禁欲主義のとても悪いやり方として「何もしない」というのがある。俗世に触れず、隔絶された清らかな世界に生きていれば、それだけで理想に到達している状態であるという錯誤である。人類に修道院を作らせたのは、そのような理想主義であった。現実に触れなければ、内なる理想は傷つかない。時間と人生を理想主義の贄として捧げることなのである。

われらが有村悠さんは新世紀エヴァンゲリオンをそのまま生きている。エヴァンゲリオンには絶対に乗らない。そしてアスカにフラれたことを永遠のトラウマとして生きていく。エヴァンゲリオンのテーマ性を、とてもネガティブに捉えて、実演しているのである。有村悠さんは東京大学文学部に七年間通い中退しているが、最初から通っていなかったわけではない。アニメ研究会の後輩に告白して「空気が読めない」となじられて発狂したのである。そして精神科に通院するようになった。これは有村さんの人生において最大の事件であり、挫折した大きな曲がり角であるため、御本人もこの話はタブーとされているようだ。ここからの有村悠さんの人生はひとりの女性を絶対視する世界観で刻まれていく。女なら誰でもいいという雑食の男もいるが、有村さんはそれとは対極だ。有村さんは全能の神の前で宣誓できるほどに完全な童貞だが、これは、有村さんの女性観が、女なら誰でもいいというのではなく、一人の女性を絶対視する遠近法で構築されているからである。どこかに特別な永遠なる女性が存在していて、その女性と結びつくまでは、大いなる未完な人生を生きており、その絶対的な女性以外は有象無象の雑魚として打ち捨てられ、その女性を手に入れるまでは人生をスタートさせる価値もないというくらいの、そういう頑迷な価値観で動いているのである。

有村悠さんが(才能もないのに)芸術家という自意識で生きているのは、このような女性観ゆえである。手に入るものではなく、「手に入らないもの」を中心に考えているから、そこには空想しかあり得ず、芸術家という自意識が生まれるのである。普通の人間なら、現実の女を食することで満腹になり、その後は別のことを考えるものだが、有村さんは常に空腹である。だから飢餓状態の中で、延々と女のことを考える生活を送っているのである。断食することでアスカの幻影がおぼろげな姿からくっきりとした輪郭を形作り、内面に根を張り、心象世界にきらめく幻想として確立され、それがマスターベーションの基幹となるので、われわれが有村さんに安い風俗をおごるような真似は出来ないのである。このような断食者は決して粗末な食事は受け付けないのだ。

有村悠さんは肉体的な童貞性を守っている限り、内面で何を考えてもセーフだと思っている。彼が年端もいかない少女の画像や映像を大量に蒐集しているのも、それは現実の世界で行われている行為ではなく、空想世界の中を駈けているだけという解釈なのである。同人活動も、そのような空想の悪食だからセーフである。肉体的に童貞であれば、何でもありなのである。内面で欲望が奔逸し繁殖するままに任せていても、それは現実というラインに抵触しないので、倫理的に問題はないということなのだ。アスカにフラれたという理由でハンガーストライキをやっているだけだから、そこには何の哲学もないのである。







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