匿名は卑怯で実名は勇敢だという論調があるが、これは明らかな誤りであり、実名を名乗るのは、ただ単に文化人ワナビーなのである。文化人になることを意図して、実名と顔写真を晒すわけである。

顔写真と実名を晒すのは、川越シェフがカリスマであるのと同じノリである。その道での第一人者が自然に著名になるのではなく、(どちらかと言うとそうではない人が)タレントとして一山当てたいということなのだ。茂木健一郎は脳科学の第一人者とは程遠いが、脳科学の権威として売り出されていた。そういうことなのである。

小倉弁護士は知名度がマネタイズされない十年以上前から、いろいろと論争を巻き起こしているので、文化人ワナビーのカテゴリーに完全に当て嵌まるわけでもないが、言論活動への意欲が強い人物であり、ある程度は名前を売りたいというのはあっただろう。カリスマ弁護士としてテレビに出たいみたいな考えもゼロではなかっただろう。今のところ小倉弁護士は知名度がストレスにしかなってない部類である。彼が匿名批判を続けているのも、ある種のルサンチマンの表れだろう。

ヤマカンはツイッターで延々とアンチと戦い続けている。彼はアニメ監督であり、別にタレント志望ではないが、基本的に有名人願望が強い人間である。しかしフラクタルの大失敗でかなり叩かれることになり、知名度がストレスになっているはずだ。ヤマカンもネットユーザーをさかんに批判しているが、これはフラクタルの失敗から目を背け「正義」を気取るためである。確かにアニメの失敗作など多々ある中で、フラクタルはヤマカンのキャラクター性(加えて東浩紀のキャラクター性)もあり、批判の集中砲火を受けた。被害者と言えば被害者だ。だが、その被害者としての正しさに甘えている。結果を残せなかったのに、野次と戦うのは問題のすり替えだ。

さて、文化人ワナビーと言えば、われらが有村悠さんにも言及しなければなるまい。有村悠さんに才能のひとかけらもないことは34歳になった現在明らかである。東大に合格したにも関わらず、代々木アニメーション学院に進学した人の末路のようになっている。有村悠さんは顔写真と実名を晒し続けた。(厳密に言えば、坂口拓史が本名だが)。有村さんは「才能がない」のが最大の問題だと誤解しているようだ。これが大間違いである。文化人なんぞ、才能がないからなるのである。本当の天才シェフなら川越シェフのような人生は選ばない。有村さんは「正真正銘のクリエイター」になりたいのか「文化人」になりたいのか、どっちつかずだったのだ。文化人ワナビーでありながら、本物の天才を同時に目指しているような、そういうおかしなところがあった。それが今日の低迷の原因である。庵野秀明になろうとせず、川越シェフを目指していれば、そこそこの「文化人」になれていただろう。ネット上の様々なアルファを見てみるがいい。庵野秀明はひとりもいないが、川越シェフならたくさんいる。有村さんが真似するべきは川越シェフだったのに、(そして実際川越シェフのようなキャラなのに)庵野秀明にもなりたいという変な自己愛はあるのだ。これは有村さんが見栄っ張りだからであり、川越シェフのような形で成功してもかっこ悪いと考えているのだろう。

有村悠さんは、B級文化人なら簡単になることが出来た。たとえばブロマガで海燕と同じチャンスを与えられた時もそうである。おそらく有村さんの担当者は海燕の担当者と同一人物だと思うのだが、有村さんは(庵野秀明のつもりだから)作家先生を気取っていつも通り担当者の言うことを聞かなかった。海燕のような雑魚をプロブロガーに育てた力量のある担当者を無碍にしたのである。タレントの成功はプロデューサーに恵まれるかどうかに掛かっているのだが、有村さんは(海燕でさえ育て上げた)理想的な担当者に出会えても、それを台無しにしたのだ。有村さんは顔出し出来るだけに、ニコニコというプラットフォームは最適だった。ブロマガで執筆して収入を得て好きなものをたくさん買い、それをニコニコ生放送で見せびらかしながら若い女の子と戯れる生活も可能だった。(同い年の海燕はやり遂げただけに)有村さん御本人が適性を理解されてないようで残念である。

有村さんはある意味フェアなのだ。売れるためには本当の天才でなければならないと思っている。目立ちたがり屋のくせして、妙な自制心があるのだ。テレビの虚構性を見抜いていないとも言える。文化人の世界なんてハッタリでどれだけ売り込めるかどうかだ。有村さんは行動力が足りなかった。実名と顔写真を晒すというリスクを犯したのだから、このギャンブルを勝ち抜いて金を手にしなければ意味がない。鉄骨を渡りきって、向こう岸にある札束をつかまなければならない。行動し行動し行動し、嘘と恥にまみれようが、金をつかむことだ。経歴詐称が嫌なら、津田のように「ツイッターの代表」みたいなポジションでもよかった。あれは詐称のようでいて詐称ではない。非公式の応援団長のような立ち位置をとったからだ。ともかく有村さんは庵野秀明のような天才ではないのだから、行動で自分を売り込むべきだった。それが出来なかったから、文化人ワナビーの墓標のひとつとして連なることになったのだ。







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