く。それぞれの道具が持っている特性から考えて、ちょうどいいところに配置していくのだ。ビールの空き缶だって、置く位置はだいたい決まっている。そのスペースにひとまず並べておいて、あとでゴミ箱に捨てる流れがあるわけだ。

有村悠さんは、このような位置関係をまったく把握していない。だからゴミ屋敷が見事に完成するのである。注意力がないから、目の前以外はまったく見えていない。彼の周辺には秩序がなく、荒廃するばかりである。金銭感覚の破綻も同じ問題だ。電話がいつ止まるか心配してるのも、頭の中で注意を喚起して管理する能力がないからだ。

こういう有村悠さんを見て、知的障害者だと誤解する人もいる。しかし、有村悠さんは東京大学に現役合格しているのだ。周りが見えてなくても目の前の入試問題は読めたから東大に合格できたのだ。その後は注意欠陥らしいダラダラした人生を送り東大を中退している。人間は世界を把握し、周辺に気を配り、リアルタイムで動き続ける注意力で「時間」を管理しているのだが、こういうスケジュール機能やリマインダー機能が有村悠さんにはないのだ。有村さんだって時間と空間の中にいるが、そこに注意を払っていないので、漫然とダラダラした時間を送り、空間認識の欠如の象徴であるゴミ屋敷で過ごすことになっている。

そういう有村悠さんが乗っかっていたのがノマドワーキングである。有村さんが住む鹿島田から秋葉原まで片道380円の電車賃が掛かるが、かつてはこれだけのコストを掛けながら秋葉原でノマドワーキングしていた。結局片道380円の電車賃と秋葉原での場所代が金銭的負担となり、そういうノマド生活は破綻した。ノマドは発達障害である。「自宅では集中できない」というADHDがノマドノマドと騒いでいたのが実態だ。ノマドとは多動性に他ならない。自宅では手に付かないからフラフラと表に出掛けるという症状がノマドという言葉により美化されたのだ。そもそも自宅の鹿島田できっちり作業が出来るなら、秋葉原まで時間と電車賃と場所代を使って出掛ける意味がまったくない。自宅に規律がない人間がノマドワーキングを求めるのだ。自宅で集中できない問題の解決方法として、外で作業するコストを負担して外でやろうという発想なのだ。ノマドワーキングを礼賛するよりも、自宅で集中できないという根本問題を解決するべきだろう。

最近の有村さんは自宅で二ヶ月間寝ながら過ごした。正常なのにメジャートランキライザーを服用し、その副作用で一日14時間眠り続けたのである。そして二ヶ月間筆記用具を手にしなかった有村さんは突然マクドナルドに向かう。13時間粘り、コミケ用のネーム(38ページ)を一気に完成させた。有村さんによれば自信満々の出来映えのようである。こうやって突発的に思いついて一気にやるのがいつものパターンである。こういうスタイルがとても効率悪いのは言うまでもない。







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