X JAPANであれば、YOSHIKIは交換可能ではない。YOSHIKIがいなくなったら代わりの誰かで務まることはない。こういう交換不可能な存在は少数派である。つんくの代わりに誰かが作曲することなら容易だし、秋元康の代わりに誰かが作詞することも容易だ。交換可能なレベルの才能だからだ。

X JAPANがかつて海外に進出しようとして、うまく行かなかったのは、TOSHIの英語の問題だ。もしくはYOSHIKIの英語の歌詞を英語ネイティブの人が聞いたら笑ってしまうという問題もあるだろう。ともかく最大のネックはTOSHIの英語だった。歌詞ならネイティブに補作してもらうなどの対応も出来るが、ボーカルの発音はそういうわけにはいかなかった。Art of Lifeの完成にやたらと時間が掛かったのも、TOSHIの英語の発音の問題からである。ボーカル交代というシビアな選択は行われなかった。TOSHIは独特の歌声を持つ個性的なボーカリストだが、歌唱力という点だけで言えば、代わりはいる。TOSHIは歌の雰囲気がいいだけで、決して歌そのものはうまくない。しかしYOSHIKIとTOSHIは幼稚園からの幼馴染みなので、さすがに冷酷なことは出来なかったのだろう。それにボーカル交代はバンドの根幹に関わるので、歌唱力だけの問題ではない。TOSHIは新興宗教に嵌ったり、X JAPANを脱退し解散に導くなどしたが、これはTOSHIが責任を感じていたからだと思う。「俺が辞めて外人のボーカリストに交代すれば世界で飛躍できる」というのは常に考えていたはずだ。ノイローゼになっていても、まったく不思議ではない。

TAIJIとHIDEがいなくなったことによって、X JAPANのアレンジ能力は大幅に後退した。TAIJIが消えてからベースは空気になったし、HIDEが死んでからギターアレンジはゴミになった。とはいえ、アレンジの問題だから、まだ何とかなるわけである。YOSHIKIさえいれば、X JAPANは維持出来るのだ。

最近大人気なのが、ももクロである。これだけ動員力のあるアイドルはそうはいない。CDが売れない時代なのに、全盛期のSPEEDくらいの動員力はありそうだから、桁外れの人気だ。ももクロは交換可能な存在である。(実際に代わったらまずいとしても)代わりは誰でもいる。ももクロは舞台装置として完成されているのだ。どの高校が甲子園に出てきても感動的であるような、そういうシステムなのである。あの名物マネージャーをはじめとして、舞台を作り上げる人達がとても優秀なのだ。ももクロの楽曲を音源だけで聴けば、あまりたいしたことがない。他のアーティストが歌ったらヒットしないレベルだ。松田聖子みたいに珠玉の名曲をたくさん与えられたアイドルとは違う。しかしももクロのライブパフォーマンスは傑出している。ダンスが上手い下手という次元ではなく、視覚に訴えてくるインパクトが圧倒的なのだ。見ているだけでミラーニューロンが刺激される。観客も含めたムーブメントであり、時代という時間性の最高の頂に達している。間延びして漫然とした時間ではなく、瞬間に凝縮された最高の時間であり、カタルシス性がとても高い。たとえばヒャダイン作曲「無限の愛」はももクロが歌うから見る者を圧倒するのであり、観客の心を深く揺さぶるのだ。他のアーティストでは同じような感動を与えることは出来まい。坂本真綾をブレイクさせたのは菅野よう子の実力だが、ヒャダインの曲でも売れたのはももクロの実力である。







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